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教養番組「知の回廊」
43 「多摩の新撰組 土方歳三式 企業組織戦略論」

中央大学 経済学部 田中 拓男

土方と多摩

「多摩の土方銅像の前で」

  • 2004年は大河ドラマによる新撰組ブームで大勢のファン、溢れる新撰組の情報・新撰組の故郷として多摩の地も脚光、多摩の生んだ新撰組、実はこれが新撰組の行動や性格を知る上で非常に重要なポイント、新撰組の神髄には多摩の伝統精神や人々の思い、それを基底にして、近代的な組織を作ろうとしたのが新撰組。
  • 組織リーダーは日野で生まれ育った土方、新撰組という新しい組織を形成して、歴史に残る大きな活動 
    その秘訣は、実は多摩で生まれ育った土方の組織戦略論は、封建的な社会の伝統を超克したきわめて近代的斬新な発想、日本で初めての組織、今日、日本的な伝統のうえに形成されてきた日本の企業組織や日本的な経営は、グローバル化時代に向けて根本的な変容を迫られているが、実は土方は、すでに古い日本的な組織戦略から脱皮した近代的なものを着想して新撰組という組織に具体化、したがって、その組織戦略論は、グローバル企業へ飛躍しよういう企業にとって、非常に興味深い内容が秘められている。
    ビジネスマンのための新撰組講座の開始

主題

はじめに多摩の共同社会と新撰組について、根底での深い繋がりについて説明する。そこをベースにして土方は新しい組織戦略を構築していった。新撰組は、いわば多摩共同社会という本社に対して京都の子会社の役割を果たしており、それが新撰組の組織・活動内容や運命を決定的に決めることになった。 
しかし、新撰組の崩壊後、新撰組の精神は多摩社会に帰って130年を経過しても、なお今も新撰組の神髄にふれてその組織に強い関心と愛着をもつ人々が非常に多い。単なる一つの組織体ならその崩壊ですべてが終わるはずであるのに、これだけ後の世の人々の心に大きく残るのは、斬新な組織体の形成において今の時代にも通用するすばらしい魅力を内蔵していたからである。 
その魅力を企業論の視点から探っていこう。

「多摩社会と新撰組」

2点を強調する。

  • 新撰組発祥の地多摩の特徴、=幕府と運命共同体、板東武者の流れ 
    天領、幕府から特別に面倒を見てもらい、いざという時に幕府に、家訓で縛られていた会津と同じ宿命。
  • 多摩の年長の人々との交流;本社の幹部と子会社との人的交流、報告
    最後まで本社の人々とともに。共同体の中で裏切れない日本社会の伝統。 
    後で詳しくみるが、この多摩社会との繋がりが新撰組の崩壊の運命に大きな影響

2点を強調

  • 歴史の中の大きな転換の中、沸騰点で時代の権威を倒そうという派と守ろうという派になると、幕府と運命共同体 新しい時代に衣替えできずに 組織理念の純化がより厳しく行われた。 
    これが後の人々に感動、愚直なまでにまっすぐに節を変えず、板東武者の精神を堅持
  • 組織が大きくなり、より大きな活動が期待されるようになるとそこに(創業者の思いを越えた)もろもろの新しい要素を取り入れて、新たに組織理念のアウフヘーベンが必要になる、新撰組は最後まで多摩共同体の子会社として立場を堅持して、組織の活動がはるかに大きく発展してきても、組織内部の(当初の)理念の純化につとめる 
    それが多摩共同体から派遣された幹部中心の組織に止まり、外部の雑音を排除する論理に。 
    新撰組の暗い内部闘争の数々(芹沢暗殺、山南切腹、伊東一派殲滅、永倉直訴も含めて) 
    最後には近藤なき後土方の新撰組に純化、より大きな近代的な軍隊組織への変容脱皮を困難にした。 
    逆に、それ故に滅びに向かってネバーチャレンジの敢闘精神、徹底した武士道の堅持、そして生まれ故郷多摩への帰還、身を滅ぶとも多摩の人々の深い思いを受けた一途な幕府への忠誠心と義は、見事に生き残って、はるか後の人々に輝きを高く掲げることになるム深い男の魅力

「経営組織の基本原理をベースに新撰組という組織の解剖」
企業の戦略組織は基本的には次の4つの要素の上に形成されている。
組織理念、外部環境変化への適応、組織内部資源の活用と外部化、戦略の策定と日常活動ここでは特に、組織理念、外部環境への適応、内部資源の活用と外部化という視点から新撰組という組織の魅力を解剖してゆく。これらの諸要素を考えるとき、その背景に多摩社会の伝統的な精神が常に働いていることが認められる。

新撰組の組織理念

組織が強い力を発揮できるか、さらに長い生命力を維持していけるかは、組織のもつ理念によって大きく影響される。転職の激しいアメリカの企業でも、すべての従業員が心酔して尊重しそれのよく具現者になろうとするような優れた企業理念を組織のコアにもっている会社は、エクセレントカンパニーとして世界的に大きな活躍を展開している。組織の理念が明確でない場合や、従って組織内部の人間が喜んで理念を尊重し、理念の実施に参加しようとしないような企業や組織では、一時的に隆盛期を迎えても多くの人材を束ねて長い時期に大きな活動を展開するのは困難である。関係する人々の心を一つに結び、大きな組織的パワーに転化させるのはその組織のもっている優れた理念・企業精神である。 
長州の奇兵隊は、高杉の指導のもと倒幕による新しい日本を作るという優れた組織理念があり、それが幕末維新戦争の強いパワーになったと言われている。それに対して新撰組はしばしば理念なく集団、時代錯誤の集団と捉えられており、それ故に組織が崩壊していったと。 
しかし、幕末維新戦争で決して新撰組は烏合の衆ではなかった。強い純粋な組織理念に支えられて組織として厳しい外部環境の中最後まで戦いを続け、しかも、後の人々に一つのまとまった組織としてこれだけ強い感銘と感動を与え、現代の人々に新しい日本の社会を作ろうという夢を与えている。奇兵隊の夢は、明治政府の中で本当に生き残ったのであろうか。むしろその後の日本の敗戦に向かう歴史をみると、・・・・ それでは新撰組の組織理念の内容と限界はどのようなものであったか

2点を強調する。

  • 外圧の中、国を開こうという幕府の立場と日本古来の尊皇を重視した公武合体、幕府を倒す勢力には最後まで徹底的に抵抗。その背景には多摩という地縁的な共同体の伝統精神(土方の故郷が長州だったら違った行動)。板東武士としての一途な節と義に生きることに、多摩の農民から幕府を守る武士になりたいという彼たちの生涯の願いを美しく昇華。函館で破れても多摩の社会に帰還し、魂は再生して日本の発展に貢献。すなわち、日本精神を支える優れた人々に武士道精神、節と義を辛い厳しさと美しさを、身をもって教えて感動。「燃えよ剣」、
  • 組織理念の純化に努める。前述のように組織の肥大化に伴う理念の変容に対して、新撰組は理念の純化に方向に。創業者の理念をあくまで重視し、スモール イズ ビューチフル。それに伴って多摩社会以外の指導者に対する内部の粛正など暗い面が出てきたが、純化プロセスの必要悪、鬼と言われる土方の苦悩。伊東に乗っ取られていたら多摩共同体の理念ははやくも消えていったであろう。 
    戦後の高度成長期に落ち込んだ日本企業の落とし穴は、どんどん肥大化し、組織の理念、企業倫理を軽視してまで会社規模の拡大を志向する。企業理念が徹底的に叩かれ鍛えられていない企業は、従業員の企業への帰属意識がそれだけ弱く、困難に直面するとコア人材の流出などでパワーを急速に失っていく。130年後も感動を与えるような企業組織には、人々の心を結びつける優れた理念、企業倫理が不可欠である。魂のこもった優れた理念なき組織は、相互の利害関係がなくなるとばらばらに分解され崩壊に向かう。ちょうど利害関係で結ばれていた薩摩と長州は、維新後に新たな利害を求めて西南戦争で戦い、同じ政府に残った人々の間でもそれぞれの派閥の対立激化が長く続いていた。

外部環境の変化と情報戦略

組織にはそれぞれの目標がありそれを実現達成するために戦略を接待して活動を行っていく。その時、現実の組織は純粋に宇宙空間に存在するようなものでなく、実際の社会の中で形成され活動していく。組織の活動の場として現実社会があり、そのあり方が非常に大きな影響を組織に与えることになる。現実社会の動きはその中の組織に影響を及ぼし、時には、大きな重要な組織の場合にはその活動が現実社会の動きに逆にインパクトをあたえることもある。 
新撰組を考えるときの最大の問題は、幕末という時代のなかでの組織形成であったことである。時代が大きく変転する社会という場に投げ込まれた新撰組は、現実社会と直接密接な関係もと持つようになる。ただ、新撰組という組織の目的は、基本的には将軍の警護から出発して京都の治安維持に重点が置かれた、長州戦争のための組織的な布陣を敷くこともあったが、基本的な性格は治安維持活動のための警察機能の発揮におかれていた。鳥羽伏見の戦いの後は、幕府サイドの軍隊としての役割がますます重要になり、現実社会における組織の位置づけが基本的に異なってくる。 
新撰組が時代の動きをどのように捉えていたかについては、非常に重要な問題であるが、政治的な問題は基本的なリーダーとしての近藤さんの役割分担であり、そういう場にほとんどでていない土方をとりあげるので、ここではむしろ、土方の役割である情報戦略について検討する。近藤の立場はすでにふれたように公武合体であり、開国要求の厳しい中で幕府の権威と天皇の権威をあわせて外国に対抗させようというものである。時代がどのように転換していこうと恩顧の徳川幕府がその中心にいて責任を果たすという、現状容認派の立場はますます強固になった。新撰組は時代知らずの集団という汚名があるが、むしろ時代をどのように動かすかという基本的な視点からよく考えて、既存の権威である幕府中心という立場を明確にし、その一翼を担う新撰組の組織的な力を強化しようとした。 さて土方であるが、ここでも多摩に育った土方特有の才能が組織の活動に充分生かされた。 
情報戦略は、国の行く末を考えるときに必要になる大局的な情報と、組織の日常活動に必要な小局的な情報に二通りがある。土方が得意としたのは小局的な情報戦略である。 
多摩の土方は家伝の石田散薬を行商するという商人の活動をしていた。その前には松屋の丁稚方向など商人としての基本的な見習いをしている。土方の商人活動の説明。 
商人としてもっとも重要な才能は、利益のあがる商売の機会を捉えることである。そのためには市場に関する情報をできるだけ的確に豊かに収集し、分析し、それを商売に生かしていかなければならない。そのためには、日頃から広い市場を観察していなければならないが、土方は石田散薬の行商を通じて、自然と身につけるようになった、遠くは甲府まで出かけていたそうでその行動半径の広さが土方の情報力を鍛錬していった。 
この情報収集、情報分析、情報の活用という情報戦略は商人にとってきわめて重要であるが、武士には通常あまり問題にならない。土方が武士の集団の中でこうした商人として才能を持ち合わせ、それを有効に生かしたことで、新撰組という組織の活動力が飛躍的に上がることになる。組織の中に探索役を正式に設けて山崎のように鋭い感覚を持つ人材を集めて活用する。しかもその情報を非常に迅速に有効に活用する。 
トップが情報を持つことはその下の人間にとって非常に強い緊張感を高めることになり、組織の活動を活性化させる。信頼関係が十分できていない場合には、土方に対する恐怖感にもなり、情報力が隊員を苦しめる凶器の役割をもっているが、戦線組の京都市中の警護活動には、土方の情報戦略によって支えられている。あの池田屋事件も新撰組の情報戦略の成果である。 
企業の中で様々な情報が集まっているが、従来からの繰り返しの活動に終始している所では、その情報を有効に生かすルートが非常に限られ、それだけ大きな商機を逸することになる。土方は組織活動のトップに一人で君臨し、優れた探索方を自由自在に動かすことによって情報の価値を大きく高めて組織の成果に結びつけている。これは商人として土方のすぐれた才能をもとに作り上げられた情報戦略である。 
問題は、後半新撰組が軍隊としての活動を展開するようになってからである。現場の指揮者として土方は状況を好く把握して勝利に導くすぐれた現場指揮者としての力を発揮した。その点で土方は軍隊の指揮者としても、商人の情報戦略を生かしながら、成功したと言える。 
ただ、大局的にみると、奥羽同盟などの場において強い政治力を発揮して官軍に対抗するような働きが見られない、もし近藤さんが一緒にいればまた違った政治的動きが見られたかもしれないが、現場の指揮官として優秀な土方も政治的な指導者にはなれなかった、それは商人としての情報力があくまで市場の観察から生まれる情報を重視するものであり、大局的長期的な動きをみるという情報戦略には慣れていなかったと思われる。そこが情報に優れた土方の限界である。 
その意味で現代の企業についても、小局的な情報については組織内部でよく収集分析されているが、大局的な情報については会社の生命にかかわるようなものであり、会社のキーの人材に集中することになる。しかし、長年小局的な情報に慣れている人材がトップになってきたときに企業戦略の中にどれだけ大局的な情報を活用できるか非常に問題がある。関連する市場ばかりをみて、世界のマクロ経済の大きな動きを観察し、その情報と自分の商権との密接な関係について的確な判断力を持って活用する能力は一般に弱いと思われる。その最大の証拠がバブルに煽られた不良債権問題であり、グローバル展開における欧米企業に対する戦線後退である。 
現代勝ち組企業といわれるのはまさにこうした大局的な情報戦略を徹底的に活用して、次代の流れにマッチした直期間における新しい展開を進めている企業群である。

人的資源の管理

「内部資源の活用」 
日本独特の精神的風土をもとにして日本企業が伝統的な人事政策を採用してきたのが、グローバル化の急速な進展で今日大幅な修正に迫られている。土方の資源管理と活用の手法は130年前にそれまでの封建社会の慣行とちがったまったく斬新なものであり、現在の転換期においても充分通用するものがあり、ある場合には、土方から学ぶべき手法が多く見られる。 
以下では、人事採用と研修制度、成果主義と評価制度、組織管理における法家主義と会津藩への情報開示)。

「人事採用と研修制度」 
日本の集団主義的社会では、特定の組織に入る人間に対して、その入り口で厳しいチェックが行われている。大学でも、企業でも、入り口の入試や入社の試験を厳格に行って参加を許可している。組織にとって人的資源はきわめて重要な財産になるからである。しかし、最近になって企業社会の変化に伴って途中入社など組織への参加の道が緩められ多様化している。 
土方の組織管理の方法は、集団主義社会の日本ではきわめて斬新的なものである。新撰組の隊員募集には、一家の長男とか特別な事情の者以外については、どのような背景のものであろうと広く門戸を広げていた。その際、新撰組の組織目標から見て必要な剣の力による選抜だけでなく、会計方などの人材についても組織の中に取り入れた。その結果、いわば、浮浪者やならずもののような者まで新撰組の組織の中に入ってくることになった。その時、組織全体の活動が低下する恐れがでてくる。そこで土方の組織管理は、中での厳しいトレーニングを課して能力養成を徹底的に進めること、その際、単に剣の実力だけでなく、文芸の師範制度を導入してより幅広い人間性の涵養に努めている。 
さらに、隊を脱する者は切腹という厳しい掟を示すことによって、組織の中に入ったことの帰属意識を強固にさせる。組織の入り口は広く広げながら中にはいると厳しい鍛錬と帰属意識とで人的な資源の能力を鍛え直して、組織の活動力を高めるようにする。

「成果主義と評価制度」 
長年日本社会の慣行であった年功状列的な評価制度は、ようやく成果主義の方向に転換している。土方の管理方法はまさに伝統的な手法を打破した斬新なものである。日常的な見回り活動では、常に組を中心に5人単位の集団的な行動を進める。その際、一番危険な先頭の突入者、死番を5人順番に平等に割り当てる。さらに、顕著な事件では、誰にでも目に見える明確な評価制度のもとで、働きに応じて報償の金額を決めていく。働きのない者はほとんど報酬を貰えない。報酬の大きさによってその人の活動振りが推測されほど、明確な成果主義を取り入れている。

「組織の法家主義的管理」 
組織内部の人材の管理においては、家族主義的な社内の雰囲気の中でかばいあいのあいまいな処罰が行われる。新撰組ではこの面できわめて峻烈な組織のルールを確立して人材管理を行った。組織の入り口を大きく広げた結果、内部化される人的資源の均質性、同質性が損なわれる。それに伴って内部における管理ではそれだけ厳しいものが必要になる。しかも、新撰組という組織は、会津藩というきわめて有能な武士集団を抱える集団の下部組織になっているために、内部の厳しい人材管理の手法が外部にも分かるような(アピールするような)透明性のあるようなものにしていかなければならない。

こうした組織管理の明確なルール確立の必要性に対して、現実には新撰組の組織の成り立ちそのものに、そもそも幹部レベルの人々のボランティアの自主的な集まりであり、厳しいルールを押しつけることが馴染まないという側面が含まれていた。そこに新撰組という組織構成の難しさがあり、それを統括する土方に対する厳しい批判が生まれてくる。ボランティアで集まった同志に対して、浮浪者やならずものを管理する厳しいルールを適用すると、当然同じボランティア仲間からの厳しい反発が出てくる。それを抑えるには、組織管理の原則を法家主義で行う、すなわち、いったん決めた規則を適用するには一切の例外を認めずに組織のすべてが服することを厳しく要求する。特に土方そのもの個人的な性格には、近藤さんと同様に情味溢れる人間的な弱さをもっていた。もし、法家主義の原則を厳しく適用しなければ、土方も近藤もその主れる人情味から規則の適用に裁量主義がはびこって公平性を欠き、その結果、外部からも分からないような処罰が横行して日本的な伝統のなあなあ主義におわり、厳しい組織の活動力が弛んでしまう。

以上のように土方の新撰組という組織の管理には、日本の伝統的社会の原理を超克した近代的な性格をもっていた。