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イヌ用人工血液(人工血漿)を開発-ペット医療に革命、市場は世界規模-

2023年06月14日

概要

 中央大学 理工学部 教授 小松晃之の研究グループは、イヌ用人工血液(人工血漿)の開発に成功しました。血液は赤血球、白血球などの細胞成分(血球)とタンパク質、ビタミンなどが溶けた液体成分(血漿)からなります。血漿中にはタンパク質「アルブミン」*1が豊富に存在し、血液の浸透圧や循環血液量を維持する役割を担っています。人間の場合、献血液から分離したアルブミンは製剤化され、臨床で広く使われています。しかし、イヌの場合、原料となる血液を確保することができないため、これまでイヌ用のアルブミン製剤はありませんでした。今回、小松らはブタの血漿から取り出したブタアルブミンに合成高分子ポリオキサゾリンを結合することにより、「ポリオキサゾリン結合ブタアルブミン(POx-PSA)」を合成し、それがイヌに投与可能な人工血漿(血漿代替物)になることを明らかにしました。さらに、慶應義塾大学、東海大学、埼玉医科大学、東京大学と共同でPOx-PSA溶液の安全性と有効性も確認しました。これはペットの輸血治療における画期的な発明であり、動物医療に大きく貢献するものと期待されます。
 本研究成果は、シュプリンガー・ネイチャー(SPRINGER NATURE)社のオンライン総合科学雑誌 サイエンティフィック・リポーツ(Scientific Reports)誌(2023年6月14日付)に掲載されます。

【研究者】

小松 晃之 中央大学理工学部 教授 (応用化学科)

【発表雑誌】

SPRINGER NATURE社、Scientific Reports 2023, 13, in press
論文タイトル ”Polyoxazoline-conjugated porcine serum albumin as an artificial plasma expander for dogs”
 

【研究内容】 

1.背 景
 日本はイヌ・ネコ飼育頭数1590万頭を超えるペット大国であり1)、その数は人間の子供(15歳未満)の人口(1435万人)をはるかに上回ります2)。また、ペットの高齢化も進み、動物医療に対する需要は年々高まり続けています。しかし輸血治療については、そもそもイヌ・ネコの献血輸血システムが確立していないため、未だ充分な体制は整っていません。
 血液は血球(赤血球、白血球などの細胞成分)と血漿(タンパク質、ビタミンなどが溶けた液体成分)からなります(図1)。血漿中に最も豊富に存在するタンパク質であるアルブミン*1は、血液の浸透圧や循環血液量を維持する重要な役割を担っています。人間の場合、献血で集められた血液から分離したアルブミンは製剤化され[アルブミン製剤(血漿分画製剤)]、臨床で広く使用されています。肝臓の異常に伴うアルブミン産生の低下や、腎臓の異常によりアルブミン濃度が低い状態(低アルブミン血症)になった患者にアルブミン製剤を投与します。他にも、敗血症、肝硬変に伴う難治性の腹水、難治性の浮腫、重い熱傷の治療にも使います。アルブミン製剤の代わりとなるもの、つまり人工血漿としては、ヒドロキシエチルデンプン(HES)製剤などがありますが、血液凝固障害、腎機能障害、糖質分解酵素上昇などの副作用を起こす心配があります。
 一方、ペット(イヌ・ネコ)の場合、ペット用アルブミン製剤(例えば、イヌ血液から分離したイヌアルブミン製剤や、ネコ血液から分離したネコアルミン製剤)は存在しません。人間と同じように低アルブミン血症になったペットには、その動物の血漿を入手して投与するしかないのです。しかし、イヌ・ネコの血漿を安定的に確保するのは困難です。HES製剤を使用することもありますが、血中からすぐに排泄されてしまいます。

 

2.研究内容と成果 
 イヌ・ネコに別の動物のアルブミンを投与することはできないのでしょうか? 例えば、容易に入手可能なものにブタのアルブミンがあります。しかし、ブタアルブミンはイヌ・ネコにとって異種タンパク質であるため、抗体が産生され、再投与された際に副作用を起こす危険性があります。それを回避する方法として、タンパク質の表面にポリエチレングリコール(PEG)*2という合成高分子を結合し、抗体が産生されないようにする技術があります。PEGは生体適合性に優れた水溶性高分子として知られます。ところが近年、PEGを結合した酵素を投与した患者の体内で、PEGに対する抗体(抗PEG抗体)が産生されることがわかってきました。抗PEG抗体が存在すると、投与されたPEG結合製剤は速やかに体外へ排出されてしまいます。
 小松らは、ポリオキサゾリン*3という合成高分子をブタアルブミンの表面に結合することで、「ポリオキサゾリン結合ブタアルブミン(POx-PSA)」を合成し、それがイヌに投与可能な人工血漿になることを見出しました(図2、3)。ポリオキサゾリンは生体適合性が高く、免疫原性を持たない非イオン性の(電荷を持たない)水溶性高分子です。また、PEGと同等またはそれ以上の優れた特性を持っています。
 本研究で得られた成果は、ペットの健康増進に多大な貢献をもたらすばかりでなく、動物医療全体、さらには我々人間の生活にも大きな波及効果を及ぼすものと期待されます。
 以下に、研究成果のポイントをまとめます。
●ポリオキサゾリン(分子量:5000)をブタアルブミンに共有結合したポリオキサゾリン結合ブタアルブミン(POx-PSA)を合成し、
 その構造を明らかにしました。製造工程はわずか2段階で、収率は高く、特殊な装置は一切必要ありません。
●POx-PSA溶液は凍結乾燥することで粉末となり、得られた白色粉末は1年以上安定に保存できます。水に溶解し再生したPOx-PSA溶
 液は、凍結乾燥前とまったく同じ性質を示します。
●POx-PSA溶液はPSA溶液よりも高いコロイド浸透圧*4を示します。これは体内に投与した際、組織から水分を引き込み、循環血液量
 を回復させる効果に優れることを意味します。
●POx-PSAの血中半減期[15時間(ラット)]は、POxを結合していないPSAの2.1倍に延長し、長い血中滞留性を有することがわかり
 ました(東海大学、埼玉医科大学共同)。
●POx-PSA溶液をラットに投与してもPSAやPOxに対する抗体は産生されないことがわかりました。一方、同じ条件で、PEG結合PSA
(PEG-PSA)溶液を投与すると、抗PSA抗体や抗PEG抗体が産生されました。(慶應義塾大学共同)
●循環血液量の50%を脱血したラット(出血性ショックモデル)にPOx-PSA溶液を投与すると、脱血により低下した血圧、心拍数、pH
 などは脱血前の値に回復し、臓器にも影響を及ぼさないことが明らかとなりました。この結果は、POx-PSA溶液が出血性ショック状
 態の蘇生液として有効であることを示しています。(東海大学、埼玉医科大学共同)
●POx-PSA溶液をイヌに投与し、その安全性を確認しました。(東京大学共同)
●POx-PSA溶液は、その副作用を引き起こさない原理から、イヌのみならずネコにも投与可能な人工血漿になるものと考えられます。

3.今後の展開 
 長期保存可能なイヌ・ネコ用人工血漿が、溶液あるいは粉末として動物病院に常備され、いつでも供給できる体制の確立は、獣医療にとって長年の夢でした。大量需要にも即応でき、ウイルス感染の心配もなく、どのイヌ・ネコにも使用できる人工血漿の市場範囲は、先進国・新興国を含む全世界規模に及ぶと予測されます。
 POx-PSA製剤の用途・利用分野は広く、イヌに発症するタンパク質喪失性疾患(例えば、タンパク喪失性腸症、タンパク喪失性腎症、低アルブミン血症など)、手術時の出血による急激な血圧低下などに広く使用できます。また、ドナーからの輸血を待てない緊急時にもきわめて有効と考えられます。POx-PSAは、これまで手立てのなかった病態の治療を可能にする画期的な発明であり、動物医療に革命をもたらすと期待されます。

引用データ
1)ペットフード協会、令和4年(2022年)全国犬猫飼育実態調査
 https://petfood.or.jp/data/chart2022/index.html
2)総務省統計局HP(2023.6.12)
 https://www.stat.go.jp/data/jinsui/index.html

 

用語解説

*1:アルブミン
 動物血漿中に最も多く存在する単純タンパク質。ブタ血清アルブミンの分子量は66,800。血漿中にあるタンパク質の約60%を占める。血液の浸透圧維持や各種内因性・外因性物質(代謝産物や薬物など)の貯蔵運搬の役割を担っている。

 

*2:ポリエチレングリコール

*3:ポリオキサゾリン

*4:コロイド浸透圧
浸透圧の一種で、動物の循環系において主としてアルブミンの濃度によって生じる血漿の浸透圧。

【お問い合わせ先】 
<研究に関すること>
 小松 晃之(コマツ テルユキ) 
  中央大学理工学部 教授(応用化学科)
  TEL: 03-3817-1894(応用化学科事務室)
  E-mail: komatsu◎kc.chuo-u.ac.jp(◎を@に変えて送信してください)

<広報に関すること>
 中央大学 研究支援室 
  TEL 03-3817-7423または1675,FAX 03-3817-1677
  E-mail: kkouhou-grp@g.chuo-u.ac.jp