学生サポート

大学生のメンタルヘルスについて

(1)大学生を取り巻く現状~心理的成熟の遅れと強いプレッシャー

 ここでは、大学生の年代を青年期と言い替えて良いでしょう。青年期の手前にある思春期(概ね小学校高学年から高校まで)では、定型的な発達の場合、子どもは親の価値観から徐々に離れ始め、大人の目に触れにくい世界で主として同性どうしの密度の濃い対人交流を通じて、将来の自立に向けた価値観や対人関係のありようを身につけ始めます。このような発達課題をクリアした若者は、外側の環境さえ整えておけば、青年期にはある程度自己決定をして、社会的な同一性を獲得していきます。
しかし、現代における思春期は、かつて言われていた嵐のような時期ではなくなっています。学生を対象とした調査研究でも、中学高校時代に明確な反抗期は無かった、という回答が多く寄せられます。友達との交流は表面的なものに止まり、親との情緒的結びつきが強いまま中学・高校時代を過ごしたという若者が増えています。ということは、その分、思春期の心理的な発達課題を青年期に先送りしてきた青年が多くなっていると理解してよいでしょう。そういう面が、学問の世界で生きることを早くから自己決定し自立を果たしてきた大学教員の目からは「未熟」と見えるのではないでしょうか。
一方で、この十数年間、表面的な好況・不況に関係なく、新卒の段階で良い就職先を獲得できなければその後の生活は長期的に厳しくなる可能性が高いことが、データ的に裏付けられています。その上、良い就職を勝ち取ったとしても人生が安泰ではないということは、今日の大学生なら皆が意識していることです。つまり、以前よりも心理的な成熟が遅れているにもかかわらず、以前よりも強いプレッシャーに晒されながら社会に出て行かざるを得ないのが、今日の大学生であるといえます。
心理的成熟の遅れと、社会からの強いプレッシャーのために、現代の多くの大学生は心の底に強い不安を抱えた状態で日々過ごしているのです。

(2)青年期の心理的特徴

<その1 ~コミュニケーション力の二極化~>

 現代はコミュニケーションの時代です。仕事のスキルには専門知識だけでなく、高いレベルでの伝達能力も求められます。伝達能力と、その前提になる「相手のニーズを細かいところまで読む力」の重要さは、今後ますます大きくなっていくことでしょう。大学教育も世の中の現状に合わせてゼミでのアクティブな学習が重視され、優秀とされる学生はゼミでのプレゼンテーションの成功を社会的ステップアップの第一歩と捉えています。
 私生活においても、バラエティー番組では「リアクション芸」が人気を博し、SNSでは瞬間的に気の利いたコメントを発することの出来る人が「いいね」を獲得していきます。彼らのコミュニケーションのモデルがそのようなものであるため、反射神経的なコミュニケーションスキルを、学生は日々鍛錬しているとも言えるでしょう。
 しかし、「双方向」で「速い」コミュニケーションを、生来的に苦手としている人たちは一定数います。その人たちは、仮に鍛錬したとしても現代のコミュニケーションについていくことは難しく、スキルの高い人たちの中では不適応を生じてしまいます。細かく見ていくと、例えば「目で見る」のは得意でSNSなら活用できる人もいますが、総じて現代のマルチチャンネルでの「速い」コミュニケーションが求められる時代には、「コミュニケーション弱者」が、それなりに存在する、と言えます。
 極論のようですが、鍛えられマルチチャンネルでのコミュニケーション力を磨いた大学生と、その波に乗れなかった大学生の、二極化が顕著になりつつあるのです。

<その2 ~過敏な自己愛~>

 一見うまくやれている学生にも、2種類あると考えて良いでしょう。現代は、かつてない程「他人からどう見られるか」が問われる時代です。その結果、他者の目を常に意識し、他者からの評価が自己評価にすり替わっている人がいます。コミュニケーションスキルが一見高い学生の中にも、このような学生がいるのです。根底にある強い不安ゆえに、他者から否定されることに対する「怯え」の感覚を強く抱きながら、他者から求められるものを必死に演じている、けなげな若者がいます。
そのような人は場面によって適応にかなりムラがあるので、一見快活で優秀そうな若者の別な一面を知って驚かされることも少なくありません。たとえば、友人の輪の中では明るく振る舞いながらSNSの匿名アカウントで密かに「毒」を吐いている人にも、そういうタイプの人がいます。彼らは、他人を見下すことで、他者とのやり取りの中で生じる傷つきから必死でわが身を守っているのかもしれません。それを二面性や未熟という言葉で片付けることはたやすいのですが、そのような言葉で本人に責任を押しつけるだけでは彼らの根底にある不安や怯えは理解できないのです。
自尊心の維持のために他者から肯定されることが主要な関心事であるような心の状態は、「自己愛的」と呼ばれます。自己愛とは、字義通り自分を愛するということであり、健康な心のありようの一部です。ただし、自己評価を他者の視線に委ねてしまっている状態は、過剰に自己愛的であり、多くの場合は過敏な自己愛の状態と言ってよいものです。過敏な自己愛とは、端的に「傷つきやすさ」と「プライド」が同居した状態です。これが、現代の青年を理解するキーワードの一つといって良いでしょう。

<その3 ~認知的多様性~>

 これは、支援が必要となる学生において無視できない側面です。「認知的多様性」とは、外界からの知覚入力・情報処理・アウトプットに至る一連の過程は人によって異なっている、という知見に基づく言葉です。多様性も、偏りが大きくなれば、情報処理の相対的な困難さに繋がり、目に見えないハンディと言いうるレベルに至ります。例えば、聴覚系の情報処理が相対的に苦手な学生は、視覚資料を用意しない教員の授業を聴くことに困難さを感じることでしょう。同時処理が苦手な学生は、えてして時間管理が不得意で、大学生活全般で困り感を抱くことと思います。これらのハンディは、次項で説明がある「発達障害」の傾向を有する青年においてとりわけ顕著なものです。しかし、発達障害と診断されている青年以外にも、部分的にその特徴を有する(いわゆるグレーゾーンの)人が多く存在します。
青年が躓くきっかけも内容もさまざまですが、支援が必要となる学生の多くは、ベースに認知的な偏りの特徴を何かしら有しているものです。その上に、いくつかの心理的要因と環境要因が加わって躓きが顕わになることが多いと言えるでしょう。

(3)どの時期・場面で躓きやすいか

 これは一概に言えません。一般的には、入学間もない頃、3年生でゼミが本格化する頃、4年生の秋(就職活動や卒業論文で行き詰まる頃)、と言われています。しかし、学生相談室の立場からは、大学生活にはそれ以外にもさまざまな節目があり、あらゆる場面で事例化(支援が必要な人として関係者の目に留まること)の可能性があります。また、大学の外で仕事をしている精神科医の立場からは、「最も事例化しやすいのは卒業後1~2年」という指摘もあります。
 実は、青年がいずれかの時点で事例化に至る遙か手前から、不適応状態は生じているものです。社会人早期に事例化する人は、大学時代もかなりの割合で不適応です。しかし、問題は先送りされ、或いは「卒業できるように支援」したことが皮肉にも、大学卒業後に本格的に躓く結果を招くのです。
 社会に出てから大きく躓いた場合、人生のリカバリーには多大な労力・時間を要し、失うものも少なくありません。その点、サポート資源が豊富な大学在学中に、しっかりした支援を開始した方が、結局はその学生の人生にとって有益なことが多いのではないでしょうか。多少お節介のようであっても、大学生のうちから支援を受けるようにアドバイスすることも、教職員の役割ではないかと思われます。特に、学生と信頼関係を築いている教員に、その働きを期待したいところです。