ドイツ語文学文化専攻

多和田葉子さんの講演会が開催されました

2017年11月16日

日程:2017年11月8日(水)、16時40分〜18時10分

場所:多摩キャンパス 文学部3号館 3453教室

講演者:多和田葉子さん(作家)

題目:日本の外側で暮らす  

 

 2017年11月8日(水)に、作家・多和田葉子さんの講演会が、多摩キャンパス文学部3号館3453教室で開かれました。

 最新詩集『シュタイネ』(青土社、2017年)からの朗読と、朗読された詩の解説を交えて行われた講演の話題は、「日本の外側で暮らす」というテーマを中心に、様々な方向へと広がっていきました。外国での日常生活では、ある言葉(例えば、『シュタイネ』所収の詩「シュティンク・ボーネン(納豆か)」に含まれる「カツオエキス」)が、突然、異物のように目に飛び込んでくることがあること。そのような文字の存在感によって、自分が日本の外にいることに気づくことがあること。そしてそれが、感情の表現とは別の、詩への入り口となりうること。詩「チトローネ(檸檬か)」が、梶井基次郎の短編小説「檸檬」や高村光太郎の詩「レモン哀歌」に見られるような、清々しいものとしてのレモンのイメージを、いかに突き崩しているか。「ミニヨンの歌」として知られる、ゲーテの長編小説『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』中の詩に歌われた、レモンの花咲き光あふれる憧れの地としてのイタリアのイメージと、ドイツ人のイタリア人観の間に、どれほどのギャップがあるか。平和な日常の中で大きな殺人が起こりうるという状況が、現在のドイツを特徴づけていること。テレビでテロリズムのニュースが流れていた時に、空茹でしてしまった卵が爆発したことが、詩「アイ(卵か)」創作の契機となったこと。リズミカルに語られた、言葉と文学、政治と社会をめぐるお話は、どこまでも延びていくようで、時間の制約が残念に思われました。

 講演後の質疑応答では、言葉と音と映像の関係や、詩の言語の個人性と共同性について、また、多和田さんが抱いている日本語とドイツ語への距離感や、多和田さんが外来語にどのように向き合っているかなどについて質問が寄せられ、活発なやりとりが交わされました。