研究

2018年度

外国人研究者受入一覧と講演会等の記録

2018年度 
フリガナ・漢字氏名 所属 国名 受入区分 受入期間 講演日 講演タイトル
黄寛重 (フアン クアンジョン) 長庚大学教授 台湾 訪問 2018年7月11日(水) 2018年7月11日(水) 12世紀の一官僚の人生-南宋・孫応時(1154-1206)と東アジア政局
Roumyana Slabakova(ルミアナ スラバコヴァ) サウサンプトン大学教授 イギリス 訪問 2018年11月10日(土) 2018年11月10日(土) Are Pronouns Difficult Words? Pronoun Interpretations in the Second Language
Chariya Prapobratanakul(チャリヤ プラポブララナクル) チュラロンコン大学講師 タイ 3群 2018年9月22日(土)~2019年1月27日(火) 2018年11月10日(土) Variability of English Past Tense Morphology by L1 Thai Learners and L1 French Learners
北山 忍 ミシガン大学教授 アメリカ 訪問 2018年11月22日(木) 2018年11月22日(木) The legacy of George Herbert Mead in cultural psychology:
The modulation of error processing by face images
陳健梅(チェン チェンメイ) 浙江大学人文学院副教授 中国 3群 2018年11月20日(火)~2019年2月16日(土) 2018年12月19日(水) “長安にて若し江南の事を問えば(長安若問江南事)”
-唐代長安文化と生活における江南要素の一考察-
陳侃理 (チンカンリ) 北京大学歴史学系副教授 中国 2群 2019年1月25日(金)~2019年2月14日(木) 2019年1月26日(土) 時間の制度化――中国古代の記日法と時刻表記法
Institutionalizing of Time: A Rethink of Numbering Hours and Days in Ancient China
陳侃理 (チンカンリ) 北京大学歴史学系副教授 中国 2群 2019年2月9日(土) 「父老」新探――泰漢時代の里吏と基層社会に関する試論
A New Concept of Fu-lao父老: Officers of Li里 and Local Society in Qin and Han Dynasty

黄寛重 氏の講演会

開催日:2018年7月11日(水)
場 所:多摩キャンパス2号館4階 研究所会議室1
講 師: 黄寛重 氏 (台湾 長庚大学教授)
テーマ:「12世紀の一官僚の人生-南宋・孫応時(1154-1206)と東アジア政局」
企 画:研究会チーム「アフロ・ユーラシア大陸における都市と国家の歴史」
講演は、まず、南宋史研究についての個人の研究の経緯の説明から始まった。黄氏は、1971年に、最初の論文「宋元襄樊之戦」を『大陸雜誌』に公刊され、研究生活に入った。それ以来、47年間にわたって南宋史の研究に従事してきた。1908年代になると、次第に、研究の対象は、南宋の文献の全域におよび、地域も高麗と宋との関係に広がっていった。その中で、南宋早期の政、地方武力の研究に集中していったという。
 1990年代からは、家族と社会の問題に感心を広げ、南宋から元明へと継承される基層社会の形成の問題を追及するようになる。特に、南宋士人の文化活動と人間関係の構築の有様を具体的に復原する作業に没頭し、10数冊の専著を公刊した。今回出版し、本日の講演のもととなった専著『孫応時的学宦生涯-道学追随者対南宋中期政局変動的因応-』(台北:台大出版中心、2018年)は、以上の研究蓄積のすべてを投入した作品である。
 honkouen  『孫応時的学宦生涯-道学追随者対南宋中期政局変動的因応-』では、従来、ほとんど存在しなかった中下級官人の一生を詳細に復原することで、南宋の基層社会の実態を明らかにしようとした。孫応時は、残された史料や役割の複雑性から、南宋社会の基層部分の現実を復原する格好の事例になる。本講演では、孫応時の一生を通して、南宋において地域社会と密接に連動した政治秩序がつくられていることが述べられ、県や郷という下層の行政単位で活動する士人こそが、南宋の社会秩序の核を構成する重要な役割をになったことを、明らかにされた。一種の地方自治の伝統が、12世紀の南宋において誕生しており、この地域の人々によって構築された地域社会が、明清にいたる江南社会の基層をなすと論じる。
 このように、本講演は、孫応時(1154-1206)という南宋の時代を生きた一人の中下級の官僚の人生を歴史の中で浮かび上がらせ、12世紀の中国南部と東アジア世界の直面した諸問題を、鮮やかに描き出したといえよう。

Roumyana Slabakova 氏の講演会

開催日:2018年11月10日(土)
場 所:多摩キャンパス2号館4階 研究所会議室2
講 師: Roumyana Slabakova 氏 (イギリス サウサンプトン大学教授)
テーマ:「Are Pronouns Difficult Words?」
企 画:研究会チーム「言語知識の獲得と使用」
生成文法を枠組みとする言語獲得研究では、英語を母語として獲得中の子どもにとって代名詞の解釈が困難であること、特に「代名詞は統率範疇内で束縛されてはならない」とする束縛原理Bに違反してしまうという現象が、1980年代より広く観察されてきた (The Delay of Principle B Effect, DPBE)。さらに、先行研究により、1) 代名詞が指示名詞(Mama bear など)を先行詞とする場合の方が、量化詞を含む先行詞(every bear など)を指す場合より正答率が低いこと、2) 通常の代名詞 (him, themなど)の理解度は、短縮形の代名詞(〜’m など)の理解度に比べると低いこと, が報告されてきた(Hartman, Sudo, & Wexler, 2012)。一方で、大人の第二言語学習者を対象にした研究では、子どもに見られるような束縛原理Bの違反が観察されないという報告もある(White, 1998)。さらに詳しく調べるため、スラバコヴァ氏はフランス語とスペイン語を母語とする英語学習者(中級, 上級)を対象に、先行詞が量化詞を含む場合と指示名詞の場合において、普通代名詞と短縮形の代名詞では理解度に差がでるか、真偽値判断タスクを行なって検証した。その結果、中級学習者は英語母語児と同様に、短縮形の代名詞が量化詞を含む先行詞を指す場合に正答率が高かった。一方で、上級学習者は母語話者と同じような振る舞いをした。中級の学習者は処理の容量に問題がある可能性を示唆し、第二言語学習者にも母語獲得の段階で見られるDPBEがあるのではないかと結論づけられた。
 ルミアナ・スラバコヴァ氏は、第二言語習得研究分野において活発な研究活動を行なう世界的に著名な研究者の一人であり、講演のテーマも大変興味深いものであった。学内外から学部生、大学院生、教職員が参加し、活発な質疑応答、意見交換が行われた。講演会終了後の懇親会にも多くの参加者があり、有意義な時間を共有することができ、大変貴重な交流の場となった。

Chariya Prapobratanakul 氏の講演会

開催日:2018年11月10日(土)
場 所:多摩キャンパス2号館4階 研究所会議室2
講 師:Chariya Prapobratanakul 氏 (タイ チュラロンコン大学講師)
テーマ:Variability of English Past Tense Morphology by L1 Thai Learners and L1 French Learners
企 画:研究会チーム「言語知識の獲得と使用」
第二言語学習者はなぜ母語話者と同じように形態素を使用できないのかという問題は、長年に渡って議論されてきたが、その疑問に関していくつかの習得モデルが提案されている。その中でも、Prevost & White (2000)の表層屈折要素欠落仮説(the Missing Surface Inflection Hypothesis, MSIH)では、形式素性は習得可能だが、統語構造を形態素や音に移す段階で誤りが生じると主張している。一方で、Hawkins & Chan (1997)の機能素性欠落仮説(the Failed Functional Features Hypothesis, FFFH)では、形式素性そのものが第二言語習得では利用できないと言われている。これらの仮説を検証するために、Prapobratanakul氏は母語がタイ語とフランス語の英語学習者を対象に、英語の過去形に関しての文法性判断タスクと産出タスクを行なった。調査の結果、フランス語母語話者は両タスクで高い正答率を示したが、タイ語母語話者は産出タスクにおいて、特に規則動詞の正答率がやや低かった。フランス語は英語のように動詞に屈折があるのに対して、タイ語は英語の-edのような過去を表す形態素を持たない言語であるので、これらの結果はFFFHを支持することを示唆している。
 講演後の質疑応答では、活発に意見交換が行われた。他大学からの大学院生や教員の参加も多く盛況であった。

北山 忍 氏の講演会

開催日:2018年11月22日(木)
場 所:駿河台記念館 430号室
講 師: 北山 忍 氏 (ミシガン大学教授)
テーマ:The legacy of George Herbert Mead in cultural psychology: The modulation of error processing by face images
企 画:研究会チーム「視覚と認知の発達」
共催:科学研究費助成事業 新学術領域研究(研究領域型提案)「トランスカルチャー状況下 における顔身体学―多文化をつなぐ顔と身体表現―」
Around the turn of the 20th century, scholars in the symbolic interactionism school of thought including, most notably, George Herbert Mead argued that people develop a sense of the self by taking the perspective of others in their community (1). They posited that the image of such others become increasingly abstract to form what Mead called Generalized Other. While symbolic interactionism had decisive influences on subsequent theories of the self, little is known about socio-cultural variations of the generalized conception of other. Here, evidence is reviewed to support the hypothesis that whereas the generalized other is affirming and anxiety-reducing in Western, independent cultures, it is critical and anxiety-inducing in Asian, interdependent cultures. We further argue that these culturally dependent responses to the generalized other are likely to be adaptive because they enable individuals to be part of the dynamic configuration of their culture’s practices, values, and beliefs. First, incidental exposure to both realistic and abstract face images modulates the magnitude of cognitive dissonance in a culturally contingent fashion (2-5). Whereas face images increase dissonance in Asians, they decrease the latter in Americans. Second, face images similarly modulate an electrocortical signal of error processing called error-related negativity or ERN. Whereas they increase the ERN for Asians, they decrease the ERN for Americans (6, 7). Third, a recent finding from population-level surveys (8) shows that social anxiety (reflecting the sensitivity to threat cues) is associated with improved biological health (assessed with pro-inflammatory cytokines) in Japanese, but not in Americans, thereby underscoring the putative adaptive function of anxiety in interdependent societies. Future directions for cultural psychology and cultural neuroscience (9-11) will be discussed.

陳健梅 氏の講演会

開催日:2018年12月19日(水)
場 所:多摩キャンパス2号館4階 研究所会議室2
講 師: 陳健梅 氏 (浙江大学人文学院副教授)
テーマ:「“長安にて若し江南の事を問えば(長安若問江南事)”-唐代長安文化と生活における江南要素の一考察-」
企 画: 研究会チーム「アフロ・ユーラシア大陸における都市と国家の歴史」
陳健梅先生の講演「“長安にて若し江南の事を問えば(長安若問江南事)”-唐代長安文化と生活における江南要素の一考察-」は、4世紀から10世紀にかけての東アジアの歴史を、中国の南北朝時代から隋唐時代への文化的変遷を軸に論じる内容で、10数名の出席者に大きな感銘を与える優れた講演となった。
 講演の概要は、講演要旨に記した以下の文章の通りである。
遊牧民の移動を契機とする4~7世紀のユーラシア大陸の変動は、東アジアにも深刻な影響をおよぼした。中国大陸は新たな遊牧系の国家と、漢王朝の伝統文化の継承を表明する江南地域の国家に分裂し、この分裂を統一した隋唐は、異なる道を辿った南北の文化の融合にむかうことになる。
 本講演は、このような時代状況を受け、華北の都城・長安が受容した南朝の江南文化の影響について、新たに系統的な分析を加える。講師の陳健梅先生(浙江大学副教授・復旦大学博士)は、『孫呉政区地理研究』(長沙:岳麓書社、2008年)等 の研究で知られる、中国歴史地理研究の新世代を代表する研究者であり、その学術水準の高さを充分に発揮した講演内容となった。

陳侃理 氏の講演会

開催日:2019年1月26日(土)
場 所:多摩キャンパス2号館4階 研究所会議室2
講 師: 陳侃理 氏 (北京大学歴史学系副教授)
テーマ:「時間の制度化――中国古代の記日法と時刻表記法 Institutionalizing of Time: A Rethink of Numbering Hours and Days in Ancient China」
企 画:共同研究チーム「世界史における「政治的なもの」」
漢初以前、日付の表記は「干支年+序数月+干支日」の形式であったが、武帝期における紀年の統一を経て、前漢後半期以降、「序数年+序数月+序数日」の形式に移行していった。その背景には、功労の算定や帳簿の集計が日数に基づいて行われていたため、干支では計算がしにくいという問題があった。一方で、時間の表記は本来日の長さに応じて変化する不定時法であったものが、漏刻の採用によって(擬似的な)定時法に移行しはじめ、梁武帝による制度改変を承けて、唐宋以降日常の行政業務は定時法に基づいて行うことが求められるようになっていった。つまり、日表記については現実の要請に応じて制度が変化したが、時間表記に関しては制度上の要請に応じて現実の側が変化した、ということができる。
 フロアからは、こうした時間表記・意識を受け入れた(受け入れることができた)社会階層・地域は限られていたのではないか、とくに時間表記に関しては不定時法のほうが農村の生活実態に則していたのではないか、序数による年月日表記が行政文書上普及したあとも典籍の中では干支表記が用いられ続けたのはなぜか、といった質問が出た。講演者からは、こうした制度を受容したのは基本的に官僚層であり、社会の側に異なった時間表記・時間意識があったことはもちろん考えられるが、日常行政が定時法で行われる以上、民衆も無縁ではいられなかったはずである、例えば干支による日表記の継続は、典雅な表現を愛する文人趣味のほかに、民間で用いられるさまざまな暦の微妙な差異を干支表記によって解決する目的があったのではないか、という回答がなされた。また、制度と現実の関係に関連して、近代イギリスにおける標準時(これがやがて世界標準時となる)の制定は、鉄道の運行を円滑にするために都市ごとの時間の違いを解決する目的で行われたものであり、これは現実の側から制度を変えたものと言いうる、という事例紹介があった。

陳侃理 氏の講演会

開催日:2019年2月9日(土)
場 所:多摩キャンパス2号館4階 研究所会議室1
テーマ:「「父老」新探――泰漢時代の里吏と基層社会に関する試論 A New Concept of Fu-lao父老: Officers of Li里 and Local Society in Qin and Han Dynasty」
講 師:陳侃理 氏 (北京大学歴史学系副教授)
企 画:共同研究チーム「世界史における「政治的なもの」」
郷里社会の有力者「父老」は、国家支配と郷里社会を結ぶ結節点とみなされてきた。しかし彼らを国家がどのように遇したのか、その具体的な様相については、文献からほとんど知ることができない。国家支配と郷里支配の関係をめぐって互いに相容れない学説が混在している根本的原因はここにある。また、国家が里に置いた里吏と父老との関係についても、依然としてはっきりしていない。本講演は、新出史料を用いつつ、これらの問題について再検討を試みるものである。
 戦国秦では里の有力者を里典としていたが、「岳麓秦簡」によると、遅くとも始皇帝の時期までに、里から推薦された爵位のない年長者を里典・里老に任ずる形へと制度を改めた。国家がわざわざ無爵者を選んだのは、社会的地位の低い人間を里吏として登用することによって里吏を国家に依存させ、国家支配の貫徹を容易にするためであった。しかし、こうした里吏は里の利益を代表しえないから、国家支配と里の社会とのあいだには、往々にして対立が生じた。漢はこうした統一秦の制度を踏襲せず、郷里社会の有力者すなわち父老を県三老・郷三老に任命し、父老を国家秩序のうちに組みこむ一方、「張家山二年律令」にみえるように、里内の業務を里典・里正・田典といった里吏にのみ担わせて、里老を置くことをしなかった。が、武帝期を経て中央が地方行政を全面的に掌握するようになると、国家の郷里社会に対する干渉も強まり、父老が里吏同然に遇されるようになった。「肩水金関漢簡」からは、宣帝期までにこうした状況が全国に広がっていたことがうかがえる。やがて前漢末に教化政策が強く打ち出されるようになると、三老の系統に属する父老が教化を担い、里正が行政を担うという分掌体制ができあがった。
 とはいうものの、「教化」という名目のもと父老が負わされる業務には、徴税や課役といった行政にかかわる内容も含まれており、事実上、父老と里正の業務に大きな違いはなかったようである。例えば、賦税として徴収された物品の封緘に立ち会うことはもともと里正の役割であったが、破城子出土文書によると、前漢後半期には父老の所管へと移行されていた。こうした各種業務への従事を強いられることにより、父老はときに経済的危機に陥ることもあったらしく、後漢初期の「侍廷里父老僤石券」から知られているように、この時期には父老の破産を防ぐ目的で僤(特定の目的のために協力・出資する社会組織)が結成されることもあった。また同石券にみえる僤の名簿中において、父老の記される順位は第7位と、決して高いものではなかった。このことは父老の郷里社会における地位低下を端的に示している。が、それは決して郷里社会から有力者が消滅したことを意味しているわけではない。後漢期、父老という名のもとに活動する者の地位は確実に低下していたが、他方、郷里社会において勢威のある者は官吏登用制度を介して官界に進出し、里吏どころか国家の中枢にまで進出するようになっていた。こうした状況が魏晋南北朝期の新しい国家形態を生む素地となったのである。
 従来の諸説が父老や里吏をめぐって提出したさまざまな見解は、上述のような時代状況の変化を視野に入れれば、矛盾なく理解することができると陳氏は説く。氏の主張は大筋において首肯しうるが、いくつかの点で疑問も残る。例えば、漢初において郷里社会の秩序が国家秩序から事実上独立していたのだとすると、郷里社会をも包摂する二十等爵制がこの時期に機能していたのはなぜか。郷里社会の秩序が国家の強い干渉を受けるようになった前漢末になって、逆に二十等爵制の形骸化が進行したのはなぜか。県と里の中間に位置する郷の果たした役割や、伍制の問題をこの議論とどう関連づけて捉えればよいか。後漢から魏晋に至る道筋の理解のしかたは矢野主税のそれと近いが、矢野説とこの議論はどのようにかかわるのか。当日の議論では明確な結論を得られなかったが、今日では希少な「秦漢帝国論」を闘わせることができたことを率直に喜びたい。