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政策文化総合研究所

【第30回中央大学学術シンポジウム】公開シンポジウム「人類共生の可能性~社会の多様な差異の超克をめざして~」開催のお知らせ

日程
2024年3月27日(水)13:30~17:00
場所
多摩キャンパス GLOBAL GATEWAY CHUO(グローバル館) 6階604号室
日程
2024年3月27日(水)13:30~17:00
場所
多摩キャンパス GLOBAL GATEWAY CHUO(グローバル館) 6階604号室
内容

主  催    第30回中央大学学術シンポジウム「情報文明における共生思想構築に向けての基礎的研究 

       (研究代表者:保坂 俊司 研究員(本学国際情報学部教授))

共  催    国際共同研究強化(B)「インドネシアにおける性的少数派とイスラームの関係」

         (研究代表者:加藤 久典 研究員(本学総合政策学部教授))

 

テーマ    「人類共生の可能性~社会の多様な差異の超克をめざして~」


 

シンポジスト: ・田上 富久 氏(長崎地域力研究会代表、前長崎市長)    
         「共生と分断のはざまを生き抜く力~長崎市長の経験をふまえて」
        ・Arif Safri 氏(コーラン学研究所、イスラーム大学:インドネシア)

         「性的少数派のアイデンティティを読み解く」
        
・李 里花 氏(中央大学総合政策学部教授)

         「日本における複合差別の歴史:在日朝鮮人女性に注目して」

        ・加藤 久典 研究員(中央大学総合政策学部教授)

         「寛容性について考える:インドネシアの事例に」

司  会  :保坂 俊司 研究員(中央大学国際情報学部教授)

 

講演要旨  :

田上 富久 氏(長崎地域力研究会代表、前長崎市長)    
「共生と分断のはざまを生き抜く力~長崎市長の経験をふまえて」
 長崎というまちの特異な歴史は、約450年前、世界史にいう“大航海時代”に天然の良港として見出され、町を建て、ポルトガル船を受け入れたことに始まる。
 鎖国時代の2世紀半を含めたその後の歩みの中で、長崎は、他の国内のまちにはない異国、異人、異文化との交流をいち早く経験し、同時に「共生」と「分断」の両面についても多様な経験を積み重ねてきた。
 さらに、1945年には広島に次ぐ二発目の原子爆弾が投下され、世界に二つしかない「被爆地」としての特異な体験が新たに加わった。戦後、被爆者は、差別をはじめとするさまざまな苦悩を生き、一方で“核兵器のない世界”を求める活動にも身を投じてきた。その戦後の歴史の中で、投下国であるアメリカとの意識のズレ、核保有国と非保有国とのズレ、市民社会と政府とのズレなど、多様なズレを痛感してきた。そのズレは80年近い年月を経て、まだ残っているどころか、むしろ新たに生じたズレにも直面している。
 私は1980年から長崎市役所職員として行政の仕事に携わった後、2007年から昨年4月までの16年間、長崎市長を務めさせていただいた。その中で、この二つの特殊性を意識する場面を数多く体験してきた。「つながる体験」は共生につながり、「分かれる体験」は分断につながるとすれば、その両面をさまざまなレベルで体感してきた。長崎が持つ二つの特殊性だけでなく、一自治体の長として多様な仕事に臨む中で体験してきたことの中にも、共生と分断に関わるさまざまな側面をみてきたように思う。
 近年、脱炭素、ジェンダー、ダイバーシティ、働き方改革など、さまざまなキーワードがマスコミで頻繁に取り上げられている。これらは、これまでの社会のOSが未来には通じないことが明らかになる中、OSをアップデートしようとする動きと捉えられる。新しいOSに組み込むべき基本機能について、多様な視点から議論が始まっているということになる。さらにいえば、OSのアップデートを待つことなく、新しい発想の“アプリ”を開発し社会の変化に適応しようという若い世代の動きが「スタートアップ」ということになる。
 この次の時代への胎動ともいえる動きの中で、「共生」は新しい社会に組み込むべき基本機能の一つとして議論されてよい重要なテーマだと思われる。また共生につながるテーマとして、ダイバーシティやジェンダーに加えて、教育も取り上げられるべき重要なテーマの一つだと思う。
 今回のシンポジウムの中では、16年間の長崎市長としての経験をもとに、共生という視点から感じてきたこと、考えたことについて報告してみたい。


Arif Safri 氏(コーラン学研究所、イスラーム大学:インドネシア)
「性的少数派のアイデンティティを読み解く」

キーワード:アイデンティティ、トランスジェンダー、 文化、教義化、宗教 
 本発表は、社会の規範に合致しないトランスジェンダーなどの性的少数派がインドネシアにおいてどのような現実に直面しているのかを文化の歴史や宗教教義を考えながら明らかにする。性的少数派は様々な側面において社会の端に追いやられていると言えるだろう。それは、往々にして暴力的なもので、家庭や社会のコミュニティー、政府の政策、メディアにおける間違った情報の流布、歴史と文化、また宗教教義の面でも少数派は社会から疎外された存在といえる。
 これらの面にはそれぞれの現実に社会に存在する性的少数派を拒絶する理由やインパクトを見つけることができる。それらの多くが根拠としているのは、トランスジェンダーというのはインドネシアの文化と合致しない、という考えだ。そして、西側のプロパガンダがインドネシア文化を破壊しようとしているという言説がある。トランスジェンダーの人々は、宗教的な神聖さと矛盾しているという考え方に注目したい。
 こういったトランスジェンダーを宗教的に誤謬であるとする考えは往々にして性的少数派を除外する政策の根拠にもあり、また彼らに対する暴力を助長する役目も果たしている。しかし、発表者は宗教的な意味においてトランスジェンダーが社会的に受け入れが可能であり、彼らに対する肯定的な論説を提供する。インドネシアの文化の歴史を見ると、トランスジェンダーが社会から除外された存在ではなく、神秘的・精神的な意味において深く社会と結びついていたことがわかる。
 ブギス族(スラウェシ島)のビス、チャラバイ、チャラライ、中部・東ジャワのレンゲル・ラナン・ワロック、スマトラ島のボル・ナン・ティンジョなどインドネシアの多くの地域、種族にトランスジェンダーの文化的要素を見ることができる。文化、歴史的な意味だけではなくイスラームの歴史においても、ムハンマドの時代やオスマントルコの時代にもトランスジェンダーの存在があったし、コーランやハディス(ムハンマドの言行録)にも彼らの存在を否定しない教えを読み取ることができる


李 里花 氏(中央大学総合政策学部教授)
「日本における複合差別の歴史:在日朝鮮人女性に注目して」
 グローバル化によって国境を越えた人の移動が加速的に行われるようになり、現代社会は多様な背景をもった人たちによって構成されるようになったが、21世紀の転換期に人類社会が経験したのは、人びとを分断する排外主義の高まりでもあった。
 日本も例外ではない。2000年代に排外主義が急速に発展し、在日朝鮮人をターゲットにしたヘイトデモが高まった。在日朝鮮人とは、帝国主義の時代に日本に「移住」した朝鮮半島出身者とその子孫のことを示す社会的カテゴリーである。この在日朝鮮人をターゲットにしたヘイトデモが日本国内で起こり、とりわけ女性をターゲットにした差別的発言や誹謗中傷は熾烈を極めた。インターネットで誹謗中傷の被害を受けた李信恵氏と彼女の弁護を務めた上瀧浩子氏(2018年)は、これが「複合差別」をめぐる問題であると指摘している。つまりマイノリティの女性が受ける差別は、民族差別と女性差別が一体化した二重の差別であり、マイノリティ男性が経験する差別とは異なることを訴えている。
 これらの流れから、日本の排外主義は近年のグローバル移民をめぐる社会経済的問題のみならず、帝国の時代に形作られた植民地主義をめぐる問題が絡みながら発展し、そこで複合差別をめぐる問題がとりわけ問題となっていることが浮き彫りとなった。
 それではこの複合差別とは具体的にどのようなものであるのであろうか。本報告は、日本で活躍した二人の朝鮮人女性舞踊家を辿りながら、在日朝鮮人女性をめぐる歴史的なイメージを紐解いていく。また彼女らの活躍の背景で、何が不可視化されたのかを検討していくことで、帝国の時代に形作られた朝鮮人女性イメージの何が問題となっているのか、現代の排外主義に照らし合わせながらその問題を検討する。


加藤 久典 研究員(中央大学総合政策学部教授)
「寛容性について考える:インドネシアの事例に」
 東南アジアのインドネシアは多文化・多宗教社会である。民族の数は300を超え、地方語は500を数えるという。古代王朝の時代には、仏教やヒンズー教が栄えその遺跡も多い。現在は、世界で最も多い約2億人のムスリム(イスラームの信仰者)を抱えている。領土も広大で1万7千の島々を持つインドネシアは、世界最大の群島国家でもある。それだけ異なった文化・社会的背景を持つ者が暮らすインドネシアは、ある意味で「世界の縮図」といってもいいだろう。
 異なった者がそこにいれば、自然と相手を否定し排除する態度が生まれる。実際、インドネシアの歴史を見ると宗教や民族、思想の違いから軋轢が生じ悲惨な殺戮があったのも歴史的な事実だ。しかし、だからこそインドネシアにとってそういった異なった者との共存の道を探ることが国家形成とその維持には不可欠だった。政治的には国家五原則(パンチャシラ)によって国民の共通理念を強調し、社会的には相手を受け入れる態度は大きな価値となった。
 本発表では、インドネシアにおける社会的少数派、つまり大多数の者と異なった人々がどのように社会に受け入れられているのか、その過程で何が起きているのかについて考察したい。具体的な事例として、イスラームの名のもとに行われたテロリズムに加担した者たちが、司法の裁きを受け刑期を終えた後にどのように社会復帰を果たしていくのか、どのようにイスラームの過激思想から脱却していくのか、その手助けとなるものは何なのかという問いに対する答えを探求する。加えて、イスラームの教義では受け入れがたいとされている性的少数派、特にトランスジェンダーのムスリムがどのように社会に存在するのかということについてフィールドワークを元に考察する。



【参加申し込み方法】

事前申し込み等は不要ですので、当日、会場へ直接ご来場ください。

◆本学学部生・院生・教職員、学外の一般の方の参加も歓迎いたします。

 

<お問合せ先>
中央大学政策文化総合研究所
〒192-0393
東京都八王子市東中野742-1
電話:042-674-3276

参加費

無料