
ハワイは全部の島を足しても日本の四国くらいの大きさです。当初8万人のハワイアンがいて、そこに3万人の日本人がやってきまた。戦争が始まったころには14万人の日系人がいました。アメリカではマイノリティでしたが、ハワイではマジョリティでした。しかし、マジョリティでありながら、ハワイ王朝やアメリカの憲法をとても大切にしながら生きていました。それが面白いところです。
特に日系一世は、1900年代にハワイがアメリカの領土になったときも、アメリカの憲法にのっとって子供を育てようと、アメリカの学校に行かせました。しかし、やはり日本人ですから、修身(第二次世界大戦前の日本の小学校における科目のひとつ)では、武士道やお茶など日本の文化を教えました。その中には、天皇制についてなどアメリカ人が嫌うような内容が入っていたものの、明治政府はとてもリベラルで、ロシアやアメリカの意見を取り入れた非常によくできた道徳の本だったと私は思っています。それをハワイで教えていたわけですが、それでも日本人やアジア人が嫌いな人々から叩かれました。「アメリカ人になるのなら、アメリカのデモクラシーとクリスチャニティーを勉強しなさい」と言われたのです。そこでハワイの日本語学校の先生方は集まって、1914年にハワイあるいはロサンゼルスで使用するための日本語テキストを作りました。ヘンリーフォードのエピソードを入れたり、写真もハワイやロサンゼルスのものを取り入れるなどし、差別されるのを先にブロックするよう準備していました。そして、絶えず改善を積み重ねていったのです。
日系人の地位確立に向けて
20世紀初頭になると、日系二世が大人になって大学に行き、医者になったり教員になったり、よい職業に就くようになりましたが、日系二世たちは政治には興味を持ちませんでした。そこで考えたのが奨学金の設置です。法律や政治を勉強するため、ハーバード大学やシカゴ大学に1919年~24年まで毎年1名、計5名送り出すというものです。その奨学金を経て学んだ日系二世たちが弁護士になり、最高裁の判事にもなりました。1924年には日本人の弁護士を2人輩出しています。その前に元年者の息子も1人弁護士になっていますから、すでに3人いたのですね。日系一世たちは、アメリカのデモクラシーや自由を信じたいから、自分たちの手でアメリカを変えるしかないと思っていました。それができるのは、弁護士や政治家ですから、日系二世たちに政治家になりなさいと説いたのです。
第2次世界大戦中、西海岸では12万人の日系人が強制収容所に入れられました。しかし、ハワイでは14万人の日系人のうち、たった3000人しか連行されませんでした。その理由は、長い間、様々な人種とうまくやっていこうと努力していたからです。当時、メインランドからやってきた白人のアメリカ人大将は日系人を守りました。日系人は誰もテロをしないし、スパイもしないし、アメリカの憲法にのっとって動いてきたからです。だからこそ、戦後アメリカの憲法を変えて、アジア人も市民権をもらえるようになりました。
世界情勢に敏感になり、行動に移すこと
戦争が始まる前にはすでにハワイでマジョリティになっていた日本人が、日本語学校を作り、そこで日本の文化を教えながらも、アメリカ人として頑張りなさいということを説いていました。武士道を教えながら、「アメリカ人なのだから、日米戦争が始まったら、すぐにアメリカ軍に入って、堂々と戦争しなさい」と、第2次世界大戦の16年前に講演している人たちもいました。このように、日系一世は世界情勢に非常に敏感に動いていて、それに現実的に対応していました。今の我々は、米軍基地問題などいろいろありますが、具体的な対応をしていません。皆さんも「こうしたらよい」と思ったら、実際に一歩踏み出して行動しないと、このような結果は出ないということです。
日系一世の心を受け継ぐ
ノーマン・ミネタ氏のスゴイところは、2001年アメリカ同時多発テロによって、反アラブの動きが強くなり、ブッシュ大統領が人種プロファイリングを作るよう指示したとき、それを断固として拒否したことです。「自分は幼いころに強制収容所に入れられた経験がある。アメリカも間違いを犯したのだから、今また同じことをしないように、みんなで止めよう。アラブ系アメリカ人はテロとは関係ない」と。そうした意味で、彼は歴史に学び、アメリカの人々をよい方向へ導きました。
また、エリック・シンセキ氏は、日系二世部隊、あるいはMIS(通訳)がどれほど重要な働きをしたかを説いています。442部隊がなぜたくさんの勲章をもらったのか。最近のインタビューのビデオで証言しています。普通の軍隊は、戦いでの勝利の後、休憩しますが、彼らは休憩しませんでした。常に最前線で次から次へと戦場に赴き戦ったのです。怪我をしても、友人のためにまた戦場に戻りました。それで最終的に勲章をたくさんもらったのです。
そうした中、最近認められたのが通訳兵です。彼らの集めた情報のおかげで、アメリカは2年早く戦争を終えることができました。日系人は皆、アメリカへの忠誠心と人権や正義のために戦い、あきらめず進み続けました。これは今、我々にとって一番必要なものです。日系一世は、二世をそのような人間に育てました。二世は一世の思いを受け継ぎましたが、三世、四世になるにつれ、そうした信念が薄れてきているのも事実です。そこで近年、ハワイ日本文化センターを作り、日本人の辛抱強さやおもてなしの心を学べるようにしました。日本のよいところとハワイのよいところを取り入れるためです。
今、皆さんはそんな場所にいます。ハワイで日系二世、三世に出会ったら、いろいろな話を聞いてください。そして日本に帰ったらおじいちゃんやおばあちゃんから話を聞いてください。そして過去と今をつなぎ、未来へのよいアイデアを生み出す、そんな人間になってほしいと思います。