中央大学について
学校整理
戦況が激しさを加えてゆくなか、政府は軍事に役立つ教育/研究を優先し、文系の教育を縮小する政策をとります。
なお、『タイムトラベル125中大』に参考記事があります。
私学統廃合問題と中央大学(411KB) | <本学サイト> |
1)「教育ニ関スル戦時非常措置方策」
1943年10月、政府は「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を閣議決定します。決定は、大学等の高等教育機関について、1)理科系の大学等を充実させる、2)文科系大学等の理科系への転換、3)私立の文科系大学等の専門学校への転換と入学定員の半減、などを内容としています。
教育ニ関スル戦時非常措置方策(昭和18年10月12日 閣議決定)<抄> | <国立国会図書館サイト> |
以下に本文から中央大学の学部、専門部に関係する部分を抄出します。
第一 方針
現時局ニ対処スル国内態勢強化方策ノ一環トシテ学校教育ニ関スル戦時非常措置ヲ講ジ施策ノ目標ヲ悠久ナル国運ノ発展ヲ考ヘツツ当面ノ戦争遂行力ノ増強ヲ図ルノ一事ニ集中スルモノトス
第二 措置
一 学校教育ノ全般ニ亘リ決戦下ニ対処スベキ行学一体ノ本義ニ徹シ教育内容ノ徹底的刷新ト能率化トヲ図リ国防訓練ノ強化勤労動員ノ積極且ツ徹底的実施ノ為学校ニ関シ左ノ措置ヲ講ズ
<中略>
(五)大学及専門学校
(イ)大学及専門学校ニ付テハ徴兵適齢ニ達セザル者、入営延期ノ措置ヲ受クル者等ニ対スル授業ハ之ヲ継続ス
(ロ)理科系大学及専門学校ハ之ヲ整備拡充スルト共ニ文科系大学及専門学校ノ理科系ヘノ転換ヲ図ル
(ハ)文科系大学及専門学校ニ付テハ徴集猶予ノ停止ニ伴フ授業上ノ関係並ニ防空上ノ見地ニ基キ必要アルトキハ適当ナル箇所へ移転整理ヲ行フ
私立ノ文科系大学及専門学校ニ対シテハ其ノ教育内容ノ整備改善ヲ図ルト共ニ相当数ノ大学ハ之ヲ専門学校ニ転換セシメ専門学校今後ノ入学定員ハ概ネ従前ノ二分ノ一程度タラシムルヤウ之ガ統合整理ヲ行フ
<中略>
四 在学中徴集セラレタル者ノ卒業資格賦与ニ付テハ、特別ノ取扱ヲ考慮ス
五 在学中徴集セラレタル者ノ除隊後ノ復学ニ付テハ、特別ノ便宜ヲ図ルト共ニ統合整理セラレタル学校ノ旧在学者アル場合ニ於テハ臨時ニ必要ナル施設ヲ講ズ
1943(昭和18)年12月31日 | da20130695a0004 | |
1944年01月10日 起案 |
教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ基ク学校整備ニ関スル件(1310KB) |
da20130695a0001-da20130695a0003 |
この決定を受けて文部省は12月31日付で、発専311号を大学に示し、1)入学定員、2)組織の変更、3)学科課程改正、4)整備後の教員数、5)使用する校舎および校地(および供出可能な建物)、6)理科系に転換する場合の施設、教員、7)授業の委託をする場合の希望委託先について翌1月10日までに回答するよう指示します。文書には、この文書発出以前に大学と個別に面談しているとも記されています。
中央大学には、回答起案書が残っています。その内容は以下のとおりです。なお、入学定員についてこの回答どおりに改定したかに関する史料は残っていません。
1)入学定員
法学部(昼)100 法学部(夜)240
経済学部(昼)60 経済学部(夜)200
予科 法(昼)100 法(夜)100
予科 経済(昼)60 経済(夜)60
専門部 法(昼)150 法(夜)600
専門部 経済(昼)100 経済(夜)400
2)組織の変更 学部の商学部を経済学部に統合、専門部の商学科を経済学科に統合。
起案書の"但シ現在ノ商学科第2学年は本年9月迄存続セシム"部分は黒鉛筆の取り消し線が引かれています。
3)学科課程改正 目下もっぱら攻究中。
4)整備後の教員数 教員の3分の1を減ずる方針。
5)校舎および校地 新設申請中の工学科(後の「中央工業専門学校」)に現施設を使用する予定であるが、改造すれば2、3の教室は提供(供出)可能。
6)理科系に転換する場合の施設、教員 なし。
7)授業の委託をする場合の希望委託先 なし。
この回答起案書に記された入学定員と直前の定員との比較は以下のとおりです。
起案書で回答した変更予定入学定員と1942(昭和17)年当時の入学定員(97KB) | - |
1944(昭和19)年04月 日 起案 |
学科目改定ニ付各教員ニ通牒ノ件(1889KB) |
da20130703a0001-da20130703a0004 |
中央大学は、1944年度の授業などについて教員あて通知を行ないます。この文書はその起案書です。理事の承認印があることからこの内容が実施されたと推測されます。
文書では、"教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ基キ"、学部、専門部の学科課程表を変更し、専門部1年生は4月から、学部/専門部の2、3年生は準拠しえる限り4月から実施するとしています。また、"追テ"として、商学部1年、2年生は経済学部に合流、専門部商学科1年生は募集しない旨書き添えています。
具体的内容は以下の6点です。
1)授業日数は25、26週となる見込みで、各科目はこの期間に完結すること(勤労動員、軍事教練で日数をとられるため)。
2)民法、商法、刑法、行政法など2学年以上にわたる科目については縦の連絡を考え前後学年継続すること。
3)全在学期間をつうじて授業日数は従来に比べ大幅に減るであろうから、各学年各教科について縦の連絡はもちろん横の連関を緊密にし、重複を避けること。
4)1単元2時間を1時間半にすることから、学生に時間を空費させないようにすること。
5)夜間の授業時間に変更はないが、空襲警戒警報あるいは空襲警報発令中は授業を停止するので、前項に準じて時間を空費せぬようにすること。
6)昼の1時限、夜の最終時限は学生に遅刻、早退の傾向がある。教員は学生に時間を守るよう指導すること。
1944(昭和19)年05月23日 | da20130706a0004 | |
1944年05月26日 | da20130706a0001-da20130706a0002 | |
作成年月日不詳 |
精神科学研究員研究題目[一覧](551KB) |
da20134384a0001 |
1944年10月24日 |
昭和19年度精神科学研究費27,320円ヲ補助 [通知](375KB) |
da20130706a0005 |
文部省は、発専148号で、「教育ニ関スル戦時非常措置方策実施」に伴って、1944年度の精神科学研究員を大学の推薦により決定する旨通知しています。研究員の数は10人、ひとり当たりの補助額は2,732円としています。
中央大学は5月26日の起案書で、野津務ほか計10人を選定し、計27,320円の補助を申請するとしています。「精神科学研究員研究題目」と鉛筆で題字が記された文書(作成日など不明)には、研究題目と教員名が記されています。教員名は起案書と一致します。
商法の日本学的研究(野津努)
英米法特に公法関係部門の研究(玉井茂)
十八世紀に於ける仏蘭西経済思想(就中フィジオクラットの思想研究)(松浦要)
民族興亡論(柳沢慎之助)
戦時経済の研究(関野唯一)
支那学術思想史(特に日支学術の交流を中心として)(鈴木由次郎)
我国に於ける予算制度の沿革と将来(山口忠夫)
我国及西洋に於て近代的経済倫理の発達の比較研究(彼我資本主義的経済精神の性格及其の発達の特殊性の研究)(田中善治郎)
法政史の研究特にインドネシア法制の研究(矢田一男)
公用収用法理論の研究(稲葉修)
その後、10月に補助決定の通知を受け取っています。
2)学校整理政策への中央大学の施策:中央工業専門学校の設立
1944年、中央大学は、かねて計画していた工学部設置に向けて中央工業専門学校を設立しました。また同じ年、商学部・専門部商学科の募集を停止、商学部在学生を経済学部に移籍させました。
1944(昭和19)年03月13日 |
中央工業専門学校設置認可申請の件認可(1100KB) |
中央大学史資料集 ; 第8集<本学サイト> |
文部省が設置を認可した認可書末尾に「中央工業専門学校新設理由」があります。
"大東亜戦争ハ思想戦トシテ精神文化諸学ノ振興ヲ要請スルト共ニ武力戦トシテ自然科学ノ隆興ヲ望ムコト洵ニ急ナルモノアルニ於テ本学ガ茲ニ工学部ヲ設置セントスルハ実ニ此時局ノ急需ニ即応スル所以ナリト信ズ"としています。しかし、工学部を設置するだけの物資等を調達する難しさ、修業年限の関係から卒業生がすぐにも活躍できるかどうかわからないので、専門学校を設置し、"学徒ガ一日モ早ク戦力増強ニ参加シテ実際的技能ヲ発揚スルコトヲ得シメントス"としています。
<参考1>
中央大学史紀要, 第20号, pp.1-160(本学サイト) |
<参考2>『タイムトラベル125中大』に関連記事があります。
中央工業専門学校の創設(275KB) | <本学サイト> |