教養番組「知の回廊」

『知の回廊』特別講演会「ジャーナリズム教育がもたらす知の継承~台湾二二八事件の取材現場から~」実施報告

2014年03月14日

講演する松野良一教授

2014年3月13日(木)18:30より、八王子駅隣の京王プラザホテル八王子にて、恒例の『知の回廊』特別講演会が実施されました。
今回の講師は、台湾二二八事件にちなんで、2014年2月1日~28日にかけてJCNテレメディア八王子にて放送された「ジャーナリズム教育がもたらす知の継承~台湾二二八事件の取材現場から~」を監修した、中央大学総合政策学部の松野良一教授です。
講演内容は主に、埋もれた歴史的事実の掘り起こし(研究)と、学生の人間的成長(教育)の、2つの大きなテーマから成っていました。
前者では、台湾二二八事件と中央大学卒業生の関係、そこから派生した台湾と日本の現代史が明らかにされました。
また後者では、歴史的視点を獲得するプロジェクト学習や、ジャーナリズム教育を通して多様な能力を開発する教育手法が説明されました。
講演会当日は、激しい風雨にも関わらず、約30名の方々にご参加いただき、「二二八事件は全く知らず衝撃的な話だった。日本がほとんど係わっていないとはいえ、日本の教科書でも取り上げるべきだと思った」、「大学生の教育の在り方が実社会に出てより自信を持って能力を発揮できるものと確信しました。内容的にも取り組み方にも感銘を受けた」、「本日の講演で深い認識をもてた。歴史教育は表面的なものでは絶対に本質的なものは伝わらないが、このような形で学ぶことは大切であると感じた」など、数多くの感想が寄せられました。

「台湾二二八事件と中大卒業生」プロジェクトの学生調査成果報告~日本統治が終わった台湾で何があったのか~

概要

澤田紫門(総合政策学部2年)を中心とするプロジェクトチーム(FLPジャーナリズムプログラム松野ゼミ)が、台湾二二八事件で犠牲になった中央大学卒業生10名を特定し、受難者家族からの証言の聞き取り調査を現地で実施しました。
成果は、2014年10月刊行の中央評論の特集で発表します。
台湾での調査の様子は、知の回廊「ジャーナリズム教育がもたらす知の継承 ~台湾二二八事件の取材現場から~」で配信中。

内容

二二八記念館(旧台北放送局)

日本の敗戦後に、台湾は大陸からやってきた中国国民党軍(外省人)に接収された。台湾人(本省人)は、最初は歓迎したが、国民党軍の横暴や失政に失望。犬(日本人)が去って豚(国民党)が来たと揶揄した。1947年2月27日に起きた闇煙草販売の老婆殴打事件と青年殺傷事件をきっかけに翌2月28日から台湾全土で暴動が発生。台湾放送協会の台北放送局は、軍艦マーチを流しながら決起を呼びかけた。しかし、台湾行政長官・陳儀が蒋介石に援軍を要請。3月8日から全土で虐殺が始まり、約2万8千人が犠牲になったと言われている。特に、日本の大学で学び弁護士や医師になっていた台湾人エリートが多数殺されたり行方不明に。以来、戒厳令と白色テロによって、約40年間、二二八事件は封殺されてきた。1988年に李登輝が総統に就任してから徐々に、真相が明らかになった。
2012年9月、台北駅の南にある台北二二八紀念館で、中大の学生帽が展示してあるのを見つけ、学生たちがプロジェクトを発足させた。以来、受難した中大卒業生10人を特定し、順次、台湾に渡ってその受難者家族にインタビューを実施。取材先は、台北市、基隆市、台南市、高雄市、屏東県、米国ヒューストンに及ぶ。被害者には台湾省弁護士会会長、台北市弁護士会会長、台南市議、高雄市議なども含まれる。台南市には、犠牲になった中大卒の弁護士・湯徳章氏にちなんだ「湯徳章公園」があり、孫文とともに銅像が展示してある。

台南市の中心にある「湯徳章紀念公園」

林連宗氏は、台湾省弁護士会会長、国会議員の職にあり、二二八事件処理委員会のメンバーであった。「お利口にしておきなさい」と娘に言い残し、憲兵隊に連行された。行方不明。湯徳章氏は、「台南の英雄」と称されている。
二二八事件の処理について台南市議会の会議室で討議していた時、国民党軍が突入。
事前に、議員、処理委員会メンバーを議場の裏側から全員逃がし、自分1人が国民党軍に対応した。
このため、台南市では、湯徳章氏1人が逮捕され、彼だけが犠牲になった。逮捕後すぐに、町中心部のロータリー(後に「湯徳章紀念公園」)で公開処刑され、遺体は数日間放置された。同公園には、孫文の銅像とともに、湯徳章氏の銅像が設置されている。遺体が放置されていた場所に、遺族が白い石を置いて目印にしている。
李瑞漢氏は、台北市弁護士会会長。二二八事件処理委員会のメンバーで、陳儀に対し、台湾人(本省人)の公務員への登用、待遇改善などを要求していた。
3月10日に弟の弁護士・李瑞峰、および林連宗の両氏とスルメ粥を食べていたところを国民党軍憲兵隊に連行され、以来、行方不明。
李榮昌さん家族は、毎年3月10日にはスルメ粥を食べ続けて事件を忘れないようにしている。