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教養番組「知の回廊」
20 「日本経済のゆくえ」

日本経済のゆくえ--私たちの暮らしはどうなるのか

中央大学 商学部教授 松橋 透

1992年以降、前世紀末まで、日本経済の平均的な実質経済成長率(一国全体の経済の活動状況を示すGDP=国内総生産の実質成長率)は約1%と、1980年代の約4分の1に落ち込み、前世紀末の10年は「失われた10年」と呼ばれるようになりました。
そして私たちは希望と期待をもって21世紀を迎えたのですが、しかし今世紀に入ってから、日本経済の状況は一段と悪化し、私たちの生活を取り 巻く環境は一層厳しいものになっています。リストラ、債権放棄、大型倒産、金融破綻といった言葉を目にし耳にしない日はないといってもよいほどです。実 際、昨年12 月の完全失業率は5.5%と戦後最悪を記録しましたし、また昨年10-12月期の雇用者報酬すなわち仕事をした人が受け取った給料の総額も前年同期比で 2.8%も減少しました。また実質GDP成長率は、2001年度の政府当初見通しではプラス1.7%だったのですが、それがマイナス0.9%に下方修正さ れ、さらにこれも達成困難で、結局マイナス1.6%程になると予想されています。さらに2002年2月には、政府は、わが国はデフレ・スパイラル (deflationary spiral)に陥っているとして、これに対処するための総合デフレ対策を発表しました。
「知の回廊」、今回は、「日本経済のゆくえ--私たちの暮らしはどうなるのか」というテーマで、・いま日本経済にいったいどういう事態が起 こっているのか(日本経済の現況)、・こうした事態が発生してしまった原因はどこにあるのか、またこの状況から脱却するにはどういう方法・対策がありうる のか(長期不況の原因とその対策)、そして最後に、・こうした経済状況の中で私たちはいったいどういう社会また、どういう生き方を選択していったらいいの だろうか、といった問題について考えてみたいと思います。

Ⅰ. 日本経済の現況

(1)経済活動の基本的原理とデフレスパイラルのメカニズム

ではまずはじめに、今問題となっているデフレスパイラルという事態を原理的に説明していくことから始めましょう。デフレ とは収縮を意味するデフレーションの略語でありますが、これは経済用語として用いられる場合には通常、物価の下落を指します。またスパイラルは螺旋という ことですが、デフレスパイラルとは物価の下落と経済の収縮、つまり景気後退とが相互促進的に連続して進行していく事態を指します。
経済活動とは、私たち人間がその命を支えていくための最も基礎的な活動です。すなわち私たちが生きていくためには、何よりもまず、食べる物を 食べ、着る物を着、そして住まいを整えていかなければなりません。私たちが行うこうした生存のための行為を消費と言います。そして消費するためにはそのた めのものを生産しなければなりませんが、人間社会においては、自分が消費するものを自分で直接生産する場合は極めて稀で、(もちろん家庭菜園で自分が作っ た野菜を自分で食べるということは、例外的にはあるわけですが、ほとんどの場合)私たちは通常その消費するためのものをお店で買ってきます。そのお店で 買ってくるという行為を経済学的に言えば、それはお金つまり貨幣と交換に社会の誰かが生産したものの分配にあずかる、ということになります。
したがって私たち人間の命を支えているの最も基本な活動は、生産→交換・分配→消費という一連の大きな流れです。
しかし、消費は経済活動の終点ではありません。実は、消費はまた次の生産へと結びついていくのです。というのは、私たちは、食物を食べ、着る ものを着、住まいで寛ぐことによって、明日もまた働ける、つまり生産にたずさわれる状態になるのです。このことを経済学的用語で労働力の再生産と言います が、消費は労働力の再生産を通じて次の生産へと結びついているのです。
ところで、消費と言われるものの中には、私たちが生活のために行うのではない消費もあります。たとえば、火力発電所では重油が燃やされる、つ まり消費されますが、しかしこれによって蒸気タービンが回され、電力がつくられます。この重油は、燃やされて使われてしまうという限りでは消費されるので すが、しかしこれは電力を生産するために行われる消費なので、生産的消費と呼ばれます。この生産的消費が生産と直結していることは、言うまでもないでしょ う。これに対して、先に述べた、主として私たちが生活のために行う消費は個人的消費と呼ばれ、生産的消費と区別されています。
以上まとめますと、われわれ人間または人間社会は、生産→交換・分配→消費→また生産……という、一連の大きな流れあるいはサイクルのうえに 存立しているということです。このサイクルがどこかで中断されれば、人間社会に大きな災厄がもたらされることは容易に想像がつくでしょう。
この大きな経済活動の流れが、どういう人と人との結びつき、すなわち社会的関係のもとで行われているのか(これを「経済構造」と呼びます)、 またこのサイクルはどういうメカニズムで動くのか(これを「経済動態」と呼びます)、そこにはどのような法則性があるのか、これらを究明していく学問が経 済学であると言ってよいでしょう。

さて、そこでデフレスパイラルですが、この現象はこのサイクルの中で発生している次のような事態です。すなわち今、あ る何らかの事情によって生産の縮小が余儀なくされたとしましょう。この生産の縮小が恒常的なものであり容易に回復の見込みがなければ、企業は収益性を維持 していく為に人員の整理に踏み切るでしょう。いわゆるリストラです。一昨年から今年にかけて、自動車、電気と言った日本を代表する製造業分野で大量のリス トラ計画が新たに発表されたことは記憶に新しいことと思います。
さてこの雇用の減少は当然、勤労者の所得の減少をもたらします。実際に雇用者報酬が減少していることは先にも見た通りです。そして人々の意識 の中に、「自分もいつ解雇されるか分からない」という不安が蔓延すると、現在は仕事に就いている勤労者も、将来に備えて給料のうちから貯蓄に回す分を増や すという行動をとることになります。これによって、所得のうち個人的消費に振り向けられる部分は減少します。また生産が縮小されるのですから、原材料の消 費量すなわち生産的消費も当然減少するでしょう。総じて、消費は減退します。
この消費の減退は、企業の売上高の減少を通じて企業収益を悪化させます。こうした中で何とか売上高を増やし、企業収益を維持ないしは改善しよ うとすれば、価格を引き下げて同業他社の顧客を奪うかまたは新規の顧客を掘り起こそうとするでしょう。しかし他社も競争に負けまいとして、価格を引き下げ てくることは必至です。マクドナルドがハンバーガーを平日半額にすれば、ロッテリアもそれに何らかのかたちで対抗せざるを得ないのです。その結果、お互い に売上高を増大させることができず、収益だけが減少するということが十分に起こり得ます。
この収益の減少が生産のさらなる縮小に拍車をかけ、再び、雇用・所得と消費の減退を引き起こしていく。これが現在起こっているデフレスパイラル、すなわち物価の下落と経済の収縮との相互促進的・連続的進行の基本的なメカニズムです。

(2)産業の空洞化

また、最近特に顕著となっている次のような問題があります。それは、産業の空洞化という問題です。すなわち、(6)の矢印の所と関連して、ここ数年来、価 格の引き下げないしは低価格によって収益が低下してしまうことなく、逆に収益を増大させている企業もかなりあります。例えばみなさんもよくご存じの、ユニ クロ(ファーストリテイリング)という会社はその一つです。これまでの常識を覆す低価格で業績を伸ばし急成長してきました。ここだけを見ますと、低価格は 売り上げの増大、したがってまた生産と雇用の拡大をもたらし、日本経済を拡大させているように見えます。しかし実は、ユニクロの好業績の秘密は中国での生 産にあるのです。
賃金が日本の20分の1--日本と比較しての労働生産性の低さ(=同じ製品を作るのに日本よりもより多い人員を必要とするということ)や、退 職者の年金を企業が負担しなければならないといった事情を考慮すると、実質的な賃金コストは日本の7分の1から6分の1という人もいる--といわれる中国 で、60以上の縫製工場と契約し、低コストで品質の一定した商品を生産し、それを日本で販売していることがユニクロの好業績の秘密なのです。したがって少 なくとも、生産段階で考える限り、ユニクロ商品の販売の増大は、日本での生産と雇用の拡大にはほとんど寄与していないと言ってよいでしょう。もちろん、ユ ニクロの店舗や事務所は日本で増えているのですから、そこで雇用される人の数は増えています。しかし他方で、ユニクロに顧客が移ることによって業績不振と なり、店舗の縮小にともなって大手スーパーなどから解雇されていく人の数を考えると、日本経済全体として、果たして雇用が増えているかどうかは難しいとこ ろです。
以上のように、日本企業の生産拠点が海外に移っていくことによって、日本国内の生産と雇用が停滞ないしは縮小してしまう現象を指して、産業の 空洞化と呼びます。1990年代の終わり頃から、この現象はますます顕著になっているのです。たとえば、松下電器産業、東芝、三洋電機、三菱電機の電機産 業大手4社は、テレビの生産拠点を既に日本から中国に移しています。しかも造られているのは最新型の大画面平面ブラウン管テレビです。またソニーも98年 から上海でこのテレビを生産し始め、そのおよそ8割を日本に輸出(日本から見て逆輸入)しているといいます。こうした事態はテレビだけのことではありませ ん。また電機産業だけでもなく、自動車、食品等々多くの産業分野をも巻き込んで進行しています。また移転先も中国だけはなく、韓国、台湾、東南アジア諸国 等、多くの地域に及んでいることも皆さんご存じの通りです。こうした海外から輸入または逆輸入される低価格商品の攻勢をも反映して、消費者物価指数は 1998年半ば頃より確実に低下してきています。このことがデフレスパイラルにいっそうの拍車をかけているわけです。 日本企業による海外での生産の進展 は日本国内の生産・雇用および所得を増やさず、低価格商品の供給のみを増大させる。また最近では日本国内の生産および雇用を縮小して海外生産のみを増大さ せる事例も多くなってきました。ここに産業空洞化の根本的な問題があるのです。

Ⅱ 長期不況の原因とその対策

それでは、これまで見てきたようなような、最近ではデフレスパイラルを伴うようになってしまった長期不況の原因はいったいどこにあるのでしょうか?
こ の問題についての掘り下げた分析は後に示しますが、いまはさしあたって、長期不況の原因とその対策のあり方をめぐって対立している考え方を、大きく二つに 分類して示しておきましょう。まず第一の考え方は、長期にわたる不況は供給の側、つまり生産の構造や産業の構造に問題があるとする考え方です。そして第二 の考え方は、いやそうではなく、長期不況は需要の不足が根本的な原因であるとする考え方です。第一の考え方に立つ人々は、日本経済の「構造改革」が急務だ と主張しています。また第二の考え方に立つ人々は、財政赤字の解消すなわち財政構造改革を一時棚上げにしてでも、財政支出を拡大し需要を喚起して、即刻不 況からの脱却を図るべきだと主張しています。まず両者の主張の大筋をまとめておきましょう。

(1)構造改革が必要であるとする主張

この立場に立つ人々の代表的と思われる見解は次のようなものです。

「この10年、日本経済が不調だったのは、生産性の低い産業や公的部門に資本や労働力がとどまり、将来性のある分野に 移れなかったからです。この移動を実現するのがまさに構造改革であり、それが知識創造型社会へ大きな流れをつくることにつながるのです」。 「日本は先進 国になった以上、物まねでほかの国や企業に追いつくのではなく、知識を生かし、だれもやっていないことに挑む『知識創造型社会』に変わるしか、市場経済の なかで生き残る道はありません」。(中谷巌氏)

「90年代以降の長期景気低迷の原因は、需要が不足しているのではなく、日本経済の供給力の弱体化にある。」「構造改 革が必要です。冷戦が終わり、世界レベルで産業構造が変わり始めました。発展途上国や旧共産圏の各国が安価で豊富な労働力を背景に世界市場に参入し、製造 業はこうした国へシフトしています。先進国はどこでも製造業以外の産業がより大きな比重を占めるようになっています。日本も、いつまでも貿易立国や輸出大 国といった考えにしがみついていると、サービス化という新しい流れを見失いかねません」。(富田俊基氏)

中谷氏は、「知識創造型社会」という言葉を使い、富田氏は、「サービス化」という言葉を用いていますが、両者ともに、日本の産業構造が変わる必要があり、そのためには構造改革が必要であるとする点では一致しています。
現在、小泉政権下で実施されている「構造改革」は多方面にわたり、またその言葉は様々な意味合いで使われていますが、経済的分野における狭い 意味での「構造改革」の具体的内容は、(1)銀行の不良債権問題の抜本的解決、(2)企業の3つの過剰(設備、借金、人員の過剰)の解消、(3)政府の財 政赤字の解消という3本の柱にまとめることができるでしょう。しかし実は、この3本の柱に基づく政策が相互に連動して、現在の不況の深刻化をもたらしてい ることは否定できません。これは構造改革推進論者自身も、「改革の痛み」として認めているところです。すなわち、現在事態は次のように動いているのです。
まず、(1)小泉内閣は不良債権問題の抜本的解決のために「不良債権は、銀行のバランスシートから切り離すべし」としています。「銀行のバラ ンスシートから切り離す」とは、借金の返せない会社を清算して、残額を債権者で分け合うなどにより、銀行のバランスシートに問題会社向けの貸出金が残って いない状態にする。ごく簡単に言えば、問題会社をはっきりと潰してしまうということです。
また、(2)企業の3つの過剰の解消ということで、小泉内閣は、「過剰を抱えた企業で、立ち直る可能性の少ない企業は早々に淘汰されるべき だ」と考えています。なぜならば、たとえば、過剰を抱えた企業が苦し紛れの安売りを繰り返し、これによって過剰を抱えていない健全な企業の売値も採算割れ の水準まで低下していくと、健全な企業も弱体化してしまい、これは日本経済にとって好ましくない。また、過剰に抱えられている人員は、解放してやれば、い つかは効率的な成長産業に雇われるのだから、問題会社がいつまでも抱え込んでいるべきではない、と考えるからです。
最後に、(3)財政赤字解消のために、新規国債発行額は2001年度予算から30兆円の枠がはめられました。公共事業投資を中心に政府支出が 削減されたわけですから、これに依存していた多くの企業が、さらなる過剰設備、過剰人員を抱え込むことになるのは明らかです。そしてそれは不良債権を新た に増加させることになるのです。
以上のことからわかるように、少なくとも短期的な観点からは、「構造改革」は明らかに景気を悪化させ経済を収縮させるのです。
それにもかかわらず「構造改革」を実施することのねらいは、そうすることによって、日本経済の潜在的な成長能力(=供給能力)を高めることに あります。しかし「構造改革」の必要性を主張する中谷氏でさえ、現在、小泉政権下で実施されている「構造改革」は、「どういう社会をつくりたいのかという 改革の理念、さらに急速に悪化する景気との折り合いをどうつけるのかという改革の手順が、いまひとつはっきり」していないと批判しています。また、構造改 革論者に真っ向から対立する、日本経済の長期の低迷と現在進行中のデフレスパイラルの原因は、日本経済の潜在的な成長能力(=供給能力)の低下にあるので はな、有効需要の不足にあると主張も、多くの人によってなされています。

(2)需要創出が必要であるとする主張

長期不況の原因は有効需要(支払能力ある需要)の不足にあるという立場に立つ人々は、その原因を潜在的成長能力の低下に求める見解を次のように批判しています。
すなわち、もし1992年からの日本経済の低成長の原因が潜在的供給能力の低下にあるとすれば、総需要が総供給を上回ることによりインフレ (=物価の継続的な上昇)が起きたはずである。しかし実際に起きたのは物価の継続的な低下であり、このデフレーションが発生したという事実こそ、低成長の 原因が供給能力の減退にではなく、需要の不足にあることの証であると。またさらに、物価下落の原因は、東アジア等から安価な製品が大量に入ってきたことに あるという構造改革論者の反論に対しては、確かにその場合には、輸入された低価格製品と競合する国内製品の価格は低下するであろうが、総需要が一定であれ ば、それと競合しない商品に対する需要は増大して(たとえば 、衣料品を安く購入することによって浮いたお金で外食するなどして)非競合商品の価格は上が るであろうから、安い製品の大量輸入だけによってデフレが発生するという論理は成り立たないと。(岩田規久雄氏)
そして何よりも、完全雇用が達成されず、大量の失業者が発生しているという事実は、問題が供給の側にあるのではなく、需要の不足にあることを 如実に物語っている。さらに統計的に検証してみても、デフレ・ギャップ(潜在的産出能力と現実の産出高とのギャップで2000年の推計では約20兆円ほど と見られている)が明らかに存在している。
これが、長期不況の原因を有効需要の不足に求める人々の構造改革論者に対する批判の骨子です。ただし、最後に指摘されたデフレ・ギャップについては、構造改革論者からの次のような反論があります。
「潜在成長力と実際のGDPの差〔=デフレ・ギャップ〕があるから、需要不足を補うべきである、という議論は間違っている。なぜなら算出のも とになっている『資本』には役に立たない『ユースレス』資本が組み入れられているからだ。……いまのような状態では、潜在成長力の議論は放棄して、水ぶく れしたユースレスな供給能力を削っていかないといけない。不良債権処理のマクロ的な意味合いはここにある」(竹中平蔵・経済財政担当大臣)。また竹中大臣 と同様の見解は、1999年の産業競争力会議でも、企業の設備廃棄を促進せよという観点から主張されています。
しかしこの見解に対しても、有効需要不足論者から--ただ供給力を削減しただけでマクロ的な需要が伸びなければ、経済は縮小均衡に陥るだけで ある(吉川洋氏)。不良債権処理はそれ自体として決して景気を拡大していく要因とはならないのであるから、経済を拡大し雇用を増大させていくためには、有 効需要の拡大が絶対不可欠である--という反論がなされています。
ところで、有効需要拡大していくための政策には、財政政策と金融政策の二通りがあります。前者は公共事業投資など政府の支出を拡大していくこ とです。また後者については、金融の量的緩和として最近盛んに議論されています。これは日銀が市中銀行の保有している国債などを大量に買い上げることに よって、市中銀行に大量の資金を流し、企業がお金を借りやすい条件を整えてやることです。しかしこのうちの前者については、その効果があまりにも小さく、 無駄が多く、またその原資を調達するための赤字国債が大量に累積してしまったということが深刻な問題となっています。(バブル経済崩壊後の10年間10回 の経済対策で、投入された財政資金は136兆円にのぼり、国と地方を合わせた赤字公債累積額は666兆円を超えています。)したがって、いかに有効需要を 創出するためとはいえ、従来型の財政支出を復活させよという主張は、さすがに表立ってはなされていません。そもそも、この従来型の財政政策によっては景気 は回復せず、また赤字公債の累積が将来の世代の負担を増やし、また国債価格の低下=金利の上昇をもたらすことが危惧される、などの問題を発生させたからこ そ、「構造改革」路線への転換が図られたのだからです。
それでは、果たしてどのような有効需要創出政策が採られるべきなのでしょうか?いくつかの見解を紹介しましょう。

国債新規発行額30兆円の枠にこだわることは「精神論的な意味しかない」と言う嶋中雄二氏は、「むだな公共投資を削る のは当然ですが、構造改革につながるようなインフラ整備を前倒しで執行することはできるでしょう。都市再生、IT(情報技術)、環境、医療、科学技術、教 育など、今後育てていくべき分野に重点的に投資すべきです。リサイクル施設や電線の地中化など、短期的な需要を掘り起こす使い道はいろいろあります。低公 害車向けの燃料スタンドを各地につくって普及を促すのも一案です。都市再生のための投資は、民間消費を刺激するだけでなく、地価を下げ止まらせる効果も期 待できます」と述べています。これは多くの論者に共通する標準的な見解と言えるでしょう。

吉川洋氏は、「個々の財に対する需要の『飽和』が、成長を抑制する基本的要因」であるという観点から、「1950年 代、60年代の高度成長は、耐久消費財などモノを中心に……して生まれた。しかしそうした高度成長は〔耐久消費財の普及率の上昇=飽和によって〕70年代 初頭に終わるべくして終わった。」その後、75年から85年までは輸出が、また85年から90年代の初めまではバブルが成長に寄与したが、しかし70年代 以降に、新たな需要の成長を創出する基盤を創り上げてこなかったことが、「日本経済の長期的低成長の本質である」としています。
そこで吉川氏は、今必要とされるのは、「交通・情報・通信・医療システムなどの広汎なインフラストラクチャー」「を整備することにより新しい需要の成長を生み出し、さらにそれを通して民間の設備投資を『クラウドイン』〔呼び込む〕」することである論じています。

岩田規久雄氏もまた、「民間の設備投資を呼び込むような公共投資」は「デフレ・ギャップの解消に役立つ」として、「た とえば、東京都の道路渋滞を大幅に緩和するような環状道路の建設は、それ自体が需要の増加であるが、それにとどまらず、道路の完成につれて、その周辺にビ ル建設などの設備投資を呼び込むであろう」としています。 また岩田氏は、「長期的には、全体の生産性を高める構造改革を進めて、資本、労働、土地などの 資源を低生産性部門から高生産性部門へと移動させる必要がある」としながらも、しかし「デフレが続くかぎりは……規制緩和などによって需要創出につながる 構造改革を優先すべきである」としています。では、どのようなものが「需要創出型構造改革」かというと、それは「規制などによって参入が妨げられているた めに民間投資が起きない分野での規制改革」であるとし、その一例として、「たとえば、都心の容積率規制が緩和されれば、超高層の都心居住型マンションの建 設が誘発されるであろう。このマンションの建設は設備投資に他ならない。この設備投資にともなって、マンション建設関連業者は所得を得る。所得を得た人々 は、期待生涯所得が増えたと考えて、増えた所得の一部を消費に向けるであろう。消費財が売れれば、消費財の生産に従事する人々の所得が増え、彼らの消費も 増えるであろう」と論じています。

以上、今日のデフレスパイラルをともなう長期不況のもとでは、構造改革よりも有効需要の創出こそが必要であるとする諸見解を見てきました。
ところで、今いくつかの見解を紹介してきましたが、このどのような公共事業投資を行うべきか、またどのような民間設備投資を喚起していくかと いう問題は、さらに掘り下げて考えてみると、それはたんなる、景気回復のための手段という問題にはとどまりません。実はこの問題は、この先われわれは、 いったいどのような社会を構築しようとしているのかという、新たな社会の構想という問題と密接に関わってくるのです。よく言われる、都市再生、IT(情報 技術)、環境、医療、科学技術、教育などへの投資も、これからわれわれが創り上げようとする新たな社会の理念、人間的で豊かな社会のヴィジョンに合致する ものでなければならないのは言うまでもありません。
ではわれわれは、この「新たな社会」「豊かな社会」の理念とヴィジョンをどのように考えているのでしょうか?または、どのように考えたらよいのでしょうか?この問題について注目すべき見解を表明している方に、この問題について伺ってみました。

中央大学名誉教授 富塚良三氏の見解

「現在の日本経済は、ときおり持ち直したかに見えながら、また下降してゆくという経過をたどっています。
こうした状況下で、財政均衡の達成を重要課題とすることが、如何に危険であるかは、消費税を5%に引き上げた、橋本財政改革の失敗や、歴史を振り返れば、アメリカで「ルーズベルト不況」と呼ばれている、1937年の大恐慌が、これを物語っています。
私たちはこの歴史から教訓を読み取らなければなりません。

いま必要なのは、思い切った財政支出をすることなのです。
現実の経済過程を、デフレからゆるやかに進行するインフレ過程へと転換させることが重要です。現代の資本主義経済は、ゆるやかなインフレーションなしには成長しえない構造をもっているのです。
転換のためには強力な逆噴射が、再生産過程の外からの、例えば100兆円ほどの巨額な有効需要の計画的注入が必要です。これまでのように、受け身な景気対策としての財政支出を、ただくり返しているだけでは、いたずらに財政赤字を累積させるだけです。

この転換のための財政支出は、これまでのような土木・建設を中心に行われるのではなく、次の三つの分野について、なされるべきであると考えます。
まず第一に、災害対策を含む「地球環境対策」。
第二に、医療・少子化対策を含む「社会保障の充実」。
そして第三は、IT、バイオ、ナノ・テクノロジーなどの、先端技術の発展を、国家的プロジェクトとして推進していくことです。

この三項目を柱とする政策の展開によって、雇用が増大し、関連産業の生産および投資活動が活性化して、局面は転換し、 やがて急速に完全雇用状態へと近接していくことになると考えられます。またこの過程においては、ゆるやかなインフレーションが進展していきますから、その ことによって国家債務の実質的価値は低下し、赤字公債の償還負担は次第に軽減されていくことになります。」

Ⅲ 私たちはどのような社会を構築すべきか

(長期不況の根因について、富塚良三氏の見解との関連で必要であれば補足します。前世紀末からの長期不況は、独占資本主義に固有の《資本と労働の体制的過剰傾向》の全面的な現出として把握されなければならないという、かなり理論的な話になると思います。)

「新たな社会」「豊かな社会」の理念とヴィジョンをどのように把握すべきかという問題は、人それぞれによって見方が異なり、かなり難しい問題を含んでいますが、ここでは、最小限この点についてはかなり多くの人に共通するであろうという問題をまとめておきたいと思います。

(1)地球環境との共存

われわれ人間が地球を生存の基盤としている以上、われわれの経済活動がこの地球環境を破壊するものであってはならないのは言うまでもありません。しかし資 本主義経済の発展にともなって、この人間生存の基盤であるはずの自然環境が地球的な規模で汚染され、破壊されてきているのが現状です。
われわれは公共事業投資や企業の設備投資が、この地球環境と調和しそれを保全するものであるかどうかに厳しく監視の目を光らせると同時に、私たち自身も環境問題について自覚的な消費者として行動することが是非とも必要になってくると思います。
たとえば、水質を汚染することのない洗剤の製造を企業の倫理や政府の規制だけに任せるのではなく、消費に際してもそうした洗剤を意識的に選択 していくということや、またわれわれがコンビニでいつも新鮮なおにぎりを買うことができるということの背後には、配送のトラックによる大気汚染の問題があ るのだということを常に自覚しているということ、等々です。

(2)制度資本を如何に充実させるか

これから訪れであろう「新たな社会」の「豊かさ」が、一層のモノの豊富さによって実現されると考える人はごく少数ではないでしょうか。今後は、教育や医 療・福祉といった、宇沢氏が制度資本と呼ぶものの充実が、「豊かさ」の大きなウェイトを占めてくることは疑いないところでしょう。しかしこのようなヒュー マン・インターフェースを必要とする分野では、それを提供する企業の私的利益とわれわれが求める社会の公的利益とが大きく乖離してくる可能性があります。 またこれを全て政と官に委ねることの弊害も、多くの人が認識しているところではないでしょうか。(たとえば、われわれが本当に求める介護制度や介護施設と 公的に提供されるそれとの乖離がその一つの例であることは、介護者を抱えたものであれば切実にわかることだと思います。)こうしたサービス部門を、われわ れが如何に主体的に担っていけるか。この問題も、われわれが「豊かな社会」というもののあり方を考える際には、避けて通れないものとなるでしょう。
現在、公園の総合管理や緑化事業、資源リサイクル、保育事業、老人ホームへの給食、高齢者介護、ホームヘルパーの派遣事業などを実施している 労働者協同組合という民間の組織がありますが、果たしてこのような民間の組織は、制度資本の担い手となりうるでしょうか。また他のどうような方法があるで しょうか。注目していきたいと思っています。
また、もしこうした労働者協同組合方式が成功するとすれば、それは職を自らがつくり出していける、という意味においても、大いに期待できるも のであるように思います。なにしろ、職なくば生活もなく、人間の尊厳もまた失われてしまうのですから。そしてそれほど重要なその職というものを、企業が充 分に提供できないというのが現状なのですから。

(3)全世界的規模での分配の不公平の是正

今年はじめ、Eメールで世界を駆け巡り話題となった、「もし世界が100人の村だったら」によれば……この村では最上層の20人の人が全体の75%の収入 を得ています。最下層の20%の人はたった2%の収入しかありません……全てのエネルギーのうち、20人が80%を使い80人が残りの20%を分けあって います……75人は食べ物の蓄えがあり雨露をしのぐところがあります。でもあとの25人はそうではありません……。
このような富の偏りあるいは分 配の不公正の問題は、基本的には国家間または国家と企業との間の問題であるかも知れません。しかしこうした事実を認識すれば、私たちは自国ないしは自分の 利益だけを求めての経済活動に疑問をもつのではないでしょうか。たとえば、私たちがより安価な商品を求めれば求めるほど、それによって途上国の資源は買い 叩かれ、途上国経済がますます疲弊させていくこともあるのです。こうした不公正に対するささやかな抵抗としては、「フェアトレード(公正貿易)運動」が NPOの手によって展開されています。この運動のドイツの代表マーティン・クンツ氏は、成熟した消費者は「値段が安ければそれでいい」などと考えてはいな い、「いかに適正かつ公正な価格で買うか」が判断基準であると述べています。私たちの経済的利益増大の代償が、世界的規模での不公正の拡大であってはなら ないからです。