社会・地域貢献
教養番組「知の回廊」34「イラク戦争の経済的背景」
中央大学 商学部 松橋 透
2003年4月9日、バグダッド市内にあるフセイン大統領の銅像にロープがかけられ、アメリカ軍の装甲車によって、その台座から引き落とされる映像が全世界に流れました。
人々はこれによって、フセイン政権の崩壊と、イラク戦争がアメリカの圧倒的勝利のもと終結に向かっていることを強く意識しました。
そしていま、イラクは戦後復興への道を歩み始めています。
しかしイラクの戦後復興をめぐっては、当初から、それはアメリカ主導で行われるべきか、それとも国連主導で行われるべきかで、国際的な意見の対立があり、そのことも尾を引いて、イラクの戦後復興の今後には、なお多くの困難な問題が山積しています。
それでは、振り返って、そもそも、今回のこのイラク戦争とは、いったい何のための戦争だったのでしょうか?
それはイラクにとって、アメリカにとって、そしてまた全世界の国々にとって、どのような意味を持つ戦争だったのでしょうか?
「知の回廊」今回は、この問題に、経済的な側面から照明を当ててみたいと思います。
アメリカがイラク攻撃の公式の理由、すなわち大儀名文としたのは次の三つの事柄でした。
第一に、イラクは国連安全保障理事会の決議に反して保有している、大量破壊兵器の脅威から世界を解放すること。
第二に、この大量破壊兵器が、イスラム原理主義のテロリスト集団の手に渡るのを阻止すること。
そして第三は、イラク国民をフセインの独裁による圧制から解放することです。
- 1.イラクの所持する大量破壊兵器の脅威から世界を解放する
- 2.大量破壊兵器がテロリスト集団の手に渡るのを阻止する
- 3.イラク国民をフセイン独裁の圧制から解放する
しかしこの公式理由から、イラク攻撃の正当性が認められないというのが、国連安全保障理事会でのフランス・ドイツそしてロシア・中国の主張でした。
そして実際、この三つの公式理由を詳しく検討していけばいくほど、何故、いま、イラク攻撃が必要なのか、という疑問がますます強くなってきます。
なぜかと言いますと、まず第一の理由に関して言えば、確かにアメリカが主張するように、イラクが国連査察に100%従 順に従ってこなかったことは事実だったとしても、1991年から98年までの7年間にわたる国連査察団の徹底的な廃棄作業の結果、イラクが今なお、実際に 使える大量破壊兵器を保有している可能性はきわめて小さい、ということが、この査察を実際に指揮した、スコット・リッター氏によって報告されているので す。
彼はイラクの歴史と政治と潜在的兵力について世界一詳しい人物の一人と言われているのですが、アメリカは、このスコット・リッター氏の証言を覆すだけの証拠を示すことはできませんでした。
そして事実、戦争がほぼ終結した4月末現在においても、大量破壊兵器は未だ発見されていません。つまりアメリカがイラク攻撃の最大の理由とし たはずの事実は、戦後においても、なお証明されていないのです。 また、証明されていないどころか、それを証明しようとして、アメリカが国連に提出した文 書が、実は偽造であったことが発覚しまして、アメリカが掲げた、大義名分の第一の看板は、いまや全く怪しげなものとして崩れ落ちようとしているのです。
さらに言えば、現在、世界で核兵器を保有している国は8カ国あります。
またこれから持つと公言している国もあるわけで、こうした国は脅威とされず、経済制裁を加えながら7年間もずっと監視を続け、また今後の監視を続けていけるイラクという国が、世界平和にとっての「最大の脅威」とされたのは、本当に奇妙な話です。
次に、大義名分の第二の看板についてですが、大量破壊兵器がアルカイダの手に渡るかもしれないという恐れは、中東情勢を少しでも知る者にとっては、ほとんど有り得ない、それどころか馬鹿げた考えだと思われていました。
な ぜなら、フセインは長年の間、国内のイスラム原理主義勢力をつぶすことに力を注いできたのですから、その敵である相手に、もし仮に、万が一、フセインが大 量破壊兵器を持っていたとしても、それを手渡せば、その兵器で返り討ちに合うことは目に見えているからです。したがって、第二の公式理由も説得力を持たな い。
ということになると、アメリカは、必然的に第三の看板を前面に押し出してこざるを得ないということになるわけです。
今回のイラク戦争に、アメリカは「イラクの自由作戦」という名前をつけましたが、これは、イラク攻撃の公式理由の第一、第二の看板を説得的に 証明することができなかったアメリカが、何とか国内および国際世論の支持を繋ぎ止めておくためにとった苦肉の策と、考えられないこともありません。
しかしここで、少なくとも一つ言えることは、もしアメリカがイラク攻撃の公式理由として、第三の看板だけを前面に押し出してきたとしたら、おそらく国際世論の賛同はもちろんのこと、国内世論の賛同さえもほとんど得られなかったのではなかということです。
それでは、イラク戦争の真の理由、またその必然性はどこにあったと観るべきでしょうか?
それは、このイラク戦争に、経済的な側面から、つまり石油利権という角度から照明をあててみた時、最も明瞭に浮かび上がってくる様に思います。
すなわち、フセイン政権が倒れ、そこに親米政権が誕生すれば、アメリカの石油資本はイラクで大きな利権を得ることができると思われますが、それこそが、アメリカの真の狙いだったと考えられます。
このことを、次の三つの問題を明らかにすることによって照明していきたいと思います。
- アメリカが石油利権を確保しなければならない必要性は何か?
- 何故、イラクの石油なのか?
- 何故、この時期だったのか?
アメリカが石油利権を確保しなければならない必要性とは何か?
アメリカが、是が非でも石油採掘権を確保することが必要だった事情は、次の三つの事柄から推察することができます。
先ず最初に、アメリカの人口は全世界の4%に過ぎませんが、アメリカの石油消費量は全世界の25.5%、すなわち世界全体の約4分の1を占めています。
また、一人当たり電力消費量で見ると、アメリカはカナダに次いで世界第二位で、日本、ドイツの約2倍の電力を消費しています。
カナダは豊富な水力で発電量の約6割をまかなっているのですが、これに対して、発電の約2割を石油と天然ガスに依存しているアメリカは、電力消費量の多さがそのまま石油消費量の多さを反映していると見てよいでしょう。
また、電力の総消費量で見ても、アメリカはずば抜けて多く、それは世界第2位の中国の3倍ちかくです。
さらに注目すべきは、この電力消費量が1989年から1999年までの10年間で、約1.3倍に増大していることです。
つまり、産業構造の転換が図られない限り、アメリカは今後も、ますます多くの石油を必要とし続けるのです。
次に、アメリカの石油消費量とアメリカの国内石油生産量の推移を見てみましょう。
石油消費量は、1991年から2001年までほぼ一貫して増大していますが、国内生産量の方は、ほぼ一貫して減少し続けている様子が見て取れます。
このことは、言い換えると、アメリカの石油輸入への依存率が年々高まっているということを意味しますが、実際、アメリカの石油輸入依存率は1985年の約3分の1から、2002年には2分の1を超え、そして2021年には3分の2を超えるものと予想されています。
さらにアメリカにとって深刻な問題は、その可採年数の短さです。
(可採年数=確認埋蔵量/年間出量)
可採年数とは、推定される石油の埋蔵量、これを確認埋蔵量と言いますが、この確認埋蔵量をその年の採掘量で割った値で、この数値は、今のペースで採掘が進んで行くとすれば、あと何年、石油の採掘が可能であるかを表わします。
この可採年数が、アメリカの場合、2001年末の時点で、何と10.7年と出ているのです。
また、アメリカの国内石油生産量が年々減少していっている原因もここにあると考えられます。埋蔵量が少なくなっていくほど、採掘はだんだん困難になっていくのです。
チェイニー副大統領をチーフとする「国家エネルギー開発グループ」が、2001年5月に公にしたレポートの中で--「石油を獲得できるかどうかが、今後のアメリカにとっての鍵である」--と危機感を表明しているのもこうした認識があるからです。
また、中央アジア・中近東を管轄する米軍中央軍団のアンソニー・ジン司令官も--「石油資源に対して、自由にアクセスする権利を常に確保しておくことが、アメリカの死活的利益である」--として、チェイニー副大統領と同様の認識を示しています。
結論的に言えば--一方で、これからも増え続けていくであろうアメリカの石油消費量と、他方で、減り続けていく一方の国内生産量、さらに、もう既に底が見えてきた国内の石油埋蔵量--ここに、アメリカが石油の確保を是非とも必要とする、切迫した事情があるのです。
もちろん、「国際石油市場」の発達によって、石油は現在では世界のどこからでも容易に調達することが出来ます。その意味では、つまり単に石油を手に入れるというだけの為ならば、わざわざ他国の油田の採掘権を獲得する必要はないともいえるでしょう。
しかし、安定した価格での、安定的な供給を常に確保しておく為には、採掘権の獲得はやはり大きな意味を持ちます。
さらに、その石油採掘に伴う莫大な利益を、どこの国の、どの企業が確保するかという問題には、石油企業のみならず、これら企業と関係の深い政治家は、無関心ではいられないでしょう。
実は、ブッシュ大統領をはじめとして、ブッシュ政権の閣僚には石油産業ときわめて強い結びつきを持つ者が少なくないのです。
ブッシュ大統領自身、1978年に、「アルブスト・エネルギー」という石油採掘会社を設立しました。この会社はのちに、「ハーケン・エネルギー」という会社に吸収されましたが、ブッシュ大統領はこの会社から多額の顧問料を得ていたと言われています。
チェイニー副大統領は就任前、油田開削などを行う大手の石油サービス会社「ハリバートン」社の会長を務めていました。
ライス国家安全保障大統領補佐官は、1990年代には、石油企業「シェンブロン」社の重役でした。
エヴァンス商務長官は、天然ガス採掘会社「トム・ブラウン」社の前最高経営責任者でした。
このほかにも、石油産業と密接な関係を持つ多くの閣僚の名前を挙げることが出来ます。
つまり、石油権益の獲得は、「アメリカにとっての死活的利益」であると同時に、「ブッシュ政権の存続」にとってもまた「死活的利益」であると言えるのです。
ちなみに、戦争遂行派、または強硬派の中心人物といわれる、ラムズフェルド国防長官は、ガルフストリーム・エアロスペースという軍用機メーカーなどと、アーミッテジ国防副長官は軍需大手のレイセオンという会社と深い結びつきを持っています。
また、現実派と言われる、パウエル国務長官も軍需大手のゼネラル・ダイナミクス社の元株主でした。
このように、ブッシュ政権の閣僚の多くは、石油産業または軍需産業との深い結びつきを持っており、それを支持母体としているのです。
何故イラクの石油なのか? イラクの石油の魅力は?
それでは、アメリカは何故、イラクの石油を求めるのでしょうか?イラクの石油の魅力はどこにあるのでしょうか?
これを見る前に、現在のアメリカの主な石油輸入先とそこからの輸入量、および全輸入量に占める比率を見てみましょう。
2001年実績で、アメリカが最も多くの石油を輸入している国はカナダで全体の15.4%、次いで、サウジアラビア14.3%、ベネズエラ13.3%となっています。
この上位3ヵ国に、全輸入量の43%を依存しています。
しかし、将来を展望すると、この上位3ヵ国に今後も石油供給を依存することには大きな危険と障碍が伴います。
というのは、まずカナダの石油の確認埋蔵量は非常に少なく、埋蔵量シェアは全世界のわずか0.6%に過ぎず、可採年数も2001年末の時点で8.8年と、アメリカよりも短いのです。
また、サウジアラビアは埋蔵量世界一で、そのシェアは世界のおよそ4分の1、また可採年数も長いのですが、逮捕された9.11同時多発テロ犯 のうち15 人がサウジ出身者であったことから、「オイルマネーはテロリストに渡る」として、アメリカはサウジ離れの動きを強めています。
さらに、ベネズエラも政情が安定せず、内政が混迷しているので、今後の石油供給の見通しも不透明です。
そこで、イラクの石油の魅力についてみましょう。
イラクの石油の確認埋蔵量は、1127億バレルで、全世界の埋蔵量の約11%を占めます。また、経済制裁の影響もあって、発見された74カ所の油田のうち、稼働しているのはその5分の1に過ぎません。
さらに、イラクの石油は採掘と輸送が容易であるために、そのコストが非常に低く、例えばロシア産の原油のコストが、1バレル当たり9ドルであるのに対して、イラク産のそれは2ドル以下とも言われています。
このような、低コストで埋蔵量の多い油田の採掘権を握ることのメリットは計り知れません。なぜならば、それによって、国際石油市場で価格支配 権を握り、OPECおよびそれ以外の産油国の発言力を弱めることができるのです。また次第に対立色を強めているサウジアラビアへの依存も弱めていくことが できるのです。
アメリカにとって、イラクの石油を制することによる権益は、極めて大きいのです。
イラク戦争は何故この時期に遂行されたのか?
日本時間の2003年3月18日午前10時。
ブッシュ大統領は、「サダム・フセインとその息子たちは、48時間以内にイラクを出て行かなければならない」と最後通牒を突きつけました。
アメリカは何故、国連安全保障理事会の決議を経ることなしに、イラク攻撃に踏み切ったのでしょうか?実は、ここにもアメリカによる、イラクの石油利権確保への思惑を読みとることができます。
先程、発見されているイラクの油田は74カ所で、そのうち稼働しているのは5分の1に過ぎない、という説明がありましたが、これらの油田の開発権交渉が、イラク戦争の前には、どのようになっていたのかを見てみましょう。
まず、イラクの南部にあたる西クルナ油田、これは日量80万バレルの大きな油田ですが、ここはロシアのルーク・オイルとの開発合意が一度は結ばれました。
後に、これは「ロシアがアメリカに『フセイン後』の支持をとりつけに言った」という理由で白紙撤回されますが、しかしイラクに対して大量の債権を持つロシアは、以前として強い交渉権を持っていたとみることができるでしょう。
その北にあります、日量60万バレルのマジュヌーン油田。ここはフランスの企業、トルフィナ・エルフが交渉中でした。
その近くにあります、日量25万バレルのハルファヤ油田は、中国および韓国の企業が交渉中、またその西北のアハダブ油田は、中国石油天然ガス集団公司(コンス)との基本合意が成立していました。
ここで、アメリカが国連安全保障理事会が結論を出す前に、イラク攻撃を開始したことの意味が、次の三つのポイントから明らかになると思います。
第一のポイントは、フセイン政権下においては、イラクの油田開発権交渉から、アメリカ企業が一切排除されていたということです。これはフセイン政権が存続する限り変わることがなかったと思われます。
第二のポイントは、イラク油田の開発交渉権を持つ国または企業は、イラクの経済制裁が続く限りは、その契約を実施に移 すことはできなかったでしょうけれども、しかし、もし、国連安全保障理事会で、フランス・ドイツおよびロシア・中国が主張したように、国連の査察継続が決 定され、またイラクがそれに協力して、大量破壊兵器が実際にないこと、またその開発の意図もないということが完全に確認されたとしたら、またそのことに よって、イラクの経済制裁が解除されたとしたら、アメリカを覗く各国の石油企業は、ただちにイラクの油田開発を実施に移しただろう、ということです。
第三のポイントは、4月9日のバグダット制圧の直後から、イラク暫定政権の議長候補として名前が挙がっていた、イラク 国民会議代表のチャラビ氏が、開戦前に既に、「現政権、つまりフセイン政権が、外国と交わした油田開発計画は、フセイン政権が倒れた後には、すべて見直 す」という発現をしていることです。
この三つのポイントから、次のように推論することが可能であると思います。
まず、2003年3月のイラク戦争 開戦前の時点で、アメリカにとって予想される最悪のシナリオは、国連の査察が継続され、イラクが大量破壊兵器を保有していないことが証明されて、イラクの 経済制裁が解除され、そしてアメリカを除く各国の資本がイラク油田の開発を一斉に開始すること、これが最悪のシナリオです。
逆に、アメリカにとって望ましいシナリオは、イラクが大量破壊兵器を保有しているという疑惑がもたれているうちに、フセイン政権が倒れ、そこにアメリカに協力的な新政権、例えばチャラビ氏を中心とするような新政権が誕生する。
そして、フセイン政権がアメリカを排除して、各国と結んだ油田開発契約がすべてなかったものとされ、そこにアメリカ資本が対等の立場で、または対等以上の立場で、開発契約交渉に参入していく。これが、最も望ましいシナリオであったはずです。
そしてそのためには、イラクの武装解除が進展してはならなかった、つまり、国連査察が継続されてはならなかったのです。
これが、安全保障理事会の議決を経ることなく、アメリカがイラク攻撃に踏み切った真相である、と推論することは出来ないでしょうか。
イラクの油田開発から排除されていた、イギリスについても、やはり同様のことが言えます。開戦前、ブリティッシュ・ペ トロリアムというイギリス系の大手石油会社のブラウン社長が、「戦後の参入機会は公平でなければならない」と発言していますが、この発言は、こと石油利権 に関しては、イギリスとアメリカは一心同体であるということをよく現していると思います。
以上、結論的に言えば、アメリカおよびイギリスの石油資本にとって、イラクの政権交代は、これまでの石油利権交渉におけつ劣勢を一挙に挽回する、絶好の機会だったということです。
そして、その機会は、国連査察が継続され、イラクの武装解除が進めば進むほど、遠い将来へと先延ばしにされていく、そういう状況にあったと思われます。
そしてこの推論は、安全保障理事会で、査察継続を一貫して主張した、フランス・ドイツ・ロシア・中国、対、即時攻撃を強硬に主張したアメリカ・イギリス、という立場の構図とぴったり一致します。
アフガン戦争と石油利権
「イラク戦争は石油のための戦争である」ということは、多くの人によって言われています。しかし実は、同時多発テロへの報復として行われたアフガン戦争の背景にもまた、アメリカの石油権益が密接に絡んでいました。
この地図をご覧下さい。
カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンなどの旧ソ連から独立した中央アジアのカスピ海諸国では、近年、巨大油田が次々と発見され一躍注目を浴びました。
アメリカは、クリントン政権の時代から、これらカスピ海諸国の原油を採掘して、アラビア海、またはインド洋に搬出したいという構想を持っていました。
それは一つには、石油確保の安全性を高めるための供給源多様化策としてですし、またもう一つには、発展著しい中国・韓国などの東アジア諸国、そして需要量の多い日本への輸送がきわめて便利だという理由によります。
しかし問題は輸送ルートでした。
イランを経由するパイプライン・ルートはいかにもリスクが大きいのです。イスラム原理主義が支配するイランは、基本的にアメリカとは敵対関係にあるのですから。
たとすれば、残るルートは、アフガニスタンを経由して、パキスタンのどこかの港からアラビア海へ搬出するというルートしかないわけです。
実際、アメリカの石油会社・ユノカル社は、このルートでのパイプライン計画を立て、アフガニスタンの、当時のタリバン政権とも交渉しました。
しかし、最終的に交渉は決裂しました。
その突然、アフガン戦争が開始され、タリバン政権は崩壊してしまったのです。
このタイミングの良さは、一つの偶然かもしれません。
しかし注目すべきなのはそのあとです。
タリバン政権崩壊後の2001年12月に、アフガニスタンに暫定政権が誕生しましたが、その議長となったハミド・カルザイ現大統領は、 2002年2月にはパキスタンを訪問して、かつてのパイプライン計画を復活させ、また翌3月にはトルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン三国の、パ イプライン建設に向けた覚え書が調印されているのです。
この時点で、どの国のどの企業がこのパイプライン建設を受注するかは決定されていませんでしたが、アフガニスタン鉱山産業省のアデル副大臣 は、「当然、ユノカル社が建設の契約を獲得するだろう」と述べています。そしてかつて、カルザイ大統領はこのユノカル社の顧問を務めていたのです。
このパイプライン建設をめぐるいきさつが、アフガン戦争の原因であるとは言えないにしても、しかし結果的に、これによってアメリカが大きな石油利権を獲得したことは確かなのです。
イラク戦争およびアフガン戦争は、「正義と自由」のための「新しい戦争」であると言われることがあります。つまり冷戦 体制崩壊後、世界の覇権国となったアメリカが、その経済力と圧倒的な軍事力を行使して、テロリズムと戦い、また大量破壊兵器の拡散を防止するために行った 「正義の」戦争であると。
比喩的に言えば、世界の保安官となったアメリカが、その圧倒的な拳銃の腕前をふるって、ならず者達を懲らしめる、という構図です。
しかしこの「新しい」と言われている戦争に経済的な側面から照明を当ててみると、そこには「石油利権」という、極めて古典的な戦争原因が浮かび上がってきました。
ジェームズ・ジョルというイギリスの歴史学者は、『第一次世界大戦の起源』という本の中で、欧州大戦の原因を6つの枠組みにまとめています。そしてその中の重要な要因の一つとして、「帝国主義」を挙げています。
つまり、当時、列強と言われる諸国は、資源や市場を独占するために、「文明化」という口実のもとに軍事力の行使を正当化し、「非文明」民族や弱小国家を支配したいった、これが戦争の一つの重要な原因であったと言うわけです。
表向きは、「イラクの自由」・中東の民主化を挙げてはいるももの、その背後にはアメリカの石油利権がベッタリと張り付いている今回のイラク戦争は、この意味でまさに、古典的な、「帝国主義戦争」の特徴とぴったり一致するのではないでしょうか。
またジェームズ・ジョルは、世界大戦の原因の一つとして「ナショナリズムの高揚」という要因も挙げています。これは9.11同時多発テロ事件以後、テロ防止のためであれば先制攻撃も容認されるという、作り上げられた一般世論の風潮と重なるもの、とは言えないでしょうか。
しかし、今回のアメリカによるイラク攻撃に対しては、アメリカ国内からも、それを憂慮する声が上がっています。
例えば、日本でも良く知られた経済学者の一人である、ポール・クルーグマンは、開戦前、ニューヨーク・タイムズ紙に次のような論評を寄稿しました。
「アメリカの最近の軍事予算は4000億ドル(約48兆円)、イラクのそれは14億ドル(約1680億円)--約300倍の開きがあります---したがって、アメリカは戦争には苦もなく勝だろう。
しかし私が恐れるのはその余波である。ブッシュとその政策スタッフに向けられる、とてつもない敵意、アメリカに対する不信感」それを恐れる、と。
さらに、経済的な問題に目を向けると、「アメリカは膨大な貿易赤字を穴埋めするために、年間4000億ドル(約48兆 円)もの外国からの投資を必要とする。それが集まらなければ、ドルは急落し、雪崩のような財政赤字が、やりくり不可能なまでに発生するだろう。しかし今、 外国からの資金の流れは枯渇しようとしている兆候がある」と。
アメリカ経済にも、意外に弱いアキレス腱があるのです。
しかし、21世紀を再び戦争に世紀にしないために、今、私たちにとって必要なのは、こうした現在の状況をただ経済メカ ニズム、また政治力学の流れのままに任せることではなくて、今回の戦争の本質を正確に把握し、その上で、それぞれの人が、それぞれの意見をはっきりと持つ ことだと思います。
なぜなら、これは日本人としてはじめて、アメリカ歴史学会会長を務めた、ハーバード大学の入江昭教授の言葉なのですが、「歴史を動かすものは、最終的には、軍事力でも経済力でもなく、一人一人の人間、そして60億人の形成する国際世論である」と、思うからです。
参考文献・参考資料
青山貞一
「エネルギー権益からみたアフガン戦争」『世界』2002年9月号
「正当性なき米国のイラク攻撃」
川村亨男
『誰も気づかないブッシュの世界戦略』ダイヤモンド社
浜田和幸
『ブッシュの終わりなき世界戦争』講談社α新書
副島隆彦
『世界覇権国アメリカの衰退が始まる』講談社
スコット・リッター
『イラク戦争』合同出版
高橋和夫
『アメリカのイラク戦略』角川書店
石井彰・藤和彦
『世界を動かす石油戦略』ちくま新書
ボブ・ウッドワード
『ブッシュの戦争』日本経済新聞社
藤原帰一
『デモクラシーの帝国』岩波新書
広瀬 隆
『世界金融戦争』NHK出版
前田高行
「石油・天然ガスの生産量と埋蔵量」
『中東協力センターニュース』2000年6・7月号
藤岡 惇
「アメリカのイラク攻撃の背景」
ジェームズ・ジョル
『第一次大戦の起源』
「エネルギー事情」
"bp statistical review of world energy 2002"
日本経済新聞
「ブッシュノミクス」上・中・下 2003年1月9日~11日
「権益確保へ大国動く」2003年1月28日
「エネルギーと世界」上・中・下 2003年1月10日~13日
「カスピ海原油供給力注目」 牛島俊明 2003年2月5日
「イラク戦争を読む(2)『新しい戦争』ではない側面」入江昭 2003年3月25日