社会・地域貢献

教養番組「知の回廊」26「少年非行の原因と対策」講演『少年非行防止と地域ボランティアへの期待』

中央大学 法学部 藤本 哲也

1 はじめに

ただ今ご紹介にあずかりました藤本でございます。今日は少年警察ボランティア・ニューリーダー研修会ということで講演を依頼されたのですが、「ニュー」といいますから若い人ばかりの集まりかと思っていましたら、相当古そうな方が大勢いらっしゃいますので、驚いています(笑)。予想が大きく外れました。
警察ボランティアの方々とは、私もいろいろな形で仕事をしておりますので、私をご存知の方もいらっしゃるかも知れません。今日は「少年非行防止と地域ボランティアへの期待」と題して、特に、最近注目されています前非行段階での対応ということに焦点をあてて、お話しをしたいと思います。あまり肩の凝らない話にしたいと思いますが、何分にも聞いていらっしゃいます方が、警察関係者、あるいは警察ボランティアということで、皆さん専門家なものですから、もし、もう少し突っ込んだ話が聞きたいという要望があるようでしたら、後で、私も懇親会に出席する予定でおりますので、その折りにでも質問して頂ければと思います。

2 平成13年の少年非行等の概要

最近、警察庁少年課の方から出された「平成13年の少年非行等の概要について」という資料によりますと、平成10年以来下降傾向にあった少年非行が、3年ぶりに増加に転じたことが報告されています。たしかに、刑法犯少年が13万8,654人(4.8%増)というのは注意すべき事実かもしれませんが、問題なのは、14歳未満の触法少年で、殺人あるいは殺人未遂で検挙されたものが10人(昨年は0人)もいるという事実です。これは、昭和35年以来の記録になっているということで、いわゆる凶悪犯罪の低年齢化現象ということが、平成13年の少年非行の注目すべき点ではないかと思います。
それからもう一つの注目すべき点は、ひったくり事件が3年連続して2,000人を超えているという事実です。従来の「おやじ狩り」から「ひったくり」へと名前が変わっただけであるということもできますが、やはり数が2,000人(ひったくりの総検挙人員に占める少年の割合は71.2%)を超えているところに問題があると思います。
それから、最近深刻化している少年の犯罪被害についてですが、児童虐待事件の増加とテレクラ及び出会い系サイト利用の児童買春事件の増加が注目されるところです。このうち、児童虐待事件については、平成12年に児童虐待防止法ができました。皆さん方もご存知の通りです。新しい法律ができますと、どうしても世間の注目が集まりますから、児童虐待の報告件数が増えます。それに伴って検挙数も増えるということは当然のことかもしれません。厚生労働省は、児童虐待に関する相談処理件数について、平成2年からデータを取っておりますが、この年に1,101件であった児童虐待の件数が、平成12年には17,725件となり、約16倍となっていますから、児童虐待に関する社会的関心は非常に高いものがあるといえるのではないかと思います。
私は、1990年に、イタリアはトリノで開催されました国際会議において、日本の児童虐待について報告をしましたが、当時は、我が国の児童虐待に関する調査は、1973年調査と1983年調査、それと1988年調査しかありませんでした。これは、我が国の専門家が児童虐待の問題にあまり関心を示さなかったせいかも知れません。1994年に日仏会館で開かれた「第1回少年問題シンポジウム」の基調講演で、「わが国の児童虐待の実態調査」(全少協少年研究叢書6参照)について報告したときも、皆さん方はあまり注目してくれませんでした。今頃になって「大変だ、大変だ。」と騒いでいますが、私は、すでに10年前に、我が国でも児童虐待の問題は近い将来重要な課題となると予言していたことを記憶に留めておいて欲しいと思います。
それはともかく、警察庁は、児童虐待の問題を、これからも少年保護対策の最重要課題として位置づけておりますし、少年サポートセンターを中心として被害児童の保護を積極的に推し進めていくことを考えているようです。そういう意味では、これからの皆さん方のご活躍の場が、広がっていくことと思います。
もう一つ、少年犯罪被害の保護という側面から重要なのは、テレクラや出会い系サイト利用の児童買春事件の増加の問題です。この問題は、コンピュータ犯罪そのもの、あるいはインターネットそのものをどうするのかという問題とも連動していて、なかなか難しい問題です。携帯電話の普及とも関連させて論じていかなければならず、皆さん方には、もう一つ新しい対応を余儀なくさせる問題が出てきたということになるのかもしれません。

3 最近の少年非行の特徴

ところで、最近の少年非行の特徴を、主体面、動機面、形態面の変容という観点から見てみますと、どうも最近の非行は、従来型の非行とは違うのではないかという気がします。まず第1に、主体面の変容ですが、従来の非行は、喫煙、飲酒、家出、夜間徘徊といったいわゆる初発型非行を経験した者が、凶悪な犯罪に走るという意味で、「エスカレーション型」の非行が一般的であったといえるでしょうが、最近の非行は、普通の家の子が、初発型非行などの軽微な犯罪を経験することなく、「いきなり」強盗などの重大な犯罪に走るという意味で、どこにでもいる少年の「いきなり型非行」に変容してきているといえるのではないかということです。
第2に、動機面の変容という点から見ますと、最近の非行には、われわれ大人が理解できるような動機がないように思われます。一昨年、17歳の少年による凶悪な非行が連続して発生しましたが、「人を殺してみたかった」「人を殺す経験がしたかった」「一人でも多くの人間を殺さなければ」といったような動機は、犯罪の動機としては了解不能なものであるような気がします。「どうしても相手が許せなかった」「侮辱されたのでカッとして殺してしまった」という従来型の動機なら理解もできますが、最近の非行は、動機が非常にあいまいで、理解しがたいというところに特徴があるのではないかと思います。そして、その背景には、実は、「キレる」「ムカツク」といった言葉に代表されるように、ストレスを抱えた少年が数多くいるということに問題があるといえるでしょう。
たとえば、これは、東京都立教育研究所が、平成11年に行った調査ですが、子どものいらいら感は、小学5年と中学2年で増大すると報告しています。小学 5年生の頃は、身長や体重が急激に増大し始め、彼らはギャングエージですから、仲間集団を形成するようになり、グループ間の対抗意識が出てくるようになる時期です。そのために、トラブルを起こし、キレる、ムカツクといった感情を形成しやすいというわけです。
また、中学の2年生は、進路選択が視野に入ってくる時期で、第2次性徴期にも当たり、心身の発達や活動範囲の広がりが著しい時期で、それゆえに、不安定になりやすい年頃です。そして、それゆえにまた、キレて、ムカツいて、いらいら感がつのるといわれているのです。このように、動機面から見ますと、最近の少年非行は、キレる、ムカツクといった動機での「ストレス型非行」に、その特徴があるといえるかも知れません。
第3に、形態面での変容ですが、もともと「犯罪は模範される」といわれていますが、最近の少年非行の特徴も、「模範型非行」にあるといえます。平成10 年に栃木県黒磯市でバタフライナイフによる女性教師刺殺事件が起こりましたが、その後、連続してナイフ事件が発生したことからも分かりますように、少年は特に模範性が高いといわれています。現在問題となっている「ひったくり」もそうですが、一度ひったくり事件が起こると、次から次へと連鎖反応的にひったくり事件が起こっています。これも、「犯罪は模範される」という諺からも説明できますし、少年事件に共犯率が高く、集団犯罪が多いのも、この模範性が原因であるといえるかも知れません。
皆さん方もご存知かと思いますが、今時の女子高生はそのほとんどがルーズソックスをはいています。あれは、仙台市のある高校で、ルーズソックスをはくことは校則に違反しないということを発見して、いっせいにルーズソックスをはき始めたことに端を発するといわれています。数か月後には、日本全国の女子高生がルーズソックスをはいていたといいますから、いかに女子高生の宣伝力がすごいかということが分かるかと思います。おそらく、この口コミという手段が、少年非行の領域においても、かなりの潜在的な伝播能力となっていると考えてもよいのではないでしょうか。流行に流れやすい模範型非行というのが、形態面からする特徴であるといえるでしょう。

4 犯罪の三種の神器としての暴力、性、麻薬

このように考えてきますと、最近の少年非行は様変わりしたといえるかも知れません。
そのことと合わせて、私が心配しておりますのは、今までの少年非行の歴史において、「暴力」、「性」、「麻薬」という、「犯罪の三種の神器」といわれるものが、完全に出そろった時期は、かつて存在しなかったのですが、平成の時代に入ってから、その三種の神器が出そろってしまったのではないかという感じがすることです。
たとえば、「暴力」では、ひったくり事件を例に取り上げることができると思いますが、このひったくり事件は、警察庁が統計を取り始めた昭和47年と比べますと、現在では11.1倍となっています。たしかに、殺人事件そのものは、昭和20年代、30年代の方がはるかに多いようですが、強盗事件は過去数年間において急増していることに注意しなければならないと思います。それと同時に、校内暴力が第2次校内暴力時代に入ったといわれ、平成9年以降増加傾向にあることも注意を要するところでしょう。
次に「性」に関してですが、最近の性犯罪としては、かつて「少女買春」といわれた「援助交際」が一番問題になると思います。少しデータは古いのですが、平成9年の東京学芸大グループの調査によりますと、東京、神奈川、埼玉、千葉の女子高生960人に対する調査で、首都圏の女子高生20人に1人が援助交際をした経験がある、7人に1人は現金や品物をもらってデートすることに抵抗を感じていない、という結果が明らかになっています。現在のように携帯電話が普及し、女子高生の75%が携帯電話を持っているという事実から考えますと、これからも、「援助交際」、大人の側から言えば、「児童買春」という犯罪は、減少することはないのではないかと思われます。
私は、青島都知事の時に、第22期東京都青少年問題協議会の委員を務めましたが、その際の諮問事項の一つに、淫行処罰規定を都条例に導入することの是非が含まれており、当時大変な話題となりました。およそ1年近くの時間をかけて問題点を整理し、討論し、実態を把握するために渋谷の盛り場地域を視察し、山のような資料を読み、いろいろな人の意見を聞いて、結局のところは、「淫行」という名称は避けて、「買春」等処罰規定を導入すべきであるという結論に達しました。最後の最後まで賛否両論に分かれて意見がまとまらず、夜の10時半まで会議を開いて激論を戦わせるという経験をしました。私は導入すべきであるとの意見を強力に主張した者の一人ですが、起草委員会において、買春等処罰規定の原案作りをした際にも感じたことですが、やはり無理をしても買春処罰規定を導入して良かったと思っています。
その証拠に、買春処罰規定を導入する前の年の警視庁管内での援助交際がらみで補導された少女の数が843人であったのに対し、条例が施行された翌年の 1998年には、その数値が31人と激減しているからです。やはり、法律-この場合は条例ですが-を作ることは、意味があることだと思います。もともと、援助交際の問題に関しては、女子高生の意見を聴取したときに、「援助交際がどうして悪いのよ。悪ければ、法律で禁止しているはずでしょう。禁止していないっていうことは、いいって事じゃないの。」という意見が多く聞かれました。「それならば、法律で禁止されたら、しないのか。」と聞き返しますと、「法律に違反するような、そんなダサいことは、しないわよ。」というのが彼女たちの言い分だったわけです。その意味では、彼女たちは、彼女たちの言い分を守ってくれたと言ってもよいのかも知れません。
それはともかく、条例施行後、誰が違反第1号になるのかと注目していましたところ、足立区に住むお寺の住職が、援助交際による条例違反第1号となりました。彼の供述によりますと、180人以上の女子高生と援助交際をし、御布施2,000万円以上を使ったといいますから、本当に困ったものです。
この都条例による買春処罰規定の導入後、およそ2年経った1999年に、いわゆる「児童買春・児童ポルノ処罰法」が国法として制定されたことは皆さん方もご存知の通りです。そして、この法律を適用された第1号が私立中学校の教師であったことは、なにか暗示的なものを感じます。本当に困ったものです。
最後に、「麻薬」についてですが、かつて我が国において、覚せい剤乱用時代と命名された時期が3度ありました。昭和29年の第1次覚せい剤乱用時代、昭和59年の第2次覚せい剤乱用時代、平成9年の第3次覚せい剤乱用時代です。第1次覚せい剤乱用時代というのは戦後の混乱期に軍需産業用として作られた覚せい剤、すなわち商品名「ヒロポン」が乱用された時代で、全国の中毒者20万人、使用経験者200万人以上と推定されたのがこのときです。第2次覚せい剤乱用時代は、多様化時代と呼ばれた時期で、覚せい剤をはじめ、LSD、大麻、シンナー、トルエン等の有機溶剤が乱用された時代でもあります。この時期には、青少年、主婦、学生、一般市民層にまで、覚せい剤の乱用が見られたといわれています。いずれの時期においても、警察庁が覚せい剤乱用時代と命名するときは、覚せい剤事件の摘発者が2万人を超えたときなのですが、第3次覚せい剤乱用時代と命名された平成9年は、2万に2~300人くらい足らなかったはずですが、高校生の間での乱用を憂慮したためかと思いますが、第3次乱用時代と宣言されました。
特に、平成の時代になってからは、平成2年に高知県で小学校6年生の女の子が覚せい剤の使用で補導されましたし、平成8年には、千葉県松戸市で小学校6 年生の男の子が覚せい剤の使用で捕まっています。いまや、覚せい剤の問題は、高校生の問題ではなく、小学生の問題となっているということに注意しなければならないと思います。私は昨年一年間アメリカで在外研究に従事しておりましたが、アメリカでは、小学校新入生の保護者に対する注意事項のなかに、「学校に拳銃を持って来させないで下さい。」「小学校に麻薬を持って来させないで下さい。」とあるくらいですから、日本とはその深刻さの度合いにおいて相当な違いがあるかと思いますが、我が国でも覚せい剤乱用の低年齢化を考慮に入れなければならない時期に来ているといえるかも知れません。
ところで、こうした未成年者、特に高校生による覚せい剤乱用事件は、なぜ増加したのでしょうか。皆さん方はその道の専門家ですから、それぞれにその理由をご存知だと思いますが、まず考えられるのは、供給ルートが多様化して薬物の入手が容易になったということが挙げられるでしょう。名前を出すのは憚られますが、イラン人のような外国人から携帯電話を使用して、簡単に覚せい剤が購入できるようになりました。以前のように、「暴力団員から覚せい剤を購入し、それを注射器で静脈に注射をする。」というのでしたら、高校生は覚せい剤を使わないだろうと思います。入手方法が簡便になり罪悪感が伴わず、陰湿なイメージがなくなったことが、乱用に至った大きな要因ではないかと思います。また、暴力団員から買わずに済むようになったことが、薬物使用に対する抵抗感を希薄化させたことも事実でしょう。もちろん、密売人であるイラン人の後ろには暴力団がいることは間違いないでしょうが、外国人から簡単に購入できるということが、高校生にとっての一番の魅力ではないかと思います。
しかも、たばこサイズの銀紙に包んだ0.02グラムの覚せい剤で、定価2,000円と価格も手ごろであり、ライターの火であぶって口から吸入すれば効果があるわけですから、クラックと同じように使用方法が簡便であることも、高校生の間での乱用をもたらした大きな原因であると思います。
しかも、高校生の間での口コミで、覚せい剤はダイエット効果があるという「うわさ」が流されています。それはそうでしょう。覚せい剤を使えば、2,3日食事をしなくとも遊びまわれるのですから、だんだん痩せてくるだろうと思います。その上、覚せい剤を「S」あるいは「スピード」と呼んで、ファッション化して使用する傾向があることを考えますと、今後は、高校生ばかりでなく、中学生の間でも問題になるのではないかと心配しているところです。
ところで、これは皆さん方へのお願いなのですが、なぜ警察は「脱法ドラッグ」とか「合法ドラッグ」といわれているものの取り締まりをしないのでしょうか。麻薬に似た効果を得られる健康食品などを使う「ドラッグ遊び」が、覚せい剤乱用の入り口になっているということは皆さん方もご存知のことと思います。たとえば、マジックマッシュルームという「きのこ」の種子が試験管に入れられて、渋谷のセンター街で売られています。これは、定価15,000円くらいです。水栽培をすると150個くらいのきのこが取れますが、5個くらいの「きのこ」を食べれば、LSDと同じような幻覚症状が出るといわれています。日本では小笠原諸島と沖縄県の石垣島にしか自生していない「きのこ」で、「しびれたけ」が、このマジックマッシュルームではないかといわれていますが、サイロシビンという成分が含まれていますので、麻薬及び向精神薬取締法で取締まりができるのではないかと思うのですが、専門家の意見では、同法の麻薬原料植物には当たらないということです。
また、南米産のペヨーテというサボテンが、観賞用として売られていますが、これはメキシコでは古くから宗教的儀式に使用されたもので、メスカリンという成分が含まれていますから、原色のサイケデリックな幻想を見ることが可能だといわれているのですが、規制の対象とはなっていません。植物から成分を抽出するのは違法だが、植物自体は取締りの対象外だというのです。しかし、このサボテンの葉を1枚取り、その果肉を食すれば薬物使用と同じ効果があるということを考えますと、取り締まる必要があると思うのですが、皆さん方の考えはどうでしょうか。
また、自動販売機で売られているハーバルエクスタシーという媚薬は、脱法ドラッグと言っても、それほど目くじらを立てて取り締まる必要はないのかも知れませんが、薬物乱用に至る入口のドラッグであることを考えますと、薬事法と照らし合わせての対応が必要ではないかと思います。

5 少年非行の原因

それでは、子どもたちはなぜ犯罪や非行に走るのでしょうか。次にこの問題について考えてみたいと思います。ここでは、(1)少年自身の問題、(2)学校の問題、(3)家庭の問題、(4)地域社会の問題に分けて考えてみることにしましょう。

(1) 少年自身の問題

まず、少年自身の問題ですが、皆さん方もご存知かと思いますが、非行少年は、わがままで、自己中心的で、耐性がないとよくいわれます。これは非行少年に共通する性格特性であるといってもよいかと思います。また、非行少年は、規範意識が乏しく、社会的意識が希薄で未成熟であり、精神的自立心が欠如しているといわれます。しかも、身体と精神がアンバランスである。つまり、少年の身体的・性的発達に比べて精神的・情緒的発達が遅滞しているというわけです。われわれは、こうした事態を「幼児化現象」と呼んでいますが、大学生が高校生のようになり、高校生が中学生のようになり、中学生が小学生のようになったと考えたらいいでしょう。
これは私が実際に見聞きしたことですが、この幼児化現象を説明するのに最適なこういう事例があります。それはバブル経済が崩壊する直前の頃で、今から 10年くらい前のことになるかも知れません。その頃、日本のある証券会社で4月1日に入社式をしましたら、7人のお母さんが子どもと一緒に付いて来て式に参加したそうです。この会社ではこの7人のお母さんの名前を調べて、該当する新入社員に1か月の給料をわたして、解雇したと聞いております。また、同じ年に、外資系の会社で入社式をしましたら、こちらには4人の母親が付いて来たそうです。この会社では、即日、該当する4人の新入社員を解雇したということです。
こうした折りに、これは解雇されるのをうまくすり抜けたケースですが、ある有名な私立大学を卒業した青年が、商事会社に就職しました。子どものことを心配するあまり、会社に勤め始めて1か月ほど経った5月の連休明けに、母親がケーキをおみやげに、息子の会社の人事課に「息子をよろしく。」と挨拶に来たそうです。人事部長は驚いたようですが、事を荒立てては悪いと思い、その時は、ケーキを皆でおいしく頂いたようです。
3年ほど経ってから、この青年は、会社で良い伴侶を見つけて、結婚することになりました。そこで、人事部長に「是非仲人をお願いします。」と頼みにいったようです。人事部長は3年前のケーキ事件を覚えていて、「大丈夫かな。」と一抹の不安な気持ちがあったようですが、会社では真面目で、将来を嘱望される人材であると考えておりましたので、仲人を引き受けました。結婚式が無事に終わり、披露宴もお開きになってから、人事部長は、二人の新婚旅行の行き先を聞いていなかったことに気付き、新郎を招いてこう聞いたそうです。「ところで君、新婚旅行はどこに行くんだね。」すると、新郎は、こう答えたそうです。「はい。はじめはヨーロッパ一周を計画していたのですが、母が飛行機に弱いものですから、九州一周に切り替えました。」と(笑い)。今、お笑いになった方は、ことの次第を的確に把握されたと思いますが、人事部長である仲人さんは、一瞬自分の耳を疑い、「新婦さんは、そんなに飛行機に弱いんですか。」と聞き返したそうです。すると、新郎は、平然として、「いえ、彼女は学生時代からアメリカ西海岸、グアム、サイパン、ヨーロッパと飛び回っていますから、飛行機なんか平気なものです。飛行機に弱いのは母なんです。」と答えたそうです(笑い)。そこで、人事部長が、「えっ、お母さんも一緒に行くのですか。」と聞き返しますと、新郎は、にっこりと笑い、「もちろんです。」と答えたそうです。
どうです。なかなかすごいと思いませんか。「幼児化現象、ここに極まる。」といった感じがします。私は、こうした具体的事例については、普通、追跡調査をするのですが、今回の事例については追跡調査をしていませんので、新婚旅行先では、一緒の部屋であったか、別の部屋であったかまでは分かりません(笑い)。親の過保護、過干渉が、幼児化現象をもたらすといったら、言い過ぎでしょうか。あるいは、「それは、マザーコンプレックスである。」と皆さん方は、おっしゃるかも知れませんが、こうした少年自身の性格の未成熟さに、非行問題の根源があるような気がします。

(2) 学校の問題

次に、非行の原因として考えなければならないのは、学校の問題です。子どもたちが1日の3分の1を過ごすところが、学校であることを考えれば、学校にも問題があることはいうまでもありません。よくいわれていることは、教師の権威の低下と自信の喪失です。あるいは学校教育があまりにも知性主義・技術主義であって、受験勉強一辺倒の教育であるということも指摘されています。教師と児童・生徒との信頼関係の不足、児童・生徒相互間の人間関係の希薄さ等の問題であるという人もいます。
私は、安保闘争期に大学時代を過ごした者の一人ですが、当時、安保反対のデモのため、ろくに授業を受けることもできませんでした。そのころ、教師になるために教職課程を履修すると、大学側から実習生手帳というのを頂いたのですが、この手帳は大学ノートくらいの大きさで、裏表紙にことわざが書いてありました。「知識を教える者を教員と言い、魂に彫刻する者を教師と言う。」と。この言葉は今でも覚えています。
私は、外国や日本全国からのデータを集めて、このように、皆さん方に知識を披露しますから、私の身分は大学の「教員」でよいのですが、私と、小・中・高校の先生が違うのは、小・中・高校の先生には「教師」と言い、「師」がついていることです。つまり、小・中・高校の先生は、子どもたちの「魂に彫刻をする」、すなわち、「人格を陶治する」という重大な使命を負っているということになります。
小・中・高校の先生は、12月は大変忙しい月ですから「師走」という言葉が使われますが、私たち大学の教授は12月よりも、むしろ、学期末試験が終わり、入学試験がある1月や2月の方が忙しいのです。採点に追われ、入試監督をするという仕事が待っているからです。こうしたことから考えましても、小・中・高校の先生と大学の先生とは、その果たす役割が違うということが、お分かり頂けるかと思います。
極端な言い方をすれば、小・中・高校の先生方が、「読み書きそろばん」を教え、基本的な生活習慣をしっかりと身に付けさせ、人としてのあるべき姿を教えて、大学に送って頂ければ、後はわれわれ大学の教授が、あらゆる必要な知識を教えます。私の大学だけでも800人以上のあらゆる分野の専門の教授がいるわけですから、われわれの方が知識を教えるのには適していると思います。
ところが、今の教育はどうでしょうか。小・中・高校でむりやり知識を詰め込み、パンパンになって伸び切った状態で子どもたちを大学に送ってきます。さあ知識を教えようという段になって、子どもたちは、高校まで一生懸命頑張って勉強したのだから、大学では思いっきり羽を伸ばして遊ぼうと決意しているわけです。これでは本末転倒だと思いませんか。18歳にもなった子どもたちに、いまさら人としてのあるべき姿を教える、基本的な生活習慣を教えるというのでは、大学が本来持っている使命を果たすことができません。やはり、魂に彫刻するのは「教師」の役割であると思います。「鉄は熱いうちに打て」という諺がありますが、小さい頃にしっかりと人格を陶治して頂いて、自立心を養い、大学に来るときには、「このことを勉強したい。」という確固たる目的意識を持って、入学して欲しいと思います。
ところで、学校の問題で、もう一つ気になりますのは、今の学校は「スズメの学校からメダカの学校」に変わってしまったのではないかということです。私は、ちょうど「カタカナ」から「ひらがな」に変わったときに小学校へ入ったのですが、私よりも年上の人たちはスパルタ教育を受けたと聞いています。校長先生や教頭先生は、皮のスリッパを履いていて、それでビンタを殴ったようです。今なら、たちまちにして、教育委員会にかけられ、懲戒免職になるのでしょうが、私が先生に殴られたときなど、おふくろは「もう少しきつく殴ってやってください。」と先生にお願いしたくらいです。かばってくれると思っていたおふくろが、かばってくれるどころか、先生に味方するものですから、情けない思いがしたものです。
こうした「スズメの学校の先生は、ムチをふりふり、チィパッパ♪」というスパルタ教育が良いとは決して思いません。しかし、今の学校の現場を見ると、「メダカの学校」になっていて、「だれが生徒か先生か、だれが生徒か先生か♪」分からないというのでは、非常に困ると思うのですが、どうでしょうか。
たしかに、「子どもの目の高さに立ってものを教えよ、ものを考えよ。」ということは、大切なことだと思いますが、しかし、それだけで良いのでしょうか。たとえば、私が助教授時代に一緒になって友達付合いをし、遊んだゼミの学生たちは、卒業してしまったら、何の連絡もありません。ところが、教授になって、一定の距離をおいて付き合った学生は、「先生、結婚しますから、結婚式に出てください。」「子どもが出来たのですが、名前はどうしましょうか?」「課長になりました。」「家を買いました。」と、ずっと便りがあるのです。これは、私を友達であると思っている学生と、先生と思っている学生との、対応の差ではないでしょうか。やはり、教えるということは、親しい中にも礼儀のある、節度を守った教え方というものがあるような気がします。

(3) 家庭の問題

もちろん、子どもたちの1日の3分の2は家庭で面倒を見ているわけですから、家庭に問題があることは言うまでもありません。良く言われることは、親の過保護・過干渉ということでしょう。あるいはまた、両親の教育方針が不一致であることに問題があるとも言われます。それよりも問題があると思われるのは、お母さんが兄弟姉妹を比較することだと私は思います。たとえば、あるお母さんが、「お姉ちゃんは、塾にも行かせないで、家庭教師も付けないで、あんないい大学に入ったのに、あんたは何よ。家庭教師を付けて、塾にも行かせて、こんな成績では、いい大学には入れないでしょう!」と叱っているんです。その叱られているお嬢さん、お母さんとそっくりな顔をしているんですよ(笑い)。
こうした叱り方を、皆さん方はどう思いますか。もともと、お父さんの高校時代の成績と、お母さんの高校時代の成績とを足して、2で割って、子どもの成績がそれ以上であれば、「良く出来た。」と誉めてやらないといけないと思うのですが、どうでしょうか。お父さん、お母さんは、自分たちの高校時代の成績をすっかり忘れてしまって、子どもを叱咤激励する。子どもは、ある程度は親の言うことを聞くでしょうが、一定の限度を超えた場合には、親の言うことを無視して、反抗するようになるでしょう。親の持つ期待感そのものが、子どもたちを駄目にする場合があるということにも、注意して欲しいと思います。
また、家庭の問題として、父親の権威が失墜した、ということがよく言われます。たしかに、昔から子どもたちが恐いとされたもの、「地震、雷、火事、親父」のうち、「父親」だけが恐くないものになってしまいました。一家の中心である父親の権威の失墜が、少年非行の一因であることは、団塊の世代の事例を考えてみても、そうだといえるかも知れません。父親と子どもが友達となり、母親と娘が友達であるとすれば、子どもが友達の言うことを聞かないからといって責められないと思います。しかし、この父親の権威が失墜した大きな原因は、給料の払い込み制度にあると私は思うのですが、どうでしょうか。 私の家もそうですが、給料日には、皆さん方の家でも、家族が一緒に集まりますよね。夕御飯の時間に食卓に付いたとき、私が、家内に「給料入っていた?」と聞きますと、家内が「ええ、入っていたわよ。」と答えます。そして、家内が、「はい、お小遣い。」「はい、これお小遣い。」と娘たちに渡し、最後に、私に「はい、お小遣い。」と渡してくれるわけです。私は、その時、「ありがとうございます。」とお礼を言うわけですよね。これはどこかおかしいと思いませんか。お金は銀行から運ばれてくるものであり、母親が分配するものである。私の家の子どもたちは、小さい頃、そう思っていたそうです。 ここに、父親の権威を失墜させる大きな原因があると思うのですが、皆さん方はどう思われますか。昔のように、給料を現金支給制にすれば、毎月、袋の中身はいくらか分かっていても、「はい、今月の給料。」と妻に渡せば、妻は「ご苦労さん。」の一言くらいは言うでしょうし、場合によっては、晩酌のビールが1 本のところが、その日に限って2本に増えるかも知れません。子どもたちは、生活費は父親が稼いでくるのだということが分かるでしょう。そういう意味では、父親の権威が上がると思うのですがどうでしょうか(笑い)。
もう一つ、家庭の問題として考えなければならないのは、「親に自主性のない家庭」です。ここで問題とするのは、「勉強のためなら何でも許す親」です。
私は、現在、京王線の沿線の聖蹟桜ヶ丘というところに住んでいますが、以前は世田谷に住んでいました。世田谷は高級住宅地が多いのですが、私の家は、 13軒が全く同じ作りの家ですから、長屋みたいな家でした。私の家の車庫の上にある4畳半の部屋が、私の書斎で、隣の小学6年生の健ちゃんも、車庫の2階の4畳半の部屋が、彼の勉強部屋です。私が原稿を書いていると、隣の健ちゃんは「少年マガジン」を読んでいます。すると、下の方から健ちゃんの母親が、「健ちゃん、セブンイレブンへ行って豆腐買ってきて。」と叫ぶんです。健ちゃんはどうすると思いますか。健ちゃんは、少年マガジンを読みながら、こう言うのです。「駄目だよ、お母さん。ぼく今、勉強しているんだから。」家の造りが全く同じですから、健ちゃんの家の台所も、私の部屋から丸見えなのですが、お母さんは、「あら、健ちゃん、偉いわね。」と言いながら、健ちゃんが本当に勉強しているかどうかを確かめもしないで、ガスの炎を小さくして、急いで買い物に行って帰ってくるんです。この間10分はかかっていないと思います。10分間勉強を止めさせて、お使いに行かせることと、10分間勉強させることとどちらが大切なのでしょうか。一度考えてみて欲しいと思います。
私が小さい頃、おふくろにお使いを頼まれて、「哲也、これで、豆腐とにんじんとゴボウとこんにゃくを買ってきて。」と100円もらい、「豆腐ににんじん、ゴボウにこんにゃく。」「豆腐ににんじん、ゴボウにこんにゃく。」と言いながら歩いていますと、「哲ちゃん。」と声をかけられて、「はい。」と答えたとたん、何を買うのか忘れてしまい、慌てて家に飛んで帰り、「母ちゃん、何を買うんだった?」と聞くと、「おまえは馬鹿か!一回言ったら覚えなさい!」と叱られたものです。今度は、誰ともものを言わないぞ、と決意して、「豆腐ににんじん、ゴボウにこんにゃく。」「豆腐ににんじん、ゴボウにこんにゃく。」と言いながら、買い物をしたものです。もちろん、買い物をした後は、道草をしながら帰りました。
後で、自分ながらに考えたことは、「自分はおふくろの役に立っているんだ。」という誇りです。言い換えれば、お使いをさせることによって、「あなたもお母さんの役に立っているんですよ。」「あなたも大事な家族の一員なんですよ。」という、いわば家族への帰属性というものを教える絶好のチャンスが、このお使いだと私は思うんです。10分勉強を休ませても、お使いをさせるべきだと思うのですが、どうでしょうか。
もし、健ちゃんのように、勉強を優先させるという教育方針を採った場合、子どもはどのように考えるでしょうか。親は勉強さえしていると言えば、何でも認めてくれる。勉強が一番なんだと考えるでしょう。そのようにして育った子どもが、「お母さん、勉強するからこれ買って。」「100点取ったから、遊びに行こう。」というふうに、勉強を取り引きの道具にし始めたらどうなるのでしょうか。この辺りのことを、一度じっくり考えて欲しいと思います。
もう一つ大切なことは、家庭は、本来、非合理的な場所であるということです。学校のように合理的な場所ではありません。たとえば、私が、夕食後、パジャマを着て、水割りを飲みながら、オリンピックを見ていても、うちの家内はなんとも言いません。その家内が、娘がパジャマ姿で2階から下りてくると、こう言うのです。「なによ、嫁入り前の娘がパジャマ姿で居間に来たら駄目でしょう。」しかし、そう言っている家内がパジャマ姿なんですよ。これはおかしいとは思いませんか。親に許される自由が子どもには許されない。これでは、子どもは納得しないのではないでしょうか。
子どもが学校から帰ってくるなり、お母さんが「健ちゃん、宿題は?」「ピアノのレッスンは?」「塾はどうなったの?」とたたみかけて尋ねる毎日の生活で、子どもたちは一体どこで気を休めればいいのでしょうか。学校でハメを外してみた。窓ガラスを壊してみた。「先公、それほど恐くない。」と分かれば、子どもは学校で暴れることにより、ストレスを解消するとは思いませんか。学校で気にくわない奴をいじめてみた。弱い子をいじめるのは面白い、うっぷん晴らしになると分かれば、いじめが日常化するとは思いませんか。本来非合理的な場所である家庭が合理的な場所となり、本来合理的な場所である学校が非合理的な場所となってしまったところに、いじめ、不登校、ひきこもり、非行問題等、もろもろの問題が生起した原因があるような気がします。こうした家庭での問題が、学校、あるいは地域社会にまで波及するということを、われわれは今一度考えてみなければいけないのではないかと思います。
家庭の問題で、もう一つ気になりますのは、「家族に対話のない家庭」です。皆さん方にお願いしたいのですが、今度の土曜日には、夕食の時間、是非テレビを消して御飯を食べて頂きたいと思います。今、ソルトレイクで冬期オリンピックが行われていますので、テレビを見ながら食事をしたいでしょうが、どうぞよろしくお願いします。
テレビを消して食事をしますと、おそらく皆さん方は、なんとなく気まずい思いをすることでしょう。自分の女房とどういう話をすればよいのか、子どもとどんな会話をすればよいのか、戸惑うことと思います。われわれは、毎日テレビを見ながら過ごすことによって、家族との会話が奪われていることに気付かないのです。テレビを見ながらみんなで食事をすることが、一家団欒なのでしょうか。そこでは、1日の出来事について話をする機会など、ほとんどないのではないでしょうか。
テレビを切って食事をする。そうすると、お父さんは、自分の女房を見て「白髪が増えたなあ、苦労させているんだなあ。」と感じるかもしれません。お母さんは「主人は浮かない顔をしているけれど、会社で何かあったのかしら?」と気遣ってくれるかも知れません。所在無さに、お父さんは、子どもに対して「おい、おまえ、今学校でなにやってるんだ?」と聞くかもしれません。そこから、本当の夫婦の会話、親子の対話も生まれるのではないでしょうか。これは、連合の研究機関、連合総合生活開発研究所の調査結果ですが、平日両親と15分以上話をした子どもは、中学3年生でわずか5%であったということです。こうした親子のコミュニケーションの欠如が、非行の原因となっているとは考えられないでしょう。

(4) 地域社会の問題

最後に、地域社会の問題ですが、ここでは、社会の享楽的風潮が少年にもたらす悪い影響や、社会全体の規範意識の低下の問題、社会連帯感の希薄化の問題等が挙げられると思いますが、時間がありませんので、こうした問題のほかにも、アダルトビデオ、有害図書、ダイヤルQ2等の少年を取り巻く有害環境の問題、携帯電話やパソコンの普及による出会い系サイトやサイバーポルノの問題等憂慮すべき問題が数多くあるということだけを指摘しておきたいと思います。

6 非行の前兆行動の持つ意味

ところで、今日この研修会にご参加の皆さん方の検討すべき重要な課題の一つは、前非行段階での対応をいかにするかという問題です。これから皆さん方が21 世紀の少年非行の防止活動について、その指針を検討されるとき、この前非行段階での対応ということが重要な課題になってくるかと思います。
医療現場では、早くから、治療医学から予防医学への転換がみられました。病気になってから治療をするというのでは遅すぎる。病気に罹らないよう前もって対応することが大切であるという認識は、非行防止活動においても重要な視点を提供してくれると思います。コレステロールの数値が上がったら、成人病の疑いがあるから精密検査をしなさいというように、成人病に罹る前にその前兆を捉えて対応することが、皆さん方の少年保護の分野でも要求されることになると思います。今までのように、犯罪や非行をした少年をどのようにして見つけ出し、どのような保護策を展開するかという問題が、これからの皆さん方の重要な活動領域になるであろうと思われます。事件が起こった後にどうするかという、アフター・ザ・ファクト、すなわちポスト・ファクトの対応ではなく、重大な事件を起こす前にどう関わっていくかということが、皆さん方のこれからの大切な任務になるのではないでしょうか。それが前兆段階での介入という問題です。
ところで、ここで問題になっている「前兆段階」という概念は、非常に難しい言葉だと思います。アメリカではプリ・デリンクェンシー(pre- delinquency)と呼んでいるものですが、警察庁の定義がありますので、一応、ここではその定義に基づいて、「前兆段階」について考えてみたいと思います。すなわち、(1)いわゆる不良行為、(2)不良行為に至らないまでも状況により問題があると認められる行為・兆候、(3)少年が他者から攻撃・悪意ある行為の対象となっている状態が、前兆段階ということになります。
まず不良行為といわれているものについてですが、これは、少年警察活動要綱において、「非行少年(犯罪少年、触法少年、ぐ犯少年)には該当しないが、飲酒、喫煙、けんかその他自己または他人の徳性を害する行為をしている少年をいう。」と定義されており、警察の補導の対象となっているものです。そして、この場合の補導の対象となる具体的な行為としては、飲酒、喫煙のほか、薬物乱用、粗暴行為、刃物等所持、金品不正要求、金品持ち出し、性的いたずら、暴走行為、家出、無断外泊、深夜徘徊、怠学、不健全娯楽等が含まれています。
次に、不良行為には至らないまでも状況により問題があると認められる行為・兆候というのは、たとえば、暴力的なゲームソフト等への異常な執着、あるいは動物虐待等です。小動物虐待と放火癖、それに十代になっても治らない夜尿症が重なれば、凶悪な犯罪者になる潜在的な可能性があるとアメリカではいわれておりますから、動物虐待のような前兆段階で早期に対応することは大切なことだと思います。また、暴力的なゲームソフトへの異常なまでの執着は、昭和63年の東京目黒区中学生両親祖母殺害事件の場合にも、ドラゴンクエストを模範したのではないかと騒がれ、一昨年の17歳の少年たちによる一連の非行の一つである、西鉄バスジャック事件でも、インターネットや暴力的なゲームソフトへの関わりが見られたようですから、暴力的なゲームソフトへの異常なまでの執着は、前兆行動の一つとして注意すべきことではないかと思います。
また、少年が他者から攻撃・悪意ある行為の対象となっている状態というのは、いじめ、虐待を意味します。したがって、学校でのいじめや児童虐待の被害児童に対しても、前兆段階として対応する必要があるということになります。いじめられている者がいじめる側にまわるということや、虐待された経験のある者が虐待するという事実は、よく見られる現象であることを考えるとき、いじめや虐待を前兆行動の一つとして把握することは大切なことだと思います。
ところで、次に紹介するのは、警察庁が行った2つの実態調査ですが、どちらも前兆段階に関するものです。まず、「最近の少年による特異・凶悪事件の前兆等に関する緊急調査」ですが、これは平成10年1月から平成12年5月までの22件の少年事件をまとめたものです。調査結果によりますと、まず、過去に犯罪やいじめの被害を受けたことがあるということが明らかにされています。これは先ほども説明しましたように、過去にいじめを受けた経験のある者や児童虐待事件の場合には、世代間連鎖、あるいはチェーン現象が見られるということを意味します。つまり、従来から、犯罪の場面においては、被害者が加害者になり、加害者が被害者になるという事実がまま見られるのですが、こうした事実から考えますと、この調査結果は充分にうなずけることと思います。
次に、この調査では、学校等において、孤立したり、不登校、怠学、引きこもり等の経験があるということが指摘されています。これらは特異・凶悪事件の前兆行動として理解できる要因ではありますが、引きこもり少年が、必然的に凶悪犯罪者になるとか、不登校の子どもが、必ず凶悪な事件を起こすというわけではありません。ただ、こうした要因が22件の事件に共通する前兆行動として見られたということにしか過ぎません。
さらに、調査では、犯行の1年くらい前から暴力行為や粗暴行為などや、刃物の携帯・収集などがみられたことが挙げられています。この刃物の携帯は、平成 10年にバタフライナイフによる少年事件が連続して起こりましたが、あの頃から、ナイフを、自分の力を誇示するためや、身を守るため、あるいは精神的安定を得るためにという理由で携帯する少年が多くなったような気がします。このナイフの携帯・収集も、前兆段階の特徴として、皆さん方、地域ボランティアの方々の留意事項の一つになろうかと思います。
もう一つの特徴的なこととして、周囲の人に対して犯行をほのめかしたり、悩みを相談するなどの犯行の前兆とみられる言動があるということが明らかにされています。これはあの神戸児童連続殺傷事件においてもみられた兆候で、周りの人は、その時は冗談だろうくらいにしか考えていなかったようですが、後になって、「そう言えば、犯人はそのようなことを言っていた。」ということがよくあるようです。どこまでが冗談で、どこからが本気なのか分からないところがありますが、皆さん方は、凶悪な事件の前兆として、一応の対応を考えておく必要があるかも知れません。
最近の少年による特異・凶悪事件の前兆等に関する緊急調査では、さらに、動物虐待や自傷行為の経験があることが挙げられています。この点については、すでに申し上げましたので、改めて説明する必要はないかと思います。
次に、「少年による人を死に至らしめる犯罪の背景、前兆等の実態に関する調査」ですが、これは平成13年に行われたもので、平成12年中に起こった 201人の少年による死に至らしめる犯罪(殺人105人、傷害致死78人、強盗殺人18人)に関する調査です。この調査の結果を見ますと、(1)犯行類似行動が見られた、(2)犯行準備行動があった、(3)犯行のほのめかしや不審・特異な言動等を家族にもらしている、(4)自分の持つ不安や悩み、苦しみを言動等に表している、(5)刃物を携帯・収集・使用している等の前兆段階としての特徴が見られたようです。
誰かに助けてもらいたい、誰かに自分の犯行を止めてもらいたい、自分の苦しい気持ちを分かってもらいたい、自分は今こんなことを考えているのだというサインを、本人は知らず知らずのうちに出しているのでしょうが、家庭でも、学校でも、ましてや地域社会では、そうした言動に気付かないことが多く、結果として凶悪な犯罪を防ぐことができないのではないかと思います。こうした前兆行動を、いかに事前に察知して、有効な対策を樹立するかは、いろいろと難しい面もあるかと思いますが、ひとえに地域ボランティアの皆さん方の双肩にかかっていると言っても過言ではないと思います。

7 家庭、学校、地域社会での前兆行動

ところで、この前兆段階での非行問題への対応ということにつきましては、去る平成13年11月2日、abc会館ホールで行われました「第8回少年問題シンポジウム」におきましても、「21世紀を担う少年のために:見つけよう非行の兆し、手を打とう今」と題して、討論が行われました。このシンポジウムでは、私がコーディネータを務めました。間もなく全体の会議の様子が、本になって出版されることと思いますが、今日は、そこで前兆行動として挙げられたもののいくつかを、ここで紹介しておきたいと思います。
まず、家庭での前兆行動ですが、友達の名前や外出先を言いたがらなくなる、帰宅時間が遅くなり、外泊や深夜の抜け出しをするようになる、ということが考えられます。子どもが親に分からないような行動をとり始めたときには、非行の前兆段階にあると考えてよいのではないかと思います。この他にも、家族とのつながりを持とうとしなくなる、家族に隠れて電話をかけたり電話がかかってきたりする、ということが挙げられるでしょう。しかし、最近の子どもは、携帯電話を持っていますから、こうした兆候はなかなか把握しにくいかも知れません。私が座長を務めています青少年育成国民会議の「有害環境対策推進研究会」の調査では、全国708か所の少年補導センターに対するアンケート調査の結果として、少年に有害と思われる物品の中で、携帯電話が、たばこの自販機に次いで取り上げられていることを見ましても、携帯電話と非行の前兆行動の関係は、今後検討していかなければならない重要な案件になるかも知れません。
家族とのつながりを持とうとしなくなるという点については、具体的には、家族と話したがらない、食事を一緒にしない、自分の部屋に入らせない、自分の部屋に鍵をかける等のことが考えられるかも知れませんが、思春期になると、こうしたことはありがちなことですから、その判断が難しいところかも知れません。また、家庭での前兆行動として、乱暴な行為や言葉が目立ってくることも挙げられています。
次に、学校での前兆行動についてですが、学校では、たとえば、遅刻をする。あるいは欠席が増える。あるいは、授業態度が乱れて、忘れ物が多くなる。宿題をしてこなくなる。居眠りをする。このような状態が見られたら、それは、非行の前兆段階と考えてよいかと思います。もちろん、このような状態になると、成績が下がってくるでしょう。
もう一つ重要な前兆段階と考えられるものに、部活動へ参加しない日が増えてくるということが挙げられています。今まで真面目に部活動に参加していたのに、休むということは、部活動よりも面白いもの楽しいものが他にあるということを意味するでしょう。それから、服装や持ち物が変化してきて、目立ちたがるようになる。あるいは不良行為に憧れる話をするようになるという特徴も見られます。言葉使いが乱暴になって、顔の表情や雰囲気が変わってくる。ここまで来ると、非行の前兆段階にあるとほぼ疑ってもよいかと思います。
それでは、地域社会での前兆行動としてはどうのようなものが考えられるでしょうか。まず、先輩や他校の生徒とのつながりを大切にするようになるということが挙げられるでしょう。校内暴力の多くが、暴走族の先輩や、よからぬ噂のある卒業生の先導によるものであるという事実を考えるとき、この点は重要であると思われます。また、帰宅後にコンビニ等の人の集まる場所に行きたがるということにも注意しなければなりません。不良仲間ができたか、不良仲間に呼び出されているという恐れもあるからです。さらに、オートバイに乗せてもらうことに異常な興味を抱き、オートバイを運転したがる傾向を示します。こうした場合にも、非行の前兆段階として注意する必要があると言えるでしょう。

8 前兆行動に対する地域ボランティアの対応

それでは、このような家庭、学校、地域社会での前兆行動に、地域ボランティアの皆さん方は、どのように対応すればいいのでしょうか。今更改めて言うまでもなく、このような前兆行動から、直ちに犯罪や非行の発生を予測することは難しいと思います。まずは、関係諸団体において、いかなる行為が前兆段階となるのかということを認識し、各行為と非行との関連性を検討してみることが大切ではないかと思います。そのためには、関係各主体相互間の連携を密にし、連絡体制を整備し、共同対応に向けた情報交換を継続する必要があるかと思います。
データは少し古いかもしれませんが、皆さん方のような警察ボランティアだけでも、約6,000人から8,000人の少年指導委員、約60,000人の少年補導員、約1,000人から2,000人の少年警察協助員、約48万か所の防犯連絡所、約2,600から3,000の学校警察連絡協議会、約500の職場警察連絡協議会があるわけですから、これらの組織や機関が連携し、ネットワークを溝築するだけでも、相当な効果が上がるのではないかと思います。そして、その場合、少年サポートセンターを中心にして、重大な非行への前兆段階での対応策を模索すべきではないかと思います。
少年の言動から直ちに非行の発生を予知し、前兆行動であるかどうかを見定めることは難しいかも知れませんが、少年が発信しているシグナルに周囲の大人が注意を払い、相談にのったり、関係機関と連携して、継続的な指導を行うことは可能なのではないのでしょうか。そうすることによって、重大な非行の未然防止を図ることが、現実のものとなると確信致します。
もちろん、重大な非行の前兆となり得る問題行動の段階での、早期認知、早期対応に向けた少年相談活動や街頭補導活動の強化が必要であることは言うまでもありません。実際に犯罪や非行をした少年を補導することはそれほど困難ではないでしょうが、非行の前兆段階での補導となりますと、そう簡単ではないかも知れません。「何も悪いことはしていないじゃないか。」と少年が文句を言う可能性もあります。その辺りのことをどうするかは、私の領分を越えますし、皆さん方のような専門家が、具体的な場面を想定して訓練されていることと思います。
また、重大な非行への進展の防止に向けた不良行為少年や保護者等に対する指導・助言が必要であることは、今更言うまでないでしょう。どんなに時代が変わっても、どうしようもない家庭があり、そこから非行少年が生まれることも事実です。しかし、皆さん方は、あくまでも懇切丁寧に、少年や親の側にたって相談に乗り、少年の将来のことを考えて対応して頂きたいと思います。
さらに、少年事件の捜査力を強化することも必要でしょうし、テレホンクラブ、出会い系サイト等を利用した犯罪から少年を守るための広報・啓発活動を強化することも大切なことだと思います。
およそ10年くらい前から警察は、犯罪者や非行少年を逮捕し補導し検挙するという警察から、被害者を救済する、特に少年が被害者となっている場合の対応に全力を尽くす警察へと変貌しました。そして最近においては、児童買春・児童ポルノ処罰法、ストーカー規制法、児童虐待防止法、DV防止法等の制定により、民事不介入の原則を完全に放棄せざるを得ないような事態になりました。皆さん方、警察ボランティアの仕事はこれからますます増えてくるでしょうし、複雑な対応を迫られることも多いかと思います。
このように、加害者対策から被害者対策へ、そして更には、民事介入へと警察や警察ボランティアの仕事は多様化してきていますが、残念なのは、このところ、数年にわたり、警察の不祥事が続いていることです。もちろん、今問題を起こしている警察官は、ほんの一部の人ですし、どんな組織にも問題のある人は必ずいるものですが、それにしても、かつて世界一と言われた警察の面影は、はるか昔のことであるかのような気さえします。私などは、1979年にドイツの被害者学シンポジウムに出席した頃から、毎回国際会議に出るたびに、日本の警察は世界一であると自慢したものです。それが、最近の国際会議では、警察のことを聞かれると、ただただ、相手の言い分を聞いているだけと言う状態です。本当に肩身の狭い思いをしています。どうか、警察ボランティアの皆さん方には、こうしたときだからこそ、頑張って欲しいと思います。

9 21世紀の少年非行対策

ところで、これからの21世紀を展望した少年非行対策についてですが、従来の少年非行対策は、家庭と学校と地域社会が三位一体となって少年に対応する、少年を保護するといったものでした。これからの非行対策は、こうした視点からの対応だけでは不充分であると思います。たしかに、1日の3分の2を子どもたちが過ごす第1の生活空間として「家庭」、1日の3分の1を過ごす第2の生活空間としての「学校」、そして、家庭と学校を支える第3の生活空間としての「地域社会」の果たす役割は、以前にもまして重要であることは言うまでもありません。しかしながら、携帯電話やインターネットに代表されますように、子どもたちは、現在、第4の生活空間といわれる「情報空間」にどっぷりと浸かっています。平成13年4月からは、中学校のコンピュータがインターネットに接続されましたし、今年の4月からは小学校でもインターネットに接続されます。子供たちには、どのようにコンピュータを操作するかという技術だけではなく、いかに情報を収集し、その情報を選択し活用するかという能力、いわゆる「メディア・リテラシー(media literacy)」教育が必要になると思います。今後は、この第4の生活空間を考慮することなしに、少年非行対策を考えることは、もはや不可能なのではないでしょうか。
また、さらに、第5の生活空間についても、皆さん方は注目しなければならないでしょう。これは仮に「居場所的空間」と呼ぶことができるかと思いますが、この居場所的空間は、自然発生的に生まれたもので、特定の場所を持たず、それだけに外部にいる大人からは見えにくく、捉えどころのないものです。そして、対人関係はきわめて偶発的で、匿名性が高く、流動性に富むといった特色があります。こうした居場所的空間をどうするかが、今後の皆さん方の大きな課題となるのではないかと思います。たとえば、コンビニエンス・ストアの前でたむろしている少年たち、渋谷のセンター街で夜間に徘徊している子どもたち、名古屋のテレビの鉄塔の下に座り込んでいるジベタリアンたち、こうした子どもたちが、刹那的に、その場限りで作っていく空間をどのように考えるか。これは、これからの大きな問題だと思います。
皆さん方、地域ボランティアの方々が、こうした空間を排除するだけでは、問題は解決しないでしょう。排除されれば、子どもたちは、また新しく同じような居場所的空間を作るだけです。われわれ大人が、このような空間をどのように考え、子どもたちの居場所として、どのように関わって行くか、それがこれからの皆さん方の課題の一つだと思います。
皆さん方は、これから将来にわたって、非行少年への対応、被害少年への対応、前兆段階での対応等、数多くの宿題を抱えることになります。しかし、皆さん方の協力がなければ、我が国が世界で一番安全な国であるという評価は、とうてい維持していけないだろうと思います。
皆さん方に考えて欲しいのです。皆さん方は、日夜、非行少年の対応に追われ、犯罪のない明るい社会を築くために努力をしています。その努力の甲斐あって、本当に犯罪のない社会が実現したあかつきには、皆さん方は、職を失うことになります。私とて、同じです。私が望んでいるような犯罪のない平和な社会が実現した場合には、犯罪学博士などという肩書きは意味をなさなくなるでしょう。皆さん方をも含めて、私のように自分の職を失うために、一生懸命努力をするという職業は、きわめて珍しいのではないでしょうか。でも、本当に犯罪のない、皆がお互いを尊重して生活できるような社会が実現すれば、私は何時仕事を辞めてもよいと思っています。しかし、心の底では、「この世の中から犯罪がなくなることなどあるまい。」と思っているのかも知れません。
それはともかくとしまして、今日出席の皆さん方、地域ボランティアの方々への期待は、21世紀の次代を担う少年たちを、いかに健全に育成し、犯罪や非行に関わりのない少年に育てあげるか、ということにあります。そして、それは、ひとえに皆さん方の日々の活動にかかっているわけです。どうかお身体に留意されて、犯罪のない社会を築くための努力をして頂きたいと思います。長い時間、ご静聴ありがとうございました(拍手)。

プロフィール

藤本 哲也(昭和15年12月18日 愛媛県に生まれる)
略歴:
1963年 中央大学法学部法律学科卒業
1965年 同 大学大学院修士課程法学研究科刑事法専攻修了(法学修士号取得)
1969年 同 大学大学院博士課程法学研究科刑事法専攻単位取得満期退学
1970年 フロリダ州立大学大学院修士課程犯罪学部修了(犯罪学修士号取得)
1975年 カリフォルニア大学大学院博士課程犯罪学部修了(犯罪学博士号取得)

現在:
中央大学法学部教授・犯罪学博士、青少年育成国民会議講師、法務省矯正研修所講師、全国少年補導員協会顧問、日本更生保護協会評議員、文部科学省青少年問題ドキュメンテーション協力者会議委員、財団法人矯正協会理事、日本刑事政策研究会評議員

専攻:
犯罪学、刑事政策、刑法、少年法、被害者学

著書:
『Crime and Delinquency among the Japanese-Americans』中央大学出版部(1978年)
『犯罪学講義』 八千代出版(1978年)
『犯罪学入門』 立花書房(1980年)
『新しい犯罪学』 八千代出版(1982年)
『犯罪学緒論』 成文堂(1984年)
『刑事政策概論』 青林書院(1984年)
『刑事政策』 中央大学通信教育部(1984年)
『社会階級と犯罪』 勁草書房(1986年)
『犯罪学要論』 勁草書房(1988年)
『刑事政策あ・ら・かると』 法学書院(1990年)
『刑事政策の新動向』 青林書院(1991年)
『刑事政策20講』 青林書院(1993年)
『うちの子だから危ない』 集英社(1994年)
『Crime Problems in Japan』 中央大学出版部(1994年)
『犯罪学のさんぽ道』 日本加除出版(1996年)
『諸外国の刑事政策』 中央大学出版部(1996年)
『続・犯罪学のさんぽ道』 日本加除出版(1998年)
『刑事政策の諸問題』 中央大学出版部(1999年)
『犯罪学者のひとりごと』 日本加除出版(2001年)