社会科学研究所

公開研究会「戦時下における女性アイドルの慰問活動/日本の女性大臣について」開催報告(社会科学研究所)

2017年09月04日

2017年8月5日(土)、中央大学駿河台記念館にて、下記の公開研究会を開催しました。

【日  時】 2017年8月5日(土)14:30~18:00

【場  所】 中央大学駿河台記念館 360号室

【テーマ①】 戦時下における女性アイドルの慰問活動

       -軍部発行・監修の慰問雑誌2誌から見た慰問に関する考察-

【講 師①】 押田 信子 氏

       (横浜市立大学大学院都市社会文化研究科共同研究員、

        中央大学経済研究所客員研究員)

【テーマ②】 日本の女性大臣について(政務次官・政務官・副大臣を含む)

【講 師②】 岩本 美砂子 氏

       (三重大学人文学部教授)

【主  催】 研究チーム「暴力・国家・ジェンダー」(中央大学社会科学研究所)

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【要  旨】

①押田信子氏報告

 報告の目的は、第一に慰問雑誌『戦線文庫』(海軍省)『陣中倶楽部』(陸軍省)の解読を通して、陸海軍省の慰問部署である恤兵部の国民動員の実態を明らかにし、現代に通じる論点を示すこと、第二に、戦地慰問の事例として中村メイコ、内海桂子両氏に実施した聞き取り調査を検証し、戦時における女性芸能人の慰問行為を考察することである。

 慰問雑誌は、国民の寄付金(恤兵金)によって制作され、大衆娯楽を誌面動員し戦地に文化、エンターテイメントを提供する、戦争に資するエンタメ誌である。女優・歌手、銃後の女性の表象は、国家に殉じ奉仕する形に加工製造され、活用された。『陣中倶楽部』の中に、慰問に誰でも行ける状態から恤兵部が許可制を採用し恤兵部の要望に従って芸術文化連盟が演芸慰問団を派遣する形への戦地慰問の変化が読み取れる。陸軍恤兵部派遣皇軍演芸慰問団(『陣中倶楽部』71号1941.10.1)の事例が慰問の具体例の一つである。女優や歌手等が慰問雑誌誌面で、座談会、エッセイの形で慰問を振り返ってその状況を語り、思い出を綴った。

 中村メイコ氏・内海桂子氏への聞き取り調査については、当日のインタビュー映像を公開、玉砕寸前のアッツ島等で特攻隊慰問を行った当時9~10才の中村氏の体験、ハイラル(現モンゴル自治区)等に慰問した当時21〜22才の内海氏の体験を紹介、さらに、映画法(1939.4.5成立)に規制、統制された当時の映画会社の状況の説明、最後に、現代の中国と南北朝鮮における為政者によるアイドル活用の事例の紹介と続いた。

 以上のように、慰問雑誌の丹念な分析の成果をパワーポイントを駆使して披瀝し、中村・内海両氏への最新の聞き取り調査の模様を伝える内容豊富な報告であった。

②岩本美砂子氏報告

 多数の資料を駆使して日本の女性大臣(政務次官等を含む)の状況を以下の7点にわたって解析し、今度の課題、展望を示すエッセンスの詰まった報告であった。

 ①1963年ー1984年の22年間、女性大臣不在の時期があったが、「女性は政界入りが遅く、リーダーになるのが遅れる」はあてはまらない。②若い女性の抜擢は当選回数の少ない女性の抜擢とイコールではない。若くて当選回数の多い女性が存在する。女性大臣を任命する首相は、政務次官等も任命する。③特色ある内閣として、小泉第1次内閣(女性大臣5)、第3次小泉改造内閣(女性大臣2、政務官7、副大臣1)、第2次安倍内閣からの女性登用(大臣、党三役)が目立つが、民主党政権の女性大臣の登用は消極的である。④女性大臣等が登用されやすい省(厚生労働、文部科学等)とされにくい省(財務、農林水産、労働)がある。⑤第2次安倍内閣以降、「保守的」な女性大臣が目立っている(日本会議・神道政治連盟、夫婦別姓反対)。⑥女性大臣の資質に関しては、やりたいことがあっても実現しない(森山法相)ケース、女性政策を進める大臣の少なさなど、指摘すべきことが多い。進めたい女性政策を持った大臣としては小宮山洋子、松島みどり大臣の例があるが、他方、女性大臣(田中大臣~稲田大臣)の不祥事も存在する。⑦女性議員の育成については、当選以後の訓練も必要である。女性大臣を増大させるには、「女性候補の増大→女性議員の増大」を進める必要がある。女性政策を持つ人材を育てること、当選回数市場主義を緩和し、能力と専門性を重視することが肝要である。

 2つの報告後の質疑応答では、学外からの参加者も多く質問は多岐にわたった。押田氏に対する質問の例としては、今後の調査、メディア規制のダブルスタンダードの有無、恤兵金研究に関する質問があり、岩本氏に対しては、性犯罪規制(刑法改正)の問題、安倍内閣の第1次から第2次(以降)の変化の理由、90年以降の政治制度の変更は女性登用につながったのか等の質問が出され、時間ぎりぎりまで活発な質疑応答が続いた。

 研究会後は、御茶ノ水駅近くで懇親会を開催し、親睦を深めた。(主催チーム記)