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教養番組「知の回廊」
41 「Learning in Action, Learning for Action -経験を通した共感と協力が行動を生み出す学びのプログラム」
教育モデルとしての「国際インターンシッププログラム」の意識と課題

中央大学 総合政策学部 和栗 百恵
中央大学 総合政策学部 河野 光雄

1.はじめに

総合政策学部は2002年度4月からカリキュラムに「国際インターンシッププログラム」をたて、就業体験と経 験学習を統合したプログラムを導入した。学びへの主体性・積極性を育て、異文化における経験を通して教室での学びを検証し、自立した個人の形成とよりよい 社会を志向しその創成に関わる志と責任感を持つ人物の育成を具体的に推進するためである。

日本の高等教育が知識伝達の場として高度経済成長期に一定の役割を果たしてきたことは広く認められていることである が、これまで以上に創造性が求められる今日、高度な知識に依拠しながら自主的に考え創造的に行動できる人材の育成が焦眉の課題となっている。経験的技能に よる発展の時代から理論に基づいた技術による発展の時代(*3)への変化に対応して意図された高学歴社会であったが、教育の大衆化は、階層構造を変化さ せ、産業構造を変化させこそすれ、創造性豊かな知性を育むことにおいては十分に機能しえなかった。高等教育機関の序列比は偏差値による競争を激化させ、知 識のマニュアル化を推し進める結果にもつながり、「考える習慣」を持たない「受容の態度」を容認してきたといえよう。同時に社会に関わりながら知識の意味 を問う場を失う過程でもあった。創造性は豊かな経験に根ざし、「何故」を問い自信の理解の体系を築く意欲に支えられている。他者に対する深い思いやりやよ りよい社会を目指す高い志と無縁ではない。しかし受験競争は他者との関わりを断つところに成立し、孤立した個人の与件に対する処理能力だけを問題にする傾 向を助長させ、管理された時間を消費することに長けた「能力」を選択してきたといえる。そこでは自身の生き方を問うよりは「スケジュール化された人生」を 消化することに力が注がれ、大学に行くことが自己目的化されてしまう。大学に入学すればスケジュールはリセットされるが、知識を無批判に受け入れる態度が リセットされるわけではない。つまり知識は自己の外にある客体としての対象であり、自身の生き方を突き動かす内存化された力として受け止められることには ならないのである。

もちろんこうした態度の責めを学生に負わせることはできない。高等教育の量的拡大は社会の高度化に伴う必然的な過程で あったが、それを効率化の名の下に進め安易に「マスプロ教育」を導入したのは大学である。人間的な交流を基礎とした知的格闘の場としての教育の本性を維持 する努力を放擲し、量的拡大に対応した教育手法の開発を怠ってきたといえる。一方向の知的刺激のない授業が考える努力を促すことはない。個人は社会や人々 とのつながりの中で働きかけインパクトを与えうる主体であり、学問はその関わりのあり方を支えるという認識をもたらしえない授業にあっては、単位をそろえ る以上の意味を見出しえないであろう。如何に生きるか、如何に在るかを自身に問い考えさせるのが学問であり、その機能を喪失したものは単なるマニュアルに 過ぎない。青年らしい正義感と志を現実に繋げる道筋を自らつかみとる場と経験を合わせもつことで生きた学問として再生される。豊かで文化的な生活を営む基 礎としての教養に支えられ、現実をよりよく変革していく力としての学問を身につけることに向き合う教育を手に入れなければならない。

一方、国際社会のグローバル化が進行し、相互依存関係が強まる中、政治・経済システムの再編、国民国家なる価値の動揺 と崩壊、それに伴う多様性の拡散・多文化社会化の進展と相まって環境問題、紛争や武力闘争のボーダレス化も進み、一人一人がglobal issuesに否応なく結び付けられている。市場主義を軸とする競争至上主義は不可避的に格差を生み出し、富の偏差を急速に拡大している。日本においても 多元化社会化が進行しつつあり、一元的社会としてのルールの適用から生ずる問題も徐々に深刻さを増し、国際社会の一員としての政策対応が問われ始めてい る。国民国家が文化相対主義のもとで動揺するのは避けられず、国際社会の安定性に大きな影を落としている。国家を超える地球規模の問題を国家間の協定で解 決しようとする動きはしばしば国家のエゴにより頓挫し、制裁も不可能な状況で危機を募らせることになる。権力や協定による統治が機能しない混沌を秩序化す る新たなビジョンの創出が急務である。

諸問題の相互依存関係が個人の日常・生き方と切り離せないことを認識することなしには学びが自らと社会を変革していく 力を養うことにはつながらない。社会的公正や異文化との共生など価値的問題は個人の内面に位置づいてこそ、人々が相互に依存しあう世界で責任ある生き方を 動機付ける。そして混沌とした状況に耐え新たな秩序を拓く力、自らと社会を変革していく力に繋がっていく。こうした「生きる力」を基礎に知的遺産を継承発 展させ、持続的な社会進歩を担う高等教育の使命を実現する道筋が問われているといえよう。

学ぶこととは、「理論の体系」を受容することではなく、自身の人間観、社会観、歴史観、自然観を育てることであり、そ うした理解の体系は、異なる理解の体系を持つ人々との交流を通して、独善から自由となり、鍛え上げられる。理論を現場でとらえ返す作業をとおして、理論の 力を知り、理論の限界を学び、新たな発展の契機を発見することになる。こうして大学での学びと現実社会での学びを有機的に繋げ、自身と社会の関わりに向き 合うことによって「生きる力」を培うプログラムが必要とされてきている。そして、教育におけるこれまでの一方向の垂直的な関係から双方向の水平的関係への 教育手法の転換を図ることによって、学生の自立した社会人としての成長を助ける方向が求められている。(*4)

世界的な相互依存関係のもとで積極的な社会参加を目指す教育は、1970年代にイギリスでWorlld Studiesとして、またアメリカでGlobal Educationとして開始された(*5)。その後日本においても「国際理解教育」が中央教育審議会の答申(*6)などでうたわれたが、知識を行動につ なげるインパクトを持ち得ないまま、試行錯誤が続いているといえよう。総合的な学習の時間導入により初等・中等教育においては様々な試みが行われているこ とは事実である。しかし高等教育レベルにおいては、国民国家間の関係としての国際理解とそれから派生する「援助する側」と「援助される側」の図式に立った 開発・援助論やステレオタイプな異文化理解の固定化や再生産、「教える側」と「教えられる側」の一方向の関係による「省察なき受容」や社会科見学的な「参 加」など、主体やコミットメントの形式を促すような教育は目的としても手法としても主流ではないと言えるだろう。総合政策学部におけるプログラムは、 world issuesを個人の生き方と結びつけてとらえさせ、現場で検証し、リフレクションを行うという一連のプロセスの中ので、知識・課題の内在化を促し、「生 きる技能」をあわせて身につけられるように構成されている。さらに、Learning in Action,Learning for Actionを掲げる国際インターンシッププログラムは、学生ひとりひとりが「何のための学びか」に対する答えを、他者・社会とのかかわりの中での経験・ 行動を通しそこにさらなる行動を生み出すことによって、その主体を回復するサイクルを作り出している。こに点において「インターンシップ」(*7)という 言葉が通常規定するものを一歩突き抜けるものとして位置づけ、実践されている。

この小論ではこれまで述べてきた今日の高等教育に求められている課題を踏まえ、その解決を図る手法として「経験学習」を切り口にグローバル教育を軸として論じ、国際インターンシッププログラムの1年の経験をまとめ、今後の課題を議論する。

2.経験学習とは何か:課題の内在化、参加、学びのリテラシー

・・・・教授を受けているものは、あまりにも習慣的に、理論的傍観者、つまり、知性の直接的な力によって知識を身につけ る精神として、知識を獲得しているとみなされている。生徒という語そのものが、実り豊かな経験をもつことにではなく、知識を直接的に吸収することに従事す るものを意味するほどになっている。

デューイ「民主主義と教育(上)」(松野安男訳)p.224

経験と学習については古くはルソーの著作「エミール」の中に見て取れることができるが、20世紀初頭の米国進歩主義教 育運動の中でデューイがそれらをより明らかにしている(*8)。デューイによれば「経験」の本質は能動的要素(「働きかけ・試みること」)と受動的要素 (「反作用/跳ね返り・破ること」)の結びつきにあるとする(*9)。つまり何かを試み、その試みの結果と試みを意識的に関連付けること(「意味が詰め込 まれる」)が学習であるとしている。デューイは同時に、教育は社会的意義の中に議論されなくてはならないと述べ、事実の吸収や学識の習得のみにとどまら ず、社会的動機に拠らなければならないとする(*10)。未来の社会秩序を創り出す学習者たちに、その来るべき社会についての価値や条件などを模索、探求 する機会を提供しきれない教育のあり方を以下のように述べている。

In the schoolroom,the motive and the cement of social organization are alike wanting. Upon the ethical side,the tragic weakness of the present school is that it endeavors to prepare future members of the sosial order in a medium in which the conditions of the socialspirit are eminently wanting(2001:10-11)(*11).

つまり、デューイが論じる社会的意義や社会的動機というのは、学習者が、他者や社会とのかかわりに自らがあることを意識する必要性と言い換えられる。

またブラジルの教育学者であるフレイレは、知識の習得が自己目的化し社会的変革につながることのない「銀行型教育」に 替わって、「課題提起型教育」の必要性を訴える(*12)。フレイレは「課題提起型教育」を、学習者自らがおかれている状況、つまり他者や世界とのかかわ りやつながりを意識化(conscientize)し、変革をもたらすためのツールとしての教育と位置づける。フレイレの識字教育における手法は、単に文 字を学ぶということではなく、自らの経験や生活を文字を使って紡ぎ出す過程において、学習者が自らと他者・社会のかかわりについて意識化するものである。 デューイにもフレイレにも、学びという行為に対して学習者が持ちうる主体性・能動的な働きかけ、社会を創成するという視野の中でツールとしてとらえられる 教育が共通しているのではないだろうか。ここで教育は目的ではなく、「経験」というプロセスになっている。

ここに国際インターンシッププログラムが「経験学習」を掲げる理由がある。経験学習は自立した個人の形成と社会変革へ の参加意欲の育成をめざすものであり、課題の内在化をはかり、個人の生き方と切り離せない課題認識を促すものである。観念的理解は、複雑で困難な社会の変 革を前にしては力にならない。内からの経ちがたい問題解決の思いこそが駆動力となる。これは決して観念的理解を過小評価することではなく、客体化・対象化 された学習の前に、課題の内在化が必要だということである。

次にプログラムの目的や手法を、高等教育におけるグローバル教育の発展型実践例として以下に簡単にまとめる。

1980年代以降、環境教育、開発教育、平和教育、人権教育、国際理解教育、異文化理解教育などの要素を内包する広義 の国際教育が、新たな教育のパラダイムとしてセルビーらによって提唱されるようになった。「グローバル教育」である。グローバル教育の特徴は、積極的な社 会参加を促す「地球的視野・未来志向性・方法重視」の教育であることとされている(*13)。積極的な社会参加を促す、とは、つまり学ぶ主体である学習者 が、自らが生きている世界とその相互関連性の中で、よりよい世界を周りのひとびととともに創っていくために、自らが積極的なchange agentとなることを意味している(*14)。日本でも1990年代以降、従来の学ぶ客体としての「国際理解」から、学習者自らのかかわりや責任に踏み 込むよりホリスティックなグローバル教育の手法が注目されるようになった。

学習者自らが積極的なchange agentとなることを掲げるグローバル教育を視覚化したものが、英国ヨーク大学グローバル教育センターが生み出した「グローバル教育の4次元モデル Four Dimensional Model of Global Education」である。この4次元モデルは、「内なる次元Inner Dimension (InD)」を「外的な次元outer dimensions」であるところの「空間的次元Spatial Dimension(SD)」、「時間的次元Temporal Dimention(TD)」、「課題・問題の次元Issues Dimension(ID)」の3つの次元に囲まれた中心に据える(図1参照)(*15)。「内なる次元」とはすなわち、自己と内省のことであるが、これ ら4つの次元は相互に深く関連し、それぞれの次元内に存在する要素も同じく相互に影響を与え合うものとされる。

図1) グローバル教育の4次元モデル


(Selby:1991,p.30)

3つの外的次元について簡潔に述べていく。SDは「空間」、つまり、セルビー(1991)が述べる「local is in global,the global in the local」に端的に表される空間・場所の相互関連性であり、特にグローバル化した世界においての地球的空間視野のことである。TDは同じく時間ー過去・ 現在・未来ーの相互関連性のことで、グローバル教育においては「未来」にフォーカスしていくことを重要視する。つまり過去や現在のことを学ぶ作業は、意識 された「未来」のあるべき姿につながることが大切だとされる。IDの相互関連性については言うまでもなく、冒頭の例のように例えば環境・紛争・開発などの 諸問題がお互いに深く結びつき関連しあっていることを表す。IDにおいては、ある問題についての「解決」は問題どうしの相互関連性の中で模索されることが 強調される。セルビー(1991)はある問題に対する「解決」が、その問題と深く関連する別の問題には「解決」とは必ずしもなりえないことから、「問題解 決」における多角的視点の重要性を指摘し、それについてワルドルフ教育(*16)の研究者であるシュワルツの言葉を引用する:「each quasi-solution has a multiplier effect on the residue of problems...Dealing with a systemic problem is best viewed as an internal adjustment procedure in an ongoing,dynamicprocess.There is no one-time"solution to the problem(Shwartz;1971,p.72)」(*17)。つまり、何らかの「正解」や「解決法」があることを前提とするのではなく、常に課 題・問題点の動的なつながりを意識しながら「模索し続ける」作業を行うことに重きが置かれる。

中心に位置する次元InDは、ひとが3つの外的次元の相互関連性を理解し世界をその関連性の中に読み解こうとするとき に、自らの存在をそのつながりの一部として深く認識するに至ることを表す。その過程において自分自身の 「assumptions,attitudes,values and patterns of behaviour」(Selby:1991、p.30)をクリティカルに振り返ることにより、つながりの多様化についても理解することとなる。そしてそ の理解が、ひとと世界の相互関連性ーグローバル教育の中核ーとして図2に現されるモデルとなる。

図2) グローバル教育におけるひとと世界の相互関連性


(selby;1991,p.30)

このようにselfを中心におくことが、主体性を持って「自らがchange agentとなる」ことであると同時にそれがよりよい社会を創造していくための第1歩であり、グローバル教育の哲学そして目的でもある。

この哲学そして目的をめぐって、グローバル教育論者はふたつのグループに大別できるとパイク(1999)は論じる (*18)。第1のグループは、パイクがいうところの「compartmentalist」であり、グローバル教育を「地球的視野をカリキュラムに取り入 れること」を目的とする。例を挙げれば、多くの問題や文化などのケーススタディによって視野は広がるものの、それらひとつひとつは compartmental、つまり区分されたままであり、ケーススタディの足し算でしかない。また同時に、compartmentalizeされた問題 やケーススタディは、それらを学ぶことが目的化され、学んだことによって社会にどのようなインパクトを与えるのかが問われていない。そのような目的のもと では「traditional compartmentalization of learning into separate subjects[and]the isolation of curriculum from other aspects of schooling」(9)を克服することがない。他方第2のグループである「holistic practitioners」は、視野を拡大した先を見つめることによってグローバル教育と社会変革を直接的に結びつけ、action-oriented な学びと社会参加の促進を打ち出す。パイクは「ホリスティックな」アプローチの重要性を以下のように論じる:

[T]he stubborn persistence of our collective mental insularity,amidst ecological and political changes of seismic proportions,suggests that a compartmentalist approach will do little to aid students'understanding of the global condition,let alone afford them the ability to influence or improve it. We would do well to recognize than any conception of education has an underlying political agenda,be it over or covert,in the sense that it is founded upon a certain vision of a preferred globall community...The development of conceptual connectedness demands a more radical shift in our thinking processes.The holistic paradigm of global education offers a tool that could enable future decision makers in the global community to break free from the "extremely limited consciousness"(Houston,1982)(*19).(10)

これを言い換えれば、グローバル教育が世界的視野を育みそこに存在する空間・時間・問題の相互関連性についての理解を 促す時に、 compartmentalistな方法では、学習者の目の前に広がった世界について学習者自身がその世界にどう関わっているか、働きかけていくか、を問 うことができないということである。パイクのいうホリスティックなアプローチとは、学習者が対象として学びがちなことに対し働きかけ、影響を与えようとす るようになるためのものである。ここに、より公正でより持続可能な世界(more just and sustainable world)を創っていくために教育が果たしうる役割があるとパイクは指摘している。

その哲学に深く根ざすグローバル教育の方法論について、大津和子(1996)はM.ファーガソンによる教育の新旧パラ ダイムを以下の表1をもって比較しながら、グローバル教育を「新しい教育のパラダイム」として位置付けている。ここに見られる「学び方」の方法論は、グ ローバル教育がワールドスタディーズの理念の系譜から「学び方を学ぶ」(*20)ことを継承し、それを重要視していることによる。

表1の「新しいパラダイス」において、各項とも「いかに学ぶかという姿勢とその方法」「学びのプロセス」「”自らがプ ロセスに関わる”意識」「”教える→ 教えられる”という垂直かつ一方通行ではない、より水平な学びの場」そして「柔軟性・多様性の重視」という要素によって構成されている。具体的には、ディ スカッション、インタビュー、シミュレーション、ロールプレイ、ゲーム、写真分析等の参加型作業を通じて、ひとりひとりの学習者が学びの主体となることを 促す。

表1) 教育の新・旧パラダイム比較
古いパラダイム 新しいパラダイム
内容の重視 どのように学び、よい質問をし、正しいことがらに注意をはらい、心を開いて新しい考えを評価し、情報を得るかを学ぶことを重視
正しい情報の習得 今知っていることはかわるかもしれないという前提
結果としての学び プロセスとしての学び
階層的、権威的構造 平等。率直。意義を唱えることが認められている。「学生・生徒」と「教師」は互いに役割上ではなく人として接する。自主性の奨励。
相対的に堅い構造 相対的に柔軟な構造
あらかじめ指定されたカリキュラム 教える方法は多様であってよいという信念
結果の優先 結果を生み出すひととしての自己イメージ形成の優先

出典:「新しい開発教育のすすめ方」より大津和子「第1部:地球市民を育てるために」p.17

上述したグローバル教育の4次元モデルや相互関連性の概念は、「経験学習」を「学びへの態度」と「現実社会とのつなが り」」の2点からとらえる国際インターンシッププログラムに共通する。1点目の「学びへの態度」については空虚な器として受容的な知識・情報伝達の対象と される学習者としての態度から、より主体的な学びの態度を実践を通して育むことを掲げる。これは教室においても、学んでいることに働きかけ、そこからの反 作用についてふりかえり、理解を促すものである。また2点目の「現実社会とのつながり」」については、他者そして社会とのかかわり・つながりを意識化する ことによって、「客体」として存在しがちな諸課題(「~学」「~論」)の内在化をはかり、それらへのコミットメントによる課題認識を培うこと、そしてそこ に何らかの行動を起こしていけることを目指している。

プログラムがグローバル教育の発展型実践例である理由は、異文化における実際の「現実社会での経験」を組み込んでいる 点にある。課題の内在化は経験によって促される。なぜなら、グローバル教育の4次元モデルにある「inner dimension」にあるものが経験によって刺激され、引き出されるからである。同時に、グローバル教育が言う相互関連性を理論と実践の統合によって明 らかにする点にもある。

経験学習はissue-oriented apporoachを足がかりとして出発するが、これは課題発見のための知のネットワークを紡ぐことである。そして課題解決へ向けて discipline-approachとの統合を目指す。つまり経験学習を通してdisciplinesの関係性が自覚され、カリキュラムにある書科目 の内的関連性を見出し、学ぶインセンティブを自ら掴み取ることになるのである。ここで、理論を学び、理論の力と限界を知る時新たな体系へ向けて知的努力を 開始するが、経験がこの契機を与え、課題に対してのengagementを加速するのである。

また前述の大津(1996)が教育の新しいパラダイムの中で述べるような手法もプログラムの中で実践されている。知識 は現実の問題を解決する過程で再構成され内在化されるが、このプロセスは主体的個人の確立を促すものであり、それを助ける手法が参加型学習である。個人が 築き上げている理解を超える手立ては、実践を通した対話である。現実を批判的に読み解く過程で他者の理解の仕方との格闘が不可欠であり、より深い、時に新 たな認識を獲得する。広くいきわたっている知識伝達型広義形式では、受け手が批判的な判断力を持っていれば有効となる場合があるが、批判的な判断力を育て ることが目的である授業においては有効ではない。これは、一方的に伝達される知識の正しさを確認する手立てが用意されていないことと同時に、疑問を対話の 中に解決する場が確保されていないからである。確かに教室の外には図書館や「現実」も存在するのだが、そこへ向かう力を養うことが課題である時に、その力 を前提とする議論は成り立たないだろう。伝達された情報に働きかけ、疑問を紐解いていく対話を通じて得た知識を現実社会の中で検証することで、問題解決へ の行動につながる理解が得られる。教室の中でもフィールドにおいても、理解の共有化を図り、学びの共同体の一員としての自覚と責任に基づいた参加を促すこ とをプログラムは掲げている。

以上、経験学習を切り口とし、グローバル教育の目的や手法を辿りながら国際インターンシッププログラムを論じてきた が、これらを支えるリテラシーについて言及する。リテラシーは現場での問題解決を念頭においたときに必須のものとなる。相互関連性の中にあるglobal issuesには、セルビーらが指摘するようにひとつの回答があるものではない。多様な価値がある社会にあっていくつもの方策があり得、またそれらが対立 することも多い。従って、合意を形成していくプロセスが大きな課題であり、それを進めていく上で必要となるリテラシーの根幹にあるのがコミュニケーション 能力である。これはcritical thinkingをベースにし、リーディング、ライティング、プレゼンテーション、ディベート、ファシリテーションなどから構成される。さらに「学生」と は言えども社会に生きる一個人としてのルールを身につけ、オープンマインドなパーソナリティを養うことが必要である。時代認識に基づく将来への展望から生 まれるそのオープンマインドさは、教養を源泉とすると言えるだろう。

これら一連の哲学に基づいたプログラムのビジョン、ミッション、そしてそれを実現するための戦略をまとめたものが下表である。

表2) 国際インターンシッププログラムのVision、Mission、戦略
vision
プログラムがめざしていること
変容する社会にあって、ひとりひとりの学生が現場・他者とのかかわりを通して主体性や責任感を育み、来るべき社会を創成する価値と方策を模索し、その実現に向けて自ら行動していくこと
Mission
プログラムの使命
国際インターンシッププログラムは:
  1. 自らと社会とそのかかわりを見つめなおす機会を提供します(認識)
  2. 自らが生きる社会において、自分が何をすべきか、自分に何ができるかと考える機会を提供します(模索)
  3. 主体的な行動を通して社会とのかかわり、自らのありようを再認識する機会を提供します(行動→再認識へ)
戦略
プログラムが育みたい態度・スキル
  • クリティカルな視点を身につける
  • 他者への関心と共感能力を養う
  • 自己発見を促す
  • 他者との連帯を促す
  • 想像力・創造力を身につける
  • 企画・企画立案・運営能力を養う
  • ふりかえりを促す

3.「国際インターンシッププログラム」の経験と評価

3.1 長期海外就業体験プログラム

2002年度は5人の学生が6ヶ月間の海外就業体験を行った(1人は公務員試験の受験準備のため3ヶ月で切り上げてい る。)アメリカの環境保全 NGO、低所得者のための住宅供給サポート NGO、スウェーデンの小学校、インドのストリートチルドレン救済 NGO、ブラ ジルの開発コンサルタント会社での就業体験である。誰もが言葉の壁に悩み、仕事の進め方が掴めないまま、悩ましい数ヶ月をすごしている。しかし最初の3ヶ 月をすぎたころには生活にもなれ、仕事の進め方も理解し、それぞれの力を発揮するようになっている。信頼を得て仕事を任されるようになって、自身をもって 仕事に打ち込んだ様子は、それぞれが書いたレポートと受け入れ団体の評価レポートから読み取れる。

就業体験では、知識を身につけているだけでなく、それを実際の場面で活用できるかどうかが問われる。したがって活動の 評価はきわめて明瞭で、自己評価によるリフレクションとつき合わせることができるという意味ではインターンが評価の主体足りえるところに意義がある。通常 の教室における学びが教員主体の評価であるのとよい対象をなしている。就業体験の評価はスーパーバイザーとの継続的な指導と一体化していて、学習と評価の 有機的関係(フィードバックス)の具体的な例といえる。

5人の就業体験は帰国後の報告会で具体的に語られ、大きなインパクトを学生に与えた。インターン個人の経験とはいえ、それを在校生に返していく作業もまた彼ら自身の成長を促すものであり、ロールモデルとして在校生への励ましとなるものである。

3.2 経験学習

2002年度国際インターンシップ1・2・3はDevelopmentをテーマに、理論、グループワーク、スリランカで のフィールドスタディ、リフレクションと1年に及ぶプログラムを実施し、受講者数は、理論のみの受講者60人、グループワーク、フィールドスタディとリフ レクションの全課程を終了したのは15人であった。

国際インターンシップ1:「Issues in "development"」では、使用言語は原則英語とし、毎回「development」関連の20~60ページの英語の学術論文を授業前までに読ん でおくことが課され、授業はディスカッション形式で行われた。わからないことをそのままにしては授業についていけないから、「わからないことがあったら調 べる・考える・話し合う」という習慣を身に着けることによって授業への参加を意味あるものとし、情報に働きかけること、つまり批判的に読む・聞く・見るこ とを体験していった。それは普段何気なく使う言葉を定義して意味づけをしたり、前提を問い直したり、誰の意見かをはっきりさせるために引用を厳密に行うこ と、などの作業を通じて行われた。この作業を通じて明らかになったことは、これら一連を促すためには教員側に相当なコミットメントが必要だということであ る。この場合の「コミットメント」は、教員のアクセシビリティ(時間・態度)で測れるであろう。他愛のないおしゃべりの中でひとりの人間としての学生(教 員・学生という枠組みではなく)に向き合い、授業に対する反応や理解度について聞き出し、共に歩くという姿勢を打ち出すことが、信頼関係を作ることとな る。そしてまた信頼関係があってこそ、学びのプロセスを効果的に促すことができるのである。

国際インターンシップ2:「Study-Service Tour in Sri Lanka」では、興味分野ごとのグループワーク(スリランカの「development」に関連したジェンダー、子供、教育などの課題)と、スリランカ でのフィールドワークの2部構成になっていた。教室で学んだ「development」とそれに関連する興味分野の課題を、現場で頭・心そして五感を駆使 してとらえることを目的とする。「Study-Service Tour」はserviceを軸に自らの学びを反芻することを狙いとしている。グループワークの中で、スリランカの子供のことを調べていた学生たちは、日 本の子供のことをあまり知らないことに気づき、大学近くの2つの小学校を訪ね、子供たちと一緒にスリランカの小学校に持って行く質問リストを作り上げた。 帰国後、スリランカの小学生からの便りを持って2つの小学校で「国際理解教育」を担当する機会を得ている。大学での学びを地域のコミュニティに還流する行 動が自然に生まれたことは、参加の意味を深いレベルで理解していることを示している。それと同時に、global in the local,local in the globalを実践した例とも言えるだろう。

しかし生活感覚として定着していない理解は現実には無力である。その顕著な例がスリランカの村でも見られた。

その村でのミーティングのこと。卒業を控えたマディソンの4年生、ローレルが切り出す。笑顔を絶やさない彼女が怒って いる。「村のひとがせっかく用意してくれたデザートに虫が入っていたからって、何でそんなに騒ぎ立てる必要があるの?そんなのは相手を思いやっていない し、おかしい」。どうやら虫が入っていることをあまり気にしない村人を前に日本人学生たちが騒いだらしかった。暑さからではない汗が滲み出すような沈黙。 「文化と開発」に興味があるはずだった。開発においては現地の人々のリアリティが大切と言って憚らなかった。「現地の文化に無神経な開発プロフェッショナ ルがプロジェクトをやっている」イメージを持っていた。だがしかし、このローレルのひとことで、これまで言ってきたことや頭でわかっていたことが、自分か ら切り離されたものとしてではなく、自らの中に突き刺さったのだ(*22)。

これもまた、現地で自らが経験することの中でリアルになったことであり、「開発と文化」について課題の一側面が内在化された例である。

Study-Service Tour in Sri Lanka2002では多くの人々と交流する機会が設定されていたが、この中には駐日スリランカ大使、世界銀行元副総裁、国際協力銀行(JBIC)スリラ ンカ・バングラディシュ担当課長、駐スリランカ日本大使、スリランカ教育大臣、サルボダヤ代表、コロンボ大学前学長をはじめ多くの著名な方々や開発に携わ る一戦の人々が含まれた。そのような方々の前に出る緊張感が自覚を促し、その方々とのコミュニケーションを通して社会的マナーも身につけていった。

帰国後学生たちの学部における活動振りは目を見張るものがある。それぞれが属するゼミで、クリティカルな意見を述べ議 論をリードし、優れたプレゼンテーションを行うなど、個人の成長だけでなくゼミ全体の活性化に努力しているし、また学部の種々の行事の中核的役割を果たす など、コミュニティ形成に向けた努力は学部の雰囲気を大きく変えてきている。これはStudy-Service Tour in Sri Lanka2002によって、草の根レベルでの人々との交流、政策担当者との議論、コロンボ大学学生との交流などを経験し、開発とは自らが主体的に関わる ことを通してよりよいコミュニティを形成していくことであるという認識を得た結果といえるのではないだろうか。スリランカ支援国会議に際してスリランカ共 同通信社から持ち込まれた写真展の開催を引き受け、2週間の短い準備期間にもかかわらず成功させた力は、スリランカでの学びを支えてくれた多くの人々への 熱い思いに拠っていたものである。理論を学び、課題を内在化させることによって、そこに働きかけるようになる、というサイクルを、学生たちの行動が証明し ていった。

3.3 Study-"Service"ツアーの意味

人は人との関わりの中に生きており、社会によって守られ、生をまっとうできる実感を分かち合える関係に支えられている。 そうした関係を維持させる人と人の行為をserviceと定義づけると、serviceとは自身の生き方における他者との関係性のあり方のことである。 「はじめに」でも述べた今日の時代背景、特にグローバル化をとって考えると、「他者・社会といかにかかわるか」という問いを意識的に発していく必要がある だろう。これが繰り返し述べてきた「change agent」に必要な責任感ではないだろうか。例えば、開発現場における研究は傾斜的関係の中に置かれることがしばしばであり、知の収奪と呼ばれることが ある。国際インターンシッププログラムがその理念を実現する道はsrviceの概念をその全過程で貫徹することにある。単なるスタディツアーとしない背景 がここにある。また同時に、serviceを意識づけることは、参加者自身が学びを自身の生き方につなげ、自身の属するコミュニティの変革に寄与していく ことを促す役割があると考える。

serviceの概念は人の関わりにおける水平的な双方向性を前提としており、社会の成り立ちの根幹にかかわるもので ある。だからこそ、ツアーの現場で最大限に重視すべきものであった。同時に学びの現場でも、生活の現場でも、人の生きるすべての場において基本的な関係を 築き、変革への共同参画・行動を生み出す。

3.4 評価基準
  • 学びのリテラシーを習得したか?
    人との関係性のなかで不可欠な要素はコミュニケーション能力である。学術論文 を読むなかで、言説を批判的に検討し、言葉を定義して概念整理を行い共通の理解を認識しあう、そのプロセスを何度も繰り返すなかで少しずつだが確実に身に 付けてきた。報告書からわかるように、経験に即して、自身の感じ方、考えたこと、学んだことを具体的に表現できるようになっている。
  • 社会にはたらきかけるための行動は生まれたか?serviceを生活の場面で表現できるようになったか?
    学 びを自身と自身が属する生活の場の変革に結び付けていくことは、個人が日々成長していく上での基本的な作業である。ツアー報告会の開催、ゼミの活性化や学 部のイベント組織化の努力、スリランカ写真展の開催、報告書の作成など、様々なレベルでの活動が展開され、経験学習の成果が定着していると評価してよい。
  • 新たな学びの意欲を獲得したか?
    スリランカの現場で見聞したものを理論的に位置付け直してみたいという思い に駆られた学生たちが新しい学期に「経済分析」、「環境経済学」などを履修して経験を体系化しようと学びの意欲を示している。これは経験によって動機付け られたものであり、現場の力を現すものである。

4. ウィスコンシン大学との共同プログラムの意義と課題

ウィスコンシン大学との共同プログラムを開発した意義は大きく、総合政策学部の学生だけでなく多国籍の学生たちが寝食をともにし、開発や援助について意見 を交換し、人生を語り合う場を提供したことの意味は極めて大きいといえる。ウィスコンシン大学との共同プログラムはスリランカから今夏のウィスコンシンで のフィールドスタディーズに引き継がれ。長期的な共同プログラムへの基礎づくりがされている。個人のレベルではなく、学部の組織的対応としての国際共同プ ログラムは国際化を標榜する学部にとって必須の要件であり、今後の発展を引き続き強く求める必要がある。

5. まとめ

大学は人類の知的遺産を継承発展させる立場から教育に関わってきた。しかし、社会の変容に伴い大学教育は危機 に瀕している。豊かさの中で育ってきた学生たちは知識を無批判に受容する傾向を示し、言説を批判的に検討することにおいて訓練されていない。加えて旧態依 然の大規模な知識伝達型講義ばかりである。批判的分析こそが飛躍を生み出し新しい到達点を切り拓くということが学生の意識とならなければ、「創造力豊かな 人材の輩出」も空文句である。社会と学問の発展を担う人材の育たない環境を大学自らが肯定しているといわれても仕方がない現状である。教育は学問観と結び ついて展開されるから、教員一人一人の学問観が問われていると言っても過言ではない。

大学は学問を通して批判的主体を育てるところであるから、「批判なき受容」の態度に囚われた受動的主体を能動的に働き かける批判的主体へと変えていくことを課題としなければならない。かって大学に入学してくる学生たちは、多くの読書や体験を通して不完全ながらも自我の形 成期を終えており、批判的主体として授業に参加していた。また思索にふけり語り合う十分な時間を持っていた。いま、本を読み考える時間さえ取れないような カリキュラムになっている。

批判的主体をどう育てるか?諸学問の理論の伝達では「受容の態度」を打ち砕くことは出来ない。理論が受容の対象となっ ているからである。理論がその限界を露呈する現実こそが「受容の態度」を打ち砕く力を持っている。経験学習が求められ、期待される理由はここにある。経験 学習は自立した個人の生き方と切り離せない課題認識を促すものである。個人がchange agentたろうとするとき観念的理解は力とならない。内からの絶ちがたい問題解決の思いこそが、複雑で困難な社会の変革への駆動力である。だからこそ対 象としての学生ではなく、課題の内在化が必要なのである。そしてこの内在化を促すものが経験である。とはいえ、経験が無条件に課題の内在化をもたらすもの ではない。理論を学び、理論の力と限界を知るとき、新たな体系へ向けて知的努力を開始する。経験がこの契機を与える。つまり経験学習は、理論の批判的学習 とその現場における検証、理論の限界の認識と次なる発展のモメントの発見を一連の作業とするプログラムであり、知識・価値形成・社会参加の統合化を目指す ものである。

国際インターンシッププログラムは基礎教育のプラットフォームであり、学ぶ能力の形成、時代における課題認識(学問の 意味論)の社会参加への接続、知の再編への意欲を狙いとする導入教育であるが、そこでの方法論は専門教育でも学際教育でも機能し、ともに生き生きとした学 びの場とする力をもつものであり、それぞれにふさわしい方法で現場との対話・交流が具体化されることが望まれる。知の組み換え・再編をめざす価値組織型ア プローチをとる総合政策学部の学際性の質を新たな知の体系に実体化する上で、現場の有効性を強調しておきたい。学際性をDisciplineからの周縁接 続的展開とする立場からは Learning in Action,Learning for Actionのセンスは生まれてこない。国際インターンシッププログラムを学部教育の縦糸としてカリキュラムに編み込む意義について広範で深い議論を期待 したい。

(*3)溶鉱炉の温度を決定することは製鉄産業にとって生命線であったが、職人的経験は全く通用せず黒体幅射の理論に よって解決された。これを契機に発展した量子力学は産業と生活を根本的に変化させたが、その過程は理論に先導された技術によるものである。最近の遺伝子組 み替え技術やクローン技術は生命科学の理論的発展に負うものである。

(*4)教育手法の転換については以下でも言及されている。UNESCO.(1998),World Declaration on Higher Education for the Twenty-first Century:Vision and Action(October9).

(*5)和栗百恵「総合政策学部における国際インターンシッププログラム:新しい学びのモデルの創造に向けて」2002年11月22日

(*6)第15次中央教育審議会第二次答申 1997年11月

(*7)文部科学省は、1997、その「教育改革プログラム」の中で「学生が、在存中に自らの専攻、将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと」(下線筆者)と定義している。

(*8)両者ともに「高等教育」の文脈では論じていないが、その哲学は時代・社会背景が異なる今日の大学にも十分応用が可能と考えられる。

(*9)デューイ「民主主義と教育(上)」(松野安男訳)岩波文庫、1975年、p.222-224

(*10)Dewey,J(2002).The school and society(1915)&the child and the curriculum (1902).New York;Dover.

(*11)同上

(*12)教師が一方的に知識を注入し学習者は求められる答えを出すというプロセスを、銀行の預貯金になぞらえた。Freire,p(1970).pedagogy of the oppressed.New York:Contiuum.

(*13)開発教育推進セミナー編「新しい開発教育のすすめ方:地球市民を育てる現場から(増補版)」古今書院、 1996年、田中治彦「南北問題と開発教育:地球市民として生きるために」亜紀書房、1996年 宇田川晴義監修「地球市民への入門講座:グローバル教育の可能性」三修社、2001年 Osler,A&Vincent,K(2002).Citizenship and the challenge of global education.Sterling:Trentham Books.

(*14)Selby,D.(1991).Toward an irreducible global perspective in school.Westminster Studies in Education 14, pp.27-35. 浅野誠&デイヴィッド・セルビー「グローバル教育からの提案」日本評論社、2002年 宇田川(ibid). トロント大学Ontario Institute for Studies in EducationにおけるGlobal Education Summer Institute1997での講義ノート。

(*15)Seiby,D.(1993).Humane education and global education. Australian Journal of Environmental Education9, pp115-133.他。

(*16)オーストリアの教育者、ルドルフ・シュタイナーによって提唱された。

(*17)Shwartz,E.S.(1971).Overskill:the decline of technology in modern civilization. New York:Quadrangle.

(*18)Pike,G(1999).Global education:Reflections from the field, Green Teacher54,pp.6-10.

(*19)Houston,J(1982).The possible human.Los Angeles:J.P.Tarcher.

(*20)Hicks,D.&Steiner,M(1989).Making global connections:A world studies workbook. Edinburgh:Oliver&Boyd,quoted in開発教育セミナー編(1996)。

(*21)和栗百恵「Study-Service Tour in Sri Lanka:出会いと体験が豊かにする学び」草のみどり、第166号(2003,6)

(*22)和栗百恵「学びを生きる」Hakumonちゅうおう'03秋季特別号pp.50-53

[参考文献]

浅野誠&デイヴィッド・セルビー「グローバル教育からの提案」日本評論社、2002年

宇田川晴義監修「地球市民への入門講座:グローバル教育の可能性」三修社、2001年

開発教育推進セミナー編「新しい開発教育のすすめかた:地球市民を育てる現場から(増補版)古今書院、1996年

田中治彦「南北問題と開発教育:地球市民として生きるために」亜紀書房、1996年

デューイ「民主主義と教育(上)」(松野安男訳)岩波文庫、1975年、p.222-224

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和栗百恵「総合政策学部における国際インターンシッププログラム:新しい学びのモデルの創造に向けて」2002年11月22日

和栗百恵「学びを生きる」Hakumonちゅうおう'03秋季特別号pp.50-53

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