文学部

BUN Café アーカイブ(2016年第4回開催)

2016年11月29日

2016年第4回 BUN Café アーカイブ

 

開催日:2016年11月24日(木) 15:15~17:25

テーマ:「こころ、文学、心理学」

コーディネーター:大田美和 教授

ゲスト:富田拓郎 教授(心理学専攻) ミカエル・フェリエ 教授(フランス語文学文化専攻)

会 場:中央大学多摩キャンパス3号館3階3308号室

 

 

~「大きいトラウマを乗り越えようとして表現活動を行うと、思わぬ小さなトラウマが現れて、症状が慢性化する危険がある」「誰がトラウマの大小を決めるのか? アートセラピーの可能性はないのか? 人は受け身ではなく、自ら積極的に生きることで、人として生き伸びることができる」「震災後のことをやっと語れるようになっても、まだ震災前のことや震災の日のこととつないで語れない人が多い。大小のトラウマという考え方からすると、それは自己防衛手段なのかもしれない」。心理学者の富田拓郎先生と作家のミカエル・フェリエ先生の対談に、精神科医の山科満先生も参入して、議論が深まりました。つなぐリスクと可能性、生存と死別の連続性。治療を目的とする心理学者がさまざまなものをつなぐことに慎重である一方で、生きる喜びを味わい尽くそうとする文学者は、異なるものや一見関係のないものを次々につないでいく。しかし、両者に共通するのは、感じ方も体験も異なる他者と向き合いたいという誠実な思いでした。

 

 

ゲストの選んだ<音楽>


・バッハ、モーツアルト、マーラー、ブラームス、ワーグナー
持参したCDはクリスチャン・フェラスのバイオリン、カラヤン指揮のブラームスなど。
大学時代にオーケストラでホルンを演奏

 

・バッハなら何でも。たとえばバイオリンソナタ四番(おすすめはメニューヒンのバイオリンとグレン・グールドのピアノ)
・セロニアス・モンクなら何でも。たとえば「ブルー・モンク」や「荒城の月」のリプライズ
・Bonga  :"Mona ki ngi xica" アンゴラに生まれ育ち、ポルトガルに対する独立運動によって投獄され、オランダに追放されたという経験が「壊れた」声の中に感じ取れる。

 

 

ゲストの選んだ<映画>


・『スター・ウォーズ』、『ロード・オブ・ザ・リング』、『普通の人々』
・『愛の渦』、『無防備』、『インサイド・ヘッド』、『ベイマックス』、『相棒』劇場版

 

・フランシス・フォード・コッポラ『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』
・スタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』
・マルセル・カルネ『天井桟敷の人々』

 

 

ゲストの選んだ<言葉>


悲しみは人間を真摯にさせ,理解力を深め,心を優しくさせる。――ジョン・アダムズ(米国第二代大統領、弁護士、外交官、政治学者)
Grief drives men into habits of serious reflection, sharpens the understanding and softens the heart.-- John Adams (1735-1826)

 

Ho velona fa tsy ho levona.
マダガスカル語の言葉で、翻訳するのは難しいが、"So that she may be living and not destroyed". フェリエ先生の祖父の墓碑銘であり、フェリエ先生の最新の小説(英語訳のタイトルはOver Seas of Memory)のエピグラフでもある。この文の中ではVELONA (生きている)とLEVONA(死んでいる、破壊された)というアナグラムのような対義語が対照的に配置されていて、この二つが交換可能な概念であることを示している。

 

 

ゲストの<著書・推薦図書>


・白川 美也子『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア: 自分を愛する力を取り戻す〔心
理教育〕の本』アスクヒューマンケア 2016年
・ロバート・A. ニーマイアー(編集), Robert A. Neimeyer(原著), 富田 拓郎(翻訳), 菊
池 安希子(翻訳)『喪失と悲嘆の心理療法―構成主義からみた意味の探究』金剛出版 2007年
・べッセル・ヴァン・デア・コーク(著), 柴田 裕之(翻訳)『身体はトラウマを記録する
――脳・心・体のつながりと回復のための手法』紀伊國屋書店 2016年

 

ミカエル・フェリエ『フクシマ・ノート 忘れない、災禍の物語』新評論、2014年(原書2012年、エドゥアール・グリッサン賞受賞)。

 

 

<その他お話で出てきた人物や著作やキーワードなど>


早稲田大学、大阪梅田、Twitter、天井と床がひっくり返って見えたこと、震災直後の人々の助け合い、真実(truth)、画像や動画における当事者と視聴者の間のバリア、自分から動き表現することの意味、京都、フレンチ・キス、3.11と9.11という呼称、「フクシマ」と「ヒロシマ」、フランスの読者に対して「フクシマ」という呼称を使うことの問題点、NPO “The Red Pencil”(アートセラピー)、プリーモ・レーヴィ、パウル・ツェラン、「物語」(narrative, récit)、「フクシマはまだ終わっていない」、作家の責任、意味の再構成、悲しみを抱きしめる、死者との絆など。                      

 

 

以上

 

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