経済研究所

2018年10月20日開催 公開研究会開催報告 (経済研究所「思想史研究会」・社会科学研究所「暴力・国家・ジェンダー」)

2018年10月20日

2018年10月20日(水) 公開研究会を開催しました。


【テーマ】カール・レンナーの属人的(非領域的)民族自治論と二元的国家構想

【報告者】太田 仁樹 氏(岡山大学名誉教授)

【日   時】 2018年10 月20日(水)14:00~17:00

【場   所】 中央大学駿河台記念館 570号室  

【要   旨】

   報告者は冒頭でKarl Renner(1870-1950)へのアプローチとして外国での研究、日本での研究を紹介する。まず外国での研究では多文化共生の意義に着目するE.Nimni、属人的自治に着目するW.Kimlicka (E.Nimni,ed.,National Cultural Autonomy and its Contemporary Critic)を挙げ、さらに、Althusiusからの分権的国家思想の系譜の中にレンナーを位置づけ近代国家論の系譜を見直す研究(McRae、柴田寿子等)を挙げる。日本での研究では、政治史(S.ナスコ『カール・レンナー:1870-1950』等)、法学史(我妻栄等)、帝国主義論史(嶺野修)、さらに民族問題史上では、スターリン「マルクス主義と民族問題」、高島善哉『民族と階級』、丸山敬一『マルクス主義と民族自決権』、上條勇『民族と民族問題の社会思想史』、相田愼一『言語としての民族』等の成果を挙げる。
   帝国から第一共和国、ドルフースによる議会停止、ヒトラーによる併合を経て第二次世界大戦後の第二共和国に至るオーストリア史の中で政治家・理論家として生きたレンナーだが、その民族理論の背景がハプスブルク君主国以降の歴史から説き起こされ、オーストリア社会民主党内でカウツキーを理論的支柱とするブリュン綱領(属地原理による「諸民族の連邦制」)が採択される中、属地主義に反対し、独自の民族理論、民族政策を模索する社会民主党右派のレンナーの活動が語られる。
  レンナーの民族理論は、『国家をめぐる諸民族の闘争』(1902)を経て『諸民族の自決権』(1918)の属人的民族自治論、二元的国家構想に結実する。『諸民族の自決権』の訳者である報告者は、ブリュン綱領の民族自治案(1899)、社会民主党左派のオットー・バウアーの民族自治案『民族問題と社会民主主義』(1907)、レンナーの国家構想(1918)の三案の特徴、違いを報告者作成の3つの図を示しつつ比較する。

   ブリュン綱領(カウツキーの理論)案は領域的民族的構成国家の連合体としての連邦国家案であり、属地原理によって民族性原理(一国家一民族)を実現するものであった。バウアー案はブリュン綱領を大枠で継承し、複数の領域的民族的構成国家からなる連邦国家案であるが、領域的民族的構成国家の内部に、文化的・民族的自治を行う民族的マイノリティの自治団体が属人原理に基づいて形成される。とはいえ、あくまで属人原理は補助的なものとされ、バウアー案は折衷的な民族自治案であった。それら二案に対してレンナーは、民族性原理を否定して脱民族化した一般行政を担う領域的構成国家と、属人原理(非領域的原理)に基づき組織され文化行政を担う民族的構成国家(民族帰属は個人の自己申告)とからなる連邦国家、二元的国家構想を主張する。レンナー案の民族国家は文化的民族自治組織ではなく、領域国家とともにそれぞれが立法機関・行政機関を持つ国家機構である。レンナーの言う「自決権」は自治権を意味し、レンナー構想の狙いは民族性原理(領域国家=民族国家)の克服にあった。
   90分におよぶ報告の後、さらに約90分、質疑応答がなされた。まずはレンナーの二元的国家構想の図の内容確認から始まり、レンナーにマイノリティ概念があるのか、ユダヤ人の扱いはどうなるのか、「教育」を管轄するのははどちらの構成国になるのか、レンナー連邦国家の強さについて(民族の分離権はないのか)、民族の内面性は(あるがままに)残したまま、その外面性を上から統治する統治者理論なのではないか、理論の実行可能性の薄さについてなど、専門を異にする参加者の視点、関心から質問が続いた。報告者はそれらの疑問に一つ一つ丁寧に応答された。S.ナスコ『カール・レンナー:1870-1950』の訳者である青山孝徳氏の出席が研究会の議論をより活性化したことを付記する。