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文学部
セブシティにおける貧困実態調査とボランティアおよび語学研修

文学部人文社会学科 心理学専攻 3年
野口 なな

1. はじめに

 本報告は「文学部学外活動応援奨学金」の支援を受けて行った,セブ島での語学研修と貧困に関するインタビュー調査,語学教育および食料提供活動へのボランティア参加の活動記録と感想の記録である。
 この活動の目的は,私たち日本人が貧困の実態を何も知らなければ何も考えずに,ただ楽しんで旅行するだけで終わってしまいそうなフィリピン・セブ島に注目し,光だけではないセブの影の部分を,実体験を通して知ることである。具体的には,「セブ=リゾート地」というイメージの裏に隠されているセブの貧困層の暮らしを実地に調査し,また貧困地域の子どもたちに食料提供活動や語学教育によって物資的および教育的な支援をすること,そしてそのために必要なコミュニケーションをとるのに支障のない英語運用能力を身につけることを目的としている。
 2015年8月2日から2015年9月1日までフィリピンのセブ島に滞在し,平日は語学学校で英語の勉強をし,調査や支援活動を円滑に行うための英語力(特にスピーキング力)を身につける。週末はセブシティを中心に様々な地域(タランバンやマボロドス,ピアトレスなど)でインタビューによる貧困の実態調査を行う。また,貧困地域・スラムエリアに住む子どもたちと交流し,音楽教育・日本語教育・食料提供活動などのボランティアも行う。以下に,主に貧困地域・スラムエリアでの調査とインタビューの内容および日本語教育活動,食料提供活動について記述する。

2. 活動概要

(1) 活動スケジュール

8月2日(日)日本出発,フィリピン到着,CG校(タリサイシティ,セブ)入寮,宿泊
8月3日(月)~28日(金)CG校で語学研修(平日),CG校の寮に宿泊
その間の週末8月8日(土),22日(土),23日(日)は「NPO法人セブンスピリット」の音楽教育支援活動に参加(加えて23日はピアトレスで貧困実態調査,インタビュー調査
14日(金) 学校のアウトリーチプログラム(タリサイシティ)
15日(土) アヤラモール周辺集落の調査
16日(日) マボロドスの中国人墓地(スラムエリア)訪問,インタビュー,調査(CECプログラム)
29日(土) マボロドス,New House Association(どちらもタランバン内)でインタビュー調査,食料提供活動,子どもたちと交流(CECプログラム)
8月30日(日)CG校退寮,「NGO団体 DAREDEMO HERO」の宿泊施設に移動,30・31日は同団体の教育ボランティア活動や食料提供活動,マザー=テレサハウス訪問や貧困地域調査に参加,同団体の施設にて宿泊
9月1日(火)フィリピン出発,日本到着

(2) 主な活動地域

 宿泊先の寮は,セブシティからは少し離れたタリサイシティにあった(セブシティ中心から約30分)。ボランティア活動への参加地域は,主にセブシティ内のコロンストリート(NPO法人セブンスピリット所在地)およびマボロ・ピアトレス・イナワヤンなどタランバン(NGO団体DAREDEMO HERO所在地)が中心であった。また,学校のアウトリーチプログラムに参加するため,同月14日のみ学校周辺の地域(タリサイシティ)で活動に参加した。

3. 活動報告

(1) リゾートホテルから見るセブの光の部分
図1 プランテーションベイのホテルとプール(友人撮影)

図1 プランテーションベイのホテルとプール(友人撮影)

 まず,多くの人がイメージしやすいであろうセブの光の部分を,リゾートホテルを例にして見てみる。ここでは,セブの都会にあるリゾートホテル「プランテーションベイ リゾートアンドスパ」に行った友人から伺った話も含めて紹介する。

図2 ホテル内の料理(友人撮影)図2 ホテル内の料理(友人撮影)

図2 ホテル内の料理(友人撮影)

 セブに観光・旅行目的で来る日本人は多い。実際に,このホテル内にも日本語で書かれている案内地図があり,プールなどパーク内ではフィリピンにいるにもかかわらず日本語がよく聞こえてくるそうだ。セブシティや空港があるマクタン島など有名な観光地域に置かれている他のリゾートホテルにも,多くの日本人が訪れているらしい。
 旅行は娯楽であり,せっかく外国まで行くのだから過ごしやすい場所で美味しい食べものを食べると言うのも大切な楽しみの一つである。しかし,それだけがセブ島だと思っては間違いであろう。例えば,旅行ガイドブックや旅行会社のパンフレットに載っているような情報には,当然セブ島の貧困事情やストリートチルドレンのことは記されていない。そもそも,そのような危険なエリアには旅行として行く必要はない上に,易々と推奨することもできないからだ。そのような旅行者向けの本を読むことで,セブ島のきれいで明るい部分は知ることができる。だが,セブの言ってしまえば汚くて暗い部分は知る術がないのである。よって,旅行や観光,遊びも含めた語学留学としてセブ島を訪れる場合,セブの本当の姿を知らずに終わってしまう可能性が大きい。リゾート地としてのセブ島を訪れる日本人旅行客は多いが,良い面ばかりではないということを理解し,以下に報告するようなセブの隠されている面にも目を向けてほしい。

(2) 貧困の現状

 以下は,2015年8月23日に参加したNPO法人セブンスピリットによる講演の内容およびピアトレスで行ったインタビュー,語学学校の先生に伺った話も参考にしている。

(ア) フィリピン全体において

 フィリピンの人口は,昨年の時点で約1億10万人に達しており(UNFPA,2014),10年後には日本の人口を超えると予想されている。フィリピンの国民の約90%はキリスト教を信仰しており,その宗教観から子どもは授かれば必ず産んで育てる,という考えが多くの家庭に根付いている。それゆえに,たとえ彼らが一人の子どもを育てるのに十分なお金を持っていなくても,多くの子どもを産み育てるということは普通であるようだ。
 だが,フィリピンの合計特殊出生率(女性一人当たりが生涯に産む子どもの平均数)に注目したい。合計特殊出生率を所得階層別に見ると,最貧困層20%に属する世帯では未だに6.5と高水準に留まっているのに対し,最富裕層20%では2.1までに低下している(厚生労働省,2009)。子どもが多ければ多いほど家計支出は当然多くなる。合計特殊出生率の格差から,フィリピン全体の貧富の差が大きいことも想像できる。
 経済においてもフィリピンの発展は著しい。だが,その一方で貧困率が高いことも注目すべき事柄である。人口の41.5%は1日2ドル以下で暮らし,18.4%が1.25ドル未満で暮らす「絶対的貧困」(または「極度の貧困」)の最中にいる。また,1ヶ月に1家庭1400ペソ以下で暮らす人は,全人口で24.9%,4人に1人の人が「相対的貧困」に陥っている。経済発展を遂げても,貧困層の割合は最近6年間変化していない。

(イ) セブにおいて

 リゾート地・急成長都市と言われているセブでも,貧困は他人事ではない。むしろ,観光客が最も集中するセブシティのほんの一部とその他地域の間に大きな貧富の差が存在しているほどである。都会セブシティを訪れる人々は観光やサービス目的の他に,最近では英語留学目的でやってくる人も増えてきている。世界から求められているその需要の大きさから,店のスタッフや語学学校の先生など多くの仕事が存在し,一見すると豊かな地域のようである。だが現実はそうではない。豊かに暮らせるのはほんの一握りの富裕層であり,大多数の住民が貧困に陥っているという現状を忘れてはならない。
 次に事例を挙げて,貧困層が就いている仕事を見る。セブンスピリットで支援を受けている11歳のAさんの家庭では,父親が港で出迎えのサービスでわずかな収入を得ている。仕事内容は,船から降りてきた客の荷物を運ぶというものだ。その時にもらえるチップが唯一の収入である。日によるが,1日に50ペソから200ペソくらいまで稼ぐことができる。しかし,台風の影響により船が欠航して仕事がなくなる日もある。収入が不安定な上に一度に多く稼ぐことはできないが,その仕事を本業とするしか生活する術がない。
 大学卒業が必須条件である語学学校の先生について見てみる。語学学校のある女性の先生にインタビューを行った。まず,先生として働いていても収入は少なく貧しいので,毎日暮らすのに精一杯だ,それなのに政府は助けてくれないと真っ先に話していた。その貧窮さがわかる事柄の一つに,学校の先生が韓国人および日本人留学生と外食する際,先生はタクシー代も含め一切代金を支払わず,留学生たちに全額支払わせるという暗黙のルールがある。これは珍しいことではなく,フィリピンの先生たちにとっては当たり前らしい。大学を卒業し難関の英語試験を突破して語学学校の先生になれたとしても,給料が安くて貧困から脱却するのは困難であるというのである。
 同語学学校のある男性の先生にもインタビューをお願いした。彼は具体的な月給を教えてくれた。月7400ペソの給料をもらっているそうだ。7400ペソというのは,日本円でいうと約2万円である。当然物価が違うので日本円に換算しても単純に比較できないが,場所によっては家賃が2000ペソもしたり,光熱費が高かったりと生活費以外の出費は大きい。また彼によると,その月給で毎日暮らすことはできるが貯金することは到底できないので,もし病気を患ったときや子どもが産まれたときは不安だと言っていた。さらに,先生によっては夏期限定の契約講師であるため,1年を通して月ごとの収入に波がある。
 語学学校の先生の生活状況について述べたが,大学に通えるだけの経済力を持った家庭に生まれたとしても,将来裕福な暮らしが保障されているわけではなさそうだ。大学卒業の肩書きがあっても高収入を得ようとするのは難しく,ワーキングプアに陥ってしまう。だがそうであっても,語学学校の先生は最初に述べたAさんの家庭と比べると生活は安定している。両者に共通しているのは,どちらも生活が厳しても国からの援助は一切受けていないことだ。厚生労働省(2009)によると,フィリピンにおいて年金および医療保険といった社会保険制度や障害者,高齢者,児童等を対象とした社会福祉サービスは政府関係機関や地方自治団体を通じて供給されているようだが,貧困層への生活保護制度は知られていない。インタビュー中に先生が「国は助けてくれない」と言っていたのは,貧しくても生活保護を受けられないからということであろう。
 また,仕事をしていても十分な収入を得られないことと関連して,そもそも正社員として働くことができる人の割合が少ないことが挙げられる。セブ市法定最低賃金は1日8時間働いて345ペソ(約885円),時給に換算すると日本円で約110円として定められているが,これは正規雇用の場合のみ適用される。非正規雇用で働いている場合でも,法律上は6ヶ月以上働き続ければ正規雇用として認められる。だが,セブンスピリットの永田さんによると,企業側は上手くこの法律を逃げていて,5ヶ月連続で働いたら1ヶ月休暇をいれ,その後再び5ヶ月働いてまた1ヶ月休ませる,ということをしばしば行っているそうだ。この事実もまた,ワーキングプアが増える理由の一つと考えられる。

(ウ) 教育と貧困

 フィリピンの教育制度は日本と大きく異なる。日本でいう小学校にあたる初等教育が6年間,日本でいう中学校にあたる中等教育(現地の人は高校と呼んでいる)が4年間,そして高等教育として4年制の大学が設置されている。ストレートで大学を卒業できれば20歳で卒業なので,日本より2年早くが学校教育を終えることになる。つまり,教育を受ける期間が2年間少ないのである。
 ビサヤ諸島(セブ島を含む)では,初等教育である小学校入学率が86.0%に対して卒業率が75.0%,さらに中等教育にあたる高校の入学率が57.3%に対し卒業率が52.9%と約半数の子どもたちが中等教育まで十分に受けられずに成人する。これらの入学率は,フィリピン全体の平均と比べると,やや低くなっている(フィリピン全体の平均初等教育入学率88.2%,中等教育入学率61.4%)。  子どもたちが学校に通えない要因として,経済的な要因がある。公立学校は,学費は無料であるが,学校に通うために必要な学芸品(鉛筆やノート,体操着など)を購入するためのお金を支払えないことで,入学を却下されてしまうのだ。学芸品を購入するために必要な費用は,公立学校でも年間およそ570ペソ必要であり,これは貧困層の家庭が支払うのには無理がある。
 また,学校に通う以前に日々暮らしていくだけの生計が立てられないため,子どもが家の家事やきょうだいの子守り,時にお金を稼ぎに行かなければならず,学校で勉強する時間がないことも要因として挙げられる。セブシティに向かうタクシーに乗っていたとき,2人の子どもが「100ペソちょうだい」と車の窓をトントン叩いてきたことがあった。このようにタクシーの乗客に物乞いをしてお金を得ている子どもたちは珍しくない。他にも教会を訪れる外国人観光客を狙うことや,「子ども」であることを利用して他人に同情を買わせ,お金を与えてもらうようにと彼らの親が仕向けて故意に物乞いをさせていることもよくあるそうだ。家計を支えるために子どもが物乞いせざるを得なかったり,場合によっては家計が苦しくて家族で一緒に暮らせなくなり,やむを得ず一人出稼ぎをしなければならない子どもたちもいるのだ。
 よって,国の政策上は男女関係なく子どもたちに教育する場を提供しているようだが,家庭の経済格差によって学校に通える子どもとなかなか通えない子どもがいて,富める者は富み貧しい者は生涯貧しいという現状は,現在の国の政策では打開できていない。また,何とか大学まで勉強を続けられたとしても,その後無事に就職できるとは限らず,正規雇用で安定した収入を得られるとも限らない。収入はわずかであり,貯金ができるほどでもないので,国民の大多数である貧困層はそこから脱却することは難しいのが現実だ。

(3) アヤラモール周辺(マボロの集落)の調査

 次のアヤラモールもまた,セブに訪れる観光客であれば誰もが注目する買い物スポットであるだろう。セブシティの中でも有名で巨大なショッピングモールであり,その店内には,フィリピンの物価を考えれば比較的値段の高めなブランドショップや飲食店が多く並んでいる。モール内は,日本のショッピングモール並みにきれいであり,店内に来る客は路上で見かける人たちよりも小奇麗な服装をしている。それもそのはず,モール内に入るときには必ず警備員による荷物チェックと入店にふさわしい人物か否かという判断がなされているからだ。このチェックで,明らかに持ち合わせのない人などは入店を拒否されている。強盗など犯罪を防止するためだと考えられる。

図3 アヤラモール入り口付近 タッチパネル式モール案内も設置されている。

図3 アヤラモール入り口付近 タッチパネル式モール案内も設置されている。

図4 アヤラモール内の様子

図4 アヤラモール内の様子

 この高級感あふれるモール内だが,モールを出て徒歩5分圏内の場所にはマボロ集落があり,その地区はとてもきれいな場所とはいえない。そこではゴミが不適当に捨てられ,物凄い異臭を放っていて不衛生であった。トイレなど下水道の設備も整っていないので,垂れ流し状態で,草むらなど放尿することがよくあるそうだ。アヤラモールの中と外というこれほど近い場所で,こんなにも環境の整い具合に違いがあるものだとわかった。

図5 アヤラモールのすぐ近くの様子。奥のほうに男性と鶏がいる。屋根があり住居らしい小屋の中には,洗濯物や鍋など生活用品があった。ここで暮らしていると思われる。

図5 アヤラモールのすぐ近くの様子。奥のほうに男性と鶏がいる。屋根があり住居らしい小屋の中には,洗濯物や鍋など生活用品があった。
ここで暮らしていると思われる。

図6 同じくアヤラモールのすぐ近くの様子。ごみが奥の方まで捨てられていて,強烈な異臭を放っている。

図6 同じくアヤラモールのすぐ近くの様子。ごみが奥の方まで捨てられていて,強烈な異臭を放っている。

(4) マボロドスの中国人墓地

 この地区は,中国人移民がかつてつくった墓地で貧困層の家族たちが暮らしているスラムエリアである。何も知らない日本人が一人で行くのは大変危険なエリアである。今回は,現地でボランティア活動をしているCECジャパンネットワークの池頭さんと現地コーディネーターのデックスさん,デュインさんと同行することができた。
 このマボロの中国人墓地に,多くの家族が「強制的に」移動を開始したのは,10年ほど前である。先に見たアヤラモールだが,それが建設される以前は多くの人が住んでおり,その地域はスラム化していた。アヤラモール建設に向けて,住民がいるにもかかわらずフィリピン政府はその周辺の整備を強行し,住民たちをマボロの墓地に追いやった。強制的に連れてこられた人々は,またその墓地でもスラム街を形成し始め,現在に至る。
 かつての中国人移民は,自分たちの祖父母に尊敬の念を込めて,そのマボロ地区に高級な墓を立てた。たしかに,実際に見てみると,その墓地は作られてから何十年経っていても多くの石棺は脆くなっておらず,かなりしっかりしていた。訪れた日は台風の影響で大雨が降り,空気がよどみ地面はぐちゃぐちゃになっていたのだが,そのような状況であっても多くの石棺は光沢があって,立派に見えてしまうほどだった。
 しかし,住む人が自ら取り除いていなければ,実際はその中に遺体が入ったままである。これでは衛生的にあまり良いとは言えないだろう。政府はそこに人々を移動させたが,この石棺以外は何も用意せず,ただ石棺が中心に置いてあるだけの墓地を家として提供しただけであった。そこに暮らす人々はそれをテーブルのように使い,キッチンとして使い,寝床として使い,時には洗濯物をたたむ場所として使うなど工夫して生活をしている。
 当然,元が墳墓なので外からは筒抜けである。訪れた日のようなひどい雨が降ったときは,雨漏りや洪水が頻繁に起こる。また,地盤がゆるい上にごみや生活排水,し尿なども垂れ流しあるいは近くの川に流してしまうので,雨の日は特に足場が危険になる。実際に歩いていて感じたことは,積水の量や臭いが普通でないことだった。
 そこに住む人々は,見知らぬ日本人が入ってきてもとても親切に接してくれ,ニコニコと微笑んでくれた。もちろん,それは池頭さんや2人の現地コーディネーターの方と同行することができたからであって,池頭さん方も一人でこの土地に入ると危険だとおっしゃっていたが,住人たちがよそ者を排除しようとしているようにはあまり感じなかった。むしろ,小さな男の子が腕にしがみついて甘えてきたり,一緒に遊びたがってくれたり,他の人々も笑顔を見せてくれたり,帰り際は手を振って送ってくれたほどであった。他のエリアに訪れたときも感じたが,日本では見知らぬ人が突然やってくると少なからず不審に思うが,フィリピンでは温かく迎えてくれるような気がする。それは,文化差であるかもしれないし,彼らがボランティアなどでやってくる外国人に慣れているからかもしれないと考えることもできるが,短い時間であれば彼らの住んでいるエリアに入ることを嫌に思う人は少ないように感じる。
 だが,多くの人は明るく,子どもは遊んでほしいというようにまとわりついて接してくれるのだが,もちろん子どもも含め皆が皆そうではない。接してくれている人々は積極的に家の中から出てきている人だけといってもよいかもしれない。スラム街の奥の方の家をちらっと覗くと,必ずしも愛想よく返してくれるわけではないし,少し睨んでくる人もいる。他のエリアでも時折感じたが,支援活動はこちらの希望や厚意だけでは成立せず,場合によってはありがた迷惑となる可能性も大いにあるだろう。
 このマボロ地区のスラムエリアに限らないのだが,セブアノ語以外でコミュニケーションを取れない現地の人も多いので,なかなか深いところまで話すことが難しいときもある。だが外国人がその土地を訪れたということを,その土地に住んでいる人々に興味があり,何か支援したいのだというサインとして受け取ってもらえたら大変ありがたいことである。さらに,可能であるなら一度きりではなく何度も訪ね続けて興味を示し続けることが必要だろう。彼らが援助されることに対して,例えば「何か後ほど搾取されるのではないだろうか」というような猜疑心を持つかもしれないからだ。彼らが持っているかもしれない猜疑心や不信感を拭うためにも,幾度と訪問することは重要な行動であろう。

図7 石棺を中心とした家

図7 石棺を中心とした家

図8 家の概観

図8 家の概観

(5) ピアトレス

 ピアトレスは,セブシティのコロンストリートからジプニーで約10分行ったところに位置するスラムエリアだ。今回は,ピアトレスをNPO法人セブンスピリットの方々と見学し,そこに通うインジュンくんという11歳の男の子の母親にインタビューをして,スラムでの生活の様子や音楽を習ってから子どもがどのように変わっていったのかなどを伺った。

(ア) スラムエリアの様子

 まずそのスラムエリアに入ってすぐのところに,大きな川があった。住民はその川に生活排水やプラスティックのごみなどもすべて流してしまうので,ものすごく不衛生で川から異臭が放たれているが,ここで泳いで遊んでいる子どももいると聞いた。地域の人にとっては,不衛生だという認識は薄いのだろうか,またはごみが川の奥の方まであるくらい多いので手のつけようがなく,諦めて放置してしまっているのかもしれない。
 セブに限らずフィリピンには,大型ショッピングモールやスーパーマーケットがある都会から少し離れた,庶民が住んでいる場所に数多くの屋台のような店がある。現地ではそれを「サリサリストア」という。そこでは洗剤やお菓子,飲み物,タバコなど生活品,雑貨品が購入できる。このスラムエリアにもサリサリストアがあり,それは住宅と住宅の間に置かれているので便利であり,住民はそのエリアから特別よそへ出かけなくても事足りてしまう。

図9 ピアトレスにある川 奥の方までごみが流されている

図9 ピアトレスにある川 奥の方までごみが流されている

 学校に通うことのできる子は,15分ほどの距離を歩いて学校に通っている。しかし当然,経済的な事情で学校に通うことのできない子どももいる。自分の住まいから外に出て新しいものに出会うことや,学校での学びによる刺激を得る機会がないということは,子どもにとって大変辛いことだろうと想像した。後のインタビューでも出てくるが,以前は友達に暴力を振るい,親が言うことは全く聞かず,感情を上手くコントロールできない自分の子どもに困っていたという母親もいた。この環境が要因で荒れてしまうのは,きっと彼女の子どもだけではないだろう。貧困によりスラム化したエリアに身を置くことは,経済的な問題で教育にアクセスできないという表面的な部分に影響を及ぼしているだけでなく,子どもたちの精神的な未熟さや不安定さ,暴力行動の激化など内面的な部分にも多大な影響を及ぼし得ると考えられる。
 このスラムエリアには,敷地面積が狭いにもかかわらず家屋が約1000世帯あり,大きな道路と隣り合わせで接している。日本のように歩道と車道には分けられていない。ピアトレスに住んでいる子どもたちの多くは遊び場としてその道路を使い,毎日長時間平然と居座っている。一方,その道路では自動車やトライシクルなど車の通りは少なくない。それゆえに,夢中になって遊んでいる子どもが走っている車に気付かず,交通事故で亡くなってしまうことも多いと聞いた。家と道路が直面している上に交通整備および交通規制がなされていないので,非常に危険である。

図10 ピアトレスの町並み

図10 ピアトレスの町並み

(イ) 母親にインタビュー

 NPO法人セブンスピリットに通っている11歳の男の子インジュンくんの母親にインタビューをした。13人家族で,子どもは7人いると言っていた。一番下の子はまだ小さく,インジュンくんの母親はその子を抱きかかえながらインタビューを受けていた。
 家は2階建てだが,部屋はそれぞれ一つずつしかない上に,1階は調理場となっているので実質2階のみで生活している。1階と2階を合わせても,13人が横たわって寝るにはスペースがとても足りない。解決策としてベッドの下で寝るか,座って寝て一夜を過ごすしか方法がない。雨のひどいときは浸水により1階では寝られなくなってしまうので,どれほど狭くても2階で皆寝なければならないそうだ。
 女性は洗濯物を洗うことでクリーニング屋のような仕事をしてお金を稼ぐことができる場合もあるようだが,収入は安定していない。インジュンくんはなんとか学校に通うことができるが,子どもが7人いる上に公立学校でも学芸品のお金がかかるので,学校に行かせることは大変だと話していた。
 2年前の大きな台風の話も伺った。セブはマニラほどの被害は受けなかったが,家屋はそれほど頑丈でない上に古いため,損傷がひどく1週間ほどは道路で寝ることになったそうだ。
 ところで,この住宅で暮らすには,家賃や光熱費などを含め1ヶ月2000ペソも掛かると聞いた。だがこの金額はもちろん彼らにとって大金であり,毎月払うことはできない。だから,ほとんどの家は電気を違法でどこかから上手く引っ張ってきて,光熱費を浮かせているらしい。完全に違法であるが,法律をきっちりと守っていてはとても生活できないほど貧窮しているとも捉えられる。
 インジュンくんが音楽を習ってから何か変化がみられたか,話を伺った。彼の母親は,彼が音楽教育を受けてからきちんとルールを守れるようになり,以前までと明らかに変わったと話していた。昔は言うことを聞かず,順番を守って待つことができず,すぐに暴力を振るい騒ぎ回っていたそうだが,最近は友人が遊びにきたら飲み水やバナナを切って振舞い,順番を守るようになり,必要なときに静かに待つことができるなど,周りのことも考えられるようになってきたそうだ。楽器を演奏して一つの曲をみんなで作り上げるというオーケストラの特徴が,よい効果をもたらしたのだろう。音楽教育は,子どもが協調性や自立性,社交性を身につける手助けになると期待できる。
 インタビューの中で,失礼だとは思ったが,子どもを学校に通わせるのに十分な資金がないのにもかかわらずなぜ子どもをたくさん産むのか,と質問したことがあった。返って来た答えは,宗教的な価値観に基づいているものだった。彼の家族はキリスト教を信仰しているので,子どもを授かれば当然出産するし,家族が増えて一緒に暮らせるのは喜びだと話してくれた。自分が辛いときでも,家族が居るから決して一人ではないし,たとえどんなに貧しくて学校で学べなくても,家族が居るから幸せだと度々言っていた。さらに彼女は,フィリピン人の多くはキリスト教を信仰しているので国全体で自殺率はかなり低く,一人ひとりは貧しいながらも本当に困っている人には助けを差し伸べ,放っておくことができないのだと言っていた。
 これを聞いて,子どもを産むなら育てるだけのお金が必要であり,教育費が不十分であるなら子どもを育てるのは困難だとすぐに考えてしまう知見の狭さと合理性だけを求めた価値観が少し情けなくなった。同時に,彼らにとって教育とはどの位置にあるのだろうか,重要度はどのくらいなのかと疑問に思った。もちろんこの価値観の違いは,個人差だけでなく文化差,宗教の違いが関係しているだろう。だが,実際にこちらから経済的な援助をするといっても,子どもを学校に通わすことを許してもらえず,無料で行っている1日数時間の音楽活動でさえ許可してもらえないこともあるそうだ。これは,親の理解や協力が得られないゆえに起こっていると考えられる。勉強するくらいなら家のために働いてほしいと言う母親もいるし,家で宿題をしていたら父親に殴られたと訴える子どももいると聞いた。
 インジュンくんの母親は音楽活動に参加する意味や価値を信じていたので,彼は無事に通うことができ,自分のソーシャルスキルも高めることができた。だが,一般的に親が教育を受けてこなければ,その必要性や価値がわからないだろう。大学まで教育を受ければ必ず出世できて貧困から脱することができるという保障はないが,教育を受けなければ絶対に貧困からは脱することができない。まずは,それを多くの親が理解する必要がある。こちらが厚意で教育をしたい,教育によって生きる力を身につけて自立させたいと思っていても,現地の人の協力との理解なしでは当然成立しない。理想だが,教育の効果を理解してもらい価値観を共有することができれば,経済的な支援と教育を受けられる環境の提供が最大限に効果を発揮でき,発展途上国においての教育的支援としてふさわしいだろう。

(6) 日本語教育

 NGO法人DAREDEMO HEROでの活動の一部を報告する。現地に滞在するスタッフの中山さんと山本さん,現地コーディネーターのロナさんの支えもあって,到着したその日からそこに通う子どもたちに授業をすることができた。

図11 使用した教材の一部

図11 使用した教材の一部

 当団体は,大きく分けて3つの支援を貧困層の子どもたちに行っている。1つ目は奨学金の給付,2つ目は昼食の提供,そして3つ目は英語や道徳などの授業の他に日本語の授業を行っていることである。以下,それらの支援について見ていく。
 当団体が設けている学習場には,貧困層の子どもたちが通っている。彼らの中には,かつて貧困のために学校に行くことができない生徒がいた。奨学金は,学費が不十分なために学校へ行くことのできない子どもに対して給付しているものである。
 次に,学費を支援されて学校に通えたとしても,持っていく昼食がないのでお腹が空いてしまい,勉強に集中できないと訴えていた生徒も以前はいた。空腹のため勉強に対する意欲が湧かず,授業についていけなくなった結果クラスメートからいじめられたという生徒もいた。空腹で勉強に集中できないのを避けるため,山本さん方は当団体に通う子どもたちに昼食を無料提供している。家庭または学校においても十分に食事を摂ることができない子どもの空腹を満たし,勉強に対する意欲と集中力を持続させることは学校での成績向上にも繋がる。最も低次の欲求である生理的欲求をまず満たさないことには,勉強による自己実現は難しい。(5)(イ)の内容でも述べたが,教育を受けることに対する親の理解が得られにくいのも,自己実現の欲求よりもまず生理的欲求,勉強よりも食事,寝床,それを得るためのお金が切に必要だからであるだろう。その点で,食事提供により第一階層の欲求をクリアしてから授業や勉強に注意を向けさせるというのは,大変効率的である。
 最後に,日本語の授業について見る。日本語教育を行うことの意義は,外国語としての日本語を身につけることで,子どもたちの自己効力感を高めるためであるといえる。いじめられたことで,自分は何をやってもだめだと感じてやる気をなくしてしまう子どももいた。それを見て,山本さん方はフィリピンの子どもたちがほとんど学ぶ機会を持たない日本語を勉強して話せるようになることで,彼らに自分にもできることがあるのだと自信を持たせ,勉強に対する動機づけを高めさせられると考え,日本語教育を始めたそうだ。子どもたちの日常で日本語を使う機会はほぼないが,自己効力感を高めるという点において意味のある支援である。
 授業を行うにあたり,まず教材作りから始めた。前回までの日本語の授業では,月の名前(1月,2月など)と日にちの読み方(ついたち,ふつかなど)を勉強したようだった。日にちの読み方は変則的で難しいので,その復習と新しい学習事項として曜日の名前を授業で扱うと決めて教材作りをした。
 授業を振り返って,大きく分けて2点気づいたことがある。1点目は,生徒間の理解度の差である。生徒の年齢は様々で,小学1年生から中学(現地では高校と呼ぶ)2年生くらいまでの子どもが同じ場所で同じ授業を受ける。その結果,理解度にバラつきが出てしまう。例えば,ほかの授業で小学1年生くらいの女の子が「わからない」と言って拗ねて甘えてきたが,年齢差が広がれば広がるほど若い学習者は不利になることがあるだろう。
 2点目は,日本語を教材として取り扱うことは必ずしも必要ではないだろうという点である。今回はシンプルな内容で英語でも説明しやすかったので問題なかったものの,より高度な内容を授業で行う場合はより高い英語力が必要だと感じる。一方で,単純に英語力だけでカバーできるものではないだろうとも思う。例えば,日本の文化や漢字などを日本語の授業として英語で説明するとき,日本語の表現にぴったりな英語表現は見つからない可能性が高く,文化圏の異なる子どもたちに理解してもらうことは難しいかもしれない。そのとき,いくら英語でより多くの単語を知っていたとしても,子どもたちが内容を理解し学習に対して興味が湧くものでなければあまり役立たない。そもそも,フィリピンでは英語は第二外国語として小学校から学ぶものであり,子どもたちも難しい単語や表現は知らない。日本語の勉強をすることは,自己効力感を高めるという目的に対する手段であるが,果たして日本語でなければならないのかと言ったらそうではないだろう。教材として取り扱う内容にも注意を払えたらよいと思った。
 上記の2点について考えたが,それを踏まえてもやはり子どもたちの自己効力感を高めることを第一の目標として掲げていることは重要である。生徒観を意識して目の前の子どもたちの実態に即した教育をしなければ,それは教育を受ける側にとってはただの強制である。教壇に立つ場所がフィリピンであろうと日本であろうと関係なく,生徒に合わせて授業内容の設定をすることと,子どもの知的好奇心を刺激するような授業を展開することは教育をする側にとって必須事項であろう。それは,結果的に子どもの自己効力感を高めることに繋がっていく。

図12 授業の様子 当日の生徒数は約20名

図12 授業の様子 当日の生徒数は約20名

(7) 食料提供活動

 (6)で述べた子どもたちも含め,貧困層の子どもが毎日十分に食べられなくて空腹に耐えているということを考えると,たとえ学習環境をきっちり整えたとしても,身体がそれに応えられなかったら非効率的であり,意味をなさない。教育活動をする以前に,さらに親の理解を得ることよりも前に,まずは貧困層の子どもたちの空腹を満たしてあげることが第一条件である。
 だが当然,彼らの経済状況では十分な食事を摂ることは難しい。そこで,ボランティアとして食料供給の支援が行われている。今回,セブシティのNHA(New House Associationという強制移動地区)とスラム街に行き,食料提供活動に参加した。
 食料提供活動(フーディング)による支援は,ボランティアとしては行いやすいこと,またボランティア活動をしたい外国人,特に日本人がパフォーマンスのように,イベントのように行うことができてしまうという面を持つ。支援としては一時的であるものが多い。

図13 NHAでのチキンライスの食料提供活動

図13 NHAでのチキンライスの食料提供活動

 また,提供する食事の質や栄養バランスはあまり考えられていないと思われる。屋外で食事を提供する場合,簡単に提供できるものに限られているので,チョコレートとお米を混ぜたものや野菜の入っていないチキンライスなど,栄養バランスがかなり偏っているものを提供することになる。とりあえず空腹を満たせばよいと言わんばかりのメニューなので,同じものを長期的に与えていると病気や肥満を引き起こす要因にもなるだろう。実際に貧困地域の両親や子どもで,安く買えるお米だけを毎日食べていたら病的な肥満になってしまった,という例はよく見られる。食料提供活動は貧困地域の人々にとってはありがたいものだろうが,その質についても考慮すべきだろう。

図14 それを待つ子どもたち

図14 それを待つ子どもたち

図15 スラム街でのチョコレート飯の提供活動

図15 スラム街でのチョコレート飯の提供活動

4. まとめ

 2015年8月から約1ヶ月,フィリピンのセブ島で大都市でもあり観光・リゾート地でもあるセブシティを中心に,貧困の実態調査とボランティア活動を行ってきた。
 実際に目にした貧困の様子は,旅行のパンフレット等に載っているような華やかなセブのイメージとはかけ離れていたものだった。かつての中国人墓地やピアトレスのスラム街を見ると,ごみや生活用水がそのまま垂れ流されており,衛生環境は劣悪だった。また,大家族でスラム生活を送っている人が大半で,その多くの子どもは学校に通えないか通えていても勉強が十分にできる環境にないとわかった。
 ボランティア活動においては,語学学校に通っていた成果もあって現地コーディネーターや現地の人,子どもや語学学校の先生にインタビューする際もほとんど支障なく話すことができた。また相手の話している内容も十分に理解できた。
 貧困実態調査と現地でのボランティア活動を通して,私たちが外からできることは,一時的な支援(フーディングなど)と永続的な支援(教育)だと考える。フーディングなど食料を提供する方法は空腹に対しての応急処置であり,たとえそれが継続的に行われたとしても根本から貧困を解決することにはならない。長期的で根本的な支援は,貧困層に自立できるだけの能力をつけさせることであると考える。もちろん,フィリピンの貧富の格差を助長しているのは,国の制度や政治家であるといえる。だが,もし実力をつけた貧困層から国の政治的トップが台頭すれば,国民の多数にとって理不尽な現在のフィリピン政治を変えるチャンスにもなり得る。その点で一時的な援助ももちろん必要だが,真の貧困解決に向けた援助をするならば,やはり教育による支援が欠かせないだろう。
 教育による成果が見られるのは大変時間がかかるだろう。しかし,それによって多くの貧困層から知識人が生まれ,国家の仕組みが変わり,貧困層の生活水準も向上すれば,格差によって苦しむ人は低減する。さらに,フィリピンという国家全体の能力が上がり,世界にも台頭してくるだろう。
 今回,「リゾート地セブ」という光の部分ではなく,「貧困地セブ」という影の部分に着目して調査した。この報告書によって,多くの日本人が抱いているであろう「セブ=リゾート地」という明るいイメージに疑問を投げかけ,そうではないセブの暗い事実も存在しているということをより多くの人に知ってもらいたいと思っている。この両面価値性を知ることで,セブに対してポジティブなイメージを抱いていた人はセブに対する見方が少し変わるだろう。光だけではないセブの影の部分も,この報告書を読むことで知ってもらいたい。

5. 謝辞

 今回,本活動を実施するにあたって多くの方々にお世話になりました。現地では,NPO法人セブンスピリットの田中さん・永田さん,CECジャパンネットワークの池頭さんおよび現地コーディネーターのデュインさん・デックスさん,NGO団体 DAREDEMO HEROの山本さん・中山さん・ロナさん,インタビューに答えてくださった語学学校の先生などたくさんの方々にご協力していただきました。また,このような機会を与えていただいた文学部事務室をはじめ,実施計画書および報告書について丁寧にご指導していただいた山科満先生に,大変感謝しております。ありがとうございました。
 残念ながら,紙幅の関係で皆さんのお名前を載せることはできませんが,この場を借りてお一人おひとりに深く感謝申し上げます。

6. 参考文献

石井光太(2009)『絶対貧困:世界最貧民の目線』光文社.
世界銀行(2008)年次報告2008:一年を振り返って.
世界銀行(2015)『世界銀行年次報告2015』世界銀行年次報告2015チーム.

7. 引用文献

厚生労働省(2009),世界の厚生労働 定例報告[2007~2008海外情勢報告],p194-201.
国連人口基金(UNFPA)(2014),世界人口白書,113,p13-118.