社会・地域貢献

受賞論文【優秀賞】国産木材の可能性を文化の面から考える

お茶の水女子大学附属高等学校 経済発展と環境チーム(2年 堀内 晴)

 「今の日本の森林は間伐をしていないために本来の機能を失いつつある」。これは今年の5月上旬、農林水産省林野庁を訪問した際に担当者の方がおっしゃったことばである。話によると、間伐を適度に行わないと古い木ばかりの森林になり、災害を防いだり二酸化炭素を吸収したりする役割が果たせなくなってしまうそうだ。私たちは、十分な間伐が行われていないのは、木を利用する機会が少なくなりつつあることが原因にあると考えた。そこで、時代による木材利用の変遷を通して、これからの国産木材のあり方について考察することにした。

 まず、これまで日本人はどのように「木」と関わってきたのだろうか。  縄文時代から人々は、石斧の柄にはヤブツバキ、弓にはカシ、住居にはヒノキやクリ、シイといったようにその性質を活かして木材を利用していた。(1)また、今から2000年ほど前、農耕文化の発達とともに定住生活が始まると人々は「住居を建てるため」や「炊事をしたり暖をとったり」するための燃材料として木材を利用するようになった。(2)さらに、いろりやかまどで使われた柴や薪の木灰は「無機質肥料として役立った」という。(3)

 しかし人々は、ただ「資源」としてのみ、木を見ていたのではなかった。例えば現在でも注連縄を巻かれた木に見られるように、日本では「昔から巨樹信仰があった」。(4)また舟材としても利用されていたクスノキは、「いい意味での神秘性を秘めている樹」または「不吉」な樹として『風土記』など古来の文書に多く登場する。(5)そして松や梅はめでたいものとされ、和歌や江戸時代の風景画によく取り入れられた。(6)

 このように、日本人は木を資材として積極的に利用する一方、木に対して親しみや神秘性を感じていた。物理的にも精神的にも、日本の文化はまさに「木の文化」であった(2)といえよう。

 現在も日本の木材消費量は「全世界の使用量の2パーセント強」であり、世界でも多いほうである。(2)しかし、10代~50代男女の40人に木に対する印象を聞いたところ、なんとなく「温かみある」「おしゃれ」と感じる人は多いものの、木への特別なこだわりは無いようであった。ここに私たちは、日本の木材自給率が低迷する理由の一つがあると考える。つまり、現代の人々は、木は「使えればいい」、すなわち「木=資源」というようにしか思っていないのではないだろうか。

 「使えればいい」と考える人が多いからこそ、国産材を使う理由が無くなってきていることも無視できない。国産材と輸入材を比較すると輸入材の方が安価であるため、わざわざ国産材を選ぼうとする人が少ない。現に日本は国内需要の約8割を輸入材でまかなっている。(7)

 ここで、日本が木とどのような関係を築いてきたのかについてもう少し詳しく見ていきたい。その関係をたどっていくと縄文時代以前まで遡ることができる。縄文時代以前には衣食住という生きていく上で必要不可欠な三要素を森林に頼る生活をしており、まさに「森林なしでは生きられない」状態だった。それが弥生時代以降になると、食料を稲作中心の農業に依存するようになる。その一方で、十九世紀まで日常的に使える資源は木と土と石のみに限られていた。中でも加工しやすい木は建築材や道具の材料、燃料として利用された。(8)このように、日本人は長い間木材に対して親しみや神秘性を抱いたと同時に、木を「生きるための術」として捉えていたことが分かる。ところが、近代に入ると国土の開発や戦時体制下での木材需要の増大に対応して、森林行政は木材生産を重視するようになる。さらに、昭和になると伐採が山奥にまで及び、加えて人口増加による里山の酷使が見られることもあった。その後も歯止めがかかることはなく、第二次世界大戦末期には軍事費の圧迫を受けた国家経済が木材産業に依存し、木材需要が高まった。そこで生じたのが乱伐である。しかもその先に待ち受けていたのは高度経済成長期、つまり伐採すればするほど売れる時代だ。(9)このように、近代を境目に木の位置づけが「商売道具」に変わってきたのである。

 ここまで述べたことだけを見ると、やはり伐採は悪いものだと思う人が多いはずだ。ところが、高度経済成長期に乱伐の影響で荒廃地となった土地もすっかり回復している。むしろ木が多く、間伐を必要としているほどだ。

森林が回復した理由に、1950~60年代のエネルギー革命や肥料革命といった社会変革がある。これらの変革で主なエネルギーは薪から化石燃料へ転換し、肥料は化学合成された窒素やリン酸などの森林を必要としないものが中心となった。(10)さらに、さまざまな木製品がプラスチックをはじめとした他の素材でできた製品に代わることも増えた。こうして木という素材は少しずつ遠い存在になってきているのだ。

 以上より、日本人は時代が下るにつれて木と疎遠になりつつあることが分かる。それは、プラスチックやガラスなどのように新しい素材が生まれたのも理由の一つではあるが、最大の理由は木をただの「素材」や「道具」としてしか見ていないからだと考える。そうして木に対してこだわりを持たなくなる。だから輸入材の利用が増え、国産材は衰退し、森林は機能を果たせなくなる。また、今日ではさまざまなメディアから世界中の多くの情報が流れてくる。「森林が過剰に伐採されたことで環境破壊が起きた」というようなニュースを耳にすると、そのまま情報を受け取ってしまい、「伐採=悪」と考える人が多いのかもしれない。その間違った情報の受け取り方も日本の森林の劣化を助長しているといえる。

 こうした状況の中、木材を適切に利用し、かつ森林の状態を向上させるにはどうしたらいいのか。私たちからは三つのことを提案したい。

 まず一つ目は、間伐材を割り箸として利用することである。箸の需要は高いため、割り箸の利用が広まれば間伐材の利用は大幅に促進される。また、割り箸を使うことは間伐材の利用につながるだけでなく、排水の削減が可能である点でも環境に良い。すでに国産間伐材を使った割り箸づくりを行っているJUON NETWORKでは、知的障がい者施設で製造を行うことで障がいのある人たちに仕事を提供している。(11)このような割り箸の良さやJUON NETWORKの取り組みが広まれば国産間伐材の利用促進につながるはずだ。

 二つ目は、木材ならではの性質を利用した製品を作ることだ。例えば、杉とヒノキの間伐材を液体にし、チョコレートの形にした消臭剤がある。これは見た目も良いため、多少高くても売れるのではないだろうか。このように、木材独自の性質を活かすことで「あえて木材を選ぶ消費者」の増加が期待できる。

 そして三つ目は、国産木材のブランド化である。ブランド化と一口に言っても、種類のブランド化とデザインのブランド化の2つが可能であると考える。種類のブランド化としては、間伐材を利用した製品につけることができる「間伐材マーク」という既存のマークがある(12)が、認知度はそれほど高くないように感じられる。このようなマークをつけた製品を企業側がアピールすることで消費者の目に留まりやすくする必要があるだろう。また、先にも述べたように、木に対して「おしゃれ」「温かみがある」という印象を持っている人が多いことが分かった。国産木材をペンなどの文房具や雑貨に利用し、国産木材を使用していることを積極的に示せば、「おしゃれな日本の木材」というデザインのブランド化にもつながるのではないだろうか。

 もちろんプラスチックにはプラスチックの、ガラスにはガラスの良さがある。それぞれの場面に応じて素材を使い分けることも大切だが、日本人が古くから心のよりどころとしても大切にしてきた木を使わないのはもったいない。すべての人の生活に関わりのある木だからこそ、もう一度木を「文化の一つ」として見つめなおす必要がある。

参考資料

(1)一般社団法人岡山県木材組合連合会 「岡山県木材連合ホームページ」
http://www.kaiteki-kinoie.or.jp/ (2017年8月12日参照)

(2)只木良也 『新版 森と人間の文化史』NHKブックス 2010年 45ページ

(3)只木良也 『新版 森と人間の文化史』NHKブックス 2010年 47ページ

(4)佐藤洋一郎 『クスノキと日本人 知られざる古代巨樹信仰』 八坂書房 2004年 179ページ

(5)佐藤洋一郎 『クスノキと日本人 知られざる古代巨樹信仰』 八坂書房 2004年 181ページ

(6)只木良也 『新版 森と人間の文化史』NHKブックス 2010年 64ページ

(7)久保田宏・松田智 『幻想のバイオマスエネルギー 科学技術の視点からバイオマス利用の在り方を探る』 日刊工業新聞社 2010年 5ページ

(8)太田猛彦 『森林飽和 国土の変貌を考える』
NHK出版 2012年 50ページ

(9)太田猛彦 『森林飽和 国土の変貌を考える』
NHK出版 2012年 128~129ページ

(10)太田猛彦 『森林飽和 国土の変貌を考える』
NHK出版 2012年 135ページ

(11)JUON NETWORK 「樹恩割り箸」
http://juon.univcoop.or.jp/chopsticks.html (2017年8月29日参照)

(12)農林水産省林野庁 「間伐材等利用の促進」
http://www.rinya.maff.go.jp/j/kanbatu/suisin/con_1_3.html (2017年8月29日)