社会・地域貢献

教養番組「知の回廊」50「地方分権と道州制 - 新しい「国のかたち」 -」

中央大学 経済学部 佐々木 信夫

行政学と大学教育

皆さんは政治学という学問をご存知でしょう。
国会とか、選挙とか、有権者の投票行動などを研究する学問です。
よく国家権力を立法、司法、行政の3つに分けて説明しますが、政治学は主に立法に関わる活動を研究する学問といってよいでしょう。

それに対し、行政に関わる活動、とりわけ国や地方自治体の官僚制や公務員制度、行政サービスのあり方について研究する学問が行政学です。
行政学は広くは政治学の一分野ですが、最近は経営学とか行政法学とか、公共政策学といった隣接する学問の成果を取り入れ、急成長を遂げている学問です。

この変化は大学教育にも反映しています。かつて行政学は官僚養成を目的に東京大学とか京都大学の法学部に設置されてい た科目ですが、最近は国公私立を問わず、法学部はもとより、政治経済学部、総合政策学部、経済学部といった、広く公共問題を扱う学部に必修科目としておか れるようになってきました。
中央大学でも法学部、総合政策学部に加え、私の所属する経済学部でも公共経済学科を中心に、4つの学科の多くの学生が行政学を学んでいます。

「行政国家」現象

こうした行政学が急成長してきた背景には、最近どの先進国でも「行政国家」と言われるように、行政権が肥大化したことが挙げられます。

19世紀までは、アダムスミスが国富論で述べたように「安上がりの政府」、つまり国防、治安、司法のみが政府の仕事であるといった夜警国家論が通説でした。

しかし、1919年にドイツのワイマール憲法が生存権を保障して以後、国家は外交、防衛、危機管理、経済政策などに加え、国民生活に必要な「揺り篭から墓場まで」の公共サービスを提供するのが責務であるという考え方へ、大きく転換しました。

こうした20世紀の「大きな政府論」を「福祉国家」とか「職能国家」と呼んでいます。もとより、政府が大きくなりますと、国民の税負担も高くなりますし、財政規模や組織機構、公務員数も膨大なものとなります。なかには公務員の不祥事も発生します。

最近の、岐阜県庁が組織ぐるみで裏金づくりをしてきたとか、防衛施設庁が長年にわたり「官製談合」を続けてきたとか、大阪市が職員に不正な給与を支給してきたといったように、不祥事は後を絶ちません。これに納税者である国民は、怒っています。

こうした巨大な官僚組織をどうコントロールし、情報公開を進めていくか、これも行政学の大きなテーマです。

地方分権をめぐって

加えて日本の場合、明治時代から長らく続いてきた中央集権体制を、いかにして欧米のような地方分権体制に変えていくかも、大きな課題となっています。

皆さんは、日本の政治や行政は霞ヶ関とか永田町といった中央政府が中心に行っていると考えているかも知れませんが、じつは日本の行政活動の3分の2は地方自治体によって担われているのです。
これだけ地方の活動量が大きな国はカナダと日本ぐらいです。

ただ、これだけ大きな活動量を持ちながらも、これまでの地方自治体は国の決めた仕事を執行する、国の下請け機関のような存在でして、政治権力や行政権力の中枢ではなかったのも事実です。

そこで21世紀は名実ともに地方自治体が政策主体になれるよう、2000年に地方分権一括法を制定し、権限、財源を移譲する地方分権改革を進めております。
最近の補助金、交付税、税源移譲を一体的に改革する、「三位一体改革」もその一貫であります。

市町村合併について

じつはもう1つ、地方分権を進める過程で大きな問題になってきたのが、現行の市町村や都道府県が地方分権の受け皿になれるかどうかという点です。

細切れな小規模町村をまとめて「市」をつくるなどを目的に、7年前に市町村合併特例法が改正され、市町村合併が進められています。
これにより図のように、7年前まで3232あった市町村は1820にまで減りました。
今後さらに減り、4、5年経つと1000程度の市町村になるかもしれません。
この大掛かりな市町村の合併現象を「平成の大合併」と呼んでいるわけです。

日本は明治以降、2回大きな合併を経験しています。
明治21年前後、71000あった町村を15000に、昭和30年前後、10000あった市町村を3500へ減らしています。

これが明治の大合併、昭和の大合併と呼ばれるものです。ですから平成の大合併は3度目の大きな合併ということになります。

イギリス、スウェーデンなども市町村合併を行ってきた国ですが、1世紀余の間に市町村が70分の1に減った国はありません。

なぜ、ここまで市町村合併にこだわるのか、その説明はいまだ行われていません。

地方分権と「道州制」

詳しい理由などは省略しますが、その次に、47の都道府県をどう見直すかも大きな課題となってきました。
政府の第28次地方制度調査会は2006年2月に、47都道府県を廃止し、10前後の道州に再編するといった、いわゆる「道州制」を答申しました。

実行性の議論はこれからですが、もしかしてあと10年もすると、日本は1000の市町村と10の州に再編されているかも知れません。

夢物語のような話ですが、800兆円を超える借金の返済や、自動車の普及、高速交通網の発達など生活圏が非常に拡大したことを考えますと、もはやカリフォルニア州1州の面積しかない日本に47の都道府県は要らないというのも分かるような気が致します。

ともかく平成の大合併も、道州制の導入も、21世紀にふさわしい分権国家としての新しい「日本のかたち」をつくろうとする、壮大な構造改革であります。

道州制とは何か

もう少し、道州制について掘り下げてみましょう。

道州制というのは、明治四年の「廃藩置県」から一三五年経った現在の47都道府県制度を廃止し、欧米のように10程度の州に再編しようという話です。
もとより単なる府県の合併ではなく、各州が内政の拠点となれるよう、国の出先機関をすべて州に統合し、国の権限や財源を大幅に「州政府」に移譲しようという話です。

すでに北海道を道州特区に指定し調査が行われていますが、今回の地方制度調査会の答申には、約六割の知事は明確に賛成を表明しています。

提案されている道州制のポイントは、次の三点にあります。

第一は、現行の都道府県制度を廃止し、図のように、東北、関西、九州といった広域圏を単位に、九から十三の道州につくり変えること。
第二は、その広域圏にある各県庁と国の出先機関を統合し、国から権限を移すことで州政府をつくること。
第三は、州政府を公選の知事と議会をおく地方自治体とし、交通、産業、環境などの広域政策を展開する内政の拠点にするということ。

もとより、その実現はそう簡単な話ではありません。
皆さんは、「ふるさと」はどこですか?と聞かれたら、おそらく多くの方は「何々県です」と答えるでしょう。

今年、大変盛り上った甲子園球場での高校野球も、県の代表として戦っています。
政治、経済、文化、教育、スポーツ、産業など多くの活動は、現行の都道府県制度を前提に成り立っています。
それだけ、私たちの生活に都道府県という制度は定着しているわけです。

これを廃止し、新たな「道州」に切り替えようということなら、そこには誰もが納得する理由がなければなりません。

道州制を導入すべきだとする理由は、概ね次の三点です。

一つは、日本を分権国家にしようということです。
全国に格差のない、統一的な公共サービスを提供する中央集権国家よりも、地域の個性を生かし、地方が主体的に政策づくりのできる、地方分権国家をめざそうという訳です。

二つめは、広域化時代への対応です。
明治半ばに始まる現在の四七という区割りは、馬、船、徒歩が交通手段であった時代のものです。
しかし、いまや高速交通、情報通信網が発達し、ヒト、モノ、カネ、情報が激しく地域間を移動するボーダレス社会です。
北海道はオーストリア、首都圏はイギリス、九州はオランダ並みと経済力も強くなっています。
その一方で、一都三県でディーゼル車規制が、秋田、青森、岩手の北東北三県で産業廃棄物対策が行われるなど、環境、防災、観光、産業振興は府県を超えた広域対応が不可欠となっています。

第三は、行財政を効率化し、小さな政府をつくるためです。
すでに八〇〇兆円の借金を抱えた日本は、小手先の改革では再生不可能です。
国、地方を通じ、全体として予算も仕事も公務員も三分一ぐらい減らす必要があります。

そこで図のように、都道府県と国の出先機関を統合して「道州」をつくる。
そこに国から権限を移し、また県から市町村に権限を移することで、公務員を減らし、行財政のムダを省き、小さな政府をつくろうという訳です。

道州制に賛成・反対

このように道州制は分権化、広域化、効率化を理由としますが、一方で、デメリットを強調し、反対する意見もあります。

第一に、そもそも国民は、道州制を望んでいるとは考えにくい。

第二に、制度を変える前に、現行の都道府県で広域連合をつくったらどうか。

第三に、あまり区域を広げると、住民の声が届かなくなる。

第四に、各州の間で格差が広がり、勝ち組、負け組みがはっきりする。

第五に、あまり州の権限を強くすると、国家全体がバラバラになる。

といったように、様々な意見があります。

道州制導入について

これまでも道州制を導入する話は、何度かありました。
しかし、そのたびにいま言われたような理由から、時期尚早だと葬られてきました。
また、道州制の形態をめぐっても対立してきました。

ひとくちに道州制といっても、その形態は様々です。

一つは、国の大臣に相当する官選知事をおき、自治権の小さな「地方庁」とする。

二つめは、憲法改正をせず、府県に代えて、広域自治体としての「道州」とする。

三つめは、憲法を改正し、連邦制を前提に独立した地方政府を「道州」とする。

国家の統制を維持したい国は第一を、地方分権を望む地方は第三の形態を主張するなど、意見は対立してきました。

いずれの形態にも、長所、短所はありますが、今回の答申は、この論争に終止符を打つ形で、第二の道州制を提案したわけです。その点、議論は一歩前に進んだと言えましょう。

ただ、実際の道州制導入となると、 
1.国家公務員の半数以上が身分移管を迫られ、 
2.国は河川、港湾、道路など公共事業の権力を失い、 
3.予算編成の骨格を州に奪われる、ことになります。
果たしてこれに、国の官僚や国会議員が賛成するかどうか。

それより、 
1.そもそも国民は道州制を望んでいるのか、 
2.一体いつごろ導入するのか、 
3.地域間の格差是正はどうするのか、 
など、検討すべき課題はたくさんあります。

とはいえ、平成の大合併が進み、県の役割は空洞化しています。

地方分権が始まり、財政状況もますます厳しくなり、人口減少時代へ突入しています。
閉塞をもつ若い人たちに、夢が持てるような新しい国づくりは、どうしても必要です。

日本の改革に、残された時間はそう多くありません。
新たな「国のかたち」をどうつくるのか、私たちは“待ったなしの決断が迫られている”と言えましょう。