社会・地域貢献

教養番組「知の回廊」61「認知症の理解」認知症者を抱えるご家族の手記

中央大学 文学部 緑川 晶

認知症者を抱える、あるご家族の手記

匿名(番組制作で参考にさせて頂きました)

家庭介護を続ける母(大正9年生まれ)の病歴
認知症(高次脳機能障害)となったいきさつ

  • 13年前1月に風邪を引き、長引く中、本人曰く耐え難い頭痛が2~3日続き、1月30日真夜中に1階で暮らす父より、母の容態がおかしい、幻影をみているようだと2階で暮ら長女の私に連絡
  • すぐ救急車を呼ぶが、本人がしっかりしているので、朝になってから病院へとの救急隊員と押し問答のうちに血圧低下容態急変
  • 救命救急病棟へ搬送
  • 原因として、激しい頭痛が続いていたので、ヘルペス脳炎の可能性(新聞記事で知識があった)を思い起こし治療薬投入後、2週間の意識不明から、覚醒するが、記憶障害が残り、海馬の損傷によるエピソード記憶欠落が著しい高次脳機能障害と診断される。

以後、父(大正10年生まれ)が、介護の中心となり家庭介護中。倒れる前の母は、父が実質経営する会社のうちの1社の代表取締役として、主に経理を担当、平日は毎日半日ほど出勤し、夕方からスポーツクラブでトレーニングするのを日課にいたって健康的生活を送っていました。

1.介護方針

  • 当初、父は「半月もの意識不明の状態から、家でなんとか生活できるまで元気になったのだし、年も75歳。もう仕事・家事一切はやる必要はなく、自分と楽しく生活できればよい」との方針で、身の回りの世話は住み込みの介助のできる家政婦さんと二人でやると、宣言。
  • 2階に同居する私は、せっかく元気になったんだし身の回りのことぐらいはできるようにリハビリをさせたいと主張。
  • 結論は、母が父のそばにいるのを一番望み、父も自分が中心になって面倒をみることを強く望んだので、住み込みの家政婦さんを雇い、日中は気分転換のために週2・3回会社につれてきて社員たちと昼食をとるのが日課になった。
  • 私は、日中は仕事があるので平日はなるべく父母の6時の夕食に合わせるように帰宅し、軽く晩酌をする父の相手をしながら父の不満、また、家政婦さんの不満を察知して円満に行くようにする緩衝材の役割をするように心がける。

2.介護する上での苦労

  • 当初は、記憶の引き出しがうまく開かず、その場で開いた引き出しでものをいう母。
  1. 1.例1
    1. (1)朝食何食べた??
      (ア)納豆に焼き魚に卵焼き・みそ汁・ご飯といった典型的な和食
      (イ)パンにコーヒー・目玉焼き・サラダといった典型的な洋食
      (ウ)実際とは違う内容でもいかにも本当に食べた記憶のように語る
  2. 2.例2
    1. (1)どうやって病院にきましたか??
      (ア)電車に乗って一人で。
    2. (2)娘さんとは一緒に来なかったんですか??
      (ア)今ここであいました。
      (イ)実際は、父の運転する車で一緒に来院。
  3. 3.例3
    1. (1)父がしばらく留守をして帰宅した母と会ったときは
      (ア)機嫌がそれまでよい → 突然、父に“留守番のお手伝いさんにいじめられていた”と泣きつく。 
      (イ)機嫌が悪い → 機嫌がよくなり、同様に“いじめられていたのに助かった”とすがる。
    2. (2)実際は、穏やかに過ごしていたとしても、父は帰宅した母の言葉に翻弄され、当初は、母をおいて出かけたあとの家族の対応に不信感を持って家庭はぎくしゃくしていた。
  • だんだん、例1・例2を目の当たりで経験することで、父も母の機能障害を理解できるようになり、家庭介護は落ち着いてできるようになってきた。

3.介護の仕方の変化

  • 当初は、家庭介護だけでがんばっていましたが、母も父の保護・甘やかしのもとどんどんわがままになり、緑川先生のすすめでデイサービスを4年前より利用。
  • 当初は、気位も高く知恵の回る母は、デイサービスは途中で抜け出し迷子になったり、周りとなじめないだろうから無理と渋る父を、1日体験に二人で行ってみたらとすすめたところ、父も安心してデイサービスに頼めることを納得し、週一回から徐々に増やし、今では週三回利用するようになりました。
  • その間、父は安心して自分のやりたいことをできるようになった。
  • 母も、日中何回も現実と過去の世界を往復する中で、一番“学校に行く”ということを、口にしていたので、デイサービスを学校と自分で納得して、たまに送迎時間にパニック状態でバスに乗り遅れ別便で特別送迎ということはあるものの、喜んで通い家族の負担は大幅に削減されています。

4.上手なつきあい方

  • 我が家では、現実と過去を自在に行き来する母(地球人と宇宙人と呼んでいます)が、どの世界にいても無理に逆らわず、話を合わせるようにしています。特に、手が突っ張り顔もこわばり、目の焦点が定まっていないときは、反論するとますますエスカレートして、ひどい興奮状態になるので、そういうときは、一人にして隠れて見守り落ち着いた頃(5から15分)姿を現すことで、心細くなっている母を安心させる方法をとっています。
  • また、宇宙人状態の時でも、表情が穏やかで気持ちが落ち着いてきたらタイミングをみて、現実の87歳のおばあちゃんを認識させるようにしています。

どんな原因で認知症になったとしても、家庭介護の一番の問題点は、夜中の徘徊になると思います。母も、ご多分に漏れず夜中の徘徊はほぼ毎日で、寝ている父を起こさないと収まらないので、介護の中心にいる人は安眠できないのが共通の悩みだと思います。幸い母は、失禁はほとんどなく、また、夜中に食べ物をあさるといった行為がないので、何とか家庭介護を続けていられる状況だと思います。怪我・風邪という健康維持には一番気を遣っております。骨折しても自分はその記憶がないので痛み止めを飲めば忘れて動き回る、飲まなければずっと痛がる状況が続くのでこういう状況を作らないように始終行動を見守るのが大切な要素になっていると思います。