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フランスと国内におけるホームレスの就農による自立支援実態調査

文学部人文社会学科 フランス語文学文化専攻 4年
市川 加奈

1.はじめに

 筆者は2015年6月下旬から10月下旬まで、文学部の学外活動応援奨学金を利用させてもらい「フランスと国内におけるホームレス状態の人の就農による自立支援実態調査」を実施した。

 ホームレス状態の人、といっても東京出身だが郊外に住んでいるので私は高校生になるまで彼らを見かけることがなかった。寒空の下、初めて路上で寝ているホームレス状態の人を見かけたとき、具合が悪いのかと声をかけようとしたが友達に止められた。周囲の大人も見て見ぬ振りをしていて、この状況を不思議に思ったのがホームレス問題に関心を持つようになった経緯である。大学入学後は漠然と世界の貧困や国際協力に関心を持ち、サークルやゼミで途上国の現状や支援に関して学び始めた。

 ホームレス問題と全面的に向き合おうと決めた決定的な出来事は、大学2年生の時に今回同様学外活動応援奨学金を受給して行ったケニアでの出来事であった。サークルで子ども達に給食支援をしているが、現地は実際どのような状況なのだろうかと思い、ケニアの田舎でのワークキャンプに参加しつつ現地を訪れた。スラム街やインフラ整備のされていない生活を目の当たりにして、この貧困をなくすことが私のやりたいことであり、サークルの活動や勉強してきたことは正しかったと再認識した。しかし現地の学生と交流している時に「日本にはそんなにたくさん家のない人がいるの?かわいそう。」という言葉を聞いて私はハッとした。途上国だけでなく自国にも解決すべき社会問題はたくさんあり、海外に目を向けることと同時に自国の問題にも目を向けることの重要さを途上国の学生に教えてもらった。そして自国の問題としてすぐに私の頭を過ったのは、ホームレス問題であった。この契機をもとに今回の実態調査を始めることにした。

 また、ホームレス問題を調べていくうちに大都市で仕事をしたくても出来ない人がいる一方で農業や介護等、人手の足りていない職種がいくつか存在することに気づくようになる。特に農業に関して、日本では高齢化の進行に伴って1人当たりの食料消費量の減少や、人口減少の本格化が国内の食市場を縮小させる可能性があると言われている。また、農村から都市部に若者が進学や就職を機に移動し、都市部よりも高齢化や人口減少が進行し深刻な問題になっている。それ故農業就業者が高齢化により減少し、後継者がいないため農地を手放すことになる。近年では、地方の空き農地を買い取って大規模農業を現地の複数農家で運営する場合もあるが、依然として空き農地、空き家が多く存在する。

 はるか昔から、私達人間にとって生きるうえで食事をすることは必要不可欠であり、狩りをし、穀物や野菜を育て、糧にしてきた。人間の生きる基盤である食を支えてきた農業が次の世代に継承されず、日本の農業技術や伝統が消滅してしまう可能性がある。このように働きたくても働けない人がいる一方で、働き手がないため仕事がなくなってしまうのは何故だろうか。農家には家と自分で育てた農作物があるので、ホームレス状態の人を働き手として受け入れ、後継者にはできないのだろうか。以上の考察より、ホームレス状態の人が農業を通じて就労自立をすることは可能ではないかと考えるようになった。

 調査を実施するうえで筆者はフランス語文学文化専攻であるためフランスの調査も実施したいと考えた。そしてフランスと日本各地で起きているホームレス問題への支援の実態と、ホームレス状態の人々に対し農業による就労自立支援を既に行っている団体の実態を明らかにすることを目的とし、それぞれの比較と分析を行った。

2.日本のホームレス問題の現状

 日本のホームレス状態の人の定義はホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条により「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」とされ、平成27年1月に行われた厚生労働省の調査によると全国で6,541人存在している。しかし昼間での調査であることと目視のみで概数を記録しているので正確さに欠けると指摘されており、実際にはさらに多いと言われている。また、路上以外の生活拠点としてネットカフェや1泊数百円台の簡易宿泊施設を利用している人など、広義でのホームレス状態の人が多く存在している。

 路上で生活しているホームレス状態の人は高齢化が進んでいるが、一方で広義のホームレス状態の人には若者が多く含まれており、路上生活を始めた理由は全体では倒産、失業、怪我や病気が多いが、若者は一回就職したが人間関係や労働環境で仕事を辞めて路上に出た場合や、家庭環境が理由として挙げられている。その他にも離婚やDV、被災等、人によって理由は多種多様であるが、一旦路上に出てしまうと住所がないので仕事を探せない、あるいはお金があっても現住所がないと家を借りることが出来ない場合が多く、再就職をして自立を図ることは難しいと言われていることが現状である。

3.ホームレス問題への支援の実態

 ここからは本調査で訪問した地域ごとに地域と支援団体の実態を分析していきたい。

①東京(新宿とその近辺)

 東京では以前日雇い労働者の人口が多くホームレス状態の人が多い山谷ではなく、各地から多種多様な生活困窮者が集う場所として新宿とその近辺を対象とした。6月24日にNPO団体新宿連絡会の事務所を訪問し、7月25日にNPO団体スープの会の夜回りに参加させていただいた。前者は活動として、生活・医療相談や夜回り、農業体験を行っている。炊き出しも以前は実施していたが、ホームレス状態ではない人も食事目当てで並んでいたため、現在は夜回りという形をとり食事を提供している。農業体験では長野県に団体の車で行き、月1回農作業を農家とホームレス状態の人々で行い農作物を出荷する。この取り組みは形にはなってきたがホームレス状態の人の雇用として実施することは規模的に毎日仕事を提供できないため困難であるようだ。

 後者は毎週土曜に新宿にて夜回りを行いつつ味噌汁やおにぎり、パン等を配布している団体である。夜回りを行って生活相談も実施するがその点は前者と同じである。筆者は新宿西口の地下通路や小田急百貨店近くの班に同行させていただいた。ホームレス状態の人らしき路上野宿者一人一人に声をかけ物資を配ると、一人一人の性格や体調が見えてきた。それは単に道を歩いているだけではわからなかったことである。しかし一人で路上に寝ている人に声をかけることはなかなか勇気のいることなので、団体を介すことの利点を学んだ。ホームレス状態の人々は大半の人が礼儀正しく挨拶をしてくれた。そして筆者との年齢差が祖父と孫のようだからか気さくで人生を語る世話好きな人が多かったため「怖い」という思いを抱くことはなかった。夜回りで浮かび上がった問題としては自身が痛みや病気で苦しんでいるのに、生活保護を受給したがらない人が多いということだ。理由としては生活保護制度を知らない、以前申請したが窓口で断られてしまった、受給していたが再就職へのプレッシャーが強かったので辞退した、受給することは恥ずかしいことだから、という声を伺うことが出来た。制度に対する認知や理解の低さと同時に、行政の対応にも問題があるのではないだろうか。

②大阪(西成区釜ヶ崎/あいりん地区)

 大阪では東京の山谷、神奈川の寿町と並ぶ簡易宿泊所・寄せ場(ドヤ街)の釜ヶ崎(あいりん地区ともいう)を実際に自分の目で見たいと考えていたので今回訪問した。新宿とは異なる空気が漂い、日中からカップ酒を持って徘徊しているホームレス状態の人が多く、その地区の住民よりも多い印象を抱いた。早朝にこの地区に到着した筆者は街全体を視察してみたが、コンビニの廃棄の食品を道に並べて売っている人がいたことや、新宿よりも女性のホームレス状態の人が多いこと、職業案内所が溜まり場化としていて段ボールを敷いて寝ている人が多かったこと、公園が全面的に段ボールハウスの存在を許していること、この地区の食料品の価格が異常に低くホームレス状態の人の水準に合わせてあること等、視察の段階で驚く点を数多く発見することが出来た。

 筆者は大阪のこの地区に2回訪問し、1回目は釜ヶ崎支援機構の山田氏に街を案内していただき、また、釜ヶ崎高齢日雇い労働者の仕事と権利を勝ち取る会の炊き出しに調理班として参加させていただいた。さらに次章で詳しく述べるが、農作業をホームレス状態の人々にしてもらい雇用の創出を図っている大学研究員の綱島氏の活動地を視察させていただいた。

 1回目の現地訪問では先ほども述べたように炊き出しに提供側として参加させていただいた。新宿で行っていた夜回りで配布していた食糧とは比べ物にならない量を300人前後の参列者に配布した。訪問した日の献立はカレーライスであったため、人が一人すっぽり入りそうな鍋を2個程使用してカレーを焚き火で煮ていた。公園の敷地内であるのにカレーを作っている光景は見慣れないものだが、何年も前から毎週この活動を行っているため、現地住民からすると日常的な光景のようである。カレーの米は何人かのボランティアの方が家で炊いてきたものを使用したが、これもかなりの量であった。配給中に並んでいるホームレス状態の人々にカンパを募るが、毎回100円ちょっと集まるかどうからしく、財源はこの団体の参加者とこの活動に賛同した人の寄付から成り立っているようである。

 その後山田氏に案内してもらい、釜ヶ崎と呼ばれる町を見て回った。その最中に釜ヶ崎支援機構の取り組みとして高齢者特別清掃事業(通称:特掃)を紹介していただいた。具体的には釜ヶ崎の 55 歳以上の日雇労働者を雇用して、大阪市内及び府下の施設や道路などの除草・清掃や、保育所の遊具のペンキ塗りなどの作業を実施しており、野宿を余儀なくされる高齢労働者に働いて収入を得られる就労機会の提供を行っている。もともとは大阪府及び大阪市の事業であったが、釜ヶ崎支援機構が委託されて実施している。職安でこの仕事を紹介してもらい日雇いとして就労するのだが、希望者に対して雇用の供給が追いついていないことが課題であるようである。働いている現場を見させていただいたが、お揃いの作業服を身にまとい、街中のゴミを回収しているホームレス状態の人は一般人と見分けがつかない程テキパキと行動していた。

 続いて夜間宿泊所運営事業を見せていただいた。シェルターと呼ばれていたが、緊急一時避難所というよりは雨天時や高齢化で体力が衰えてきている人を対象として宿泊場所を無料で提供している。こちらも大阪府からの委託事業である。中は2段ベッドがずらりと並んでおり、無料なので仕方ないが少し窮屈そうであった。シャワーも施設内には備えていた。

 山田氏との対談で多くの知見を得ることが出来た。生活保護受給率第1位は西成区であり、ホームレス状態の人々で働く意味を見いだすことが出来ていない人は少なくない。仕事をしたくない人もいれば、働くことは嫌いではないが高齢のため仕事が見つけられない人もいるし、生活保護の方が儲かるため働かない人もいて、かなり多種多様な状況下に置かれている。しかし何もしないで生きるよりも人間は働いた方が健康に過ごすことが出来るうえ、誰か或いは何かの為に働くことで幸せを感じる。そのことを踏まえて今後の取り組みとして、ただ食糧や金銭の支援をするのではなく、働くことを軸とした雇用のセーフティネットを設けることが重要であると山田氏は話してくれた。

 2回目の現地訪問は1回目に紹介していただいた場所を回り、それに付随して前回見ることが出来なかった場所を訪れることにした。変化としては職安近くにいくつかあったブルーシートで出来たテント群が2回目の訪問では一つも見ることが出来なかった。金網で覆われていて入ることが出来ないようになっており、張り紙には「今後このスペースは自転車置き場として利用しますので、皆様のご協力をお願いいたします」と書かれていた。釜ヶ崎は地域の性質上、ホームレス状態の人に対して比較的温和であると考えていたが他の地域の役所とあまり変わらぬ対応をとっていた。しかし、三角公園と四角公園と呼ばれる炊き出しが頻繁に行われる2つの公園に常設しているブルーシートや木片で出来たホームレス状態の人の小屋に関しては依然として存在していたので、全面的に撤去し排除しているわけではないみたいであった。

 その他にも釜ヶ崎近くに位置する激安で有名なスーパーマーケットを訪問した。その店は消費者の基準に合わせているようで、店に入るとまず惣菜コーナーにたどり着く。惣菜は安かったが、他の品物が全部安い訳ではなかった。つまり調理加工の出来ないホームレス状態の人向けに惣菜を安く売っていたのではないだろうか。更に現地調査をしてみると、その店以外にも釜ヶ崎では惣菜や酒等は比較的安く販売されており、街全体が一番の消費者であるホームレス状態の人に合わせていることがわかった。また、飲食店以外にも以前簡易宿泊所として存在していた建物が、生活保護受給者が増えたため彼らが宿泊出来るようにするために福祉アパートとして変化していた。しかし近年の外国人旅行客の増加に合わせて福祉アパートをゲストハウスに更に変更している施設も多かった。

③北海道

 北海道札幌市内のホームレス状態の人の実態を知るために、10月上旬に札幌市の夜回り支援を実施している北海道の労働と福祉を考える会の活動に参加させていただいた。この団体の活動は主に札幌市内の地上と地下街に分かれてカップ麺等を配布し、生活保護受給や居住に関する相談事を伺う。今回は生活保護を受給していない住所のない人に政府が全国的に給付金6,000円を配っていることが書かれたチラシを配布し説明した。説明しても申し訳なくてもらえないと話しているホームレス状態の人が多かった。6,000円という一時的で次に繋げにくい金額でさえ、自身は世間から隠れて生きているのにもらいに行くようなことは出来ないと彼らは考えているようである。団体の人と相談し説得はするが無理強いはせずに、彼らの意思に任せることにした。

 活動前に市内のホームレス状態の人を探したがなかなか見つけることが出来なかったことを団体の人に伺うと、そもそも北海道にはホームレス状態の人が少ない。それは出稼ぎで東京に出て行ってしまった人が多いことや、生活保護の普及で路上に人がいなくなったためである。また、市が彼らに対し街の景観を損ねるという理由からダンボールやテント等を撤去し、身なりも汚いと入店拒否等の排除を実施している。そのため夜回り実施中も誰がホームレス状態の人かわからず活動実施が困難であった。ダンボールやテントがないと寒さを凌ぐことが出来ず命に関わるのではないかと危惧したが、札幌市内に数年前に出来た地下通路があるおかげで極寒の地でも何とか路上で生活出来るようになった。しかし冬の外は-15℃になるため寝ることは出来ないし、地下も安心して寝られるほど暖かいわけではないようであった。夜回り中に話を聞いていると、日中寝るか、ビルの間で隠れるように寝るかのどちらかの方法で寝ていると教えてもらった。

 今回会うことが出来た彼らの人数は20人強であった。市内には平均して30~50人のホームレス状態の人が存在しているようなので少なめであった。特徴的であったのは、もともとの母数が少ないために名前でお互いを呼び合い、最後の活動報告会で他のコースを回っていた団体メンバーも把握出来ていたことである。長い付き合いで人数も少ないため、支援側と被支援側の間に他の県の団体よりも強い信頼関係で結ばれていた。また、参加者の中に実家が農家で自身も農業を営み、障害者雇用を考えている人がいて、今後に活かせる助言をいただくことが出来た。

④フランス・パリ市

 パリ市には7月の終わりから約一週間滞在し、日本とフランスのホームレス状態の人の違いと支援の違いを調査してきた。調査結果に入る前に、まず始めにフランスでは「ホームレス状態の人」という法律における明確な定義はない。 家族及び社会扶助法典においては「救済地のない人」、RMI 法(日本の生活保護法のようなもの)においては「安定した住所のない人」という言葉を使いホームレス状態の人を定義している。また、1996 年の国立人口問題研究所 (INSEE)統計においては最も狭義のホームレス状態の人を「宿泊施設、公私のレストラン、食事サービスの利用者、宿泊所ではない場所で就寝している者」としている。以上のことから定義が明確なものがないため、それ故ホームレス状態の人に対する直接的な支援法も存在していない。これは「ホームレス状態の人」と定義すること自体が彼らを差別排除することであり、隔離することは平等精神に反するというフランスならではの考え方によるものである。法や定義は存在していないが、ホームレス状態の人の認識としては路上で生活している人以外も含んであるため、日本より広範囲の生活困窮者がホームレス状態の人として考えられていることを理解した上でパリ市での調査結果に入っていきたい。

 筆者のパリ市訪問は3度目であったが今までは観光目的で訪れていたため、ホームレス状態の人に焦点を当てて街を歩くことはなかった。しかし物乞いをしている移民の存在に関しては意識して歩かなくても気づくほど多く、筆者は以前未遂に終わったが追い剥ぎに遭ったこともある。移民とホームレス状態の人は服装の清潔さで基本的に見分けることが出来た。また、印象的であったのは物乞いをしているのは基本的に移民の女性と子どもでありホームレス状態の人は行っていないことである。移民の人達は集団で施し集めをしていて、最後に仲間と集まって収益を報告し合っていた。フランスを考える上で移民問題は必ず出てくるものであり、フランス国民とフランス国籍移民、外国籍移民を分けて考えるべきである場合も存在するが、実際に筆者が見たパリ市で行われていたホームレス状態の人に対する支援は分け隔てなく行われていた。よってここでは特別視せずにフランスに住んでいてホームレス状態になってしまった人として見ていくことにする。

 オーステルリッツ駅近くの河川敷ではいくつかのテント群を見ることが出来た。全体を見てみると似たようなテントが並んでいたので支援物資のテントであることがわかった。1つの集団は黒色人種の人しかおらず、話を聞いていると片言のフランス語しか話せず、スーダンやセネガルから来たと話していた。男性以外にも女性や子どもが少数だがいて、洗濯物を干していたり遊んでいたりと賑やかで生活感を感じることが出来た。そこから少し離れると白色人種の単身居住者の多いテント群に辿り着いた。こちらは日本のホームレス状態の人のような雰囲気の人が多い印象を得た。友人の情報によると、この近くで時々炊き出しが実施され、無料の食事を配布しているようである。

 河川敷の近くには、心のレストランというフランスの生活困窮者のための支援を行っている大きなNGO団体の系列組織である「心の川舟」(La Péniche du Cœur)の船が停泊していた。ここでは約70個ベッドを用意しており、ホームレス状態の人等の住む場所がない人のための緊急一時施設(シェルター)である。約14日間一時宿泊をすることが出来、3ヶ月ごとに更新出来るという宿として使用されている。ここでは荷物を置き、シャワーを浴びることが出来るようである。また、ボランティアの医師と社会福祉司が宿泊者の生活相談に乗る。施設の中に入らせてもらうことは出来なかったが資料をもらうことは出来た。また近くで見ていたところ、簡単に施設利用させてもらえる訳ではないようで、何人か断られていた。

 河川敷を離れ、レピュブリック広場 (Place de la République)を訪れると大きなモニュメントがあり、そこから少し離れたところに大きなテントが存在していた。近くの人に話を聞いてみると、Droit au logementという団体が行っているテントや簡易宿泊施設から追い出された人達のための抗議運動のようであった。中を覗いてみると、何名かがマットを敷いて寝ていたり、話していたりとそのテント内で生活しているようであった。

 今回の調査でいくつかの炊き出しや夜回り団体に連絡をして見学や調査の依頼をしたが、なかなか連絡と日程が合わず断念した。次回別の機会があれば是非訪問させていただきたいと思う。

4.ホームレス状態の人と農業による就労支援の実態

 ここから先は現地訪問で訪れたホームレス状態の人と農業を繋げて実際に就労支援を実施している団体を見ていきたい。

①雁多尾畑土と緑の谷未来農園(大阪府)

 2015年7月5日、大阪府柏原市に位置する「雁多尾畑土と緑の谷未来農園」という農園を訪問調査した。この農園は、耕作放棄地を再生することを仕事創りに結びつけることは可能かどうかを検証するべく、毎週約2回ホームレス状態の人と農作業を行い、無農薬、無化学肥料で育てた野菜を直売会で販売している。筆者も実際に農作業を参加者であるホームレス状態の人と行わせていただいた。彼らは初めてではないようで慣れた手つきで作業をしていた。作業をしながら話していくうちに実家も農家だったようで農作業は嫌いではないが儲からないから継がなかったと話してくれた。

 この農園の特徴としては雇用形態が日雇いであり、自分の働きたい日を希望し、賃金は日当として渡されている点と、神戸大学都市安全研究センター研究機関研究員である綱島氏が自身の研究費でこの形態を賄っている点である。野菜の売上金だけではまだ成り立つことは出来ていないが、農園での労働希望者は年々増加傾向にあるため収穫数と販路の確保が課題とされていた。

②Jardins de Cocagne de Saint-Quentin-en-Yvelines支部(パリ市郊外)

 2015年7月30日、Jardins de Cocagneというフランスの農業を通じて再就職の準備をする中間的就労団体のJardins de Cocagne de Saint-Quentin-en-Yvelines支部を訪問調査した。この団体は約1年かけて18人前後のホームレス状態の人のみならず生活困窮者のメンバーと共に農作業等を実施し、出来た野菜をパニェと呼ばれる野菜セットにして週2回契約している各家庭に届ける。現段階ではパニェの中身を選ぶことは出来ないが、今後は欲しい野菜を選んだり、追加したり出来るようにする予定である。筆者が訪問した日は惜しくも活動の休みの日であったので活動現場を見ることは出来なかった。しかし、施設を一つ一つ丁寧に紹介してくれた。

 実施期間は1年であるが内訳としては、1週間のうちの5日をJardins de Cocagne での活動日として過ごす。4日は基本的に農作業に集中し作物を作る。残りの1日は就職活動日としてJardins de Cocagne後の仕事を探す。真面目に農作業と就職活動を行えば基本的には就職先は見つかるそうだが、メンバーの中には暴力騒動を起こしたり、アルコールを摂取した状態で農作業をしたりする場合もあるため、期間内に就職先を見つけることが出来ずに職業案内所に戻る場合もあるそうだ。

 また、財源は3分の1がパニェの売上金であり、残りの3分の2は政府からの出資金である。この団体はNPO/NGOの団体形態ではないが、参入支援作業所・現場(Les ateliers et chantiers d'insertion :ACI)の形態で活動を実施しているようである。

5.おわりに

 筆者は数ヶ月に渡り日本各地とフランス・パリ市のホームレス状態の人に対する支援団体の実態を見てきた。どちらの国の団体も基本的にはNPO/NGOの形をとっており、支援という形で草の根的な小回りの効く活動をしていた。フランスはホームレス状態の人という言葉が意味する範囲が広いことと、船をシェルターとして利用していること、また最近ではスーパーマーケットの余った食材を捨てずに支援団体に寄付しなければならない法も出来た。以上のことを踏まえて日本より規模の大きな支援が出来ているのではないだろうか。しかしどちらの国の支援も「貧困」という根本的な問題の解決には至らず、単発的で一時的な支援に留まっている。この支援団体を利用しながら社会に復帰する準備をしたり、生活が成り立つようにより良い仕事を探したりすることが効果的であると筆者は考えた。

 また上記に加えて、ホームレス状態の人に対して農業による就労自立支援を既に行っている二つの団体も調査した。どちらも農業を仕事として提供しているが、大阪の団体は日雇い形式で、パリ市近郊の団体は中間的就労施設として活動しており1年という期限付きである。農家に就職や新規農家になるために農業を提供しているわけではないことがわかった。結果としてやや長期ではあるが、炊き出しや夜回りを実施している団体と同じで根本的な解決には至っていなかった。

 今後の展望としては既存の活動を基にしながら農作業を継続して仕事として行う就農を目的とした活動を行うべきであると筆者は考える。しかし、地方の町村特有の近隣との繋がりの強さに馴染むことが出来ずに再び路上に戻ってしまった事例が起きていることが調査で分かった。そのため単に農家に就職させれば良いわけではなく、その後のフォローが重要になってくる。路上生活でしばらく人との繋がりがなかった人や、もともと人と関わることが苦手な人にとって難易度は高いが、自分の居場所を感じられるようになれば農家に就職も難しいことではないだろう。そして個人で農業を営んでいる農家よりも集団農業を行っている農家や会社で実施するほうが、様々な人と関わる機会があり、より繋がりを構築しやすいであろう。

 更に仕事は家族等の誰か守りたい人のために働くか、やりがいや生きがいを感じられないと続けることは出来ないと3章で先述した新宿連絡会の職員が教えてくれた。田畑を耕し、土に触れ、汗水流して収穫した自分の野菜を見たとき、そしてそれを食べて美味しいと言ってもらったとき、ホームレス状態の人はやりがいや生きがいを感じ、農家で働く意味を見出せるのではないだろうか。