社会・地域貢献
教養番組「知の回廊」56「ダンゴムシから進化を読む」
中央大学 商学部 武田 直邦
陸に住む甲殻類の集合現象 ー フェロモンによる陸上移住戦略を読む ー
私たちの住んでいる家の庭や公園などに、エビや力二の仲間がウヨウヨいることをご存知でしょうか?エビやカニは『甲殻類』と呼ばれますが、生活環境内に見られる甲殻類とは、ダンゴムシやワラジムシのことなのです。
とりわけ、これら仲間は同じ長さの"短い"脚が沢山あることから、等脚目として分類されています。つまり、ダンゴムシやワラジムシは、甲殻類の等脚目に属する生きものなのです。
加えて、磯の岩場等に住むフナムシも同じ仲間です。
"隣の芝生"という譬えがありますが、私は、先輩や同僚の研究が面白く、自分でもやってみたいと思ったものがこれまで幾つもありました。しか し、現実の研究に追われている状態では、おいそれと"転向"も"共存"もできず、一足のワラジを脱げずにいました。それにケリをつけたのが、私の尊敬する 帥である "石井象二郎先生(昆虫生理学者/京大・名誉教授)の研究、"ゴキブリの集合"でした。当時、先生の学会発表は何時も超満員で、会場に入るのに苦労したも のです。その研究は "ゴキブリに見られる集合は、糞に含まれるフェロモンによって誘導される" というものでした。
後に、先生の屈られた京都大学の研究室にも伺い、フェロモンを抽出すべく集められた、コンテナー数個にも及ぶゴキブリの糞に圧倒されたものでした。
また、先生には研究生活の岐路に迷い込んだ時、"どの様な環境に置かれても、研究だけはお続け下さい" との励ましのメッセージをいただいたことは、私には終生息れられないことです。その先生の発表を聞いた時、直感的にダンゴムシでやってみようと思いついた のです。なぜなら、私には小さい頃から、ダンゴムシが集まったり、丸まったりする現象に興味があり、研究してみたいと思っていたからです。大相撲の大鵬親 方が新弟子のころ、以前から温めていた "大鵬"というシコ名が、他の兄弟子たちの誰かに使われまいかと、密かに恐れていたということを聞いたことがあります。私もこのことを思いついて以来、ダ ンゴムシの集合の研究が、誰かに先にやられはしないかと気になったりしたものでした。人間は意外に考えることは同じ、と思った次第です。
さて、本題に戻りますが、無脊椎動物ではアリやハチなどの社会性昆虫以外でも、蛾の幼虫やテントウムシ等多くの種で、 集団で生活するのが見られます。集合することには、餌不足による共食い、病原菌への感染、外的からの一網打尽化等、不利なこともありますが、それにも拘ら ず集合することには、その種が生存する上で必要な種独特の目的や意味があるのです。然らば、等脚類はどうして集合するのでしょうか、集合生活の実態から見 て行きます。先ず、フナムシですが、彼らは海から離れて遠出はできず、塩分濃度の濃い水蒸気の充満している場所や、潮のかかる岩礁の割れ目などに好んで棲 息しています。一見ゴキブリを連想させる為か、あまり好まれない代物です。これに対してワラジムシやダンゴムシは、内陸部の比較的湿った場所に棲息してい ます。とりわけダンゴムシは、触ると丸くなることもあり、子供達にも親しまれている種です。
次に、フナムシを例に挙げて、集合の様子を観察してみ ます。30センチの大型シャーレに30匹のフナムシを放し、時間を追って見ていくと、あの足早に勤きまわるフナムシが、僅か五分で集団を作り、20分後に はピタッと1ヵ所に集まるのです。果たして何か彼らの集合を掻き立てるのでしょうか? そこで簡単な実験をしてみます。眼をつぶしたり、触角を切り取ってみるのです。その結果、集合は、盲目状態でも生じますが、触角を切除すると見られなくな ります、また、体表をアルコールで拭いてみると、その清浄度に応じ、集合に時間がかかります。それ故、集合は視覚よりも嗅覚が関係することが分かります。 それでは、触角に何かあるのか、走査電子顕微鏡で観察してみると、そこには臭いを感じ収る感覚毛が一面に生えています。ニの感覚モでいを感じとっていたの です。
これらの仲間を飼育してみると、飼育容器を掃除したりする時等、きれいなところよりも汚れた元の汚物の所に集まること に気が付きます。汚物の殆どは糞(薄い直方体)であることから、集合する元を明らかにすべく、糞を含ませたW字形の濾紙と、水を含ませた対照の濾紙を シャーレに入れ、そこに 20匹のフナムシを放してみました。すると、案の定、ものの5分から10分で、皆、糞の濾紙に怜大口が見られるのです。この現象は、ワラジムシやダンゴム シでも時間の差はあれ、皆同じく見出されます。そうです、これらの仲間は皆、糞に集まるのです。勿論、種特異性があり、同種の糞には集合しますが、異種の 糞には集合することはありません。このように、生体で作られ、体外に排出されて同種の他の個体に特異な行動を引き起こす化学物質のことを、"フェロモン" と呼んでいます。多くのフェロモンが知られていますが、この場合は集合現象を起こさせるので、"集合フェロモン" と呼ばれます。このように、フェロモンによる情報の伝達は、ものを言わない動物では、種内のコミュニケーションを計る手段になっているのです。それでは その集合フェロモンなるものは、体内の何処から分泌されるものなのでしょうか? それを探る為に、"Y字路嗅覚系"なるものを考案してみました。
左右のに接伴(一方に臭いの元、他方は対照)を入れ、それに微風を送り、Y字の各々の先端に流れるようにしたものです。Sに入れられたワラジ ムシが、Y字の分岐点で、どちらから流れて来る臭いに反応するのか(Y字路で左右のどちらに曲がるか)を調べるものです。様々な抽出物で検定した結果、フ ナムシは後腸の特殊な分泌細胞から、また、ワラジムシとダンゴムシは胃の部分から分泌されることが明らかにされました。
更に、集合することには、どの様な意味があるのかにも検討を加えました。まず、孵化した苦虫を密度別に五カ月程飼育し、体長、休幅、体重を測 定してみたのです。その結果、密度が高くなるにつれて、すなわち1匹より2匹、2匹より10匹という具合に、成長が促進する傾向が得られました。
昆虫には、チャドクガの様に、一匹ずつばらばらにして葉を与えると摂食が進まず、二匹以上の複数となると俄然食べだす 種もあります。ゴキブリでは、複数であれば数に関係なく成長が促進するので、等脚類とは違っています。人間に警えれば、下宿で1人わびしく食事をとるより も、気の合う仲間と共に食べる方が食欲も増すと言った処でしょうか。ところが、触角を切除すると、この効果はみられません。何故そうなるのか、集合の過程 をよく観察してみると、彼らは集合に際しても集合中も、頻繁にお互いに触角で触れ合っていることが分かりました。実はこれをさらに訓べた結果、等脚類で は、触角を通しての刺激が神経を介して脳に伝わり、成長に関わる活性物質の分泌を促していることが分かったのです。
等脚類は、古生代のカンブリア 紀の海に栄えた "三葉虫"を先祖とするものが、陸上に移行したものと考えられています。探し求めていたこの化石は、幸いにして、イタリアのウルビノで聞かれた等脚類のシ ンポジウムに招待された際、ローマ市内の化石の店で求めることが出来ました。ところで、等脚類の殆どは海産種であり、陸上適応できたのは、僅かにワラジ ムシ亜目に属する数種に過ぎず、さらに、それらの種に見られる共通の現象が集合なのです。このことは、集合現象は陸上適応と関係していることを示すと捉 え、それに一番重要な水分の保持との関係から、さらに検討してみました。すなわち、各々の種で1匹と10匹を湿度30%の乾燥状態に置き、死に至るまでの 時間を測ったのです。その結果、フナムシは10数時間、ワラジムシは7時間ほど、集合した方が長く生きられましたが、ダンゴムシでは顕著な差は見られませ んでした。
また、これらの仲間は乾燥状態では脱水により体重が減少しますが、それが顕著なのは、フナムシとワラジムシであり、ま た、これとは逆の高湿度処理での体重増においても、同様な傾向が得られました。これに対してダンゴムシでは、乾燥と高湿度の双方において、比較的緩やかな 増減となりました。この違いには、体表からの水分の出人りによると考え、体表のクチクラ層の構造を組織学的に調べてみました。
外骨格の構造をみる と、フナムシのクチクラはキチン質が薄く、節板同士はかぎ状の構造物で結合している単純なものですが、ワラジムシではフナムシより厚く、節板の境目は内部 に摺曲しています。また、ダンゴムシでは、ワラジムシより一段と発達し、キチン質は幾つもの層状構造となりさらに堅固になって、水分の出入りが制御されて いることが示されました。
以上述べたように、陸生等脚類の集合は、消化管の組織から分泌され、糞と共に排出される集合フェロモンにより誘起・ 維持されることが明らかにされました。陸上適応の最大の問題は、如何に体内に水分か確保し、維持するかにあります。等脚類は、このように集合することによ り水分の蒸発が緩和され、保持される為に、陸上における適応が容易になったものです。また、成長の促進が見られたことは、集合による二次的にもたらされた 有意義な結果なのです。等脚類の棲息分布は、乾燥状態に対する適応の程度をも表しているものです。それは単に集合現象だけではなく、呼吸系や"保育室" 等、体の構造や窒素代謝等の生理的な分化も少しずつ誘導されることにより、フナムシ→ワラジムシ→ダンゴムシの順に、乾燥状態に適応できるようになったも のなのです。
フナムシ型では、陸上適応の初期の段階として、集合現象が単に備わったレベルで留まっているもので、ワラジムシ型では、個体同士が何居にも富 有して接触することで、不十分なクチクラの発達をカバーし、水分の蒸発を防いでいるものです。因みに、一匹のダンゴムシと数匹のワラジムシを同一乾燥下で 比較しても、ワラジムシは集合することにより、より長く生存できることを見ています。また、ダンゴムシ型では、上陸の初期に獲得したであろうこの現象が、 その後に獲得した他の陸上適応機能によりうすれ、名残として残ったものと考えられます。このように、フナムシ→ワラジムシ→ダンゴムシの順路は、等脚類が 陸上に適応移住してきた進化の過程を示唆するものなのです。
このように、ある現象を見る時、一種類のみの特異な現象として捉えることなく、広く同じ仲間を生息環境などを考慮して系統的に比較検討するこ とにより、進化に関係するような一つの原理が導き出されるものなのです。ちっぼけな等脚順に見られる一つの行動にも、実は地質学的に長い歴史が潜んでいる ことがお分かりいただけたと思います。
この研究については、ロンドン動物学公から招待を受け、ロンドン動物園内の講堂で講演したものです。当時、日本ではパンダで沸き返っている時 でしたが、ロンドン動物園のパンダ園は、人影もまばらで雑草が生い茂っていたのを覚えています。今、高校や大学で、ワラジムシやダンゴムシを、集合フェ ロモンの実習に使うところが増えているのは嬉しい限りです。手軽に出来るので、私も演習で用いており、学生の受けも良好です。