学部・大学院・専門職大学院

岩手県岩泉町と山口県美祢市における洞窟観光開発の比較調査

文学部人文社会学科 社会情報学専攻 3年
金井 渉

概要

・テーマ設定の理由

 私は大学のサークル活動で「Caving Club」という洞窟探検のサークルに所属しており、サークル活動を行っていく中で洞窟を観光資源として利用して大きく成功している洞窟があるのに対し、多くの洞窟は細々と営業しているという現実があることを知った。その中で成功している洞窟はどのような取り組みを行っているのかという事に興味を持ち今回の活動を行うことにした。

 また、私の将来の夢は観光業界なのでそれに向けて、観光業の現実を実際に見ることができるということも活動を行うことにした大きな理由である。

・調査方法

 日本で最も観光客の訪れる秋芳洞が位置する山口県美祢市と最近、話題になることが増えてきた龍泉洞が位置する岩手県岩泉町で洞窟に関わる方へのインタビュー調査をすることで洞窟の観光開発にどのような取り組みを行っているのか、洞窟についての専門的な知識について教えていただき、ガイドの方には洞窟を実際に案内して頂くことでどのような特徴が洞窟にあるのか、どのような人が洞窟に興味を持つのかについて調査する。

 また、地元の資料館や博物館を訪れることでその地域の特徴および保護の活動などについて調査し、洞窟の観光開発の歴史についても調査する。

・インタビューについて

 岩泉町と美祢市、両地域において洞窟に関わる方にインタビューを行った。インタビューを行うことでより専門的な洞窟についての情報や洞窟に関わる取り組みなどについて調査した。

 ガイドの方には、洞窟ガイドとしての経歴、経験、洞窟にくる方々についての情報、洞窟の形成や特徴について聞き取りを行った。行政の方には観光客を増やすためにどのような取り組みを行っているのか、またこれからどのような取り組みを行っていきたいかについてインタビューを行った。美祢市役所でもインタビューを行う予定だったが体調不良で断念したことは非常に残念でした。

 調査を行うにあたりお忙しい中、インタビューに答えてくださった皆様に心から感謝を申し上げます。また、岩泉町で調査に快く協力を申し出てくださった岩泉町副町長の中居健一様にもこの場を借りてお礼申し上げます。

 岩手県岩泉地域

  ・安家洞地底ガイド 大崎善成様

  ・安家洞管理人   工藤恵美子様

  ・岩泉町役場経済観光交流課 中川英之様

 山口県美祢地域

  ・NPO法人秘境研究会 洞窟ガイド 中野茂樹様

  ・美祢市役所 体調不良の為断念

・活動計画

 

8月15日 夜行バス、東京発
16日 盛岡着岩泉町へ移動 岩泉町役場、安家洞地底ガイドインタビュー調査
17日 龍泉洞調査、安家洞未公開部分調査
18日 氷渡洞未公開部調査、岩泉町立図書館文献調査
19日 東京新宿駅着
9月 5日 東京発
6日 山口着 美祢市へ移動
7日 景清洞、大正洞調査 図書館文献調査
8日 秋吉台エコミュージアム資料・文献調査 秋吉台カルスト地形調査
9日 秋芳洞調査、秋吉台科学博物館調査
10日 東京新宿駅着

第一章

・岩手県岩泉町での実地調査

安家洞

歴史

 安家洞は大正時代からその存在をしられており、古くから地元住民の遊び場になっていたが、1959年に日本洞穴地下水研究会が龍泉洞探検のついでに調査したところ、総延長4700m以上の洞窟であることが判明、また名称も「底無し穴」、「祝井沢の穴」と呼ばれていたのを「安家洞」に改名された。1960年代には調査が活発に行われ、総延長も8000m以上に伸び、1964年には佐々木義綱氏によって観光開発がスタートした。

 しかし、1970年に日本セメント株式会社が安家洞の上で試掘を行い洞窟への悪影響が懸念された為、1971年には安家洞の保護活動が広く行われ、1975年には国の天然記念物に指定され、1978年に石灰岩の採掘は禁止という事が発表された。同じ年に安家洞は一度閉洞となったが、1994年に安家洞開発有限会社によって観光洞として再オープンした。その後も調査は続けられ現在では総延長23700m以上の日本最長の鍾乳洞となり、2012年には三陸ジオパークに指定された。

巡検

安家洞の総延長は日本最長の23700mだが一般に公開されているのは洞口から500mまでの地点となっている。今回は安家地底ガイドの方に同行して頂き観光洞の奥の部分も案内して頂いた。

安家洞は洞口から天井は1.6m程度でくねくねとした道が続き「迷宮型鍾乳洞」と呼ばれるだけあり、観光洞の部分にも支道が非常に多い洞窟となっている。「迷宮」や「校長先生の泣き所」といった分岐があり間違った方に行かないようにと柵がしてある。このような構造になった原因として石灰岩の間にチャートと呼ばれる岩石が入ることで石灰岩の溶けやすさが場所によって異なることとなり複雑な洞窟になるそうだ。確かに洞窟の壁を細かく確認すると岩石が異なっているところが確認することができた。

洞窟内には「一の関」、「二の関」、「三の関」と呼ばれる天井が低い所があり、三の関を抜けると安家洞一の見どころである神殿と呼ばれる鍾乳石が非常に発達した地点にでる。安家洞の一般に公開されている部分は鍾乳石の色は泥で汚れてしまっている部分が多くあるがこれは安家洞が日本の中でも非常に古い鍾乳洞であることがあげられるそうだ。

その先は「万年柱」、「ペンギン岩」などの名所があり観光洞部は終了する。安家洞は事前予約をすることで観光洞部のさらに奥に進むことができ、今回は西本洞を通り、奥本洞を見学し東本洞で戻ってくるというコースで見学させて頂いた。観光洞の奥は照明が無く地面も整備されていない自然のままの鍾乳洞を探検することができる。但し、昔は観光洞の奥から200m程度も公開されていたそうだ。

先に進んでいくと千枚皿と呼ばれる立派なリムストーンプールが現れる。その先に進むと「岩手の辻」と呼ばれる地点に着く。ここで西本洞と東本洞に分岐する。西本洞は鍾乳石の発達はあまり見られないが、落盤帯のホールなど比較的広いホールが存在する。500m程洞内を進むと「模型火山」と呼ばれる地点に到着しここが「奥本洞」、「東本洞」との合流地点になる。

今回は奥本洞に進み「洗身の池」と呼ばれる地底湖を確認し引き返した。「洗身の池」はエメラルドグリーンの水の色を湛え非常に神秘的であった。洗身の池を潜ることでさらに奥の未発見部が存在する可能性もあるそうだ。

奥本洞を引き返し、今度は「東本洞」に入ると「槍千本」と呼ばれる石筍が大量にぶら下がった地点に到着する。東本洞は西本洞と異なり鍾乳石の発達が著しく美しい光景が広がっている。こうなった原因は東本洞の方が新しい地層で洞窟の崩壊が進んでない為と考えられる。更に進むと「早野池」と呼ばれる池に到着する。この池は渇水期には水深は膝丈程度だが増水すると1.5m程の水深になり通ることができなくなり1960年代の調査の時の難所となったそうだ。早野池を抜けると「安家富士」と呼ばれる名所にたどり着く。ここは鍾乳石の白さが際立っており非常に美しい景観になっている。安家富士を抜けると「岩手の辻」に戻りここから洞口に戻っていくことになった。

安家洞は日本で一番長い鍾乳洞だけあり、今回調査し地区以外にも「山内新洞」や「高月新洞」、「砂山連洞」、「瞬華洞」などの様々な支洞があり、これらの総延長が23700mで、今回連れていって頂いた西本洞から奥本洞、東本洞は2300m程度に過ぎないそうだ。安家洞は非常に複雑な構造をした鍾乳洞で途中の分岐が多く又、洞内も歩ける広さの通路が続いていくような形の鍾乳洞であった。また、「山内新洞」などは調査を進めることでさらに奥が続いている可能性があり、今後ドローンなどを用いた調査を行っていきたいそうだ。

安家洞の特徴としては最低限の照明と舗装で最大限自然のままの環境を残そうとしている点であろう。観光洞の部分では「神殿」を除き鍾乳石の発達はあまり進んでいるわけではないが様々な種類の鍾乳石を観察することができる。また、鍾乳石との距離が近いという点でも素晴らしい鍾乳洞であろう。

氷渡洞

歴史

氷渡洞は岩泉町安家にある全長3902+αの長大な洞窟である。氷渡洞は古くから存在を知られており「バクチ穴」、「氷渡の穴」と呼ばれていた。1963年に立命館大学探検部によって奥へと進む道が発見され1965年以降活発な洞窟探検が行われた。1990年代には地底湖を潜っての調査が進められ総延長が伸び日本で10番目に長い鍾乳洞となった。2000年代にはガイド付きでの観光化が進められたが、安全確保ができなくなった事から、2010年に閉洞となった。

巡検

最終日の18日私はガイドの方に特別に氷渡洞に入れてもらうことができた。人工的に作られた洞口から入り、天井高30m以上の巨大なホールに出る。ここの左手の崖を上ると「坪沢穴」に行くそうだが、今回は右手の穴を30m程、降下して天井高50m以上の道が続く「龍の背本洞」に降りる。ここは、夏季は水が流れており鍾乳洞が地下水の流れによってできたことが良く分かる構造になっている。

その後、龍の背本洞を500mほど進み20m程度上ると「特B」と呼ばれる場所に着く。ここは鍾乳石の発達が著しく、世界でも此処にしかない鍾乳石である「カルデラ型針状結晶鍾乳石」がある。また、地底湖もあり、ここに生息するメクラエビは固有種だといわれているそうだ。ここで休憩した後、来た道を引き返し龍の背本洞を35m上ると「特A」と呼ばれる地点につく。ここは特Bに負けないほど見事に鍾乳石が発達しており、特に鍾乳石の白さは日本でもトップクラスだろう。その後、来た道を引き返し洞口へと戻った。

洞内は自然のままの環境が維持されており、コンクリートを使った舗装や人工物による洞内の改変は一切なく、非常に美しい環境が良好な状態で維持されている。この洞窟の特徴は一つの洞窟で今現在、鍾乳洞が出来ている所、発達した所、壊れた所の3つを見ることができる点であり、今回案内して頂いたところも滴下水が多く鍾乳石が成長しているところもあれば、非常に発達した見事な鍾乳石がある場所、壊れて岩盤が露出している場所を観察することができた。

もう一つのこの洞窟の最大の特徴は鍾乳石の白さ、美しさであり、1960年代に立命館大学によって調査されるまで奥にはほとんど人の手が入らなかったことに加え、「特A」、「特B」と呼ばれる地点は2000年代に発見された為、発見当時の美しい鍾乳石が多く残っている。鍾乳石は一度汚れると汚れたまま成長してしまうのでこのような白く美しい鍾乳石が多く残っている鍾乳洞は日本ではほとんどないそうだ。

第三地底湖

・インタビュー

安家地底ガイド 大崎善成様へのインタビュー

16日に洞窟ガイドの方としてインタビューをさせて頂いた、洞窟についての細かいことについては巡検の方に書かせていただき、ここでは洞窟ガイドの経歴や経験についてお聞きした。

洞窟ガイドになるきっかけは、もともとは公務員であったが、地域の人口が減っていく中で産業がない地域にどうにかして客を呼ぶことができないかと思い立ったことに加え、生まれ育った場所に洞窟があり、他の地域の鍾乳洞を見る中で岩泉の洞窟はすごいのではないかと思いガイドになったそうだ。また、ガイドになるにあたりアメリカでパークレンジャーの仕事を見に行ったそうだ。

洞窟ガイドをやっていてよかったことについては、来た人が喜んでもらえることに加え、来た人に保護の大事さについて教えることができること。さらに地元の産業としての洞窟の再発見があげられるそうだ。悪かったことについては、収入がほとんどないという事が悪い点である一方で収入源である洞窟を大切にしようという考えが身に付いたともおっしゃっていた。

洞窟にくる方については20~30代が多いが60代の方も来ることがあるそうで性別は男女半分ずつだそうだ。多くは盛岡や周辺の都市からだが、東京からや海外からくる方もいるそうだ。

洞窟の観光開発の今後について聞くと大規模な開発は行わずに自然のままの洞窟をガイドが案内していく形式が望ましくそのためにもガイドの育成を大事にしていく必要があり、また一つの洞窟だと宿泊につながらず、地元にお金が落ちない為いくつかの洞窟を組み合わせた観光を考えていきたいそうだ。

 

岩泉町役場経済観光交流課 中川英之様へのインタビュー

役場の方には、行政として洞窟をどのようにアピールしているのかについて伺いました。まず、観光客のターゲットとして考えているのは東北などの近隣の地域がメインで修学旅行生などを呼び込んでいきたいとのことでした。

次に現在の取り組みについて伺うとパンフレットを町外へ置いたり、龍泉洞の広告をラッピングしたバスを走らせたり、龍泉洞祭りなどのイベントをマスコミに発信していくことがあげられるそうです。面白い取り組みには町の職員の名刺の裏に龍泉洞の割引券のシールが貼っており、仕事に来た人についでに観光していってもらうという取り組みも行っているそうです。

今後の取り組みについてはTwitterでつぶやくことで景品がもらえる仕組みやアンケートに答えることで割引や商品券がもらえる仕組みを作ることで新規の客に加え町内での消費を促すことのできる枠組みを考えているそうです。

安家洞管理人 工藤恵美子様へのインタビュー

お客様からは龍泉洞のように大規模な開発はせずに、このままの自然を残しておいてほしいという声が多く寄せられているそうだ。その一方で客を増やしていく必要もあり、保存と開発を両立していきたいとのことでした。

安家洞の魅力については、自然のままの洞窟であるという点と長い歴史を感じることができる点を挙げてこれらの情報を発信していくことが大事とおっしゃっていました。

第二章

・山口県美祢市における実地調査

秋芳洞

歴史

秋芳洞の歴史は古く、滝穴と呼ばれ1354年に大同寿円禅師が開いたとされ、1898年には内務省による調査が行われた。1909年に梅原文次郎によって観光洞として開発され、日本で最初の観光洞となった。

その後、1922年に国の天然記念物に指定され、1925年には洞内照明が点灯、1926年に昭和天皇が訪れ、名称を「滝穴」から「秋芳洞」に改名された。1952年には国の特別天然記念物に格上げされ、1955年には国定公園に指定された。1956年には観光客用のエレベーターの設置、1960年には大規模な洞内照明が開始され、1963年には黒谷口が開口した。

2005年には景清洞、大正洞と一緒に「秋吉台地下水系」の名称でラムサール条約に登録された。また、2007年には日本の地質100選に、2015年には「Mine秋吉台」として日本ジオパークに選定された。

巡検

秋芳洞は秋吉台の地下100~200mにあり、総延長8500m以上、高低差137mの日本で4番目に長い鍾乳洞で約1kmが観光洞として公開されている。

秋吉洞に入るには入り口が3つあるが、その中でも最もメジャーな秋芳洞正面入り口から入洞した。洞口は高さ24m、横幅8mと観光洞の中でも最大規模のものではないだろうか。また、洞口からは地下川が流れ出て滝を形成しておりこれが滝穴の名の由来になったと考えられる。

洞内を水流に沿って進んでいくと洞窟の広さに驚かされる。洞窟と聞いて想像するものとは大きく違う雰囲気を持つここは「青天井」と呼ばれ高さ30m幅50mもあるそうだ。そのまま進んでいくと秋芳洞の名所の一つ百枚皿と呼ばれるリムストーンプールに着く。ここは世界的にも知られており、多くの観光客が感嘆していた。百枚皿の先には洞内富士と呼ばれる石柱があり、その奥には千町田と呼ばれるリムストーンプールがある。ここで地下川を渡り、先に進むと千畳敷と呼ばれる幅80m長さ175m高さ35mの現存する洞内のホールでは日本最大の空間に到着する。観光路は大規模な落盤層の上を通っている。また、ここはエレベーター口の入り口地点にもなっており、ここで地上に出ると秋吉台の展望台に行くことができるそうだ。

また、千畳敷で洞窟は左右に分岐し、観光洞は黒谷口につながる左手(黒谷支洞)へと進むが、地下川に沿って右手に進むと「琴ヶ淵」と呼ばれる、長さ60m幅15m深さ3mの地底湖に続くそうだ。千畳敷を更に奥に進むと「黄金柱」と呼ばれる高さ15mの石柱が現れる。これは、百枚皿に並んで洞内の名所となっている。

さらに洞窟を奥に進んでいくとくらげの滝のぼりや巌窟王と呼ばれる名所があった後、黒谷口に到着する。今回は来た道を引き返し洞口に戻った。

秋芳洞が他の洞窟と比べ特筆すべき点は何といっても洞内の大きさだろう。洞窟というイメージを覆す大きさを誇っている。これは秋吉台の石灰岩が海のサンゴ等の由来の物で日本の他の地域の石灰岩よりも純粋なものであったため溶けやすく、また、石灰岩は温かい水の方が溶ける量が多い為、岩手県などに比べ大きくなったものと考えられる。

秋芳洞は観光客の数も多く洞窟も非常に発達した立派なものであった一方、地上からのエレベーターの設置、地上から黒谷口への人口トンネルなど早くから観光化した為に多くの部分で洞窟が破壊されている面もあった。また、洞内の照明については、昭和38年に改良工事が行われたが洞内が明るくなりすぎて、コケなどの植物が生えてしまったため再度、減光したという洞窟の観光化の試行錯誤が行われた場所でもあったそうだ。

「黄金柱」

大正洞

歴史

大正洞は秋吉台の北東部佐山ポリエ南西端に近い犬が森の谷に開口する鍾乳洞であり、戦乱の時に牛を隠したことから「牛隠しの洞」と呼ばれた。その後、奥部が大正時代(1921年)に発見されたことから「大正洞」と名前を変え1923年に国の天然記念物に指定された。

1956年には照明の設置が行われ、昭和45年には観光客増加の為に洞窟の北西部に出口用のトンネルが設けられた。2005年にはラムサール条約に2015年には日本ジオパークに指定された。また、2014年には近くの犬が森ポノールとの連結が確認され秋吉台で3番目に長い洞窟になった。

巡検

大正洞は総延長2000m以上と秋吉台で3番目に長い洞窟で上中下層の3層に分かれ洞窟が発達しており、観光洞の部分は上層の「牛追い穴」と「極楽」と呼ばれる地域である。中層は上層に続く連絡洞になっており、下層は「奈落」と呼ばれ地下水流が流れている。

受付でマグシーバーと呼ばれる携帯型説明機とイヤホンが渡されるが、これは1987年から導入されたもので洞窟の案内に利用したのは日本最古であるそうだ。受付から洞口までは少し距離があり、その途中に地下でつながっている「犬が森ポノール」の洞口がある。但し、連結が確認されたのが最近という事もあり、案内板にその記載がなかったのは残念だった。

洞口は広く牛を隠したのも理解できるものであった。そこから奥へ進むと通路は狭くなり人一人がやっと通れるほどの「よろめき通路」にでる。通路を抜けると広いホールに出て「獅子岩」や「音羽の滝」といった名所が出てくる。また、ホールの隅にある洞内淵にはシコクヨコエビと呼ばれるエビが生息しているそうだ。また、洞内ではコウモリを見かけることもできた。ホールを奥に進むと左手に見事なフローストーンの壁が見られる。そこを抜けると人工的に掘られたトンネルから出口へと向かっていくことになる。

大正洞は規模としては秋芳洞や景清洞に比べると大きくはないがくねくねと曲がった道や二次生成物など発達していく様が良く分かり、また秋芳洞、景清洞と異なり鍾乳石との距離が近い為、洞窟の細かい所まで見ることができる。但し、バリアフリー化はされておらず、洞内もトンネルの為に一部破壊されている。

大正洞にて

景清洞

歴史

景清洞は大正洞の北東1500m程の地点に開口する鍾乳洞で総延長は約2kmである。1200年頃、壇ノ浦の合戦に敗れた平景清が潜伏したと言われることからこの名前が付いている。江戸時代には地元の住民によって雨ごいが行われており、大正洞よりも一年早い1922年に国の天然記念物に指定された。

洞窟の観光化は大正洞よりも遅く1962年に観光化された。2005年にはラムサール条約に2015年には日本ジオパークに指定された。

巡検

景清洞は観光コース700mの奥に事前に講習を受けてから入洞する探検コース400mがつながっている。今回は探検コースまで見学させて頂いた。景清洞の洞口は横45m縦16mの非常に立派なものである。景清洞は秋芳洞に洞内の構造が近く、洞内を流れる地下川の河原を歩いていくというイメージに近い。洞口付近には生目八幡宮があり、ここで平景清が目を洗ったとされている。洞内にはこのほかにも景清にちなんだ名前の場所がいくつか存在している。

洞内を奥に進んでいくと天井が徐々に低くなっていく。天井は石灰岩の溶けやすさによって変化しでこぼこになっており、サンゴ天井と呼ばれている。

700mの観光コースが終わると照明の無い探検コースに変わり、受付で渡されたヘルメット、ライトを付けての探検となる。探検コースは最初、天井の高さが約1.5m程度続き進んでいくと、右手にカゴ穴と呼ばれる池が現れ降水量が多いときは探検コースが水没するそうだ。

奥に進むと、ミニ百枚皿と呼ばれるリムストーンプールが見られる。そのまま進むと右手の壁にはサンゴやフズリナの化石をみることができる。探検コース終点部に近づくと天井は急激に低くなり高さ1m程になる。そこを抜けると探検コースの終点となる。洞窟はこの先狭い所1kmほど続き三角田洞へと抜けるそうだ。なお洞内を流れる三角田川は西に進み大正洞の近くの犬が森ポノールから再び地下に潜っている。

・インタビュー

秘境研究会 中野茂樹様へのインタビュー

6日にNPO法人秘境研究会の中野茂樹さんにお話を伺うことができた。中野氏は秋吉台以外にも日本の様々な地域の洞窟を調査しており、今回の調査にはガイドとして洞窟を案内して頂いた。

秋吉台の洞窟の魅力について伺うと、日本のなかでは他に類を見ない大きさであり、鍾乳洞が地下水の流れによってできるという事がはっきりとわかる点を挙げられ、日本で最初の観光洞ということもあり、バリアフリーや駐車場の整備といったハード面での整備が行き届いており、性別や年齢を問わず年間80万人近い人が訪れることができるということも魅力の一つであると述べられていた。

景清洞の魅力について伺うと、手軽に洞窟探検(ケイビング)を体験できるところであり、探検コースを訪れる多くは家族連れや友人同士で来る方が多いそうだ。探検コースを通った多くの方から好評を得ておりこれからも続けていきたいとのことでした。

秋吉台の鍾乳洞の観光開発の今後について聞くと大規模な開発はひと段落しており、外国人にむけた案内板などのソフト面を充実させていく必要があるそうだ。また、景清洞、秋芳洞、大正洞の連携を強化し3洞共通券の発行を続けていくことや近隣の観光施設である秋吉台サファリランドなどとも協力して観光客を増やしていきたいとのことでした。


第三章

・二地域の洞窟観光の比較

今回の活動で岩泉、美祢の両地域を訪れてみて観光開発として秋吉台はハードの面も整備されつくした洞窟であるのに対し、岩泉では自然のままの鍾乳洞を売りにするなど観光化するにあたってのコンセプトの違いがはっきりと見えてきた。

どちらの地域もこれからはより情報発信していくことが大切であるとした一方で、近隣の地域の人をターゲットにする岩泉に対し訪日外国人もターゲットにする秋吉台と対象は大きく異なっているようだった。岩泉で洞窟間の連携があまりとれていないのは町営と民間の施設が存在する為であり、秋吉台では市営の為連携がとりやすくなっている。岩泉でも秋吉台のように洞窟間の連携を強化していくことが観光客を増やしていく上で非常に大切なことではないだろうか。

また、洞窟の性質も2地域で大きく異なっており、非常にダイナミックで大きな規模を誇る秋吉台に対し、岩泉は龍泉洞に代表される神秘的な地底湖や鍾乳洞の歴史を感じさせる安家洞といったものが感じられた。

このように異なる洞窟の特徴を各地域でしっかりと打ち出し情報発信をしていくことで同じ洞窟ではなく大きな違いがあるという事を観光客に届けていく手段が今はまだどちらの地域も足りていないように感じられました。

洞窟に訪れる観光客は横ばいであり、観光客を増やしていくためには狭い地域に加え広域での洞窟間の連携も必要だと感じました。

・総括

計画の時点で想像していたことよりもはるかに充実した日々を過ごすことができ、良い活動であったと思う。今回の活動を行うことで来年の卒論を書く際のフィールドワークにも活かすことのできる経験をすることができた。特に多くの方にインタビューに協力して頂くことができ、卒論を書く際のインタビューにむけて良い経験を積むことができた。

最後に今回の活動を行うにあたり協力してくださった岩泉町、美祢市の方々、文学部安野教授、活動を支援して頂いた文学部事務室の職員の方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

・岩泉地域での台風10号の被害について

・参考文献

 菊池正志ほか,(2008):『氷渡ケイブシステムの概要』,日本洞穴探検協会
 河野結,(2015):『山口県の観光と今後の可能性』,日本銀行下関支店
 中尾清,(2008):『自治体の観光政策と地域活性化』,イマジン出版
 花井正光,(1995):『岩泉湧窟及びコウモリ』,講談社
 真名子敦司,(2006):『もうひとつの観光、オルタナティブツーリズムのうねり』,エネルギー・文化研究所
 柳沢忠昭・佐々木清文,(2004):『洞穴ガイドブック』,日本洞穴学研究所
 秋芳町・秋芳町教育委員会,(1981):『西秋吉台鷹ヶ穴石灰洞学術調査報告』
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 美祢市,(2014):『現況調査報告書』,美祢市総合計画後期基本計画
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 山口大学洞穴研究会,(1996):『石灰洞報告書no.23/37』
 朝日新聞,(2016/9/12版):『被災した龍泉洞内部を初公開 照明などが破損 岩手』