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グアムにおける英語文学と植民地主義の調査

文学部人文社会学科 英語文学文化専攻 3年
安達 泉

1.目的

活動の目的は、英語書籍やフィールドワークを通して、グローバルな人間としての視点を身につけるためと今後の研究のためである。
一般に「英語文学」と聞くと欧米が想起されることが多いと思うが、植民地主義時代の結果、グアムを含むミクロネシア、マリアナ諸島にも英語文学は存在する。リゾート地としてのグアムだけでなく、日本との歴史的な関係についての認識を、英語書籍を通して学び、日本人とグアムの人びとの歴史認識を比較することによって、グローバル人材としての視点を養おうと考えた。
また、一般的に「アメリカ準州」とみなされるグアムの文学を学び、今後の研究の材料とする。私はアメリカについて学ぶうちに「移民」や「先住民」に興味を持った。グアムはスペイン、アメリカ、日本による統治の結果、移民の流入が激しく、過去だけでなく現在もアジアからの移民が多い。アメリカ本土は多くの移民によって多文化化、多様化した。先住民族の苦難の歴史もある。二つの似た環境で文学はどのような役割を果たしているのか、また、文学を通して「アメリカ」はどのように描かれているのかを調査し、グアムにおける英語文学を今後の研究の比較材料として使用したい。

2.概要

私はNPO団体、グマファマグウンタノザニタシ(Guma’ Famagu’on Tano’ Yan I Tasi:大地と海の子どもたち)に所属している。私たちはグアムの先住民族であるチャモロの歴史や文化を学び、チャモロダンスと呼ばれるダンスを通じて国際理解につとめている。今回その団体が、第二次世界大戦の生存者であるジョン・ベナベンテ(John Benavente)氏の80歳の誕生日パーティーに招待され、そこでチャモロダンスパフォーマンスを行うためにグアムへの渡航が決まった。そのため滞在中のスケジュールは団体に合わせたものだが、団体のメンバーとして活動するかたわら、奨学生として個人的な調査を行った。以下が概要である。①グアムで販売されている英語書籍の購入②ベナベンテ氏へのインタビュー③太平洋戦争資料館での植民地主義調査④現地の人びととの文化交流⑤ジュディ・フローレス(Judy Flores)博士を招いて国際理解教育論での講義(帰国後)。

3.日程

8月 25 日(金)
8:30 成田空港集合
11:00 成田空港出発 
15:55 グアム国際空港到着 
17:30 ベナベンテ氏の自宅にてディナー(インタビューする)
21:30 ホテルチェックイン

8月 26 日(土)
8:00-10:10 Yona コミュニティセンターで Guam Premier Outlet(以下GPO)でのショー練習 
10:40-11:15 太平洋戦争資料館
11:45 GPO 到着(書籍購入)
13:15 ショー準備
14:00 GPO ショー
15:45 GPO出発
16:00 Sheraton Laguna Guam Resort(誕生日パーティー会場)到着 
16:15 パーティー会場でリハーサル
18:00 パーティー開始
23:00 ホテル到着

8月 27 日(日)
4:00 ホテルチェックアウト
4:15 ホテル出発 
4:50 グアム国際空港到着
5:00 飛行機チェックイン
6:55 グアム国際空港出発
9:35 成田空港到着
10:30 解散

12月1日(金)

9:20-10:50 国際理解教育論(担当教員:中山京子)でフローレス博士による講義とグマファマグウンタノザニタシによるプレゼンテーション

4.活動報告

(1)An Island in Agony

Guam Premier Outletの中にある書店にはチャモロコーナーというものがあり、チャモロ語学習用の本やチャモロによって書かれた書籍が置いてあった。しかし店頭に置いてある本が少なく、事前に購入を考えていた書籍は一冊もなかったので “An Island in Agony” という本を購入した。
この本には人びとの記憶が書かれている。一箇所だけ紹介すると、p.26に “I heard one of men – possibly Angel Flores – give a deathly groan. Moments later, I saw the shadow of another form crumbled to the ground.” という文がある。この文からは日本軍が上陸してからのチャモロと日本兵の様子がわかる。この個人レベルでの記憶や歴史は教科書で語られることはない。そのためこの本に書かれている個人的な戦争体験を知ることは重要であると言える。
当初の予定では、書籍から歴史認識の違いを考察することを目的としていたが、日本の学校教育でグアムを取り扱っていないということを考えるとテーマ設定が安易であった。なので今回の報告はここまでとし、これから別のアプローチをしていきたい。

(2)植民地主義からみる日本とグアム

1)太平洋戦争資料館
8月26日、ハガッニャにある太平洋戦争資料館(Pacific War Museum)を訪れた。グアムの中心部であるタモン(Tummon)から車で15分のところに位置している。この施設は国立ではなく個人経営となっており、ジョン・ガーヴァー(John Gerver)氏によって2001年に設立された戦争資料館である。ガーヴァー氏は幼い頃から島のいたるところに落ちていた戦争遺品を集めており、現在その収集品を資料館に展示している。アメリカ海軍に勤めた後、ラジオなどを通して戦争遺品の寄付を呼び掛けた。しかし当時、グアムの人びとは戦争の影響で日本に対して良いイメージを持っていなかったため、その戦争遺品を集める彼の行動を理解してくれる人は少なかった。時には変人扱いされたり、非国民呼ばわりされたりすることもあったという。そのような背景があったが、次第にガーヴァー氏の考えに賛同する人びとも増え、資料館を開くのに十分な寄贈品も集まり、2001年の開館へとつながった。
資料館は比較的観光客が訪れやすい場所に建っており、入館料も3ドルと安価であるにもかかわらず、日本人観光客がこの場を訪れることは少ない。施設内に展示されている品々は、英語だけではなく日本語での説明文がほぼすべてにつけられている。このことからジョン・カーヴァー氏は、日本人をはじめとした観光客の来館を望んでこの資料館を設立したことがわかる。

建物の奥にある日本軍の戦闘機の残骸

館内には太平洋戦争や朝鮮戦争、ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した武器や、旧日本軍の航空機の残骸などを展示してあった。建物の真ん中に入口があり、展示は左右の建物に分かれいる。左の展示はアメリカ、右の展示は日本となっており、それぞれの立場で展示されている。
日本側の展示にはかつて日本兵が身につけていた千人針や軍服、勲章、水筒、旭日旗などが展示されていた。日本軍側の展示からは、当時の日本軍がグアムで戦った足跡やグアムでの日本兵の生活が見て取れた。
一方、アメリカ側の展示は戦争の功績を称える展示方法であった。地位の高い者の表彰状や写真は必ず壁の高い位置に掛けられており、彼らが英雄であることを示すような展示方法であった。

以前、新宿にある平和祈念資料館や沖縄のひめゆり平和祈念資料館を訪れた際、私は日本軍を正当化するような主張や展示が色濃く感じられた。しかし今回、グアムで太平洋戦争資料館を訪れた際、展示からは一方的な価値観を押し付けるような展示をしているとは感じられず、日本軍とアメリカ軍、双方の視点から太平洋戦争について考えることができた。

2)日本統治時代をアメリカ軍の視点から語る人と、幸せに生きた人
日本統治時代を経験した元軍人のベナベンテ氏と、日本統治時代に日本語教員としてチャモロの人びとに日本語を教えていたフランシスカ Q. フランケス(Francisca Q. Franquez)氏の体験を比較し、植民地主義について考察する。
ベナベンテ氏は前に述べた通り第二次世界大戦の生存者であり、日本によるグアム統治も経験している。今年の2月にグアムへ行った時、ベナベンテ氏が学生時代に書いたレポートを見せてくれた。そのレポートには日本統治時代から戦後数年間に彼自身が体験したこと、そして彼の知人の体験談が書かれていた。私はそのレポートを読んで、彼の恐怖や怒りといった感情が書かれていないことに疑問をもち、今回の渡航で彼に質問すると決めていた。以下が私と彼のやり取りである。

I: In your report, I couldn’t your emotion. Why?
Benavente: I’m just talking about history. I’m just talking what happen.

私:あなたのレポートには感情を見つけることができなかった。なぜ?
ベナベンテ:私はただ歴史について話している。何が起こったかだけを。

   

私は彼にインタビューをしてこの答えが返ってきたとき、彼の中にアメリカ軍の存在を感じた。彼は戦後アメリカ軍に勤めていた。多くの戦争経験者は自身が感じたことを、感情を伴って話すことが多い。しかしベナベンテ氏は誰が悪いだとか、あの時私はこう思ったなどといったことは一切言わず、本当に事実だけを教えてくれた。それは何かの報告書のようなものであって、軍人が残す戦争の報告書のようにも感じられた。
フランシスカ氏は今回会うことはできなかったが、中山教授から聞いたことをもとに考察していく。彼女は日本統治時代に日本語教員として働いていた。かつて日本軍はチャモロの人びとに彼らの文化を禁止し、日本文化を強制させた。その1つにチャモロ語を話すことを禁止し、日本語で話すことを強要したことがある。チャモロ語を話している人を見つけると、日本軍は罰を与えた。人びとにはこの記憶が強く残っており、それも良い記憶ではない。しかしフランシスカ氏はこの時代を「幸せだった」と語るのだ。それは彼女が勉強好きで、新しい言語を学べるのがうれしかったからだ。また彼女の周りの日本軍は優しかったと彼女は語っている。「日本は悪」というイメージを持つグアムの人びとは、フランシスカ氏がなぜあんな悲惨なことをした日本の方を持つのかと、理解を示されないことが多くあった。その環境で彼女はチャモロの人びとの前で彼女の戦争体験を語ろうとしなくなったそうだ。ここで考えたいのは周りの反応である。日本軍の占領が始まる前、アメリカがグアムを統治していた。この時代にアメリカ軍はグアムにハンセン病患者の施設を建てたり、水道設備をととのえたりと、住環境の整備を行い人びとの暮らしを豊かにした。そのためそのアメリカ統治時代のあとにやってきた日本の残忍さによって、アンクルサムの歌が残っているように「アメリカはヒーロー」という考えがチャモロの人びとの中に根付いた。これによって日本統治時代後のアメリカ統治時代にはアメリカナイゼーションが進められ、チャモロの人びとのもこれに応えた。
ベナベンテ氏とフランシスカ氏の経験から考えられるのはアメリカ軍がいかに今も彼らの心の中や生活に影響を与えているかということだ。現在のグアムは一般にアメリカの植民地という位置づけだ。グアムで話されているのが英語であることや島の3分の1は軍事施設であり、従軍する若者も多いことなど、言語や教育、文化、軍事など、多くのことがアメリカナイズされたグアムの姿が読み取れる。グアムはチャモロの島であったにも関わらず現在はアメリカの一部として位置づけられ、アメリカ市民として生きるグアムの人びともいる。軍事施設となった場所の土地の返還はまだされず、アメリカ軍のもとで生活しなければならない彼らは、形を変えた植民地主義のなかで生きていると言える。

3)日本とグアムの学校教育
1941年12月8日、真珠湾攻撃があったことは多くの日本人が知っているだろう。しかしその5時間後に日本軍がグアムを攻撃したことを知っている日本人はどれくらいいるのだろうか。
今日、日本の学校教育においてグアム攻撃を教える教育現場はほとんどない。そのため、その事実を知らないまま大人になった日本人は、メディアによって「リゾート地としてのグアム」という印象が強いことだろう。
一方グアムでは、教育現場で日本軍によるグアム攻撃に関して学ぶほか、各家庭で語り継がれているファミリーヒストリーを通して、日本とチャモロの歴史が教育されている。
これらを比較したときにわかるのは日本の植民地主義である。1970年代の観光産業発展に伴い、日本もグアムへ進出した。日本の教育でグアム攻撃を教えることはグアムでの観光産業に影響を及ぼす危険性がある。また原子爆弾が投下された「被害者」として歴史を語る上で、加害者だったことを教育することは日本政府が望まないだろう。こうしたことは現在における日本の植民地主義であると考え、歴史を教えないことは今もなおグアムの人びとを苦しめる暴力となっていると言ってもいいだろう。

(3)国際交流

はじめに設定した活動の目的は、書籍を通してグローバルパーソンとしての力を養うことであったが、グアム滞在期間中に現地の人びとと交流したことで、フィールドワークならではの実践的な活動が展開でき、結果的にグローバルパーソンとしての自覚を養うことができた。
滞在中はジョン・ベナベンテ(John Benavente)氏のほか、私たちのグアムメンバーであるミシェル・ラバゴ(Michele Rabago)氏、活動のサポートをしてくれているジョン・カストロ(John Castro)氏とその家族、グアムの貝細工アーティストであるグレッグ・パンゲリナン(Greg Pangelinan)氏、グアムのチャモロダンスグループ、グマラサンアチョラッテ(Guma’ Rasan Acho Latte)とグマタオタオラグ(Guma’ Tatao Lagu)のメンバーと交流した。

グマタオタオラグとの合同ショー(GPO)

前に述べた植民地主義ではアメリカ市民として生きる人びとの存在について言及したが、私たちが交流した人びとはチャモロとして生きる人びとである。そのなかでグマラサンアチョラッテのメンバーであるキムへのインタビューを紹介したい。私は彼女に「将来の夢はなに?」と聞いた。すると彼女は「将来大学でマイクロネシアに関する修士号をとって、チャモロの先生になりたい」と答えた。この発言からは彼女がチャモロという存在を認識し、チャモロとして生きる意志を感じた。アメリカ化が進むなかで先住民の文化復興運動が高まっていることが彼女を通してわかった。

グマラサンアチョラッテとの交流

(4)国際理解教育論

国際理解教育論の報告をする前に、私とグマファマグウンタノザニタシとの関係について少し説明をしておきたい。私は1年次に中山京子教授が担当する国際理解教育論を受講していた。そこでグマファマグウンタノザニタシに出会った。彼らは帝京大学教育学部のゼミ生(3、4年生)で、同じ大学生がこんなにも真剣にある先住民の文化復興に努め、国際理解をし、平和を願う姿に感銘を受け、私も団体に入りたいと懇願した。中央大学からの参加は私以外おらず、グループ唯一の他大学からの参加となっている。
私自身が団体に入るきっかけとなった講義であることから1日のコーディネートを任された。中大生として同じ大学の学生に何を伝えたいか、何を伝えられるか考え、受講生にとって実りのある1日にしようと考えた。私はグマファマグウンタノザニタシで国際理解について学んでいる。そこでの2年間の学びと、8月のグアム訪問で感じたこと、考えたことを「行動する知性」に結び付け、中央大学のグローバルパーソンとして1つのモデルを受講生に提示することができたのではないか。またフローレス博士に対しては、グマファマグウンタノザニタシのメンバーとして、同世代の日本人にチャモロ文化の認識を広げようとする姿勢を見せることができた。彼女と私たちの団体は数年前から関係があるので、今回の講義で全く関係を持たない学生が興味を示すこと、学ぶ姿を見せることで、日本とグアムの間に良い関係を築く第一歩となったのではないだろうか。受講生のコメントからもそういったことがわかるのでいくつか紹介する。
 

  • ただただすごい!!!と圧倒されました。私はまだ全然チャモロについての理解はないし、詳しいことはよく分からないけど、異国の文化と真剣に向き合って深く知ろうとして、しかもそれを伝えていこうとする意志が本当にかっこいいと思いました。またJudyさんの “血ではチャモロではないけど、この文化の一部でありたい。この文かを受け継いでいきたいと思い、それを実行している。それが私だ” という言葉がすごく響きました。私は今、大学生活で学業の面では充実しているとは言えないので、行動してみようと思いました。すごくやる気が出ました!ありがとうございました。
  • まず初めにチャモロの歌をひろうしてくださったことに感謝している。教科書やプリントで学ぶものではなく実際の音声や視覚で見ることで興味がさらにわいた。またJudyさんの話からチャモロの人びとのアイデンティティについて深く考えさせられた。私の印象に残ったのは ‘過去と現在を繋ぐ’ ということである。確実な証拠がないにも関わらず自らのアイデンティティを信じ、チャモロという民族や文化を大切に思う気持ちを象徴している。帝京大学のゼミ生の方からのお話では、自分がチャモロにいかにして向き合っているかや、この文化を維持していこうという姿勢が見えて感激した。同じ大学生として自分が何かを発信していく行動力を見習いたいと思う。マイノリティーだと先生はおっしゃっていましたが、私はもっと色々な場所でチャモロ文化を広めてほしいし、中大・帝京大の中でも活躍の場を広げてほしいと思う。授業という学びの場でこの活動を見ることができて本当によかった。」
  • 授業が終わってみて、なんとも言えない気持ちになりました。Dr. Floresのお話は英語がわかり切れなくて100%は聞けていません。でも、断片的な言葉から何も知らずにグアムに行ったらただのお土産にしてしまいそうなシナヒの文化的背景、たとえ本質が分からなくても大切にしていくべき存在であること、あの1つのアクセサリーにその人自身の生き方への意志があることに気付きました。次に、帝京大学生のみなさん、私は最初の曲が始まった時に何か泣きそうな不思議な気持ちになりました。I CHamoruでは鳥肌が立ちました。最後の曲は歌詞がわからなかったけれど、皆さんの表情からとても大切なことを言っているんだと感じました。人並みですが、今後もこの素晴らしい活動を続けていってほしいです。テスト期間ですが、1/16-1/20はどうにか時間を作ってうかがいたいです。最後にアダチさん、あなたのスピーチに心打たれました。今日ここに来てくれたこと、履修したことをよかったと思うくらい。スピーチしてくださってありがとうございました。

この講義をコーディネートするにあたり、私は以下のことを目的にした。① チャモロ文化を通して、国際理解や異文化理解を深める(受講生) ② 同世代が国際的に活動する姿を見て、「グローバルパーソン」の在り方を考える(受講生) ③ 日本とグアムをつなぐ活動に参加している者として「グローバルパーソン」の在り方を考え、受講生にその姿を見せる(グマメンバー)。彼らのコメントを読む限り、これらは達成されたのではないか。

最後にフローレス博士にインタビューをした。

I: What do you think about Japanese students study Chamorro people and culture?
Dr. Flores: I think, the Chamorro people should be honored because not many people know about Chamorro people. And there are many Japanese people you are helping to teach people about Chamorro culture. So everybody I know was happy about what you doing.

私:日本の学生がチャモロ文化を学ぶことについてどう思いますか?
フローレス博士:チャモロの人びとはきっと誇りに思うとおもう。チャモロの人びとを知る人はそんなに多くないからね。あなたたちがチャモロ文化を教える手助けを、たくさんの日本人にしてくれている。私が知っている人は皆、あなたたちがしていることを幸せに思っているわ。

5.総括

  • グアムにおける英語文学
    今回の渡航で購入できた書籍は2冊である。そのうちの1冊、An Island in Agonyでは日本統治時代の話が書かれていた。日本との歴史認識の違いを図書から得ようと考えていたが、日本における教育現場でのグアム教育を考えた時に、日本人はそもそもグアムと日本の間に起こった歴史を認識していないため比較することが難しいと考えた。私のテーマ設定に問題があったため、思い描いていた結論に至ることができなかったことが反省点である。しかしこの本に書かれていることは日本人が知っておくべきことだと思うので、今後は丁寧に読み進めていきたいと思う。
  • 植民地主義

    植民地主義に関しては、現地でのフィールドワークとインタビューによってよく考えられたと思う。植民地主義に関して考えた時には改めて国際理解の難しさを実感した。グローバルパーソンとして相手の立場になって物事を理解するスキルの必要性、国籍による歴史認識の違い、物事の良し悪しを決める判断基準の違いなど、短期間でどうにかできる問題ばかりではない。普段の生活に隠れた植民地主義を見つけ、それを問題視することは意識しなければできないことも身をもって実感した。だが、1つのキーワードをもって行動するだけで見えてくる世界は広がることもよく分かった。
  • 最後に

    今の世界はすごいスピードでグローバル化し、グローバル人材が求められている世の中である。その中で日本人として、中大生としていかに恥ずかしくない行動をとれるかを考えなければいけない。文学部では他専攻の講義を履修することができ、横断的な学びをすることができる。これは多角的思考を身につける方法として良いことであると私は考えており、その多角性はグローバル的思考にも応用ができると考えている。今回のグアム渡航で得たものをこれかも生かして思考力を耕していきたい。
    今回の奨学金を利用して、活動を展開するにあたり文学部事務室の方々、青木和夫教授、オニキ・ユウジ教授、そして国際理解教育論担当教員でもありグマファマグウンタノザニタシのリーダーでもある中山京子教授に大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。今後もこの経験を活かし、先住民族や移民に関して研究していきたいです。