同じ学び舎で切磋琢磨した者同士の絆は深い

在学中は兎にも角にも、ひと一倍良く勉強して、良くアルバイトして、良く遊びました。特に無類の旅行好きで、当時アルバイトで得た給与で、オーストラリア、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、韓国、中国などを訪れ、各国の実際の経済・政治状況や歴史、民俗・文化等を実際に自分の五感で嗜むことができました。
私の旅行好きは社会人になった今でも健在しており、中国に来てからはかねてからの念願であった欧米諸国(アメリカ、イタリア、フランス、スイス、オーストリア、ドイツ)や、近隣アジア諸国(インド、バングラデシュ、カンボジア、ラオス)へも仕事やプライベートで足を延ばしました。さらに、暇さえあればリュックを背負っては中国各地の名勝スポットを目指し、ユネスコ世界遺産に至っては、中国国内44カ所のうち22カ所を今までに訪れました。これらはただ自身の見聞を広められるだけでなく、会話のキャッチボールの切り札・緩衝材になったり、時には業界人・クライアントから現地の経済・政治状況についてアドバイスや見解を求められたりと、ビジネスをよりスムーズに展開させるための潤滑剤にも十二分になり得ます。
また、大学の同期や先輩・後輩には、社会に出てから困難な局面に直面した際などに、必ずや相互扶助の必然性を実感させられることでしょう。特に異国の地では時代・ロケーションこそ違えど、同じ思想・理念に基づく学び舎で切磋琢磨した者同士として、年代を越えた想像以上の共通認識が生まれるものです。社会人になると自主的もしくは業務の一環として、貴重な時間とお金を費やしてまでも、MBAやEMBAなど各種プログラム、トレーニング・セミナー、また、商工会や校友会、同郷会等のコミュニティーへ積極的・強制的に参加をする機会が出てきます。自己啓発やスキルアップ、プロフェッショナルとしての素養アップという意義ももちろん前提としてありますが、実にその多くは人脈構築・維持を視野に入れた意図が見え隠れしております。
現在学生の皆さんは、授業やゼミ、部活動、サークル等で普段何気なく接している教授や先輩・後輩、仲間達との絆を、今まで以上に意識して築き、維持していくことを強くお勧めします。現代社会では、SNSサイトやチャットアプリなどの発達のお陰で、お金をかけずとも国家・地域や年代を超えてのコミュニケーションが可能であり、我々が学生であった時代と比べても非常に便利になってきています。繋がりを作る・保つための努力や時間を惜しまない人が、より多くのビジネスチャンスを手に入れているケースが散見できます。ビジネスは個人プレーではない場合がほとんどです。学生時代からより有効に人脈とツールを活用できる習慣を身につけられるよう心がけていると、社会に出てから、職場や取引先・お客様との人間関係やタスク捌き・管理等で困らないと思います。
転機は突然に。中国大連のDELLへ転職

在学中、オーストラリア短期留学時代、ルームメイトだったイタリア人弁護士と
大学在学時に夏季休暇を利用してオーストラリアへ短期留学をしたことをきっかけに、ワーキングホリデーというワーク・ライフスタイルを知りました。その影響からか、在学中の就職活動はただ漠然と“海外で働きたい”という大変大雑把なスタンスにとどまり、将来的な自身の理想像を見据えた具体的な方向性確立のためのアクションは極めて乏しく、特段長期的なゴール設定はありませんでした。併せて、私が卒業した2004年当時は就職氷河期の真っ只中にあり、新卒で入社後すぐに海外赴任・出向などをさせてくれる企業も皆無に近かったと記憶しています。
そんな中、ワーキングホリデーのように、自身の費用で海外現地入りする方法が突如頭を過ぎりました。しかしながら学生時代にアルバイトでたくさん稼いだはずの給与は、すべて自身の趣味である旅行、車・バイクに消えてしまっており、纏まった資金が手元に残っていなかったことから、“海外で働く”という目標実現のため、短期間でより高額の所得が獲得できる業界・職種を求め、佐川急便のセールスドライバー職に挑戦しました。先ずは目先の短期的な目標設定として、1~2年以内を目途にフライトチケットや現地における当面の住居・生活費用など、渡航準備資金を確保すべく、それこそ文字通り盆暮れ正月も休みなく昼夜走り続けました。
丁度仕事が板についてきて、ようやく上司や同僚、お客様に認められ始めた頃に転機は訪れ、当時の担当顧客であったDELLの従業員の方より、“中国大連で齋藤さんのように若く、明るく、そして元気のある仲間を探している。ぜひとも一緒にDELLを盛り上げていきましょう”とお声掛けを頂きました。正直、当時私の目標としていた海外のエリア想定はあくまでも英語圏であり、ましてや大学での第二外国語もフランス語であったため、中国語のまったくできない私には意表を突くオファーでした。それでも私が中国行きを決断した理由は至って単純明快、雇用者側でフライトチケットを支給してくれ、就業時間内に無料で中国語、さらには英語の授業を提供してくれるという、海外勤務を希望する私にとっては自己出費も抑えられ願ったり叶ったりの好条件だったからです。しかも世界的にも有名な外資系企業での勤務が可能ともなれば言うことはありません。ついに卒業2年目の2006年冬、雪の降りしきる中国大連へと降り立ちました。
その後、DELL在籍時に中国における生活・ビジネスの基礎力や中国語力を身につけ、上司や同僚・知人の紹介など縁があって、IBM、Accenture、hpなどのグローバル企業よりお声掛けを頂き、 何れも素晴らしい上司、チームメンバーに恵まれ、幸運にもプロジェクトマネージャーやトランジッションマネージャーなど幹部社員の側近・右腕として基幹業務に参画させて頂きました。このように年齢や経験のみに捉われず、すべての従業員に均等な機会を与えられることも海外勤務における醍醐味の一つだと言えます。
中国での企業存続は柔軟かつスピーディーな決断と対応がキーに
現在はフリーランサーとして、主に中国大陸における外資系企業(メーカー系メイン)や、現地の総合商社、SI会社、コンサル会社、会計事務所、弁護士事務所など、多岐にわたる各々のプロジェクトや案件ベースにて労働契約や顧問契約を交わし、在中国日系企業・日本人を対象とした市場開拓(営業・マーケティング活動)・進出支援や、日本支社の立ち上げ等をサポートさせて頂いています。プロジェクトは長いもので2~3年、短いものでは半年~1年というものがその多くを占めています。
昨今は中国経済の急速な発展に伴ない、物件費や人件費、材料費・生産コストの高騰化は不可避、それらに起因した労働争議への発展・収束、技術・製品競争力低下等が極めて顕著な課題で、撤退や業務規模・経営範囲を縮小せざるを得ない日系企業も残念ながら出てきています。合資形態など共同経営の結果、ローカル系企業が着実に技術・資本力を獲得してきており、特有の政治的問題等と対峙したうえ、アウェーで純粋に肩を並べ犇めき合わなければならない現況下に置かれています。企業存続のためにはそれこそ社運を掛け、現地調達化比率逓増やオートメーション化、中国内販へのシフト・フォーカス、第三国への移転など、柔軟かつスピーディーな決断と対応がキーとなります。日本が世界に誇れるサービス・クオリティー・セキュリティーレベル等のプロセスやシステム、ソフトウェアの開発・導入、それによる全体的底上げ・差別化実現を図り、クライアント様にとって最小限の投資で、最大限の効果を実感して頂けるよう日々精進しています。また、チームワークを何よりも重視し、メンバー同士がお互いに支え合い、成長し合える環境作りに全力を尽くしています。
“郷に入っては郷に従え”を常に意識

hp時代、中国全国各地をひたすら掛け巡りました。仕事中の使用言語は、中国語60%英語30%日本語10%の割合
言葉の問題だけではなく、商習慣・文化の違いで、日本での当たり前がここ中国ではまったく通じないケースに未だに日々直面しています。中国に来るまではグローバルスタンダードというものを日常で意識したことがありませんでした。なぜなら日本と同じように世界中の人々が捉えてくれていると勝手に信じていたからです。日本は良く言うと繊細、悪く言うと過剰な独自スタンダードをもっていますが、世界中の大多数の国家・国民はそこまで求めていないという驚愕の事実を知らされます。
たとえば、業務上のメールのやりとり。日本ではメール受信後○時間(○○分)以内に、先ずは先方よりメールを受信した旨、また見積等別途回答が必要な場合は、見込回答所要時間(日数)等を伝えるメールなどを返信するのが暗黙のマナー・共通認識かと思っていましたが、当時の中国では、待てども待てどもなかなか返事が来ない。当初“果報は寝て待て”なのだろうと前向きに考えていましたが、酷い場合には1~2か月前の連休の際に設定した“Out Of Office”の自動返信メールが平然と返ってくるケースも。サーバーやネットワーク通信状況が不安定な地域・環境であれば、なおさらメールが正常に到達したのかどうかと心配になり、緊急案件などで翌日までレスポンスが得られない状況では、確認や催促の連絡を入れてしまう。このようなケースでは相手から、今やってるのに…しつこい奴だと思われ、逆に邪険に扱われたこともしばしば。もう一つ仰天エピソードに、両親に生涯怒られたことがない超箱入り娘のチームメンバーが業務中にガムを噛みながら、ヘッドホンで音楽を聴きながら仕事をしているのを注意したら、即日両親から苦情の電話を受けたこともあります。私の常識は、相手の非常識。そんなことが良くあります。中国の大学生は一人っ子政策の影響(恩恵)もあり、非常に勤勉でそのほとんどが在学中アルバイトをしません。ですので、新卒は本当の意味での社会人経験ゼロとなります。履歴書にExcel・Wordエクセレントレベルと記載があり、いざ使ってみてもらうと、Excel画面を開きながら電卓片手に指折り苦戦中…。何てことも往々にあります。従って、トレーニングやミーティング、マニュアルによって認識のシェアから始まる場合もありました。
また生活編では、傘は1~2日で壊れるもの。傘がなかなか壊れなかったら、傘を作る人(含原材料サプライヤー)、運ぶ人、売る人、直す人の仕事がなくなってしまう。そういう見方や考え方もあります。それがこの国のスタンダードであれば、1日もたずして骨が折れてしまった傘にはそれ以上何も求められないし、誰にも一切文句は言えません。日本はどうでしょうか。衝撃や振動・擦れ・汚れに強く、壊れ難いものを作ること、それが企業や職人のプライドやCSRであり、またそれを所持・使用できることが消費者にとっては時と場合によってはステータスともなり、また社会的身分など外部的判断材料の一部にさえなり得ます。中国でも近年丈夫で機能性を備えた実用的な傘が高級デパートで良く売れるようになってきています。その他にもいろいろな発展途上国を訪れた時に、現地の人々のメインの移動手段が、自転車が電気自転車になり、スクーターになり、オートバイ・自動車になる変化の過程を見ると実に趣深いです。
中国に来てからは、現地の人も良く口にする“郷に入っては郷に従え”を常に意識するようにしており、状況によってはこの国で生活する以上、“日本(人)のため”だけでなく、“中国(人)のため”に便宜を図り決断することも十分にあり得ます。もちろん日本人としてのアイデンティティを忘れた訳ではなく、自社・自身の利害関係の判断こそがビジネスの根本であり、生きていく上での礎なのです。そういう意味でグローバル人材の育成は非常に重要で、日本(人)はこれから幾多の窮地に立たされた場合に、自国の産業や雇用を守るために、より広い視野と知識を持ち備え、様々なリスク回避・分散をできる手段・判断力を習得することが求められてきます。そのため、学生時代より自国に限らず常に正確でタイムリーな情報収集に努めましょう。
終わりのない航海は始まったばかり

上海の夜景スポット。租界時代の金融街、外灘(バンド)にて
中国の地における7年半以上にわたるビジネスや生活を通していろいろな国・地域・民族・宗教の仲間たちと出会い、様々な企業・プロジェクトを通して経済理論やIT・業務ツールの応用・活用による業務プロセス見直しや改善、コスト削減などの重要性を全身で敏感に捉え、凄まじい経済成長の渦中で辛苦艱難してきました。今後は、これらの経験を活かし、さらなる世界経済の発展を担うべく、スペシャリストを目指して自己研鑽に努めたいです。長期的な目標としては、日中両国さらには第三国間において、経済発展状況や段階、人口構造の変化等に応じたビジネスチャンスを模索し、そこから最終的には民間交流や地域社会の発展に貢献可能なスキームを構築することです。そのためには働く場所には極力捉われず、自分自身の存在価値が最大限評価されるところを追及し、あと30余年の現役時代を誰よりもエンジョイしたいと考えています。
最後に、家族や親戚、友人の存在意義や有り難さや、日本という国家・日本人の本質を実際に日本を離れることによって初めて再確認することができました。また、2011年11月11日に中国版公認会計士を目指す上海人妻を現地調達(笑)し、今週末に最終1科目の受験を控えて机に向かう姿に刺激を受けながら、当面は中国での生活を享受したいと考えています。
中国は外国でありながら日本からの距離は非常に近く、羽田-上海間のフライトであれば2時間半~3時間程度であっという間に着いてしまいます。日本国内旅行とさほど変わりません。最近は出張や私用で幸いにも毎月1回の頻度で日本へ帰国できておりますし、現地には日本食レストラン、日系のデパート、スーパー、コンビニも非常に多く、何ら不便のない生活をしています。むしろ日本より過ごしやすいとさえ感じる時が有ります。是非チャンスのある方は、海外に実際に足を延ばしてみてください。必ずや人生や価値観を変えるきっかけとなる何かを得られると確信しています。百聞は一見に如かず、私の終わりのない航海はまだまだ始まったばかりです。
プロフィール
齋藤 航(さいとう わたる)
卒業後、佐川急便にてセールスドライバー職を経て、幼少期からの夢であった海外での就業を諦めきれず、06年中国大連に渡航。DELL、IBM、Accenture、hpなどのグローバル企業におけるリーダー・マネージャー職などを経て、現在はフリーランスにて外資系企業の支社・部門立ち上げや立て直し、日系企業の中国進出・撤退・清算の支援等を手がける。中国歴は8年目。