中央大学について

軍事教練

政府は、「文政審議会」の答申に基づき、1925年4月陸軍現役将校学校配属令を制定します。大学を除く官公立の中等以上の学校には、必ず陸軍現役将校が配属されて学校教練の指導に当たることとしました。大学と私立学校とは申出により配属されるとしました。

教練は必修科目の体操の中に位置付けられました。

学校教練の有無は卒業者の徴兵猶予や兵役期間の短縮などの恩典の有無に影響したので、すべての大学及び中等以上の私立学校でも配属将校を受け入れます。

1939年4月からは学部についても教練が必修とされました。1939年3月30日付で文部省は「大学教練振作ニ関スル件」(振作は盛んにする意)を発して、4月以降は大学学部在籍学生全員に学校教練を課すと指示しています。

以下に紹介する史料は、教練導入最初期から1942年ころまでの模様をものがたっています。

なお、『タイムトラベル125中大』に参考記事があります。

「学校教練の開始」(404KB) <本学サイト>

1)教練が導入された当時

1925(大正14)年10月26日

照専7号 学生々徒ノ定員並ニ現在数及銃器ニ関スル件[照会](404KB)

da20133656a0001
1925年10月30日 学生定員並ニ現在数及銃器ニ関スル件ニ付回答(1024KB) da20133655a0001-da20133655a0002

文部省は、照専7号で、学生定員、在学生数、教練受講者、保管している銃器の数などを報告するよう求めています。教練時間数、教官に関わる事項は含まれていません。中央大学学長あてですが、そのほかに予科あてが残されています。

10月30日付の文書は、中央大学からの回答の控えです。学部、予科、専門部について回答しています。学部では642人中163人(25.4%)が教練を受講し、専門部では3,000人中226人(7.5%)が受講しています。教練が必修であった予科では960人すべてが受講しています。"現在保管セル銃器ノ種類並ニ員数"に対応する回答は"ナシ"としています。

1925(大正14)年10月27日

照普62号 教練教授時数等ニ関スル件照会(462KB)

da20133651a0001
1925年11月03日

教練教授時数等ニ関スル件ニ付回答ノ件[起案](450KB)

da20133658a0001
1925年11月03日

教練教授時数等ニ関スル件ニ付回答[学部](523KB)

da20133659a0001
1925年11月03日

教練教授時数等ニ関スル件ニ付回答[予科](552KB)

da20133660a0001
1925年11月03日

教練教授時数等ニ関スル件ニ付回答[専門部](515KB)

da20133661a0001

文部省は、照普62号(上で紹介した照専7号の翌日付の文書)で、10月1日現在の学生定員、在学生数、教練受講者、毎週の教練時間数、配属将校/教員などを報告するよう求めています。照普62号は中央大学学長あてですが、そのほかに予科、専門部あての2通が残されています。学部と予科、専門部の調査項目は多少の異なりがあります。

11月3日付の4つの文書は、起案書を含む中央大学からの報告の控えです。

例えば学部について毎週の教練時間数は各学年とも2時間、配属将校2名、教員はなしと報告しています。予科(必修)について毎週の教練時間数は1年生4時間、2年生、3年生は各2時間、配属将校1名、教員2名と報告しています。受講者数は上で紹介した照専7号への回答と同一です。

中央大学年表には教練導入初年度の事項として以下の2つの記事があります。(1)1925年7月、大学専門学校における軍事教練の実施にともない本学へ現役将校配属(近衛師団司令部附陸軍歩兵中佐川原侃、近衛歩兵第二聯隊附陸軍歩兵中佐伊東正弼、同少佐渡辺末雄、同大尉武久為二)、(2)1925年9月、予科生学校教練開始。

1926(大正15)年10月01日

照専18号 大学学部ニ於ケル教練ノ教授ヲ受クル者ノ員数其他ニ関スル件[照会](348KB)

da20133719a0001
1926年10月07日

大学学部ニ於ケル教練ノ教授ヲ受クル者ノ員数其他ニ関スル件ニ付回答(1093KB)

da20133720a0001-da20133720a0002
[1926年] 大正15年度中央大学学部教練教育計画表(624KB) da20133721a0001

文部省は、照専18号で、学部の在学生数、教練受講者数を至急報告するよう求めています。

10月7日付の文書、および、教練教育計画表は中央大学からの回答の控えです。

在学生596人中170人(28.5%)が教練を受講しています。

計画表には、1926年度の各学年の年間31週の授業期間について、教科と時間数を表示しています。見学が3回、時間数が各学年とも56時間としています。

「教練実施ノ状況並ビ毎週及ビ毎学年ニ於ケル教練時数」の項の回答では、(1)教練の主目的は規律、節制、協調、団結、忍耐、服従等の諸徳養成、(2)講義等の際にも学生着席間の姿勢態度はもちろん応答等の微に至るまで学生の正当なる理解に発する規律の格守と服従の発露とを要求し、(3)術科に際しては秩序ある国家社会生活と我国粋たる武士道とに共源を発せしめたる理解と自奮とに基づき最正なる教練を実施し、節制を尚び共同団結に自奮し、克く忍耐し克く服従するの諸徳を養成し、(4)以て、講義における教育と内外相照応して学生の心身鍛錬と資質向上とに努力している、としています。

注:「格守」は「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」(1939年5月22日)にも使われている言葉ですが、この文書では「規律の格守」は正しく守るとの意味と推測します。

2) 陸軍現役将校配属15年記念

1939(昭和14)年05月11日

発普38号 陸軍現役将校学校配属令公布15年ニ当リ御親閲拝受当日ノ学校行事ニ関スル件[通牒](396KB)

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1925年の将校配属から15年を経て、政府は記念行事を行ないます。

文部省は発普38号で、大学に対して5月22日開催予定の皇居前広場で行われる「御親閲」の同時刻に教練に関する訓話を行ない、引き続き閲兵分列を行ない、教職員、全学生は神社参拝を行なうことなどを求めています。

中央大学がこの要請に応えてどのような行事を行なったかはよくわかりませんが、この文書の余白には、"2、3学年ハ臨時休講"、"学生ハ随時神社参トス"と朱書きされています。また、学生課長、予科教務主任などに回覧された形跡が残っています。

一方、「御親閲拝受」には動員に応えて学部、予科、専門部の学生が参加しています。

中央大学年表には以下の記事があります。「1939年5月22日 陸軍現役将校学校配属令15周年記念全国学生生徒代表親閲式(宮城前広場)に学部代表150人・予科専門部代表200人が参加(1800校・3万5000人)」。

なお、「御親閲拝受」後、その記録として『御親閲拝受記念写真帖』(帝都教育会;1939年12月発行)(大学史資料課所蔵:整理番号20111900)が刊行されます。中央大学関係では、動員学生(大学150名、予科100名、専門部100名、中央大学商業学校10名)、その他教員が参加し、参加者名簿には、学生、教員の氏名が記載されています。

1939(昭和14)年11月14日

発普151号 陸軍現役将校学校配属令公布15年ニ当リ御親閲拝受学生、生徒ノ感想文蒐録ニ関スル件(511KB)

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1939年12月09日

陸軍現役将校学校配属令公布15年ニ当リ御親閲拝受学生、生徒ノ感想文送付ノ件(2685KB)

da20134061a0001

上で紹介した皇居前広場での「御親閲」終了後、文部省は発普151号で、記念刊行物に儀式に参加した学生の感想文を掲載するので、大学において学生を選び、感想文を提出するよう求めています。

中央大学は、締め切りを過ぎた12月9日付で10人の学生感想文を提出しています。感想文自体の控えは残されていません。

記念刊行物がどのようなタイトルで刊行されたのか確認できません。

3)教練必修化後の状況

1941(昭和16)年05月15日

照体5号 学校教練実施状況報告ノ件[通牒](893KB)

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1939年4月から学部においても教練が必修とされました。1939年3月30日付「大学教練振作ニ関スル件」で文部省が指示しています。

文部省は、照体5号で、教練の実施状況について1937年3月に報告を求めたにもかかわらず未報告のため、至急報告するよう求めています。念のためとして2枚目(普42号(1937年3月30日付))を添付しています。普42号では、毎年教練に関する報告をするよう指示しています。

1941(昭和16)年ころ 学部教練実施報告[案](1953KB) da20134184a0001-da20134184a0005
1941年ころ

昭和15年度教練実施情況報告 中央大学専門部[案](3335KB)

da20134185a0001-da20134185a0010

「学部教練実施報告[案]」はおそらく上記の照体5号に答えるための案(草稿)と推測します。内容(末尾教練教師の採用年月日が1940年6月となっている)から1941年以降に書かれたものと推測します。B4判罫紙4枚で2,000字以上に及びます。

配属将校1名、教練教員4名で、それぞれ毎週6時間の授業を担当しています。

「昭和15年度教練実施情況報告 中央大学専門部[案]」は、おそらく上記の照体5号に答えるための案(草稿)と推測します。表題と内容(末尾教練教師の採用年月日が1941年4月1日となっている)から1941年4月以降に書かれたものと推測します。この案(草稿)は専門部について書かれており、B5判罫紙10枚で2,000字以上に及びます。

1940年度における専門部各学年の総平均で出席率は80%としています。また、配属将校1名、教練教員4名で、それぞれ毎週8時間の授業を担当しているとしています。

1942(昭和17)年03月24日 学校教練実情況報告之件(3101KB) da20134340a0001-da20134340a0006
1942年04月 学校教練実施情況報告(2479KB) da20134339a0001-da20134339a0005

「学校教練実情況報告之件」は学部に関する報告です。配属将校1名、教練教員4名で、それぞれ毎週8時間の授業を担当しています。教練の総時間数は学年によって異なりますが1年間で96時間から108時間で、そのうち42時間は野営/野外演習としています。

また、学部、予科、専門部で共用している保管銃器類として三八式歩兵銃589丁、南部式(歩兵)銃80丁、歯菱銃115丁(詳細不明)、軽機関銃18丁、擲弾筒(迫撃砲)24門、指揮刀25振、銃剣術防具120個、木銃320丁と報告し、さらに、教練用小銃800丁を購入する予定としています。

「学校教練実施情況報告」は専門部に関する報告です。配属将校1名、教練教員4名で、それぞれ毎週8時間の授業を担当しています。教練の総時間数は学年によって異なりますが1年間で114時間から142時間で、そのうち42時間は野営/野外演習としています。

4)大学保管の銃器の状況

1942(昭和17)年12月28日

東宣学第142号 夜間学校調査ニ関スル件通牒(1730KB)

da20134341a0001-da20134341a0004
1943(昭和18)年01月11日

夜間学校調査ニ関スル件回答

(467KB)

草稿1[学部](451KB)

草稿2[専門部](646KB)

草稿3[専門部](594KB)

草稿4[専門部](531KB)


da20134342a0001
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da20134342a0004
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東宣学第142号は、東部軍参謀長から夜間の学校の長あてに出されたもので、陸軍省からの依頼とあります。現役将校を配属するような性格等を持つ学校について、学校名、所在地、在学生数、保管銃器、教練予算の出所、教練の場所/夜間照明の有無などについて回答するよう求めています。

1月11日付の文書は、中央大学からの回答草稿と推測します。草稿1[学部]には、定員、修業年限、学生現在数/級数などを記載し、備考として「夜間部には教練を行なわず」としています。草稿2[専門部]には、定員、修業年限、学生現在数/級数、保管銃器などを記載した後、第3学年の学生現在数/級数、保管銃器を×印で抹消し、「夜間部には教練を行なわず」としています。草稿3[専門部]には、定員、修業年限、学生現在数/級数、保管銃器などの項目すべてを記載し、経費負担欄に「教練ヲ実施シアラザルニ付省略ス」としています。草稿4[専門部]には、定員、修業年限、学生現在数/級数(1年生、2年生、3年生欄には「昨年9月卒業し現在なし」と記載)、備考として「夜間部ニハ教練ヲ行ハス」としています。

以上のように混乱などが見て取れ、生の史料として興味深いものがあります。(1)東部軍の調査依頼が基準日を設定していないことから、回答にあたって一度は1941年度の各学年の在学生数を記載したものを作成しています。最終的には第3学年(3年生)は前年の9月に繰り上げ卒業しているので"現在なし"と回答した模様です。(2)銃器等の保管状況の回答にあたっては一度は昼間部学生用の保管状況を記載したものを作成します。最終的には"夜間部ニハ教練ヲ行ハス"として回答した模様です。

なお、草稿の存在が、銃器等の保管状況をものがたっています。保管銃器類として、三八式歩兵銃225丁、南部式軽機関銃12丁、非軍用銃369丁、擲弾筒(迫撃砲)8門、手りゅう弾40個、防毒面65個、木銃105丁、銃剣術防具40個などと記載され、実際に銃撃できる銃として三八式歩兵銃を掲げています。

5) 教練の日程調整

軍事教練の日程調整は、場所の確保から始まると推測でき、教練実施日の休講要請は直前に配属将校から提出されています。

以下に1937年から1941年にかけての教練に伴う休講稟議書などを紹介します。

1937(昭和12)年10月02日

昼間法学科第1、3学年臨時休講ノ件[第1学年10月15日ヨリ18日ノ4日間千葉県習志野廠舎、第3学年10月24日ヨリ27日ノ4日間富士滝ヶ原廠舎ニ於テ野営教練実施](1610KB)

da20130881a0001-da20130881a0002
1937年10月07日

野外教練実施ニ付臨時休講ノ件[10月20日ヨリ23日迄昼間学部第2学年教練学生富士滝ヶ原廠舎ニ於テ野外教練実施ニ付準備](690KB)

da20130882a0001
1937年11月04日

臨時休講ノ件[11月11日ヨリ13日迄3日間昼間専門部法学科第3学年千葉県習志野廠舎ニ於テ野営教練実施](1320KB)

da20130893a0001-da20130893a0002

以上の3件の文書は1937年野営教練実施に当たってその間休講とすることを内容とする稟議書です。教務課長が起案し、理事が決裁しています。

1番目の文書は、専門部の野営教練の稟議書です。2枚目には、配属将校からの9月24日付文書「専門部教練実施日次変更ノ件協議」が添付されています。野営教練と重なる日の他学年の教練科目を臨時に休講とするなどとする内容で、野営教練の実施のめどが立ったのが理由ではないかと推測します。

2番目の文書は、学部の野営教練の稟議書です。3泊4日の予定で、開始前日の午後3時から午後5時のを準備に充てるため、臨時休講するという内容です。

3番目の文書は、専門部の野営教練の稟議書です。起案日から7日後には実際の野営教練を実施する内容です。2枚目には、配属将校からの11月6日付文書「教練ノ為休講ノ件協議」が添付されています。野営教練実施の前日のある時間帯を休講としたい旨書かれています。稟議書の起案日がその2日前となっていますので、事後的に調整を行なったのでしょうか。

1938(昭和13)年09月27日

臨時休講ノ件[10月5日ヨリ8日迄昼間専門部法学科1年生千葉県習志野廠舎ニ於テ野営教練実施](676KB)

da20130943a0001
1938年10月10日

臨時休講ノ件[10月12日ヨリ15日迄4日間昼間学部2年教練学生静岡県駒門廠舎ニ於テ野営教練実施](667KB)

da20130948a0001
1938年10月22日

臨時休講ノ件[10月25日ヨリ28日迄4日間昼間専門部法学科2年生千葉県一ノ宮廠舎ニ於テ野営教練実施](689KB)

da20130949a0001

以上3件の文書は1938年野営教練実施に当たってその間休講とすることを内容とする稟議書です。教務課長が起案し、理事が決裁しています。

休講する授業の担当教員名が鉛筆書きされたものもあり、教員に休講の旨伝達する際のメモと推測します。

1939(昭和14)年05月10日

臨時休講ノ件[5月16日ヨリ19日迄4日間昼間学部1年生千葉県習志野廠舎ニ於テ野営教練実施](1340KB)

da20130974a0001-da20130974a0002
1939年06月21日

臨時休講ノ件[6月26日ヨリ29日迄4日間昼間専門部法学科3年生群馬県相馬ヶ原ニ於テ野営教練実施](668KB)

da20130979a0001
1939年07月05日

臨時休講ノ件[7月11日ヨリ14日迄4日間昼間学部3年生千葉県習志野廠舎ニ於テ野営教練実施](716KB)

da20130981a0001
1939年09月30日

臨時休講ノ件[10月13日ヨリ16日迄4日間昼間学部2年駒門廠舎ニ於テ野営教練実施](1840KB)

da20130995a0001-da20130995a0003
1939年10月11日

臨時休講ノ件[10月16日ヨリ19日迄4日間昼間専門部法学科2年板妻廠舎ニ於テ野営教練実施](1220KB)

da20130997a0001-da20130997a0002

以上5件の文書は1939年野営教練実施に当たってその間休講とすることを内容とする稟議書です。教務課長が起案し、理事が決裁しています。

休講する授業の担当教員名が鉛筆書きされたものもあり、教員に休講の旨伝達する際のメモと推測します。

1939(昭和14)年10月30日

臨時休講ノ件[11月4日、6日、9日昼間専門部法学科実包射撃実施](1840KB)

da20131001a0001-da20131001a0003

実弾による射撃訓練に伴う臨時休校の稟議書です。裏面には休講する授業の担当教員名が鉛筆で記されています。

専門部法学科(昼間部)について各日午前中の授業は行ない、午後を休講して射撃訓練を行なうとしています。訓練はおそらく「陸軍戸山射撃場」(現在は早稲田大学が所在)で行なわれたものと推測します。

1941(昭和16)年09月18日 専門部射撃ノタメ協議(404KB) da20130620a0001

中央大学に配属されている配属将校から教務課長あてに、軍事教練の1つである射撃(実弾使用と推測)について射撃場の手配(初日は9月25日実施)がついたので専門部の4つの授業について休講措置をとるよう要請しています。

赤字で担当教員名が記されており、休講連絡の際のメモと推測します。

<参考>『タイムトラベル125中大』に参考記事があります。

「中央大学報国隊の結成」(398KB) <本学サイト>