2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」に加え、被災地域に9月21日〜23日にかけて降り続いた 「令和6年9月能登半島豪雨」により再度甚大な被害を受けた地域を支援するため、下記の通り石川県輪島市および能登町にてボランティア活動を実施しました。
◎日時:2025年8月27日(水)~29日(金)
◎場所:石川県輪島市、能登町
◎宿泊:黒川温泉セミナーハウスやまびこ
◎内容:復興支援活動として、倉庫の整理・片づけ、アクセサリー作り、森の整備活動
◎参加人数:本学学生14名、教職員2名
◎企画・運営:中央大学ボランティアセンター
◎共催:日本財団ボランティアセンター
◎協力団体:株式会社ぶなの森
◎参加学生の声(一部抜粋)
・このボランティアに参加する前は、地震のような災害は、人々の日常生活を奪い、命さえも奪うようなもので、失われるものしかない存在であると考えていたが、実際には得られるものも存在したという現地の方々のお話を伺い、自分は震災というものを多角的にみることが出来ていなかったことに気づいた。確かに、震災によって人と人とのつながりは形成されるし、今後同じような震災が発生した場合に落ち着いた行動を取ることも出来る。特に、人と人とのつながりについては、現地の人たちが、互いに協力しながら作業に取り組んでいる姿を間近で見ることで、非常に大切なものであると今回改めて感じた。私自身、これまで人とのつながりをあまり意識したことが無かったが、今後は、人とのつながり、信頼関係を構築していくことを意識しながら日々生活していこうと感じた。
・私は「現地に行かなければ分からない状況や、人々の思いや考えを知りたい」と思い、今回の活動に参加しました。飛行機から見た景色は、最初はただの美しい山と畑の風景にしか見えませんでした。しかしボランティアを通じて、その風景の中で暮らし、活動する人々の情熱や工夫の数々に触れることができました。特に印象に残ったのは、多くの方々が「失ったもの」ではなく「新たに得られたもの」に目を向け、未来を見据えて活動していた点です。その姿を見て、能登は確かに復興へと歩んでいるのだと感じました。震災から1年半が経った能登は、被害の爪痕こそ残っているものの、決して壊滅的な状況ではありませんでした
。それは、現地の方々と、ボランティアをはじめとする多くの人々のたゆまぬ努力の賜物だと思います。ここからさらに復興し、新しい能登へと歩んでいくために、私にできることは「関わり続けること」だと強く感じました。この経験、この学びを忘れず、支援としてだけでなく、旅行という形であっても、現地との関わりを持ち続けることが大切だと考えています。
・私たちが体験した作業を週に数回、長期的に行うことはとても大変なことだと思います。今回は3日間限定で比較的にモチベーションが高いこともあったので、やり切る事ができましたが、実際は少人数で行うとなるととても大変な作業だと思ってしまいました。
また、もう一度能登に行きたいなと思いました。というのも本当に自然が美しい。関東郊外ではアスファルトで舗装された道くらいしかなく、土でできた道、林道などはほとんどありません。そうした味わうことが難しいであろう圧倒的な自然がそこには当たり前のようにたくさんあります。また夏もとても過ごしやすく夜は涼しく星も綺麗。そんな場所です。そういった特別な場所を維持し続けるためにも、また能登に行きたいと思うようになりました。そういう意味で、なぜ能登にボランティアで人が集まるのか肌感覚で理解できた気がします。
・事前に作業はなんとなく想像していたが、実際にはその想像をはるかに超える様々な作業が存在しており、震災の被害というものの深刻さ、複雑さを身に染みて感じるとともに自分の考えの浅はかさを痛感した。現地の方々や長く働いていらっしゃるボランティアの方々から様々なお話を伺ったが、特に印象に残っていることの一つが、資金よりも人手が足りていないということだ。確かに日本の社会自体少子高齢化の労働人口減少があったり、不景気もあり人々に余裕がないのも事実だが、ボランティアに興味がある人は学生を中心に多いと思うので(今回の応募数的にも)コーディネーターさんの頑張り次第では復旧や復興の大きな助けになると知った。それに関連して、「震災は何かを失うだけではなく新しく得られるものもある」という言葉も深く印象に残っている。中でも震災の影響で、これまで男尊女卑の傾向が強かった中で、女性の声がこれまでよりも聞き入れられるようになった、など、良い変化もあることを知ることができた。「これが能登の最後のチャンス」「これを逃したら能登はもう終わり」といったニュアンスの言葉も聞いた。まさに少子高齢化で過疎化が進む日本の農村のリアルを痛感した。
以上

