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文学部
ヨーロッパ各国のサッカーにおけるフーリガニズムの調査

文学部人文社会学科 西洋史学 5年
松田 将太

1.概要

  • 2014年9月11日から10月29日の間、ヨーロッパ6か国を訪問して主にサッカーの試合を観戦し、スタジアムに訪れるサッカーファン(可能であれば、より過激なフーリガンと呼ばれる人々)へのインタビュー調査等を行う

2.目的

  • サッカーのスタジアムで起きたフーリガンによる暴動事件から、内戦時の旧ユーゴスラヴィア地域の政治とサッカーの関係を読み解くという卒業論文を執筆する上で、「政治・サッカー・暴力」の関係性を、同地域だけでなくヨーロッパ各地に関してもより深く知ること
  • これまで何度もフーリガンによる暴力を目の当たり(機動隊との衝突、発煙筒、爆竹等)にし、また軽度の被害を受けた(催涙ガス、対フーリガンの厳重警備ゆえに警察に連行された等)経験から興味を抱いた、20世紀半ばから存在するこれらフーリガニズムと呼ばれる現象を、西洋史学の研究対象と見なして考察すること

3.移動経路・観戦試合の日程

9月11日:成田空港→モスクワ→デュッセルドルフ
12日:デュッセルドルフ→レヴァークーゼン→デュッセルドルフ
「ドイツ1部リーグ:バイエル・レヴァークーゼン対ヴェルダー・ブレーメン」
13日:デュッセルドルフ→ドルトムント
「ドイツ1部リーグ:ボルシア・ドルトムント対フライブルク」
14日:ドルトムント→ハンブルク
「ドイツ2部リーグ:ザンクト・パウリ対1860ミュンヘン」
15日:ハンブルク→ベルリン
16日:ベルリン
17日:ベルリン
18日:ベルリン→クラクフ
19日:クラクフ→ヴロツワフ
「ポーランド1部リーグ:スロンスク・ヴロツワフ対コロナ・キエルツェ」
20日:ヴロツワフ→ポズナン
「ポーランド1部リーグ:レフ・ポズナン対ザヴィシャ・ビドゴシュチュ」
21日:ポズナン→クラクフ
「ポーランド1部リーグ:ヴィスワ・クラクフ対レギア・ワルシャワ」
22日:クラクフ→ワルシャワ
23日:ワルシャワ
24日:ワルシャワ
25日:ワルシャワ
26日:ワルシャワ
「ポーランド4部リーグ:ポロニア・ワルシャワ対オメガ・クレシュチョヴ」
27日:ワルシャワ
「ポーランド1部リーグ:レギア・ワルシャワ対レフ・ポズナン」
28日:ワルシャワ→クラクフ
「ポーランド1部リーグ:クラコヴィア・クラクフ対ヴィスワ・クラクフ」
29日:クラクフ→ドルトムント
30日:ドルトムント→ゲルゼンキルヒェン→ドルトムント
「UEFAチャンピオンズリーグ:シャルケ対マリボル」
10月1日:ドルトムント→ソフィア
「UEFAチャンピオンズリーグ:ルドゴレツ・ラズグラド対レアル・マドリード」
2日:ソフィア
3日:ソフィア
「ブルガリア1部リーグ:CSKAソフィア対ボテフ・プロヴディフ」
4日:ソフィア→ニシュ
「セルビア1部リーグ:ラドニチュキ・ニシュ対チュカリチュキ」
5日:ニシュ
6日:ニシュ→スコピエ
7日:スコピエ
8日:スコピエ→オフリド
9日:オフリド→スコピエ
「UEFAヨーロッパ選手権予選:マケドニア対ルクセンブルク」
10日:スコピエ→ソフィア
「UEFAヨーロッパ選手権予選:ブルガリア対クロアチア」
11日:ソフィア→ベオグラード
12日:ベオグラード
13日:ベオグラード
14日:ベオグラード
「UEFAヨーロッパ選手権予選:セルビア対アルバニア」
15日:ベオグラード
16日:ベオグラード
17日:ベオグラード
18日:ベオグラード
「セルビア1部リーグ:パルチザン・ベオグラード対レッドスター・ベオグラード」
19日:ベオグラード
「セルビア1部リーグ:ラド・ベオグラード対OFKベオグラード」
20日:ベオグラード→アテネ
「ギリシャ1部リーグ:パニオニオス対PASヤニナ」
21日:アテネ
22日:アテネ→ピレウス
「UEFAチャンピオンズリーグ:オリンピアコス対ユヴェントス」
23日:ピレウス→アテネ→テッサロニキ
「UEFAヨーロッパリーグ:PAOK対フィオレンティーナ」
24日:テッサロニキ→アテネ
25日:アテネ
「ギリシャ1部リーグ:アトロミトス対エルゴテリス」
26日:アテネ
「ギリシャ1部リーグ:オリンピアコス対パナシナイコス」
27日:アテネ→テッサロニキ
28~29日:テッサロニキ→モスクワ→成田空港

4.活動報告

この報告書では、今回の滞在を時系列に沿って記述する。

《出国から最初の試合まで》

2014年9月11日、成田空港からアエロフロート航空の飛行機に搭乗し、モスクワを経由してドイツのデュッセルドルフに到着した。2年前の報告書でも記述したように、ロストバゲージ等の経験からアエロフロート航空には悪い印象しか持っていなかったのだが、デュッセルドルフ着・アテネ発の航空券を安価で購入するには、唯一の選択肢であった。
無事デュッセルドルフ空港に到着し、予約していた宿に泊まった。翌12日、観戦予定の試合が行われる夜までは時間があり、特に観光地も無いデュッセルドルフの街を散策した。ドイツには以前訪れたことがあったが、旧ユーゴを中心とした東ヨーロッパ諸国に行き慣れている私にとって、円安も重なったこともあってか、非常に物価が高く感じられた。サッカーに関して言えば、フォルトゥナ・デュッセルドルフというクラブが有名で、ドイツ2部リーグにも関わらず毎試合3万人前後の観客が詰めかけている。そのクラブのホームスタジアム、エスプリ・アレナにも足を伸ばしてみたが、スタジアムツアー等は開催されておらず、人気のないスタジアムを外から眺める他無かった。

《ドイツでの3試合》

今回の滞在で最初に観戦した試合は、バイエル・レヴァークーゼン対ヴェルダー・ブレーメンの試合であった。デュッセルドルフからレヴァークーゼンまでは、電車で20分程の距離であったが、その車内でアウェイクラブのブレーメンのサポーター3人と会話をすることが出来た。アウェイクラブのサポーターが、ユニフォームや応援グッズを着用し、何の問題も無く公共交通機関を利用して、スタジアムへと向かうことは、私たち日本人にしてみれば当たり前のことだが、ヨーロッパではそうはいかない国の方が多い。後述するが、ホームクラブのサポーターと衝突する危険性が非常に高いという理由から、そもそもアウェイクラブのサポーターはスタジアムに入場禁止とする試合も珍しくない。しかしながら、ドイツではほとんどの場合、ホームクラブとアウェイクラブのサポーターが同じ電車に乗ってスタジアムに向かい、スタジアム周辺の出店で同じ列に並んでビールを買うことが出来る。私が会話したブレーメンサポーターは、このことを誇りに思っていて、安心してアウェイの試合も観戦しに行ける環境は守らなければならないと言った。その後、レヴァークーゼンの駅から15分程歩き、レヴァークーゼンのホームスタジアム、バイアレナに到着した。
試合は、金曜日開催にも関わらず、アウェイクラブのサポーターエリアも含め、約30000人収容のスタジアムが満員となり、非常にいい雰囲気の中で行われた。素人目に見ても疑問符の付く判定が目に付いた主審に対して、両クラブのサポーターから度々大きなブーイングが起きていたが、大きな混乱が起きることも無く、3対3という壮絶な試合は無事に終わった。試合後、両クラブのサポーターは、挨拶に来た自クラブの選手に対して惜しみない拍手を送っていた。

写真:バイエル・レヴァークーゼンのサポーター

写真:バイエル・レヴァークーゼンのサポーター

翌日、デュッセルドルフから電車でドルトムントへ向かい、ボルシア・ドルトムント対フライブルクの試合を観戦した。この試合は、以前ドルトムントに所属していた日本代表の香川真司が、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドからの復帰初戦であった。これがきっかけで現地のサポーターたちと交流する機会があったものの、この報告書に記述すべき内容の話は出来なかった。
翌14日の早朝、ドルトムントからハンブルクへ電車で向かった。今回の滞在でドイツを訪れることに決めた1番の理由は、この街にあるザンクト・パウリというクラブのサポーター集団に関して調査したいと思ったからである。ザンクト・パウリのサポーターは、クラブ本拠地の地理・歴史的な背景から、左派集団である。彼らは、反人種差別・反ファシスト・反性差別・反同性愛嫌悪を掲げており、これらの考えを持つ世界中のサッカー好きの間ではカルト的な人気を博している。一番のライバルクラブであり、同じハンブルクを本拠地としているハンブルガーSVをはじめとして、世界的にも多数派である右派(ネオナチ)のクラブのサポーターとは対立関係にある。また、ザンクト・パウリは、パンクロックのシンボル的な役割も果たしている。
この日は、ザンクト・パウリ対1860ミュンヘンの試合が予定されていた。ハンブルクに到着後、宿泊予定の宿に荷物を置き、彼らのホームスタジアムであるミラントア・シュタディオンに向かった。スタジアムの周辺には、ホームレスのような格好をしている老人から、若い男女のカップル、はたまた家族連れまで、ヨーロッパのスタジアムでは珍しく実に多様な人々が楽しそうに談笑していた。会話をすることが出来たイギリス在住のフランス人男性は、サポーターの考え方に魅了されて、シーズンチケットを買って毎月1、2回は必ずハンブルクを訪れていると言う。地元であるフランスのクラブにも、サッカーの母国イギリスのクラブにも無い魅力が、ここハンブルクのザンクト・パウリにはあるのだろう。
それが一体どのようなものなのか、実際に試合を観戦することで感じられると考えていた。しかしながら、スタジアムの一体感や雰囲気は素晴らしかったものの、それはドイツの他クラブや他国のリーグでも感じうるものであり、なぜここまでカルト的な人気を博しているのか十分に理解することは出来なかった。今回のような短期間の調査では、クラブやサポーター集団の内部事情を知るには不十分であると痛感した。1つのクラブを深く掘り下げるためには、足繁くスタジアムや練習場に通いつめ、自分自身がそのクラブのことを好きになることが必要であり、より多くの試合を観戦するために移動をし続ける今回のスタイルは、調査目的を達成するために良い方法ではなかったかもしれない。もし今後、何らかの形でどこかのクラブやサポーター集団を取材対象とすることが出来たなら、十分な理解をするためには1つのクラブあたり最低でも1ヶ月間は関わる必要があると感じた。

《ドイツからポーランドへ》

15日から19日にかけては観戦予定の試合が無いため、15日の早朝にはハンブルクを発ち、友人の住むベルリンへと向かった。友人宅に3泊し、ベルリンを観光した後、18日の早朝にポーランドのクラクフ行きのバスに乗った。本来の予定では、この日クラクフに到着次第すぐに、今後観戦予定の試合のチケットを購入する予定だったが、生憎バスの到着が約2時間遅れ、クラブのオフィスが閉まってしまった。ドイツでは、インターネット上から簡単にチケットが購入可能なのだが、ポーランドではレフ・ポズナンというクラブのホームゲームを除いて、各クラブのオフィスを訪れる必要がある。ここで、ポーランド1部リーグ(エクストラクラサ)で導入されているチケット購入システムを紹介する。チケットを購入するために、まずはカルタ・キビツァ(英訳するとファン・カード)というカードを、各クラブのオフィスを訪れて作成する必要がある。このカードには、名前、顔写真、カード番号に加えて、ポーランド人もしくはポーランド在住者にはPESELという国民識別番号が、外国人にはパスポートの番号が記載される。作成後、チケット売り場に行き、購入する席を決めて代金を支払うことで、カードにチケット情報が登録される。そしてそれを、試合当日にスタジアムのゲートにかざすことで、入場することが出来る。ゲートには多数の係員が配備されていて、ヨーロッパのスタジアムであればほぼ必ず行われる厳しいボディチェックに加えて、カードの顔写真と一致しているか否かのチェックも行われる。また、カードにPESELが記載されているポーランド人やポーランド在住者に関しては、カード作成後にはインターネット上からログインすることで手軽にチケットを購入出来るが、外国人はカードを持っていても、チケット売り場に行かないとチケットを購入出来ない模様である(私がカードを作成した4クラブでは、いずれもオンラインチケット購入のサイトが存在し、ログインも出来るものの、チケットの購入は出来なかった)。

《ポーランドのサポーター集団について》

このシステムを導入したのは、チケットの転売を防ぐためではないかと考える方もいるだろうが、チケットが完売するような試合は、1シーズンでせいぜい5試合程度である。一部の人気クラブとの試合を除いて、下位クラブの試合では常に閑古鳥が鳴いている。では、本当の目的は何かと言うと、フーリガンを管理するためである。つまり、このシステムを採用せざるを得ない程、ポーランドには過激なサポーター(すなわちフーリガン)が数多く存在するということである。
いかに過激であるかを示す事件は枚挙に暇がないが、ライバル関係にあるクラブのサポーターや、ライバル関係にあるクラブと友好関係(ポーランドでは、特定のクラブ間ではサポーター同士が協定を設けていて、友好関係を築いている)にあるクラブのサポーターを、試合とは関係の無いタイミングで殺害することも珍しくない。レギア・ワルシャワのフーリガンは、負けている試合の最中に大規模な暴動を起こし、試合を中止に追い込んだこともある。また、彼らは極右であり、人種差別発言等により罰金やスタンドの閉鎖処分を幾度となく受けている。フーリガン集団がそのままナショナリストの組織と化し、スタジアムは組織のメンバーをリクルートする場所になっていることさえもある。
このような状況下で、フーリガンを厳重に管理する必要に迫られたために、このシステムが導入されることになったのである。それによって、どこの席に誰がいるのかが簡単に調べられるようになった。話を聞いたポーランド人によると、このシステム導入後は、スタジアム内で悪質な事件が起きることは目に見えて減少したと言う。しかしながら、未だにスタジアム外では頻繁に問題を起こしているし、スタジアム内でも差別発言を聞かない日はないと教えてくれた。東ヨーロッパのフーリガンに詳しいクロアチア人の友人(ディナモ・ザグレブのサポーター集団であるバッド・ブルー・ボーイズの一員)は、「ポーランドのフーリガンこそヨーロッパで最も凶悪で、ナチスに踏みにじられた経験から、極端なナショナリスト的な思考をしている。日本に対して悪いイメージを持っている国民はそう多くないはずだが、スタジアムにいる集団にとっては、外国人はすなわち敵であると見なす可能性が高く、1人でスタジアムに行くことは勧めない」と忠告してくれた。

《ポーランドでの試合観戦》

話を元に戻すが、19日の午前中に今後クラクフで観戦予定の2試合のチケットを購入し、この日に試合が行われるヴロツワフへと向かった。ヴロツワフに到着後すぐに荷物をコインロッカーに預け、試合が開催されるヴロツワフ市立競技場へと移動した。近年ポーランドでは、スタジアム関連のインフラ整備が進んでおり、このスタジアムも2011年に建設され、2012年のUEFAヨーロッパ選手権で使用された、約4万人収容の立派なスタジアムである。しかしながら、この日は金曜日ということと、対戦相手はあまり人気のないクラブということで、スタジアムは閑散としていて、盛り上がりに欠けた。しかしながら、試合前々日の9月17日は、第2次世界大戦中の1939年にソ連軍がポーランドに侵攻した日であり、ホームのスロンスク・ヴロツワフのサポーター集団は、それにちなんだ横断幕を掲出していた。後日、話を聞いたポーランド人によると、この日付を覚えているポーランド人は多く、ソ連と、ソ連とともにポーランドを侵攻、後に占領したナチス・ドイツに対して憎悪感情が増す日付だと言う。日本で言えば広島と長崎に原子爆弾が投下された日付のようなものだろうか。しかしながら、このような歴史的出来事とは全く関係のないサッカーの国内リーグが行われるスタジアムで、この横断幕を掲げることの意味までは、十分に理解することが出来なかった。

写真:スロンスク・ヴロツワフのサポーター集団による横断幕。ナチス・ドイツとヒトラーを、そしてソ連とスターリンを批判する内容が書かれている

写真:スロンスク・ヴロツワフのサポーター集団による横断幕。ナチス・ドイツとヒトラーを、そしてソ連とスターリンを批判する内容が書かれている

翌日、夜に試合が開催されるポズナンという街へ向かった。夕方にスタジアムへ向かい、スタジアム併設のグッズショップを散策していたのだが、万引きをして満面の笑みでガッツポーズする中年の男性を見かけた。周囲の人々も気づいていたと思うのだが、誰ひとりその男性に声を掛けようとする者は居らず、悪い意味で非常に印象的な出来事だった。その後に行われた試合は、こちらもアウェイクラブの人気が今ひとつだということもあってか、盛り上がりに欠け、ホームクラブが得点を挙げた際にも、周囲の観客のリアクションは薄かった。

ポズナンを発って以降の約1週間は、3試合ほど観戦するも、特に収穫がなかった。前述したように、ポーランドのフーリガン集団を恐れていた私にとっては、何事も起きずに観戦できたことが幸いだった。
その後、ポーランド滞在では最後の試合となる、「聖戦」と呼ばれるクラコヴィア・クラクフ対ヴィスワ・クラクフの試合観戦並びにインタビュー調査を行った。この両クラブのライバル関係は、ポーランドでは最も緊張状態にあると言われる。クラブは同じ街にあるだけでなく、スタジアムの距離も1kmほどしか離れていない。
ヴィスワのサポーター集団は、厳重な警備隊に囲まれて隔離されたゲートからスタジアムに入場した。当然客席も隔離されているのだが、100人単位で一斉に隔離するための柵を壊してクラコヴィア側に侵入を試みていて、非常に恐ろしい光景だった。結果的に成功することはなかったが、爆竹や発炎筒の投げ合いは頻繁に起きており、隔離エリア周辺の観客は試合どころでは無く、終始ヴィスワサポーターのエリアの方を向いていた。 試合は、試合終了間際のラストプレーで、相手のミスからホームのクラコヴィアが先制点を決め、1対0で勝利した。試合後はお祭り騒ぎとなり、ヴィスワのサポーター集団はそれまでの威勢の良さが嘘のように静まり返っていた。試合後、近くにいたクラコヴィアのサポーターの方に話を聞いたところ、この10年で最高の試合だと言う。このような興奮状態になると、負けたヴィスワサポーターを煽りたくなるのではないかと思い、聞いてみたところ、それよりも喜びの方が強く、これから仲間と飲み明かすのが楽しみだと言う。
幸い、この日も大きなトラブルは無く終わり(後日ニュース等を数多くチェックしたものの、特にトラブルが起きていた様子もなかった)、予想に反して穏やかなポーランド滞在となった。

写真:クラコヴィアのサポーター集団による、アンチ・ヴィスワを意味するビッグフラッグ

写真:クラコヴィアのサポーター集団による、アンチ・ヴィスワを意味するビッグフラッグ

写真:隔離されたヴィスワのサポーター集団

写真:隔離されたヴィスワのサポーター集団

《ポーランドからドイツを経由してブルガリアへ》

今回の滞在で、どうしてもブルガリアを訪れておきたかった。その理由は、同じバルカン半島の旧ユーゴスラヴィア諸国に負けず劣らず、凶悪なフーリガンが多数存在するからである。こちらの事例も、ポーランドと同じく枚挙に暇がないが、昨年の試合でフーリガンが相手クラブの監督に向けて雪玉を投げつけ、それが頭に直撃して一時意識不明状態となった(後に回復した)という事件を紹介するだけで十分であろう。
今回、ポーランドからブルガリアという長距離を移動するに当たって、最も安く、簡単に移動できるルートが、格安航空会社を利用してクラクフからドイツのドルトムントへ飛び、ドルトムントからまた別の格安航空会社でブルガリアのソフィアに飛ぶというものであった。また、このルートを利用することで、ドルトムントからほど近いゲルゼンキルヒェンという街において、シャルケ対マリボルの試合を観戦することも可能となった。この試合に際して、スロヴェニアのマリボルから多数のサポーターが応援に訪れることを知った私は、少々強引ではあるが、セルビア語でのインタビューを試みた(セルビア語とスロヴェニア語に関しては前年度の報告書参照)。以前、スロヴェニアでサッカーを観戦した際に感じた、サッカー熱の低さについて尋ねてみると、「国内リーグはマリボルも含めて全く盛り上がっておらず、観客が多く訪れるのはヨーロッパの大会(UEFAチャンピオンズリーグもしくはUEFAヨーロッパリーグの本戦並びに予選)の試合のみだ。私たちは、生まれ育った街のクラブが、このような欧州の大舞台に出場出来る程に強くて、本当に幸運だと思う」と答えてくれた。また、フーリガン問題に関して尋ねると、「スロヴェニアにはフーリガンどころかサポーターですらそう多くない。オリンピア・リュブリャナとの試合では度々問題を起こしているが、それほど問題視するようなことではない」と言った。

試合は、ホームのシャルケが圧倒的に優位という試合前の下馬評を覆し、マリボルが1対1の引き分けに持ち込んだ。マリボルが先制点を取った際に、マリボルサポーターのエリアから発炎筒がいくつか焚かれたが、特に混乱は無く試合は終了した。
試合翌日の10月1日、ドルトムントの空港からブルガリアのソフィアへ飛んだ。到着後すぐに、宿泊予定の宿に行ってチェックインを済ませ、スタジアムへと向かった。この日は、UEFAチャンピオンズリーグのルドゴレツ・ラズグラド対レアル・マドリードの試合が予定されていた。ホームクラブのルドゴレツは本来、ラズグラドというブルガリア北東部の小さな街を本拠地にしているが、ヨーロッパの大きな大会で使用出来る設備を備えたスタジアムが無く、この試合は首都ソフィアのヴァシル・レフスキ国立競技場で開催されることとなった。ブルガリア勢では2006-07年シーズンのレフスキ・ソフィア以来2度目のチャンピオンズリーグ本戦出場、そして相手は世界的なスターを多数擁するレアル・マドリードとあって、チケットは早々に完売していた。私はチケットを購入することが出来なかったため(実際には、発売直後にインターネット上で購入することは可能であったが、飛行機の到着からソフィア市内のオフィスでのチケット引き取り時刻の間に30分弱しかなかったため、購入を諦めた)、この日はダフ屋を探そうと、試合開始の3時間以上前からスタジアム周辺を歩き回っていた。全くダフ屋がいる気配が無く、半ば諦めかけていたものの、チケットらしき紙を手にして通行人に声を掛けている男性を発見し、話しかけてみた。すると、見せてきたチケットがあまりにも簡易な作りだったので、偽物だと思い立ち去ろうとしたが、その男性は強引に私をスタジアムのゲートへ連れて行き、係員と共にチケットが本物であることを証明してくれた。その後、値段の交渉をして、定価5000円程のチケットを6500円程で購入することが出来た。こうして観戦した試合だが、ルドゴレツのサポーターはごくわずかで、大半はレアル・マドリード見たさにスタジアムを訪れたという様子であり、フーリガンが暴れるような気配は全く無かった。フーリガンに関するインタビューをしようにも、両隣の席には10歳程度の子供と、英語が通じない青年であったため、純粋に試合を楽しむことしか出来なかった。

写真:ルドゴレツ・ラズグラドのサポーターによるコレオグラフィー

写真:ルドゴレツ・ラズグラドのサポーターによるコレオグラフィー

試合翌日は、初めて訪れたソフィアを観光した。正直なところ、全ての面においてマケドニア等の近隣諸国と大差が無く(地下鉄が開通していることから、旧ユーゴ諸国より発展しているとは言える)、特に真新しさは感じなかった。
翌3日の夜、フーリガン調査という意味では格好のクラブ、CSKAソフィアの試合を観戦した。ブルガリアで最も人気のあるこのクラブのフーリガンこそ、前述した相手クラブの監督を意識不明にした集団である。事前に話を聞いたブルガリア人によると、世界中で約20万人のサポーターが存在し、彼らのほとんどはナショナリストで、反トルコ、反ジプシー(ロマ)であると言う。国内外を問わず、警察や機動隊、外国人等、敵であると見なした集団に対しては凶悪な事件も頻繁に起こしていることから、いつ日本人の私が標的になっても不思議では無いと言われた。この忠告を受けて、クラブのマフラーを購入し、それを身につけて少々怯えながらもスタジアムに入場すると、想定外の至ってのどかな光景が広がっていた。この日の対戦相手はボテフ・プロヴディフというクラブであり、さほど敵対関係は無い様子で、観客の入りもまばらであった。私の席は、アウェイクラブのサポーターエリアから近かったが、時折周囲の観客がアウェイクラブのサポーターに向けて中指を立てて大声で何かを叫ぶ程度であった(何と言っていたのかは分からなかった)。ゴール裏で応援するサポーターに関しても、この地域では一般的な発炎筒を使用する程度で、さほど過激な様子は見受けられなかった。アウェイクラブのサポーターがどのような経路でスタジアムに入場したかは定かではないが、多数の警備員に監視されているという訳ではなかった。スタジアムで、フーリガンについてより詳しく知りたかったのだが、英語を解するブルガリア人は少なく、何とか会話出来たところであまり理解することが出来なかった。私は卒業論文の一節でユーゴスラヴィアのフーリガンについて記述したが、大方は彼らも同じように、大衆やライバルクラブのサポーター集団との差別化を図り、自分たちを特別な存在に仕立てあげたいのだろう。

《セルビアとマケドニアでの試合観戦》

4日にはブルガリアを一旦離れ、ソフィアからセルビアのニシュに向かうバスに乗った。ニシュと聞いて、ピンとくるサッカー好きもいるだろう。セルビア南部のこの街は、ピクシーことドラガン・ストイコヴィッチの故郷であり、彼がキャリアを始めたラドニチュキ・ニシュというクラブがある。今回はもちろん、そのクラブの試合を観戦することが目的である。ニシュ到着後、宿に荷物を置き、20分程歩いてスタジアムへと向かった。ストイコヴィッチがきっかけでユーゴスラヴィアに興味を抱いた私にとって、非常に感慨深いものがあった。また、このスタジアムに4機ある照明塔は、1986年にストイコヴィッチがレッドスター・ベオグラードに移籍した際の莫大な移籍金で建設された。
試合は、閑散とした客席に質の低いプレーという、現在の旧ユーゴスラヴィア諸国では見慣れた光景が広がるのみであった。メラクリエというサポーター集団は存在するものの、この日は100人程度しかおらず、応援も迫力が全く無かった。しかしながら、話を聞いた観客によると、レッドスターもしくはパルチザン・ベオグラードとの試合の際には、大挙して押し寄せ、時にはコレオグラフィーを作って選手たちを鼓舞すると言う。また、ニシュという街の歴史的背景から、彼らは一貫して反ファシストではあるが、レッドスターのデリエやパルチザンのグロバリ(これらに関しては後述する)のように過激な行動はせず、あくまでも自分たちのクラブを応援するためにスタジアムに来ていると教えてくれた。
試合後、スタジアムの周辺を歩いていると、「2003年、クラブは財政難から3部リーグに降格してしまったが、それでもメラクリエという本物のサポーターは、応援することを決してやめなかった。彼らが応援を続けてくれたお陰で、クラブは国内カップ戦の準決勝にまで進出し、更には1部リーグにも復帰した。そして2013年、クラブ創設90周年を、新たに改修したこのスタジアムで、メラクリエと共に祝うことが出来た」という内容が刻まれたモニュメントを見つけた。例えどんなに人数が少なかろうが、クラブのことを心から愛し、応援してくれるサポーターの存在は、クラブの関係者、スタッフ、選手たちにとって、かけがえのないものだと言うことを、改めて教えてくれた。

写真:ラドニチュキ・ニシュのサポーター

写真:ラドニチュキ・ニシュのサポーター

試合の翌日はニシュの街を散策し、6日の朝にはマケドニアのスコピエ行きのバスに乗った。この週は、インターナショナルマッチウィークという、各国代表戦が開催される週であり、スコピエに向かう目的は、UEFAヨーロッパ選手権予選のマケドニア対ルクセンブルクの試合を観戦することであった。スコピエに到着し、この日はセルビア語サマースクール(前々回の報告書参照)を通して知り合ったマケドニア人の友人と過ごした。
翌7日、街を散策した後、徒歩で2時間かけてマケドニア代表の練習場へと向かった。目的は、現在マケドニア代表監督であり、2013年までJリーグ・名古屋グランパスのアシスタントコーチを務めていたボシュコ・ジュロヴスキの姿を見ることであった。練習開始時刻直前にバスが到着し、選手・スタッフがピッチに入っていったが、関係者と数人のメディア以外、全く人気が無かった。更に、練習開始から10分程経過したところで、メディアはそそくさと帰っていってしまった。結局、日本から来た観光客であることを関係者に告げ、約1時間半の練習を、たった1人で見学した。いくらマケドニア代表が強くないからと言っても、隣のグラウンドで行われていたアマチュアの試合の観客(100人程度いた)すら全く興味を示していなかったのには、寂しくなった。しかしながら、警備とは無縁のこの状況は、私にとって好都合であった。練習終了後すぐにロッカールームに引き上げる監督に声を掛け、しばしセルビア語で会話をすることが出来た。更には、観戦予定の代表戦のチケットもプレゼントしてくれた。監督はもちろん、他のスタッフや選手たちにもフレンドリーに接してもらい、マケドニア代表に非常に好感を持った。

8日には、マケドニア唯一の観光地であるオフリドへ向かい、9日の朝に再びスコピエに戻った。スコピエでは再び友人と合流し、夜にスタジアムへ向かった。私のチケットはボシュコさんから頂いたものだったため、友人と一緒に観られるか心配だったが、スタジアムは2割程度の客入りで、ほとんど自由に席を移動することが出来た。こうして観戦した試合は、マケドニアの劇的な逆転勝利に終わったが、本報告書に記述すべき経験は出来なかった。強いて言えば、試合中に頭部を負傷したマケドニアの選手が、包帯を巻いて試合に戻ってきた際に、観客が「ケチェ!」と言って笑っていた。ケチェとは、アルバニア人の伝統的な帽子(アルバニア語ではケレシェ)であるが、アルバニア系住民との間に民族的な問題を抱えているマケドニア人も、憚ることなく、少々馬鹿にした様子で指をさして笑っていたことが印象的であった。スタジアムにアルバニア人の観客がどれぐらいいたのかは分からないが、特に反発する観客は見当たらなかった。余談ではあるが、友人曰く、マケドニア代表で最も上手い選手は、アルバニア系のアギム・イブライミであり、その他の選手たちも民族構成が複雑故に代表チームに感情移入しにくく、応援する人があまり多くないのではないかとのことだった。
また、友人によれば、アルバニア系住民が多いテトヴォという街のクラブの試合では、民族的な問題を理由としてフーリガンが暴動を起こすこともまれにあると言う。しかしながら友人は、ヴァルダル・スコピエという地元クラブの試合は時々観戦するが、私がスコピエに行かなければこの日の代表戦を観戦することは無かったという程度のサッカー好きであり、詳しい話は聞くことが出来なかった。

《ブルガリア対クロアチア》

翌10日の早朝、スコピエから再びソフィアへと向かった。この日は、前日と同じくUEFAヨーロッパ選手権予選の、ブルガリア対クロアチアの試合が予定されていた。事前にインターネット上でチケットを購入していた私は、ソフィア市内のオフィスでチケットを受け取り、数日前と同じヴァシル・レフスキ国立競技場へと向かった。スタジアムに入場すると、前日の試合とは打って変わって、早い時間から多くの観客が詰めかけていた。正直なところ、同じバルカン半島にありながら、歴史的に見ても大きな対立関係には無い(かと言って良好な関係であるかは何とも言い難いが)両国の対戦は、そこまで盛り上がることは無く、特に問題は起きないのではないかと考えていた。しかしながら、私の予想は裏切られることとなってしまった。
事件は、試合前日の夜からすでに起きていた。CSKAソフィアのフーリガンが、クロアチア人のサポーター集団(フーリガンではない模様)を襲撃し、彼らの旗を奪ったのである。更に、CSKAソフィアのフーリガンは、クロアチアと根深い対立関係にあるセルビアのパルチザン・ベオグラードというクラブのフーリガンと友好関係にあり、彼らと手を組んでクロアチア人のサポーター集団(こちらは過激な行動を繰り返すフーリガンであった模様)を襲撃し、警察に取り押さえられた。試合には全く関係の無いセルビアのフーリガンが関与していることから、彼らの世界の複雑さを垣間見ることが出来る そして迎えた試合は、国歌斉唱への大ブーイングから始まった。海外では度々このような光景を目にするが、対戦国への敬意を一切感じない、実に不愉快な瞬間である。キックオフ後は、何事も無かったかのように試合が進行していたが、20分程経過した頃、私の席からは向かって左側の、ブルガリアサポーターしか存在しないはずの南側ゴール裏で突如殴り合いの暴動が起きた。これは、ブルガリア国内クラブのサポーター同士(ベロエとロコモティフ・プロヴディフ)の対立が原因であったが、機動隊の介入によりすぐに収束した。しかしながら、直後に反対側、北側のゴール裏において、クロアチアサポーターとブルガリアサポーターとの間で発炎筒の投げ合いが始まった。これは、前日の夜に起きた事件の延長線上にあり、CSKAソフィアとクロアチアのサポーター(主にディナモ・ザグレブ、ハイデュク・スプリト、リエカといったクラブのフーリガン)の間の対立から始まったものだった。騒動の中心にカメラを向けてみると、お互いのサポーターが相手のサポーターを指さし、「あいつらが先に始めた」ということを主張している様子であった。また、発煙筒の投げ合いに加えて、お互いのサポーターは、彼らの暴走を食い止めようとする機動隊を相手にした暴動も起こしていた。私が撮影した動画には、椅子を引き剥がして機動隊に投げつけるクロアチアサポーターの姿も映っていた。

写真(動画から切り出したもの):発炎筒を投げ合う両サポーター。写真左側がクロアチア、右側がブルガリアのサポーターで、彼らの間に設けられた緩衝帯には多数の機動隊が配備されている

写真(動画から切り出したもの):発炎筒を投げ合う両サポーター。写真左側がクロアチア、右側がブルガリアのサポーターで、彼らの間に設けられた緩衝帯には多数の機動隊が配備されている

ここまでの情報を整理する限り、クロアチアとブルガリアは対立関係にあり、ブルガリアとセルビアは友好関係にあると考えるのが普通だろうが、実はそうではない。発炎筒の投げ合いが収束に向かっていた時、ブルガリアのサポーターが「セルビア人は首を吊って死ね」という意味の文章が書かれた幕を、クロアチアサポーターが陣取るエリアに向けて掲げ、彼らは拍手で応えた。彼はレフスキ・ソフィアのフーリガンであり、クロアチアのディナモ・ザグレブのフーリガンと友好関係にあったのである。レフスキ・ソフィアはCSKAソフィアと対立関係にあり、この2チームの対戦の際には頻繁に逮捕者が出ている。つまり彼は、表面上では無関係なセルビア人を攻撃しているが、実際にはセルビアのパルチザンと友好関係にあるCSKAソフィアを攻撃しており、それに加えてレフスキ・ソフィアとディナモ・ザグレブの友好関係をより強くすることを試みたのである。当然CSKAソフィアのフーリガンは彼を攻撃しようと試みた模様だが、その後の顛末は明らかになっていない。ここまでの内容から、ブルガリアとクロアチアの間の歴史的背景を根拠にした暴動ではなく、各クラブのフーリガンたちの事情によって引き起こされたものだったということが分かる。
試合は10分弱の中断を挟んで、その後は大きな騒動が起きることはなく、1対0でアウェイのクロアチアの勝利に終わった。試合翌日、ブルガリア代表監督のリュボスラヴ・ペネフは、「なぜブルガリアサポーターが処分されなくてはいけないのか。私はこのような高揚した雰囲気は嫌いではない」と発言した。彼はブルガリアサポーターのことを擁護せざるを得ない空気になっているのだろうが、ここで過激なサポーターを批判する姿勢を見せない限りは、ブルガリアサッカー界では今後も暗いニュースが相次ぐだろう。対照的に、クロアチアのニコ・コヴァチ監督は、「どちらが先に始めたかは問題ではない。スタジアムはこのような見当違いのことをする場所ではない」と発言し、不快感をあらわにした。それにもかかわらず、その約1ヶ月後にイタリアで行われたイタリア代表対クロアチア代表の試合の際にも、フーリガン集団がピッチに発炎筒を投げ込み、試合を中断させるという事態が起きた。クロアチア人の友人によると、クロアチアサッカー協会の上層部に対する不満を表すためにこのような行動に及んだと言う。外国において多数の逮捕者を出してまでこのような行動を起こすということは、それだけ不満が強いとも言えるが、果たして彼らは本当にサッカーを愛していて、自国のサッカーが強くなってほしいと思っているのだろうか。
この試合の際にも、以前のブルガリアでの試合と同様に、周囲の観客がほとんど英語を解しなかったため、当日現地では何が原因でこのような騒動が起きているのか分からなかった。後日セルビア人の友人に説明してもらい、全貌を把握することが出来たが、両チームの選手やスタッフ、そして私も含めて純粋にサッカーを楽しみにスタジアムを訪れた観客にとって、これほど悲しいことは無い。スコピエからソフィアに向かうバスの車内で仲良くなった日本人の夫婦が、私の話からこの試合に興味を持ち、彼らにとって初めてのサッカー観戦を経験したようで、試合後に彼らから連絡が来た。そこには感謝の言葉と共に、「ブルガリアを応援しないと殺されそうな雰囲気でした。危機を感じて試合どころではなく、暴動が起きてすぐにホテルに帰りました。あなたは大丈夫でしたか?」といった内容が書かれていた。暴動の現場を近くで目撃した彼らが、再びサッカー観戦をすることはないだろう。「ご無事で何よりです」から返信をしなければいけないということが悲しく、悔しかった。各クラブのフーリガンたちは、愛するクラブのため、ひいてはサッカーのために、何が本当に良いこと・すべきことなのかを今一度考えるべきである。

《ブルガリアから再びセルビアへ》

翌11日の早朝には、再びニシュ行きのバスに乗り、そこでバスを乗り換えてベオグラードへと向かった。ベオグラード到着後、14日に観戦予定のセルビア対アルバニアのチケットを購入した。試合までの数日間は、約1年ぶりのベオグラードを散策していたが、お気に入りのレストランが閉店していたり、新たに大きなスーパーマーケットや日本食レストランが開店していたりする等、想像以上に変化していた。

《セルビア対アルバニア》

今回の滞在で、最も危険な予感がする試合が、このセルビア対アルバニアであった。この試合が危険な理由は、コソヴォ問題の当事者同士の試合だからである。ここで、この試合で起きる出来事に関係のあるコソヴォ問題に関して簡単に説明する。コソヴォとは、セルビア南部にある土地のことであるが、14世紀に遡る歴史的な背景等から、セルビア人はコソヴォを民族的に重要な聖地と捉えていて、戦時中等の僅かな期間を除いて、セルビアの一部として見なされていた(ユーゴスラヴィアの時代には、セルビア共和国内のコソヴォ自治州とされた)。しかしながら、17世紀以来、コソヴォの人口の大多数はアルバニア人が占めるようになっており、セルビア人は少数派であった。それゆえに、1981年からコソヴォのアルバニア人は独立運動を展開し、1990年代後半から2000年代前半にかけて紛争を起こした。アルバニア人、セルビア人の双方に多数の犠牲者や難民を生んだこの紛争の終結後(何を持って終結とするか、考え方次第では未だに終結していないと言えるが)、2008年にアルバニア人による圧倒的な支持を受け、コソヴォはセルビアからの独立を宣言した。しかしながら、セルビア政府は独立を永遠に認めないと主張しており、今現在でも国連加盟国の半数近くである世界85か国は独立を承認していない。コソヴォで知り合ったアルバニア人の青年によると、現在も依然としてコソヴォに住むセルビア人とアルバニア人の間には根深い憎悪感情が残っており、両者が会話を交わすことすらあり得ないと言う。
このような状況下で迎えたこの対戦は、観客同士の衝突を回避するために、試合の数日前にアルバニア人のスタジアム入場禁止措置が発表された。強引な方法ではあるが、円滑に試合を進めるためには致し方ない措置であった。しかしながら、悪い予感は当たってしまうこととなる。
試合当日、スタジアムに向かうと、そこには見たことがない数の警官と機動隊が配備されており、入場ゲートでは身分証明書のチェックが行われるなど、厳戒態勢が敷かれていることが分かった。スタジアム内に入場して目に付いたのは、「コソヴォはセルビア」や「グラチャニツァ(コソヴォにあるセルビア人居住地)」といった、政治的なメッセージを含んだ横断幕であった。その後、アルバニア代表の選手たちがピッチコンディション等の確認のためにピッチに姿を現すと、観客は一斉に中指を立ててブーイングをし、その後「コソヴォはセルビアの心」というコールをしていた。また、ウォーミングアップの段階からは延々と「シプタル(アルバニア人の蔑称)どもを殺せ!殺せ!」というコールを繰り返していた。しかしながら、この時アルバニアの選手たちは、音楽を聴きながらスマートフォンで観客席の様子を撮影するなど、リラックスしているように見えた。また、セルビア代表の選手と談笑する姿も見られ、ピッチ上では政治など全く関係なく冷静にプレーしてくれるのではないかと感じた。

写真:

写真:「コソヴォはセルビア」と書かれた横断幕

試合開始直前になると、アルバニアの国歌斉唱をこれまで経験したことが無い程の大ブーイングでかき消し、数十人のVIPのみ来場していたアルバニア人に向けて中指を立てながら、先ほどと同じようなコールを繰り返した。 試合が始まると、相変わらず政治的なメッセージを含むコールが鳴り響いていたものの、ピッチ内では両チームの選手たちは冷静に闘い、観客もそれほど興奮状態にあるようには見えなかった。時折発炎筒が焚かれてはいたが、それに対して一部の観客は不快感をあらわにするほどであった(発炎筒の使用は、UEFAからの制裁対象である)。しかしながら、セルビアが押し気味に試合を進めていた前半終了間際、突如としてドローン(無線ヘリ)がスタジアム上空に浮かぶ。そのドローンから吊り下げられている旗には、大アルバニア主義を意味するメッセージ・地図・紋章が刻まれていた。大アルバニア主義とは、アルバニアの民族主義者によって、アルバニア人居住地をアルバニア人の国(アルバニア本国もしくはコソヴォ)にする活動のことであり、このドローンの場合にはコソヴォやセルビアの一部地域はアルバニアのものだということを主張している。近くの席にいたセルビア人によると、コソヴォを民族浄化し、力ずくで奪おうとするアルバニア人の残虐さをも思い起こさせる、セルビア人を刺激するにはこれ以上ないものだと言う。観客も最初は何事かと静観していたが、やがてドローンが近づき、そこに何が刻まれているかを判別してからは、場内が騒然となり、VIP席にいたアルバニア人たちは身の危険を感じて即座に避難した。

写真:騒動が起きる前の、試合中の様子

写真:騒動が起きる前の、試合中の様子

写真:ドローンから吊り下げられた、大アルバニア主義を意味する旗

写真:ドローンから吊り下げられた、大アルバニア主義を意味する旗

ピッチ上に発炎筒が投げ込まれ、大ブーイングが巻き起こり、審判が試合を中断させた。その後、ドローンが降下した際に、セルビア代表のステファン・ミトロヴィッチが吊り下げられた旗を捕まえ、引きずり降ろした。異様な雰囲気になっていたとはいえ、この旗を穏便にピッチ外に出すことが出来れば、まだ試合を続けられるのではないかと私は感じていた。しかしながら、事態はそう簡単には収集がつかなかった。私が見る限り、ミトロヴィッチは全く興奮状態になく、いたって冷静に旗を降ろしていたのだが、アルバニアの選手が数人彼のもとに猛然と駆け寄り、力ずくで旗を奪った。
この行為に興奮が収まらなくなった観客数人がピッチ上へとなだれ込み、椅子でアルバニアの選手を殴るなどの暴行をした。セルビア側は、必死に観客の乱入を食い止める選手もいれば、あまりの惨状に頭を抱えて呆然とする選手、そして観客と同様にアルバニアの選手に殴りかかる選手など様々な反応を見せた。観客席では「殺せ!殺せ!」というコールとともに悲鳴や怒号が鳴り響いていた。ピッチ上になだれ込んだ観客の中には、2010年のイタリア代表対セルビア代表の試合の際に、問題行為を起こして逮捕されたイヴァン・ボグダノフの姿もあった(この試合では、彼を中心とするセルビアのフーリガン集団が意図的に試合中止に追い込んだ)。後日談ではあるが、彼は2015年2月になって、ようやく警察に出頭した模様だ。
そして、このままでは試合の続行は不可能だと感じた審判は、両チームの選手たちに、ロッカールームへと下がるように指示した。ロッカールームにたどり着くためには、360度セルビアの観客に取り囲まれたスタジアムの中で、おそらく最も過激な集団が陣取るエリアの目の前の通路を通らなければならない。セルビア人の友人によると、罵声を浴びせやすいという理由だけでなく、このような事態になることを見越して、過激な集団はあえて通常とは場所を変え、ロッカールームへと繋がる通路の近くに陣取ったのだろうとのことだった。当然このような状況下ではアルバニアの選手たちが無傷でロッカールームに戻れるはずもなく、彼らが引き下がる際には観客席からありとあらゆるものが投げ込まれ、なだれ込んだ観客は機動隊の警備を突破し、選手たちに殴る蹴るなどの暴行を加えた。また、この際に印象的だったのは、スタジアムの警備スタッフの1人が興奮して、観客とともに暴れていたという見たことのない光景だった。

写真(動画から切り出したもの):ロッカールームへと急いで引き下がるアルバニアの選手たち(白いユニフォーム)。手前のセルビアの背番号6、ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチを中心として、セルビアの選手数人(翌日の報道によると、彼に加えてマティヤ・ナスタシッチとズドラヴコ・クズマノヴィッチが名前を挙げられていた)はアルバニアの選手を守ろうとしていた

写真(動画から切り出したもの):ロッカールームへと急いで引き下がるアルバニアの選手たち(白いユニフォーム)。手前のセルビアの背番号6、ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチを中心として、セルビアの選手数人(翌日の報道によると、彼に加えてマティヤ・ナスタシッチとズドラヴコ・クズマノヴィッチが名前を挙げられていた)はアルバニアの選手を守ろうとしていた

その後、一旦は試合の再開がアナウンスされ、セルビアの選手・スタッフがピッチ上に姿を現したが、アルバニア側が無観客状態での試合再開を頑なに希望し、セルビア側はそれを拒否したために、試合は中止となった。
試合直後には、観戦に訪れていたアルバニアの大統領の弟が、この事件に絡んでいる(ドローンを飛ばすように指示した)として身柄を拘束されたというニュースが速報された。翌日には釈放された模様だが、彼が事件に絡んでいたかどうか、真偽のほどは現在も明らかになっていない。また、アルバニアの大統領は、試合の数日後にセルビアを訪問予定であったが、この事件の影響を考え、訪問は延期された(最終的には訪問した)。後日、セルビアの新聞には、自らを犯行グループであると名乗る、マケドニアのスコピエから来たアルバニア人たちの写真が載せられていたものの、それ以降の報道からは、彼らの素性や、彼らに対する処罰等の情報を得ることは出来なかった。ドローンに関しては、スタジアムから1.5km圏内での操縦が可能なモデルであることが明らかにされた。しかしながら、2015年3月時点では、ドローンを飛ばした、もしくは飛ばすように指示した真犯人の特定には至っていない。

写真:試合翌日のセルビア紙。アルバニアの大統領の弟が逮捕されたことを大々的に伝えている。また、旗を捕まえたステファン・ミトロヴィッチが英雄に仕立てあげられていたことが印象的だった

写真:試合翌日のセルビア紙。アルバニアの大統領の弟が逮捕されたことを大々的に伝えている。また、旗を捕まえたステファン・ミトロヴィッチが英雄に仕立てあげられていたことが印象的だった

最終的に(2015年3月時点のものであり、異議申し立てによって今後裁定が変更される可能性はある)、この試合は没収試合となり、セルビアの3対0の勝利扱いとなったが、セルビアの勝ち点を3つ剥奪という、実質的には両チームともに勝ち点0という処分が下された。更に、両国サッカー協会にそれぞれ約1400万円の罰金と、セルビアはホームで行われる今後2試合のUEFAヨーロッパ選手権予選を無観客で開催するように命じられた。
当然私の友人を含めてほとんどのセルビア人は、「ドローンが飛んでこなければこのような事態にはなり得なかった。アルバニア側が全面的に悪いはずなので、この処分は不当だ」と声を荒らげている。更に、日本人を含めた外国人の反応も、概ね似たようなものだ。しかしながら、現場にいた身として、私はこの処分は妥当だと考える。 そもそも、セルビア人の観客はスタジアムにサッカーの試合を観に来ていたのだろうか。私には全くそうは思えなかった。サッカーの試合を利用した政治活動のため、ではなかっただろうか。自国の威信・誇りをかけて闘う代表選手やスタッフに対して失礼極まりない行為をし続けていたように思う。そして、ただ政治活動をするだけの場に成り下がったスタジアムにおいて、アルバニア側は反論として自分たちの政治的意見をドローンに託しただけのことだった。サッカーとは何ら関係のないことが繰り広げられていたスタジアム内において、両者とも勝ち点を得ることが出来ないというのは当たり前のことだろう。もちろん、政治などとは一切関係なく、全力を尽くして闘おうとした代表選手やスタッフには気の毒な話だ。しかしながら、こうなることがほぼ目に見えていたにも関わらず、選手やスタッフはモチベーションが上がるという理由で、そしてサッカー協会は(公に言うことはないが)チケット代の収入が入るという理由で、観客を入れるという判断をした以上、仕方がないことだろう。協会としては、選手やスタッフのことを第一に考えて、極力リスクを取らない選択が必要だったのではないだろうか。結果的には、この判断ミスのせいで、罰金を科せられただけでなく今後2試合分のチケット代収入をも失うことになってしまった。
セルビア人の名誉のために、観客席にいた全ての人が興奮状態にあったわけではなく、アルバニアを侮辱するコールや野次、政治的発言などを一切しない人もいたことは伝えておきたい。しかしながら、大多数の人がサッカーとは無関係なコールを大声で叫んだセルビア、サッカーとは無関係なドローンを準備していたアルバニア、その両者に、自国を代表して闘う選手たちを応援し、純粋にサッカーを楽しもうという気持ちが無かったことが残念でならない。
また、今だからこそ現場で起きたことを冷静に振り返ることが出来るが、ドローンが登場してからのスタジアムは、写真や動画では十分に伝わることのない、今まで感じたことのない恐ろしい空間だった。何が起きてもおかしくはないという、あの感覚は2度と味わうことはないだろうし、味わいたくもない。セルビア人ではないが、セルビアには思い入れの強い私は、目の前の惨状からこの国の未来を案じ、涙が出そうになった。いつの日か、この国でセルビア対アルバニアの試合を、何事も無く開催することが出来るだろうか。
歴史的な瞬間をこの目で見てしまった者として、この経験から何を学べば良いのか、未だに考え続けている。

写真:試合中止が決まり、肩を落として引き上げる選手たち。観客席との間には多数の機動隊の姿が見える

写真:試合中止が決まり、肩を落として引き上げる選手たち。観客席との間には多数の機動隊の姿が見える

《ベオグラード・ダービー》

悪夢のセルビア対アルバニアから4日、騒動も冷めやらぬうちに、4日前と同じスタディオン・パルチザンにおいて、「永遠のダービー」と呼ばれるパルチザン・ベオグラード対レッドスター・ベオグラードの試合が行われた。試合に際して、ドローン対策としてスタジアム周辺をヘリコプターが監視していた。これまで数え切れないほどサッカーを観戦した私でも、初めての経験だ。また、入場してすぐに目に付いたのが、「コソヴォはセルビア」と書かれた大きな横断幕だ。アルバニアとは何ら関係のない国内リーグの試合でこの横断幕を掲げる意図は何だろうか。

写真:「コソヴォはセルビア」と書かれた横断幕

写真:「コソヴォはセルビア」と書かれた横断幕

この両クラブの対戦には、「永遠のダービー」と呼ばれるだけあって、数々の因縁やフーリガン同士のトラブル(ほぼ毎回逮捕者が出る)が数え切れないほどあるのだが、この試合に関しては特に問題も無く終わったように思う。調査に関しては、この試合も非常に重要なものと位置づけていたものの、セルビア対アルバニアの件があり、取材が出来る精神状態ではないと感じたため、特に得るものが無かった。無事に試合が行われたといういわば当たり前のことが幸せに感じた。

写真:レッドスターのサポーター集団による、「ブリッツ(セルビアの新聞)はシプタル(アルバニア人)の新聞だ」と書かれた横断幕

写真:レッドスターのサポーター集団による、「ブリッツ(セルビアの新聞)はシプタル(アルバニア人)の新聞だ」と書かれた横断幕

写真:パルチザンのサポーター集団

写真:パルチザンのサポーター集団

《オリンピアコス対パナシナイコス》

セルビアからギリシャへと移動し、閑散とした国内リーグや、スタジアムが超満員に膨れ上がったUEFAチャンピオンズリーグとUEFAヨーロッパリーグの試合を観戦した後、今回の調査最後の試合であり、最も楽しみにしていた「ギリシャ・ダービー」を観戦した。
「ギリシャ・ダービー」とは、アテネを本拠地とするパナシナイコスと、アテネの近郊都市ピレウスを本拠地とするオリンピアコスの対戦である。逮捕者どころか死傷者が出ることもあるこの対戦だが、今回はアウェイクラブのパナシナイコスサポーターに対してはスタジアムへの入場禁止措置が取られ、あまり殺伐とした雰囲気を感じることはなかった。試合内容も非常に低調なもので、1対0でホームのオリンピアコスが勝利したとはいえ、サポーターが喜びを爆発させるという様子ではなかった。あまりにも想定外な雰囲気に拍子抜けしたものの、一部の過激なフーリガンは、パナシナイコスのグッズを店やスタジアムから盗み(スタジアムで知り合ったオリンピアコスサポーター談)、わざわざスタジアムに持ち込んで燃やしていた。パナシナイコスサポーターのいないスタジアムでは何の煽りにもならないが、彼らはそのような行動をすることで自分たちのアイデンティティをより強固なものにしているのだと言う。

写真:試合前のオリンピアコスのサポーター集団

写真:試合前のオリンピアコスのサポーター集団

《活動を振り返って》

今回、長期間滞在したにも関わらず、あまり深掘りした調査が出来なかったことに、後悔の念が強い。どんなに閑散としたスタジアムで繰り広げられる試合でも、掘り下げ続けることで絶対にもっと面白い何かが見えてくるだろうと感じた。そのためには、冒頭でも記述したように、1クラブにつき1ヶ月程度は取材し続け、そのクラブのことを好きになることが必要だと感じた。もし今後、このような経験が出来る機会があれば、今回の反省を活かし、本が書けるほど徹底的に1つのクラブだけを研究したい。
今回はとにかく多くの試合を観戦することにとらわれすぎて移動ばかりになり、ほぼ全ての試合で表面上の出来事を汲み取ることしか出来なかったが、セルビア対アルバニアの現場に居合わせられたことは、私の人生における大きな財産となった。これだけでも、今回ヨーロッパまで調査に赴いた価値があったと感じる。どのようにあの一件を捉えるべきか、最後の最後まで考えをまとめることが出来なかった。報告書としてはこの内容で提出させて頂くものの、今後自分なりにもっと感じたことや経験したこと、更にはその後のセルビアとアルバニアの関係等も加えて文章に出来れば、と考えている。
最後になるが、3年連続でかけがえのない経験を積む機会を与えてくれた、この文学部学外活動応援奨学金という制度に、心から感謝したい。