ローカル香港を知るために

私は現在、香港に住んでいる日本人を対象としたタウン情報フリーマガジンを発行している会社に勤めていま す。2001年に設立された会社で、本社は東京にありますが、マガジン発行は中国拠点のみで行っています。香港以外に、中国の大連、北京、上海と、全部で 4支店あり、香港での一回の発行数は約3万部です。
私がこの会社を選んだ理由は、海外――特に香港を知りたいという気持ちが強かったからです。 6歳から14歳まで香港で育ったのですが、インターナショナルスクールに通っていたこともあり、香港にいながら日本人社会や西洋人社会に浸かった生活をし ていました。そのため、日本で香港ブームがあった時、流行していたウォン・カー・ワイの映画を見ても、友人から香港の話を聞いても、今ひとつピンと来なく て、自分は全くローカルな香港を知らないという事実に気づかされました。
もう一度香港に戻って、香港を知りたいと思ったのです。海外に目が向いたと同時に、自分の生い立ちについても気になり始めました。幸い、そんなバックグラウンドが生かせる今の会社に巡り合う事ができました。
仕事で“やりがい”を感じる瞬間

ビューティーサロンを取材中のひとコマ。取材は主に英語で行う
今の会社では、編集長として雑誌に関わること全般を管理しながら取材・原稿執筆までを担当しています。読 者から「面白かった」と言われるのが嬉しいですし、特に、自分が扱った記事を読んだ読者の、その後のアクションに影響を与えることが出来た時、非常にやり がいを感じます。
自分が育った香港という街は、かなり限定された場所でしたが、今、私は当時とは全く違う香港に住んでいます。香港のことをさらにもっと知りたいし、香港にこれから暮らす人にも、香港のさまざまな面を知ってもらいたいと思っています。
そして今は、もう一つ別のミッションがあります。
入職して4年半になり、私にも香港人の部下ができたのですが、この部下の成長を見ることが楽しいと感じています。もっとうまく教えられたら……という別の楽しみができました。
「生きること」について真剣に向き合う学び
中央大学総合政策学部は、先生も学生もとにかく熱い人が多かったという印象です。事例研究の担当教員だっ た中沢新一先生は――思考で問いかけるような感じで、講義での学生への接し方はややクールなところがありましたが、研究は熱かったですし、早川先生やサド リア先生、和栗先生は、学生に訴えかける熱い講義をしていました。ほかのゼミは知りませんが、私が所属していたゼミでは、研究する内容や発表するテーマ が、個人の体験と紐付いたものばかりでした。とてもプライベートなことから学習が始まるのです。たとえば、どこかの国の何かに関する問題であっても、自分 に関連する――本当に自分の体験から出発すること、それに結び付ける人が多かったです。研究や勉強というよりはむしろ、「生きること」について真剣に向き 合う学びだったと思います。
これに対し、「大学は専門を学ぶ場所だ」と、批判する人もいるのでしょうが、私は、成長の速 度は人によって違うと考えています。18歳の私は、その段階で何か一つ専門を選んで学べと言われたとしても、キャリアに役立てられたかは疑問です。。総合 政策学部では、物の考え方だったりアプローチの仕方だったり――専門的な知識よりも、その考え方を学ぶことができました。正直、それがあれば、どんな専門 も後から学べると確信しています。
教えることが自分の勉強にもなる
私はどちらかというとクールなタイプだったので、熱い先生や友人が周りにいないと、自分を出しきれない傾向がありました。その面でも、大学時代に彼らから受けた影響は非常に大きかったです。
印象に残るエピソードがあります。
ある先生が授業を英語で行っていたのですが、私に対して、「あなたは英語ができるんだから、 学生に教えてあげなさいよ」と言ってきたのです。同時に、教えることが自分の勉強にもなるとも言われました。総合政策学部には帰国子女が何人かいて、その 子たちと一緒に、当時必須だったTOEFL500点を取れていない子に対し、英語を教えるプログラムがありました。私は決して率先して行動するタイプでな かったのですが、そんな環境の中で、自分も人に与えられるものがある、与えなくてはならないと自覚するようになりました。
海外を知ったうえで、日本でシンプルに暮らす

取材先は香港にオープンした最新のショップからローカルの老舗や、さまざまなイベントまでと幅広い
香港に来たもう一つの理由は、中途半端な自分をどうにかしてから日本に戻りたいと思ったからです。日本に いる時は常に周りに「帰国子女」と言われ続けました。自己主張が強いなど、「帰国子女だね」と。中学生の時からずっと、自分が社会人になってまでそんな風 に言われなくてはならないところに、日本に対する息苦しさを感じたのも事実です。それならばいっそう「外人」と言われるくらい、外国のことをわかってから 帰国して戻りたい――そう思いました。
でも、本当の私は、いたってシンプルでささやかなものに憧れています。
将来は日本の田舎で暮らしてみたいです。私のゼミの先生は、民俗学の研究もしていましたが、私も非常に関心を持っています。昔から受け継がれている文化に感動するし、そういうものを見るのが好きです。将来は海外を知ったうえで、日本の文化の中で暮らしてみたいです。
プロフィール
大塚 佳菜(おおつか・かな)
東京都出身。6歳から14歳までを香港で暮らし、2006年、中央大学総合政策学部政策科学科卒業(総合政策学部9期生)。2008年までの約2年間、東京で動物専門の映画等の映像をアーカイブし、関連の映画祭を催しているNPO団体に所属し、その後、コンシェルジュ香港に転職し、現在に至る。