ドイツ語文学文化専攻

留学体験記

テュービンゲン短期留学

今後の原動力となる体験/山田茂樹

私は3年次の2018年の8月に、一か月間、テュービンゲン大学に短期留学しました。せっかく独文にいてドイツについて学んでいるので本場の空気に触れてみたい、自分のドイツ語のレベルでどれくらいコミュニケーションがとれるのか知りたいという理由から参加しました。

たくさん書きたいことがあるのですが、特に自分がこの経験を通して感じたことについて書きたいと思います。

プログラムには世界各国から100人ほど学生が参加しており、最初にドイツ語のレベルをはかるための試験が行われました。その結果に応じてクラス分けがされ、そのクラスでドイツ語の授業を受けることになりました。私は12クラスあるうちのちょうど真ん中のクラスになりました。授業のスタイルは中大のものとほぼ同じでしたが、クラスメイトの発言数、内容、態度が明らかに日本のそれと異なっていました。彼らは授業中に先生の説明が理解できなかった時にはためらうことなく質問し、また発言を求められた時には「はい」、「いいえ」では答えず、必ず文で返すようにしていました。積極的にフィードバックをすることでドイツ語を話す機会を少しでも多く作ろうとしていたのだと思います。このような授業の姿勢から、彼らが授業で習ったことを一つ一つ必死に自分のものにしようとしているのが分かりました。単位を取るためだけに授業を受けていた日本にいた時の自分や周りを思い出し、恥ずかしい思いになりました。それと同時に勉強を含め、物事を能動的に行っていこうという意識が芽生えました。今まで大学の勉強に意義を見出せなかった自分を大きく変えてくれた出来事でした。

また自分自身の成長を強く感じました。今回の留学でたくさんの新しい人と出会いました。その際必ず相手に自分について説明するという場面がありました。また授業では否が応でも発言をしなければなりませんでした。私は人見知りをしがちで人前で話すことが苦手だったのですが、そうは言っていられませんでした。最初は少し苦労しましたが、回数を重ねるうちに慣れていきだんだん話すのが怖くなくなり自信が持てるようになっていきました。プログラム期間中に中大の参加者が主催した日本の夕べという催しにおいては、冒頭のスピーチを100人を超える外国の人を前にドイツ語で行うという大役を果たすことができるまでになりました。それまでの自分なら決してできなかったことだと思います。

今回の短期留学で日本では決してできなかった素晴らしい経験をたくさんすることができました。ドイツの生の空気に触れることができたのはもちろんとても良い思い出になっています。ただそれ以上に人との出会いを通して大きく成長できたということが一番の収穫でした。本当に参加して良かったと思います。

ドイツ語文学文化専攻3年 山田茂樹 (2018)

DAAD奨学金による短期留学

この出会いはきっとかけがえのないものになる/村野夢実

 この度DAADの奨学金をいただき、学部の頃から参加したかったテュービンゲン大学の語学講座に参加することができました。私は今年の語学コース参加のほかに2021年にオンラインでも同じ大学のプログラムに参加したため、今回はオンラインと対面での体験を記そうと思います。

オンラインの語学コースについて
 テュービンゲン大学の語学講座では、語学コースが始まる前にテストを受けて、事前のレベルの調査と合わせてクラス分けがされます。オンラインで受けた時、私のクラスには、ポーランド、ロシア、スロバキア、韓国、タイ、イタリア、タジキスタンなどからの参加者がいました。現地時間の午前8時半から12時まで授業(前半は先生が担当。途中30分の休憩をはさみ、後半はチューターが担当)、13時から1時間ほどは希望者のためのプログラムがありました。授業では、まず文法項目を確認して、グループになって話し合いながら問題を解くという流れでした。13時からのプログラムでは、皆で歌を歌う、エクササイズをする、ドイツ語圏の方言を学ぶなど様々な内容があり、私はほぼ毎回参加していました。
 オンラインのプログラムで印象的だったのが、授業で課題が出た際に、メールでロシアの方から、「何人かで宿題をいっしょにやりませんか?」という連絡がきたことです。お互いの時差も考慮していろんなお話をしながら課題に取り組みました。短時間でしたが、オンライン上でとても楽しく交流したのを覚えています。
 コロナの感染者数が多かったという事もあり、オンラインでの実施は非常にありがたいものでした。このプログラムに参加したことによって、授業に対しての積極的な姿勢の大切さに気付かされました。その一方で、対面のものと比べると授業時間が少なく、参加者との交流が授業だけで終わってしまうこと、実際のドイツでの日常の暮らしを肌で感じることができないことが心残りでした。

対面の語学コースについて
 ドイツに到着すると、ついにたどり着いたという喜びと緊張でいっぱいでした。朝5時に到着したという事もあり、少し肌寒く感じられました。空港に着いたときに日本から持参したSIMカード入りの電話がつながらない(最後までドイツでの私の電話番号が不明のままで使用できませんでした)、ICE(ドイツの高速列車)のチケットを買ったものの途中の駅でダブルブックキング(二重予約)が判明などいろんなことがありましたが、無事に目的地に着くことができました。
 オンラインのときと同様に事前のテストとレベル調査でクラスが決まりました。今回のクラスには、アメリカ、オランダ、イタリア、スペイン(カタロニア、バスク地方)、タイ、韓国、キルギス、ロシアから参加していました。オンラインのときもそうでしたが、年齢、職業に関係なく参加できるのもこのプログラムの特徴です。対面では現地時間の9時から12時半まで授業、14時から15時半までチューターによる授業、16時から21時半にかけて自由プログラム(任意)という流れでした。
 授業の中で一番印象に残っているのが、ペンギンが描かれた絵を使用して自分の国を紹介したことです。この授業内容の目的は、それぞれの国のステレオタイプとは何かを考えることでした。それぞれの国の文化などを新たに知ることもありましたし、知らないうちに偏見を持っていないだろうかと自身に問う機会にもなりました。
 自由プログラムには、ドイツ映画の視聴、歌を歌う、ケーキを焼く、ダンス、教会で音楽を聴くなど様々な企画がありました。オンラインプログラムと同様にできる限り多くのプログラムに参加していました。
 スペイン(カタロニア、バスク地方)の方とは平日の午後や週末を利用して、周辺のまちによく足を運んでいました。テュービンゲンから電車で10分の場所にあるにもかかわらず、まちの雰囲気がずいぶん異なっていることもあって、実際に行ってみないと感じられないと思いました。また、散策をしていると、カーニバルのような音が聞こえたのですが、じつはデモ行進であったり、駅構内や公園でペットボトルを探す人(ペットボトルを返却すると25セント戻ってくるため)を見かけたり、素のドイツを見た感じがしました。このペットボトルを探す姿は、最後に滞在したフランクフルトでよく見られました。
 対面での語学コースでは、様々な体験をすることができ、実際にドイツに行って良かったと思っています。一方で、思いもしなかった出来事がいくつかあったこと、ドイツの生活ペースになれるまでに思ったよりも苦労したこともあったのも事実です。ただそれ以上に、ドイツという国を実際に見聞きできたこと、現在の世界情勢でもお互いを尊重しながら授業やイベントに一生懸命に取り組んでいた光景があったというのは忘れがたいものでした。

文学研究科独文学専攻博士前期課程1年 村野夢実(2022)

短期留学で学んだこと/中山清楓

私は、二年生の春休みに、DAADから奨学金をもらって、一か月デュッセルドルフに留学しました。初めて友人のいない状況での留学だったので、出発前は不安でした。

無事、ドイツに到着して、頼んでいた送迎サービスの方と合流した後、いきなり予想外の出来事がありました。滞在する部屋の管理人の都合で、空港で二時間ほど待機しなければならず、送迎のグループから、一人置いていかれることとなったのです。タクシーに無料で乗れるチケットを渡され、何度も行き方を念押しされましたが、果たして部屋に着けるのか、一気に不安になりました。最終的には、親切な方に一緒に探してもらったりして、何とか到着できました。私が過ごしたのは一人部屋で、お風呂、トイレ、キッチンは共同使用でした。同じ建物に住んでいたのは、ほぼ男性だけで、基本的に英語で会話していました。英語に不安のある私は、あまり会話することが出来ませんでしたが、とても親切な人ばかりで、夕食をごちそうになったこともありました。

今回、私が通ったのは、語学学校で三月に開催された、ドイツ語のインテンシブコースでした。コース開始前にはテストを受け、それに基づいてクラス分けがされます。しかし、振り分けられたクラスが、私には少し難しかったので、すぐに変えてもらうことになりましたが、ここで二度目の予想外の出来事が起きました。一つ下のレベルのクラスがすでに満員だったため、どのクラスへ変わるのかすぐに決定されず、土日中に連絡をもらうはずが、月曜の朝になっても連絡がこず、事務所に直接聞きに行くことになりました。この時、私はせっかくドイツに来たのに、授業にも参加できないと、大変焦りました。結局、事務所で確認してもらったところ、伝達ミスがあったようで、自分のレベルにあったクラスに通えるようになったのは、さらに次の日からでした。新設されたクラスだったので、初日は先生一人に対して、生徒六人という少人数でした。最終的には、クラスメイトは十五人ほどとなり、大半はチュニジア出身で、他にも、アフガニスタン、ギリシャ、韓国、中国、イタリア、トルコ出身の人がいました。クラスメイト達は皆、積極的に発言していて、かなり圧倒されました。しかし、私も最終的にはゆっくりとですが、授業中に発言できるようになりました。

今回の留学は、誰も知り合いのいない環境だったので、ドイツ語能力は非常に向上したと思います。何より、自分の思っていることを臆せずに言えるようになったことは大きいと思います。今回の留学を通して、私は間違いを気にせず、とにかく自分の言いたいことを伝えるという姿勢を学びました。

ドイツ語文学文化専攻3年 中山清楓(2017)

春の南西ドイツにて/花岡里帆

学部2年の春休みに、私はDAAD(ドイツ学術交流会)のプログラムでドイツのフライブルク大学へ1か月間短期留学しました。フライブルクは南西ドイツに位置する小さな大学都市です。3月に開かれたフライブルク大学春季ドイツ語講座には世界中からたくさんの学生が集まり、国際的な環境で勉強することができました。

ドイツ語の授業は月曜日から金曜日まで週に5回、平日の午前中を使って行われます。1クラスの構成はドイツ人の先生が1人と15人程度の生徒です。文法の確認や聞き取り、会話の練習を繰り返す毎日でした。母国の文化を紹介したり、政治問題について議論したり、様々なテーマでドイツ語を学んだことによって語彙力が豊富になり、会話する力も向上したと感じています。また、積極的に発言し、躊躇なく自分の意見を主張する非常に活発な雰囲気には圧倒されましたが、丁寧に教えてくださる先生と優しくフレンドリーなクラスメートたちのおかげで、心折れることなく、楽しんで最後まで授業に参加できました。

ドイツ語講座の受講生は大学在籍者と同じようにフライブルク大学の食堂を使うことができます。学食は安価かつボリュームたっぷりで、時には不思議な味の料理に出会える興味深い場所です。街にはカフェやレストラン、居酒屋が点在しており、トルコやイタリアの料理を食べられるお店もあります。私が訪れたいくつかのレストランでは店員さんとの会話もメニューもドイツ語だったので、自分のドイツ語力を試す良い機会となりました。

留学中に私が住んでいたのは、大学からバスで15分ほどの場所にあるアパートでした。鍵の開け方も家の構造も日本とは様式が異なるため戸惑うことが多々ありましたが、普段は東京で一人暮らしの私にとって、二人のドイツ人学生との共同生活はとても特別で大切な経験になりました。

ドイツに滞在したのは1か月という短い期間でしたが、何度も壁にぶつかっては乗り越える手段を模索する、挑戦にあふれた日々でした。未知なる世界に足を踏み入れて新しいものに触れた経験、異なる環境で生きてきた人々との出会いも、留学によって得られた大きな財産だと思います。

ドイツ語文学文化専攻3年 花岡里帆(2015)

同居人との関わりから学んだ1か月/増田ゆり

私は2年生の春休みに一か月間、フライブルク大学に短期留学しました。

留学して一番感じたことは、留学生活中は思いがけないことが起こるということです。私は留学中、1人のドイツ人とルームシェアをして生活していました。その同居人は、もともとかなり変わった人でしたが、まさか同居人とそんなにもめることになるとは思ってもいませんでした。

私の暮らしていた家には、洗濯機がアパート全体で1つしかなく、またその洗濯機はWaschmarkenと呼ばれるコインがないと稼働させられないものでした。はじめにアパートの大家さんに、そのコインを買うにあたっては同居人に頼むのがよいと言われたので、私は留学生活が始まってすぐに同居人にコインの購入を頼み、その時に同居人に言われた金額を渡しました。しかし到着予定日を過ぎても届かず、何回もコインはいつ来るのかと尋ねましたが、「絶対に明日には来る」という答えしかもらえませんでした。怪しいと思った私はポストの中を調べたところコインは入っておらず、お金をだまし取られたことを確信しました。

その時すでに、洗濯ができないせいで自分の着替えがほぼなかったので、家で手洗いしようかとも思いましたが、家が汚くて洗濯ができる環境ではなかったので、とりあえず大家さんに助けを求めることにしました。しかしまだドイツ語をとっさに話せるほど語学力はないので、洗濯が出来なかった事情とコインを買いたい旨を原稿にまとめ、大量の洗濯物を抱えて大家さんのもとへ行きました。事情は理解してもらえましたが、大家さんはコインを持っていなかったので、他の住人に聞けば誰かは必ず持っているわよと教えてくれました。

その言葉を信じ、一軒一軒回ったところ、すぐに親切な方に出会い、彼女はコインをくれただけでなく、洗濯を手伝ってくださり、また私をお茶やリンゴやパンなどでもてなして、私の同居人の話を辛抱強く聞いてアドバイスまでしてくださいました。そしてまた困ったときにはうちに来てお茶でも飲んでね、と言って下さいました。

その後私は快適な生活を求めて留学事務所の人に引っ越したいと伝えました。そこで事務所側が同居人に話を聞きに行ったところ、事務所の人も共感してくれるほど同居人は「変わった」人だったようで、私はすぐに引っ越しできました。引っ越し後もルームシェアでしたが、こちらの同居人は皆良い人で、暇なときは皆で楽しく過ごせましたし、今でもたまに連絡をとるほど仲良くなれました。このようなトラブルにも対処できたことは、本専攻での日々の学びがあってこそだと実感しています。

ドイツ語文学文化専攻 3年 増田ゆり(2015)

長期留学

「多様さ」を体感できたドイツ生活/天野慶子

私は3年次の夏から半年間、ドイツのヴュルツブルク大学に留学をしました。大学に入学しドイツ語を学び始めたとき、せっかく外国語を学ぶのなら話せる言語だと言えるレベルにしたいと思い、そのためには実際にネイティブの方々と交流しドイツ語に囲まれた生活を送ることが一番いいと考えたことが留学を決めたきっかけでした。

留学先の大学では主にDeutsch als Fremdsprache(外国語としてのドイツ語)の授業を履修しました。A2レベルの資格を所持して留学したにも関わらずクラス分けでB1のクラスに参加することになったため、ついていけるかかなり不安がありましたが、実際に授業を受けていくと様々な国から集まった留学生同士で互いにドイツ語を用いて会話を行っており、国を超えて仲間たちと切磋琢磨しあえる環境でドイツ語を無理なく学ぶことができました。その結果、夏休みのコースで無事B1レベルをクリアすることができ新学期にはB2.1のクラスに参加することができました。

また学期中は、もともと興味があった上に語学のコースで韓国人の友人ができたことから、韓国文化の授業と韓国語の授業も同時に履修しました。韓国語は日本でも学習していたため中級コースからのスタートとなったので、既にクラス内の雰囲気が完成してしまっているのではないかと不安もありましたが、唯一留学生として授業に参加したことや共通の趣味があったことなどからクラスメイト達とすぐに仲良くなることができました。その結果授業内で先生のドイツ語が聞き取れなかったときや理解ができなかったときに助けてもらうことができたほか、日常的にドイツ語を話す空間で生活できたため特にリスニング能力が向上したように感じました。この授業で出会った友人たちとはパーティー等の場面でも一緒にいることがあり、ドイツで暮らす人々のリアルな考え方を知ることができました。

そのほかにも語学のクラスやドイツ文化の授業では授業内にプレゼンをする時間があり5分前後の短いものではありましたが原稿を見ずにドイツ語のみで発表をしたことは、とっさにわからない単語を補ったり言い換えたりする能力が身につく良い経験となりました。

日常生活では、日本では体験できないような様々な困難がありました。最初に壁にぶつかったのはビザの申請と口座開設でした。3か月以上滞在する際に必要となるビザを取得するために市役所の予約を取る必要がありましたが、何度メールを送っても一向に返信がありませんでした。結局期限ぎりぎりまで返信がなかったので直接市役所に行き担当の方に会って予約を取らねばなりませんでした。また現地口座を開設する際に過去には日本のパスポートで本人確認が可能だったオンラインバンクが日本のパスポートを本人確認書類として認めなくなったことにより、開設可能な銀行を探すところから始める必要がありました。

このような日常生活での経験から役所や銀行といった公的機関であっても過去に従ったり役所側に丸投げしたりするのではなく、自分で調べ行動しないと状況が進んでいかないことを学び、公的手続き一つとっても国が違えば扱い方が異なるのだと認識しました。

この留学を通じドイツ語能力を向上させることができただけでなく、異文化に触れ積極的に現地の人々や他国からの留学生に混じって活動することで様々な価値観や考え方に出会い、一つの物事に対しての見方の多様さに気付くことができました。

ドイツ語文学文化専攻4年 天野慶子(2024)

Tübingenでの生活/金森智子

私は、2022年の9月から2023年の8月までTübingen(テュービンゲン)という小さな町にある大学に留学していました。1年間の留学の中で一番思い出に残っていることは、留学先で関わったお友達と過ごした日常です。今回は、留学生活の中でも勉強面以外の「日常」の思い出を紹介したいと思います。

授業時間外は、日本人のお友達と大学の図書館で勉強したり、タンデムパートナー(それぞれ違う言語を得意とする2人が、 お互いの言語を学ぶために定期的に会って話したり一緒に勉強したりするお友達のような存在)と一緒に過ごしたりすることが多かったです。週2回タンデムをし、お互いに宿題を教え合ったり、料理を作ったり、カフェに行ったり、散歩したり、とても楽しい時間を過ごすことができました。ほとんどの留学生が、タンデムパートナー制度を利用しており、定期的にドイツ人学生と交流をしていました。タンデムパートナーのおかげで充実した留学生活を送り、色んな思い出を作ることができたので、とても感謝しています。留学中は、想像していたよりもドイツ人学生とお友達になるのは難しかったですが、だからこそ、タンデムパートナー制度やバディ制度、日本語学科主催のパーティーなど、ドイツ人学生と知り合える機会を大切にすることができてよかったです。

ここで、ドイツでの生活についていくつか紹介したいと思います。当たり前ですが、ドイツは日本に比べて暖かくなるのが遅く、3月でも雪がうっすらと積もっていたり、4月でも夜は気温が2度程しかなかったりと、春がとても待ち遠しかったです。夏至が近づいてくると、20時過ぎでも昼間と変わらないくらい明るく、日の入りは22時頃でした。また、ヨーロッパの夏はとても過ごしやすく、30度を超える日も何日かありましたが、それでも日陰に入ると涼しかったです。むしろ、教室やスーパーマーケット、バス、電車にクーラーが設置されていないこともしばしばで蒸し暑く、みんなが外を好む理由がよくわかりました。寒く薄暗い日が続いた冬がようやく終わり、春が訪れてもなお寒い日が続いていたので、快適で天気の良い夏が待ち遠しく、こんなにも夏が来るのを楽しみにしたことは今までなかったと思います。夏が始まったら、みんなカラフルなお洋服を着て、テラスでAperol(アペロール、リキュールの一種)を飲み、広場で日光浴したりお酒を飲んだりと、思いっきり夏を満喫している様子は見ているだけで楽しく、とても素敵な季節だと思いました。

夏には、Sommernachtskino(ゾマーナハトキーノ)と呼ばれる屋外映画が毎晩ありました。夜21時30分頃から入場し、22時に上映開始です。屋台が出ており、ポップコーンを食べたりビールを飲んだり、とても楽しい空間でした。他にも、12月にはSchokoladenmarkt(チョコレートマーケット)やWeihnachtsmarkt(クリスマスマーケット)が、6月にはStocherkahn(シュトッヒャーカーン)という舟の競技が、7月にはトライアスロン大会がありました。ネッカー川を周遊する舟Stocherkahnはテュービンゲンの観光名物で、年に一度、舟の速さを競います。コスチューム部門ではスターウォーズやマリオブラザーズの仮装で観客を楽しませ、競技部門では本気で挑みます。この日は大学もなく、沢山の人がネッカー川に集まり、熱い声援を送って観戦しました。トライアスロンにはヨーロッパ各地から選手が集まりました。テュービンゲンで行われる最後のイベントだったので、少し寂しく思いましたが、悔いなく楽しむことができました。

テュービンゲンにはÖsterberg(エスターベルク)という大きな丘があります。とても良い散歩コースで、ジョギングしている人、犬の散歩をしている人、ピクニックをしている人、昼寝をしている人などみんなそれぞれ楽しんでいます。私のおすすめは、丘から見る夕日です。留学3日目のとき、バディがテュービンゲンの街を紹介してくれて、このÖsterbergに連れてきてくれました。それ以来、Österbergは私のお気に入りの場所になり、家族やお友達がテュービンゲンに来てくれた際には、必ず訪れるようにしていました。そして、帰国まで1か月を切った頃、9月の語学コースから仲良くしてくれた日本人6人グループで、Österbergを訪れ、夕日と夜景を見ました。みんなで1年間あったことを振り返り、長かったようであっという間だった留学生活を惜しんでいました。

留学中、人に恵まれたことにとても感謝しています。日本人のお友達、先生方、バイト先の人々、留学生のお友達、ルームメイト、タンデムパートナー、バディ、日本語学科の学生、店員さんなど、関わってくれた方々のおかげで、楽しい留学生活を送ることができました。この縁を大切にしてこれからも過ごしていきたいです。

ドイツ語文学文化専攻4年 金森智子(2023)

世界を繋げるもの/河野文萌

留学先のヴュルツブルクという小さな街は、美しい自然景観と豊かな歴史、そして温かい人々が多く住む魅力的な場所だ。一年間この街で個性溢れる様々な人と交流し異文化に触れたことは、私の今までの人生において最も貴重で成長できた時間だったと感じている。元々留学を決意したのは、自分の中にある固定観念や思い込み、偏見を取り払い、国際的な視野を広げ、語学力だけでなく自分自身の内の能力を高めたいと思ったからだ。そして何より、幼い頃から大好きな日本の漫画、アニメ、ゲーム、ドラマ、舞台、イベントなどのエンタメコンテンツを通して将来世界中に感動を届けることに携わるため、インターネットの情報だけではなく実際に自分の足で現地に赴き、日本のポップカルチャーがどれだけ国外に影響を与えていてどのくらい市場価値があるのかをこの目で見る必要があると思ったからである。

私の周りには日本のアニメやゲームが大好きな人たちが溢れていた。彼らは私と同じように子供の頃からエンタメコンテンツに触れていて、遠く離れた場所でも共通のものに夢中になっていることを知った時、国や言語の壁を超えた、人と文化のつながりの強さを非常に実感した。特に、ドイツ人のタンデムパートナーと一緒にデュッセルドルフで開催されたアニメイベント「DOKOMI(ドコミ)」に参加した経験では、海外のアニメコミュニティや現地の文化により近づくことができたと思う。このイベントでは、多彩で異なるアニメ作品やキャラクターのブースがある他、世界のゲーム作品や個人のオリジナル作品、動画配信者や声優の方々と交流できるエリアなど、本当に多種多様なエンタメコンテンツが揃っており、参加していた一人一人の熱量に圧倒された。中でも、参加者のほとんどが精巧なコスプレをしてファン同士でイベントを楽しんでいる姿には非常に驚き、且つ日本と変わらない、もしくはそれ以上に人々の情熱に溢れた空間から、アニメはもう国際的な文化と言っても過言はないと思った。さらにイベント内ではライブステージや講演会、コスプレ大会なども行われており、私にとって普段と異なる視点からアニメを学べたと同時に、誰もが満遍なく楽しめるプログラムが練られていたなと感じている。また、展示や舞台の他にもフードコーナーには多くの日本食の屋台が並んでおり、現地の人々にとってこのようなイベントを通して日本の食文化も体験できることは異文化交流をより深める素晴らしい機会だと思った。

このイベントでの経験は私に、アニメを中心としたエンタメコンテンツは異なる背景を持つ人々に趣味を共有することを可能にし、文化や世界を超えて人と社会を結びつけ、共感や情熱を生む巨大な力を持っていることを再認識させてくれた。現地のアニメファンたちと共にイベントを楽しむことができたことは、将来的にも非常に貴重な、かけがえのない体験になったと思う。

しかし、これはイベントに限らないことだが、ドイツではやはり正規品のグッズや漫画は日本と比較するとまだまだ圧倒的に少なく、簡単に手に入れることはできない。日本のコンテンツを扱っているお店は大都市圏に一、二店舗あるだけで、全体的に現地から日本のコンテンツへのアクセスが限られていたことが印象的であった。また、日本の映画を現地で観に行った際に、「いただきます」のドイツ語翻訳が„Danke für die Fressalien“となっていてとても違和感を覚えた。これは直訳すると「食い物をありがとう」となる。„Fressalien“は非常に俗っぽい言葉であるため、これでは本来の日本語の「いただきます」の意味が間違ったニュアンスで伝わってしまうのではないかと少し不安に思った。そしてもう一つ、「いただきます」に関連するエピソードがある。ドイツ語の授業で、日本語の「いただきます」とドイツ語の„Guten Appetit“の違いは何かと質問されたときだ。「いただきます」という言葉は、食材自体や食事を作ってくれた方々に敬意と感謝を送る言葉であるが、„Guten Appetit“は食事を作った人がこれからそれを食べる人にかける言葉、つまり日本語で言う「召し上がれ」に似た言葉であるため、意味合いが変わってくる。このことを初めて聞いたという現地の人々も多い様子であったため、強くカルチャーギャップを実感した。ドイツ語で正確に翻訳できない日本語は数多くあるけれど、映画や漫画、書籍など言葉が深く重要な意味を持つ媒体では、海外の人にもできるだけ正しいニュアンスで伝わってほしいと思う。世界中の人に彼らが好きなコンテンツをより正しく届けるために将来自分に何ができるかをもっと深く考えるという新たな目標が自分の中で確立したきっかけとなった。

私の一年間のドイツ生活には、日本の文化が好きな人、異文化に意欲的に触れる人が周りに溢れていて、外見や文化が異なることに嫌悪するのではなく、それに興味を持って積極的に接してくれる姿に何度も刺激を受けた。もちろん上手くいかないことも沢山あったけれど、壁にぶつかることで自分の現在の力量や能力を肌で感じ、未熟さを思い知ると同時にまだまだ成長できることを実感した。現地の人の真っ直ぐで全力な姿勢を見て、周りの目や評価を気にして生きていた頃から一気に心が軽くなり、何事も重く捉えすぎずにまずは気楽に挑戦してみよう、失敗を恐れず一歩踏み出してみようという考え方がこの一年で養われた。留学前とは精神的に大きく変化した自分の内面と見出した今後への新たな目標を離さず、将来日本のエンタメコンテンツを通して世界中に感動を届けられる人材になれるよう精進したい。

ドイツ語文学文化専攻3年 河野文萌(2023)

挑戦を大事にした留学/松田優

 私は大学2年後期から3年の前期までテュービンゲン大学へ交換留学をした。
 入学当初から留学に興味があり、将来の就活や4年での卒業を考え、2年次の秋派遣交換留学を目標にしていた。交換留学の応募条件として「独検3級以上の取得」があり、私は入学後にドイツ語学習を始めた為、短期間でのドイツ語能力向上が必要だった。
 ところがコロナ禍のオンライン授業に対するモチベーションの維持が非常に難しく、留学するという士気が下がった。しかし、大学1年の夏に留学について再度真剣に考え、ドイツ語スクールへ通い語学学習に本腰を入れた。

 留学当初、自身のドイツ語に自信を持っていたが、ドイツ語クラス分けテストで一番下のクラスになった。専門分野の授業を履修するには高い語学力が必要とされる為、最初の学期は語学の授業に集中することとした。ドイツ語上達のために、様々なことに挑戦した。

①タンデムパートナーを増やし、1週間に2、3回定期的にドイツ語で話す時間を作った。また、フラットメイトと一緒に料理をしたり、バーや遊びへ出かけたりなど積極的に行動した。また、大学のスポーツクラスに参加し、テニスや空手を通じて新しい仲間と出会い、ドイツ語を使う環境を作った。スポーツを通して友達を作るのは、とてもお勧めできる。

②自分のドイツ語レベルを測るため、ドイツ語検定試験Goethe-Zertifikatにもチャレンジした。Hören(聞く)、Lesen(読む)、Schreiben(書く)でB1の資格を取得することができた。帰国後すぐに、B2を受ける予定である。特に、ドイツ語力の向上を確信できたのは、電車で隣に乗り合わせたお爺さんと1時間以上も世間話をした時だ。お互いの趣味や将来の夢などを話し、楽しめたことが自分でもとてもびっくりした。これは、自信へとつながった。

③クリスマス、イースターは、大学が休みだった。なので、ドイツ人の友達に頼んで家族の集まりに参加させてもらった。日本では恋人と過ごすイメージが強いクリスマス、ドイツでは親戚全員が集まり祝い、そして祈った。人生初めての教会でのミサ体験は、とても神秘的で、大きなパイプオルガンの演奏に圧倒された。日本に馴染みのないイースター祭も、親戚全員が集まり庭や森でイースターエッグを探し、一緒に食事をした。30人以上の親戚家族が集まるイベント、ドイツ人のリアルな行事の過ごし方は、新鮮でとても関心を持った。

④夏休みのドイツ人家族の旅行にも同行させてもらった。そのプランは、親戚家族21人でイタリアの山を6日間登山、その後ヴェネツィア付近のキャンプ場へ行くというものだった。ドイツ語のみで過ごす1週間余り、体力的にもメンタル的にも心配だったが、家族みんなフレンドリーでたくさんお話したり、「Wer Wolf?」のカードゲームをしたりと楽しく過ごせた。

⑤SNSで留学生活やドイツでの発見を発信した。例えば、留学生活のとある1日をショートムービーとして撮影し、ドイツ語のナレーションを録音、編集した。ドイツ語を使い発信することは、勇気が必要だったが、現在は自分のドイツ語で動画編集をして載せることが1つの趣味になった。

⑥日本食レストランでアルバイトを経験した。注文の受付、メールや電話対応でドイツ語を使い、コロナ対策、ベジタリアン・ビーガンゲストの多さ、サスティナビリティへの取り組み、新店舗開店のサポートなど多くのことを体験した。

 このように私は「ドイツ語能力向上」という目標を持ち、様々なことに挑戦し濃密且つ充実した留学生活を送った。「チャレンジ精神」が磨かれた価値のある留学だったと言える。

ドイツ語文学文化専攻3年 松田優(2022)

2度目の挑戦/永井麦

 大学在学中のドイツへの長期留学を決意したきっかけは、高校時代の交換留学でした。2018年の冬から1年間、ドイツ北部の小さな町で交換留学を経験しました。大学入学後もドイツでの生活を忘れられず、チャンスがあるならもう一度、と思い留学を決めました。中央大学の交換留学先にベルリン自由大学を見つけた時に「前回の留学で一度訪れた思い出の町に行って、次はそこで学生生活を送りたい」と強く思い、留学先として選びました。またベルリンのグローバルな環境も、留学先として希望した理由の一つで、ドイツ国内からはもちろん、世界中から人々が集まる都市への憧れもありました。
 2度目のドイツ生活でありましたが、不安を抱えて渡航しました。渡航約1か月後に始まった冬学期は、やはり通常通りというわけにはいかずオンラインの講義が多く、キャンパスライフは先に持ち越しになりました。夏学期になり、コロナウィルスに対する規制が徐々に弱まり、ほとんどの授業が対面になりました。キャンパス内のイベントやカフェも再開し、やっとキャンパスライフを味わうことができるようになりました。冬学期に苦労していた寮での勉強する環境づくりも、カフェに行ったり大学の図書館に行ったりと環境を変えて作業することができるようになったので改善されていきました。
 大学での授業は、もちろんハードです。言語の違いもシステムの違いも含めて難しいことがたくさんありましたが、大変な時間を過ごした価値があると自信を持って言えるほど吸収できたことや思い出があります。履修者の多い講義スタイルの授業は、私が日本で経験した授業よりも自己管理が必要でした。毎回提出するような課題はないことが多いので、試験を受けるまで評価されることがありません。つまり、予習復習をやるかやらないかは学生の自由なので計画的に自習を進める必要がありました。セミナースタイルの比較的少人数で行われる授業は、自分の意見を持つ必要があります。そのような授業を通して、少しずつではありますが自分の思いを人前で伝えることに対しての抵抗が減りました。
 私は留学期間の約1年間、大学から少し離れた大規模な学生寮に住んでいました。私の場合は6人でフラットをシェアする形で、にぎやかな寮内でした。一人ひとりに部屋がありましたが、共同スペースではほぼ毎日顔を合わせていました。みんなそれぞれ全く別のフィールドで学生、または研究者として生活していたので、一緒にいる時間はたくさんのことについて話しました。6人も集まれば、国籍も年齢も、ベルリンにいる理由ももちろん考え方もバラバラで、意見の違いや大変なことは日常茶飯事でしたが、全員が寄り添って分かり合う努力をしていたので、とても楽しい寮生活になりました。
 休日や授業時間外は、ルームメイトや寮内の友達と一緒にいることが多かったです。冬は気候やコロナの影響で、あまり外出はできませんでした。冬が終わると、カフェやショッピングに行ったり、寮の周りを散歩したりしました。滞在の最後には、ベルリンのミュージアム巡りもできました。日本ではしなかったような新しいことにたくさん挑戦することができて有意義な時間を過ごしていました。
 今回の留学を通して、自分のことをより深く理解しました。大学の授業でも寮にいても多くの場面で、意見を求められます。まずは考え、それを口にする機会が増えたので、自分がどんな場面でどう考えるかを以前より知ることができました。この習慣は帰国後の学生生活や就職活動に大いに活かせると考えます。ベルリンは特に、町を歩いているだけで刺激をもらえる場所です。どんな考えも恐れることなく表現することの大切さと楽しさを、ベルリンは私に教えてくれました。今回の留学も、決して忘れられない貴重な1年になりました。

ドイツ語文学文化専攻3年 永井麦(2022)

長いようで短かった1年間/櫻井杏凪

 私は3年生の9月から4年生の8月までテュービンゲン大学に留学をしました。テュービンゲンはシュトゥットガルトから電車で約1時間のところにある自然豊かな大学町です。大学町らしく多くの学生が大学で学んでおり、治安もとても良く、城や旧市街がありドイツを感じることができるので留学先として選んで本当に良かったと思っています。
 大学では主にDeutsch als Fremdspracheの授業を受けていました。これらのコースでは文法を習うと同時に、多国籍なクラスメイトたちとペアになっての会話の練習が多くあり、ドイツ語の会話に慣れるとてもいい機会でした。彼らは分からないことを曖昧にするのではなく、はっきり分からないと主張したり、積極的に会話を続けようとしたりしていました。その姿に刺激を受け、私も恐れずとにかく話してみようという姿勢が身に付きました。そうして過ごしていくうちに、ルームメイトに、来た時よりすごく上達したねと言ってもらえとてもうれしい気持ちになったのを覚えています。また、タンデムパートナーと出会って言語交換だけでなくお互いの出身地の文化を教え合うこともでき、さらに一緒にパーティをしたり旅行をしたりと楽しく有意義な時間を過ごすことができました。
 私は1年間、4人でキッチンとバスルームを共有しながら寮に住んでいました。私以外は全員ドイツ人で、彼らと生活するうちにドイツ人のエコ意識を体験しました。例えば、廊下や共有スペースの電気は使っていなければすぐに消す、いらなくなったものはすぐに捨てるのではなく誰かに譲る、といったことです。実際にドイツでは家の前に不要なものを入れた箱を置いて他の人に譲るという文化があり、使えるものは長く使うという意識を多くの人が持っていることを知りました。また、テイクアウトのドリンクはリユースカップを使う、エコバックを必ず使う、ペットボトルや瓶はスーパーなどの回収容器に戻してリサイクルするといったことが当たり前のように行われていました。
 1年間の留学を通して様々な貴重な経験をしました。初めは言葉が上手く通じず異国での初めての一人暮らしということもあって、不安でいっぱいの状態でスタートした留学生活でしたが、徐々にドイツの生活に慣れ友達が増えて、テュービンゲンが帰ってきて安心する場所になっていきました。カフェで友達とおしゃべりをする、天気がいい日は公園でピクニックをする、寮で集まってパーティをする。そんなドイツでの過ごし方が今では大好きになりました。1年間はとても長い期間だと思っていましたが、いざ過ぎてみると人生で一番密度が濃くて短い期間だったと感じています。言葉が通じて色々な境遇の人たちとコミュニケーションを取ることができた時の気持ちは忘れられません。今後も勉強を続け、そしてまたドイツに行きたいです。

ドイツ語文学文化専攻4年 櫻井杏凪(2022)

Erfahren? Erleben?/三橋意

「留学で自分の価値観が変わりました!」
「1年って本当にあっという間でした!」
「異文化間の交流があって本当に楽しかったです!」
留学経験者は口をそろえて皆そう言うらしい。それが留学前の私が抱いていたイメージである。

異国で1年間を、それもたった1人で生き延びるということは大学進学までの18年間を青森で過ごした田舎者の私にとっては未だかつてない極めて刺激的な経験であったのは言うまでもない。
一方で、自分で実際に経験した留学中は、おおよそ自分がイメージした留学とはかけ離れた想像もできない出来事もまた多くあった。

その良い一例として、去年の冬に授業の一環でドイツの若者言葉を調べることとなった際に行ったアンケート調査がある。
この時は、アンケート用紙の作成や聞き込みに敢えて1人で挑戦し、道行く生徒たちに片っ端からインタビューを敢行した。「不審者だと思われないか」「そもそもドイツ語ができないアジア人が相手にしてもらえるのか」など不安はあったものの、結果は大成功で、多くの人が参加してくれた。自分にこんなことができるとは思っていなかったが、おかげで今まで聞いたこともないようなユニークな若者言葉をたくさん聞くことができた。

もう1つの例が皆様ご存知のコロナ禍だ。
せっかく留学に行ったのにコロナで可哀想に…とよく言われるが、私自身は実はそこまでマイナスに感じてもいない。
長い交換留学の歴史の中でこれだけ大きな出来事を経験させられた交換留学生はそう多くないだろう。「ベルリンの壁崩壊やリーマンショックに匹敵するであろう世界史の1ページを異国で経験できたことは大きな財産だった」と捉えることもできるはずだ。

留学が私に何をもたらしたのか?

誰かとの素敵な出会い。人の優しさやぬくもり。
自分と対話し、勉学に励む1年というとてつもなく長い時間。
自分の未熟さによる言語の壁や文化の障壁に挟まれる孤独。
いくつもの困難がありながらも何かを得ようともがき続けた日々。

それが今、留学を振り返って思い浮かぶことだ。

「1年の留学でなにか価値観が変わった?」と人に訊かれても「それは今後の自分次第」と私は答えるだろう。
むしろ私は、私の価値観はこれから変わり始める、もしくは変化を実感するのではないかと考える。言い換えるならば、ドイツで学んだことや貴重な経験を忘れずに今後につなげられなければどんな変化も無意味だと思っている。

経験。経験とは何であろう。
„erfahren“と„erleben“の違いについてネイティブに質問したことがある。どちらも「経験する」という意味だが、前者は「(外から読んだり聞いたりして)知る」であるのに対し、後者は「(自分が実際に見聞きして)知る」というニュアンスがあるという。この違いはまさに「百聞は一見に如かず」という日本のことわざのようだ。

そう考えると、今までerfahrenしかしてこなかったドイツをerlebenさせてくれる機会を与えてくれた交換留学に深く感謝したいと思う。

ドイツ語文学文化専攻5年 三橋意(2020)

前向きに乗り切った留学生活/倉成駿

私は2019年の9月から2020年の3月まで(新型コロナウイルスの感染拡大により帰国)ベルリン自由大学に留学した。特に大変だったのは慣れない共同生活への戸惑いや、VISAなどの手続きをしなければならなかった9月で、その時には「なんでもっと調べてこなかったんだろう」「もっとドイツ語や英語を勉強していけばよかった」などといろいろと後悔もしていた。しかし、10月になると為せば成るだろうということで、とにかくいろいろと挑戦してみようという気持ちに変わることができた。べルリンで学んだ7か月間、私は様々なことを経験して、留学前よりも成長することができたと感じているが、その中でも一番私を前向きにしてくれたのは「為せば成る」という精神だったと思う。

学業面について
9月から始まった語学コースが終わり、10月の2週目からは本授業が始まる。1か月半の語学コースによって、留学前よりは語学力、特に話す力に関しては多少鍛えられていたとはいえ、やはりまだ正規生のゼミに参加するには自身の語学力が不十分すぎるということを理解していた。そのために私は留学生向けのゼミをいくつかとることにしたのだが、それは留学生向けとはいえかなり充実した内容であった。
「ベルリンの文化」という授業ではその名の通り、ベルリンの文化を学ぶというものだったのだが、クラシック音楽や劇場、建築などの伝統的な文化だけでなく、クラブ文化やオスタルギー(東ドイツ時代を懐かしむこと)などの、日本ではあまり取り上げられないモダンカルチャーや、ドイツ連邦共和国やベルリンが文化に対してどのような援助を行っているのかということまで、ベルリンの歴史や文化について非常に幅広い内容を学ぶことができた。「文学の町 ベルリン」という授業はベルリンにゆかりのある文学作品を各自で読んできて、授業でわからなかったことを話し合ったり、作品の分析や考察を行ったりというものだったのだが、これも自身にとって非常にためになる授業であった。授業で扱われる作品はベンヤミンやクライスト、デーブリーン、ホフマンなど文学的に興味深いものが多く、彼らの作品を原文で読み、ドイツ語でディスカッションするということはものすごく価値のある体験だったと思う。さらに彼らの文章は時に難解な比喩や言い回しなどが使われており、読解するのに大変な労力を要したが(10ページ読むのに5時間ほどかかることもあった。知らない単語も多く200回くらい辞書を引いた)、それを読み解けたときのうれしさというのは、難解で文学的なテクストだからこそ得られたものだっただろう。

ベルリンという町と生活
ベルリン自由大学には日本学科がある。そのために日本語を学んでいるひとが意外と多く(副専攻の人を含めると100人以上!!)タンデムパートナーを見つけるのには苦労しなかった。1人はすでに日本に留学経験のある学生、もう1人はこれから日本語を学ぶという学生とタンデムを組んだのだが、非常にいろいろなことを学ぶことができたと思う。日本語初学者であるほうのパートナーに教えるときに、逆に私自身が日本語について学ぶことも多かった。彼らとは言語を教えあうこと以外にも趣味について話したり、食事に行ったりして、コミュニケーションをとることができ、教科書には載っていないドイツやドイツ人の雰囲気を感じ取ることができてよかった。
テストが終わって休みになると時間に余裕ができたので学生証についているベルリンフリーパスを使って、様々なところに行ってみることにした。冬学期中にブランデンブルク門のような主要な観光地にはすでに訪れていたのだが、マイナーなベルリンの町を歩いてもっとこの街を知ってみたいと思ったのだ。そんなこんなで冬休み中はベルリンを歩き回っていたのだが、ある日私はベルリン郊外にあるオラニエンブルクにあるKZを見学しにいった。そこはナチス時代にユダヤ人や戦争捕虜などが集められ、強制労働や虐殺が行われた場所である。ここでたくさんのソヴィエト兵が虐殺されたと記された看板の真横に、戦後この収容所がソヴィエトに利用され1万人近くが強制労働の末、餓死したことを伝える記念館がある。たった70数年前にここでこんな壮絶なことが行われていたということに、恐ろしさを感じるとともに、この悲惨な歴史は絶対に忘れてはならないと心から思った。

パンデミックと帰国
1月から日本では大騒ぎになっていたコロナウイルス騒動も、2月中はドイツでは完全に対岸の火事だった。日本に住んでいる両親や友人に「気を付けてね」とメッセージを送るものの、ドイツにいるから関係ないという気持ちのほうが強かった。2月の終わりにはイタリアで感染が爆発したことにより、少しずつ状況が変わってきた。アジア人に対する偏見の目が大きくなり、韓国人の友人は子供にふざけて咳を吹きかけられたり、台湾人の友人も駅で「お前はコロナウイルスか?」と声をかけられたといっていた。それでもまだ私自身は雰囲気の変化を感じ取ることができず、何とかなるだろうという、楽観的な姿勢でいた。3月の中旬、1日の感染者は指数関数的に増え、16日にはドイツはEUとの国境を封鎖、飲食店などの営業も停止するなど急速に状況が悪化していった。この時期になると周りの日本人学生も帰国を決心する人が増え、他国の留学生たちも次々と帰国したため、寮が閑散としてくる。買い物などに行くために外に出ると、アジア人というだけでにらまれ露骨に避けられるという状況で、バスに乗るのも嫌な状況になってきた。そして3月17日、私は外務省の渡航危険情報がlevel2に引き上げられるのと同時に帰国を決心することとなった。帰国を決心してからの行動は早く、4日後の21日までにはすべての手続きを終えて、日本行きの飛行機に乗って帰国した。
想定外の留学の中断に対して後悔はもちろんある。もっとヨーロッパを旅行したかったし、受けそこなった授業もたくさんある。しかし私は今回の帰国は悪いことばかりでなかったと考えている。なぜなら想定外のトラブルに対して慣れない場所で、的確かつ迅速に対応するということができるようになったからである。そしてこれは留学初期の想定外の事態におろおろしていた自身と比較して自身の成長を最も感じる出来事となったのである。

ドイツ語文学文化専攻4年 倉成駿(2020)

目の前のことに全力で向き合い続けた1年間/今村弘佳

私は3年次の夏から4年次の夏までの1年間、ドイツのオスナブリュックに留学しました。留学を考えるまで耳にしたことがなかった場所でしたが、大学生が多く住んでいたため住みやすく、また訛りのない標準的なドイツ語を話す土地だったため留学先としては絶好でした。

帰国して振り返ってみると、この1年間は毎日何かしらのトラブルに見舞われ、自分の不甲斐なさを突き付けられた苦しい時間でしたが、そのおかげでとても意味のある3つのことを獲得したと感じています。

1つ目は自分の意見を伝えることです。ドイツで過ごしていた時、人が気持ちや意思を「察する」ことはしないため、どんなささいなことでも言わなければ伝わりませんでした。これは多国籍のルームメイトと暮らしている中で経験したことです。例えば、夜中に大音量で音楽を流され、翌朝私が不愛想に接しても、本人はなぜ私が怒っていたのか気づきませんでした。このように当初は自分の気持ちが伝わらず歯がゆい思いをすることもありました。ですが皆私の考えが合っているか、間違っているかに関わらず、意見に絶対に耳を傾けてくれました。そのおかげで日が経つにつれて意見を素直に伝える強さを得たと思います。留学前は状況や他の人の気持ちを気にして意見を言うことが多かったですが、帰国後はどんな人に対しても自分の言いたいことをはっきり言えることが多くなった気がします。

2つ目は柔軟に考えることです。日本に住んでいた際は一つのことが実現できなくても、他の選択肢をいくつか探すのは簡単でした。ですが留学中は限られた時間で留学生の様々な制約がある中、自分の目的を達成する必要がありました。私はオスナブリュック大学で社会教育についての多くの授業を受講することを希望していました。ですがそのような授業が少なく、1つしか受講できませんでした。そのため近郊の博物館に赴くことを決めました。実際に足を運び現場で学ぶことにしたのです。そこには手で触れて学べるハンズオン展示が多く、見学者は経験を通じて知識を獲得できることを知りました。これに加えて、近隣の小・中・高校との連携が強く校外学習の場として毎年使用され、それをきっかけとして自主的に博物館に訪れる生徒が増加することを学芸員の方に伺いました。このことから、博物館が地域住民の日常生活の一部として根付いていることを感じることができました。留学中希望通りいかないことも多々ありましたが、そのおかげで常に他の選択肢はないか、考える力がついたと思います。

3つ目は環境・状況を理由にせず挑戦し続けることです。私はアカデミックな場に留まらず、ビジネスの場でも使えるドイツ語を身に付けたいと思い、ドイツ企業でのインターンシップを希望していました。しかしドイツ語の能力の低さから不可能だと半ばあきらめていました。ですが毎日ドイツ語学習を繰り返した結果、Goethe Zertifikat B1を取得することができ、インターンシップ参加の資格を手にしました。うまく話せないからと言って1人で閉じこもるのではなく、毎日ルームメイトとの接触を図り、グループの一員になれたこと、またドイツで生活していながら可能な限り多くの日本企業とコンタクトを取り内定をいただけたことも、環境や状況を言い訳にせず挑戦し続けた結果だと思います。

私は留学中何度も、留学して本当に良かったか悩みました。毎日ドイツ語を学ぶ努力をしても結果はなかなか現れず、このまま何も変わらず帰国する時期がきてしまうのではないかと不安でした。加えて、日本に住む友人たちが就活している中自分は思うように進めることができず、一生遅れをとってしまうのではないかと考えていました。ですがそんなネガティブな気持ちを抱えながらも、毎日起こるトラブルに向き合ってきました。向き合い続け、自分なりに解決したおかげで新しい可能性も知ることができました。留学は語学力向上だけではなく、一人で考え、悩み、解決し、自分自身が成長できた本当に貴重な時間でした。この経験を自分の中に留めるだけでなく、今後社会に出ても生かしていきます。

ドイツ語文学文化専攻4年 今村弘佳(2019)

決意/長沼秀斗

一年間ドイツで生活した経験は私を大きく成長させた。

ドイツへ来た当初、全ては新鮮だった。新しい環境に慣れようと必死にコミュニケーションを取り、多くの友人ができた。彼らと時間を過ごしながら、様々なことに取り組み、あっという間に時が流れた。気が付けばもう折り返し地点。そこからは日本とは全く違ったヨーロッパでの生活にも慣れ、自分の生活リズムが確立し、同時に自分の中の当たり前も少しずつ変わってきた。そうなると時の流れはさらに加速、別れを惜しむ暇もなく日本へ帰国しなければならない日がやって来た。そして、今まさにパソコンの前で座っている自分はすでに日本にいるのだ。

正直、駅や空港でのお別れも全く実感が湧かなかった。思い出がなかったわけではない。むしろ色々なことがあり過ぎた。帰国後も何かと忙しく、未だに信じられない、一年間のドイツ留学が終わり日本に帰ってきたということが。頭を整理するためにもこの機会に少し時間をかけてこの一年間を振り返っていこうと思う。

9月1日の朝フランクフルトに到着、その後高速列車(ICE)に乗ってヴュルツブルクへ向かった。駅に着くと事前に連絡を取っていたチューターさんが迎えてくれた。彼女とは初日から気が合って、後にタンデムパートナーとなり、この一年間で一番お世話になった。その日は、寮に入居し、必要なことを済ませ、夜にはシュタムティッシュに参加した。この日はちょうど週に一度開催されているシュタムティッシュの日で、初日から多くの人たちと知り合うことができた。そんなわけでホームシックになることは一度もなく、ドイツで順調なスタートを切った。

私はヴュルツブルクという街自体がとても気に入った。それほど大きな都市ではないものの高速列車が停まり、街の中ではトラムも走る。大学の街なので非常に多くの学生が住んでいて、留学生も多い。そして何より治安がとてもいいのだ。私が住んでいる間、この街でスリなどの被害にあった話を一度も聞かなかった。娯楽という面でもここでは日本とはまた違った魅力があり、天気の良い日には川沿いでバーベキューしたり、みんなでハイキングに行ったり、ちょっとした時間を見つけて橋の上でおしゃべりしながらビールやワインを飲んだり。夜にはレストラン、居酒屋だけでなくそれぞれの学生寮で頻繁にパーティーが行われている。それを通して多くの人と知り合うことができる。お互いに学生同士で気軽に話せることに加え、学んでいる分野、出身地が全然違うため興味深い話をたくさん聞くことができた。

学習面でも満足している。留学生が多いこともあり、語学の授業のオファーも比較的多かったと思う。私は留学生向けの授業とは別にスポーツ科学(Sportwissenschaft)の授業も履修していたが、どちらも日本の大学の雰囲気とは異なり、学生がとてもアクティヴという印象を当初は受けた。しかし、人の適応力はすごいもので、少し経つとその環境が当たり前になっていた。

正直、スポーツ科学の授業は私にとってかなりハードだった。大学の講義の内容はただでさえ容易ではないのだが、私の場合はそれを母国語ではないドイツ語で理解しなければならなかった。さらに講義とゼミがセットになっていたので、聞いた内容をしっかり理解しゼミに繋げなければならない。授業中は先生の話を聞くことだけに集中し、後でプリントの内容を確認するようにしていた。他には、運動時の心拍数などのデータを計測し、それをまとめる授業、実際に競技を行うというような、より実践的な授業もあり、興味深い内容だった。また、スポーツを通じて正規生たちとの距離を縮めることができたと思う。

ドイツ語のレベルはB1+からスタートした。秋の短期集中コース(Intensivkurs)では、先生の話を聞き取ることもまだ難しく、同じレベルなのにかなり喋れる人もいて、ついて行くのに必死だった。短期集中コースと学期の終わりに試験があり、合格者は一つ上のレベルに行くことができる。全てのテストに合格し順調に進むことができたのだが、特に嬉しかったのはテストを重ねるごとに点数が良くなり、授業中にも余裕ができたことだ。

私は留学の締めくくりとして8月にゲーテ・インスティテュートの検定試験のC1(Goethe- Zertifikat C1)を受けることにした。このために学期末のテストが終わった後も自主学習にしっかりと取り組むことができた。特に力を入れたのはリスニング(Hören)。留学生活が始まってから毎日欠かさずラジオを聞くようにしていたが、それに加え、インターネットのニュースを活用した。実際テストを受けて感じたのは、案の定リスニングが難しかったこと、そしてポジティヴな誤算としてはライティング(Schreiben)がかなりスムーズにできるようになっていたことだ。これはドイツに来てからアウトプットの量が格段に増えたことが要因だと思う。スピーキング(Sprechen)の結果もまずまずだった。今後の課題としてはリスニングはもちろん、リーディング(Lesen)のスピードと正確さを高めること。特にこの二つの能力が上がれば、大学の授業をより理解できると思う。

Goethe-Zertifikatを受けたことで、自信がついたこともそうだが、何より目に見える結果が得られたのが嬉しかった。

今回の交換留学を通して、自分のビジョンが更に明確になった。新しい環境で多くの人に出会い、様々な話を聞いて、経験して、自分と向き合い、自分が挑戦したいことへの決心がついた。また、精神的にもタフになったと感じているし、一年間モチベーションを維持することもできた。

卒業後、再び、ドイツへ留学しようと思う。当然簡単な選択ではなかったが、約一年間真剣に考えた結果だ。自信を持って挑戦したいと思う。

ドイツ語文学文化専攻4年 長沼秀斗(2017)

全てが新鮮!ベルリンでの留学生活/中島さくら

私は、2015年8月から交換留学生として、ベルリン自由大学に留学している。

ベルリン自由大学が置かれているベルリンは、ドイツの伝統的文化と最新の文化の融合がバランスよくなされている都市であり、また、演劇やその他の文化が盛んで、生活の一部としてとても身近にあることに魅力を感じた。さらにべルリン自由大学は外に目を向けた開放的な大学であると感じたため、そこで勉強したいと思って留学を決めた。

【学業面】

前期は演劇に関する講義 "Einführung in die Theaterwissenschaft"(演劇学への導入)を聴講した。専門の授業はもちろん正規生向けであり、説明も哲学やフランス語文献からの引用と関連させたものであったのでとても難しく感じ、理解度は三割である。だが、演劇学科を聴講している日本人の学生(いずれも留学生)が数名おり、その学生たちから色々学ぶことができた。なかにはその道で食べていきたいという者もおり、とても勉強になった。

留学生向けの授業は二つ受講したのだが、いずれも各国から集まった留学生が積極的に、活発に発言し、それが日本で私が受けていた授業と異なる点の一つであると感じた。留学生向けの授業のテーマは主にドイツ、ベルリンが東西に分裂していた時代について、である。驚いたことに、どの授業にも東西ベルリンのことが関連してくる。ドイツ、そしてなかでもベルリンで勉強するためには、やはりこの歴史を学ぶことが大事だと考えられていると感じた。

語学クラスは和気藹々としており、そこで気の置けない友達を作ることもできた。コミュニケーションを円滑にするには、お互いの国に興味や関心を持つことや、恥ずかしがらないこと、そして自分の意見をしっかり持つことが本当に重要であると何度も痛感した。皆、文法は間違っていたりすることが多いが、それを気にせず伝えよう、聞こうと積極的に会話をするようにしていた。間違えても良い!と思いきることで、日常会話はためらいなくできるようになった。

【生活面】

共同キッチン・バスを6人で共有する学生寮に住んでいる。文化の違いから、フラットメイトと意見が合わず、ぶつかってしまうことも多々あった。だが、その反面、ホームパーティーなどが盛んに開催されており、楽しいことも沢山ある。

ここで思ったことは、ベルリンではドイツ語だけでなく、英語が話せなければならないということである。どこに行っても皆ドイツ人は、英語を人並みに話すことができ、さらに留学生の間では英語が共通言語であり、ドイツ語を使う者は少ない。英語をもっとしっかり習得してくればよかったと後悔し、現在も引き続きドイツ語と並行して、英語も勉強している。

そしてドイツ語を意欲的に学ぶ手段として、語学クラスの他には、タンデムパートナーを作った。文献からは読み取れないドイツの文化を学ぶことができて、また、日本のことについてもこちらまで勉強になるというような、楽しく有意義な時間を作り、学ぶようにしている。

【演劇、その他の文化的催し】

ベルリンには有名な劇場が多数あり、そのなかでも私が足繁く通っているのは、Berliner Ensemble、Komische Oper、Schaubühneである。舞台俳優たちは各々の劇場に属しており、他の劇場に出ることはあまりない。また日替わりで幾つかの舞台が上演されるので、舞台装置が簡素であるのが日本と異なる点である。

各劇場はそれぞれに特徴を持っている。Berliner Ensembleはブレヒトが創立した劇場であり、ブレヒトの作品が中心として上演されている。私は「三文オペラ」や「肝っ玉お母とその子供達」などを観劇した。演劇の講義では、ブレヒトの作品がやはり大前提となってくることが多い。

Schaubühneは、とても独創的であり、悪く言えば何をしても許される劇場であると思う。私は一番好きな劇場である。特に、ここで上演されたブレヒトの「母」は、近代の演出で上演されたが、とても深く考えさせられる作品であった。このように、講義で「劇場に足を運ばなければ、何も始まらない」と言われたこともあって、劇場には出来るだけ足を運ぶようにしている。

また、私はクラシック音楽を聴くのも大好きなので、近くにBerliner Philharmoniker(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)などがあることも、ベルリンに留学に来てよかったと思う点のひとつである。

広範囲にわたり文化を学ぶ、という点では留学先がベルリンで本当によかったと感じている。

ドイツ語文学文化専攻4年 中島さくら(2016)

独文生のロシア留学/田中孝樹

私は3年生を終えて、1年間大学を休学し、ロシアのニジニーノブゴロド国立大学に1年間留学しました。私がロシア語に興味を持ったのは大学1年生の時に「運命の皮肉」というロシア映画を見たことがきっかけです。この映画から、文化、言語と様々な分野でロシアへ興味を持つようになりました。ロシア語の勉強は独学で行い、基本的な文法を覚えた後は、SNSを利用してロシア人と毎日コミュニケーションをとるようにしていました。ロシア語の勉強を始めて約1年半後にТРКИ第1レベルというロシアの大学に入学するために必要なレベルに合格し、ロシア長期留学を決心しました。

留学中は外国人のためのロシア語オリンピックへの参加、ネットビジネスの運営など様々なことにアクティブにチャレンジしました。ロシア語オリンピックでは大学の代表として中国人とペアを組んで、日本と中国のファッションについてのプレゼンテーションを行い、2位という結果を残すことが出来ました。ネットビジネスでは、友人たちとロシアのSNSを使って日本のモノをロシア人にネット販売していました。文化が違えば商習慣も変わり、勉強の毎日でした。

ロシアでは文学部のスラブ語学専攻に所属していました。私はグループで唯一の外国人でしたが、明るい性格のロシア人と打ち解けるまでには全く時間はかかりませんでした。授業は1日4コマで、大学の授業が終わった後は毎日追加のロシア語のクラスに通っていました。予習復習の毎日で夜遅くまで机に向かうことも多々ありましたが、このような何事にも一生懸命取り組む姿勢は日本に帰ってきても習慣化し、大学の授業や就職活動にもしっかりと取り組むことが出来ました。また、スラブ語学を勉強していくにつれて、これまで勉強してきたドイツ語学と対照的な点や類似点が見られ、スラブ語学とともにドイツ語学への関心も増していきました。

ロシアに到着してちょうど2週間が経った頃、ロシアがクリミア半島に介入しました。私は寮に住んでいて、ウクライナ人のルームメイトと部屋を共有していました。彼から聞く話はメディアでは報道されていないようなショッキングなものばかりでした。さらに、私のロシア人の友人たちの親族もウクライナで戦争に巻き込まれたりと、今回のクリミア半島問題は私にとって非常に衝撃的で身近なものに感じられました。

1年間のロシア留学で得た経験は大学生活に様々な影響を与えてくれました。スラブ語学の学習からドイツ語学への興味がさらに強くなり、卒業論文「『再録』『語順』『品詞転換』から見るドイツ語新聞記事におけるテクスト生産者の意図~クリミア半島問題を通して~」では、ドイツ語とロシア語の両方を用いた分析を行いました。分析対象としてはロシア留学中に非常に身近に感じられたクリミア半島問題を選びました。独文なのに何故ロシア留学なのかと聞かれることがよくありますが、1年間のロシア留学は決して無駄なものではなく、ロシアでの経験は卒業論文として結実しました。この経験を活かして、これからも様々なことに積極的に取り組み、自分自身を高めていきたいと思います。

ドイツ語文学文化専攻4年 田中孝樹(2015)