ドイツ語文学文化専攻
コロキウムの記録
2024年度
7月18日 | 前期コロキウム | |
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山﨑裕太 | ドイツ語圏の思想家による20世紀後半のコンピューター論 | |
宇田川恵 | エドゥアルト・ハンスリックの音楽思想と19世紀ウィーンにおける医学・生理学の関係について ―ハンスリック『音楽美論』4章・5章を中心に― |
2023年度
1月11日 | 後期コロキウム | |
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山﨑裕太 | ドイツ語圏の思想家によるコンピューター論 1957-1998 | |
村野夢実 | ドイツ語の演説テクストにみられる聞き手に対する働きかけと話者の心的態度 ―メルケル前首相のテクスト分析を例にして― |
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濵口莉花 | 戯曲作品における登場人物の特徴を示す言語的手段 ―教材化テクストに「戯曲らしさ」は維持されるか― |
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古矢未帆 | 『環境先進国」ドイツにおける教育-その歴史と現状- | |
7月20日 | 前期コロキウム | |
山﨑裕太 | ドイツ語圏の思想家によるコンピューター論 1953-2011 | |
村野夢実 | ドイツ語の演説テクストにみられる聞き手に対する働きかけと話者の心的態度 ―メルケル元首相のテクストに用いられた方略の分析を例にして― | |
濵口莉花 | 戯曲作品とその教材化テクストに見るテクスト間相互関連性 ―登場人物の特徴を読者に示す言語的手段の分析― | |
漆原萌 | 日本の移民政策をドイツを例に考える |
2022年度
1月12日 | 後期コロキウム | |
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小池駿 | 「失われた過去を描き出すこと ―フリードリヒ・トーアベルク『ゴーレムの再来』における伝説性、神話性、歴史性の観点から―」 | |
梶原理史 | 「ヘルタ・ミュラーの小説Der Fuchs war damals schon der Jäger (『その頃キツネはすでに狩人だった』) における独裁社会の恐怖の描かれ方 ―矛盾した表現から炙り出される作品世界の歪み―」 | |
12月22日 | 山﨑裕太 | 「コンピューターの本質は文字か画像か ―フルッサーとキットラー―」 |
古矢未帆 | 「日本の環境意識の向上 ―学校教育の視点から―」 | |
12月15日 | 村野夢実 | 「ドイツ語で書かれた演説テクストの談話分析 ―メルケル前首相の新型コロナウイルス感染症に関するテクストを例にして―」 |
漆原萌 | 「日本とドイツの移民政策の比較」 | |
濵口莉花 | 「古典文学作品とその教材化テクストにみるテクスト間相互関連性 ―Friedrich Schiller Die Räuber 最終場面における分析の報告―」 | |
7月21日 | 前期コロキウム | |
漆原萌 | 日本とドイツの移民への教育支援の比較 | |
濵口莉花 | 古典文学作品とその教材化テクストにみるテクスト間相互関連性 ―Friedrich Schiller Die Räuberを例に― | |
古矢未帆 | 日本人の環境意識の向上 ―小学校教育の視点から― | |
村野夢実 | 心態詞・副詞の観点から考察した演説の談話分析 ―メルケル前首相のテクストを例にして― | |
7月14日 | 岩本葉月 | ナチ政権獲得前のプロパガンダと刺激された国民感情 |
梶原理史 | Der Fuchs war damals schon der Jäger(『その頃キツネはすでに狩人だった』)におけるルーマニア独裁政権下の恐怖の描かれ方について ―物語の中に潜む、差し迫る恐怖と常態化された恐怖― | |
小池駿 | 20世紀のカバラの復権 ―『ゴーレムの再来』の考察のために― | |
7月7日 | 坂本真一 (立教大学外国語教育センター准教授) |
ドイツ語の試験会話における試験官からの「質問」の発話にみられる考察 ―発話デザインおよび行為の構成にかかわるプロソディの分析― |
山﨑裕太 | ハンス・ブルーメンベルクとコンピューター |
2021年度
1月13日 | 後期コロキウム | |
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山﨑裕太 | 後期ハイデガーとコンピューター | |
佐々木葵 | メデイアが集団の同胞意識に与える影響 ―雑誌『Ost und West』における東方ユダヤ人の移住の記事を例に― | |
小池駿 | ユダヤ史の中のトールベルク ―『ゴーレムの再来』における報告― | |
梶原理史 | 『狙われたキツネ』に描かれた恐怖の個別性と普遍性 ―オートフィクション性に注目して― | |
7月15日 | 前期コロキウム | |
山﨑裕太 | ニクラス・ルーマンの索引カード箱とコンピューター | |
佐々木葵 | 民族大移動とメディア ―ユダヤ人雑誌『Ost und West』における東方ユダヤ人を例に― | |
佐藤綾音 | インゲボルク・バッハマン『ジムルターン』にみられる女性の生き方 | |
梶原理史 | ヘルタ・ミュラー「狙われたキツネ」における物語展開と表現方法 | |
小池駿 | フリードリヒ・トールベルクの小説 „Mein ist die Rache“ |
2020年度
1月21日 | 後期コロキウム | |
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佐々木葵 | 民族大移動とメディア ―ユダヤ人雑誌『Ost und West』における東方ユダヤ人を例に― | |
中山清楓 | ルー・アンドレアス=ザロメ『人生回顧(Lebensrückblick)』 ―言語的特徴について― | |
7月9日 | 前期コロキウム | |
中山清楓 | ルー・アンドレアス=ザロメ『人生回顧(Lebensrückblick)』 ―「神の体験(Das Erlebnis Gott)」「愛の体験(ヘンドリック・ギロート)(Liebeserleben (Hendrik Gillot))」の章に注目して― | |
佐々木葵 | 否定的ユダヤ人像から肯定的ユダヤ人像への変化 ―ユダヤ教養雑誌『東と西(Ost und West)』を題材として― | |
山﨑裕太 | Niklas Luhmanns Zettelkästen: Gelehrtenapparat oder Wundermaschine? |
2019年度
1月16日 | 後期コロキウム | |
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中山清楓 | ルー・アンドレアス=ザロメ『人生回顧(Lebensrückblick)』 ―他者との関係性に注目して― | |
7月20日 | 前期コロキウム | |
中山清楓 | ルー・アンドレアス=ザロメ『回想録』試論 | |
山﨑裕太 | Ist das Wesen des Computers Schrift oder Bild? Kittler und Flusser | |
坂本真一 (南山大学外国語学部講師) |
ドイツ語の試験会話の「学生の回答」におけるターンの構造化とそれを支えるプロソディ:音響分析の視点から | |
多分野間交流小シンポジウム | ||
磯部裕幸 (秀明大学学校教師学部准教授、中央大学文学部兼任講師) |
Auf der Suche nach der verlorenen Vergangenheit?: Einige Bemerkungen und Vorschläge zur Erforschung der deutschen Kolonialgeschichte
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F. Baldari (東京大学大学院法学政治学研究科特任講師、中央大学文学部兼任講師) |
丸山眞男とカール・レヴィットにおけるニヒリズムとテクノジー論 ―全体主義の時代の人間性と政治をめぐって―
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H. J. Dethlefs (中央大学文学部教授) |
Mnemosyne: Gedächtnis und Kunst. Einige Bemerkungen zu Aby Warburgs Bilderatlas |
2018年度
1月17日 | 花岡里帆 | ヨーロッパ文化史を詠む現代ドイツ詩人 ―ドゥルス・グリューンバインおよびマルセル・バイアーを例に― |
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山﨑裕太 | Ist das Wesen des Computers eher Schrift oder Bild? Kittler und Flusser | |
7月26日 | 第Ⅰ部 | |
花岡里帆 | 現代ドイツ詩におけるヨーロッパ―ドゥルス・グリューンバインとマルセル・バイアーを例に― | |
山﨑裕太 | Reflektieren der Gedanken zum Computer in Deutschland seit 1950. Eine Projektvorstellung | |
坂本真一 | Prosodie und Antwortstruktur im Prüfungsgespräch: Was sind relevante Phänomene auch für DaF-Lernende? | |
小シンポジウム:専門研究とドイツ語教育―多分野間協力の視点から | ||
西出佳詩子 (中央大学文学部兼任講師) |
ドイツ語の多読教材を用いた文法事項の定着と応用力の育成 | |
M. G. Schmidt (日本大学文理学部教授) |
Kreative Schreibaufgaben als Zugang zur deutschen Sprache | |
川喜田敦子 (中央大学文学部教授)/ 林明子 (中央大学文学部教授) |
専門分野の導入文献を読む:学術ドイツ語の習得に向けて - 歴史学分野 |
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第Ⅱ部 | ||
高次裕 (中央大学文学部兼任講師) |
Sichtbarmachung um1800. Darstellung der Unendlichkeit bei Friedrich Schlegel im Zusammenhang mit der „Lucinde“ und Zeichnungen in seiner Zeit | |
岩谷秋美 (東京藝術大学専門研究員) |
眼差しの再構成―ハンス・マカルト作《カテリーナ・コルナーロに敬意を表すヴェネツィア》(1872/3年)におけるティツィアーノ作《エッケ・ホモ》(1543年)の受容― |
2017年度
1月18日 | 花岡里帆 | 現代ドイツ詩におけるヨーロッパ ―ドゥルス・グリューンバインとマルセル・バイアーを例に― |
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中山陽介 | 20世紀中葉の収容体験にもとづく詩 ―さまざまな呼びかけの構造― | |
石澤直真 | ムシュク『レーヴェンシュテルン』と司馬遼太郎『菜の花の沖』の比較文学的考察 ―異国観と他者観の観点から― | |
7月27日 | 花岡里帆 | 現代ドイツ詩人におけるヨーロッパ ―ドゥルス・グリューンバインとマルセル・バイアーを例に― |
中山陽介 | 捕囚に関する詩の言葉がいかなる主体から発せられ何に向けられているか | |
石澤直真 | アドルフ・ムシュク『レーヴェンシュテルン』と司馬遼太郎『菜の花の沖』 ―文化的多様性と異文化接触による変容の比較― | |
山﨑裕太 | 20世紀後半のコンピューター理論と哲学 | |
坂本真一 | ドイツ語の試験会話中間部の展開パターンと構造化における音声の役割 ―「話段の終了」を示唆するプロソディー― | |
高次裕 | Kulturgeschichte der Unendlichkeit um 1800 und 1900 am Beispiel von Friedrich Schlegel und Robert Musil | |
糸瀬龍 (首都大学東京) |
戦死者との関係構築について ―エルンスト・ユンガー『戦死者(Die totale Mobilmachung)』を中心に― |
2016年度
1月28日 | 石澤直真 | ムシュク『レーヴェンシュテルン』と司馬遼太郎『菜の花の沖』に見る異国観・他者観の比較 |
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山﨑裕太 | デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』とルーマン『社会と社会』 ―近代社会の自己記述としての比較― | |
坂本真一 | ドイツ語の試験会話中間部にみられる展開パターン ―TCUの分析からみた話者交替の様相と話段の連鎖― | |
西出佳詩子 | ドイツ語テクストの読みの諸相 ―日本語を母語とするドイツ語学習者とドイツ語母語話者を対象とした調査から― | |
1月12日 | 中山陽介 | 収容所を題材とした詩 ―言葉を発する主体とその対象― |
7月21日 | 山﨑裕太 | 修士論文構想発表 |
石澤直真 | 修士論文構想発表 |
2015年度
1月14日 | 山﨑裕太 | アルフレート・デーブリーンと監視社会 |
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佐野大樹 | 新聞記事Aufrufから見た書き手による読み手への働きかけ ―Völkischer Beobachterのヒトラーが書いた記事を例にして― | |
坂本真一 | 試験会話における話者交替とリズムの分析 ―リズムの統合と不統合からみた会話のストラテジー― | |
西出佳詩子 | ドイツ語テクストの構造把握と内容理解の様相 ―日本語を母語とするドイツ語学習者とドイツ語母語話者の読みを手がかりに― | |
7月23日 | 佐野大樹 | 新聞記事Aufrufから見た書き手による読み手への働きかけ ―Völkischer Beobachterのヒトラーが書いた記事を例にして― |
坂本真一 | 試験会話における話者交替とリズム ―「質問」と「回答」の連鎖を例に | |
西出佳詩子 | 読みのプロセスにおけるテクストの構造把握 ―日本人ドイツ語学習者に対する要約課題から観察する― |
2014年度
12月4日 | 佐野大樹 | 新聞テクスト上の書き言葉における話し言葉性 ―ヒトラーの公開演説禁止と関連づけて― |
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小野寺政憲 | 基礎研究から教室現場での実践へ ―誤用訂正プロセスの研究成果を例に― | |
坂本真一 | Thematische Entwicklung und Prosodie im deutschen Prüfungsgespräch.Sequenzielle Analyse bei der Situation „Einleitung zum neuen Prüfungsthema“ | |
西出佳詩子 | 情報の再構築から観察する読み ―日本人ドイツ語学習者に対する要約課題を手がかりに― |
2013年度
11月28日 | 柏木せりな | 多和田葉子『旅をする裸の目』のハイブリッド性 ―メディア、ポストコロニアル、ジェンダーの視点から― |
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古川佳尚 | 交渉ストラテジーに関する日独対照会話分析 ―「勧誘」と「断り」の応答ペアと発話機能を通して― | |
高次裕 | 無限性の文化史1800/1900 | |
坂本真一 | „Café Kultur in Deutschland“ ―教材化の試み― | |
西出佳詩子 | 日本人ドイツ語学習者によるドイツ語テクストの読み ―報告記事のテクストを用いた実証的研究の概要― | |
7月11日 | 柏木せりな | 多和田葉子『旅をする裸の目』の三つの視点からの分析 ―メディア論、ポストコロニアル論、ジェンダー論の視点から― |
古川佳尚 | 日・独母語話者の「勧誘」に関するストラテジー研究 ―発話機能に基づく会話の展開を通して― |