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文学部長挨拶

新原 道信 中央大学文学部長

慎み深く、思慮深く、ゆっくりと・やわらかく・深く、“智”をともに創ることへの誘い

文学部は、人間と社会のうごきとその意味を、根本から考える力を育成するための場です。人間と社会が抱える諸問題に対して、古典や生身の現実から学び、創造的活動を重視します。グローバル社会で生起する地球規模の諸問題(global issues)の背後にある根本問題(fundamental problem)をとらえ、想定内の「問題解決」ではない新たな問いを立てる“智”を育成しています。「われもひとなり、かれもひとなり、われもいきもの、かれもいきものなり、われもかれも、ものよりいで、ものにかえるものなり」――文学部の学問は、どんなひとであれ、どんな生き物であれ、どんな自然であれ、ただ存在するという理由のみによって静かに尊重されるような世界をつくるための“智”であってほしいと思っています。

そのための道筋として、13の専攻(国文学、英語文学文化、ドイツ語文学文化、フランス語文学文化、中国言語文化、日本史学、東洋史学、西洋史学、哲学、社会学、社会情報学、教育学、心理学)、そして何をどう学ぶかを自分で考えるところから始めることができる場である「学びのパスポートプログラム」を配置しています。複数の学問領域(専攻)、複数の言語・文化・地域等に通じた専任教員により、人文科学系から社会科学系の学問分野を網羅し、一部には理科系に近い分野も含みます。太古からの学問分野もあれば、最先端の学問分野もあります。

このことから、人間とは何か、どう生きるのか、社会とは何か、どんな未来を創ればよいのかといった根本的な問題を考えたい人、現代社会が直面している解決困難な問題に取り組みたい人、過去・未来そしていまここに生きている人の人生を断片化することなく受けとめたい人、複数の異なる視点・立場から領域横断的に現実を把握し対話をおこないたい人にぜひお薦めしたい学びの場です。では、いま、このような場で学ぶことには、いかなる意味があるのでしょうか。

「3.11」そして「コロナ禍」の社会を生きる私たちは、いわば見知らぬ明日(unfathomed future)に対面し続けています。諸科学は、対応困難な問題(社会の複雑性がもたらすリスク)に直面し、「問題解決」の困難が増大しています。いま求められているのは、問題のなかに予め答えが含まれているような「問題解決」にとどまらず、既存の領域を横断・突破して新たな問いを立てる総合的な“智”です。文学部は、時代の変化に追随するのではなく、時代が変わっても通用する学問を学ぶ場――あるときは「時代おくれ」と見えても、むしろ危機的な瞬間には「時流」を突破・横断し、先端に飛び出していく可能性を持つ“智”を身につける場です。

故郷パレスチナから遠く離れニューヨークという異郷の地で生きた知識人E.サイードは、「いま大学は、国や政府のコンサルタントとなる専門家を生産してしまっているが、しかしそれだけが大学ではない。『商品』と成り得ない分野で本当の知識人が生まれるかもしれない」と言いました。サイードが願望し企図したように、慎み深く、思慮深く、ゆっくりと・やわらかく・深く(lentius, suavius, profundius)、次なる時代の“智”をともに創る試みに参加していただけることを願っています。人間や社会の限界と意義を考え、自分のなかの歴史や社会を掘り起こし、新たな問いを立てること、新たな社会への見通しをつくること、〈人のつながりの新たなかたち〉を構想すること、等々――どうか文学部で、縦横無尽に思考の翼を拡げていってください!

文学部長  新原 道信