中央大学について

精神主義、国威高揚

戦争中、政府は精神主義を強調し、また、国威高揚の施策を行ないます。学校にもその影響が及んでいます。

1) 戦争周年記念

1936(昭和11)年09月14日

満洲事変記念日ニ臨時休講ノ件[9月18日昼間部午後(1時-5時)ノ授業](801KB)

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1937年09月13日

満洲事変記念日ニ臨時休講ノ件[9月18日午後1時ヨリ記念講演会開催、終了後靖国神社参拝ニ付昼間部午後(1時-5時)](782KB)

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いずれも、1931年9月18日に勃発した「満洲事変」(当時政府は戦争とは呼ばず事変と称した)を記念して臨時休講するとの内容の稟議書です。

9月18日午後1時から5時までを休講とし、講演会を開催、また、終了後は学生は「団体ヲナシ靖国神社参拝」とあります。

1937年の稟議書には、余白に教員あての案内文案と推測するものが記されており、演題:満州事変と支那事変、講師:歩兵大佐宮城善助、訓辞:学長原嘉道、とあります。

中央大学年表の記事で毎年のように行事が行なわれたことがわかります。

(1)1932年9月19日 臨時休業、満州事変1周年記念の学長閲兵分列式を靖国神社前広場で挙行

(2)1933年9月18日 満州事変記念日で昼間学部・専門部学生、靖国神社に武装参拝

(3)1934年9月18日 満州事変3周年記念教官・学生代表靖国神社参拝雨天中止、飛行協会理事・四王天延孝陸軍中将の講演会を大講堂で開催

(4)1936年9月12日 満州事変記念講演会を大講堂で開催

(5)1936年9月18日 教職員・学生、満州事変を記念し靖国神社を参拝

(6)1937年9月18日 満州事変記念講演会を大講堂で開催、教職員・学生は靖国神社参拝

(7)1939年9月18日 満州事変記念式を大講堂で挙行、靖国神社参拝

(8)1940年9月18日 満州事変記念式・講演会を大講堂で開催

(9)1941年9月18日 満州事変10周年記念講演会を開催、教職員・学生代表が靖国神社参拝

(10)1942年9月18日 満州事変記念日行事として教職員・学生靖国神社参拝

1938(昭和13)年06月10日

官社84号 支那事変勃発1周年記念実施ニ関スル件[通牒](1541KB)

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文部省が発出した官社84号文書には「支那事変勃発1周年記念実施要綱」、「別紙 支那事変勃発1周年記念実施ニ関スル注意事項」が付され、要綱には、実施方法として戦没将兵などへの黙とう、招魂社での戦没者追悼、講演会の開催などを掲げています。

この通牒を受けて7月7日に中央大学は記念式を大講堂で行ない、学生は靖国神社を参拝しています(中央大学年表)。文書には"各課回覧"と朱書きされ、各課の職員の印鑑がいくつも押印されています。

上記でも紹介したように、中央大学年表の記事で毎年のように行事が行なわれたことがわかります。

(1)1939年7月07日 支那事変2周年記念勅語奉読式および林頼三郎学長訓辞・森田実予科長支那事変記念講演会を大講堂で挙行、「支那事変一周年に当り下賜せられたる勅語」、「青少年学徒に下し賜はりたる勅語」

(2)1939年10月21日 支那事変戦没者慰霊祭を大講堂で挙行、学生20人、商業学校卒業生2人、教職員6人、学員42人が参列

(3)1940年7月6日 支那事変3周年記念勅語捧読式を大講堂で挙行、靖国神社参拝

(4)1941年7月7日 支那事変記念日につき教職員学生生徒代表が靖国神社参拝

(5)1942年7月7日 支那事変記念日、教職員・学生生徒代表が靖国神社参拝

2) 青少年学徒ニ賜ハリタル勅語

1939(昭和14)年05月22日 青少年学徒ニ賜ハリタル勅語 文部科学省サイト

全文は以下のとおりです。

國本ニ培ヒ國カヲ養ヒ以テ國家隆昌ノ気運ヲ永世ニ維持セムトスル任タル極メテ重ク道タル甚ダ遠シ而シテ其ノ任實ニ繋リテ汝等青少年学徒ノ雙肩ニ在リ汝等其レ気節ヲ尚ビ廉恥ヲ重ンジ古今ノ史實ニ稽ヘ中外ノ事勢ニ鑒ミ其ノ思索ヲ精ニシ其ノ識見ヲ長ジ執ル所中ヲ失ハズ嚮フ所正ヲ謬ラズ各其ノ本分ヲ格守シ文ヲ修メ武ヲ練リ質實剛健ノ気風ヲ振勵シ以テ負荷ノ大任ヲ全クセムコトヲ期セヨ

注:文部省サイト掲載の全文には誤り箇所があるため補正した。

中央大学には、1939年9月2日に東京府知事から学長へ「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」が伝達されました(中央大学年表)。

1939(昭和14)年09月08日

青少年学徒ニ賜ハリタル勅語ノ聖旨奉体方ニ関スル件[案(1)、(2)](3086KB)

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この文書は中央大学の教務課長が起案した稟議書で、理事の決裁を受けています。文書中には「案ノ一」、「案ノ二」とあって2つの案が存在したように見えますが、全体としてひとつの案を構成しています。「案ノ一」が教員への通知文、「案ノ二」は通知文中で別紙としているものです。

内容は、「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」奉体(上からの意を受けてそれを実行すること)の実践内容について、以下の事項を実施するので、教員各位においては率先垂範、また、学生指導をしてもらいたいとの内容です。実践内容は、(1)5月22日を勅語御下賜記念日として毎年勅語を捧読(ボウドク;手にうやうやしくささげ持って読みあげること)式を行なう。(2)勅語の写しを作り学生生徒に常に携帯させる。(3)勅語を額装し各教室に掲げる。(4)質実剛健の気風を一層盛んにするため昼間部予科生徒を短髪にさせること、学部、夜間部予科、専門部の学生生徒については自発的に短髪にするよう誘導する。(5)学生生徒に規則を厳守させるため、授業の始めと終わりに起立して教師に対して敬礼をさせる。

以下の文書は、この勅語が発出されて1年後の1940年5月22日に政府主催で行われた「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語奉読式」に関するものです。式は代々木練兵場(現在の代々木公園)で行なわれました。

1940(昭和15)年04月24日

発専88号 青少年学徒ニ賜ハリタル勅語奉読式参列学生生徒数ノ件(1359KB)

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1940年05月01日

青少年学徒ニ賜ハリタル勅語奉読式参列学生生徒数ノ件報告(1401KB)

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文部省は、発専88号で「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語奉読式」に参列する予定の学生生徒の人数を様式に従って報告するよう求めています。

中央大学は、5月1日付で参列学生生徒数について報告しています。
学部学生1,150人、専門部生徒1,447人、合計2,597人が参列することとしています。

1940(昭和15)年05月14日

青少年学徒ニ賜リタル勅語奉読式ニ参列ノ件(725KB)

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5月22日の勅語奉読式に関する教務課長起案の稟議書です。上記に紹介した発専88号への回答を5月1日付で文部省に提出したのち、実際の計画に取り掛かり、5月14日に起案したものです。

当日は、中央大学から学生4,238人(学部1,638人、専門部1,585人、予科1,015人)、教職員学長以下38人が参列することとし、集合時刻/場所、昼間部休講措置、夜間部の奉読式実施などについて起案しています。

中央大学年表には「1940年5月22日 都下全学生参加の勅語奉読式を代々木練兵場で挙行」とあります。

「青少年学徒に賜りたる勅語奉読式の件通牒」(1941(昭和16)年4月17日起案)(263KB)

国立公文書館所蔵(『中央大学史資料集』第10集に収録)

上記で紹介した1940年の奉読式参列した学校や学生数に関して、国立公文書館所蔵の文部省内の稟議書「青少年学徒に賜りたる勅語奉読式の件通牒」(1941年4月17日起案)の末尾に記録されています。総数約92,000人が参列しています。中央大学からは3,527人(学部1,150人、予科930人、専門部1,447人)、教員55人が参列したとあります。この文書は翻刻のうえ『中央大学史資料集』第10集に収録しています。

3) 戦時学生自戒五條

1939(昭和14)年06月

戦時学生自戒五條(872KB)

中央大学は、「青少年学徒ニ賜リタル勅語」を承ける形で「勅語」、「戦時学生自戒五條」を含む冊子を製作し、学生・教職員に常時携行を指示します。

自戒五條は、学業に精進して万一のときに国の恩に酬いるのは学生の本分、質実剛健、軍事教練の成果を日常生活に生かすこと、前線の兵士に感謝、市井の人々にも感謝、心身の鍛練、早寝早起き、飲酒喫煙の節制などを内容としています。

4) 日本文化講義

1937(昭和12)年04月05日

発思15号 日本文化講義実施ニ関スル件(1340KB)

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1枚目は稟議書「日本文化講義施設ニ関スル講師依頼ノ件」です。2枚目が発思15号で、文部省は1936年度から直轄学校で行なっている日本文化講義を私立である中央大学でも開講するよう要請しています。

この講義の要旨として以下の点を挙げています。

1)国民的性格の涵養、日本精神の発揚に資する、日本文化に対する十分な理解を得させることを目的とする。

2)講師は、人物、学問本位に選考し、国体、日本精神の真義を明らかにして教学刷新の目的を達するのに適用な人物とする。

3)毎学年一定時間必修課目に準じることとし、全学生に聴講させる。

1枚目の稟議では、5月中旬から6月上旬にかけて開催することとし、講師に日本諸学振興委員元東北帝大教授山田孝雄を希望したいとしています。

1937(昭和12)年10月12日

夜間部ニ日本文化講義施行ノ件(1850KB)

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1937年11月15日

昼間部ニ日本文化講義施行ノ件(717KB)

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1937年秋の開催に向けた稟議書です。

10月は夜間部学生対象で、当日の授業をすべて休講とし、講義(2時間)、軍事講話(1時間)、戦争映画上映を行なうとあります。2枚目以降は東京日日新聞社制作の映画プログラムで、この中から上映したものと推測します。

11月は昼間部学生対象で、当日の1時から5時までの授業を休講とし、講義(2時間)、軍事講話を行なうとあります。

1938(昭和13)年03月08日

発指17号 日本文化講義実施状況報告ニ関スル件(663KB)

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1938年03月26日

日本文化講義実施状況報告ニ関スル件(3035KB)

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発指17号で文部省は、実施状況について報告するよう指示しています。実施していない場合は、その旨回答するようにとしています。

3月26日付文書は稟議書で、状況報告の控えと推測します。

内容は、1937年度に3回の講義を実施し、それぞれ講師、受講者数、講義内容要旨を掲げています。

第1回:5月15日、講師:山田孝雄、演題:わが国民精神の中枢、学部/専門部学生860人聴講。

第2回:10月18日、講師:加藤熊一郎(咄堂)、演題:国民精神総動員と日本精神、学部/予科/専門部学生2,450人聴講。

第3回:11月24日、講師:山田孝雄、演題:わが国体の本義、学部/予科/専門部学生1,530人聴講。

1939(昭和14)年04月05日

発指19号 日本文化講義実施ニ関スル件[通牒](488KB)

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1939年05月16日

日本文化講義実施状況報告ノ件(914KB)

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発指19号で文部省は、日本文化講義に3点を求めています。

1)国民的性格の涵養、日本精神の発揚に資する。

2)講師には国体、日本精神の真義を明らかにするとともに、時局認識を深化せしめ日本文化の創造発展に指針を与えるような人物とする。

3)毎学年一定時間を必修科目に準じて実施する。

中央大学は、前年の1938年7月7日に行なった日中戦争(支那事変)1周年記念講演会について報告しています。2つの講演を行ない、昼間部学生(学部、予科、専門部)1,000名、夜間部(学部、予科、専門部)1,800名が聞いたとしています。そして講演録を添付して文部省に報告しています(講演録は今回の公開に含みません)。

日本文化講義に関する資料は、1937年5月5日発思15号「日本文化講義実施ニ関スル件[文部省通牒]」が最古のもので、以降、1938年、1939年(今回公開の史料)、1940年の史料が残されています。

5) 産業報国

1942(昭和17)年06月01日

発実46号 産業報国精神特別講義ニ関スル件(511KB)

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1942年06月頃

産業報国精神特別講義[要綱](1564KB)

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1942年07月02日

産業報国精神涵養特別講義ノ件[起案](1023KB)

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1942年08月05日

産業報国精神特別講義実施状況報告ノ件(978KB)

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発実46号で文部省は、将来産業界の指導者になる学生に産業報国の精神を徹底するため、産業報国精神特別講義を実施するので、詳細は後日決定するが、希望があれば実業学務局長あて申し込むよう要請しています。

その後、「産業報国精神特別講義[要綱]」で実施にあたっての細目、講師名簿、事後報告などを通知しています。

7月2日付起案書で中央大学は講義を実施するとし、理事等の決裁を受けています。講師として、大倉邦彦、那須晧、平生釟三郎のなかから選任することを希望しています。

大倉邦彦による講義実施後には8月5日付で文部省に報告書を提出しています。そこでは、講義の要旨として"産業トハ成ルト言フ思想デ、造ルノデハナイ 成ルトハ産霊ニヨリ生成スルモノデ人力ニヨルモノデハナイ コレ皆神業ニヨルモノデアル"、"以上ヨリシテ産業報国ハ要スルニ国民ノ努力デアリ実力ニアルノデアル"としています。

注:産霊(ムスビ)とは、万物を生み成長させる神秘で霊妙な力のことをいう(『世界大百科事典』(平凡社;第2版))。

6) 興亜学生勤労報国隊

1940(昭和15)年06月10日

発指15号 興亜学生勤労報国隊北支及蒙彊派遣指導教官詮衡方ノ件(844KB)

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1940年06月15日

興亜学生勤労報国隊北支及蒙彊派遣指導教官詮衡方ノ件回答(642KB)

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1939年に文部省は興亜青年勤労報国隊の海外派遣を開始します。

1940年の実施要綱には、その趣旨として「全国学生生徒を簡抜して東亜大陸に派遣し現地に於て集団的勤労教育を実施し身を以て東亜新秩序建設の事業に参加せしむると共に具(つぶ)さに第一線将兵の労苦を体得せしめて以て尽忠報国の精神を昂揚し大陸に対する認識を深化し堅忍持久の意力を錬成し相率いて興亜の大業を翼賛すべき学風の振興を期する」としています。

発指15号で文部省は、1940年派遣隊の指導教官の推薦を要請しています。

中央大学は6月15日付で教員1名を推薦する回答を行なっています。

中央大学からは3回、1939年7月には教員5人、学部学生30人、予科生10人を派遣、1940年7月には教員1人、学生20人(学部10人、専門部5人、予科5人)、をそれぞれ約1か月間派遣しています(1941 年派遣の詳細は不明)。1940年3月卒業の法学部英法科の卒業アルバム(大学史資料課所蔵:整理番号20010846)には1939年の壮行会の模様、北支派遣隊、蒙彊派遣隊の集合写真が掲載されています。

7) 東亜特別講座

1939(昭和14)年05月08日 東亜特別講座設置ノ件(849KB) da20130972a0001

これは教務課長からの稟議で、東亜特別講座を設け、おもに3年生に受講させたいとしています。10の講義を掲げ、日本精神論(天野[徳也]教授;10時間)、比較国家原理(柴田[甲四郎]教授;10時間)、東亜経営地理(和田[清]教授;20時間)、支那時文、儒教概説、満州及支那法制大要などとし、計100時間を超す講座です。詳細は不明です。

<参考>『タイムトラベル125中大』に参考記事があります。

「自主的の信念」と「家族的情味」の登場(403KB) <本学サイト>