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文学部
セルビアにおけるセルビア語サマースクール参加とモンテネグロでのフィールドワーク(セルビア―モンテネグロ 両国民の意識調査)

文学部人文社会学科 西洋史学専攻 3年
松田 将太

1.概要

  • 2012年8月6日~8月31日:セルビア共和国の首都ベオグラードにおける4週間のセルビア語サマースクール参加
  • 2012年9月5日~9月8日:モンテネグロにおいてセルビアとモンテネグロの関係をインタビュー形式で調査するフィールドワークの実施

2.目的

今後の研究や、卒業論文を書くにあたって必須となるセルビア語能力(主に読解能力)の向上と、セルビア人を中心とした旧ユーゴスラヴィア諸国の人々との交流を通して、彼らの現状や感情、内戦を中心とした歴史に対しての考えを知ること。

3.活動報告

≪サマースクール参加前まで≫

セルビアの首都ベオグラードを訪れるのは3度目のことであることに加えて、基本的なセルビア語会話であれば不自由しない私にとって、サマースクールに参加すること自体には何の支障も無いと考えていたが、サマースクール参加前の段階で想像以上に多くの問題に悩まされた。

まず、8月4日の夜にモスクワ経由でベオグラードのニコラ・テスラ空港に到着したのだが、勉強用具の入ったスーツケースがロストバゲージしてしまった。ロストバゲージの窓口に行くと、担当者はセルビア語しか解さないようであった。苦労しながらもなんとか会話は成立したものの、どうやら荷物は郵送ではなく、翌日再び空港に引き取りに行かなければならないようであった。その後、空港から予約しておいた宿に空港バスで向かおうとしたが、両替所が閉まっていたために、ユーロでの支払いを受け付けてくれるタクシーを利用せざるを得なかった。そして翌日、気温40度の暑さの中、指定時間に空港のロストバゲージの窓口へ行くと、2時間待てと言われ、結局3時間待たされた挙句に届けられたスーツケースを見ると、鍵を壊され中身を漁られていて、お土産として持ってきた日本のお菓子などが盗まれていた。その後、空港職員と共に警察に行ったものの、盗まれた証拠が無いという一点張りでどうにもならなかった。また、この日にサマースクールの担当者と会うことになっていたが、度重なる問題による疲労と暑さから体調を崩してしまい、会うことが出来なくなった。

次に、サマースクールの担当者との接触が大変であった。前述の通り、予定していた日時には体調不良で会うことが出来ないという旨を連絡し、翌日のサマースクール初日の開始前に会う約束を電話で取り付けたのだが、指定日時に指定場所に行き、1時間待っても誰も現れず、連絡を取ることも出来なかった。そのため、連絡が取れた8月8日まではベオグラード大学在学中のセルビア人の友人と連絡を取り、ベオグラード大学の講義を聴講するなどして過ごした。全く想定外のことであったし、講義内容はあまり聞き取れなかったものの、セルビアの大学の雰囲気を感じ取ることができ、非常に貴重な経験になった。その後はサマースクールの担当者と無事会うことができ、クラス分けテストを経てセルビア語サマースクールに参加することとなった。

≪サマースクール≫

前述のように紆余曲折を経てセルビア語とセルビア文化についてのワークショップが主催するセルビア語サマースクールに参加することが出来たのは、8月9日のことであった。まず、担当の先生と会って、クラス分けのためのテストを受けた。テストは、まず先生と簡単な会話から始まり、その後に読解とリスニングという流れであった。テスト結果は、簡単な会話はほぼ問題がなく、リスニングもスラヴ語系の言語(セルビア語はスラヴ語系の言語であり、ロシア語などとは共通の文法や単語が多々見受けられる。そのため、スラヴ語系の言語を母語とする人は、セルビア語を全く勉強せずとも4割程度の内容は理解できると言われている)を母語にしない者としては比較的よい成績であったものの、今後卒論等を書くに当たって必須である読解能力はあまり良くなかった。そしてこのテストの結果から、4クラス中、下から2番目のクラスに振り分けられた。クラスにはマケドニア人が2人、アメリカ人とセルビア人のハーフ、ドイツ人、イギリス人、イタリア人がいた。彼らがセルビア語を勉強する理由は実に様々で、アメリカ人とセルビア人のハーフは、生まれも育ちもアメリカで、母親の母語であるセルビア語をほとんど話せないから参加したと言った。イギリス人は私と同じようにユーゴスラヴィアの歴史を勉強しているという理由から参加していて、彼から論文等に関しての貴重な情報を得ることが出来た。また、2人のマケドニア人のうちの1人は、日本が大好きで日本語を勉強していて、東京はもちろん関西や九州にも旅行したことがあると言った。前述の理由から私はサマースクール参加が遅れてしまったが、彼らは皆とても親切で、困ったときには手を貸してくれた。中でも日本が好きなマケドニア人とは非常に仲良くなり、一緒にマケドニアの首都スコピエへ旅行もした。

クラス分けテストの翌日からサマースクールは始まり、1日4コマ、1週間で20コマの講義を受けることとなった。基本的には午前中の2コマが文法に関する講義で、午後の2コマがその日の文法の講義を踏まえた会話や読解形式の講義であった。基礎から中級レベルの文法は日本でも勉強することが出来るのだが、上級レベルの文法は今まで学ぶ機会がなかったため、それを勉強出来たことは論文等の長文読解をする際に非常に役に立つと感じた。その上級レベルの文法を除いては、これまで重点を置いて勉強してきたことであったので、午前中の講義にはなんとかついていくことができた。しかしながら、午後の講義に関しては、自分のセルビア語能力がいかに不足しているかを実感することとなった。まず、会話中に少しでも複雑な文法が入ってくるとしっかりと聞き取ることが出来ないということである。セルビア語の文法は非常に複雑で、固有名詞も含めたほとんどの単語の語尾が変化するため、会話を聞いても何のことを言っているのか、誰のことを言っているのかが非常に分かりづらいのである。そのため、どの文法を使っているのかを頭の中で考え、変化する前の単語が何であるかを特定しなければ理解することが出来ない。Italija(イタリア)という簡単な固有名詞でも、Italiji(イタリイ)、Italije(イタリエ)、Italiju(イタリユ)、Italijom(イタリヨム)といった変化をするので、Italijuと言われてもとっさに何のことか理解するのが難しいのである。この例は最も基礎的で簡単な変化であるが、会話になると変化をした上にまた変化をするというようなことも頻繁に起こるので、元々の単語が何であるかを特定することが非常に困難になり、会話の内容を理解することが大変であった。この問題に対しては、ラジオ等でセルビア語をひたすら聞いてよく使うフレーズを耳で覚えることと、これまで通り文法を繰り返し勉強することで克服しようとした。次に問題となったのは、暗記している単語の数が絶対的に不足していることである。最初に受けたクラス分けテストで、読解の成績があまり良くなかった要因としても、これが一番に挙げられる。講義でも、短文の読解ですら知らない単語が頻発して、そのたびに辞書を引かなければならなかった。この問題に対しては、講義中に分からない単語が出てきたらすべて調べてノートに意味を書いておくことと、街を歩いていて知らない単語があればすべてメモをして、ホステルに帰ったらすべて意味を調べるということで克服しようとした。また、街でメモをする際には、分からない単語が含まれている文章ごとメモをすることで、文章の意味とセットで単語を覚えるようにした。しかしながら、これらの問題は約1ヶ月の滞在期間ではわずかに克服された程度であり、今後も引き続き勉強していかなければ今回のサマースクール参加が意味の無いことになってしまう。そうなってしまわないように、セルビア語をほぼ耳にすることのない日本で、より一層努力しなければならない。

≪ベオグラードでの生活≫
  • ホステル

前述の通り、ベオグラードを訪れるのは3度目のことであった。1度目は昨年の2月、気温は氷点下で大雪が降っていた。2度目は今年の3月で、天気も良く、気温も日本の同じ時期より高いほどであった。そして今回、はじめて夏のベオグラードを訪れたのだが、気温の高さと天気の良さに非常に驚いた。約1ヶ月間の滞在で、雨は1度も降らず、ほぼ毎日雲ひとつ無い快晴であった。しかしながら気温も平均して35度程度あるため、外に出るのが億劫であった。そんな気候の中、今回滞在したのはいかにも社会主義時代に建てられたであろう非常に古いホテルをホステルとして1泊17ユーロで提供しているところであり、部屋にエアコンは無く、水道水は白く濁っていて、常に温かった。決して良いとは言えない環境ではあったが、汗だくになりながら勉強したことを一生忘れることはないだろうし、これから様々なことを勉強していく上で糧になる、貴重な経験になったと言える。

カレメグダン公園から見たドナウ川とサヴァ川
カレメグダン公園から見たドナウ川とサヴァ川
破壊された旧ユーゴ連邦国軍司令部
破壊された旧ユーゴ連邦国軍司令部
  • ベオグラードの街

ベオグラードは長い歴史を持つ街であるが、ドナウ川とサヴァ川の合流地点であり、交通の要所であったために、戦争の舞台となることが多く、街が壊滅的なダメージを受けることも何度かあった。それゆえに古い建造物は少なく、観光スポットなどは少ない。唯一観光地と言えるのが、ドナウ川とサヴァ川の合流地点にある、カレメグダン公園である。昔は要塞として機能していたが、今は公園として整備されていて、要塞に歴史を感じると共に、市民の憩いの場として親しまれている。また、旅行者の被写体となることが多いものが、クネズ・ミロシュ通りにある旧ユーゴスラヴィア連邦共和国軍司令部の建物である。この建物は、1999年にコソヴォ独立を巡る争いの際にNATOによって空爆された。そしてこの建物は現在も空爆によって破壊されたままの姿で残っている。あえて撤去せずに放置していることで、NATOの不当性を訴えると同時に、ナショナリズムを高揚させる材料として利用するという目的が考えられる。

治安に関しての質問をされることも多いのだが、私の経験上ベオグラードは非常に治安の良い街であると感じる。やむを得ず深夜に出歩くこともあったが、身の危険を感じたことは一度も無かった。また、タクシーも何度か利用したことがあるが、非常に親切で、ぼったくられるというようなことも皆無であった。他のヨーロッパ諸国では外国人観光客を狙った犯罪が頻発する中、経済状況の良くないセルビアでそのような話を聞いた事がない。実際の犯罪件数等を調査し比較して、単に私は運が良かっただけなのかどうかを知ることも含めて、今後研究するに値する事柄ではないかと感じた。

ベオグラードでのサッカー試合観戦
ベオグラードでのサッカー試合観戦
マケドニア人の友人2人と一緒にサッカー観戦
マケドニア人の友人2人と一緒にサッカー観戦
  • セルビアのサッカー

私がこの地域の歴史やセルビア語を勉強するきっかけになったものとして、旧ユーゴスラヴィアのサッカーが好きということが挙げられる。その中でも最も好きなクラブチームが、セルビアのベオグラードを本拠地とするツルヴェナ・ズヴェズダというチームである。日本では英語訳をしたレッドスター・ベオグラードという名称で知られるこのチームは、文字通り赤い星という意味である。そして、今回ベオグラードに滞在するにあたって、このチームの試合を観戦する機会があった。それはヨーロッパの強豪チームと試合をするカップ戦への出場権をかけた試合であり、スタジアムには40000人近くの観客が集い、スタジアム中の人が飛び跳ね、応援歌を叫んでいて、日本では到底味わえないような熱気に満ちていた。

また、スタジアムに日本人や中国人などアジア人の姿は全く無く、私のような人が試合を観に来るのが非常に珍しいのか、たくさんの人に声を掛けられた。その際に声を掛けてきたセルビア人とは、サッカーという共通の話題を通して仲良くなることが出来、それはまたセルビア語の会話能力の向上にも繋がったと感じる。サッカーはさらに、新聞を通してセルビア語読解能力の向上にも役立ったと言える。ベオグラード滞在中はほぼ毎日スポーツ新聞を買っていたのだが、記事の半分近くがサッカー関連で埋め尽くされている。興味のある記事はどんなに長文でもしっかりと読むことが苦では無く、情報を得られると同時にセルビア語の勉強にもなるという、私にとっては最も効率の良い勉強方法であった。わずか1ヶ月の滞在ではあったものの、試合観戦や新聞を通じてセルビアのサッカーを身近に感じられた。

  • 日本人と中国人

以前訪れたときにも感じたのだが、事あるごとに日本人か中国人かを尋ねられる。また、試合前後のサッカーのスタジアムなど、人の多いところでは中国人と指をさされて笑われる。これはセルビアに限ったことではなく、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソヴォでも同様であった。そして、日本人だと言うと彼らは喜び、東京に行ってみたいなどと言われる。中には日本語で「愛しています」と言う女性もいた。この反応に疑問を感じ、レストランでウエイターに尋ねられた際に中国人だと答えてみると、ため息をついて嫌そうに接客をした。日本が彼らの国々に援助をしていることから、日本への感情が良いのは理解できるし、移民として住んでいる中国人は政府に優遇されていて、セルビア人とコミュニケーションを図ろうとしないことから、中国人に対しての印象が悪いことも理解できる。サマースクールの先生も、このような理由で中国人にいい印象は無いと言っていた。また、コソヴォに関しては、日本は独立を承認しているが中国は承認していないという背景もある。中国人と答えたことは前述の1度しかないので、全ての人が嫌そうな仕草を見せるのかは分からないが、相手の国籍によって対応を変えることは全く可笑しいことであると感じた。国籍によって接し方を変えるということは、相手がどのような人であるかを国籍以外は無視しているということであり、決して良い関係を築くことは出来ないからである。日本人だから、という理由で好意を持たれても、日本という国を誇りに感じることはあるが、自分がどのような人であるかに関係がないので嬉しいとは感じない。しかしながら、そうせざるを得ないほど、彼らと中国人との関係が冷え切っていることが伺える。ヨーロッパのみならず世界中の国で似たような中国人移民の問題が起きていることから、世界規模で対策を考えなければ今後も解決されることはなく、中国人と現地の人が良い関係を築くことはあり得ない。非常に難しい問題ではあるが、何らかの解決策が提示されることを期待する。それはまた、日本人にとっても有益なことではないだろうか。

≪モンテネグロでのフィールドワーク≫
  • フィールドワークの調査内容

9月5日から8日にかけての短い期間ではあるが、モンテネグロにおいてインタビュー形式のフィールドワーク活動を行った。まず、なぜモンテネグロで行ったのかについてであるが、7月30日にb92というサイトに載せられたニュースについての考えを知りたかったからである。そのニュースとは、モンテネグロの首都ポドゴリツァのメディアが報じたもので、内容はモンテネグロのニェグシという村のレストランで、セルビア人の女性とその女性の5歳の子供に対して、レストランのオーナーがモンテネグロ人のナショナリストであるという理由で彼らに食事を提供せず、レストランから出て行くように言ったというものである。また、そのレストランは、「セルビア人はこのレストランで食事できません。」という知らせを掲示していた。旧ユーゴスラヴィア諸国の中で、モンテネグロはセルビアとは最も良好な関係とされ、2006年のセルビア・モンテネグロからの独立の際にも紛争などは起きる気配すらなく、独立の是非を問う国民投票で僅差ながら独立をすることになった国である。サッカーの事例を挙げてみても、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナの国内リーグのチームのほとんどは自国の選手から構成されているが、セルビアの国内リーグのチームにはモンテネグロ人も数多く在籍していて、その逆もまた然りである。そればかりか、モンテネグロ国内リーグの選手は、まずセルビアのチームに移籍することを目標とする傾向すらある。それゆえに、セルビアとモンテネグロは全く緊張した関係にないと思っていたし、このようなニュースを耳にすることになるとは思ってもみないことであった。このニュースは私にとって衝撃的であり、今後この地域を研究していく上でこの国家間の関係を知ることは重要なことであると感じた。そのため今回のフィールドワークでは、このニュースのようなことは他にも発生しているのか、また、モンテネグロ人はこのニュースまたはセルビア人についてどう思っているのかをモンテネグロにおいて調査することに決めた。

バールまでの列車でインタビューした男性
バールまでの列車でインタビューした男性
  • インタビュー

9月5日、ベオグラードから列車でモンテネグロの港町バールに向かった。約12時間の移動は、数人にインタビューするには十分であり、私の前の席に座った2人に、実際にインタビューすることが出来た。1人目は、ベオグラードからモンテネグロのポドゴリツァに向かう32歳のセルビア人男性であった。セルビア人の彼に対して先のニュースを伝えると、「それは非常に残念なことであるが、自分のようにセルビアからモンテネグロに向かう人はたくさんいるし、モンテネグロでそのような経験をしたことはない」と言った。次にインタビューをしたのは、ウジツェというセルビアの街からポドゴリツァに向かうおそらく50から60代のモンテネグロ人の男性であった。彼は列車に乗るなり私に話しかけてきて、日本から来たと答えると、空手がきっかけで日本のことが好きなようで、東京や名古屋、九州や四国などという日本の地名を嬉しそうに言った。モンテネグロ人の彼はウジツェで働いているが、ポドゴリツァ出身で、母親に会うためにポドゴリツァに行くと言った。彼からはニュースについての感想とセルビアに対する考え方をたくさん聞くことが出来た。要約すると、ニュースに出てくるモンテネグロ人のナショナリストは非常に愚かであり、そのような人はごく少数であること、また、セルビア人はモンテネグロ人と何ら変わらず、セルビアで働いているが差別を受けたことは無いということであった。

無事にモンテネグロに入国し、列車の終点であるバールに着いたのは22時頃であった。そして翌日、宿泊したプライベートルームの管理人の方にインタビューをした。ここでも、ニュースに出てくるナショナリストのような人はごく少数であり、この宿にもセルビア人はたくさんやってくるし、彼らは言葉の面も含めモンテネグロ人と何ら変わりはないと言った。その後、バールからブドヴァという街にバスで移動した。ブドヴァは、ブドヴァリヴィエラと呼ばれるモンテネグロのアドリア海沿いの観光地の中心地であり、この日は天気があまり良くなかったものの、バカンスを楽しむ人々で賑わっていた。この街はロシア人を中心とした観光客が多く、お店も混雑していたためインタビューする機会はあまり無かったが、宿泊したホテルのフロントの20代と思われるモンテネグロ人の女性にインタビューをすることが出来た。彼女もまた、セルビアをそこまで敵視しているナショナリストには会ったことがないし、セルビア人観光客もこの街にたくさん来てくれることはモンテネグロの経済が潤うことにも繋がるので、大いに歓迎していると言った。しかしながら、今回のニュースの事件が起きたニェグシ村のように、セルビアを敵視するナショナリストが多数存在する地域があるといううわさを聞いたことがあると言った。

翌日、ブドヴァをあとにしてコトルという街に向かった。コトルは世界遺産に登録されている観光地であり、複雑に入り組んだ湾を形成するボカ・コトルスカと呼ばれる地域の最奥に位置している。この街もブドヴァと同様に観光客が非常に多かったが、青空市場を開いている現地の人にインタビューすることが出来た。自らの畑で収穫した野菜を売る36歳のモンテネグロ人の男性で、彼はこのニュースを知っていた。ただ、インタビューに対する答えは他の人々と同様に、ナショナリストは愚かであり、もしセルビア人観光客がモンテネグロからいなくなれば、モンテネグロの収入は大きく減ってしまうだろうと言った。また、ナショナリストの存在は、モンテネグロで働くセルビア人だけでなく、セルビアで働く数多くのモンテネグロ人も危険に晒されてしまうかもしれないので、そのようなナショナリストは存在すべきでないと語った。青空市場ではその他数人にインタビューすることは出来たが、答えは皆似たようなものであった。

モンテネグロの世界遺産コトル
モンテネグロの世界遺産コトル

その後、コトルの綺麗な街並みを観光し、バスで首都のポドゴリツァへ向かった。目的は、モンテネグロ代表とポーランド代表のサッカーの試合を観戦し、スタジアムでインタビューを試みることであった。代表戦ともなれば、ニュースに出てくるようなナショナリストも多数存在するのではないだろうかという考えがあったからである。ポドゴリツァに到着したのは試合当日の15時頃で、チケットが残っているか心配であったが、バスを降りてそのままスタジアムへ向かうと、最も熱狂的なファンが陣取るゴール裏の席のチケットのみ買うことが出来た。それからホテルにチェックインし、荷物を置いて休憩をしてから再びスタジアムへ向かうと、試合に向かう人々で街の中心は異様な盛り上がりであった。彼らの流れに着いていき、スタジアムに入場して試合を観戦したのだが、試合前も試合後も私の周りの熱狂的なファンはかなりの興奮状態で、インタビューすることは出来なかった。ここで様々な情報を聞くことが出来るかもしれないと期待していたので残念ではあったが、スタジアム内部は身の危険を感じるほどの状態であったために、断念せざるを得なかった。そして試合の翌日、モンテネグロでのフィールドワークを終え、列車でセルビアのベオグラードへ戻った。その列車内では、前日のサッカーの試合を観戦しに来ていたポーランド人と仲良くなることはあったが、インタビューすることは出来なかった。

  • 調査結果からの考察

ニュースに出てくるようなナショナリストも存在しそうであるサッカーの代表戦においてインタビューをすることが出来ればまた結果は違ったかもしれないが、インタビューした人々は皆、セルビアを敵視するナショナリストには否定的な考えであった。ただ、そのニュース自体は知らない人でも、そのようなナショナリストが存在するということは知っているようであった。また、ブドヴァのホテルのフロントの女性が言っていたように、ナショナリストが多く居住している地域はどうやら存在するようである。今回のニュースで女性が訪れたレストランがあったのは、そのような地域だったのかもしれない。しかしながら、インタビューを実施した人数がそれほど多くはない上に、英語とセルビア語でなんとか会話を成立させた私の語学力では相手の発言を完全に理解し切れたとは言えないものの、全体的にはセルビアに敵意を持っているようなモンテネグロ人はごく少数であり、今後もセルビアと良い関係を保ち、共存していこうとする考えを持つ人が大半であると感じた。ただ、少数のナショナリストがこれから影響力を増してゆくということは十分考えられることであり、今後もこのようなニュースを注意深く見ていかなければならないだろう。

≪活動を振り返ってみて≫

セルビアでのサマースクール参加とモンテネグロでのフィールドワークを実施できたことは、今後この地域を研究していく上で、非常に貴重な経験になった。40日間ベオグラードに滞在することによって、日常的にセルビア語を見聞きすることが出来た。もちろんサマースクールの講義によってもセルビア語能力の向上は感じるが、クラスの人との会話や、街やスタジアムでの会話においてすべてセルビア語を使うということが、会話能力の向上により大きな役割を果たしたと感じる。論文等を読むための読解能力に関しても、サマースクールの講義で学んだことが前提ではあるものの、実際に能力の向上に役立ったのは、スポーツ新聞を読むことであったと感じる。セルビアに滞在中毎日サッカー関連の記事を欠かさず読んでいたのだが、滞在し始めと終わりのほうでは辞書を引く機会が格段に減ったし、どのような文法が使われているかもすぐに分かるようになった。つまり、サマースクールはあくまでセルビア語を勉強するための基礎を身に付けるためのものであって、実際にセルビア語の会話能力や読解能力の向上により大きな役割を果たすのは、セルビアにある程度の期間滞在するということであった。今後は、今回の経験を踏まえて読解能力の引き続きの向上を図るためにインターネットでセルビア語のニュース記事を読むことと、実際に卒業論文等の参考文献に利用することの出来るセルビア語論文を読み進めていこうと思う。また、サマースクールの講義は当然ながら英語でセルビア語を勉強するというものであったが、私は英語があまり得意ではなく講義内容を完全には理解し切れなかったので、セルビア語と並行して英語の勉強をしていく必要性を感じた。

今回のようにフィールドワークをすることは初めてのことであり、スタジアムでインタビューできなかったこともあり、成功したとは言えないかもしれないが非常に大きな経験になった。旅行のガイドブック等には、所属民族や民族問題について聞き出すことは非常に失礼なので絶対にしないようにという旨の記載があり、慎重にインタビューを行った。しかしながらこちらが民族問題についての話題を出すと、よくぞ聞いてくれたといった様子で自国の民族の素晴らしさや国家間の関係を語り、質問にもしっかりと答えてくれた。これは、実際にインタビューをしてみなければ分からなかったことであり、ガイドブックの記載のように民族問題について聞かれるのは嫌だと感じる人も多くいるのかもしれないが、自分からその問題について語りたがる人もたくさんいるということを知ることができた。互いに敵意を持つセルビアとクロアチアの関係にも言及する人もいて、今後はセルビアとモンテネグロのような比較的良好な関係の国家間だけでなく、セルビアとクロアチア、またセルビアとボスニア・ヘルツェゴヴィナのような未だに内戦による憎悪が残る国家間の関係についてもインタビューをすることに挑戦したい。

最後に、文学部学外活動応援奨学金の援助を受けてこのような貴重な経験をする機会を得ることが出来、感謝するとともに非常に嬉しく思う。