「究める」では、大学院に携わる人々や行事についてご紹介します。今回は「大学院の授業をのぞいてみよう!」の2回目です。文学研究科・哲学専攻の「西洋現代哲学研究」(中村 昇(なかむら のぼる)教授)の授業の様子について、授業の概要と履修者の声を中心にお届けします。
授業概要
西洋現代哲学研究ⅠA・ⅡA(金曜2・3限)について
この授業は、2限~3限を通して行われています。2限では、レヴィナス哲学の解明を目標とし、レヴィナスの『全体性と無限』(Totalité et infini)をフランス語で読んでいます。同書の内容を理解できるよう、丁寧にじっくり読解していきます。担当者が訳読し、徹底的に議論します。3限では、ホワイトヘッド哲学について見通しをつけることを目標に、ホワイトヘッドの『過程と実在』(Process and Reality)を一文一文じっくり読んでいきます。非常に難解な哲学書であるため、2限と同様に、質問や議論を徹底的に行い、理解を深めることを目指します。
さらに次の週は、2限に、西田幾多郎の論文「場所」を読み、3限は、ウィトゲンシュタインの『哲学探究』(Philosophische Untersuchungen)を読んでいます。この二人の哲学者もまた、この上なく難解なので、時間をかけてじっくりと、質問や議論を重ねながら読み進めていきます。英語・独語・仏語、そして、西田のとても難しい日本語と、言語の面でも大変ですが、20世紀を代表する哲学者たちに正面から取り組み、じっくり読み解いていきます。
本日(6月17日)の授業風景
履修者の声
この授業を通じてどのような学びや発見が得られますか
田中さん
中村先生の授業では、西田、ウィトゲンシュタイン、レヴィナス、ホワイトヘッドを講読しています。後述するとおり、私はホワイトヘッドを中心に研究しています。そのため、ホワイトヘッドについては多少知っていましたが、西田とウィトゲンシュタインはずっと前に簡単な解説書を読んだことがあるくらい、さらにレヴィナスについては全く触れたことがありませんでした。そういった経緯もあり、毎授業を新鮮な気持ちで拝聴し、またときに質問をさせて頂いたりもしています。ここ2ヶ月くらいで、ほんの少しですが3人の思想の概要を知り、ホワイトヘッドや他の哲学者の思想と比較することを楽しんでいます。
鈴木さん
この授業の最大の特徴は、4人の哲学者を扱うことだと思います。通常であれば、1人の哲学者を扱うだけで手一杯になりますが、中村先生の博識と各哲学者を研究する院生の知識を生かすことで、この授業は成立しています。4人の哲学者を扱うと、これまでになかった知見を得ることができます。各哲学者を研究する人が、それぞれの立場から4人の哲学者を見ることで、自分では気づかなかった切り口で考えることができます。
上記とご自身の研究や将来とのつながりを教えてください
田中さん
私は、ホワイトヘッドの哲学を中心に研究をしております。彼の思弁哲学は、専門用語がとても多くさらに複雑で、そもそも図式を正しく把握することが非常に難しい思想であると考えています。そのため、授業ではまず、自分のホワイトヘッドの理解が正しいかどうかを一つずつ確認しながら進めることを個人的に意識しています。また、西田の哲学は、しばしばホワイトヘッドと比較される体系を持っています。そのため、西田についても、図式の正確な把握を念頭に置き、分からないところについては(初歩的であっても)出来るだけ質問をするよう心がけています。
鈴木さん
私は、4人の哲学者のうち、ウィトゲンシュタインという哲学者について研究しています。授業の中では、実に様々な角度から、ウィトゲンシュタインの哲学に対する意見が交わります。私はそこで、ウィトゲンシュタインの哲学に精通していない人の素朴な疑問や、鋭い意見を得ています。そうした疑問や意見は、私がどのように論文を書くべきかの道しるべになります。
学部と比べ、大学院での授業の特徴はどのようなところにあると思いますか
田中さん
学部の原典を読む授業は、学生が該当箇所を訳し、先生がその解説をする、その上で学生がわからない点を先生に質問する、というのが一般的な流れでした。一方、大学院の演習では、年齢や立場に関わらず、わからない箇所がある場合は質問を挙げ、それを参加者全員で検討する、というのが一番の大きな違いかと思います。多角的な読み方を知ったり、提案したりすることで、テキストのより深いところまで到達できるのが大学院の授業の面白さです。とくに、中村先生の授業の場合は、色々なご専門の方々が集まっているため、異なる専門の方からの質問や指摘によって、専門の哲学者を新たな見方で見ることもできます。
鈴木さん
それぞれの哲学者に精通している人が集まることが、大学院ならではだと感じます。はっきりとした研究分野をもっている人たちが集まることで、とても豊かな議論が生み出されています。
中村教授からのコメント
哲学の研究というのは、哲学者本人の懐深く入りこみ、その哲学者の考えを徹底的に読解していくことです。哲学においては、それをやらない限り、何も得られません。そのためには、とても面倒な作業ですが、哲学者本人が書いた本(評価の定まった「古典」といわれるもの)を、一頁一頁、一文一文、一語一語丹念に読んでいくしか方法はありません。その文章の裏面に至るまで(いわゆる「紙背に徹す」というやつです)読みこんでいく必要があります。そのための場が、この授業です。年齢も学年も専門も関係なく、それぞれが、ひとりの哲学徒として、真摯にテキストに対峙し、お互い遠慮なく議論する場が、この授業なのです。
※本記事は、2022年6月時点での内容です。