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教養番組「知の回廊」
30 「グローバリゼーションと日本」
グローバリゼーションとアメリカナイゼーション-冷戦終結との関連において-

中央大学 法学部 滝田 賢治

「東京大学アメリカ太平洋研究」  Vol.1 2001年 3月 抜刷
発行 東京大学大学院総合文化研究科付属アメリカ太平洋地域研究センター

はじめに-----グローバリゼーション論

本論の主題であるグローバリゼーションという言葉が内包する概念は極めて多義的であり、論争は百家争鳴的状況にある。グローバリゼーションという言葉が表しうる概念に「核」がなければ、かつてスーザン・ストレンジが揶揄したように「(グローバリゼーションという言葉は)インターネットからハンバーガーまでなんでも指し示す、曖昧で訳のわからぬもの」注1 となってしまう。
そこでまず先行研究におけるグローバリゼーションの定義について概観することにする。A.G.マッグルーは、「グローバリゼーションとは世界的規模での結合(world-wide con-nectivity)過程が拡大・深化・加速化(widening,deepening and speeding up)すること」と定義した上で、相互依存概念が国家間の対称的な力関係を前提としているのに対し、グローバリゼーション概念は階層性と不均等性(hierarchy and unevenness)という観念を体現し、地球的規模での階層化(global stratification)の過程であるため、単一の地球社会を想定したものではないと考える。
そしてH.ブルとB.ブサンを引用して、増大する相互連関性(growing interconnectedness)は共通の恐怖心や根深い憎悪を生み出すばかりか、協力よりも激しい紛争を生み出す源泉となる可能性を指摘している。注2
A.ギデンズは、グローバリゼーションの特徴として「時空の圧縮(compression of time and space)」を強調しているが、「場所(place)」と「空間(space)」を区別している。ギデンズによれば、「場所」は社会活動の地理的背景であり、「空間」は特定の背景を持たず、「社会的に影響力を与えるもの」によって構成されている。このような「空間」はますます「(地理的背景を持った特定の)場所」からズレていき(dislocated),地球上の他の社会事象とネットワーク化されていく。
農村社会における季節とか日の出・日没などの「時間」の古い様式(old modes of time)もまた「空間」から離れ、「時空」が様々に結合する可能性が開けてきたことを強調する。注3
このように「時空構造」を定義した上でギデンズは、「何マイルも離れたところで起こった出来事によって、他の地域の出来事が引き起こされる(その逆も起こる)ように、互いに遠く隔たった地域(distant localities)を結びつける世界規模での社会関係の繋がりの強化(intensification of worldwide social relations)」とグローバリゼーションを定義している。注4
W.E.シュアーマンもグローバリゼーションの本質を、人間活動の時空構造の圧縮化を伴う現在進行中のプロセスと定義し、それは社会・国家・ジェンダーの別無く一様に体験されるものでは決してないが、同時性と即時性(simultaneity and instantaneousness)は先人を確実に驚嘆させる程に我々の日常生活の構成要素になってきていることを強調する。注5
これら3人がグローバリゼーションについて、「時空構造の圧縮化」またはそれによって引き起こされる「相互連関性の拡大・深化」を概念の核とした狭義の定義を行っているのに対し、J.H.ミッテルマンはよりマクロ的ないしは広義の定義を下している。グローバリゼーションの中心的形態(dominant form)は歴史的変容過程(historical transformation)であり、経済的には生存形態が変容していくこと、政治的には主権国家が独占してきた統制力の度合いが低くなり、政治権力が徐々にではあるが割合を変えながらも主権国家の「上と下」に移動していくこと、文化的には集団的に共同して達成した業績やこれに対する認識が価値を低下させていくことであるとミッテルマンは定義する。注6この定義の上に立ってミッテルマンは、過去との連続性と不連続性という観点からグローバリゼーションを理解する歴史的把握の必要性を主張し、16世紀以前の歴史的変容過程としてのグローバリゼーションを「初期グローバリゼーション(incipient globalization)」、西欧において資本主義が発生してからブレトン・ウッズ体制が崩壊する1970年代初頭までの変容過程としてのグローバリゼーションを「架橋期グローバリゼーション(bridging globalization)」、そしてそれ以降現在までの変容過程を「加速期グローバリゼーション(accelerated global-ization)」と分類している。注7
ミッテルマンによるグローバリゼーションの定義がマクロ的な広義のものであるといっても、経済・政治・文化の3次元あるいは安全保障や環境を含む4次元ないし5次元でグローバリゼーションをとらえる視点は、狭義の概念規定を行っている論者にも当然共有されているものである。D.ヘルドも、マッグルーとの共著論文でグローバリゼーションを「社会関係や取引のための組織で生じる変容を具体化し、大陸間・地域間における、活動・相互作用・パワーのフローとネットワークを生み出すプロセス」「世界の異なった地域間の、文化から犯罪、金融から環境問題までの結合関係と、その結合関係が時間が経つにつれて変化・増大していく状況」と定義し、政治・経済・文化のみならず人の移動や安全保障、環境の次元におけるグローバリゼーション考察の必要性を認識している。注89
文献学的に見れば、グローバリゼーションに関する主要な論文・研究書が登場するのは1990年代に入ってからのことである。それはグローバリゼーションなる現象が鋭く冷戦終結と密接に結びついて認識され始めたことを意味する。ソ連帝国の崩壊、即ちソ連自体の崩壊とソ連ブロックの解体、その過程で勃発した湾岸戦争における実質的にはアメリカの圧勝は、一方でアメリカ国民に「ヴェトナム・シンドローム」を最終的に払拭させてある種の愉悦感に浸らせ、フランシス・フクヤマに「歴史の終わり」を書かせ、他方でグローバリゼーションはアメリカナイゼーションであるとのイメージすら世界各国に植えつけるほどに各分野でアメリカ的様式・システムを強制してるかの印象を与え始めた。1990年代に入ってから活発化したグローバリゼーション研究は、アルブロー(Martin Albrou),ヘルド(David Held),マッグルー(Anthony McGrew),クラーク(Ian Clark),ハースト(Paul Hirst),ロビンソン(William I.Robinson),グレイ(John Gray)など、圧倒的にイギリス学派が中心になっていることもこのことと無関係ではないであろう。注10即ち研究者を含め多くのアメリカ人が冷戦の「勝利」を当然視する傾向が強く、Pケネデイなどの「衰退派(declinist)」は冷戦勝利の興奮と愉悦感の中に埋没してしまい、その結果、多数派は現象化しつつあったグローバリゼーションを客体化できなかったのであろう。
以上の考察に基づき本稿では、暫定的にグローバリゼーションを「冷戦終結後、アメリカの民需転換過程で商業化されたIT技術により現象化した時空の圧縮化過程であり、アメリカが産業競争力強化のためIT技術を生産・流通・金融に投入したため、アメリカナイゼーションも同時進行した」と定義する。そしてブッシュSr.政権とクリントン政権が政治・経済の2分野でいかなる政策を策定・実行してアメリカナイゼーションを推進し、そのアメリカナイゼーションがどのようにグローバリゼーションを引き起こし、今度はそれによってアメリカ自信がいかなる影響を受けるに至ったかを考察していく。

1.冷戦終結とグローバリゼーション

人類史において何度か見られた一般的な意味でのグローバリゼーションではなく、また見方によっては世界史そのものっであるグローバリゼーションではなく、特殊現代的な意味におけるグローバリゼーションは、これまた特殊現代的な現象としての冷戦(「二国間の武力紛争を回避した形の緊張状態」という一般的なものでなく)終結なしには現象化しなかったはずである。
そこで、冷戦と冷戦終結が持つ意味・効果をグローバリゼーションの現象化との関連において、まず第1に理念的側面から、第2に実質的(軍事的・経済的・技術的)側面から検討することにする。
冷戦終結はアメリカに理念的にはどのような影響を与えたであろうか。かつてR.アロンが述べたように「冷戦は思想史的にみるならば西欧の正統と異端との間の闘争」であったことは否定しえない。ロシア革命に際しレーニンが発した「平和の布告」に対し、その2ヵ月後W.ウィルソンが「14ヵ条の原則」をもって緊急対応せざるをえなかった史実の中に、社会主義・共産主義と自由民主主義・資本主義両者の理念対立のプロトタイプが表現されている。「14ヵ条の原則」の「民族自決・通商の自由・海洋の自由・国際的平和維持」の原則は、自由民主主義・資本主義を実現する基礎となるべきものであり、これらを核とするウィルソンのいわゆる国際主義は戦間期、そのグローバルな実現を阻止されたが、大局的にはアメリカが主導した第2次世界大戦は今やそのグローバルな展開を保障したかに見えた。米英間の大西洋憲章でも確認されたその理念と原則は、ブレトン・ウッズ協定に継承された。その結果ブレトン・ウッズ体制が成立し、流産したITOに代わり成立したGATT体制とともに両体制は、大戦後アメリカがその理念をグローバルに実現していく基礎となった。しかし米ソ冷戦の発生は、これら理念のグローバルな展開を鋭く制約することになった。
即ち、冷戦期、自由民主主義と資本主義はアメリカ・ブロック内部の理念と政策でありソ連・ブロックは勿論のこと非同盟諸国においてすらも追求されるべき理念とはなりえなかった。否、アメリカおよび同盟国においてすらも、この理念の実現は「冷戦の厳しい現実」の前にしばしば抑制され、特にアメリカ軍が駐留する同盟国においては理念とは正反対の現実すら強制された。
冷戦終結は、すくなくともアメリカ的視点に立てば、1980年代初頭にかけてのソ連帝国の崩壊、即ち、ソ連自体の解体とソ連が圧倒的影響力を行使してきた東欧・バルカン諸国の自立化であり、ソ連とこれら同盟国が担った「体制」としての社会主義・共産主義の消滅であった(しかし理念としての社会主義が消滅したことを意味するものではない)。従って、冷戦終結は「建前」としては米ソ両ブロックを解体し、自由民主主義理念のグローバルな展開と、資本主義理念を具体化する市場経済化をグローバルに展開することを保障することになった。少なくともこの可能性・展望こそがアメリカに、これら理念の下に世界が一体化するイメージを与えたといえよう。
皮肉なことに、かつて冷戦期に発生した事象が、世界が一体化するイメージを潜在意識の中で補強したという解釈も可能かもしれない。即ち、1950年代末、米ソが人工衛星・ミサイル打ち上げによって開始した宇宙開発競争は、一方で人類が運命共同体であるという「宇宙船地球号」の観念を米ソばかりか広く世界に普及させ、他方っでキューバ・ミサイル危機によって核兵器による全人類破滅の恐怖を現実のものとして米ソ指導者ばかりでなく全世界に認識させた。
また1970年代以降、アメリカ・ブロック内に配置された先進資本主義諸国を中心としてではあったが、ローマクラブの報告書に見られるように、世界が限りある地球上の資源をいかに利用していくべきかについての深刻な議論が開始されていた。さらに1980年代に入ってからは世界の飢餓・貧困・軍事紛争がアメリカのCNNを通じて全世界に放映されたことも一つの要因となって、NGO活動を含む世界的な反響・反応が活発化していた。
次に、冷戦終結の効果を実質的側面から検討する。冷戦終結の効果が最も顕著かつ直接的に現れたのは軍事面であることは言うまでもない。40年にわたる冷戦を戦うため、アメリカは巨大な兵営国家(garrison state)と化し、国防費 注11 の一般歳出に占める割合は、朝鮮戦争時の60%をピークとしヴェトナム戦争時を除いて漸減していくが、それでも米ソ間の本格的デタントが開始される1970年代初頭まで40%~50%台を維持していた。ヴェトナム戦争が終結した1970年代中葉以降、対歳出否は30% 以下に低下していくが、国防費の絶対額は新冷戦状況の出現によって増大していった。この巨額の国防費は、議会内外の「冷戦コンセンサス」に支えられていたが、それはアイゼンハワー大統領が告別演説で警告するほどに巨大な軍産複合体制を生み出し、アメリカ経済の軍事依存化を進めるとともに、民需部門の国際競争力を失わせることになった。その結果アメリカは70年代初頭、戦後初めて貿易赤字を記録するとともに、対外援助による「ドルの散布」に起因する金・ドルの交換停止に追い込まれた。それは同時に冷戦期、アメリカの経済・軍事援助を受けた同盟国、とりわけ日本と西独が鉄鋼・自動車・家電などの量産型産業分野でアメリカを脅かしはじめていたからである。1970年代から1980年代にかけては半導体・エレクトロニクスを中心とするハイテク産業分野でも日独の急追を受けつつあった。80年代前半、レーガン政権が打ち出したSDI構想に日独を含む西側同盟国の参加を強く要請した背景にはこの事実があった。
1980年まで世界最大の債権国であったアメリカは80年代中葉、債務国に転落して冷戦終結期には世界最大の債務国となっており、財政赤字もレーガン政権 1・2期からブッシュ政権までの12年間に、約1200億ドル(1982年)から増加し、冷戦終結直後に当たる1991~93年にはそれぞれ約2700億ドル・約2900億ドル・2550億ドルとピークを記録した。注12

表1 アメリカ国防費の推移

(注)国防費は退役軍人年金を含む広義の概念である。
なお金額はカレント・ドルに換算したものである。
(出所)Statistical Abstract of the united States, 119th Edition,1999,p368より作成

冷戦が終結した時アメリカは2500億ドルから2900億ドルの財政赤字と最大時700~800億ドルの貿易赤字を抱え、国家予算の20%強に当たる 2700~2900億ドルを国防費に充てていたのである。もしアメリカが「自国内の民主主義を完全なものとすることにエネルギーを集中し、世界に対して民主主義のモデルを提示する」(H.キッシンジャー)
ことに満足するならば、冷戦終結、即ちソ連の脅威の消滅に対応して国防費を削減し、軍産複合体から押し出される労働力を吸収するための民需転換を図れば事足りるはずであった。しかし冷戦が終結してもアメリカが国内で自らの民主主義の完成に向け努力できる条件は整っていなかった。ブッシュ政権の国防長官 D.チェイニー(ブッシュJr.政権の副大統領)が1992年に発表した「国防報告」は、ソ連が崩壊したことによって3万発の戦略・戦術核の中央統制がきかなくなる危機があり、15ヵ国が弾道ミサイルを所有しており、核兵器ばかりか生物・化学兵器による脅威が存在していることを強調し、これらの脅威に対処するために、効果的な戦略的抑止力、前方展開軍、アメリカ本土防衛能力を確保する必要性を訴え、これらを前提として新たな脅威に対応しうる軍事力の再編をすることを条件に軍備縮小を認めていた。注13
ブッシュ政権は軍需の民需転換のためにも、新たな脅威に対応するための軍事力の再編を行うためにも産業競争力の強化が不可欠と認識していた。ブッシュ政権が設置した産業競争力政策委員会(Competitiveness Policy Council)の報告書(1992年3月1日)は、「アメリカの競争力の問題は経済問題であるばかりか、重要な外交問題であり、国家安全保障問題ですらあり」「1990年代以降の外交・安全保障政策は、今までよりも遙かに国内問題となるであろう」「(そして)もし我々が競争力を劇的に改善するという困難に立ち向かわなければ、アメリカは世界の指導者となる資源も道徳的権威ももたないことになる」と結論づけている。注14

表2 アメリカの貿易収支(億ドル)

(出所)Economic Report of the President,2000,p.422

「1970年代から80年代の20年間にアメリカのGNPに占める対外貿易が2倍になった」というマクロ・トレンドを前提に、「アメリカの対外貿易のパフォーマンスこそがアメリカの競争力の中心的要素であり」「それは、アメリカの雇用水準と労働の質を決定する上で死活的に重要である」と、同報告書は結論づけつつ「アメリカ経済がますますグローバル化してきている」と何度も強調していた注15(表3)。

表2 アメリカの貿易収支(億ドル)

(出所)Competitiveness Policy Council,First Annual Report to the President and Con-gress,p.2

湾岸危機発生直前の1990年6月、ブッシュ政権のべーカー国務次官は上院外交委員会で、1990年代アメリカ外交の課題として、(1)民主主義の強化、(2)市場開放の促進、(3)平和と安定の実現、(4)グローバル・イシュー解放への協調的対応、(5)同盟関係の強化・再編、の5つを挙げていた。これらは、自由民主主義と資本主義の理念の具体化であり、これらの課題を実現する手段こそが、通商政策の強化や知的所有権(IPR)の保護強化を通じた産業競争力の向上であり、さらにはこれを梃子とした軍需の民需転換と貿易赤字解消・海外市の拡大であった(図1)。

図1 冷戦終結とグローバリゼーションへのアメリカの対応

2. グローバリゼーションとアメリカナイゼーション

クリントン政策が打ち出した外交理念もブッシュ政権のそれと基本的にはかわらなかったが、それは冷戦後の内外状況の変化が共和党・民主党政権を問わずアメリカという国家の取りうる政策選択の幅を拘束していたからである。しかし、クリントン政権は産業競争力の強化と民需転換によるアメリカ経済の回復をより重視するとともに、外交アプローチにおいてはより一方主義色彩を強めていった。冷戦勝利の愉悦感に浸るのも束の間、軍需の民需転換という対内的「冷戦後処理」ばかりか、冷戦勝利の実、即ち自由民主主義理念拡大の少なくとも可能性を担保するために、「新たな脅威」に対応しうる国家体制を構築することがクリントン政権の存在理由であったからである。「冷戦国家(体制)」を「グローバル国家(体制)に構造転換することが至上命題とされたのである。この転換過程でアメリカ発のIT革命がグローバリゼーションを始動させたが、クリントン政権が産業競争力強化によってアメリカ経済の再建を追求しその通商外貨が一方主義的な色彩を帯びたためアメリカナイゼーションが同時進行したのである。
クリントンは就任間もない1993年2月17日経済改革演説を行い、(1)雇用創出のために短期的景気刺激政策を採用する、(2)長期的投資を促進する政策を採用する、(3)今後5年間で財政赤字を4700億ドル削減するため増税と歳出削減を行う、という包括的経済政策を発表した。注16
冷戦終結後、アメリカ議会の技術評価局(U.S.Congress,Office of Technology Assess-ment)は、国防政策の再検討を行い、国防費の削減が国防体制に及ぼす影響、国防体制のあり方、R&Dのあり方、国防関連産業への影響について5回にわったってアメリカ議会に報告書を提出している 注17。ここでは本稿の文脈から次の3点を指摘するに留める。(1)1991年から 2001年までに250万人の防衛関連産業の労働者が職を失う。(2)国防技術・産業基盤(DTIB=defense technology and industrial base)は、アメリカの軍事力の絶対不可欠な要素である。(3)軍需産業と民需産業を統合することによって民需転換(報告書ではdefense conversion)を促進し、DTIBを強化すべきである。
ソ連の脅威の消滅と、このようにアメリカ政府・議会によって深刻に認識された軍事の民需転換の必要性から、冷戦終結以降、軍事技術が民生用に開放・解放され始めたのである。冷戦期、軍事に独占使用されていたインターネット・暗号技術・通信衛星・GPS(Glo-bal Positioning System)が商業用に開放・解放され、コンピューター本体および周辺機器・ソフトウェアー・通信機器を中心とするいわゆるIT産業が急速に成長し始めた。すでに1980年代レーガン・ブッシュ共和党政権期、半導体・エレクトロニクス・液晶ディスプレーなどハイテク技術で日本に遅れをとっていたため、 1987年官民共同出資の研究コンソーシアムであるセマティックを設立し、民間のハイテク技術開発を支援し始めた 注18。だが現実には、両政権は直接、国家安全保障に関わらない技術開発には必ずしも積極的でなかったが、冷戦終結後成立したクリントン政権は技術開発を重視し、先の、経済改革演説における長期的投資に関し、民間セクターへのインセンティブを与える投資に4年間で240億ドル、技術投資に4年間で170億ドルを割り振る方針を明らかにしていた。インターネットはブッシュ政権期、政府の援助によって商業化への道が開かれた。国防総省が開発したARPANETをベースにして、全米科学財団(NSF)がNSFNETとして高等教育機関全体に提供し始めた。1991年にNSFが民営化を決定し、商業化することを解禁した。そして93年のWWW モザイクの開発により、インターネットは爆発的に普及していくことになる 注19。 これを背景としてクリントン政権はゴア副大統領を中心に国家戦略として全米情報基盤構想(NII)、いわゆる情報スーパーハイウェイ構想を発表した。これは、光ケーブルにケーブルテレビ網や衛星通信などを組み合わせ、マルチメディアによる双方向の高速かつ広範囲の通信網で、2000年までに全ての教室・図書館・病院をインターネットで接続することを決定した。当初、これを政府主導で行うはずであったがAT&Tや議会内外の反対で民間主導となり、NII構想の推進母体として省庁間横断の情報インフラ・タクスフォース(I I TF)と民間セクター代表、即ち情報通信関連13社の代表からなるNII諮問委員会を設置し、このネットワーク料金を補助するため、通信事業者が拠出する基金の創設
1996年通信法で制度化した。この全米情報基盤構想は、アメリカ情報産業の基盤整備と知的所有権の保護強化というハード・ソフト両面の整備を可能にする一挙両得な構想であった。
そしてこの構想を実現すべくクリントン政権は1934年に制定された通信法の改正に乗り出した。独占力と政治力を持っていたAT&Tやベル系地域電話会社、共和党右派の反対を押し切って1996年電気通信法の改正に成功し、電話・CATV・放送の垣根を撤廃してインターネットで電話通信同様の通信が可能になるような新規参入による自由競争を促した。それは通信料金を引き下げると同時に、民間主導のデジタル通信ネット投資を刺激してデジタル・ネットとパソコン利用を急増させ、インターネット・サービスのコストを一挙に引き下げたのである 注20
すでに1994年アメリカは世界の情報通信分野で主導権を握るため、ゴア副大統領が世界通信開発会議(ITU)でグローバル情報インフラストラクチャー(G I I )構想を打ち上げていたが、96年の法改正はこの構想を実現するための国内的条件整備でもあった。さらに1996年、WTOシンガポール閣僚会議でコンピューターや情報通信関連機器などの関税を撤廃するITA・1を正式決定した(途上国は2005年)。インターネットの普及と情報インフラの整備を背景に、クリントン大統領はインターネット上で行われる商取引の制度化に関し、「グローバル電子商取引の枠組み」について大統領令を発し、この分野でもアメリカが主導権を発揮する強い意思を示した。こうしてクリントン政権は、情報通信のネットワーク構築・情報通信機器というハード・そこで使われるソフト・そこで行われる取引、のすべてにおいてアメリカが提案する基準と方式を世界基準にしていくアメリカナイゼーションの意思を誇示したのである。
インターネット接続ホストコンピューター数は1998年1月現在、アメリカが約2000万台で、日本の110万台、ドイツの99万台、イギリスの98万台、フランスの33万台を大きく引き離している 注21。IT産業の対GDP比率は、アメリカ社会でパソコンが普及し始めた1990年には6.1%であったが、インターネットが爆発的に拡大した93年には6.4%、そして98年には8.2%に達した 注22
IT産業の生産額も93年には4000億ドルであったが、98年には7500億ドル(推定値)、99年には8200億ドル(同)と5~6年間で2倍に増加している 注23
こうして1990年代後半の景気拡大局面ではIT関連産業を中心に2300万人の新規雇用が生まれ、失業率は99年段階で4%前後に低下した 注24
この意味では国内的にはIT技術を中心とした軍需の民需転換は成功したといえる。
民需転換を契機に開始されたアメリカにおけるIT技術とIT産業の拡大・成長にタイムラグをおいてではあるが、ヨーロッパや東アジアを中心にインターネットや衛星放送が普及し、情報次元で「時空の圧縮化過程」としてのグローバリゼーションが急激に進行した。これは生産・流通・金融各分野でアメリカナイゼーションを促進した。
インターネットを始めとするIT技術を駆使して生産の分野ではアメリカ企業が、効率がよくコストが低い生産拠点を海外に移転し、コストを削減し競争力を高めつつある。いままでの観念では産業の空洞化であり、国内労働市場に打撃を与えることになるが、新技術によって生み出されたIT関連産業が雇用を吸収しているため顕在化していない。リチャード・ローズクランスはこれを「バーチャル国家」あるいは「頭脳国家」と定義し、この国家は研究開発・製品設計・資金調達・マーケティングなどの高水準のサービス業か最新の製造業に資源を集中し、生産拠点は海外に移転して対外競争力を強化するものであると説明している 注25
流通分野でもアメリカ企業は国内的にも対外的にも、インターネットによって必要な製品や部品を発注し、かつスピーディーに調達することが出来るようになり、在庫(物と空間)を減らして保有コストを節約するとともに、最も適合的な発注先を確保出来るようになったのである。この意味でも「時空の圧縮」であった。
3つの分野の中でアメリカにとって最も効果を発揮したのが金融分野であった。国際金融の中心であるアメリカ金融界はIT技術を金融工学と融合させ、リテール(小口金融)部門に経営資源を集中しグローバルな事業展開を行っている。またアメリカの投機家集団や機関投資家は1970年代から資本規制が徐々に緩和・撤廃されるにつれ、株式・債権・為替トレーダーとしてコンピューター・マウスのクリック一つで投資信託・年金基金・新興ファンドの間で膨大な資金を、しかも短期間で動かすようになり、1997年のアジア通貨危機を引き起こすことになった。
軍需の民需転換過程で商業化されたIT技術により現象化した時空の圧縮過程としてのグローバリゼーションが進行する中で、アメリカが超大国としての国力を背景に産業競争力を強化しようと、アメリカ的基準を世界基準として他国に強制する過程としてのアメリカナイゼーションが同時進行したのである。
その第1の手段は情報である。民需転換により商業化されたIT技術は産業競争力強化のためにも利用っされ、アメリカ自身がインターネットの世界的中枢となって世界の情報をコントロールすることを可能にしたのである。インターネットのプロバイダーの回線を繋ぎ、情報の流れをコントロールしているのがMCI ワールドコムであり、全米のデジタル通信のバックボーン(基幹網)はアメリカ東西にあるMCI施設(バージニア州フェアファックスとカリフォルニア州シリコンバレー)を経由しているため、日本やヨーロッパのインターネット通信の多くがこのMCI施設でコントロールされる可能性が生まれたのである 注26。それは英語圏である米英加豪ニュージーランド5ヵ国がエシュロン(ECHELON)という世界的規模の国際通信監視システムを構成し、アメリカ安全保障局(NSA)とイギリス通信本部(GCHQ)が中心となって諜報通信を収集しているからである。1947年に活動を開始し50年間、世界中に設置された電子スパイ基地から海底ケーブルや地上電波を通じての電話・ファックス・無線・衛星通信を傍受し、地球上のあらゆる場所の信号を監視するために人工衛星を用いた通信傍受も行っていることが明らかになっている 注27。インターネットによる通信はバックボーンの接続点をコントロールすれば遙かに容易に傍受できることになる。欧州議会がアメリカを中心とする通信諜報包囲網であるエシェロンを問題視する以前からこの問題を追求していたイギリスのジャーナリスト、ダンカン・キャンベルは、アメリカがエシェロンを利用してアメリカの対外貿易や対外直接投資を支援してきた実態を明らかにしている。
第2の手段は通商政策の強化であった。戦後初めて貿易赤字を記録(表2)した1970年代初頭以降、アメリカはその通商政策に保護主義的性格を与えはじめた。74年通商法では相殺関税、アンチ・ダンピング関税を課し、かつ301条で「諸外国の不公正な貿易慣行に対する大統領の対抗措置」を規定し、アメリカの通商政策は国内産業を保護する性格を打ち出した。しかし1980年代に入ると、「輸入制限から輸出促進へ」というより「輸入制限も輸出促進も」という性格を強化した。すなわち84年通商関税法で「不公正貿易行為」を民間からの提訴がなくてもUSTRの発議により特定することを可能にし(301条アプローチ),88年通商拡大・競争力法で相手国の不公正貿易行為をUSTRが一方的に特定する「一方主義」と、これによってアメリカが「数値目標」を設定してその実現を貿易相手国に迫る「結果主義」をその通商政策の中心に据えた(スーパー301条)。同時に同法では知的財産権侵害への対抗措置をとるために改正された関税法337条を追加した(スペシャル301条)。
冷戦終結を受け伝統的な軍事安全保障ばかりか経済安全保障という観点からクリントン政権も経済通商政策を重視し、USTR以外に国家経済会議(NEC)を創設し、WTO発足以降は多国間協議(マルチ)の場で紛争処理メカニズムを積極的に活用する姿勢を見せつつも、301条・スーパー301条・スペシャル 301条の3法を通商政策の基本として堅持し、「輸入制限も輸出促進も」という攻撃的通商政策のスタンスを変えていない。第1期クリントン政権の大統領経済諮問委員会(CEA)委員長であったローラ・タイソン(UCB 教授)は、自由無差別の貿易原則のメリットをなるべく損なわない形で一歩踏み込んだ貿易管理(「慎重な行動主義」)を追求すべきだと主張したP.クルーグマン(M I T教授)の立場を支持し、厳密な経済分析に裏打ちされた「戦略的通商政策」を進言し 注28 ,一方主義と結果主義を体現したM.カンターUSTR代表とともに、第1期クリントン政権の通商政策を推進した。第2期クリントン政権の90年代後半、ニューエコノミー論で説明されるアメリカ経済のグッド・パフォーマンス(それを象徴するのが1998会計年度の財政黒字化である)によって第1期の攻撃的通商政策は一時的に抑制されているが、経済状況が変化すれば直ちに発動されるのは明らかである。
第3の手段は知的財産権(IPR)の保護強化である。アメリカは1970年代までは、特許を寡占や独占を生みやすく自由貿易を妨げるものと捉えアンチ・パテント政策をとり、独禁法の運用に重点を置いて競争を促してきた。70年代初頭に戦後初めて貿易赤字を記録したことに象徴されるように国際競争力を相対的に低下させ、80年代に入ると一転してプロ・パテント政策に転換し、特許権の保護強化に乗り出した。1988年包括通商法の182条(スペシャル301 条)は知的所有権保護強化のためUSTRに調査権限を認め、USTRは、知的所有権に依拠しているアメリカ企業の市場参入を不当に阻止している国や、アメリカ製品の偽造品が流通している国、またアメリカの特許侵害が多発している国を調査・特定することができるようになった。さらに関税法337条の改正により、不公正な競争方法の中で、特許法・方法特許法・著作権・商標権などに関する知的所有権の侵害については損害要件を不要とし、知的所有権の行使を容易にした。
クリントン政権のスペシャル301アプローチは成果を上げ、1996年、ソフトウェア産業の海外売上げ高は600億ドルで僅かの差で農産物(598億ドル)を抜き、自動車(533億ドル)にはかなりの差をつけ、アメリカ経済の中心がハードからソフトやサービスに移行していることを認識せざるをえない。こうしたアメリカ自体の対応と実績を背景に、クリントン政権は、WTOの「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS)」(発効1995年1月1 日)成立に中心的役割を果たし、さらにWIPO(世界知的所有権機関)でソフトの著作権保護条約の批准を1997年以降訴え、クリントン政権は、知的所有権の分野でも主導権を握ろうとしている。

おわりに

本稿ではグローバリゼーションを「冷戦終結後、アメリカの民需転換過程で商業化されたIT技術により現象化した時空の圧縮化過程であり、アメリカが産業競争力強化のためIT技術を生産・流通・金融に投入したため、アメリカナイゼーションも同時進行した」現象と暫定的に定義し、冷戦後のアメリカの対応を中心に考察してきた。「はじめに」で概観したようにグローバリゼーションの学問的定義は多様であるが、一般的には経済のグローバリゼーションとして認識され語られることが多いのも事実である。「2000年度アメリカ大統領経済報告」は"Opportunity and Challenge in the Global Economy"という独立した1章を設けているが、ここでのグローバリゼーションは経済のグローバル化を意味している。そしてこのグローバリゼーションの具体化として多国籍企業の活発化に焦点を当て、その「背後にある力」としてIT技術と政府の政策、とりわけアメリカ政府の政策を強調している 注29。アメリカ政府にとってグローバリゼーションとは、多国籍企業の生活活動を原動力とした世界的規模での経済活動そのものなのである。確かに、世界貿易の増加量は1990年代の10年間だけで、過去200年の増加量を超えており、グローバリゼーション、即、世界的経済活動と認識してしまうのは無理もない。しかし、技術発展やこの経済活動の拡大・活発化は無視しえない要素であるが、多くの論者が指摘しているようにそれらの結果として「時空間構造が圧縮していく」事実と、それが人の意識・地域社会・民族文化に与えるであろう深刻な影響もグローバリゼーションなる現象の対象にせざるをえないであろう。時空が圧縮されていくと、人と人、集団と集団、人と集団の接触・交渉からアナログ的曖昧性は排除され、透明性・客観基準というデジタル的正確性が基本的価値となり、アイデンティティや民族文化などの曖昧性を特質とする人間社会の基本的要素は行き場を失いかねない。
冷戦が終結し軍需の民需転換がなければIT革命というべき現象は起きなかったはずである。同時に冷戦の終結がアメリカ・エリート層の心理の中で、少なくともイメージ的には世界が自由民主主義理念によって一体化しうる可能性を与えなければ、そのIT技術によってアメリカナイゼーションとも見えるグローバリゼーションなる現象は起きなかったであろう。即ち世界一体化の可能性イメージがIT技術という現実と結合したことが、アメリカナイゼーションを引き起こしたのである。
しかし、アメリカナイゼーションを伴うグローバリゼーションは永続しないことは明らかであり、グローバリゼーションを引き起こしたアメリカナイゼーションもやがてグローバリゼーションに収斂していくことになろう。その時、アメリカ自体も時空圧縮化の影響を正面から受けることになる。
産業革命の結果、産業資本主義を確立したイギリスの圧倒的優位は、ロングスパンで見れば西欧諸国ばかりか日本にもキャッチアップされたようにアメリカは早晩、先進資本主義諸国ばかりかNIESにもキャッチアップされよう。その理由として次の点が考えられる。(1)第一次・第二次産業革命後の技術革新よりも遙かに急速に技術革新が進み、IT先進国間でのハイパーコンペティションが激化する。これに打ち勝つために国内には絶えざる緊張が支配する。(2)そしてなによりもアメリカ自身が透明性・客観基準というデジタル的正確性をますます要求され、エシェロンなどの存在が許されなくなる。「普遍国家」アメリカに伝統的につきまとってきたダブル・スタンダードは否定されることになり、もしこれを維持しようとすれば、自らが始動させたグローバリゼーションを否定することになる。(3)生産拠点を海外に移転させ、アメリカ自体は「頭脳国家」化(R.ローズクランス)したとしても、2~3億人のアメリカ人全てがこの国家体制に参加しうる能力をつけることは不可能に近く、製造業を失った国家がシステムとしての社会を維持することはありえない。(4)部分的に「頭脳国家」化し、第一次産業や第二次産業が存在したとしても、アメリカ自体が時空圧縮化の影響を受け、国家的アイデンティティ・クライシスに陥る可能性がある。(5) アメリカが急激なIT技術革新の波に乗り続け、グローバリゼーションの中でヘゲモニーを握っていたとしても、グローバルにネット化したがためにアイデンティティを求める運動によって、そのヘゲモニーが脆弱性をもつことになる。「レクサスとオリーブの木}の著者トーマス・フリードマンは、技術とりわけ通信技術、金融、情報の3つの分野における「民主化」がグローバリゼーションの促進要因であると言う 注30。しかし、これら3つの民主化がグローバリゼーションを推し進めてきた要因であることを認めたとしても、民主化によって現象化したグローバリゼーションが地球的民主主義(グローバル・デモクラシー)を実現することになるであろうか。国連開発計画(UNDP)の「グローバリゼーションと人間開発」によれば1997年段階で、世界人口の20%を占める最富裕国が世界所得の86%を占めるのに対し、同じく世界人口の20%を占める最貧国は世界所得の1%を占めるに過ぎない 注31
もし、アメリカナイゼーションを内包したままのグローバリゼーションが進行、しかも加速度的に進行していけば、世界所得の1%しか占めない世界人口の 20%は、確実にその1%の所得すらも失ってゆくであろう。南北問題やデジタル・ディバイドどころではない、別世界が一つ地球の上に存在することになる。1980年代末、ヘッドリー・ブルが名づけた「新しい中世」ですらない世界が出現することになる。
グローバリゼーションの動きからアメリカナイゼーションの効果を低下させることが不可欠であろう。それは各国がIT革命へ対応するための能力・技術開発を含めたインフラ整備を進め、各国の利害対立を抑制しリージョナリズムの強化に取り組み、同時に国連システムにおいて新たな規範を創出する努力が不可欠である。何よりもグローバリゼーションのテンポを暖めることが緊急の課題であろう。

注1 Susan Strange,The Retreat of the State:The Diffusion of power in the World Economy,(Cambridge University Press, 1996),pp.ⅩⅡ-ⅩⅢ.

注2 Anthony G.McGrew,"The Giobalization Debate:Puttig the Advanced Capitalist States in its Place",Global Society,Vol.12,No.3,(September 1998)pp.300-302.

注3 Anthony Giddens,Consequences of Modernity,(Polity Press,1990),pp 18-19

注4 Ibid.,p.64.

注5 William E. Scheuerman,"The Twilight of Legality? Globalsation and American Democracy",Global Society,Vol.14,No.1,2000,pp.55-56.

注6 James H.Mittelman,The Globalization Syndrome:Transformation and Resistance(Princeton University Press,2000),p.6

注7 Ibid.,pp.18-19.

注8 David Held and Anthony McGrew,with David Goldlatt and Jonathan Perraton,"Globalization",Global Governance,May 1999,pp.483-484. 全文はこの4人が編者となっているGlobal Transformations:Politics,Economics and Cultur(polity Press,1999)を参照のこと。

注9 特定に次元に焦点を当ててグローバリゼーションの影響を考察したものも多い。ジョン・トムリンソンは、グローバリゼーションが文化の「脱領土化」を引き起こし、文化が画一化される状態を文化帝国主義であると指摘し、この危機を克服するために新たに多元的連帯(コスモポリタニズム)の実現のための提言を行っている(John Tomlinson,Globalization and Culture,(Polity Press,1999)).片岡信訳「グローバリゼーション:文化帝国主義を超えて」青土社,2000年。

注10 Martin Albrow,The Global Age:State and Society beyond Modernity,(Cambridge University Press,1996). Paul Hirst and Thompson Graham,Globalization in Question,(Polity Press,1996). P.Hirst,"Global Economy:Myths and Realities",International Affairs,Vol.73,No3,1997.William I.Robinson,Promoting Polyarchy:Globalization,US Intervention,and Hegemony,(Cambridge University Press,1996).John Gray,False Dawn,(Granta Publicaition,1998).

注11 アメリカの国防費には狭義のものと広義のものとがあり、前者は国防総省予算の中で、純軍事的費用に関わる予算を指し、後者は狭義の予算以外に、エネルギー省予算の軍事関連部分、対外援助、宇宙開発計画予算の軍事関連部分、退役軍人年金、および国家債務利払いの軍事関連部分を加えたものを指す。これらの構成要素も時代とともに変化してきており、時代時代により国防費の概念が変化していることに注意すべきである。現在、国防総省が「国防報告」などで用いる予算は狭義のものが多く、議会審議で使われる予算は広義のものが多い。

注12 Statistical Abstract of the United States,119th Edition,1999,p.348.

注13 Dick Cheney,Secretary of Defense,Annual Report to the President and the Congress,February 1992,pp.ⅤⅠ-ⅤⅡ.

注14 Competitiveness Policy Council,First Annual Report to the President and Congress:Building A Competitive America,March1,1992,pp.3-4.なお同委員会は「1988年包括通商法(the Omnibus Trade and Competitiveness of 1988)]」を修正した「1990年関税・通商法(the Customs and rade Act of 1990)]」に基づき設置された委員会で、国際経済研究所長のフレッド・バーグスティンが委員長を務め、大統領・上院・下院それぞれが指名した4名ずつの委員、合計12名から構成された。なお、競争力政策論議はすでにレーガン政権期に始まっており、ヒューレット・パッカード社会長のジョン・ヤングが委員長を務める「産業競争力に関する大統領諮問委員会」(ヤング委員会)が1985年、Global Competition:The New Realityと題する報告書を発表していた。しかしレーガン政権の「自由解放的政策」とは相入れず、棚ざらしされてしまった。

注15 Ibid.,p.2

注16 ビル・クリントン「経済改革演説:アメリカ変革のヴィジョン」「エコノミスト」4月5日号、毎日新聞社、1993年、65-75頁。

注17 Office of Technology Assessment,Adjusting to a New Security Environment(February 1991),Re-designing Defense(July 1991),After the Cold War(February 1992),Building Future Security(June 1992),Defense Conversion(May 1993)

注18 シルヴィア・オイストリー著(新田光重訳)「テクノ・ナショナリズムの終鳶」大村書店、1998年、145-146頁。

注19 谷口洋志「米国の電子商取引政策」創成社、2000年、33-36頁。

注20 上志田征一・田村秀夫・日本経済研究センター編「ネットワーク資本主義」日本経済新聞社、2000年、24-26頁および「日本経済新聞」2000年11月17日「米、ITの「負」の側面直視を」。

注21 郵政省「通信白書」1998年。

注22 アメリカ商務省(室田泰弘訳)「デジタル・エコノミー」東洋経済新報社、1999年、6頁。

注23 アメリカ商務省(室田泰弘訳)「デジタル・エコノミーⅡ」東洋経済新報社,1999年、32頁。

注24 日本経済新聞、2000年11月17日、前掲記事。

注25 リチャード・ローズクランス「バーチャル国家の時代」日本経済新聞社、2000年、8-10頁および197-207頁。

注26 上志田征一他編、前掲書、23-24頁。

注27 ダンカン・キャンベル「通信諜報包囲網・エシェロンの実態」「世界」10月号、2000年、209-223頁。

注28 Laura D'andrea Tyson,Who's Bashing Whom?(The Institute for International Economics,1993

注29 Economic Report of the President,February 2000.pp.199-237.

注30 トーマス・フリードマン「レクサスとオリーブの木(上)」草思社、2000年、76-91頁。

注31 http://WWW.undp.org/