大学院

【究める vol.145】文学研究科で学術シンポジウム「考古・歴史資料が語る古代ユーラシアの食と住」を開催しました

2024年08月08日

「究める」では、大学院に携わる人々や行事についてご紹介しています。今回は、文学研究科で実施した学術シンポジウムについて、当日の様子や各講演の内容やコメント、参加した大学院生からの参加記をお届けします。 

学術シンポジウム「考古・歴史資料が語る古代ユーラシアの食と住まい」について

文学研究科の小林謙一教授(日本史学専攻)・阿部幸信教授(東洋史学専攻)の主催、中央大学人文科学研究所の共催および小林謙一教授の科研費の協力(科学研究費22H00019・20H05814・19KK0017)のもと、「考古・歴史資料が語る古代ユーラシアの食と住」と題した学術シンポジウムを、2024年7月13日(土)10:00~16:30に中央大学多摩キャンパス3号館(3351教室)にて、Zoomを併用したハイブリッド形式で開催しました。

内容としては、近年、新たな発見が続く考古資料をもちいて、日本、韓国、中国、シベリアを中心とした先史・古代ユーラシアとその周辺にあたる中近東、ヨーロッパの食性と定住化・集住化をめぐる歴史を読み解くもので、講師2名、コメンテーター8名によるシンポジウムを行いました。対面およびオンラインでの参加者を合わせて、のべ40名ほどの参加があり、質疑応答まで大盛況のうちに終わりました。

本記事には、当日のプログラムや各発表の概要を掲載しています。参加した大学院生による参加記も掲載していますので、ぜひご覧ください。

当日のプログラムおよび各講演・コメントについて

当日は、次のプログラムで実施されました。各講演の概要と講演に対するコメントについては、以下のPDFファイルからご覧ください。
 

<各講演の概要と講演に対するコメント>

講演1およびコメント1~2の概要はこちらからご覧ください
講演2およびコメント3~8の概要はこちらからご覧ください

 

開  会  小林謙一(中央大学)
講  演1 先史中国における文化の変遷からみた食生活 
      周立剛(シュウ リツゴウ)(河南省文物考古研究院研究員)
      (通訳:廖昀(中央大院生))
コメント1 戦国秦漢の食と住 阿部幸信(中央大学)
コメント2 魏晋南北朝時代の食と文化 
      胡鴻(コ コウ)(北京大学歴史学系教授(魏晋南北朝民族史、社会史))

昼休憩

講  演2 韓半島における先史古代の食と住 
      林尚澤(イム サンテク)(釜山大学校考古学科教授・釜山大学校博物館長)
      (通訳:廣瀬雄一(釜山大学博物館))
コメント3 先史時代における韓半島と日本の漁業 廣瀬雄一
コメント4 先史日本列島における食と住 遠部慎(人文研客員研究員)
コメント5 先史極東ロシアからみた食と住 國木田大(北海道大学)

休憩

コメント6 先史中近東における食と住の様相 下釜和也(千葉工業大)
コメント7 先史ヨーロッパにおける東アジアとの共通性 
      Simon Kaner(サイモン ケイナー)(セインズベリー日本芸術研究所所長)
コメント8 ユーラシアにおける土器利用―食と住を巡って-小林謙一 

全体質疑・質疑応答

シンポジウムに参加して

廖昀さん(文学研究科 東洋史学専攻 博士後期課程2年)

この度、通訳として2024年度学術シンポジウムに参加させていただき、いろいろな時期・地域の人の生活について大変面白く拝聴しました。

周立剛先生は中国河南省西南部を切り口として、先史時代における中国人の食生活の変遷を述べ、その講演のキーワードはやはり「南稲北粟」という食糧作物の分布の特徴であると思います。この言葉が教科書にも何回出てきて、私自身もそれが「常識」だと、漠然に認識しており、南北の境界線にあたる地域の食生活についてほとんど考えていませんでした。周先生のご講演を拝聴した後、この地域の飲食習慣の変化と人口流動との関係性と、この関係性はどうのように科学技術考古の方法によって示されたことがわかりました。先史時代の文化の変容を考えた時、それが一つの大きなヒントになると考えています。

阿部幸信先生と胡鴻先生は、各々異なる歴史資料に基づいてコメントをされました。長沙呉簡の内容はほぼ該当地域の状況に限定され、しかも戸籍・納税関係の内容が多いですが、当地の物産を研究する絶好の史料だと考えています。阿部先生は呉簡の文字に限らず、実地の状況も含めて考え、「丘」の形態・徴収されたもの及び人口の流入の相互関係を提示され、非常に興味深いと感じています。また胡先生も同じく人口の流動に注目し、食生活の変化の視点から、改めて魏晋南北朝時代の社会風習や法令頒行を観察しました。今まで政治・制度のみに注目して研究をしている私にとって、胡先生の視点は非常に重要であると痛感しました。

今回のシンポジウムでは主に「食と住」という極めて日常的な話題をめぐってさまざまな課題を検討しましたが、「食と住」は孤立的に存在しているものではなく、環境・気象・政治など、多くの要素と関連していると思えてきました。

奈良部大樹さん(文学研究科 日本史学専攻 博士前期課程2年)

本シンポジウムへの参加により、様々な刺激や、教示を得ることができました。そのうち、印象に残ったことを記したいと思います。

まず、今回は様々な国・地域の研究者との交流の場として、大変価値があったと考えます。私は他言語に疎いため、残念ながらあまり交流できませんでしたが、同じくユーラシアの土器利用を考える研究者として、今後互いに刺激を与えあっていくことが重要と感じました。

一方で、文献史学的な研究成果の意義を、私自身適切に理解できなかったと痛感しています。今回のような形態のシンポジウムの開催・参加によって、相互理解が深まるのではないかと考えます。

交流、相互理解という点では、今後の開催時に、パネルディスカッション等があるとさらに活発な意見交換ができるのではと感じました。これにより、国、地域、時代の違う研究テーマの対比や、問題意識の明確化が図られると思います。

今回のシンポジウムも大変勉強になりましたが、今後同じテーマで開催される場合、より大規模なシンポジウムを望みます。特に先史時代中近東や植物考古学、文献史学の研究者をさらに招聘することで、テーマの掘り下げが図られると考えます。

伊佐治康生さん(文学研究科 日本史学専攻 博士前期課程1年)

近年における古代アジアとユーラシアの食と住をテーマとした発表をお聴きし、各国の研究状況や自国の現状についての理解を深めることへとつながりました。テーマでは、周立剛先生の先史中国における文化の変遷からみた食生活の研究や林尚澤先生の韓半島における先史古代の食と住に関する研究を中心とし、それらの発表に対して関連するような形で他の研究者の発表が進められていました。中国や韓半島における先史時代の研究とともに、日本列島の食と住のテーマが展開されており、自身の中で日本列島の当時の様子を俯瞰する姿勢が形成されるに至りました。

どの地域においても、先史時代の食糧事情や文化の変遷にあたって当時の自然環境や気候が大きく関係していることが確認されました。廣瀬雄一先生の韓半島と日本の漁業や國木田大先生の先史極東ロシアの食と住に関した発表などから自然環境の状態により、当時代の社会構造や組織、生業形態、資源利用などに変化が促されることを理解しました。また、生業に関わるテーマであることから、周立剛先生の先史中国におけるイネの炭素や窒素、安定同位体の調査や遠部慎先生の西日本を中心とした先史日本列島における貝塚に伴う骨や貝殻などの動物遺存体の調査が進められており、今後も盛んに研究が進められていくことが想像されました。普段は自身の専門性に目を向けており、あまりそれ以外の専門分野や海外の考古学の現状について触れる機会は少ないです。しかしながら今回のシンポジウムに参加したことで、古代アジアとユーラシアにおける考古学の現状に対する問題関心を育むこととなりました。シンポジウムを通して得た世界の研究状況や研究に対しての理解について踏まえつつ、自身の専門分野に役立てていきたいです。

佐藤駿輝さん(文学研究科 日本史学専攻 博士前期課程1年)

私は普段、小林謙一教授の下で日本考古学に取り組んでいます。私が在籍する中央大学大学院では大学院開講の授業のほか、単位互換制度によって比較的多くの他大学院の講義を受けることができ、日本考古学の様々な分野に対して理解を深めることができます。しかし、それでも日本列島外の先史文化について触れる機会は多くなく、古代ユーラシアの文化が国と地域を超えて議論された今回のシンポジウムは大変新鮮な刺激となりました。

一点、興味深かった話題を紹介します。千葉工業大学地球学研究センターの下釜和也さんの発表では、西アジアにおける土器の成立に関する言及がありました。下釜さんによれば、西アジアの土器は農耕の開始を受け、栽培植物の種子を保存するために誕生したと考えられているといいます。一方、東アジア最古級の土器を考えてみると、青森県の大平山元Ⅰ遺跡出土無文土器が暦年較正年代で15,320~16,540cal BPという結果を得られていることが思い出されます。この結果によって土器の誕生が氷河期の最終氷期に遡ることが明らかにされたものです。その後、長江流域などユーラシア大陸東岸域でこれと同等やさらに古い土器の発見が相次いだことで、東アジアにおける土器の誕生は従来考えられていたような完新世以降の温暖化傾向に伴う植物質食料との関わりではなく、氷河期における違った理由での誕生が考えられるようになりました。「土器」という点では同じですが、それらが違った使用目的で誕生している事実は、土器に限らず、遺物を扱う上で示唆を与えるものであると感じられました。しばしば考古学では用途不明の遺物に対して民族学的類推が行われますが、今回の土器の例は民族例の適用が安易に行われるべきものではなく、使用痕分析を始めとした検証を前提に行われるべきことを表しているように思われます。

以上をはじめ、本シンポジウムでは様々な学びを得ることができました。貴重な勉強の機会を与えて下さった主催の小林謙一教授、阿部幸信教授および、御講演下さった先生方に感謝いたします。ありがとうございました。