日本比較法研究所

2022年度 講演会・スタッフセミナー 概要

テーマ:ウクライナ侵攻を契機とするロシアへの経済制裁をめぐる法的諸問題:凍結・押収・差押え・没収—ロシアのオリガルヒに対する制裁の貫徹:法治国家にとっての一大難問

 ロシアはウクライナに侵攻し、ロシアは未だに認めていないものの、両国は疑いの余地なく戦争状態に入った。侵攻後、多くの国がロシアに制裁を課すこととした。EUもまた、ロシアに圧力を加えるため、一連の制裁に踏み切った。ただ、圧力を加えるためには、制裁を実施し実効性を確保するための法的手段も利用できる状態にしておく必要がある。ところが、ドイツでは、オリガルヒ(ロシアの新興富裕層)のプライベートジェットがドイツ国内でおかまいなしに発着し、豪華ヨットがドイツの港から自由に出港し、また、制裁対象となっている人々が自身の経済的資源を引き続き利用し続けているという状況があり、こうした状況がドイツ国内では疑いの目で見られてきた。EUによる制裁の目的は、プーチンに近いオリガルヒらの資産凍結を通じて、ロシアに圧力をかけ、戦争を終了させるようにすることであるとされる。ところが、実務は、資産凍結を取扱う中で、数多くの未解決の問題に悩まされ、その解決のため日夜、大変苦労している。本講演では、ロシアのオリガルヒに対する資産凍結に関するEUの制裁システムの概要を説明した。講演者は、2022年4月25日、同じ内容をドイツの国会議員たちにも紹介した。2022年5月16日には、ドイツ連邦議会の法務委員会において、このテーマに関わる法案、および、キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟の会派による動議に対して講演者の意見を述べた。本講演で扱ったのは、次の問題である。つまり、ウクライナに対する侵略戦争を契機とするEUによる制裁の対象となる個人の財産に対する、以下の措置の法的根拠は何であるかという問題である。

  • ○財産を凍結すること、すなわち、それを経済的目的で処分することは禁止すること。ただ、EU内におけるその私的な利用は引き続き許容する。
  • ○財産をしかるべき場所に留め置くこと(たとえば、ヨットをある港に留め置くこと)。ただ、権利者が当該客体を同所在地で利用し続けることは許される。
  • ○財産を押収ないし差押えること。すなわち、国がそれを一時的に保管し、権利者によるいかなる利用も排除すること。
  • ○財産を没収すること。すなわち、それを終局的に国庫に帰属させること。

 本講演では、これらの措置の法的根拠は何かという問題を検討し、他国との比較のため、イタリアの法状況にも言及することとした。
そして、本講演で検討したことから、以下のことが導かれた。経済的資源の凍結に関する制裁措置には著しく不十分なところがあるということである。そこで、ドイツの連立政府は目下、関連諸法案(法案パッケージ)を準備している。関連諸法案は2つの部分に分かれるという。第1部は、すぐに実行できる法改正を伴い、遅くとも6月には実現が予定されている。第2部は、より困難な法改正を伴い、時期的にさらに後になる見込みである。野党のキリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟も対案を提出する予定だという。連立政府が提示した「制裁貫徹法」においては、資金および経済的資源の捜査と押収にかかる権限などを強化するため、新たな権限根拠を設けることとされている。しかし、現在のところでは、関連諸法案においては重要な諸点が解決されていないことが明らかになっている。すなわち、経済的資源のプライベートな利用の排除は、相変わらず徹底されていない。所有権関係を解明するために経済的資源の押収を命じることができるという定めがあるだけなのである。しかも、その期間は最長で6か月にすぎない。つまり、凍結を超えて所有者に私的な利用もさせないという措置は、所有権関係が不明である間でしか継続できず、最長でも6か月しか行えないということなのである。そこで、所有者が法的状態を直ちに明らかにすれば、押収を終了しなければならないことになる。そうなると、経済的資源は凍結された状態に逆戻りし、上述した範囲内での(つまり、規則の適用領域内、処分禁止、輸送禁止、潜脱禁止という制約はあるもののその範囲内での)私的利用が、またもや可能となってしまう。さらに改正案は、州(ラント)の持ちうる権限を定めている。しかし、制裁というのは、外交政策上、きわめてデリケートな政治手段である。制裁は、緊張が非常に高まっている時に用いられることが多いものであり、通商禁止措置と同様、その実施と貫徹については、いかなる時も州ではなく連邦が責任をもつべきであって、その権限を州に委ねるべきではない。それゆえ、このような、部分的には慎重な配慮を要するミッションを遂行する上で必要となるのは、制裁の貫徹を担う当局の内部における、曖昧さのない、明確に認識できる責任構造なのである。諸々の管轄や権限が不明確な形で分岐し入り組んだ組織構造であってはならない。たとえば、税関が税関捜査局と共同で引き受けることのできるような、中央集権的な仕組みを作るほうが、より効果的であり、より明確であり、より効率的であろう。
以上を要するに、凍結措置の目的は、制裁対象者による、ロシアのウクライナ侵略戦争への資金提供をできる限り阻止し、戦争を早期に終結させるよう迫ることである。イタリアでは、経済的資源のプライベートな利用も不可能とする措置がとられているが、ドイツでは、一定の要件が充たされる場合にしか、これを実現することができない。より効果的な制裁執行を保障するためには、ドイツの諸官庁の管轄・権限を明確にするとともに、制裁規則に対する違反がなされる可能性を低下させるべく、財産的客体への監視を強化すべきであろう。それに加えて、「凍結」の定義を、EUレベルで拡張すべきであろうと考える。

 

テーマ:トリアージ・義務の衝突

 大災害の発生時等、緊急医療措置の実施が必要とされる場面において医療者によって行われるトリアージ(傷病者の餞別)について、昨今議論となっているのは、刑法的観点からみた医療者の側の問題としての「義務の衝突」という問題である。これについて、講義では、ドイツの議論が紹介され、あわせて、今後のわが国における対応に資する視点が提供された。

 

テーマ:自殺幇助の基本権:ドイツ法における議論

 2020年2月26日、ドイツ連邦憲法裁判所は、終末期における個人の自由の制限を否定し、全員一致でドイツ刑法典217条を違憲・無効と宣告した。連邦議会における法政策に関する十分な議論を経て決定された217条に対するこの衝撃的な判決は、憲法上保障された、自己決定に基づく死に対する権利を前提として下されたものであった。本講演は、自殺幇助の権利をめぐるドイツの議論状況について報告するものであり、わが国においても同問題に関する議論が本格的に進行しようとするなかでたいへん興味深いものであり、報告への質疑応答をもとに、報告者・参加者において活発な議論が交わされた。

 

テーマ:日韓データ保護法:EU十分性決定後の状況

 日韓の個人データ保護法に関する研究セミナーを開催した。この分野に精通している弁護士もコメンテーターとして参加した。高麗大学Park Nohyoung教授からは、2021年にEUから韓国の個人情報保護法が審査され、十分性認定が行われた経緯、そこで生じた課題について説明がされた。具体的には、EUの十分性決定が官民のいずれを含むこと、GDPRでは4年とされているが3年間の有効とされ、その後再審査とされていること、十分性決定の条件として補完的ルール(Supplementary Rules)の策定と遵守および公的機関からの誓約の二つの附属文書が追加され2021年12月に十分性決定が下された。もっとも、補完的ルールの法的位置づけや個人情報保護法との矛盾点などについて説明がされた。その後、日本の個人情報保護法のEUからの十分性決定について説明がされ、韓国と日本のそれぞれの決定の異同などについて意見交換が行われた。

 

テーマ:日本とハンガリーのコミュニティ・ポリシングの比較研究

 日本とハンガリーの2カ国の犯罪状況を関連する犯罪統計等を比較して紹介した上で、コミュニティ志向を支える日本とハンガリーの警察の法的背景、歴史的前例、構造的特徴、現在の課題について説明があった。日本のコミュニティ・ポリシングについては、豊富な文献調査及び多様な関係者に対する日本でのインタビューを踏まえて、警察と地域住民が緊密な連携をとって地域の問題に対処している日本のコミュニティ・ポリシングの伝統に対する肯定的な見解とともに、都市部を中心に緊急通報対応が中心となり地域住民とのコミュニケーションが希薄になっているとの指摘についても紹介された。他方、ハンガリーでは軍事的で中央集権的な警察モデルが浸透していることなど、ハンガリーでのコミュニティポリシングの実施を妨げる要因についても説明がなされた。本件講演においては、Hera氏の講演に引き続き、科学警察研究所の島田貴仁主任研究官、大阪公立大学現代システム科学研究科研究員の鈴木あい氏からも日本のコミュニティ・ポリシングについて講演等がなされた。

 

テーマ:人権及び気候変動問題とEUのグローバル・リーダーシップ

 本講演では、人権と気候変動におけるEUのリーダーシップについて検討がなされた。この2つの重要な問題について、EUはグローバルにリーダーシップを発揮できる立場にあるか、また、そうだとすれば、それはなぜかという問いが、まず立てられた。ここでの問題は、EUが他の国々との関係において人権を利用することができるかどうかである。これはEU法における新しい問題であり、非常に法的であり、非常に政治的であり、おそらくイデオロギー的でもある。さらに、環境問題は、1986年にローマ条約の改正条約という文脈でEU法に登場した。こうした人権や環境を提示して、EUが果たして世界の他の地域にそれを推し進めることができるかどうかについて検討がなされた。なお、このEUのプログラム・計画は、グリーン・ディールまたはグリーン・パクトと呼ばれている。

 

テーマ:EU-ウクライナ関係:エネルギー、移民、人権問題を中心に

 本講演では、ウクライナと欧州連合の(紛争に関連する)エネルギー、移民、人権について検討がなされた。これについては、歴史的、地理的、地政学的な要素も多く、状況を理解するのに必要なものが多い。さらに、国際法という法的な観点からもこの問題にアプローチする必要がある。戦争(国連憲章第2条〜第4条違反、第7章第39条〜第50条適用)なのか、ロシアによれば特別作戦(武力侵略の場合の国家の自衛に関する同第51条)なのか。ロシアは戦争犯罪や人道に対する罪を犯しているのだろうか。EUは非常に困難な状況に直面しており、迅速に対応し、行動を起こす必要があった。しかし、これらの決定の中には、経済に悪影響を及ぼすものがあったということがわかる。

 

テーマ:気候変動法政策におけるEU司法裁判所及び欧州人裁判所判例:最近の動向

 本セミナーでは、気候変動政策に関する欧州司法裁判所と欧州人権裁判所の判例について検討された。重要ではあるが、非常に議論の多い問題は、健全な(healthy)環境に対する権利が裁判所で主張することができる人権であるかどうかということである。もしそうであれば、それは第三世代の権利と呼ばれるものであろう。ところが、欧州人権裁判所は健康的な環境に対する権利を基本的な権利として宣言していないし、持続可能な発展や気候保護も宣言していない。ただし、300件もの環境と人権に関する判例がある。これに対して、欧州司法裁判所については、様相が異なる。2009年に基本権憲章が発効したばかりであり、欧州司法裁判所は、人権の問題に関して特別な裁判所ではない。EUに関する条約やEU法の適用に関連する場合に限り、基本権憲章の適用が問題となる。一方、同裁判所は、条約規則やEU法に関連する環境問題について非常に多くの決定(約800件)を行っている。

 

テーマ:古代社会における家長権

 古代世界における家長や父の地位についての報告であった。通例、古代の父というと、家長としてのそれを中心に議論がなされるが、本講演会では、それと切り離した父そのものの地位を考察するものであった。素材としては、とりわけアウグストゥス帝による姦通処罰に関する立法(lex Julia de adulteriis)を例にとり、姦通した娘に対する家内での処罰権限が家長にではなく父に付与されていることを論証された。講演についての詳細は「比較法雑誌」に掲載する予定である。

 

テーマ:西洋世界における刑事罰の目的

 古代世界における刑罰について、復讐や生贄(sacrifice)との関係性も視野にいれ、その観念の理解を目指すものであった。古代世界の私法については現代と相通ずるところがあり理解しやすいところがあるが、刑罰については大きな相違があり、我が国ではほとんど研究がなされていない。そうした中、Lucrezi先生の講演は、現代とは全く異なる古代の法観念に真正面から向き合うものであった。詳細な内容については、講演原稿を比較法雑誌に発表する予定である。

 

テーマ:ドイツの憲法判例における表現の自由

 マージング教授が12年間の連邦憲法裁判所裁判官としての経験にもとづいて得た知見を基礎に、表現の自由の現代的課題について論じられた。

 

テーマ:売買における危険負担

 講演では、Ferdinad Fisscherの危険負担論の紹介に始まり、近年の諸学説の批判的紹介がなされた。その上で、危険負担制度について売買法全体の中に組み込む視座が提供された。この視座から近年の日本の法改正も含め、各国の法制度の体系的整理がはかられた。