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教養番組「知の回廊」
41 「Learning in Action, Learning for Action -経験を通した共感と協力が行動を生み出す学びのプログラム」
学びを生きる

中央大学 総合政策学部特認講師 和栗 百恵

教授会で学生が報告

学部史上初、学生たちが学部教授会の場にいる。
この3月、総合政策部「国際インターンシッププログラム(IIP)」の一環でスリランカを訪れた学生たちが、今日(7月11日)、教授会にお いてその活動を報告したのだ。約15分に及ぶ報告の、まとめを担当したのはハル(3年生)=大澤 晴佳。この1年、本気でがんばっているヒップホップダン スとIIPの容赦ない課題の間で随分もがいてきた。彼女が発する言葉が力を帯びる。
「私たちはこの総合政策部というコミュニティの一部です。だからコミュニティ全体で共有したくて、今日の報告をお願いしました」

理論学習と経験学習

国際インターンシッププログラムは2002年度導入され、同後期から現在まで、(1)教室での学び(理論学習)を(2)現場での体験を通した学びと結びつ け、(3)そのプロセスをふるかえり、深化させるという体系だった経験学習のコースが展開されている(注1)。02年度後期から始まったプログラムのテー マは「development」。これまで「国際協力」や「開発」という言葉で漠然と表していたことを、紐解きそして実際に体験し、それによって理解を深 めるという1年がかりの作業がこの前期で一旦幕を閉じる。
「インターンシッププログラム」を冠していても、「インターンシップ」の定義として使わ れる「就業体験」という概念では覆いきれない「何か」が常に溢れ出していたプログラムだった。1年間を共に過ごした現在2年生から4年生までの15名の学 生たちの顔は、1年前にはなかったその「何か」を宿していて眩しい。その「何か」とは、「学びを生きる」姿勢だと私は考える。

課題読み物と「取っ組み合う」

02年9月、「国際インターンシップ1:Issues in "development"」の初めてのクラスには約80名の学生がやってきた。使用言語は原則英語、毎回出される課題読物を授業前までに読んでくること (「developmente」関連の英語の学術論文20~60ページ)、課題読物の要約5回提出、他のペーパー提出やテスト、そして大前提として毎回の ディスカッション形式の授業への参加、が盛り込まれた同クラスは、学期が終わる頃には人数が半数以下となっていた。それでも喰らいついてきた学生たちは、 授業前日に課題読物をよみこなすための集まりを持って閉門時間まで作業を続けたり、わからない箇所を読み解くため自分自身で関連図書やインターネットを駆 使しながら調べた。
「辞書見た?事典見た?ウェブで調べた?グループで話した?読んだ?考えた?」と言う私を前に「わからないことがあったら調べる・考える・話 し合う」という習慣を、彼女・彼らは手探りで身につけていった。また、情報が注ぎ込まれるための空の器でいるようなこれまでの学び方から、その情報に働き かけること、つまり批判的に読む・聞く・見ることを覚えていった。それは普段何気なしに使う言葉を改めて定義したり、前提を問うこと、ペーパーを書くとき の引用方法を学ぶ作業等を通じて培われた。しかし道のりは厳しかった。
<今までわからないことは先生に聞いて答えを教えてもらっていた私にとって、目の前に自分の知りたいことを知っているモモ(注2)がいるの に、自分で調べ学ばなければならないこの授業はとても苦しかった>と、ヒロコ(2年生)=加藤寛子=は畫く。何人もの学生が朝から晩まで「モモ部屋」(注 3)に来ては、「どうやってクリティカル(批判的)に読んだらいいのかわからない」「課題読物があまりにも多くて読み終わらない」「こんなにがんばってい るのに書いてある事が理解できない」と悔し涙を流していった。
私は保湿ローションがついている柔らかいティッシュを常備した。ティッシュが4箱目になったころ後期は終わりに近づき、多くの学生たちは読み物を「目で追う」のではなく、読む、つまり読物と取っ組み合うことを覚えていた。

スタディ「サービス」ツアー

さて、国際インターンシップ1を賦修条件とした「国際インターンシップ2:Study-Service Tour in Sri Lanka」では、興味分野ごとのグループワーク(例えばスリランカの「development」に関連したジェンダー、こども、教育等の課題)と、実際 にスリランカを訪れるフィールドワーク(注4)の二部構成となっていた。それまで教室で学んでいた「development」とそれに関連する興味分野の 課題を、現場で、頭・心そして五感を駆使して捉えることを目的とする。
ところで「スタディツアー」は昨今随分定着してきた感があるが、なぜこれは「スタディ・”サービス”ツアー」なのだろうか。
第1回目の授業で行った「サービスとは何か?」についてのブレインストーミングでは、接客業などで言われる「サービス」と、もう少し広い意味 で「人のために何かをする」という答えが大半であった。つまり、「現場に行って学びながら、現地のひとのためにボランティアをする」という解釈が多数で あったように思う。しかし私の狙いは別なところにあった。コースシラバスに「serviceを通じた学びについて考えること」と書いたように、これは serviceを軸として自らの「学び」について積極的に反芻するためのコースでもあったのだ。
3月中旬の渡航を前に、春休みはグループメンバーの予定をフォローしあいながら、ほぼ毎日作業が続いた。そんなある日、スリランカのこどもについてリサーチを行っているグループのさや(3年生)=西田さやか=がやってきた。
スリランカのこどものことを調べていたら、日本のこどものことをあまり知らないという現実に気がついたとのこと。そこで日本の小学校見学に行 きたいという話から、大学近隣の小学校でこどもたちと会うだけではなく、そのこどもたちがスリランカについて学ぶきっかけ創れるといいね、大学での学びを 地域コミュニティに還流するいい機会になるね、と話が弾んだ。じゃ、動いて、働きかけてみよう。そのグループが中心となり、すぐ近くの由木東小学校、そし て由木中央小学校で「国際理解教育」の枠でかかわりもたせていただけることとなった。数回の訪問を経て、両小学校のこどもたちからスリランカの小学生へ 持っていくための質問リストができあがった。

スリランカへ リアリティをもった学び

待ちに待ったスリランカでの日々は飛ぶように過ぎていった。現地受入団体であるサルボダヤが活動する村にホームステイをしながら、2キロの灌漑用水路を 200人で掘るという一大作業にも挑戦した。あたたかい、ひとなつっこい人々は、日本人、アメリカ人、イギリス人、そしてパキスタン人(注4)から成るこ の「外国人」の一行をはじめ珍しそうに眺めながらも歓待し、異なるカーストの人々が住む村ゆえの問題からこの20年間放置されてきた灌漑用水路は、炎天 下、汗と泥、笑い声、そして歌声の中で完成された。
その村でのミーティング時のことだった。「すごくおかしいと思う」。
もうすぐ卒業を控えたマディソンの4年生、ローレルが切り出す。笑顔を絶やさない彼女が怒っている。「村のひとがせっかく用意してくれたデザートに虫が入っていたからって、何でそんなに騒ぎ立てる必要があるの?そんなのは、相手を思いやっていないし、おかしい」
どうやら虫が入っていることをあまり気にしない村人を前に、日本人学生たちが騒いだらしかった。暑さからではない汗が滲み出すような沈黙。 「文化と開発」に興味があるはずだった。開発においては現地の人々のリアリティが大切、と言って憚らなかった。「現地の文化に無神経な開発プロフェッショ ナルがプロジェクトをやっている」イメージを持っていた。だがしかし、このローレルのひとことで、これまで言ってきたことや頭でわかっていたことが、自分 から切り離されたものとしてではなく、自らの中に突き刺さったのだ。
一見、小さなことかも知れない。また、「development」とは関係がなさそうに見える、デザートの中の虫だったかも知れない。しかし そこで気づいた。「現場」と言われるところに入った時に、「development」は「特殊な異空間」ではなく、自らをも包み込む場になることを。そし て、その場において自らが周りとかかわっていくことが「development」の一部であることを。「灌漑用水路を掘る」ことだけではない。その周りに 生きている人びとがあってこそ、灌漑用水路整備の必要が発生する。
大学では難しい専門用語やコンセプトと延々と格闘してきた。そのようにして対象として勉強していたことが、現場に行くことによって命を吹き込 まれた。人びとと共に作業をし、感じ、考えた。どれだけの学術論文も教え得ることができない、自ら感じ取るリアリティがあってこそ、対象として勉強してい たことを内存化させられるのだ。
けいたろう(2年生)=万膳敬太郎=が畫く。<机上で理論を学ぶだけでは開発に対し私たちのイメージを膨らませるに過ぎなかった。また同様 に、理論抜きにして、実際に現場に行き、それを見ただけではただ単純にそのことを受入れ、感情論に流され、新しい発見として気づくことはなかった>

Serviceを通じた学び

3月末に帰国してからは、去年からの理論コース、そしてスリランカでの体験を通じた学びをふりかえる作業を、03年度前期「国際インターンシップ3」で 行った。新入生オリエンテーションでの報告会、報告書の作成等の中、自分達の経験と言葉で、「サービス」について話し合いを続けていった。結果、「人と人 の相互関係の中にある、思いやり、相手のことを考えた行動、一方的ではない双方的なかかわり」という定義に辿り着く。
でもservice自体ではなくて、「serviceを通じた学び」って何だろうか?「それは、先生と学生の関係にも現れていました。グルー プワークにも。大学の外部からこのプログラムにご協力くださった実務者の方々とのかかわりも。そしてスリランカ現地での学びにも・・・・・」。
つまり常に相互関係の中に成り立ち、思いやりや、それに基づいた行動、そしてかかわろうとする姿勢があったのだと言う。報告会でそのようにまとめた学生たちは続けた。
「service を通じた学びとは、学びを積極的に自分自身の行き方につなげていくこと」 スリランカ小学校訪問を経て、事前にお邪魔した大学近隣のふたつの小学校で行っ た国際理解(スリランカ)のための参加型授業、そして本プログラムを通じたご縁で引き受けたスリランカ写真展(注5)在京スリランカ大使もご招待した報告 会、そして冒頭の教授会など、この前期、矢継ぎ早に様々な企画がプログラム参加学生の手で生み出されていった。プログラムを通じて培われた学生たちの主体 性と、そしてその主体性を好意的に受けとめてくださる人や環境があったから可能となったことである。その主体性を育むこと、その場をつくることに腐心する のが私の役割だった。

何のための学びか

「自分達から動いていくということで、ものごとやプロジェクトを進めていくことができ、作っていく課程におい て自分たちで何かをやり遂げることができるという自信が生まれました。そしてその自信をつけることによって、自分たちが今生きている社会の中で自分がどう 生きるのか、何ができるのかということを考えるようになりました。これが学びを生きているということと私たちは考えます。なぜなら、学びを対象として学ぶ のではなく、自分自身、自分の生き方と結びつけて動いているからです」
教授会で、ハルは続けた。彼女・彼らが一番発信したかったメッセージであ る。自分自身が今いる場所つまり総合政策学部をひとつのコミュニティとして積極的に意識し、自分たちの学びの体験を共有することも「学びを生きる」ことの 具現化であった。そして同時にこの言葉が表しているのは、serviceを軸として自らの学びの意味を考える、という狙いの根底にある、「何のための学び か」という問題意識を主発点に紡ぎ上げてきたこのプログラムに込める、私の想いでもある。

(注1)理論学習の国際インターンシップ1のみは単独受講も可とした。1・2・3・を全て履修したのは14名(1名は既に卒業。スリランカにて青年海外協力隊員として活躍中)。

(注2)学生たちは私を「モモ」と呼ぶ。彼女・彼らにとってある人を「先生」と呼ぶこと自体がこれまでの学びの在り方ー空っぽの器として水が注がれるのを待つようなーを再生産するように思え、「先生って呼ばないで」とお願いしている。

(注3)学生たちは私の研究室を「モモ部屋」と呼ぶ。

(注4)このプログラムは米国ウィスコンシン大学マディソン校の学生との協働プロジェクトでもあった。同校から教員を含む7名が参加した。アメリカ人の他にも、イギリスからの学生そしてパキスタンからのNGO職員が合流した。

(注5)03年6月に、総合政策部主催、セイロン共同新聞社共催、外務省・国際協力銀行・スリランカ大使館後援で行わ れた写真展。セイロン共同新聞社がスリランカでの停戦合意(02年2月22日)を記念して企画した写真展が、日本に紹介された。後楽園キャンパス、多摩 キャンパス合わせて約1200名ほどの来場者があり、新聞、テレビなどでもその様子が報道された。