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グローバル・パーソンを目指す中大生 vol.036 秋間 龍之介さん

自分を見つめ直し価値観を育んだ「留学・異文化体験」の素晴らしさを伝えたい!
秋間龍之介からRoo Akimaへ ~新たな自分との出会いとその体験のシェアに挑戦を続ける

秋間 龍之介さん

国際経営学部4年
国際経営学部学生団体G-ACE初代リーダー
[掲載日:2024年03月13日]

 もうすぐ大学の4年間が終わり、私は中央大学を卒業する。振り返ると、多くの人たちに支えられながらさまざまな経験をして、入学前に想像していた以上に、多くを学ぶことができた4年間だった。

 国際経営学部2期生の仲間たちをはじめ、学部をゼロから作り上げた1期生のかっこいい先輩たちに加え、自分を「先輩」と呼んで慕ってくれた後輩たちからもたくさんの刺激を受けた。彼らががんばる姿を見て「自分もがんばらなければ」と、一緒に切磋琢磨しながらいろんなことに挑戦できた。学部の教職員の方々には、学生団体の設立・運営から学業、留学のみならず、個人的な内容まで相談にのっていただいたし、国際センターの方々には留学中、帰国前後も手厚くサポートしていただいた。また何よりもこの4年間、自分のわがままをそばで支えてくれた母には、心の底から感謝を伝えたい。

 このような非常に恵まれた「挑戦させてもらえる環境」で過ごした4年間を経て、これからも貪欲に、今まで以上のスケールで挑戦し続けていくつもりだ。

高校時代に初めての海外留学。オーストラリアで、新しい自分に出会う

高校1年、留学決定の瞬間!

 初めての「留学」は、高校生の頃だった。大学附属の高校に在籍していたが、友だち付き合いなどのストレスから、かなり深刻に「学校に行きたくない」と考えていた。そんなとき、学校の掲示板に貼られていた「オーストラリア一年交換留学生募集」のポスターを見つけた。私にはそれがとても輝いて見えた。当時の英語クラス分けで一番下のクラスに在籍していたくらい英語に自信がなかった私だったが、私はそのとき、心の底から「これだ!」 と叫んだのを覚えている。誰にも迷惑や心配をかけずに、今の環境から抜け出すには留学しかないと思ったからだ。その日から全校で唯一の留学生に選ばれることを目指して、英語力の向上と他科目の成績維持に努めた。
 そして2017年11月10日、私はその年の留学推薦者として「秋間龍之介」と掲示されているのを見た。この日の記憶は今でも鮮明に覚えている。

高校留学先、オーストラリアの友だちと。前列中央が筆者

 この留学プログラムは、戦中使われていた日本人の捕虜収容所がその町にあり、そこからの脱獄事件をきっかけに両国の文化理解の深めることを目的に始まったという背景を持っている。50年以上も歴史あるプロジェクトに参加できることは、とても光栄で身の引き締まる思いだった。また、一般的な留学生は、多かれ少なかれ不安の混じった期待をもって留学に挑むものだが、私の場合、「ついに辛かった生活を抜け出し、オーストラリアで生まれ変わることができる」と期待で胸がいっぱいで、と全く不安の感情はなかった。
 留学先は、シドニーから300km以上離れたニューサウスウェールズ州の田舎町。ホストファミリーや学校の友だちをはじめ、すぐに現地のコミュニティに馴染むことができた。温かい人々に囲まれて、オーストラリアの代表的な動物、カンガルー(Kangaroo)から「Roo Akima」とニックネームを付けてもらい、17年生きてきた「秋間龍之介」とは異なる「Roo Akima」に出会う1年間となった。

国際経営学部で始まった「Roo Akima」の挑戦

思い入れのある学び舎。学部同期の仲間たち。中央が筆者

 国際経営学部に進学したのは、Roo Akimaとしてどこまで生きていけるかを試したかったからだ。経営学・経済学に興味があった私にとって、Roo Akimaとして英語で学問に挑戦するには最高の環境だと思った。高校留学の時には生活レベルの英語のみでよかったため、触れなくても不自由することはなかったアカデミックな英語を「読み、聞き、話し、そして書くこと」は、Roo Akimaとして生きる上で大きな挑戦になった。受験やTOEFLなどの資格試験、そして入学後の学部での学習では、時に手厳しい評価をもらったり、時に挫折しそうになったり、加えて入学直後からコロナの影響で何もかもがオンラインになったために生じた難しさもあったりした。しかし、「それでも高校時代の秋間龍之介の境遇よりはマシだ」と言い聞かせて、自分を奮い立たせた。将来はグローバルに活躍したいと意欲いっぱい仲間たち、より良い学部を作りあげたいという熱意にあふれる教職員の皆さんの姿に刺激を受けて、前向きになれた。

 国際経営学部の授業でRoo Akimaとしての大学生活に自信を付けた私は、2度目の海外留学を決意する。元アメリカ留学生の母の影響もあり、「アメリカの大学生になる」ことへの強い憧れがあったし、アメリカの大学でRoo Akimaとして生きてみたいという夢があった。そして、希望する留学先への派遣を目指して成績維持とアルバイトに全力投球した。コロナで留学自体が難しかった時期だったが、「だからこそ」と留学準備を着実に進めていった。

念願のアメリカの大学に留学して学んだこと

留学初日、UC Davis校の施設Memorial Unionにて

 それらの準備が功を奏し、2021年度秋派遣の留学に内定をいただくことができた。留学先は夢だったアメリカのカリフォルニア大学デイヴィス校(UC Davis校)に決まり、3年の夏に渡航し、経営学・経済学を中心に学んだ。そこでのRoo Akimaとしての経験は想像以上に楽しく、気が付けば、関係各所に交渉して留学期間の半年延長(同大学に認定留学で再び渡航)したほどだった。

 1年半の留学中は、言葉で語れないほどの多くの経験をした。多様性の具現化ともいえるほどに非常に多様な文化の中で、いろんな人と出会い、自分の人生観を大きく変えるような瞬間に多く立ち会うことができた。自分がほぼ唯一のアジア人だったオーストラリアの田舎町とは打って変わって、世界中からさまざまな背景を持ったとても優秀な同世代が集まり、そんな彼らと時に切磋琢磨し、協力し合い、生活レベルで共に時間を過ごすことであらゆる刺激を受けた。
 カリフォルニア出身でカリフォルニアの大学に通う21歳といっても、人種(白人系、アジア系、アフリカ系、ラテン系、中東系)、ジェンダー、学問的興味、家庭的バックグラウンド等は大きく異なっている。さらにキャンパスには、世界各国からの留学生たちが加わっており、他人との違いは「出る杭」ではなく、“ cool ” と言って歓迎してくれる人が多かった。

左:ルームメイトと仮装パーティ、右:大学のホットドッグ早食い選手権で優勝

 そんな環境で目標としたのは、「アメリカの大学生」になること。オーストラリア訛りの英語を話す日本人の私は、すでに“cool”と歓迎されていた部分もあったが、日本人 秋間龍之介としてではなく、Roo Akimaとして大学生活を送ることを目指した。そのために学内外で「アメリカの大学生」らしいことに取り組んだ。
 具体的には、現地生でも履修するのを嫌がるほど厳しいことで有名な、同校のMBA(経営大学院)で教鞭をとる超辛口の教授によるプロジェクトマネジメントのクラスに食らいついてみたり、世界大学ランキングで1位を獲得したことがあるという有名な生物学の授業に必死についていったり、学期末のグループプレゼン課題が評価の8割を担うマーケティングのクラスなどに挑戦したりした。
 授業以外では、テニスやサッカー、学生食堂と国際センターのアルバイト、フラタニティ(Fraternity:大学内の男性社交グループ)といった現地のコミュニティ等に所属して、学外での時間もRoo Akimaとして過ごした。住居は、初めの3カ月はホストファミリーにお世話になったが、残りは学生アパートに住み、累計2人のルームメイト、9人のハウスメイトと生活を共にした。このように、さまざまなことに取り組む中で生まれた友だちとの絆はかけがえのないもので、そこにいたのは秋間龍之介からは想像もできない、たくさんの信頼できる友だちに巡り合い、笑顔で毎日を楽しむRoo Akimaがいたのだ。

留学での学びを活かして

G-ACEで初開催した「短期留学経験者に話を聞く会」の司会を務める筆者

 世の中には留学に行きたくても、さまざまな理由で行けない人も多くいると思う。経済面のみならず、健康面、語学力、家庭環境等、それぞれの事情で留学に挑戦できない人が多くいることに気付かされた。
 入学直後、コロナ禍によって海外渡航が中止され、留学生の行き来や留学ができなくなった。大学では、学部の短期留学を目当てに入学した多くの同期生から嘆く声が聞こえてきた。これがひとつのきっかけになり、コロナ禍”だからこそ”と、学生団体「G-ACE(Glomac Agency of Cultural Experience)」を立ち上げた。留学のみならず、「異文化体験」の意義や楽しさを知ってもらえるような活動をする団体である。団体が定義するところの「異文化体験」とは、たとえ海外でなくても自分と文化の異なる環境で新しい何かを体験することで、双方で単に情報を交換する交流や実際に行って経験することとは違い、模擬的でも身をもって感じ、学びを得ることである。
 G-ACEは現在も、YouTubeやSNSでその「異文化体験」の楽しさを伝え、興味をもってもらうきっかけを作り、留学に必要な情報を発信している。私自身の留学期間および帰国後は、後輩たちに引き継いで、私は「留学経験者」として情報共有などで協力している。

今後について
新しい自分と出会う楽しさを広める「義務」

UCDAVIS校で知り合った世界各国から来た留学生たち

 この記事が公開される2024年3月末に、私は中央大学国際経営学部を首席で卒業する。そして4月より、私はYouTuberになることを決意した。
 チャンネル名は「Roo Akima」。新しく出会った自分自身との挑戦とその経験をより多くに人に届けたいという思いが詰まっている。YouTuberは、今でこそ社会的地位が認識され始めた職業だが、もちろん不安はある。ある人には、面と向かって「無理だ、諦めて就職しろ」と言われた。しかし、今まで挑戦は人一倍してきたし、これは自分の義務だとすら思っているから、足は震えているが、「これが自分の道だ」と、大声で叫べる自信がある。

 

 私のこれまでの人生にはいろいろな出会い、学び、成長があったし、それらはいろんな方々の支えがあったからだと強く思う。そんな中で誰よりも感謝の言葉を送りたいのは、死にたいとさえ思ってどん底まで落ちたのに1枚のポスターに希望を抱き、努力を続けた秋間龍之介であり、Roo Akimaを信じきって挑み続けた自分自身だと思う。あの時、ただその場しのぎで毎日を過ごしたり、挑戦の途中で限界を決めて諦めたりすることは容易だった。だが、それでも挑み続けた自分に「ありがとう」と言いたい。
 当時の自分は、まさかこうして合計で2年半も海外に住み、世界中に多くの信頼できる友だちを作り、英語で1万字を超える卒業論文を書き上げて、首席で卒業できるなんて夢にも思わなかったからだ。

 もちろん、どれだけ過去の自分が強い信念を持っていたとしても、それを実現するための環境がなければ実現できなかったことは重々わかっているし、非常に恵まれた学生時代を歩んでいると常々思う。信念を持って努力をすることにより、良い環境に身を置くことができ、さらにそこで努力を重ねることでさらに良い環境を目指せる。このようなサイクルが、物事にはあるようにも思う。
 しかし、自分が目指したい環境が明確にわからなければ努力のしようがない。過去の秋間龍之介にとってはポスターを見て留学のことを知る機会がなければ努力は生まれなかったし、国際経営学部や大学で留学の可能性を知らなければ努力の方向が定まらなかっただろう。究極、それらのことを知らなければRoo Akimaは存在しない。つまり、情報に触れる機会が多い社会ほど、人がさまざまなことに挑戦しやすい社会である、ということだと思う。

 また、「Roo Akima」のプロジェクトのひとつに、中央大生の留学生にフォーカスした動画を制作する活動がある。これは、学部から「アクティブスチューデント奨学金」という形で在学中に支援をいただいているので、必ず成功させねばならないという使命感もある。

YouTuber への挑戦

サンフランシスコ周辺のビーチで撮影

 私がYouTuberとして最も広めていきたいのは、「自分が知らない新しい世界がある」、「それらに挑戦するために努力する・挑戦することはものすごく楽しい」、そしてその経験を通じてRoo Akimaのように「新しい自分に出会える」の3点である。動画編集未経験だった私にとっては、無理難題のようにも思えるが、撮影、編集など作業のフローが少しずつ定着し、数本の動画を公開している。軸足は固定しながら、多くの人に気楽に見てもらえるよう、エンタメ要素のあるコンテンツも用意して、徐々に「伝えたい3つのポイント」にダイレクトにアプローチする動画をあげていきたいと思っている。

  国際経営学部やアメリカ留学で身に付けた開拓者マインドを忘れず、「2年で登録者100万人」を目標に、「異文化体験×エンタメの世界」でこの活動に注力していきたい。

後輩の皆さんへ

 中央大学には、さまざまなリソースが数多く揃っている。他人の「常識」に振り回されず、自分が本当にしたいこと、それを見つけるためにサポートをしてくれる人が多い場所だとも思う。サポート体制が整っている環境だからこそ、中央大学に在籍する4年間は、自分が「常識」だと思っていることを疑ってみたり、そこから飛び出してみたりしながら、挑戦し続けてみるのはとても良いことだと思う。私がRoo Akimaと出会えたように、新しい自分に出会えるかもしれないからだ。特に、国際経営学部には、そのような機会が非常に多くある。学部は5年目を迎えるが、その文化が継承されればいいなあと思う。また、そのような文化を作り上げていけるような学生で溢れる学部に成長していくことを応援している。