「中大スポーツ」新聞部
陸上競技部・第93回東京箱根間往復大学駅伝競走2区
2017年01月05日
1月2日 鶴見~戸塚
堕ちた名門 復活への第一歩
今年の箱根駅伝に中大としての出場はならなかった。予選落ちした大学から一人ずつ選抜される学生連合として、堀尾謙介(経2)が出場を果たした。個人、チーム共に記録には残らない、オープン参加となる。 堀尾の任された区間は2区。各校のエースが集い、華の2区とも呼ばれるエース区間だ。堀尾は最下位の位置でタスキを受け取り、想定外の単独走となってしまった。その影響もあって本来の力を発揮できず、2区を走った選手の中で最下位のタイムでのタスキリレーとなった。しかし、今回の経験を生かし来年中大のメンバーとして帰ってくることを誓った。堀尾の目は力強く前を向いていた。
▲力走する堀尾
以下、堀尾コメント
――走りを振り返って
自分としては集団走を意識してずっと練習してきたが、1区での遅れによって単独走をするしかなくなった。藤原監督にも「23㌔を最後までもつ力はまだない、だから集団をうまく使っていけ」と言われていた。けれど、それができず、自分の力を発揮できなかった。コースを知ることができたのは自分にとって大きなことだったが、やっぱり自分自身の走りをすることができなかったのは悔しい。
――走るにあたってどのような気持ちで臨んだか
自分しかチームで走れないから、中大を目立たせるような走りがしたかった。でもそれが出来なかった。来年出直すしかないという気持ち。
――チームメイトや監督からかけてもらった言葉は
舟津からは行ってこい、失うものは何もない、だから気をわずにいけと言われた。藤原監督からは朝にLINEで気楽にいけ、かましてこいと言われた。この言葉をかけてもらったことで心が軽くなったし、自分の走りをしていこうと思えた。
――今回は中大としては一人での箱根駅伝になった。そんな中で他の中大メンバーの存在はどうだったか
出発前にメンバーが寄せ書きをしてくれた色紙をもらった。それが本当にうれしかった。そのことで1人で戦っているのではないと思った。走路員のメンバーも途中のところで顔をあわせてくれたりして、嬉しかったし力になった。チームメイトは大切だなと思った。
――給水地点でかけてもらった言葉
権太坂の田母神一喜(法1)からは自分の力を出し切れと言われた。15キロ地点の小林寛太(経2)からは自分のペースでいけと言われ、力になった。
――学生連合の他のメンバーとは
LINEのグループがあるので、そこで本番がんばろうと話した。
――箱根駅伝に自分の学校として出場している選手たちとの差は
1つの学校で戦っているのと各校のエースが出てというのではタスキの重さが違うと思った。次の走者が自分の学校のメンバーかどうかというのは気持ちの面で、ラストスパートがどれだけ粘れるかっていうのが違うと思った。
――来年に向けて足りないこと
1人で走る力がまだ足りない。来年(度)の予選会でも外国人選手についていく場面があると思う。だからその力を予選会までに身につけていきたい。
記事・写真:「中大スポーツ」新聞部