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フランス・スペインにおける都市まちづくり調査

文学部人文社会学科 フランス語文学文化学 3年
石井 沙瑛

目次

Ⅰ はじめに
(1) 調査スケジュール
(2) 調査対象都市およびルート
(3) スケジュール

Ⅱ フランス
(1) パリ
a. 歴史
b. 都市における都市軸の存在
(2) ラ・デファンス地区
a. 都市再開発の歴史
b. ラ・デファンス地区と新宿西口との比較
c. 魅力の再発見

Ⅲ スペイン
(1) バルセロナ
a. 概要
b. バルセロナの観光
c. 歴史と共存するまち
d. 歴史の経緯と地域が創った都市軸
(2) アリカンテ
a. 概要
b. バレンシア州(アリカンテ)の観光
c. アリカンテの新しい活力
d. ホームステイ

Ⅳ 総括
(1) 都市軸の魅力
(2) 今後に向けて
(3) 参考文献

Ⅰ はじめに

今回私は、2014年度・文学部学外活動応援奨学金の奨学生として、2014年7月31日~9月10日までフランスとスペインの諸都市を対象とした実施調査を行わせていただいた。 私の学生生活の目標として「世界中にたくさんの友達をつくること」「世界の中の日本を知る」ことを掲げて過ごしてきた。それらの目標を達成するには、世界と日本を同時に知ることが必須である。なぜなら日本の諸事情を知らずして世界を理解すること、世界の中の日本を知ることは不可能だからである。私は、その過程として都市調査に関する知識や視点を、FLPのゼミ活動を通して学んできたため、その集大成として今回、欧州都市の調査に挑むことにしたのである。なお、今回の欧州調査のキーワードとして「欧州都市のまちづくりからみる都市の新たな活力」というものを挙げ、それに即し、研究を行うことに決めた。

(1)調査対象都市およびルート

(2)スケジュール

日程 都市
7月31日(木) 羽田→パリ
8月1日(日)~8月4日(月) ラ・デファンス地区調査
8月5日(火) パリ→バルセロナ
8月6日(水)~8月8日 バルセロナ市調査
8月8日(金)~9月9日(火) Miralles家にてホームステイ
9月9日(火)~9月10日(水) バルセロナ→成田

Ⅰ フランス

(1)パリ

7月31日に私は日本を出発し、フランス・パリへ向かった。到着後すぐに、すでに予約してあったパリ市内のホテルに向かった。なお、宿泊費節約のため、ホテルのみ偶然パリを旅行していた友人と同じ部屋で過ごした。パリを前回訪れたのは4年前の高校の修学旅行時であったため、市内をすべてバスで回ったため歩くことはほとんどなかった。そのため、今回は「パリを歩いてまわる」ことを心がけた。

a. 歴史

フランスには現在も美しい歴史的景観が数多く存在する。そして、その歴史的建造物に囲まれて人々は生活している。フランスでは、これらの景観を守るために景観保全に関する規制や制度を設け、国家で保護に取り組んでいる。そのこともあって、歴史的な街並み・建造物の残るパリは観光客が多く訪れる。そもそも、パリ市が現在のような姿になったのは、19世紀後半のセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンによるパリ市街の改造計画が元である。ナポレオン3世と共に推進した改造計画の当初の主な目的は、非衛生的なパリに光と風をいれることだった。そのため中世以来の複雑な路地を整理して幅の広い道路を作り、インフラなどを整備していった。また、建物のデザインを統一するなど景観の保全にも配慮がなされるようになった。

b. 都市における都市軸の存在

都市における都市軸の存在

パリには「歴史軸(axe historique)」というものが存在する。東端のルーヴル美術館はシャンゼリゼ通り、エトワール凱旋門を経て、西端のラ・デファンス地区まで約8kmの長さの軸が整備されている。もちろんシャンゼリゼ通りの広い歩道エリアにはオープンカフェのような賑わい形成機能が立地しており、パリを代表する景観を形成しているが、その他にこの軸上には歴史的建築物や記念碑など、都市を代表するようなシンボル以外は立地していない。しかし、この歴史軸は都市の成長を誘導する骨格として、数百年の長きにわたって機能し続けているのである。今回は、この都市軸を中心として都市を調査することを試み、その影響を探った。

(2) ラ・デファンス地区

はじめに私が注目したのは、1958年に政府はこの歴史軸の拡張の一環として、最先端のビジネス地区として西端につくられた「ラ・デファンス地区」であるラ・デファンス地区はパリ旧市街で対応できなくなったオフィス・住宅需要に対処するとともに、ヨーロッパの中枢的ビジネスセンターを目指して建設された都市で、歴史地区が続くパリの確固たるイメージとは全く異なる現代の建築及び都市計画に基づいた都市再開発が数多く行われている。

a. 都市再開発の歴史

そもそもこの地区に都市再開発が多く行われたのは、パリ市内と違ってマルロー法などの歴史的環境の保全制度が少ないために、経済成長に伴い再開発が計画されたときに、高層ビルや大型施設が集中的に建設することができたためである。当時のラ・デファンスは老朽化した建物や小さな工場群にスラム街と農場が広がる地域であった。1972年にそれまで基本とされていた同一形状のビルが立ち並ぶマスタープランが見直され、建築物形状規制の廃止、高さの制限が180mまで緩和された。その見直しと同時にこのラ・デファンス地区には全面鏡面のオフィス2棟、三角形・円形などの幾何学形態の建物各1棟の建設が発表され、これらが中核となった。マスタープランの決まりきった建物の形状に民間企業は反発していたため、この規制緩和は一時歓迎されたようだが、のちに「あまりにパリ市内の景色と違う」「高層建築物は目立ちすぎる」と景観やスカイラインの不統一が問題とされるようになったことは容易に想像できる。結果的にこの地区は、モンパルナス・タワーによりパリ市民の高層建築物を嫌う流れが助長されたことによって一時この再開発は中断される。その後、1981年には記述のパリの由緒ある歴史軸線の眺望を閉じないことと、高さを30mに制限することが決められ、再びこの地区の歴史が動く。ミッテラン大統領のときに歴史軸の延長線上に「意味のある」建物を建設することが決定され、国際コンペで決まった「新凱旋門(ル・グランダルシュ)」がつくられ、現在では約71棟の超高層建築に2500社もの企業と2万人の居住者を収容し、約60の現代彫刻を有する地域に生まれ変わったのである。

写真:Ⅱ―1  新凱旋門(Le grand Arche)

b. ラ・デファンス地区と新宿西口との比較

 今回訪れて最初に思ったのは「新宿の西口に似ている」ということである。自分がフランスに来たということを忘れてしまうほど、このラ・デファンスとパリの歴史地区とでは180度景色が違っていた。それはまさに「日本風地区」と表現しても間違いではないほど、地下鉄の駅の雰囲気や大型商業施設の種類まで、すべてが新宿を連想させた。パリ市内ではないが、メトロ1号線が通っていて一本で凱旋門、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、ルーヴル美術館など主要な観光施設にわずか20分程度で行くことができるため、それまでずっとパリ市内の歴史地区を歩いて回っていた私は、この短時間でこんなにも違う世界に行くことができるのか、と感心してしまうほどであった。

写真:改札をでて目に入る景色 (上)ラ・デファンス (下)新宿西口

写真:空間の使い方 (上)ラ・デファンス (下)新宿西口

写真:駅直結の大型商業施設

 

c. 魅力の再発見

調べたところによると、新凱旋門が完成した後はこの人工地盤の上をよく観光客が歩き、「パリとはまた違う現代的な建築が素敵である」と人気があったようだが、私が訪れて調査を行っていた期間はバカンスシーズンだったにも関わらず、観光客とみられる人をひとりも見かけなかった。もはやこの地区の観光地区としての魅力は消え去り、いまこそその本質が問われているといえる。私があちこち写真を撮っていると、ひとりの女性が「写真を撮ってあげようか?」と声をかけてくれた。忙しそうなので、あまり引き止めることはできなかったが、このラ・デファンス地区について「どんなところですか」と簡単な質問をしてみると、「平日はこの近辺の会社で働く人でいっぱいよ。地下鉄も朝、夕方はかなり人が多いわ。あとこのあたりは、ルーヴル美術館やその他の主な観光施設のまわりのホテルよりも宿泊費が安いし、メトロ一本で市内に出られるから観光客の宿泊地として最近は人気だそうよ」と、親切に教えてくれた。確かにこの地区は、全体にペデストリアンデッキが整備されているので、徒歩で移動でき、大型ショッピングセンター「4temps」があるので、これも観光客には便利であろう。私が訪れた期間には観光客は見かけなかった代わりにそこを歩くビジネスマンを何人も見かけた。治安面においても、歩いているのはビジネスマンが多く、市内に多い浮浪者や怪しげな人物は少ないので、安心感があった。バカンスシーズンということもあり、普段よりも閑散としているであろうことは予想していたが、その中でも近隣のビジネスマンが新凱旋門前の階段で休憩をとっているのを見かけ、この場所は観光地区としての魅力はなくとも、ビジネスマンの憩いの場所として機能しうるのではないかと思った。再開発の結果として歴史的な側面を完全に失ったラ・デファンスにはまだ厳しい意見があるが、パリ歴史地区にはない一風変わった雰囲気に魅力がある。既記のように、「インフラ整備が整っている」「治安が比較的良い」等の特徴があるこの地区においては、アジア人向けの旅行会社等と連携することが、消費額を増加させることにつながるのではないだろうか。

Ⅲ スペイン

(1)バルセロナ

8月5日の夕方にパリ・シャルルドゴール空港を出発し、バルセロナ・エルプラット空港に到着した。空港で私を待っていてくれたのは、スペイン人の友人であるSergioだった。私は、昨年の夏休み期間中にアメリカ・モンタナ州の国立自然公園内のホテルでアルバイトをしていた。バカンス期間を利用する世界中の人達が集まり、共に働いくことで強い絆も生まれ、たくさんの素晴らしい友達をつくることができた。彼は、そのときできた友達の中のひとりで、のちに多くの場面で私の調査を助けてくれることとなり、アリカンテでは、予定よりはるかに長い期間、彼の家に宿泊させてもらえることとなった。

a. 概要

バルセロナは、スペイン第ニの都市であり、地中海第一の商業港都市という性格とガウディ製作の建築物群(サグラダ・ファミリア等)等による観光都市という性格を有する人口160万人の都市である。1978年に民主主義体制にスペインが移行するまでバルセロナはフランコ政権の圧政下にあり、民主化以降「バルセロナ・モデル」として知られる都市再生が押し進められる。この「バルセロナ・モデル」英国をはじめ欧州を中心として高く評価されている。バルセロナは、歴史的に見ると、キリスト教国とアラブとの闘いの前線基地であったため、現在の旧市街地は、元々壁に囲まれた城塞であった。バルセロナにおける近代都市計画のスタートは、この城壁が撤去された19世紀半ばと言える。1856年には、ゼルダの計画(「拡張計画」)が策定され、それ以降、旧市街を対象とした様々な計画がとりまとめられた。第2次世界大戦後、1960から70年代において、欧州の各都市は、過密を都市問題の元凶と見なし、郊外への分散を誘導していった。しかし80年代に入り、都心部の空洞化と低所得者が多くを占める郊外住宅地の疲弊といった問題が露呈した。そこで、高密度でコンパクトな都市居住が評価されることとなり、これにいち早く取りかかったのがバルセロナであった。

b. バルセロナの観光

スペインの調査においては、「観光」というひとつのテーマを定めた。なぜなら、観光客が年々増加しており、この都市の観光に支えられた経済成長がもたらす高揚、またその副作用として受けた悪影響をこの都市で調査することは、実際に観光産業を中心とした他都市に生かせる施策を見つけることにつながるのではないかと考えたからである。また、日本人である私が観光客の目線で、この都市の発展に必要な要素を発見することにこそ意味があると考えた。
図Ⅲ-1のようにバルセロナを訪れる観光客は、1990年には市の人口と同程度の約160万人であったが、2006年には約670万人へと大幅に増加している。しかし、図Ⅲ―2のようにバルセロナの観光客に占める各国出発地の割合をみてみると、ヨーロッパ域内からの観光客が増加、横ばいに推移しているものの、スペイン国内からの観光客は年々減少傾向にある。

図Ⅲ―1
出典:Turisme de Barcelona

図Ⅲ―2
出典:Turisme de Barcelona

a. 歴史と共存するまち

バルセロナを訪れたら、サグラダファミリアに行くのは必須である。長年の私の憧れであったため、写真では何度も見たことがあったこの高い建物の先が、実際に私の目に入ったときは本当に感動した。早朝にも関わらず、入場チケットを購入するために並ぶ人は、この大きな建物の周りを一周してしまうほどであった。たくさんの日本人観光客の姿も見られ、その数はパリのルーヴル美術館やベルサイユ宮殿よりもはるかに多く感じた。サグラダファミリアは、現在も造り続けられていて、2026年完成に完成すると言われている。日本にある都心の高層ビルなどはあっという間にできてしまう印象があるが、ヨーロッパでは一つの建物を数百年かけて造るのが当たり前である。外見の美しさにとどまらず、内部のステンドグラスに射す光もとても美しく、森を模した内部にも圧巻だった。

サグラダファミリア外観

写真:サグラダファミリア外観

サグラダファミリア内部

写真:サグラダファミリア内部

生誕のファザードにのぼり、上からバルセロナを眺めた。それは綺麗に区画整理されている人工的な側面と古い建築物から成っているという歴史的な側面が共存していて、あらためて異国に来たことを実感させられた。

サグラダファミリア 塔からの眺望

写真:サグラダファミリア 塔からの眺望

その後もバルセロナのまちを存分に歩いてまわった。歴史的建築物を見るたびにこの街が古くから歴史とともに生きてきたことを感じた。サグラダファミリアとともに人気のガウディ建築であるカサ・バトリョにも訪れたが、驚いたのはその一体感である。サグラダファミリアもカサ・バトリョもそれだけで見ると、独特で個性のある建築物だが、このままの中で見ると、とても自然に溶け込んでいるのである。他の観光都市のように、観光客があふれる歴史的な地区と開発が進む人工的な地区がはっきりと二分化されずに、それぞれがそれぞれを助け合っているバルセロナだからこそ、このような居心地の良さがあるのだと感じた。

c. 歴史の経緯と地域が創った都市軸

私はパリで見つけた都市軸をバルセロナに当てはめてみることにした。ランブラス通りはバルセロナを代表する繁華街で、形状的には真っ直ぐの軸ではなく、若干カーブしている。古くは城壁外に人々が集まって自然発生した市場が、市街地の拡大に伴い、市街地の中心の都市軸となったが、形状的に真っ直ぐでないのは、旧城壁の跡地が都市軸となってしまったからである。近年は市が沿道建物のガイドラインを決め、都市軸としてふさわしい景観形成を図っている。またこの通り沿いには仮設店舗やオープンカフェが多いが、その場所代は市内でも最高値だと聞いた。しかし、パリのシャンゼリゼ通りと比べるとこじんまりしていて、歩行者中心の空間であった。この町へ行って一番驚くのは、町の目抜き通りである。パリのシャンゼリゼ通りには、車が中心に流れているが、このランブラス通りには車は両端の1車線ずつしか走れず、真ん中は歩行者天国であった。そして、5mおきぐらいに大道芸人が並んでいた。人々が歩いておしゃべりをしたり、ショッピングを楽しんだり、大道芸を楽しむという空間は私にとってとても居心地の良い空間であり、観光客に人気のある意味がわかったよ。また、私が訪れた期間はちょうど芸術週間と呼ばれる週だったらしく、地元の芸術家や工芸家達が出店を出して。手づくりの小物や雑貨を販売していた。まさしく、歴史の経緯と地域の情熱によって作り上げられた都市軸であり、朝から夜までたくさんの人達で賑わっていた。

(2) アリカンテ

8月8日にバルセロナのサンツ駅から列車で南に4時間ほど下っていき、アリカンテに到着した。バルセロナを出発したときには気がつかなかったが、同じ列車にはフランス人が多く乗車していた。バルセロナでは、アメリカ人やイギリス人、アジア人を多く目にしたものの、周りからフランス語は聞こえてこなかったため、アリカンテはフランス人に人気があるのか、と疑問に感じた。アリカンテ駅には、Sergioのお父さんのLuisが車で迎えに来てくれていて、彼の家があるアリカンテ県ペトレルまで向かった。アリカンテ市からペトレル市までは車で45分ほどで、その後も私の調査のため幾度となく連れていってくれた。

地図:ペトレルの位置

a. 市の概要

 アラカント(バレンシア語:Alacant)またはアリカンテ(スペイン語:Alicante)は、バレンシア州アラカント県(アリカンテ県)の県都である。人口は約32万人で、アリカンテ周辺のビーチは、その美しさと質の高さから、EUより毎年、Blue Flag Awar(ブルーフラッグ賞)が授与されている。また、ローマ時代以前からの、伝統ある港町である上、リゾート地としても親しまれている。アリカンテの空港には、ヨーロッパ内の主要都市をむすぶ、数多くの国際線が乗り入れている。地理的な位置関係から、かつては城壁に囲まれた要塞都市であった。アリカンテは「地中海の真珠」と呼ばれるコスタ ブランカが一望できる美しいビーチを持つ都市であり、中でも特に有名な、ポスティゲットビーチは、アリカンテ中心部から簡単にアクセスできる。

写真:アリカンテの美しいビーチ

写真:出店の多いExplanada

私は「ビーチがスペイン一綺麗な都市」として名前を知っていたので、訪れる前は、アリカンテには他地方に住むスペイン人がバカンスを過ごすために訪れるイメージはあったものの、他国から観光客が多く集まるイメージはなかった。なぜならアリカンテ市自体の知名度はまだ低く、ビーチ等の観光産物ならばアクセスの良い他の市にも見つけることができるだろうと考えたからだ。
 これはどこの国にもあてはまることだと思うが、都市として経済規模の大きい、または知名度の高い都市の情報はインターネット上に多くあるものの、そうではない都市の情報はまるで見当たらない。アリカンテの情報はスペイン語のホームページにおいても少なく、どこにヒアリングに行けば良いのか、どこの課の方に話を聞けば自分の求めている答えが聞けそうなのか全くわからず、調査開始から苦難の連続であった。しかし、それならば私がこの都市について情報を提供する側になろう、と力が湧いたのも事実である。スペインにおいては「観光」というテーマで調査することは決めていたため、とりあえず市統括の「観光」と名のつくところを端から訪ねてまわった。図Ⅲ―3のようにスペインの日中の気温は非常に高く、とても外に出て歩き回れない上に、シエスタという文化があるために、昼過ぎから夕方4時頃までどこの店も閉まっている。そのため、一日にとれる調査時間は少なかったが、少ない時間を有効に使うべく、積極的に行動した。観光案内所や観光部署を訪れても、「ここには観光に関する資料はないのでこの住所に行ってみてください」と言われその場所に行くとそこでも同じことを言われ、何時間歩きまわっても該当の場所を見つけられない日もあった。しかし、いずれの場所においても親切に対応してもらった。また、貴重な資料をいただいてもスペイン語の能力が乏しかった私にとって、すべてを理解するのは難しく、めげてしまいそうになることもあった。ここからは、アリカンテ市役所観光課の皆さんへのヒアリングにおいてわかったことと、それについての考えを述べていく。

図Ⅲ―3 アリカンテの気温推移

写真:市の方に書いていただいた該当部署の住所、貴重な資料の保管場所

b. バレンシア州(アリカンテ市)の観光

ここではアリカンテ市役所に訪れた際にいただいた情報をもとに、調査報告することにする。なお、これはアリカンテ県を含むバレンシア州のデータであるが、市の方々の「観光資料においてはアリカンテ市が州の経済に一番多く関わっているため、推移などの変化を見る場合にはバレンシア州をアリカンテ市の資料として使用して良いだろう」とのお答えから、これを利用することにする。
2012年にバレンシア州を訪れた外国人韓国客は5300万人にものぼり、平均滞在日数は11.9日で、これはムルシア州に次いで二番目に多い数となっている。なお、図Ⅲ―4をみるとスペイン全土における、外国人観光客の平均滞在日数は8.9日で、バレンシア州はこれを上回っている。図Ⅲ―5のバレンシア州を訪れる外国人観光客の出発地別割合をみてみると、4割近くをイギリスが占め、フランス、ドイツとなっている。後日、鉄道アリカンテ駅の観光案内所を訪れ、訪れる観光客の印象を聞いてみたところ、「ほとんどがイギリス人とフランス人なので、それぞれの言語にあわせたパンフレットと市内地図を用意している」と教えていただいた。

図Ⅲ―4 外国人観光客の出身地

上から順にイギリス、フランス、ドイツ、その他、南国、イタリア、北国、ベルギー、スウェーデン、ポルトガル、アイルランド、アメリカ

つぎに交通手段をみていく。観光客の81.8%が空港を利用し、その他の15.9%は道路交通を利用している。また、6.3%の人がチャーター機を利用し、93.7%の人が民間航空機を利用しており、84%の乗客が格安航空機を利用していることも明らかになっている。また、「どのように今回の旅行の予定をたてたか」という質問に対し、16.5%の観光客が「旅行会社等でパッケージ型の予約(ガイドやホテル等とセット)をした」、75%が「自分達でインターネットを使ってすべての旅程をたてた」と答えた。

図Ⅲ―5 バレンシア州への来訪手段

占める割合が高い順に航空機、自動車、船やボート、鉄道

アリカンテ市内の交通手段において、私が注目したのは、主要なランドマークを繋いでいる「TRAM(トラム)」と呼ばれる路面電車である。駅内の観光案内所の方も、市内観光のための交通手段としてこの路面電車を推奨している、とおっしゃっていた。トラムは郊外では専用を地上走行するが、沿線風景は薄オレンジ色の岩肌が露出する景観が主体であり、イメージ保全のため車体の側面は白を基調としている。しかし、中心市街では都市景観から地下鉄を走行している。景観を守る工夫はこれにとどまらない。アリカンテ市は、車とこのトラムを繋ぎ、これを新しい交通ネットワークをつくりだしていることに気付いた。市街地ではトラムの駅を地下深くに位置し、その上を駐車場として利用していたのだ。市街地では、基本的に車を路上パーキングエリアに駐車するのは主流だが、そのしくみはあまりにも複雑であった。駐車可能時間は最長で3時間程度で、まず何時まで駐車できるかが書かれた駐車チケットを購入し、それを車の前方ミラーに貼っておく。警備員はその時間を目安に見回りをし、その時間を過ぎている車を発見すると罰金を課すのである。これでは、長時間駐車した地区を離れなくなって、人々の回遊性が低くなる一方である。そこで、地下鉄を走るトラムの駅のこれまで利用しなかった地下を駐車場として利用し、料金を一日単位で定めることによって、アリカンテまで車できた人の移動への負担を軽減し、市内を自由に回れるよう回遊性を高めたのである。

地図:TRAM

写真:TRAM車体

写真:TRAM軌道

写真:TRAM駅内駐車場の様子

また、図Ⅲ―6を見ると、バレンシア州を訪れる観光客の37.9%が25歳から44歳、32%が45歳から64歳となっていて、主に中年層で構成されていることがわかる。一方で、若年層は全体のわずか17.2%である。

図Ⅲ―6 来訪者の年代別割合

年代順に「15歳未満」、「15歳から24歳まで」「25歳から44歳まで」、「45歳から64歳まで」、「64歳以上」

次に図Ⅲ―7の滞在場所をみてみると、「ホテル」が37.4%と最も多く、次いで「友人の家」が26.4%、「別荘」17.3%、「レンタルハウス」14.6%となっている。

図Ⅲ―7 滞在場所

占める割合が高い順に「ホテル等宿泊施設」、「友人宅」、「別荘」、「レンタルハウス」、「その他」

図Ⅲ―8の来訪目的をみると、90.3%の観光客が「娯楽・長期休暇を過ごすため」、4.8%が「ビジネス目的」、3.2%が「個人的理由」となっている。

図Ⅲ―8 来訪目的

図Ⅲ―9を見ると、バレンシア州を観光目的で訪れる人の目当ては、歴史的建造物を訪れる等の「文化活動」で、次いで「ディスコやパブ等の娯楽」、「友人等への訪問」と続く。またスペイン全土との比較において値が大きいのは「ディスコやパブ等の娯楽」、「友人等への訪問」、「スポーツ活動」、「テーマパーク」である。

図Ⅲ―9 来訪目的②

左から順に文化活動、ディスコやパブ等の娯楽、友人を訪問、スポーツ活動、テーマパーク、劇・劇場、食、スポーツ活動援助

2012年の一人当たりの観光消費額は、約906.7€(約124,500円)で一日平均76.3€(約10,500円)と高額である。では、観光客はなににお金を使っているのか。図Ⅲ―10をみると、「交通費」が31.3%と一番大きく、その他は「ガイドや入場料等」と「宿泊費」が約18%、次いで「レストラン等の食費」「お土産等」となっている。

図Ⅲ―10 支出目的

c. アリカンテの新しい活力

 実際に市内を歩いてまわってアリカンテ市はまさに「コンパクトシティ」と呼ぶのにふさわしい場所だと思った。一般的な「観光都市」と呼ばれる都市と同様に、アリカンテ市内の多くの場所は観光客のための場所と現地住民のための場所に二極化している。商業施設の集まる商業ゾーンと、歴史的な旧市街に綺麗に二分化されていて、それぞれの地区でまるで雰囲気が異なり、同じ市内にいるとは思えないほどであった。そして住民の方はこの街が好きなんだなあ、と幾度となく感じることができた一方で、住民の方は観光客のいる場には出向かず、狭い住民ネットワークの中で過ごしているという印象を受けた。若くて活気ある大学や街の中心部からは、急速に成長している経済面が見られる反面、伝統的な文化も保ち続けている。このことは、中小都市ならではの魅力があるともいえるが、この二極化は、現地住民にとっての都市の質の低下を起こしかねないのではないか、と私は考える。「大好きな街を観光客の皆に伝えたい」という住民の方の思いを観光客に伝え、観光客にも「この街を好きになってもらおう」という意識が必要なのではないかと感じた。現地住民と観光客が同じ空間を共有し、日常的な都市の活力を観光資源に変えることこそ、これからのアリカンテが新しい観光都市として生まれ変わるために必要な条件であろう。

c. ホームステイ

 一か月以上、スペインのMiralles一家にお世話になった。この報告書で報告できることはほんのわずかであるが、この貴重な経験で感じたことを残したい。
近年、グローバル経済低迷の深刻な影響を蒙ったスペインは、労働人口全体では26%、若年層では60%近くに及ぶ失業率に苦しめられている。実際に、Sergioのお母さんのAgustinaは、かなり賃金の低い靴工場で働きながら、得意の裁縫を生かして自宅では服や靴の修理をしてお金を稼いでいる。低賃金でありながら平日の朝6時には出勤し、夜の8時まで働いていた。州の規則としては7時間労働にも関わらず、長時間働いて帰ってくるAgustinaはとても疲れていたが、「これがスペインの状況よ」と笑う彼女を見て、虚しさを覚えた。Sergioと友人たちの話では、大学を卒業しても安定した職業に就けるのはほんの一握りであり、ほとんどの人が長期滞在等での短期労働の機会を利用したり、賃金の低い工場などで働いているという。お父さんのLuisは若くしてバレンシア州の消防士として働いていて、現在は消防士の所長であり、彼の労働条件は他と比べてとても良いという。ある日、彼は働いている消防署に連れて行ってくれ、所内のすべての施設を案内してくれた。普通では行くことのできない場所に行くことができ、働く皆さんの仕事への熱意に感動させられた。しかし、一方で彼らのようには働くことのできない人がほとんどであり、あらためてスペインの経済不況を感じた。

写真:アリカンテ県エルチェの消防署

写真:バカンス期間にも訓練をかかさない消防士の皆さん

写真:消防士の緊急時の対応を見せてくれるLuis

 厳しい経済状況にも関わらず、彼らは明るかった。彼の母、Agustinaはいつも家族のムードメーカーで、父のLuisは、どんなときでも優しく、まるで私を本物の家族のように受け入れ、たくさんの場所に連れていってくれた。また、彼の兄夫婦や彼らの2歳のお子さんのMiaと一緒に過ごして、まさに現地の生活をそのまま体験することができた。今年の始めにスペイン語を勉強し始めた程度の私の語学力では、はじめのうちは、彼らの話していることがわからず、気づかないうちに悲しい顔を見せてしまうことが多かった。「これほどまでに優しくしてくれているのに、私はそれにまったく答えられない」とふがいなさを感じ、その場にいることさえ申し訳ないと思う瞬間も多くあった。しかし、その度にSergioが英語で翻訳してくれたり、英語の話せない彼らが直接ジェスチャーで伝えてくれようと努力してくれているのを見て、とにかく私のできることは彼らの好意を素直に受け止め、笑顔で接することだと気づいた。時が経つうちに、私は彼らの話していることが徐々にわかるようになり、だんだんとコミュニケーションがとれるようになってきた。2歳のMiaが新しく覚えた単語を、彼女と遊んでいるうちに私も覚えたりするなど、毎日が私にとって充実した時間で一生忘れられない時間となった。その他にもこの場に書ききれないほど大勢の方々にお世話になった。お世話になった方々と別れるとき、ありとあらゆるスペイン語のテキストを使ってちょっとした手紙を書いた。いつも笑っていたお母さん、お父さんが私のために泣いてくれて、ミアはなにかを察して私からずっと離れなかった。2歳のミアが人にこんなにも懐くのを初めて見た、と皆が口を揃えて言うので、私も離れるのが嫌で一緒に泣いた。「ここがいつでもあなたの家よ、いつでも帰ってきなさい。本当に会えてよかった」と言ってくれた。そのとき昨年アメリカのホテルを去るとき、ボスが「また、必ず帰ってきなさい」と言ってくれたのを思いだして、私は「日本以外にもまた家ができたんだ」、と思った。以前立てた「世界中に友達をつくる」という目標を超え「世界中に家をつくる」ことができた、と嬉しくなった。

写真:毎日の食事風景

写真:2歳のMia

 

Ⅳ 総括

(1)都市軸の魅力

ヨーロッパ諸都市を調査し終えた今、既述の「都市軸」についての自分の考えをここに記す。まず都市軸があたえうる影響を考えたい。一つ目は、そこに住む人々にとって「精神的支え」としての意味を持つ。例えば国内の地方都市でも、歴史的経緯から生まれた通り(門前町、旧街道等)が都市の近代化を経て都市軸として成長してきたケースが少なくない。そのような街では、都市軸が発展することが街の誇りであるし、商業を営む者であれば、その軸沿いに店を構えることが何よりのステータスとなるだろう。ここでは都市軸が、街中を直線的に結ぶ役割だけでなく、地域同士の関係をより良くし、「自分の街に誇りや愛着を持つ」「自分の街は自分でつくる」というような、まさにヨーロッパの人々のイメージにぴったりともいえるまちづくりに貢献する役割をも備えているのではないか。 二つ目は、「わかりやすさ」である。例えば我々が見知らぬ街を歩き回っている最中に道に迷ったとき、最も確実な方法はその街の都市軸を探すことである。一般的に都市軸においては、視線は開けていたり、主要なランドマークがあったり、自らの位置関係を認識しやすい場所となっているケースが多い。 では、このような都市軸をどのように築くのか、というと具体的には並木をつくる、広い歩道をつくる、シンボルを置く、夜間景観にも気を配る等が挙げられるが、これらは全て、すでに記したように、都市軸が人々の「精神的支え」と「わかりやすい」空間になるための手段である。これら手段や形成するまでの過程は、その都市に関わる全ての人にとって共通認識を形成するだけのわかりやすさ、安心感を与えるものでなくてはならない。 日本国内では、パリの歴史軸のような大規模な例は見られないが、新規の開発における都市軸の例は、我が中央大学にも近い多摩センター駅からパルテノン多摩へ至る中央軸がその例であるのではないか、と考える。 また、都市軸の魅力としてもうひとつ挙げられるのは、「裏道」の存在である。例えば、近年の傾向として国内でも「裏路地カフェ」が人気を集めており、雑誌やテレビで紹介されるのをよく目にする。オモテではなくあえてウラに店を構えるのは、街を訪れた人のぶらぶらと歩きながら、「次の角を曲がったらどんな店があるのだろう」という楽しみを利用したものである。今回訪れたいずれの都市においても都市軸、いわゆるメイン通りが存在したが、その通りをまっすぐ歩いていくとたくさんのウラがあることに気づき、曲がってみるとガイドマップには掲載されていないような小さくとも個性的なお店や素敵なカフェを発見することができた。マップをしまい、通りを歩いて気分のままに曲がり角を曲がってみると、「ここにはどんなお店が隠れているのだろう」とわくわくして、それは都市の魅力が詰まっているのはむしろ「オモテ」ではなく「ウラ」なのではないかと思ってしまうほどだった。しかしこうした「ウラ」の魅力が生まれるのは「オモテ」の存在があるからといっても過言ではない。手をかけて質の高い「オモテ」をつくることによって、手をかけられていないが、それが逆に「ウラ」の趣深さを増すことにつながるのは、もうひとつの都市軸の魅力ともいえるだろう。今後求められるべき都市軸のあり方は、その街に関わる人にとって都市のわかりやすさや景観的なシンボルとしてだけではなく、そこに住む地元の方々の憩いや「ウラ」も含めた、街そのものの価値を高める存在の都市軸ではないだろうか。

(2) 今後に向けて

今回は、都市調査という目的で私はヨーロッパへ出発したが、ヨーロッパは4年前に高校の修学旅行で行ったきりで、準備段階から不安でいっぱいであった。奨学生となった責任から、とにかく現地でできることすべてに挑戦してみよう、感じてこようという気持ちで自分を鼓舞し、調査にあたった。 帰国後、この夏を振り返って思い出すのは今回の調査で触れた、たくさんの人々のやさしさだ。滞在中は数えきれないくらいの人々に助けてもらい、お世話になった。正直なところ、私はフランス語文学文化専攻でありながら4年前にフランスを訪れたときのイメージから漠然とパリという都市に対して苦手意識を持っていた。いつも人で溢れ、街中に浮浪者や怪しげな人物があちこちにいるイメージのあったパリは4年前の私にはあまりにも不慣れな場所であったからだ。しかし、私のイメージは今回の滞在中に出会った人達が一瞬にして打ち砕いてくれた。重い荷物代わりに運んでくれたお兄さんや、駅で「場所わかる?」って地図を一緒に除きこんでくれるおばあちゃん。地元の学生さん達は、「日本語わかります」と話しかけてくれたし、ホテルの近くのクレープ屋のおばさんは、毎日「なにか食べる?」「今日はどこ行くの?」と話しかけてくれた。彼らのおかげで私はずっとあたたかい気持ちでいられたのである。また、パリでの出会いはこれからの自専攻の授業において大きな意味を為すことであろう。 スペインでは昨年の夏休みにアメリカの国立公園で働いていたときに出会ったSergioの家に一か月以上ステイさせてもらった。昨年アメリカでの世界中のたくさんの友達との出会い。その中のひとつがこうしてまた新しい人達との出会いに繋がったのだ。入学前に「各国に友達をつくる」「世界の中を知る」という目標を掲げ、過ごしてきた私にとってこのことはとても嬉しく、心に響いた。 今回のヨーロッパでの滞在、またこれまでの海外渡航経験を含めて考えたことを最後に私の率直な思いをここに残しておきたいと思う。それは「人生いろんな形があっていい」ということだ。大学生のうちに就職活動を一生懸命にして、仕事を手にする。願わくは若いうちに結婚して子供を産む。なんとなく、私はそんな人生を頭の中で描いてこれまで生きてきた。一般的に言われる「平凡」な生活が100%の幸せだと思っていたし、私も「なにか大きな夢を叶える」ということはできなくても、平凡に生活できたらそれで十分幸せであると考えていた。しかし、今はもしかしたら自分にそう思いこませていたのかもしれないと思うようになった。ここにいる人たちは、きちんと芯がある。特に、スペインでホームステイをしているときに感じたことだが、進んだ先に苦難が待ち構えていることがわかっていても、彼らは常に自分の感情のままに生きている。もちろん育ってきた環境や文化、国をとりまくもの全てが日本とは異なるといったらそこまでの話だが、自分の生きたいように生きることというのは、本当は一番むずかしいことなのではないだろうか。自分の信じる道を進み、そのためなら時間を存分に使い、いかなる努力も惜しまない。日本人は、少しばかり安定志向に傾きすぎているのではないだろうか。自分自身を見つめなおしながら、そんなことを幾度となく感じた旅でもあった。 若干、欲張りな都市調査であったことは否めないが、今回の経験、その他得た全てのものは私にとって大いなる資産となるであろう。それぞれの都市で出会ったあたたかい地元の方々、訪問を受け入れていただいたアリカンテの観光案内所、市役所観光課の方々、そして私を長期間に渡って受け入れてくれたスペインの家族の皆にこの場をかりて感謝を表したい。彼らの協力なしではこのような充実した時間を送ることができなかった。またこのような奨学金をご用意いただいた、文学部事務室の担当者の皆様にも御礼申し上げたい。協力してくださったたくさんの方々のおかげでこのような報告書がまとめられたのである。この経験を胸に、現地で受けとったものを自分のホームでどう形にしていくことができるかが、今後の私自身の課題であり、重要なことである。この奨学生としての「責任感」が、わたしを背後から強く押してくれることだろう。今回いただいた、経験を活かし、さらに進むことができるよう、より気を引き締めてこれからを歩んでいきたい。

(3)参考文献

  • Post-Souvenir City (Jorge Almmazan/flick studio/2014年)
  • Turisme de Barcelona(www.barcelonaturisme.cat)
  • PERFIL DEL TURISTA QUE VISITA LA COMUNITAT VALENCIANA 2012