社会科学研究所

公開研究会「沖縄におけるFLOSSの来し方と行く末を考える」開催報告(社会科学研究所)

2019年05月09日

 2019年4月20日(土)、沖縄県市町村自治会館において、下記の公開研究会を開催しました。

 

【日   時】 2019年4月20日(土) 13:00~14:00

【場 所】 沖縄県市町村自治会館

【主   催】 中央大学社会科学研究所 研究チーム「情報社会の成長と発展」(幹事:飯尾 淳)

【テーマ】 沖縄におけるFLOSSの来し方と行く末を考える

【報告者/講師】

     飯尾 淳(中央大学教授)、兼村 光(株式会社オーシーシー)、久保田 昌人(株式会社イーサー)

 

【報告要旨】 

まず冒頭で飯尾からFLOSS Stories Projectの経緯と意義に関する簡単な報告が行われた。その後、パネルディスカッション形式で、沖縄におけるFLOSSの発展に関し、いくつかのトピックについての報告が行われた。具体的には以下のとおりである。

 

[OSSに関わるようになったきっかけ]

沖縄ソフト開発促進事業に参加したことがきっかけである。受託モデルを変えていこう、プロダクトベースのビジネスで産業構造を変えていこうというプロジェクトであった。OSSを使って、効果的に商品を作ろうという発想だった。そのプロジェクトにおいて琉球ソフトビジネス支援センターを作り、初代のセンター長を担当した(兼村)/ 自由に無料で使えるソフトウェアはよい。

お金のない人が多いので売れるのでは?と考えた。「同様のアイデアを持つ人がいる」NTT西日本に声をかけられ OSPI (Open Source Promotion Institute)を作った(久保田)

[黎明期の沖縄OSSシーンの様子]

「沖縄県ではOSSを推進するよ」と県の計画に書いてあった。県庁の担当官に聞きにいったら「国が言っているから書いてみた」レベルだった。次の担当官に変わったときに,レクチャーしたが、ビジネスモデルが「ただで使える」を超えられなかった。沖縄では「県庁」が産業の中心になっていることは否めない(久保田)/ 当時、OCCにもOSSを扱うエンジニアはいた。大学で使っていたというエンジニアが、社内で勉強するという活動が広がっていた。ジャスミンソフト,Javaのコミュニティ 贄良則さんらが中心的になっていた(兼村)

[思い出に残っているトピックは何か]

琉球ソフトビジネス支援センターを作ったことが思い出に残っている。プロジェクトの成果を民間に展開、OSS活用の普及を目的にしたものだった。しかし、他のベンダにはOSSの技術者いなかった。営業して回ると「思想はいいけど実際もうかるの?」という状況だった。当時、尖閣諸島で自衛隊と中国が衝突、揉めていた。中国にオフショアで出していたところが県内に、という背景があり、ビジネスモデルの転換がいききらなかった(兼村)/ 「OSSでは負けるな」と社員を指導してきた。OSPIは一昨年、閉じた。日本の端でOSSをやっていてこれだけは言えるなということは、10人規模の小さな会社ながら個人間で人が繋がっているということを実感している。NHF(日本電気、日立、富士通)の友達など、今でも付き合っているのは財産である(久保田)

[その他の話題]

その他の話題として、沖縄OSS人脈図,主要人物,人間関係と主要組織などや、現在と今後の展望についての報告がなされ、最後に会場からの質疑応答も行い活発な議論がなされた。