中央大学について

戦時の学生と中央大学 -中央大学に残るアジア太平洋戦争期の史料-

中央大学に残るアジア太平洋戦争期(1930年代から1945年)の各種文書を中心に、戦時の学生と中央大学を見つめなおす史料(注1)を公開いたします。公開するのは約200件の文書です。

ここに紹介する史料以外にも戦時の史料が残されていますが、当時の学生への影響や学生の状況をものがたる史料を中心に紹介します。

なお、当時と現在とでは、学校制度が大きく異なることなど、あらかじめ予備知識をもってご覧いただくことが理解を助けるものと考えます。

まず学校制度や徴兵制度についてご覧いただき、その後、それぞれの事項をご覧ください。

注1:今回は、次の史料群の中から選択して公開します。史料群は、(1)文部省往復、(2)年報、(3)決裁書の3区分で、それぞれ簿冊形式の史料です。これらの史料以外にも調査中の史料が相当量あり、今後調査が進むに従って公開できるものと考えています。

凡例:

1)史料名の右側に表示している da20133928a0001 などは、原史料の整理番号を表しています。

2)本文中に、"『御親閲拝受記念写真帖』(帝都教育会;1939年12月発行)(大学史資料課所蔵:整理番号20111900)"のように表示している資料は、今回の公開に含まれません。

戦時期全体の参考資料として「戦争と中央大学プロジェクト」のページ、および、「戦後70年:あらためて戦争と中央大学を考える」(展示図録)もご覧ください。

戦争と中央大学プロジェクト

「戦後70年:あらためて戦争と中央大学を考える」(展示図録) (2.9MB)

1 学校制度

1)高等教育制度
中央大学に即して当時の学校制度を概説すると以下のとおりです。

(1)予科、大学の学部

戦後の制度改定までの間、学校制度は複線的なものでした。中央大学を例にすると、中等学校を経て、(1)予科から大学の学部への進路、(2)専門部から大学の学部への進路の2つがありました。

予科は、大学の学部に進学することを前提としたいわば教養課程を意味していました。大学令では、大学の趣旨を「国家二須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並其ノ蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トシ兼テ人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養二留意スヘキモノトス」としています。修業年限は予科(昼間部)3年、予科(夜間部)2年、学部(昼・夜)3年でした。

(2)専門部

専門部は、専門学校令による学校で、「高等ノ学術技芸ヲ教授スル学校ハ専門学校トス」とされています。

専門部の修業年限は3年でした。

2)入学時の年齢

予科、専門部の修学可能年齢は16歳でしたが、実際にはそれ以上の歳の学生が多くを占めています。たとえば、1938年予科入学生(昼間部)についてみると、1年生179人中130人は20歳未満ですが、49人は20歳以上で全体の27%を占めます。また、大学の学部の修学可能年齢は19歳でしたが、1938年の法学部(昼間部/夜間部合計)の1年生484人中204人は23歳以上で全体の42%を占めます。このように、現在の感覚をそのまま適用すると、思わぬ誤解をします。

当時の学校制度 (34KB)

2 社会のエリートとしての学生と戦時特有の政策

1)徴兵猶予

大日本帝国憲法(明治憲法)下では、国民皆兵制度により20歳となる男子は徴兵検査を受検したうえで徴兵されました。一方で、「社会のエリート」として将来に期待のかけられた高等教育機関(大学、高等専門学校など)の在学生は、一定年齢まで徴兵を猶予されていました。

当初、大学等に在籍する学生は満27歳になるまでの間、徴兵を行なわないこととされていました。後にはこの年齢が下げられてゆきます。

2)卒業期繰り上げ

戦況が厳しくなるに従い、士官クラスの不足が激しく、政府は卒業期を繰り上げることで、人員補充を行ないます。修業年限自体を変更するのではなく、卒業予定者に対する卒業期を繰り上げる臨時的対応です。

初めて行なわれたのが、大学の学部について1941年度の卒業時期を1942年3月から3か月繰り上げて1941年12月とするもので、1942年度は6か月繰り上げて1942年9月、1943年度も同様に繰り上げて1943年9月卒業とします。これは結局、戦争終結後の1947年9月卒業まで尾を引くことになりました。

同様に予科についても1942年度の卒業時期を6か月繰り上げて1942年9月にし、以降同様の措置を続けます。

さらに、専門部についても学部と同様、1941年度卒業期を繰り上げて1941年12月とし、以降1942年度以降は6か月繰り上げて卒業としています。

3)修業年限の短縮

政府は、修業年限(卒業の要件とする在学年数)自体を短縮して早く兵への招集ができるようにします。予科については、大学令を改正し、1943年度入学者から修業年限3年を2年に短縮する措置を恒常化します(同時に高等学校についても2年に短縮)。

中央大学に残る戦時史料

ここではいくつかのトピックに分け、そのトピックに関係する史料をご覧いただきます。それぞれに解説を付けました。

<参考とした資料>

1)『中央大学百年史』通史編下巻(中央大学百年史編集委員会専門委員会;2003年)

2)「中央大学年表」(中央大学公式ウェブサイトで公開)

3)「戦時期における高等教育機関の在学・修業年限短縮について」(西山伸;京都大学大学文書館研究紀要 : KUA (2017), 15)

4)「1939年の兵役法改正をめぐって : 「学徒出陣」への第一の画期として」(西山伸;京都大学大学文書館研究紀要 : KUA (2015), 13)

5)「戦時下の高等教育と徴兵 : 制度と変遷」(薄田千穂;熊本大学五校記念館叢書第1集;2012年)

6)『学徒動員・学徒出陣 : 制度と背景』(福間敏矩;第一法規;1980年)

7)『学制百年史』(文部省;帝国地方行政学会;1972年)

8)『学制百二十年史』(文部省;ぎょうせい;1992年)