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「この責任感が後押しをして」―奨学生だからできたこと、スウェーデンとフィンランドの特別支援環境に学ぶー

文学部人文社会学科 社会学専攻 4年
染谷 莉奈子

調査実施概要

 2012年度奨学生(Bコース:20万円)に合格後、大学3年の春休暇を活用し、2013年2月19日~3月7日(日本時間)にかけ、北ヨーロッパ諸国での特別支援教育に関する調査を実施。FinlandのHelsinkiを中心に5日間滞在し、こどもの遊び場の調査、および幼・小・中学校・作業所・アフタースクール施設・デイケア施設の訪問が実現。SwedenではStockholmを中心に滞在し、Stockholm大学の図書館へ通い現地の文献に当たり、特別支援学校への訪問を経て、教員へヒアリングを実施した。

25日間の計画実施

 わたしは、2012年度・文学部学外活動応援奨学金の奨学生として、スウェーデンとフィンランドで実施調査を行わせていただきました。妹の障害を契機に、高校生の頃から「特別支援」・「教育」・「制度」に多くの感心を抱き日々生活を送っています。今回は、2012年のストックホルムへの訪問で得たネットワークと、知り合いを介して新しくつくられた出会いによって、多くのことを学び、日本へもちかえることができました。ここにその報告をさせていただきたいと思います。

 まず、はじめに日本から向かった先は、フィンランドのヘルシンキです。ヘルシンキへの飛行は、日本から一番近いヨーロッパのルートと言われています。約8時間の飛行を経て、空港へ降り立ちました。そこから、都市部と空港をつなぐバスに乗り、トラムが見えたら降り、チケットを買って、トラムに乗り、滞在先のホステルへ向かいます。帰りはこの距離を1時間ほどで余裕がありましたが、この日ホステルへたどりつくまで、2時間ぐらいに感じた覚えがあります。海外の一人旅は、国内に比べいつも気を張り、ときには人を疑っているので、休みながら進まなては、疲れてしまって大変です。ヘルシンキはまったく初めてだったので、夕方に着いて、時差ぼけと初めてのホステルの緊張で、夜19:00には熟睡していました。また、次の日は情報収集と土地勘を養う日にしました。身寄りがなかったため、ゆっくりと安全を重視して進みました。

 3日目、 知的障害と肢体に障がいのある息子さんをもつフィンランドの「おかあさん」と1日を過ごしました。朝の8:00、ヘルシンキから特急電車に揺られ2時間ほどの場所にあるLaftiという駅で待ち合わせです。

 この日はとても大事な日だったので、前の日にチケットを購入し、ホームも下見をしていたので、朝早かったのですが、とてもスムーズでした。海外の鉄道は、いわゆるローカル電車と地方へ向かう特急電車の管轄が異なる場合が多いです。また、同じ駅名でも、とても離れた場所にあることもしばしばあります。大事な約束のときには、早めに出ることはもちろんのこと、前の日に確認をしておくと余裕をもったスタートが切れると思います。駅名も見た目のスペルが複雑です。乗る前には注意が必要です。

図1.フィンランドの小学校校舎内
図1.フィンランドの小学校校舎内

 余裕を十分もって20分前に着き、8:00にJohannaさんと無事会うことができました。前の日に「白いダウンに黒のニット帽をかぶっています」と伝えてあったので、すぐに探しだしてくれました。はじめまして、をかわすやいなや車へ乗り、Tomiの小学校へ向かいます。TomiはJohannaさんの息子さんです。先天的に、肢体と知的に障害があることを診断されたといいます。わたしの妹のように、言語によるコミュニケーションの理解がありません。必要な支援を受け、日本で言う通常学級と同じ建物にある、特別支援級に元気に通う11歳です。その学校は、未就学幼児から日本でいう中学生までが同じ敷地内一続きの校舎のなかで学ぶ環境でした。昇降口を抜けると、とても明るい色合いの壁の室内です。ガラス張りの教員室と校長室、横長に幅広の廊下が左右に広がり、そこから、縦に各学年の教室があります(図1)。学年ごとにクラスがいくつも連なっています。その内の一つの教室が、特別支援学級です。いちばんグランドへの出入り口の近くに位置します。クラスの人数こそ変わりますが、クラスの建物のつくりが大きく変わることはありません。(図2)廊下に、外遊びをするためにつかう、足から上半身つながっているSnow wearとその向かいには、靴箱があります。教室に入ると、四方八方さまざまな方向を向く机に生徒が座っています。先生にも椅子があります。だいたい、特別支援級は、5-6人の生徒に対してHead Teacherと呼ばれる担任が1人とアシスタントが2人です。教壇はありません。生徒が見づらいと感じれば、机を見やすい位置に移動すれば良いからでしょう。日本の教室と大きく、大きく異なる点は、教室内に、お湯を湧かすことのできるコンロと手洗い場、と、「リソースルーム(Resource Room)」があるところです。

図2.フィンランドの小学校のクラスルーム
図2.フィンランドの小学校のクラスルーム

 これらはとても必要な役割があります。室内に手洗い場があれば、その度に廊下にでる必要がなく便利です。教室内にコンロがあれば、少しの調理ができ、こどもたちの教育材料として役立ちます。また、先生たちが、お湯を沸かし、コーヒを飲みながら、という少しの余裕をもって教育に臨むことができます。「リソースルーム(Resource Room)」は声を大にして言いますが、特別支援教育にとって、とても「必要」です。この部屋は、こどもたちが、パニックを起したときや、ひょんなきっかけで、とても緊張してしまったとき、ひとりになりたいときに大活躍します。そこに閉じ込めておけば、パニックが治まる…というものではありませんが、わたしたち大人も、気持ちが落ち込めばきっと一人になりたいと思うときがあるはずです。その要領です。自分の気持ちを上手に言葉にできないこどもたちが、ひとりになりたいとは言えません。そんなときに、先生がこの部屋にうながせば、一人で気持ちの整理をして、5分後にはけろっと出てくるこどもたちがたくさんいるのです。だから、この部屋には多くはありませんが、リラックスできる工夫があります。およそ2.5畳の部屋ですが、ソファーや机、本、ゲーム、ホワイトボードが暖色を基調とした部屋におかれています。先生とマンツーマンの一人学習をしたい子どもたちにも活用されています。通常学級にもあるということは、特別支援学級に通う知的障害のある子どもたちと同時に、通常学級に通う発達障害の子どもたちや、その他の子どもたちにも、ときに必要、ときに便利な部屋です。日本でも、間取りを変えずとも、ついたてを置くことや、上から布を垂らすなどでしきりをつくるなど、少しの工夫で、この部屋を確保することができるとおもいます。クラスルームの後方には、もう一つ部屋があります。縦長の4畳ほどの部屋です。子どもはとても気が散りやすいです。なるべくシンプルなクラスづくりをすることも必要なことです。日本の小学校は、教室の後方にロッカーが丸出しです。そのロッカーを目隠しをするために、この部屋があるのだとおもいます。個々の勉強セットと、休み時間や授業に集中できなくなった子どもたちが遊べるボードゲームが置いてあります。子どもたちの出入りも自由です。休み時間にはなぜか子どもたちの大半がこの小さな部屋にたまります。置かれているテーブルの椅子にすわり、みんなでゲームがはじまります。授業する部屋の他に休み時間に別の部屋で遊べることは、切り替える時間としてとても便利だと感じました。先生たちは、いつもニコニコしています。「やりなさい」と怒っても、心はニコニコです。子どもたちにとって、先生にとっても、過ごしやすい環境づくりは、大切なことです。

図3.いわゆる"通級"/マンツーマンによる指導と個別学習にクラス
図3.いわゆる"通級"/マンツーマンによる指導と個別学習にクラス

 この小学校は迷路のように、様々な専科の部屋があります。図工室、Gym、家庭科室、技術室、音楽室、cafeteria、未就学クラスRoom、そして、いわゆる通級と呼ばれる、通常の授業を補うクラスです。このクラスルームの位置づけは日本と少し異なり、通常クラスの補足が必要な子どもたちに加え、集団クラスが苦手な子どもたちが個人のペースで勉強をするクラスを担っています。つまり、様々な学年が合同の、その子のペースに100%合わせたクラスです。一応、ホームルーム(朝の会・帰りの会)もありますが、参加は自由。クラスで同じことをする時間も一応設けているようでしたが、こちらも参加は本人任せです。保護者と先生(参加できれば生徒も)が半年に一度ミーティングを行い、その子にあったIndividual Plan(Personal Plan;自己到達度計画)を立て、それに基づき、その生徒のための時間割が組まれます。時間割の中には、週に2~3度のマンツーマンのクラスが設定されています。多くの時間は、本人の体調や気分に合わせ、生徒本意に学習が進められますが、その補足や、つまずき、到達度をマンツーマンの先生が確認をし、さらに指導をしていく時間です。日本のマンツーマンの塾などを想像してもらえればイメージできると思います。その環境が、公立小学校の授業時間内に無条件にあります。その部屋が、Resource Roomの隣の二部屋がそれです(図3)。リラックスを意識しながらも、きちんと集中できる大きさです。このクラスにも、もちろんリソースルームがあります。部屋というより、ついたてで囲っただけの簡易なものでしたが、立派に役割を果たしています。右の壁沿いは、生徒一人一人のデスクです。座ると、隣の人は見えません。自分だけが座る机なので、レイアウトも自由です。その生徒がいちばん集中できるものを、好きに置くことができます。本棚まで付いています。Black Boardには、Individual Planに基づいたその日限りの(1日分)時間割りと、このクラスのその週の時間割が視覚的に見やすく貼られています。だれが、いつマンツーマンの部屋で指導を受けるのかも週ごとに決められ、はられています。図2にも見られたように、コンロと水道もあります。クラスの外には、靴箱とSnow Wearのクロークもありました。中心に四方八方に置かれているのは移動式の全体で座ることができる共同のテーブルです。つなげればみんなで座れ、取り外せば少人数単位でも座ることができます。そのときの子どもたちの気持ちに合わせ、生徒が選択をして座ることができます。

 この日案内をしてくださったのは、この学校の校長先生です。話をする時間もありました。Individual Planは半年に一度、知的障害、発達障害をもつ特別支援の必要な生徒を中心に、保護者と担任が話し合いをしてつくっていくこと。教員は職業が学校の先生であるということだけであって、同じ人間であるということ、だから、どれだけハッピーに教育に臨めるかも大事にしていることなどを話してくれました。「日本は、いまだ、発達障害のある子どもたちは、通常学級で悲しい思いをし、知的障害のある子どもたちは、特別支援学校へ行くことが主流です。通級に通う生徒の名前は伏せ、いわゆる「ふつう」と言われるこどもたちと、障害のある子どもたちの交流が薄く、障害に対する理解の薄い大人たちがたくさん育つ社会があります。例えば、電車などで障害のある大人の人が意味もなく大きな声を出していれば、周りの人々は、どんな視線を送るでしょう。」と、ふとわたしが切り出すと、校長先生は、「その現状はここも同じ」と言いました。「たとえ、同じ建物で学校生活をしていたとしても、通常学級の子どもたちの休み時間と、特別支援級の休み時間は別で、少しずらした時間割を組んでいます。カフェテリアの利用もおなじ状況です。特別支援の必要な子どもたちのニーズと、先生たちの目の数を差し引きすると、そうせざるを得ません。」と言います。Johannaさんは、「校長先生、RinakoにTomiのIndividual Planを見せたいのだけど、印刷をしてくれますか。」「親御さんのなかには、我が子の障害を公にしたくないと考えている人がいるけれど、わたしは、それは、あまり無意味なことだと思うの。Tomiでよければ、写真もどんどん撮っていいからね。」そう言い、さっき会ったばかりのわたしに、Tomiの大切なIndividualplanを渡してくれました。日本の障害者取り巻く環境は、三周分遅れていると言われています。けれども、ここフィンランドでも、教員や、障害をもつ子どもの親が感じていることや問題視していることは、あまり変わらないように感じました。学校のデザイン性、機能性は格段によいです。環境整備のカテゴリーと、社会環境のカテゴリーと、分けて考え、捉えていく必要性を感じました。

 フィンランドでは、このあと、Johannaさんの車で、作業所、Tomiのアフタースクール、彼女の家では、家での工夫や、週末にTomiの通うデイケアーなど、また多くの場所を訪れ、学ぶことができました。JohannaさんはTomiを息子にもったことをきっかけに、子育てをしながら、特別支援に便利・必要な室内環境デザインを勉強されています。夜、子どもたちが静かになってから、大学での話を聞くことができたことも、とても貴重な時間でした。

 フィンランドでの滞在を終え、つぎにSwedenのStockholmへ向かいます。ここは、2012年、2年生の春休暇にも訪れた先です。空港のつくりや、ローカル電車の乗り方、土地勘まではいきませんが、地図上の距離感がすでにあったことは、この土地での活動を助けました。スウェーデンでは空港からバスで20分ほどのMastaという郊外の知り合いの家でのステイです。Mastaは東京が中心部とすれば、埼玉県さいたま市周辺の郊外でベットタウンを想像するとイメージできると思います。その場所からT-centralというストックホルム中心駅へは、30分ほどで、1時間に4本の電車があります。そこから、Metroに乗り継ぎ10分ほどでストックホルム大学につきます。見学などの大きな予定のないときは、滞在先の友人が通うこの大学の図書館で資料集めに明け暮れました。英語で読める教育の文献のほとんどは、オックスホード大学や、ロンドンなどのイギリスが出版国か、アメリカが出版国の本がほとんどです。普段、中央大学の図書館や市・県の図書館では、容易に手に入ることのない本は、とても役に立ちました。けれども、スウェーデンのことを直接調べたいときには、やはり、スウェーデン語の文献に頼る必要がありました。そのときには、滞在先の友人の時間を借りて、すこし貪欲に、スウェーデン語の本にあたりました。文献を読む作業の間は、「スウェーデンに来ているのに、本を読んでいるだけでよいのだろうか」という気持ちになりましたが、この準備が、後々の学校見学の際にとても大きな役割を果たしてくれることになります。

 学校見学の日、もうすっかり時差ぼけもなおり、北ヨーロッパの寒さにも慣れ、生活感のある日々になっていましたが、やはり当日は、緊張で身体が強ばり、運動をしているわけではないのに、それよりもずっと、いつもよりも体力をつかいます。前の日は、ゆっくり過ごし、早めに就寝し、朝はとっても早く起きし、臨みました。この見学先は、以前の訪問でも訪れたことのある場所でしたが、駅から遠いため、校長先生が駅まで迎えにきてくださいました。とっても、穏やかで、ポロシャツにチノパンにいつでも子どもと遊べるぞといわんばかりの、優しい校長先生です。内容や、教育環境、教育のデザインは、フィンランドと大きく変わりませんが、ここは、どちらかというと、森のなかに赤い屋根の白い平屋の家がいくつも建っているというかんじです。カフェテリアへ行くときも、音楽室へ行くときも、長靴を履いて、雪道を通って移動します。

 校長先生との話は、スウェーデンのIndividual Planの話、教員の雇用システムの話、親と子どもと教員の関係・生活の話、校長先生の役割など、多岐に渡りました。

図4.Individual Planning(個人到達度計画)のプロセス(:参考文献)
図4.Individual Planning(個人到達度計画)のプロセス(:参考文献)

 Individual Planの話のときに、ストックホルム大学の図書館に浸っていたときの学習が役に立ちます。お互いに、母国語が英語ではないため、図などを見ながら話を進めると、より話がはずみます。資料を持参したことで、きちんとわかって聞きに来ていると、話に華が咲きます。話が前向きに進み、わたし自身の様々な体験談や、文献からの学び、フィンランドの比較など、多くの要素から、自分自身にすこしの興味をもってもらえ、次の週にも、こんどはこの校長先生が持つもう一つの特別支援学校に来てもいいと言っていただきました。日本を離れた場所で、こうして、つぎの機会を直接いただけたことは、いま、大きな自信になっています。

 つぎの約束の日は、さらに質問や前回の話からより深く聞きたい部分を明確にして臨みました。すでに、お会いしたことのある相手を前に、和やかな雰囲気のなかお互い過度な緊張はありません。とても丁寧に説明をしてくださいました。校長先生の会話のなかで、心に響いた言葉を紹介しながら、スウェーデンの教育環境を考えていきたいとおもいます。「What do you mean Special Education? We have nothing special one?」わたしはSpecial Educationということばをたくさん用いて話をしていたのですが、話も中盤になり出てきた問いです。よく話を聞けば、2012年12月の国のきまりが改まり、「義務教育過程のすべての子どもたちにIndividual Planを作成すること」になったといいます。その点は、フィンランドよりも徹底しており、プロセスもとても子ども本意です。まず、毎週、担任は全員の過程それぞれに、個人のレターを書き、子どもの到達度や学校での様子を親御さんに知らせます。半年に一度、一人の子どもに関わる、すべての専科の教員と、保護者(母・父)、生徒(可能であれば)、必要があればSpecial Education Teacher、(特別支援コーディネータ;(スウェーデンの場合)通常の教員免許よりもプラス2年間大学で勉強した者、または、校長先生が、特別支援教育についての個人の勉強の成果を認めた者)すべての人の日程を担任が合わせ、ミーティングを設定し、Individual Planを作成します。担任をもつ教員と話をしたわけではないため、その労力に関して、これだけを聞いて想像してはいけないことを考慮に入れながら、それでも、「We always are thinking about the best way for each CHILDREN!」なので、可能なようです。その試みがあること、一人の口からでも、このように、「子どものことをいちばんに考えて働くのが教員」といえる考えがあるということに感動しました。「Teacher is social work. Don't forget to be fun happy for own life.」校長先生仕事は、国から費用をおろすこと・教員の給料を決めること・教育環境をマネージメントすることが、まず一つ。それから、教員のポジション決めと、そこに就く教員を雇うこともスウェーデンでは校長先生が担います。そのため、日本のように、教育委員会から移動が命じられ、希望せずに特別支援学校に就くなどということは、ないことになります。皆、ここの土地のこの職場環境ではたらきたいと志願した者で、そのなかから、校長先生が直接面接をし、雇うのです。教員の配置も大切です。この学校では、クラス5-6人の生徒に対し、Head Teacher一人と二人のアシスタントがつきます。担任は、このクラスをまとめるリーダのため、一年間を通してクラスは固定です。しかし、アシスタントに関しては、必要なときには、毎日クラスをかえていくと言います。まず、生徒も先生も相性というものがあります。それに加え、「We must know all children, teachers and assistants」という意味も込められています。全校の生徒を全先生で見守る。この精神がこの学校の先生を動かしていました。障害があり、普通の就職や大学に通うことが難しい子どもたちに対し、学校は、生徒の卒業後も視野に入れ、コネクションをつくっています。それは、子どものことをお母さん・お父さん任せにするのではなく、みなでサポートしようという試みです。「Their job will meaning to their life」彼らにはたらく場があるということは、生きる意味を見出すということです。子どもは親まかせにせず、ネットワークのなかに巻き込んでつないでいく、そのことで、お母さんやお父さん、かぞくに少しの余裕が生まれ、障害のある子どもたちが大人になったたきに、「The parent's meaning of life is taking care of their child with lots of love」をたくさん抱き、子どもたちを見守ることができるようになるのです。スウェーデンの教育環境を聞く校長先生との対話は、システムや教育デザインを学ぶこと以上に、いままで、ことばにならない気持ちを素直にことばに表現することを教えてくれた時間でした。これは、まさに、直接相手との会話なくしては、得られないことです。

 今回のプロジェクトを通して体感したことは、まず、あたりまえですが、日本で読める日本語の文献やメディアでよる情報、そして英語に訳されている、スウェーデンやフィンランドの資料とは、異なる現実社会があるということです。人対人の中に学び、知り得たことは、実際に足を稼いで、精一杯の会話をしたからこそ成し得たことです。

 また、その土地にはその土地の地域社会が広がっているということです。今回は、短期滞在であったため、小学校や作業所、公園など、そこへ行けば、こういう話がきけるかもしれない、という、いわば、ねらいを定めた上での訪問です。「地域社会」が見られたというわけではありません。そこには人々の生活があり、家があり、道があり、学校があり、スーパーがあり、駅があるのです。いわゆる学校や作業所などの「施設」を見ただけでは、とうてい理解のできない、地域社会が存在するはずです。わたしが、今回訪れた学校の大半で感じた、「教育デザイン」や「教育環境」をただ、持ち帰り、日本に適応させようと貼付けたとしても、馴染むことはないでしょう。つまり、ここで学び得た、活動の記録や記録できた写真、そして、聞き得た話は、アイディアにすぎないということなのだとおもいます。だからこそこのアイディアを、これから日本へ処方できるための調法が必要です。「借り物」の「成功例」ではなく、「我が身」の「想像力・創造力」へと発展させていけるように、今後も探求し、学び、つくりだしていかなくてはなりません。こんなにものアイディアを与えてくださった人々に出会ってしまった以上、「よい想いで」などと終わらせるわけにはいかないのです。

 日本へ帰って来て、まず、将来利用するかもしれない妹のことをも考えながら、作業所・アフタースクール・デイケアーの見学を初めています。「成功例」を見すぎてしまったせいもあり、前向きに足を運べないときもありましたが、それ以上に、これまで、たくさんのアイディアや、出会った子どもたちの無条件の笑顔を思えば、進まないわけにはいきません。今回の活動の経験は、「前向きな力」をも与えるのです。

 日本から出発前、実は、スウェーデンの校長先生に話を聞くことのできた特別支援学校でボランティアを計画していました。しかし、フィンランドでの滞在中、その学校は、水災害に見舞われ、連絡が途絶え、取れたときには、ボランティアの受け入れが難しいということを伝えられました。スウェーデンに行くにもかかわらず、この滞在をどう過ごしていくか、とても頭をつかいました。スウェーデンにいるからできることとはなにか、考えても進まないことで、気持ちが落ち込みました。この奨学生でなかったら、ただの観光で終えていたかもしれません。この奨学生を背負う責任感がわたしの背中を押しました。わたしは、スウェーデン人の知り合いの家に滞在をしていたいため、友人の協力を得て、計画していなかった学校に電話をかけ、スウェーデンにゆかりのある日本人のブログなどにも連絡をつけ、また友人の通うストックホルム大学の先生にメールを書きました。Face bookでつながる、スウェーデンをホームにする友だちはもちろん、一度きり会ったことのある友だちを含め、スウェーデンにネットワークのある知り合いのほとんどに、メッセージをしました。あの校長先生と話をし、特別支援学校を見学できたことは、これらのリソースを含め、なんども、学校へアプローチをして得た機会でした。

 国内外、他の地域社会に学べることは、その土地を離れた先で咲く可能性のある「アイディア・想像力」を得ることです。それらをつかい、そこで自分に心を開き与えてくださった、多くの人々の気持ちを原動力に、次には、自分のホームでその「想像力」を「創造力」に変え、形にしていくことができるかが、とても重要なことです。この奨学生としての「責任感」が、わたしの背中を強く、強く押してくれます。今回いただいた、経験を活かし、さらに進むことができるよう、より気を引き締めて努力していきたいと思います。ありがとうございます。

参考文献
Specialprgagogiska institutet Laromedel, 1997 "Individuell planering for eleven i skolan", Larum Hogskolebibloteket:19