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文学部
差別問題に対して有効な人権教育の在り方を探る~人権感覚を養う教育とは~

文学部人文社会学科 教育学専攻 4年
西村 美由乃

私が教育学専攻に入学したのは、当然ながら教育という分野に大きく興味を持っていたためであるが、 教育の中でもこれといった専門的な課題やテーマにおいて特別な関心を持てるようになるまでにはすぐには至らなかった。大学入学後、教育学専攻の特色である 自主的に教育について学ぶ「教育学サブゼミナール」に所属し、いじめ、虐待、モンスターペアレント、教育格差や非行など、自分なりに教育学のさまざまな課 題やテーマについて学んできたが、どこかで「ただ学んでいる」感が付きまとっており、学びに対して貪欲さを失いつつあった。

そんな私が2年生の後期に出合ったのが「同和教育」であった。この出合いによって、それまで失いかけていた私の中の大学における学びの貪欲さが一気に駆り立てられることとなる。

教育学専攻の学生は3年生の6月に「教育実地研究」という、一つ都道府県を決め、その地の 教育について、青少年問題班や学校教育班などのいくつかのテーマに分かれて現地に赴き、各テーマのグループでさまざまな施設などを訪問して、最後には一冊 の報告書にまとめるという大変大掛かりな必修の授業がある。その準備を2年生の後期から始めるのだが、場所が福岡県に決まった後、班決めの際に、恥ずかし い話この班なら仲の良いメンバーと組めそうだという非常に意識の低い理由で私が所属することになったのが「同和教育班」だった。

しかし、同和教育班の副班長にまでなったものの、実は私を含めた班員6名全員が、同和教 育って何であるのかをほとんど知らなかった。そんな状態で同和教育についての学習を一から始めたわけだが、それは驚きの連続で、これまで自分の生きてきた 中でほとんど知ることのなかった衝撃的な部落差別の事実や、それが決して過去の歴史の話ではないことなど、知れば知るほど驚くことばかりで、初めの意識の 低さが嘘のように、私をはじめ班員全員が同和問題、同和教育について意欲的に勉強をするようになった。

いざ迎えた2011年6月の実地研究本番では、福岡県に着いても自分たちの知識不足を心配 し、同和教育や差別撤廃に向け尽力していらっしゃる方々の前で、果たして自分たちのような東京の大学生がどのように受け取られるのか大変不安に思ってい た。しかし、訪問させていただいた先々で温かく迎えてくださり、また、真剣に取り組みについて教えていただき、本や資料などでしか知ることのできなかった ようなお話を生の声で聴かせていただき、私たちの意識は非常に高いものとなり、最終日の全体発表では各々が自分たちの意見をしっかり言えるまでになっていた。

こうして充実感と満足感でいっぱいの状態で東京に戻り、数か月にわたって報告書の作成を行 う作業に入っていったのだが、訪問先の方々と自分たちが学んだ内容の重心にずれがあることが判明した。何度も郵送やメールのやりとりを重ねて文章を直しな がら報告書は完成したのだが、この報告書の一件によって先方から「もう一度お互いに学び合い、還流会ということで福岡に来ないか」というお誘いを頂くこと になった。この頃には卒業論文のテーマを決める時期に来ており、教育実地研究をきっかけに人権教育についてぜひ書きたいと思っていた私は「差別問題に対し て有効な人権教育の在り方を探る~人権感覚を養う教育とは~」というテーマで論文を書くことに決め、福岡県、大阪府、奈良県の人権教育副読本の教材収集やインタビューをするため、まず2012年8月6日から7日にかけて昨年お世話になった福岡県直方市の皆さんと再会し、還流会という形で人権教育についての学びをもう一度重ねることになった。

また、8月21日からは大阪府と奈良県で大阪人権博物館、大阪府教育委員会、奈良県の水平社博物館に訪問した。

なぜこの3府県を選択したのかというと、安易ではあるが、日本 における人権問題の中でも同和問題という課題が未だ比較的色濃く残るのは西日本が中心となっている現状や、人権教育副読本が発行され学校の人権教育の授業 で使用されていること、人権に関する施設があり、さらに訪問が可能であることを踏まえ選択したのだが、訪問を終えた今、これらの府県での実地調査は非常に 有意義な研究にすることができたと胸を張って言うことができる。

福岡県

2012年8月6日、福岡県直方市を再度訪れ、一年前にお世話になった直方市立感田小学校教員である藤田先生をはじめ、多くの方々との再会に喜びながら、直方市人権教育実践交流会という直方市の学校の先生方約300人が集まる会に参加させていただいた。300人を超える直方市の先生方の前で挨拶までさせていただいた後、第6分科会において昨年の私たち中央大学の実地研究のおさらい、報告書作成で出た認識のずれなどをどのようにして改善し、啓発につなげていくべきかなどを話し合った。そこでは、私自身が経験した教育実地研究以降の、人権に関する学びによってわずかながらにも自分の中にも人権感覚が芽生えていく驚きと喜び、それによってそれまで見えていなかった身のまわりの差別や偏見があらゆる場面で見えるようになったこと、そしてまた、この感覚を他者へ伝えていきたい思いから、大学の授業や友人との会話の中で人権の認識の重要性を語るもなかなか分かってもらえないもどかしさなど、私の意見をお話しさせていただく時間まで設けていただき、実際に学校現場で人権教育、同和教育を行っていらっしゃる先生方と大変有意義な意見交換を行うことができた。後に藤田先生から送っていだたいたこの実践交流会のアンケートには「勉強になった」「自分の今までの実践と重ねることができた」など、人権教育や同和教育の経験や学習がまだまだ浅い私の意見に対して嬉しいコメントを頂戴し、現場で尽力されている多くの先生方の中で、自分も人権教育について考える一人の人間として参加できていたことの喜びが込み上げてきた。

大阪府

8月21日からは3泊で大阪府に滞在し、大阪府と奈良県で教材収集とインタビューに当たった。まず向かったのは大阪人権博物館(通称リバティ大阪)である。ここでは大きく3つのゾーンに分かれ、「いのち・輝き」、「共に生きる・社会をつくる」「夢・未来」といったそれぞれのテーマに沿った数多くのパネルや資料が展示されている。人工呼吸器をつけて生きる子どもたちの学校での様子や、性の在り方について考えさせられる同性愛者の人々の活動や、職業観について考えさせるパネル、アイヌ民族の衣装など、子ども目線で見ても非常に分かりやすく工夫がなされた展示ばかりで、生きることについて様々な角度から考えることができる空間が作られていた。大阪府の学校の人権教育の授業で利用されることの多いこの大阪人権博物館では、職員とその学校の先生とでどのような人権学習にしたいのか、何かの人権課題について重点を置いて学びたいのかなどの打ち合わせを行い、その学校の施設訪問のニーズに合わせて学芸員が学校の先生と一緒にプログラムを作成するという。子どもが実際に施設に訪れた際の様子などに関して聞くと、差別の話を「かわいそうな人の話」として聞いてしまわないようにすることが重要であり、さらに、子どもの様子以外に気になるのは、実は人権の研修で来館する教員や企業の社員などの「大人」の方が、「来させられている」感じが強い印象が見受けられることをおっしゃっていた。

また、大阪府教育委員会で人権教育企画課にお邪魔し、大阪府で近年変わってきた人権教育のシステムの中身についてや中学校の教員の頃の人権教育の実践例のお話などを聞かせていただいた。今後懸念される人権教育の、とりわけ同和教育の課題の中の一つには、教員の若年化が進んでいることに関して、若い先生たちの同和教育もとい同和問題に関する意識や認識の低さが、今後学校で行う同和教育により熱心さを失っていくことにならないかが課題になってくる可能性があるそうだ。

大阪国際平和センター(通称ピース大阪)では、大阪大空襲の際に落とされた1トン爆弾が入館して最初の展 示室の入ってすぐのところに飾られており、当時の大阪の街の様子を再現した空間の空気や雰囲気には何か緊張してしまうものがあった。中でも特に印象的で あったものを紹介すると、大阪大空襲で亡くなった一般市民の方々の名前、年齢が書かれた名簿を実際に触って読むことができるコーナーがあり、その名簿の ページをめくるたびに鳥肌が立った。一人ひとり実際に生きていたこの名前の人々が空襲で亡くなった事実をそのまま受け止めるその感覚が、空襲で亡くなった人々は○万人、という書かれ方とは当然であるがまるで違い、「命」のひとつひとつの生活や「生きていた事実」を肌で感じて学ぶことができる。この施設では他にも、戦争がどういうものであるのかを知ってもらうために、戦時中に送られた日本兵の手紙や、家の造りの模型、短編アニメの上映、数多くの資料や図書の貸し出し、平和を祈念する「刻(とき)の庭」や、さらに、日本が戦争で侵略して行ってきた残虐な事実の内容を写真や映像とともに紹介する広い展示室などが ある。特に最後の展示室にあたる日本の侵略による朝鮮や中国への虐殺行為などの紹介は見る人にとって非常に衝撃的で、教科書では決して想像できない事実を 隠さず見せている印象を受けた。

奈良県

22日には奈良県御所市にある水平社博物館に行き、部落差別の撤廃に尽力してきた水平社の歴史や活動、そこで活躍した人々について、元高校教員であったというボランティアガイドの米田さんに説明していただきながら、実際に教師経験の中での人権教育実践につい ての私の質問にも快く答えていただいた。卒業論文の研究材料である人権教育副読本の教育的効果についてお聞きすると、人権教育の授業で突然副読本教材を もって人権の大切さを伝えるには、子どもの関心を向けさせるところに難しさが生じ、結局「自分のこと」と認識させることができない可能性が高いという感想を聞かせていただいた。人権学習は子どもたちにとって、例えばクラスの中で発せられた生徒の一言をきっかけにするなど、「自分」と明確に関わると感じることができるようなものから導入し、そこから人権の問題意識を持ってこなければ効果は得られないというお話は印象的である。

考察

人権教育が目指すものは、文部科学省の定義によると「知識の共有、技術の伝達、及び態度の形成を通じ、人権という普遍的文化を構築するために行う」ことである。「日常生活の中で人権上問題のあるような出来事に接した際に、直感的にその出来事はおかしいと思う感性や、日常生活において人権への配慮がその態度や行動に現れるような人権感覚」を育むことができれば、この目標に大きく前進できる人材が社会に輩 出されていくだろう。しかし、そのための授業実践の方法や教材において、これまでも多くの学者をはじめ学校現場の教員等が、その知識や経験からさまざまな研究を重ねてきた。それでも「これが正解である」とされる答えは、同和教育をはじめに行われてきた長い人権教育の歴史を見ても未だ出ていない。3府県の副読本教材の中でも、障害という一つのテーマを扱う教材を見ていても多様な視点からのアプローチを図る教材があり、どの教材も人権尊重の精神を自分の中に培っていく確かな要素となり得るものであった。

今回の学外活動、人権教育副読本の教材研究を通じ、考察したいことは二点である。

第一に、さまざまな教材を見ていく中で、人権教育を行う上で重要になってくるのは、教材の中身ばかりではなく、それを子どもたちに伝える「教師」の人権意識や人権感覚が、非常に大きくその効果を左右するものであるということが挙げられる。教材がいくら良いものであっても、その教材を用いて子どもたちに実際に授業を行うのは「教師」であり、その教師の人権意識や人権感覚が乏しいものであれば、教 材を十分に活かした人権教育を実践できる可能性は低いと考えられるだろう。

人権博物館の事業推進室学芸課副主査の村上紀夫さんは、大阪人権博物館に人権教育の一環として訪れる多くの学校の子どもたちの様子を見ている中で、引率している先生が人権課題について事前学習をどの程度行っているか、また、子どもたちに人権博物館訪問に際し事前に動機づけなどを行っているか否か等、子どもより先に教師自身が人権教育に関心を持って取り組んでいるかどうかで、子どもたちの館内で の話を聞く姿勢や展示を見て回る様子に確実な差が見えるとおっしゃっていた。残念なことに「やっつけ」として人権教育の授業や研修に来るような印象を受ける教師は少なくないという。教材の中身や、子どもたちが人権教育の授業を通じて人権感覚が育まれていくことを目指すということよりも前の段階に、教師の人 権教育への関心が必要条件であることを忘れてはならない。

第二に、「人権感覚」を育むためには、それが「感覚」である限り、また、人権感覚の定義で「日常生活の中で人権上問題のあるような出来事に接した際に」とあるように、人権教育の教材は身近なものである必要があることが挙げられる。

大阪府教育委員会人権教育企画課主席指導主事の山下さんは、人権感覚を育むためには「当事者との出会いを入り口にするような人権教育の授業が大切」だとおっしゃっていた。また、元県立高校教員であったという奈良県の水平社博物館のボランティア職員の米田さんも、「人権教育は生徒のちょっとした言葉づかい等の身近なものからくみ取ったものでなければ、生徒の関心を伴った効果的な授業にはならな い。」とおっしゃっていた。

「人権」「差別」と言われても、自分のことと重ねて考えることが難しいのは、それが目には見えないものであり、普段の生活で意識されにくいことが大きな原因の一つと言える。人権や差別が「どこかの誰かの話」だと無意識に認識してしまうものにならないことが、人権教育における大きな課題なのである。

人権宣言や子どもの権利条約などを学ぶ教材でも、「どこかの誰かが出した人権は大切だというメッセージ」としか受け止められない授業では、そこに「自分」はどこにも投影されない。一方、自分が暮らしている地域の外国人や障害者の話や、彼らが何に困っているのか、またはまるで違う存在だと無意識に感じていたが、彼らも自分たちとなんら変わらないことなどを伝えるような教材であれば、子どもが読ん でいるその教材の中に「自分」が登場する。反対に人権宣言や子どもの権利条約などを考える教材でも、自分だったらこれは無くては困る権利、これはあったら良い権利等を考えられるといった使い方をすることで、「自分」を投影した人権教育に成り得るし、同じ教材でも地域の障害者や外国人の話をただ読んで感想文 を書かせて終わるような授業実践では、子どもたちの中で人権の話が他人事で終わってしまうだろう。つまり、どのような教材においても、「自分をいかに投影 できるか」が、人権感覚を育む人権教育の効果の鍵となると言えるのではないだろうか。

しかし、その「身近」を意識した教材には同時に、「身近」だからこそ抱える難しさも考えなければならない。人権教育の授業を行ったからと言って必ずしも人権感覚がその子に培われるということには残念ながらならないことは十分に考えられる。教育の効果はそんなに単純ではない。人権教育は、寝た子を起こすな論にもみられるように、「わざわざそれまで知らなかった差別の事実を教えられることによって 自分の中に差別心が芽生えてしまう」ことも、同和問題や外国人などへの差別が存在すること「だけ」を知る結果になるような授業を受ければ、確かにそれが自分の中の差別のきっかけとなってしまうだろう。身近な例を教材で取り上げれば、それだけ差別を望ましくない方向に身近に感じ、差別に便乗してしまう可能性 は把握しておく必要がある。寝た子を起こすな論に賛同は決してできないが、「下手にやれば逆効果」という危機感は、どんなに人権教育を熱心に努力して行っ ている教師にも持っておかなければならないものである。教師はその危険性を理解した上で、そうならないための人権教育を実践していかなければならないので ある。そしてそこで、先に述べたような人権教育への取り組みを「やっつけ仕事」として考えている教師が媒体となって人権教育が行われるとすれば、その危険 性は一層高まるであろう。

なぜ人権について学ぶのか、なぜそれまで知らなかった差別のことまで学ばなければならないのかを、確実に子どもたちが理解した上で人権教育は行われなければ、教師や授業の方法によっては寝た子を起こすな論のように逆効果を生んでしまう可能性も十分に考えられるのである。

しかし、寝た子を起こすな論のように、仮に部落差別を知らずに一生を終えたとしても、社会には他にもさまざまな差別があることは事実であり、それらを避けて一生を送ることは不可能である。最も重要なのは、「差別とはどのようなものか」であり、「部落差別とはどのようなものか」ではない。「差別」がいかに卑劣な行為であり、且つ自分にも差別をしてしまう可能性が十分にあることを理解することで、 はじめて差別を「自分」のことと重ねて考えられるのではないだろうか。

また、最後にもう一点、教材の比較を行ってみて留意しなければならないことは、差別が人の「心」に起因するものとしてばかり描写される教材にならないようにするという点である。差別は社会構造の中に起因するものでもあり、心の持ちようを変えればすべて解決するものでは決してない。差別の問題を「社会の構造」に向けて考えられるような教材が、副読本教材の中にも今後増えていくことを期待したい。

今回のテーマである差別問題に対し有効な人権教育の在り方があるとすれば、それはいかに教師自身が人権教育に関心を持てているか、そして学習者である子どもにとっていかに「自分」が投影できる教材であるかが、一つの回答ではないだろうか。

おわりに

思えば昨年、同和教育班として実地研究に臨んだ際、ついこの間まで同和問題の欠片も知らなかったよ うな自分のような大学生が、何年も何十年も人権・同和教育に尽力されている方々に意見を述べるようなことをして良いのだろうかと感じたことがあったのだ が、訪問先で「この前まで何も知らなかった東京の学生が同和教育に関心を持って福岡の直方市まで来てくれたのは嬉しい。」と、自分が心配していたことをむ しろ喜ばしく感じていてくださっていたことに深く感動したことを思い出した。

自分が放った一言や行動が、人権教育のステージで活躍されている方々のどこか一端にでも響くことができた感動は一入である。

数年前まで人権教育と言われてもピンと来るものも特になく、同和教育に至っては何のことな のかすらわからなかった、そんな自分がここまで人権教育に関心を持つようになったこと自体、実は私自身大変驚いている。しかし、勉強を重ねてみてはじめ て、これまで人権教育や人権問題に関心が持てていなかったことに対する危機感の大きさを痛感した。インタビューをしていて、「どこかの誰かの話」「かわい そうな人の話」という認識を抱かせることなく、人権や差別が自分に関する話であることを分からせることが大切であり、且つ難しい、ここをどうするかが人権 教育において考えなければならない、という意見が、どの人権施設の職員の方にも先生方にも一貫されていたことが分かった。中学、高校の教員免許を取得して いる自分にとっては、教師として子どもたちの前に立つ可能性が十分にあるということから考えれば、人権に関心が持てていないのは大変恐ろしいことである。

上で考察したように、人権教育において非常に重要になるのは「教師」の人権に対する関心が 挙げられる。私たちのように、これから社会に出ていき親や教員として今度は「教育する側」になっていく人材が、人権課題や目の前にある人権問題に「気付 く」ことができるかどうか、その感覚を持っているか、持っていなくてもそれに気付いた誰かによってその事実に目を向けられるかどうかで、社会の中の人権課 題が改善に向かうか否かがかかっていると言ってよいだろう。

そこにある差別や偏見に気付くことができる、さらにはそれを声に出して指摘できる人権感覚を持った大人として、まずは自分が胸を張れる一人の人間になりたいと思う。

最後に、今回の学外活動では、教材の提供やインタビューにお時間を割いていただき、多くの方々のご協力があってこの報告書を完成させるまでに至ることができた。あらためてこの研究にご協力いただいたすべての方々に感謝を申し上げたい。

インタビュー協力・教材提供 お世話になった方々

(順不同 敬称略)

【直方市立感田小学校】 福岡人権・同和教育研究協議会 藤田勝博
【直方市人権教育研究協議会】 松田克也
【部落解放同盟直方市協議会】 書記次長 盛永光伸
【大阪人権博物館】 事業推進室 学芸課副主査 村上紀夫
【大阪府教育委員会事務局 人権教育企画課】 主席指導主事 山下克弘/指導主事 竹中重雄
【大東市立北条小学校】 岡由梨香
【水平社博物館】 ボランティア職員 米田哲夫

参考文献

  • 阿久澤麻理子、金子匡良 『人権ってなに?Q&A』 解放出版社 2006年
  • 石飛仁、高橋幸春 『愛が引き裂かれたとき 追跡ルポ 結婚差別』 解放出版社、1996年
  • 沖浦和光、宮田登 『ケガレ 差別思想の真相』 解放出版社、1999年
  • 奥田均 『人権のステージ』 解放出版社、1998年
  • 奥田均 『差別のカラクリ』 解放出版社、2009年
  • 鎌田慧 『人権読本』 岩波ジュニア新書、2001年
  • 喜多明人、岩川直樹、河内徳子、今泉博 『人権教育をつくる 「教え」から「学び」への授業づくり』大月書店、1997年
  • 角岡伸彦 『被差別部落の青春』 講談社、2003年
  • 角岡伸彦 『とことん!部落問題』 講談社、2009年
  • 今野敏彦 『人権感覚をはぐくむ』 明石書店、1995年
  • 今野敏彦 『新編人権をくらしのなかに』 開窓社、1994年
  • 知っていますか?部落問題一問一答編集委員会 『知っていますか?部落問題一問一答』 解放出版社 2002年
  • 辻内智貴 『信さん』 小学館、2001年
  • 中野陸夫・池田寛・中尾健次・森実『同和教育への招待』解放出版社 2004年
  • 野中広務、辛淑玉 『差別と日本人』 角川書店、2009年
  • 林力『人権百話』解放出版社 1993年
  • 『福岡県同教季刊誌 ウィンズ・風 66』福岡県人権・同和教育研究協議会、2011年
  • 『福岡県同教機関紙 かいほう 238』福岡県人権・同和教育研究協議会、2011年
  • 森実 『知っていますか?人権教育 一問一答』 解放出版社 2001年
  • 松下一世 『子どもの心がひらく人権教育―アイデンティティを求めて』 部落解放人権研究所、1999年
  • 村崎太郎、栗原美和子 『橋はかかる』 ポプラ社、2010年
  • 八木英二、梅田修 『いま人権教育を問う』 大月書店、1999年
  • 好井裕明 『差別原論』 平凡社、2007年
  • 和田献一 『ちょっと待って!人権がある』 解放出版社、2006年
  • 『大阪の学校ものがたり-教育と地域-』大阪人権博物館 2009年
  • 『大阪人権博物館総合展示図録』大阪人権博物館 2011年
  • 『人権にはたす博物館の役割』大阪人権博物館 2011年
  • 財団法人 大阪府人権協会『やってみよう!人権・部落問題プログラム 行動につなげる参加型学習』解放出版社 2012年
  • 『部落問題学習の授業ネタ』部落問題学習ネタつくろう会 2007年

人権教育副読本

  • 奈良県
    『なかま』小学校中学年用、高学年用
    (奈良県人権教育研究会編 財団法人 奈良人権・部落解放研究所発行2002年改訂版)
  • 大阪府
    『人権教育読本 にんげん3・4 ひと ぬくもり』小学校中学年用
    (にんげん編集委員会編集 明治図書出版 2008年)
    『人権教育読本 にんげん5・6 ひと つながり』小学校高学年用
    (にんげん編集委員会編集 明治図書出版 2005年)
    『人権教育教材集・資料』小学校
    (大阪府教育委員会 2011年度版)
  • 福岡県
    『かがやき』 小学校中学年用、高学年用
    (福岡県教育委員会発行 同和教育副読本編集委員会編集1997年)