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学校での英語科教育から生まれるスリランカ英語
文学部人文社会学科 英語文学文化 3年
田村 惠子
活動概要
この計画の目的は、大学生活の集大成である卒業論文に必要なデータや資料を得るための活動である。内容は「学校での英語科教育から生まれるスリランカ英語」で、日常的な挨拶から会話までの英語表現が、イギリスから伝えられた英語とどれだけ異なるのかを社会言語学の目線から見て調べる。1999年より英語が義務教育教科の1つとして導入されて以来、どの学校でも英語が教えられるようになり、公用語のシンハラ語やタミル語と並んで使用されるようになった。同時に社会的に優位な位置にある言語となった。しかし、その一方で発音や表現には固有のものが見られることが多くある。親しい者との間では "How are you?" と全文を語らず、短縮し "How?" と問うシーンが見られる。また、相手への確認や賛成・肯定の要求を求める際の質問である "isn't it" も、"no?" で文が終わる。英語科教師もこれらの表現を使用することから、国で定められた教育方針に則り、テキストから学ぶよりも、教師の表現を生徒が吸収したものが反映されているのでないだろうか。これを証明するために、実際に現地の学校で行われる英語科教育を見学し、教師と生徒にインタビューを実施する。
また、今回は当初の言語学的調査計画から教育を含めた社会言語学的調査に変更した。これは、World Englishesが広まる中で、英語が優先的な位置付けをされるスリランカ社会において、学校教育が生徒に与える英語の価値観を知り、自己の持つ英語によるアイデンティティー・マーキングがどう表れるのかを探ることに視点を移したからである。
(実施計画書より)
活動計画
- 現地の学校で英語の授業を見学
a. 授業見学
b. 校長先生、英語科教員、生徒へのインタビュー - 図書館での資料収集
- 参考資料の購入
活動計画予定
8月28日 |
:成田国際空港出発 |
29日~31日 |
:Colombo Public Library 及び National Museum of Colombo(図書館)での資料収集 |
9月1日 |
:Sri Lanka English Language Teachers' Association (SLELTA)に訪問 |
2日 |
:図書館での資料収集 |
3~5日 |
:Bomiriya National School 現地学校にて英語の授業を見学 |
6~7日 |
:図書館での資料収集 |
8~10日 |
:Sri Rajasinghe National School現地学校にて英語の授業を見学 |
11~12日 |
:図書館での資料収集 |
13日 |
:バンダラナイケ国際空港出発 |
14日 |
:成田国際空港到着 |
*本来であれば上記の事前に立てた日程で活動を進める予定であったが、現地到着後の確認で誤認や相手の都合が悪くなったりしてしまい、改めて新たな計画日程を作成した。
新活動計画予定
8月29日 |
:書店を回り、参考図書資料を購入。 |
30日 |
:書店を回り、参考図書資料を購入。学校見学に協力してくれる先生にご挨拶 |
9月1~2日 |
:Colombo Public LibraryとNational Library and Documentation にて資料収集 |
9月3日 |
:Hanwella Rajasinghe National College にて英語の授業見学 |
4日 |
:National Library and Documentation Centre (国立図書館)にて資料収集 |
5日 |
:Homagama Mahinda Rajapaksa Collegeにて英語の授業見学 |
6日 |
:National Library and Documentation Centre にて資料収集 |
7日 |
:資料整理 |
8日 |
:Poya Day(休日)のため資料整理 |
9日 |
:National Library and Documentation Centre にて資料収集 |
10日 |
:Anula Vidyalaya 学校にて英語の授業見学 |
11日 |
:Alawwa Sri Rahula Jatika Paasala学校にて英語の授業見学 |
12日 |
:National Library and Documentation Centreにて資料収集 |
13日 |
:資料整理、荷物整理、バンダラナイケ国際空港出発 |
書店での資料探し
実際に現地の学校での授業見学を前に、購入予定であった5冊の資料書籍を購入するため、書店を回った。しかし、まず初めに足を運んだVijitha Yapa Bookshopでは、在庫に1冊の資料しか見つからず、後日入手することになった。最も早く入手することができたのは、スリランカ英語の辞書で、これはLake House Bookshopで入手した。しかし、それ以外の書籍はここでも見つからなかった。ほとんどの書籍は絶版になっており、入手が不可能な状態であったが、最後にSarasavi Bookshopでたまたま目にした論文集の中に、購入予定であった書籍が論文にまとめてあったので購入した。これは、インタビューを予定していたSLELTAが出版したものだった。この3つの大きな書店以外にも、自分が知っている書店や知人が知る書店、さらには移動中に目につく書店でも探したのだが、その他は見付けることができなかった。購入予定の資料の中には古書もあったため、古本屋もあたってみたのだが何も見つからなかった。もしかしたら、という思いで赴いたBritish Council の書店にも研究にリンクする図書は置いていなかった。
Colombo Public Library での活動
90年以上の歴史があるコロンボ市民図書館には、約40万冊の資料がある。今回使用したのはレファレンス・ルームで、古い書籍や辞典、辞書などが多く保管してあった。残念ながらこの図書館では今回の研究のための十分な資料を得ることはできなかった。それでも、Wimal Wickramasinghe氏による"Advanced English for Higher Education: British English, American English and Sri Lankan English"が保管されていたので、それを参考にした。レファレンス・ルーム以外の図書室では研究に関する資料はなかった。
この図書館の利用に関しては出発前に事前にホームページで確認をしていたが、利用前のメンバーシップに関することは、金額に関する情報は掲載されていなかった。そのため、図書館に着いて初めて利用者用のカード作成について聞かされることとなった。私は市民権を持たない外国人のため、貸し出し無しの読書や資料探しのみのカードを渡され、そのごそのカードでこの図書館を利用することになった。
National Library での活動
9月2日からこの図書館を利用した。初めてこの図書館を訪れたのは、書店で資料が見つからない時に資料を保管しているかもしれないと思っているときだった。残念ながら探していた資料はここでも見つからなかったが、スリランカ英語に関する資料を調べてみたところ、歴史と関連する資料が見つかったので、これを参考にした。国立図書館ということで、貸し出しは全面的に禁止されていたが、外国人の利用は一般人と変わらず、受付の人とも顔見知りになったことで気持ちよく利用することができた。資料は豊富だが、探していた資料はここでも見つけることはできなかったが、研究に関連する重要な資料を見付けることができたので、これを参考にした。
利用時間は、月曜日、水曜日、金曜日、土曜日が8:30-16:14まで。火曜日、木曜日は8:30-18:15までで、日曜日と祝日は閉館となっている。図書館を利用するには、まず1階で荷物を預け、利用費を払いカードを受け取る。2階の受付で必要な資料を紙に書いた後、司書と一緒にパソコン上から資料番号を書き写し、それを司書に預けて受け取る、というスタイルである。ここでは資料の10%をコピーすることができ、コピーする範囲を紙に記入して受付に渡し、1階のコピー室でコピーされたものを受け取りコピー代を払う、という順番だった。
Hanwella Rajasinghe Collegeでの活動
授業見学
今回Hanwella Rajasingheで見学したのはEnglish Mediumの中学1年生のクラスで、教師はNarmada Gunasekera先生。授業中はテキストを時折使用しながら進めていく。グループワークやショートプレゼンテーションも行われ、生徒に積極的に英語で会話をするように勧めるスタイルをとっている。授業はすべて英語で行われるというEnglish Medium Classだが、生徒の英語レベルはそれぞれで、流暢に話せる生徒からやや苦手意識を持ちながら授業を聞いている生徒から様々である。それでも生徒は英語に対しての関心が強いようで、積極的に授業に参加していた。
この日は、be動詞と助動詞のcanの活用に慣れるため、他己紹介を通じて学習する授業だった。グループに分かれ、テキストの例文を基に「ロボット」の機能について自分たちがロボットになりきり自己紹介の文章を作成する。生徒たちはロボットの情報を紙に書き出し、 "I am a robot. I am… I can…"というような文章を与えられた10分で作成し、最後にグループごとにリーダーが発表する。教師はその発表に対してコメントや評価を述べた。
授業内での教師と生徒の話す英語の中で、耳に入ってくるのはスリランカ人の持つ訛りのある英語で、イギリス英語は聞き取れなかった。発音の意味では、英語自体は日本人にも通じ、理解できる英語であるといえる。教師の話す英語は時折片言になったり、言葉に詰まることがあった。また、一瞬シンハラ語で生徒と会話する場面や、スリランカ英語の特徴的な表現である、文章の語尾にno?を付けたり、"small small"といった、単語を繰り返し使用して強調する表現も見受けられた。
写真① 生徒たち
写真② グループワークをする生徒たち
教師のスリランカ英語に対する意識
授業を担当したNarmada Gunasekera先生へのインタビューで、教師として生徒への英語科教育は大変重要なものであると答えた。それは、発展途上国であることも理由にあげていたが、主には生徒の未来を見つめたものだ。Gunasekera先生自身はスリランカ英語に対する意識は発音と速度のみイギリス英語と違うという意識を示した。しかし、外国人の話す英語が早すぎて聞き取りにくいと言う一方で、アジア諸国の英語は先生たちスリランカ人が国内で話すスリランカ英語と発音が似ている、という認識もしていた。また、それは母語による影響であることが主な理由であると述べた。
英語の授業は英語で教えることが教育の趣旨であるが、母語であるシンハラ語が自然に出てしまうときもあるようだ。英語を英語で教えることは難しいことだが、生徒は教師をモデルに学習するため、先生は生徒の発音のミスも訂正し、正しく発音できるまで向き合う。修正される発音はもちろん先生の発音であるため、生徒は自然に教師の発音や表現を習得することとなる。そして、先生も自分の英語がスリランカ英語であることを自覚しており、イギリス英語とスリランカ英語を天秤にかけると、スリランカ英語の教育が簡単であるようだ。また、個人的にもスリランカ英語を好むと話していた。これで、意識的にイギリス英語を生徒に教えていない、という証言といってよいだろう。先生自身、スリランカ英語を話し、生徒に教え、無理に理想的とされるイギリス英語の習得を願ってはいない。「習得できればそれはそれで良い」という考えだが困難である。そのため、意思疎通ができれば生徒の話す英語がスリランカ英語でも問題ない、という考えを示した。
英語科主任のA. D. P. Welikala先生は、Gunasekera先生と同様に、学校教育での英語はスリランカ英語であると認識している。それは、個人が子供のころより学んできた英語がそのまま自分の生徒に伝えることが理由としてあげられている。また、Gunasekera先生と異なった点は、生徒の発音ミスを修正しないことだ。まずは話せるようにし、それから発音の訂正をしていく。英会話に慣れることが重要であると考えている。また、訂正する際にはイギリス英語の発音を教えるという。訂正は発音のみならず、文章も同じようにイギリスのメソッドに基づいて訂正していくというが、今回はこのメソッドを明らかにすることはできなかった。イギリスの教育制度に倣って教育をしている一方で、生徒にとってはイギリス英語を話すことを求めるのは重要ではなく、相手との会話が成り立つのであればスリランカ英語を話すことに問題はない、という考えは、Gunasekera先生と一致している。しかし、もしも海外での仕事や移住などが決定された場合は、その地の英語に切り替える必要はあると述べた。
英語科教員のGunasekera先生と英語科主任のWelikala先生の2人の英語の差は歴然としたものだった。インタビューの中で感じられたのは、Welikala先生の英語は母語であるシンハラ語訛りが弱く、Gunasekera先生は訛りが強かった。また、スリランカ英語の表現も多く、第3者を指すときの「人」に"fellow"を使用したり、頻繁に"also"を使用していた。音声学的な面では、[v]の有声唇歯摩擦音に摩擦音を聞き取ることはできず、[w]の有声両唇渡り音が、haveのような単語にはっきりと聞き取れた。そしてこれは、授業中の生徒の発表の中でも同様の発音が聞き取れた。教師がイギリス英語の発音へと修正に努めても、教師自身の英語を見直さなければ英語の発音改善は認められないのではないだろうか。
写真③ Gunasekera先生とインタビュー
写真④ 自分とGunasekera先生
写真⑤ Welikala先生と自分
写真⑥ 自分とSoorasena校長先生
Homagama Mahinda Rajapaksa Collegeでの活動
この学校は、国内全校のモデル・スクールとして大統領が設立に力を入れた学校である。生徒達に最高の教育を与えるために、カリキュラムはもちろん、学校設備から教科担当の教員も国内では最も充実している学校として、現在最も注目を浴びている。
授業見学
今回も中学1年生のEnglish Medium Classの英語の授業を見学させてもらった。授業が始まってすぐに口述筆記があり、そこでまず気づいたのは教師の発音だ。Hanwella Rajasingheでの授業とのはっきりとした違いは2つあり、まず1つは教師の発話速度が速く過ぎず遅すぎず、中学1年生の発達段階に適切な速度で話していたこと。そして、1つ1つの単語をはっきりと、丁寧に述べている点である。英語科授業担当のWithanage先生の英語は、Gunasekera先生と比較するとスリランカ英語訛りは強くなく、さほどスリランカ英語特有の表現も聞き取れなかった。
この日の授業は他己紹介で、事前に黒板に書いてある3人の人物とそれぞれの特徴を、3つのグループで紹介文を作成し、代表者が発表する。黒板に人物の情報が単語で書かれていることから、生徒達は容易に文章を作成することができていた。また、文法ミスもほとんど見られなかった。発表の際は、紙に書いた文章を読み上げるのではなく、黒板に書かれた情報を見ながらすらすらと紹介することができていた。また、恐怖感や恥ずかしさも感じられず、堂々と発表していた。生徒の英語はほぼ同レベルで、中には以前インターナショナルスクールに通っていた生徒もおり、比較的スリランカ人訛りの英語とは異なっていた。
教師のスリランカ英語に対する意識
授業を担当したKanchana Withanage先生は、授業中に使用する自身の英語がスリランカ英語であることを教えてくれた。また、Hanwella Rajasingheでの先生方とも同じ意見で、生徒にイギリス人と同様の英語を習得させたり話させたりする必要はない、という考えだ。イギリス英語がスリランカ人にとって最も適切で正しい英語であるという考えを持つ一方で、それは、生徒が必ずしも習得し話さなければいけない種類の英語ではなく、スリランカ英語を習得し使用したとしても、お互いの会話に何ら支障はないという考えに基づいているからだ。そのため、教師もあえてイギリス英語を話すようなことはなく、自分の話すありのままのスリランカ英語を話し、生徒にそのままつなげていくという形で教育している。また、スリランカ英語は比較的イギリス英語に近い種類であり、習得しやすいかもしれないという考えも示した。しかし、先生個人的にはイギリス英語を好んでいる。幼いころの教育で、言語を学習するのであればその通りに習得することも理想的である、と言われたようだがスリランカ英語の使用を続けているようだ。
英語科主任のPromitha Mudalige先生は、自身が教師であり生徒の目標となることを自覚することで、英語表現、発音、綴り字などに特に気を使っている。人間は誰しも間違いを犯すものであるという考えを持つ一方で、教師としての立場からは間違いを犯してはならない、という認識を示している。しかし、Withanage先生と同じ考えで正しい英語というのは必ずしもイギリス英語ではなく、スリランカ英語を話すことは自由であり、むしろ望ましいと述べた。過去の英語科教育で、国は生徒にあたかもイギリス人になり切ったようにイギリス英語を話すよう、強制的に教育した。その結果、イギリス英語を話すエリート層が生まれたが、逆に圧力によって学習意欲が薄れしゃべらなくなってしまったそうだ。国はそこから英語の教育制度を変更し、自分たちらしい英語を話す、という新しい制度を作成した。スリランカの教育方法はイギリス教育に基づくものではあるが、2つの母語が異なるため、英語という言語における教育方法は必ずしも同じでは上手くいかないが、目標や手本、あるいは土台となる英語はイギリス英語であるそうだ。それでも、教育の中で生徒がスリランカ英語を自分たちらしく話すべきであり、スリランカ英語は1つの種類として認識されるべきである、と考えている。
Erani Boralugoda副校長先生も上記2名の教員と同様の意見を持っており、学校教育の場で生徒がイギリス英語を習得する必要性は全くない、と述べた。それは、英語科教育を通してイギリス人を生み出すことを目的としていないからである。Mudalige主任が述べたように、過去には英語のエリート層を生み出し、多くの知識人たちはイギリス英語を話していた。それは、スリランカ人というアイデンティティーをイギリス人に変えるようなものであった。現在の教育では、そのような方法をとってはいないため、あたかもスリランカ人をイギリス英語によってアイデンティティーの混乱を招くようなことはしない、ということである。British Councilによる政策で、公立学校での英語科教育ではイギリス英語の発音なども取り入れているようだが、会話が成立さえすれば自分の持つ英語で十分であり、あえてイギリス英語を話す必要はない、という考えだ。もし、将来海外への移住が決まった場合は郷に入っては郷に従うべきであると述べたが、それは学校教育の場ではなく別の話であるそうだ。
写真⑦ 自分とWithanage先生
写真⑧ Mudalige先生と自分
写真⑨ Boralugoda副校長先生と自分
Anula Vidyalayaでの活動
授業見学
この日は、教師の手作りの絵を使用しながら形容詞と比較級+接続詞のthanを学び、使用することで慣れることを目的にした授業だった。大きな紙に同じ絵を描き、何かを変えて比較級を覚えさせるもので、例えば木が2つ並んでいる絵でも、大きさが違ったり、色を変えたりしてある。その後、生徒を半分に分けて相手グループの持っているものをより多くの形容詞を使って説明するゲームをした。その後、形容詞と名詞の組み合わせで物の特徴をとらえ、さらに比較級をしようしながら一文を作成する作業を行った。
この授業で見られたスリランカ英語の特徴的なものとしては、語尾に"no?"を付けていた。これは、やはりどの授業でも使用されるようである。
教師のスリランカ英語に対する意識
Dhammika Heelarathne先生は、英語科教育では母語を話すように英語を発音し、話すスリランカ英語は認められているため、使用しない理由はないという。それはまた、イギリス英語をあえて使用する必要がないという他校の先生方の意見と一致するものだ。生徒が教師の英語を真似、それがスリランカ英語であるのは教師がスリランカ英語を話すからであり、それは教師の英語も母語からの影響を受けているため、イギリス英語を話さないのは当然のこと。そしてそれが生徒にも同じように伝わっていくのだという。文法規則や表現はイギリス英語をベースにしているが、発音に関しては深くこだわらないそうだ。大切なのは会話をして相手からのインプットと自分からのアウトプットができるかどうかであるが、もし習得が可能であればイギリス英語の発音も身につけることに問題はない、という考えだ。
P. N. Rajapaksha校長先生も他の上記の先生方と同じ考えで、コミュニケーション能力にイギリス英語は不必要であり、情報が伝わる限りスリランカ英語での会話に何の問題もない、という考えを示した。また、個人的な意見ではスリランカ英語の価値観を示し、イギリス英語よりもスリランカ英語が言語階層では上である、とも述べた。それは、母語から影響されるスリランカ英語は耳に入りやすく、イギリス英語は聞き取りにくい、という意見が含まれている。しかし、英語科教育には可能であればイギリス人の英語科教員を採用したい、という考えがある。生徒にイギリス英語を習得させずに個人が個人らしく話すことができるスリランカ英語を評価し、勧める一方で、高度な英語科教育を提供したいという思いがあるようだ。
写真⑩ 自分とRajapaksha校長先生
写真⑪ Heelarathne先生と自分
Alawwa Sri Rahula Jatika Paasalaでの活動
授業見学
この学校は、今回の活動で訪問した学校の中でも、最も地方に設立された学校だ。学校自体は大変大きく、生徒の数もかなり多い。しかし、十分な設備が整っておらず工事中の状態だった。クラスごとを遮る壁は薄く、話し声が簡単に聞こえてしまうため、どうしても教師は大きな声で授業をするが、それでも結局後ろの席に座っているとほとんど聞こえない状態だった。そのため、授業を聞くのはとても大変だった。
見学したのは小学校6年生の英語の授業で初めてのSinhala Medium Classだった。実際の授業では、思ったよりも英語の授業は英語で進められていた。しかし、時折教師は母語と英語と2つの言語での説明も行っていた。また、English Mediumよりも、基礎を重要視しているように見受けられた。教師の話す英語は、これまでで最も強いシンハラ語訛りの英語であり、生徒への英語科教育に個人の英語を強く進めている場面が多くみられた。例えば、生徒があまり[r]の発音を強く出さないイギリス英語(RP)で"There are…"と述べ始めると、教師は[r]を強く発音しなおさせるように指導していた。教師が自分の英語を生徒に強く指導する様子はここで初めて目にすることとなった。
写真⑫ 授業の様子
教師のスリランカ英語に対する意識
Mahanama Pathirana先生はSinhala Medium Classを担当する英語科教員で、これまでの英語科教員の中で最もスリランカ訛りの強い英語を話していた。しかし、自分の英語がスリランカ英語であることに誇りを持ち、イギリス英語に基づいて文法事項や発音、綴り字も生徒に教えるが、他者との会話の中で情報が伝わり合うことができればそのままの英語で良い、と述べた。英語に関する規則はもちろん従うべきだが、発音まできれいに規範とされるイギリス英語を取り入れることは必要ない。自分たちはスリランカ人であり、イギリス人に成り変わるのではないからだそうだ。しかし、教師として生徒に教える英語はイギリス英語が望ましいという考えを述べた。なぜならば、世界が英語という言語で統一され、共通語として使用される今日、未来を担う生徒たちにイギリス英語を習得させることで、グローバル・ビレッジという1つの社会の中で優位になる、という考えに基づくものだ。Pathirana先生の考えの中には矛盾があるようにも感じられるのだが、教師としての立場では生徒にイギリス英語を習得させることが望ましいと考えている。しかし、それは発音を除くものであるらしい。このような考えでは、スリランカ英語とイギリス英語という種類に分けることが難しいのではないだろうか。表現などがイギリス英語でスリランカ人らしく発音されるのであれば、それはどの種に属す英語になるのか、Pathirana先生の位置づけに対する理解はしにくい。
A. Pushpa Rohini校長先生は、これまでの先生方と同様に身に付けられるのであればイギリス英語の習得を生徒に勧める、という考えを持っているが、1つだけ異なっていた考えがある。それは、「イギリス人のように英語を話すことが望ましい」という考えで、今までにない新しい意見が校長先生から出た。しかし、校長としては英語科教員にスリランカ英語の教育を許可しており、認めてもいる。スリランカ英語を1つの種類として認めることは重要であるが、発音もイギリス英語に近づけることが社会の中で優位な位置につくことを可能にする、という考えが含まれていた。
校長先生自身英語があまり得意ではないので、インタビューの中でもあまり会話が成り立たない時が多くあった。そのため、校長先生のスリランカ英語とイギリス英語に対する考えの受け取りがうまくいかなかった可能性もあるかもしれない。しかし、Rohini校長先生の意見は今までの先生方にはなかったものであるため、大変貴重なものであると考えられる。
まとめ
今回の学校訪問と授業見学の中で、教師の持つ英語がそのまま生徒に伝えられていることが明確となった。そして、その英語とはスリランカ英語という世界英語の中の1つの種類として認識されるものである。生徒の中には家庭で両親と英語を話して育った子もいるが少数であり、生徒の多くは母語であるシンハラ語を日常的に英語よりも多く話している。そして、教師は彼らにとって英語を習得するうえで必要な存在である。一方の教師は、個々の話す英語がスリランカ英語という認識を強く持っており、それを生徒に教育している。英語科教育の規範はイギリス英語であるが、必ずしもイギリス英語の発音を生徒に強制しようとはしない。それは、他者との会話の中で必要のないものであるからだ。なぜなら、お互いの意思疎通、情報交換が可能であれば、スリランカ英語での会話が一番簡単なもので、伝わりやすいものであるからである。本来スリランカでは規範であり目標とされるイギリス英語も、階層ではトップにあるものの、それを完全に習得する必要は全くなく、個人の自由で習得することが一番良いのかもしれない。