社会・地域貢献

教養番組「知の回廊」47「スローライフにはじまる地域づくり」アグリトゥリズモの隆盛に見るイタリアにおけるライフスタイルの変化

中央大学 法学部 工藤 祐子

1.「スローライフ」とは?

最近、「スローライフ」という言葉をしばしば聞く。マス・メディアはさまざまな「スローライフ」を提案し、旅行代理店は「スローライフ」と名打ったツアー・パッケージを発表し、百貨店やさまざまな分野の専門店は「スローライフ」を冠したイベントを催し、「スローライフ」を指南する書籍やガイドブックが書店に平積みにされている。しかし、それが、新しいライフスタイルの思想、あるいは提案、実験を示すものなのか、もしくはイベントを魅力的にするために開発された新たなマーケティング手法なのかはよくわからない。実際、その使われ方は千差万別であり、個々の状況によってもかなりの差異が見られる。 
「スローライフ」を冠した最近の事例から類推するに、日本において「スローライフ」が包含すると思われる思想は、世界的には「スローフード」といわれる考え方である。しかし、後者が食に関する思想、あるいは食道楽、グルメに関するものであるような印象を与えることから、前者がそれに代わって使われるようになったことは想像に難しくない。しかし実際は、「スローフード」こそ、食のみならず、いや、食の範疇を超え、新しいライフスタイルを提案する概念である。 
「スローフード」は、「食」を通じて地域、特にその歴史や固有の文化、伝統を再評価し、生活の質、ライフスタイルの多様性などを重視する。もちろん、その名の通り、「食」を通じて地域、その歴史、文化、伝統を再評価し、生き方、ライフスタイルを再考することをめざす。

2.イタリア発祥の「スローフード」

「スローフード」はいまや世界的な拡がりを見せる運動であるが、イタリアにおいて80年代に誕生した。 
イタリア北部に位置するピエモンテ州のランゲ地方は、バローロをはじめとする高品質のワイン、ポルチーニ茸、トリュフ、地方色豊かな数々のチーズなどの産地であるのみならず、これらの特産物を活かしたグルメの郷として知られているが、その中のブラ市において1980年、バローロワインの愛好協会が創設されたのが、「スローフード」のそもそものきっかけであるとされている。バローロ愛好協会は当初、ワインのセールス・プロモーション、当地の観光振興を主たる目的として誕生したが、次第にワインや地域の食材・食文化の普及啓蒙、より広範囲にわたる文化活動へと傾いてゆく。 
ワインに止まらず、地域の特産物を再評価する必要性の認識から、協会は1986年に「アルチゴーラ」と名前を変えた。「アルチ」は協会、アソシエーションの意、「ゴーラ」はもともと喉を指すが、食欲、そしてグルメの意を持つ。「アルチゴーラ」は、ミラノを中心に、知識人層に熱心で忠実な読者を抱えていた雑誌「ゴーラ」を主たる活動の場として展開した。 
「アルチゴーラ」はしかし、きわめてイタリア的な名前であり、イタリアの文脈においてのみ意味を持つものである。そこで、当時既に一万人以上の会員を抱していた同協会は1989年、会の名前を「アルチゴーラ・スローフード」とし、活動の国際化への第一歩を記した。協会のメンバーの一部はまた、当時ローマのスペイン広場に出店しようとしていたマクドナルドに対する反対運動を支援した。これが一般に広く知られるところとなり、「スローフード」がファスト・フードに対抗する運動であるかのような誤解を受けることにもなるが、これは明らかに誤りである。 
89年当時、北イタリアで始まった「スローフード」は、先進諸国はもちろん、多くのラテン・アメリカ諸国、アフリカ諸国などにも拡がっており、既に世界の15ヶ国において協会が設立されていた。各国のスローフード協会は1989年12月、パリに会して国際スローフード協会設立大会を開催、「スローフード宣言」を行う。これが世界的な「スローフード」運動の始まりとされている。 
同宣言は、食が生活の一部であり不可欠であるのみならず、生き方、ライフスタイルの問題であること、同時に食を消費者の立場からのにならず、生産という行為、立場に注目し、生産者、産地のバラエティを認め、旬や食の行事を再評価すること、食に対する意識、責任を高め、知識の取得、学習に努めること、そして農業形態の開発を通じて貧困地域の経済発展に貢献すること、などをうたった。食を通じて五感の喜びを回復、再評価すること、そして、そのためには味覚の教育が必要であることも強調されている。 
実際、スローフードの運動の重要な活動として、食、味覚の教育があり、中でもその初等教育が不可欠であること、また生涯教育も重要であることが強く認識されている。 
さらに、グローバル化によって没個性になりつつある食文化の中で、郷土料理を再発見すること、また食のみならず、生活、環境、景観などについても地域や個々に固有の価値を見出し、再評価することが、必要であるという。 
「スローフード」は、五感を研ぎ澄ませてさまざまなものを受容し、周囲との関係性を回復、再評価することで、周囲に心を砕くことのできる人間をめざす運動であり、次に紹介するアグリトゥリズモのめざす哲学に共通するものである。

3.イタリアにおけるアグリトゥリズモの隆盛

スローフード発祥の地イタリアにおいても近年は、急速な都市化、高度情報化が進み、人々のライフスタイルが大きく変化してきた。いや、だからこそ、スローフードへの注目が高まり、また、環境を重視し、自然に回帰する旅、都会の喧騒やその目まぐるしいリズムから逃れ、祖先たちがかつてが生活していたような農村環境の中で、自分、そして自分に近い人々との関係を見つめ直そうというアグリトゥリズモが人気を博している。
アグリトゥリズモ(アグリツーリズム)は、農耕もしくは畜産という農業生産を主たる生業としている農業事業経営者が、副次的に宿泊施設や飲食施設などを営むものをさす。1985年、これを定める法律(1985年730号法)が制定され、法的な根拠を与えられた。重要なことは、生産活動を主体としている、ということであり、一部の旅行ガイドブックなどに「アグリトゥリズモ」として掲載されている田園地帯にある瀟酒なオーベルニュやホテルは必ずしもそうではないことが多い。また、2001年の法改正により、現実を追認するかたちで、伝統的な農業生産に依拠しつつ、リクリエーション、スポーツ、文化活動、教育などに従事するものをも含むこととなった。 
イタリアにおけるアグリトゥリズモには、年間約230万人(2001年。前年比24%増)が滞在している。うち外国人は四分の一を占める。年商は6億2千万ユーロ(同年、同20%増)、経営主体は10,662、総ベッド数は111,000である。これからわかるように、主として家族経営など零細な経営形態をとっており、一軒の規模はきわめて小さい。また一滞在日数の平均は4から5日、滞在者の75%は、自然への回帰、伝統文化との触れ合い、健康や環境に留意した休暇、などを求めてアグリトゥリズモを選んでいる。地域的には北東部、中部に集中しており、トレンティーノ・アルト・アディジェ州のボルツァーノ県およびトスカーナ州に数が多い。 
アグリトゥリズモの滞在者たちには、他のヴァカンス客と一線を画する顕著な特徴がある。第一に、年齢構成が他のヴァカンスとは異なり、30歳代が突出しており、全体の3割を占める。これに40代、20代が続く。第二に、家族での滞在が6割を占めることであり、友人やパートナーと、という滞在は3割に満たない。二世代以上での滞在も多く、特徴となっている。第三に、滞在者の職業構成が偏っており、都市部の大企業の会社員、弁護士・医師・公証人・公認会計士・大学教授・ジャーナリスト・SE・コンサルタントなどの専門職、教員などが多く、都市部の知識人層、プロフェッショナルたちが意識的にアグリトゥリズモを選択していることが明らかである。また、この職業の偏在とも関係するが、第四の特徴として、滞在者の学歴が高いことがある。大卒者が高卒者その他を抜いており、まだきわめて珍しいタイプのヴァカンスのすごし方であることがわかる。 
忙しい都会の喧騒、ストレスのたまる高度な職業生活を離れ、自然の中に回帰し、伝統、文化、そしてライフスタイルを満喫できるアグリトゥリズモは、都市の知識人、プロフェッショナルたちの憩いの場となり、世代を超えて、家族と共に楽しまれる中で、その教育的な効果や啓蒙的な効用についても注目されるようになってきた。実際、アグリトゥリズモは現在、スローフードの教育的要素を伝える場として、あるいは歴史、伝統、文化を体験する場として、単なるヴァカンスの行き先以上の意味、意義を有している。 
もっとも、顧客がこのように偏在しているということは、アグリトゥリズモの経営にとっては、プラス、マイナスの両面がある。プラス面としてあげられることは、マーケティングが容易であること、高い意識を持ち、自らが行き先を峻別してやってくる顧客たちであるため、信頼関係が築きやすいこと、などがある。一方、これらはマイナス面にも直結しており、高い期待を持って訪れる顧客たちを満足させることが難しいこと、信頼関係ができるとリピーターになる顧客も多いことから、変わらぬ良さを提供すると同時に、新規のイベントなどで常に変化を演出しなければならないこと、そして、これらを家族数名でこなさなければならないこと、などが課題となっている。しかし、総体的にみれば、地域への経済効果も高く、山岳地帯などの過疎地域においては、新たな雇用の創出にも貢献しており、地域活性化、経済振興、雇用創出などさまざまな角度からも注目されている。

4.まとめにかえて

都市化、高度情報化などが不可逆的な流れの中にあるのならば、非現実な自然回帰を提唱するのではなく、アグリトゥリズモのような環境において時折、自分のライフスタイルの均衡を図る作業をすることが必要になるのかもしれない。イタリアの都会人たちは既にそのことに気づいて実践しているのみならず、自然体で次世代にもそれを伝えているようだ。