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自閉スペクトラム症における多様な症状に関与する中間表現型を理論研究から予測~知覚・記憶・注意等に関わる神経細胞の働きに注目~
2023年11月07日
概要
中央大学文学部心理学専攻の髙瀨堅吉教授は、大阪大学大学院人間科学研究科の野尻英一准教授との共同研究により、自閉スペクトラム症の多岐にわたる症状を包括的に説明しうる中間表現型注1)として「硬直性自律位相連鎖(Rigid-Autonomous Phase Sequence, RAPS)」の存在を理論的に予測しました。「中間表現型」とは、遺伝子と遺伝子が関与して起こる症状とのあいだに現れる状態などのことで、遺伝性がある、量的に測定可能である、精神障がいの弧発例において精神障がいや症状と関連する、などの条件を満たすものです。
現在、自閉スペクトラム症の病因として、遺伝子、神経系、内分泌系のさまざまな異常が報告されていますが、発症に至る明確な要因は特定されていません。
本研究グループは今回、神経可塑性注2)の基礎理論とされる「ヘッブの理論」を拡張し、単一の知覚・記憶対象の表現に関わる神経細胞の集団(細胞集成体)同士の連絡(位相連鎖)に注目しました。その結果、精神疾患研究における中間表現型であるRAPSを自閉スペクトラム症の中間表現型として新たに提唱し、同疾患において起こる多様な症状はRAPSの存在を仮定すると包括的に説明することが可能であることを示しました。具体的な理論検証のひとつとして、同疾患の患者では、一度知覚された対象と類似の対象を知覚する際に、位相連鎖ではなくRAPSが生じて同じ細胞集成体が活動しなくなるために、本来ならば類似の対象として認識されるものが「異なる対象」として認識されることを例証しました。
理論的な検証をさらに進め、RAPSが自閉スペクトラム症における記憶、注意、認知、運動の異常に関与しうることを論証しました。本研究成果を元に、今後、RAPSの存在と発症のメカニズムが証明されることによって、自閉スペクトラム症の新たな治療法の開発につながることが期待されます。
本研究成果は、2023年11月1日(米国東部時間)付で米国科学的心理学会(Association for Psychological Science)の機関誌『Perspectives on Psychological Science』のオンライン版で公開されました。
研究者
髙瀨 堅吉 中央大学文学部 教授 (人文社会学科心理学専攻)
野尻 英一 大阪大学大学院人間科学研究科 准教授(基礎人間科学講座)
論文情報
出版社名・雑誌名 | Perspectives on Psychological Science, SAGE Publications |
タイトル | Understanding Sensory-Motor Disorders in Autism Spectrum Disorders by Extending Hebbian Theory: Formation of a Rigid-Autonomous Phase Sequence |
DOI | 10.1177/17456916231202674 |
研究内容
1.背景
自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)は、1)社会的コミュニケーションや社会的相互作用の持続的な障がい、2)行動、興味、活動の制限された反復的なパターンを特徴とする精神神経疾患で、症状は発達早期に現れて社会的、職業的、その他の重要な機能に重大な障がいをもたらします。ASDは単一の遺伝的要因によって引き起こされるわけではなく(American Psychiatric Association, 2013)、多くの遺伝子の比較的小さな寄与によって引き起こされる(Waye & Cheng, 2018; Wiśniowiecka-Kowalnik & Nowakowska, 2019)ことが先行研究で報告されています。また、患者の脳に形態学的異常(Casanova et al., 2003; Levitt et al., 2003; Herbert et al.2004)が見受けられることや、社会脳注3)の活動パターンが定型発達者とは異なる(Frith & Frith, 2010)ことも明らかになっています。
ASD患者の認知機能における典型的な障がいとしては、心の理論注4)の欠如や共同注意の障がいなどがあり(Baron-Cohen et al., 1985; Dawson et al., 2004; Werner & Dawson, 2005)、その他の症状として、以下の知見が示されています。
●感覚過敏や感覚低下などがある(American Psychiatric Association, 2013)
●「知覚学習の般化」に障がいが認められる(Harris et al., 2015)
●時として数年以上前の出来事を思い出し、その想起した内容を、あたかもそれがつい先程のことのように経験する「タイムスリップ現象」が認められる(Sugiyama, 1994; Tochimoto et al., 2011)
●患者では注意欠陥が報告されている(Fournier et al., 2010)
●患児は定型発達や知的障がいの子どもに比べて、感覚刺激に注意を集中し、注意を離すことが難しい(Sabatos-DeVito et al., 2016)
●患児は定型発達の子どもに比べ、選択的注意や視覚運動能力に障がいがある(Brandes-Aitken et al., 2018)
●患者は運動技能において顕著な全般的変化を示し(Fournier et al., 2010)、患者の80-90%は、ある程度の運動障がいを示した(Hilton et al., 2012)
ASDの病因として遺伝子、神経系、内分泌系のさまざまな異常が報告されていますが、発症に至る明確な要因は未だ特定されていません。
2.研究内容と成果
髙瀨・野尻の研究グループは今回、神経可塑性の基礎理論として1949年に提唱された「ヘッブの理論」を拡張し、ASDの多岐にわたる症状が包括的に説明可能な中間表現型の存在の予測を試みました。
ヘッブの理論は、当時説明が不可能であった「知覚学習の般化」、「注意機能」、「運動等価性」という現象を説明するために考案され、現在も、その理論について実験的検証が進められています。この理論では細胞集成体、位相連鎖と呼ばれる2つの概念が示され、その前提として「ヘッブ則」が提唱されています。細胞集成体とは、脳内、主として大脳皮質内において単一の知覚・記憶対象の表現に関与する機能的な細胞の集団であり、位相連鎖とは、細胞集成体間の相互作用を指します。
例えば、正三角形を知覚する際に、細胞集成体A、B、Cは内角60度の頂点の知覚に反応して活性化します(上図)。これらの細胞集成体の間で位相連鎖が起こると、直線(辺)の知覚が生じ、正三角形としての知覚が確立されます。三角形の内角の角度が同じ60度であれば、三角形の大きさが変わっても、同じ細胞集成体が活動し、これにより、通常、人はこれら大きさの異なる正三角形を「類似の三角形」として知覚します。つまり、細胞集成体は三角形の頂点という知覚要素に反応して活動しますが、細胞集成体間の柔軟な位相連鎖が要素間の接続を担っているため、辺の長さが変化しても図の3つの三角形を類似のものとして知覚する「知覚学習の般化」が起こるのです。ヘッブは、「知覚学習の般化」の機序をこのように考えました。
近年、Harrisら(2015)がASDの症状として「知覚学習の般化」が困難になることを報告しています。髙瀨・野尻の研究グループは今回、この現象を説明するためにヘッブの理論を拡張し、「硬直性自律位相連鎖(Rigid-Autonomous Phase Sequence: RAPS)」という中間表現型の存在を仮定しました。RAPSとは、位相連鎖が変化したものであり、特定の知覚、運動、思考の基礎となる細胞集成体間の結合の可変性が損なわれた状態を指します。この具体的な理論検証のひとつとして、大きさの異なる正三角形を知覚する際の細胞集成体間の位相連鎖の可変性に着目しました。ASDの患者では、細胞集成体間の位相連鎖の可変性が低下しており、その結果、三角形の頂点に反応して活動する細胞集成体同士が強く結合して解かれず、一度知覚された正三角形と大きさの異なる正三角形を知覚する際に別の細胞集成体を形成するため、「知覚学習の般化」が起こらないのだと例証しました。同じ細胞集成体が活動していないため、ASDの患者の脳では前者の正三角形と後者の(大きさが異なる)正三角形が「異なる三角形」として認識されていると予測できます。
RAPSは、現在の精神疾患研究のおける中間表現型にあたります。本研究では、RAPSがASDの中間表現型だと仮定することで、ASDのさまざまな症状が説明可能かを理論的に検討し、その結果、「知覚学習の般化」の障がいだけでなく、注意の固定、運動等価性(行動の柔軟性)の欠如というASDに特徴的な症状をRAPSによって説明しています。また、認知機能における典型的な障がいとして報告されている心の理論の欠如についてもRAPSを中間表現型と仮定することで、その症状の機序が説明可能であることも示しています。
3.今後の展開
今回、研究グループはASDにおいてRAPSという中間表現型の存在を提唱することで、ASDの多岐にわたる症状が包括的に説明可能であること示しました。RAPSの存在が証明されれば、根治につがる治療標的となりえます。また、ASD以外の精神神経疾患もRAPSおよびRAPSから派生した中間表現型を仮定することで、多様な症状を包括的に説明可能であるとも考えており、今後、RAPS形成理論を基盤とした理論研究が進展すれば、現在、治療が困難となっている精神神経疾患の全容解明につがることが予想されます。しかし、1949年に提唱された位相連鎖が測定可能とされたのは2014年であり、実証に向けた測定技術の進歩が今後の課題となっています。
●この研究成果のもととなった研究経費(主管庁、配分機関等)、研究種目、課題番号、課題名など
科学研究費補助金(文部科学省)、挑戦的研究(萌芽)、19K21612
科学研究費補助金(文部科学省)、基盤研究(C)、19K03368
JST 共創の場形成支援プログラム JPMJPF1234
用語解説
注1)中間表現型
①遺伝性がある、②量的に測定可能である、③精神障がいの弧発例において精神障がいや症状と関連する、④長期にわたり安定である、⑤精神障がいの家系内で精神障がいを持たないものにおいても発現が認められる、⑥精神障がいの家系内では精神障がいを持つものでは持たないものより関連が強い、といった条件を満たすもの。
注2)神経可塑性
外界から入ってきた刺激に対して、神経系が構造的あるいは機能的に変化する性質のこと。
注3)社会脳
自己を他者が脳内でどのように表現するかという脳内表現や、両者がかかわる複雑な社会的環境の処理を担う脳領域の総称。コミュニケーションを介して社会的な協働生活を営む人間を含む動物にとって、仲間との協調・共感や競争は必須であり、社会脳は、その営みに必要な機能を司っています。
注4)心の理論
ある状況に置かれた他者の行動を見て、他者の考えを予測し、解釈することができるという心の働きを指します。通常、心の理論は4~6歳で獲得されますが、自閉スペクトラム症の患者ではこの獲得時期が遅れるか、もしくは獲得されづらいと言われています。
<研究に関すること>
髙瀨 堅吉 (タカセ ケンキチ)
中央大学文学部 教授(人文社会学科心理学専攻)
TEL: 042-674-3845
E-mail: ktakase782◎g.chuo-u.ac.jp(◎を@に変換して送信してください)
野尻 英一 (ノジリ エイイチ)
大阪大学大学院人間科学研究科 准教授(基礎人間科学講座)
TEL: 06-6879-8076
E-mail: nojiri◎hus.osaka-u.ac.jp(◎を@に変換して送信してください)
<広報に関すること>
中央大学 研究支援室
TEL 03-3817-7423 または 1675 FAX 03-3817-1677
E-mail: kkouhou-grp@g.chuo-u.ac.jp