政策文化総合研究所

講演会等の記録

2023年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
ロシアにおける日本研究「熱」現象の解釈(I):
露日辺境の歴史的・地理的問題に関するロシアの実証研究
2023年6月20日 王奇

Ⅰ:関連する研究機関と文書コレクション
ロシア日本学研究の非常に顕著な特徴は、日本学者手稿(写本)の収集、さらには初期日本学者手稿の収集が重要視されていることであるが、各日本学者の手稿は複数の学芸機関によって収集されていることが多い。
各機関は、それぞれの日本研究者の写本や日本研究コレクションを丹念に目録化しており、その専門性と丁寧さには目を見張るものがある。
個々の蔵書は、(1)諸著作、(2)格言、(3)学問、(4)辞書予備資料、辞書、(5)台帳、(6)雑誌、(7)その他に細分化されて目録化されている。
コレクション内の各アイテムについて、(1)ファイル番号、(2)ファイル名、(3)言語:すなわち文書が所蔵されている言語、(4)日付:すなわちコレクション内の文書の年代、(5)場所:すなわち文書が記録されている場所、(6)アイテムの説明:すなわちアイテムがノートに記録されているか紙に記録されているか、何ページ含まれているか、アイテムの質は何か、鉛筆で記録されているか、鉛筆で記録されているか紙で記録されているか、何ページ含まれているか。 質:鉛筆で記録されたか、ペンで記録されたか、羽ペンで記録されたか、など。

Ⅱ:日露フロンティアの歴史的側面に関するロシアの実証的研究
露日国境地帯の研究は露日研究の重要な一部であり、実証主義的研究、多くの現地視察、豊富な成果によって特徴づけられる、国境問題に対するロシアのアプローチを象徴するものである。
17世紀から18世紀にかけて、ロシアと日本が相互に接触する中で、サハリン、カムチャツカ、千島列島といった地理的概念について、一時は誤解や混乱が生じた。 18世紀にロシアがカムチャツカに2度遠征するまで、ロシアと日本の国境に関する曖昧な時代は一時的に終わったが、同時にそれは、今日まで続くロシアと日本の領土紛争を生み出した。
1711年から1739年にかけて、ロシアは宣教師団を日本航路に派遣し、その航海とチチ諸島の探検を『海島図』と『日本国概説』にまとめ、以後探検家たちはカムチャッカからチチ諸島地域へ南下する探検を頻繁に行うようになり、日本人との接触で日本人のロシア人に対する警戒心も刺激した。 1760年代以降、ロシアによるアイヌ(蝦夷)共同体の調査は、ロシアが千島列島をさらに支配するための努力の一環として始まり、カムチャッカと千島列島におけるロシアの活動を記録した。 それ以来、ロシアと日本は北方四島に及ぶ国境問題について交渉を続け、現在も解決していない。

Ⅲ:日露開拓史研究の考察
西暦10世紀に国教として成立したロシア正教会は、精神的・文化的に帝政ロシアの膨張の歴史過程で大きな役割を果たし、本来は軍国主義的な戦争も、正教会の「オーラ」によって神のための正義の戦いへと変容した。 主のために戦うこと、信仰のために戦うこと。 千年文明としてのロシアの歴史は、絶え間ない領土拡張の歴史であり、「フロンティア」の教義を用いること、つまり常に新たな領土フロンティアを追求することは、この現象を明らかにする重要な基礎となる。 ロシアにおける日露フロンティア研究の歴史的事例は、ロシア史の発展にとって「フロンティアのドクトリン」が本質的に重要であることを証明している。
国家レベルでは、日本研究のロシア人研究者の数が、ロシア東洋学のさまざまな下位学問分野の中で最も多いのは、ロシア人の目には、日露戦争で自らを罰し、第二次世界大戦後に再建し、アジアの大国として急速に発展した日本が、最も価値のある研究対象として映っているからである。 一方、同じ過ちを繰り返さないためにも、研究すべき優先順位のリストに入れることが重要である。
日露辺境史跡研究は、日露研究の深いダイナミクスを分析する上で重要な突破口のひとつである。

摄影政治与文化大革命 2023年6月6日 何高潮
何先生の講演のテーマは「写真の政治学と文化大革命」である。そのテーマについて、第一に1976年4月以前の中国写真の特徴について、第二に文化大革命がもたらした写真的課題への対応について、第三に革命的リアリズムの盲点に対して講演した。
具体的な例として、まず『人民画報』の例を挙げた。中国におけるその最も重要な月刊誌として、1950年7月 創刊号から一度も中断されたことがなく、表紙画像の例と文化大革命中の写真の例がそれぞれ掲載されている。写真の内容によって、紅衛兵・大行進・大型キャラクターポスター・批判集会・毛沢東に学ぶ・忠誠の踊り・四老破壊などの主題の写真を紹介した。続いて、当時の最も重要な中国人写真家とその作品を紹介した。
‘A long and Clamorous Bray' Echo and Allusion in Peter Bell
(「長く尾を引くような騒がしい鳴き声を立てた!」: 『ピーター・ベル』の反響と引喩)
2023年4月8日 Phipps,Jake
政策文化研究所、人文科学研究所、イギリス・ロマン派学会の合同の公開講演会を対面およびオンラインで行った。ジェイク氏の講演内容はイギリス・ロマン派の作家ワーズワスの詩『ピーター・ベル』の影響と引喩に関するものであった。『ピーター・ベル』における影響を、1.他の詩人からの影響、2.ワーズワス自身の他の詩からの影響、3.そして『ピーター・ベル』自体の自己引用の三点から分析した。1.オウィディウスやダンテの作品が『ピーター・ベル』のプロローグの叙事詩的様式を形成し、2.精読によって、「霊魂不滅のオード」における人外の事物に対する人間的な共感の心が『ピーター・ベル』の作品全体に影響することを述べ、3.最後に自己引用として、「長く尾を引くような騒がしい鳴き声」が、炭鉱夫が地下の鉱山でダイナマイトを爆発させるときの反響や、メソジスト牧師が説教を行うときの「悔恨せよ悔恨せよ」という木霊に変容して繰り返され、自己引用がワーズワスのもくろみである、人生の瑣事にみられる人間性を表現するために効果的に用いられていることを示した。
台湾の電動バイク戦略 2023年12月20日 許經明
許経明氏の研究は台湾電動バイクのプラットフォーム理論からの考察である。台湾の電動バイクで90%以上のシェアを誇り、2022年8月には月間契約者数が50万人を突破。いま、世界の電動バイク業界を牽引しているのが、台湾企業「ゴゴロ(Gogoro)」だ。2022年9月には、シンガポールとイスラエルへ進出し、ますます注目を集めている。ゴゴロが世界でシェアを伸ばしている理由は、バッテリーのサブスクリプションモデルにある。バッテリーもステーションも大掛かりなプラットフォームではないため、導入が容易であると説明した。東南アジアの国々は、根強いバイク文化、都市の高人口密度、EVへの移行に向けた政策の枠組み、そして都市の大気汚染を減らしたいという人々の強い要望に後押しされ、このテクノロジーが次々と導入されていくだろうとする。

2022年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
中国におけるムスリム宗教文化の特徴と地域性 2023年1月28日 王建新
 世界宗教の各地域・民族への拡大にともなう、それ以前の宗教や土着信仰との習合現象については、中国のムスリムにおいても顕著に見られるものである。このような習合現象については、クリフォード・ギアーツの研究やルシエン・レヴィ・ブルルの理論(Law of Participation理論)や見解を中国の事例に適用することが可能であろう。
 中国に居住するムスリムは基本的に10の少数民族からなり、その中で回族とウイグル族が大きな割合を占める。本講演では、回族とウイグル族における習合現象の具体的な事例を掲げて検討を加えてみる。
 まずイスラームの中にそれ以外の宗教的な要素が合わさっている事例である。回族の事例としては、イスラーム神秘主義教団の一派である霊明堂の教祖の遺言が挙げられる。それは比喩に満ちた韻文形態の漢語の創作であり、その内容にはイスラームと中国古典の伝統とを含みこむ回儒習合現象が見られる。ウイグル族の関連事例としては、トルファンのイマームの「説教詩」が挙げられる。そこでは、呪術やスーフィズムに対する批判的な言説が組み込まれており、このことを裏返せばそれらがウイグル族のムスリム社会においては根深い存在としてイスラームと習合していることが示唆されている。
 他方、地域的な宗教儀礼にイスラーム的な要素が含まれている事例についてである。回族の女性シャーマンが儀礼を執り行う際、卵・棒・米・水など、その地域の生活環境で用意に入手できるものを使用するという点をはじめとして、当該宗教儀礼はその地域の自然環境や文化伝統と関連づけられている。他方で、シャーマンはコーランを手元に置き、儀礼の冒頭と末尾でコーランの一節を朗誦するとともに、両手を挙げてドゥアー(神への祈願)を行う。ウイグル族については、治病儀礼を行う呪術師バフシの事例が挙げられる。彼らは儀礼を執行する際の道具として、鶏、幼い羊、ロープ、大きな鍋、木の枝、二胡、ドラムなどを用いるが、その一方でコーランを手元に置き、儀礼の冒頭と末尾にコーランを朗誦し、ドゥアーを行うのである。
 以上のような回族とウイグル族の諸事例は、イスラームと土着的宗教要素との相互作用・融合のプロセスを示している。
 結論として以下の3点を指摘できる。第一に、中国ムスリムにも、世界各地に見られる宗教文化の習合現象が存在する。第二に、中国ムスリムの信仰体系には、上層部にイスラーム、中・下層にはシャーマニズム、呪術、自然崇拝など、各民族が生活する地域の自然環境・文化伝統を反映する要素が組み込まれている。第三に、このような各種の要素の相互作用により信仰体系全体が統合化され、正常に機能している。このような様態については、上記の「Law of Participation」理論でもってそのメカニズムを分析可能であろう。

2020年度、2021年度は外国人研究者の受入れはありませんでした。

2019年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
清朝における食糧の海上輸送と社会変遷 2020年1月20日 倪玉平
食糧(納税穀物)の海上輸送は清代の重要な経済活動であり、清代後期に西洋列強が続々と進出してきてからは、政治的関連ももち、清代の社会変動に大きな影響を与えた。食糧の海運実施は、従来の運河による輸送体制を全面的に改め、対外関係にも関係が大きいほか、清代の経済生活にも重要な影響を与え、運河沿い地域と沿海地域の経済発展に巨大な差異をもたらした。清朝はまたさまざまな手段により北方の食糧輸入を刺激し、市場の調節を促進しようとした。食糧海運による社会変動は、主として交通手段の近代化を推進し、輪船招商局の経営活動に影響を与えたことのほか、旧輸送路である運河沿い地域での失業者の増加、治安悪化など多くの社会問題をもたらした。
全体として、運河輸送と比べて食糧の海上輸送は非常な優位性があったが、それ自身の欠陥や限界もあった。報告の結論部分では、「漕運」(穀物輸送)制度それ自体の反市場的要素がその没落の主要な原因であったが、清末の中央財政と地方財政の分解の中、衰退した「漕運」制度はなお中央の強力な支えを得たために、(清朝滅亡まで)最終的に消滅することはなかった、と指摘した。
中日戦争前の中国外交戦略 2020年1月21日 王建朗
本報告は、1月20日に開催された公開講演会の内容を受けて、特に日中戦争後期以降の中国が参加した国際秩序形成について明らかにした。
日中戦争後期以降、特に、国際的に、中国がいかに重要な役割を示したということは研究上、押さえる必要がある重要な点だ。
中国は急激に変化した世界秩序の中で、いままでの蓄積をもとに機会を掴んで大国となった。それは歴史的に見れば必然であった。
大国の責任を引き受けることに努力を惜しまず、東アジアにとどまらず、積極的に国際運営に参加して安定的な国際秩序の形成に大きく寄与した流れを追った。

2018年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
Urabanization and its Problems ─ the Rebuilding of Paris
(都市化とその問題─パリ再建を中心として)
2018年6月22日 劉 北成

ベンヤミン(Walter Benjamin, 1892-1940 ドイツ生まれの哲学者、評論家)の『パリ・19世紀の首都』(中国語版 劉北成訳)を手がかりに、都市の文化と社会について考えてみたい。

ルイ・ナポレオン(Charles Louis-Napoléon 1808~1873)の第二帝政時代、オスマン(Georges Eugene Haussmann, 1809-1891)の指揮により、パリ改造計画が実施され、大通りの建設、下水道の整備などが行われ、不潔な街から美しく衛生的な街に生まれ変わった。だが、パリ・コミューンの崩壊時に主要な建物は火に包まれた。

ベンヤミンは「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」において、ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire, 1821-1867 詩人)の筆によって、パリは初めて叙情詩の題材となったばかりか、乞食やゴロツキ、ボヘミアン文人、退役兵らといった都市現象を描いた、と指摘する。ここにボードレールの近代性がある。

報告の最後には、都市と文学、近代性に関わり、22世紀の北京を舞台とするSF小説 郝景芳『北京折畳』や柳冬撫子の詩も紹介された。

The Confucius from the Perspective of Global History
(世界史から見た「孔子」)
2018年6月22日 顧 濤

今回の中央大学訪問で行った三回の講演、報告において、私は日本の研究を参照することに努めた。すなわち第1回では林巳奈夫(1925-2006 京都大学)の東アジア文明の誕生に関する見解を、第2回では穗積陳重(1855-1926 中央大学)の礼と法の中国的伝統に関する見解を、そしてこの第3回では井上靖(1907-1991 作家)の中国文明とその他の文明の融合に関する見解を参照している。今回は、世界文明史の観点から孔子を議論してみたい。

まず孔子の外見はどのようだったと考えるだろうか。東京の湯島聖堂(1975年 台湾からの寄贈)には世界最大の孔子像があるが、これは北京の清華大学の像とは異なっている。また孔子画は中国でも古来様々なもの描かれ、また日本で描かれたもの、西洋書籍所載のものも異なる。また今日、孔子の故郷山東省では玩具の孔子フィギュアまで作られている。このように孔子は古今東西、さまざまにイメージされてきた。

孔子の意義は広く認められてきた。Benjamin Schwartz(ハーバード大学)は、「孔子は類い希な唯一無二の地位を占めており、古代の文明でこれに匹敵する適当な人物は見いだしがたい」と述べている。また孔子は歴代の中国皇帝により「文宣王」「大成至聖文宣先師」等の諡号を送られ、尊崇の儀礼が行われてきた。孔子の神聖化が極度に進んだ反動として、五四運動では孔子の教えは「人を食う」ものだと厳しく批判されたが、近年はまた孔子の智恵に学ぶことが唱えられている。

では、われわれはどのように孔子に学ぶべきだろうか。孔子の教えを伝える経書は『論語』だが、これは孔門の又弟子によるもので、前漢ですでに三種の抄本があり、今日みられるテキストは三国時期に確定したものである。さらに、『論語』には何晏、皇侃、韓愈、朱熹、さらに日本の安井息軒等、歴史上種々の注釈が付けられ、重要な点においても解釈は大きく異なっている。

真の孔子の姿を探求する上で最も重要なものは『史記』「孔子世家」である。司馬遷は孔子を「至聖」と評価するが、そこに描かれる孔子の一生は成功とは言いがたいもので、50歳頃まで貧しく、小吏であり、政治の枢要を司ったのは数か月に過ぎず、その後12年間諸国を周遊し、68歳で帰国し、六経の編纂を行い、73歳で没した。彼の「苦しみの一生」については、井上靖、徐梵澄等の解釈もあるが、旧訳聖書「ロブ記」やギリシャ神話を参照して解釈することもできよう。このように、世界文明史の視座により、孔子の新たな解釈をし、考察を深めることができると考えられる。

Coming of Age in the "Third Life" -Sick Roles and Rehabilitation in a canner self-Help Organization in Southern China
(“サードライフ”に至るとき―中国南部癌患者の自救回復団体―)
2019年1月25日 王程韡
①“Third Life”の定義 — 癌になった人生である。
② Guo Lin New QiGong (世界中で約100万の癌患者はコウレイ気功を練習し、癌を治療するということを期待している)
③「楽園」 — 上海にある癌患者回復会 
当該回復会に入会したOB、OGに、インタビューや毎日の生活(例えば気功を2時間練習すること)を追跡調査することなどを実施した。このようなフィールドワークを行い、結果を分析する。
④「楽園」のような癌患者回復会の現状。
組織の数と運営者の背景調査を通して、中国の癌患者の自発的共助組織の大変厳しい現状を解明した。

2017年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
China in Globalization of the 19th Century
(19世紀のグローバル化における中国)
2017年6月27日 仲偉民
講演会のテーマは、19世紀のグローバル化における中国―茶とアヘン―」で、①経済のグローバル化、②19世紀における茶とアヘンの重要性、③19世紀の中国の危機、という内容でお話し頂いた。まず、①経済のグローバル化に関しては、19世紀に西欧の資本主義システムがアジア地域に拡大するにつれて、非西欧世界の消費財、たとえば砂糖、香料、胡椒、コーヒー、紅茶などの消費財が西欧世界にとっての基本的な商品となり、資本主義世界の拡大が進み、グローバル化を促進したという。②については、とりわけ、茶はイギリスの産業革命との関連をもち、産業革命後に王室や庶民の生活のなかに紅茶の文化が浸透し、必需品となった点が指摘された。当時のイギリスの東インド会社の収益の90%は、茶による収入であったといわれている。また産業革命によって、酒の消費量が減り、茶の消費量が増えたことで、イギリス人にとっては身体の改善、健康の改善に作用した。イギリスは茶を中国から輸入することによって貿易上の赤字を生み出しており、そのためにイギリスはインドのアヘンを中国に輸出し、貿易の均衡化を図った。インドにとっても、アヘンは当時に重要な財政上の収入源であり、アヘンによるインドの財政収入は1815年以降に増加傾向を示した。こうして、アジアとヨーロッパの資本主義世界における三角貿易の構造が形成された。すなわち、イギリスはインドに綿織物を輸出し、インドは中国にアヘンを輸出し、そして中国はイギリスに茶を輸出というという国際的な商品交換の構造である。③の19世紀における中国の危機は、イギリスによるアヘン貿易によって中国国民に健康上の害を与えるとともに、イギリスに莫大な利益をもたらした。講演会終了後の質疑応答も、多くの質問が出され活発に行われた。
Yang Yi literature written in Japanese
(楊逸の日本語文学について)
2017年6月26日 李雁南
楊逸の日本語表現が中国語表現を交えた独特のものであり、日本語で書いてきたそれ以前の中国人作家とはかなり違っている。最近の中国では華人文学研究が盛んになっているが、華人文学とは海外で活躍している中国語を母語とする人たちが書いた文学である。中国語の場合も外国語の場合も華人文学としてとらえられている。華人文学を歴史的にみると、20世紀初め以来いくつかの時期に区分できる。日本語で書かれた華人文学の歴史においても、楊逸の日本語文学はこれまでなかった新しい局面に位置づけることができる。それは同時に日本語の世界が広がったことでもある。
Political system and political culture in late Northern Song
(北宋晩期の政治体制と政治文化)
2017年7月12日 方誠峰
北宋晩期の政治体制と政治文化については、新しい視点から再構築する挑戦的な報告である。本報告は、当時の政治体制に関する定義から政治文化との関連を考察して、従来の研究に欠けた部分を提示して、現代中国との関係を示唆し、中国政治の特徴として検討した。その大要は、北宋晩期をどう見るべきか、それからその政治体制の持つ一貫性の解釈と政治文化との断絶及び内在的なつながりを当時の社会現象及び民衆の対政治の考え方の側面から説明してきた。参加者にやや難しい問題であるが、極めて分かりやすい説明により大きな反応を得たのは良かったものである。

2016年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
Cross-Strait Political and Economic Integration of Taiwanese Business with China
(中台の政治経済的統合)
2016年4月15日 李宗榮
 今回の研究会では、台湾中央研究院研究員の李宗栄氏に中台間の政治・経済統合をテーマに講演をして頂いた。李氏は1990年代以降飛躍的に拡大した中台間の経済交流が台湾社会にもたらした影響について、豊富なデータと共に解説した。
李氏はまず、自由貿易政策による経済的恩恵は社会全体の利潤を拡大し不平等を減少させるとものと考えられるが、現実に中台間の自由貿易がどのような政治的、社会的影響を与えてきたのかを分析することが今回の報告の目的であると、講演のテーマについて説明した。台湾では1980年代まで政府が市場をコントロールしていたが、政治的民主化に伴って経済も自由化され政策的な大転換を迎えることになった。台湾の経済開放政策により国有企業が民営化され、伝統的に中小企業が経済的主体であった台湾経済の構造にも変化がもたらされた。台湾経済全体の規模が拡大する一方で中小企業は衰退傾向にあり、労働集約型の中小企業は中国へ移転するか、TSMCのような資本技術集約型の大企業へと成長するようになった。李氏は具体的なデータとして2000年の台湾企業の平均従業員数が1000人程度だったの対して、2012年には4000人以上にまで増加していることを示した。また、台湾における中小企業の存続年数も変化しており、20年以上存続している企業の割合が増加する一方で、1~5年程度の比較的若い企業の割合が減っていることも示した。これらのデータから李氏は1990年代から2010年代までの傾向として、台湾企業の規模が拡大し中国でのビジネスに成功した企業が大きな利益を得たが、中小企業にとって以前より厳しい環境になった側面もあると指摘した。
次に李氏は中台間の政治統合について説明した。重要な政治的イベントとして李氏は、国民党の政権奪還と新自由主義的経済政策を掲げる馬英九総統の就任を挙げた。2005年に当時の連戦国民党主席と胡錦濤中国共産党主席が北京で歴史的な会談を行い、両党の和解を印象付けたが、2008年に馬英九総統が就任すると中台間の経済活動に関する規制が大幅に緩和された。馬英九総統は中台間の直行便の許可と本数の増大、中国本土からの台湾観光の開放、台湾元と人民元の両替許可など多方面で規制緩和を進め、台湾の世界全体に対する投資の内、中国本土への投資が占める割合は、1991年に10%であったのが2010年には80%にまで増大した。中台の経済統合が大幅に推進された要因について、馬英九総統の経済政策に加えて、元来中台間は地理的文化的に近接性が高く、企業の移転や投資がされやすい環境であったことが挙げられた。中国本土は台湾にとって最大の貿易パートナーとなり、2010年には馬政権がECFA(両岸経済協力枠組協議)を承認し、中台間の投資と貿易の更なる促進と、中国本土からの台湾留学も許可されたことで人材交流も活発化した。
こうした中台間の経済交流の陰には、政治的エージェントとして中国との関係を持つ台湾ビジネス界の存在があると李氏は指摘した。台湾ビジネス界と中国の政治家との間には、政治的ビジネス同盟の関係があり、台湾のビジネスマンは彼らとのコネクションから台湾の選挙にも影響力を持っている。これに対して2014年の地方選挙で行われた投票調査で、73.5%の国民がそうしたビジネス界の選挙への干渉は不適切と考え、52.7%が馬総統の親中国、ビジネス重視路線の政策が国民党を敗北へと導くだろうという意見を支持した。中台の経済統合で大きな利益を得る層がいる一方で、台湾経済にとっていくつかの問題点があることも指摘した。台湾における企業の創業率は90年代以降徐々に低下傾向にあり、新興企業の参入が以前よりも難しい環境となっており、また中国本土とのビジネスに参加している層と対中ビジネスに参加できない層との間で収入格差が存在し、若年層では失業問題が深刻化するなど、格差の拡大が問題になっていることも李氏は指摘した。また対中ビジネスについても、不動産バブルや中国本土の税制政策の変更により、台湾資本が大陸から引き上げる現象が起きている。
次に李氏はこうした政治・経済統合が進む中台関係に対する台湾市民の意識について次のようにデータを用いて説明した。台湾市民の61.3%が中国からの軍事攻撃の心配はないと回答する一方で、台湾が防衛能力を有しているかという質問には72.8%が否定しており、安全保障問題について楽観論と悲観論が同時に存在する複雑な状況が示された。中国への意識については、20.9%が中国は友好国ではなく敵対国と答える一方で、25%が敵対国ではなく友好国であると回答したが、敵でも味方でもないとする回答も34.8%にも上った。このように台湾市民の中国に対する意識は複雑であるが、台湾人としてのアイデンティティーは年々増加傾向にあり、特に若年層ではその傾向が強いことが示された。
李氏は結論部分で中台間の経済交流が拡大した要因として、生産コストの削減と市場拡大戦略を挙げたが、それに加えて台湾ビジネス界の伝統的性質である中華圏のネットワーク資本主義(Guanxi Capitalism)への高い依存から、政財界の恩顧主義と政治的機会主義も重要な原因であると説明した。また、中台間の経済統合によって促進された資本の流動性により経済規模は拡大したものの、グローバリズムの中で勝者と敗者に分かれて格差が生じているが、急速な経済的自由主義の負の影響への対抗措置が本来政府に必要であるにも関わらず、台湾の経済官僚が十分対応できなかったことに問題があると李氏は指摘した。
研究会には多数の学生、留学生、教員が参加し、李氏との間で活発な意見交換が行われた。2016年に行われた台湾総統選挙で勝利し、国民党から政権を奪還した蔡英文次期総統就任に伴う政策の変化について質問を受けた李氏は、TPPに対する政策が最も重要な変化であると回答し、台湾のTPPへの参加が加速するだろうと述べた。台湾経済の伝統的特徴である大企業よりも中小企業が主体であったが、かつて台湾と同様に日本の統治下であった韓国では正反対に大企業が経済規模の大部分を占めていることと比較して、何故差異が出たのかという質問について李氏は、考えられる理由として韓国との地政学的な差異があり、北朝鮮の脅威に対抗する為に重工業を発展させる必要があった韓国に対して、台湾では大陸から渡ってきた国民党政権が大規模な財閥の発展を警戒したからではないかと回答した。
International Politics in the 21st Century: Indonesia as an Emerging Nation
(21世紀の国際政治:新興国としてのインドネシア) 
2016年4月22日 Fitriani,Evi
 今回の講演では、インドネシア大学のFitriani教授に21世紀における新興国としてのインドネシアをテーマに講演して頂いた。Fitriani教授は今回の講演で、2億5000万人の人口を抱え、世界最大のムスリム人口を持つ国家でもあるインドネシアが、新興国としてどのように国際社会で影響力を発揮するのか、また新興国としてどのような課題があるのか説明した。
まずFitriani教授は、21世紀における国際政治の傾向として、国家間の伝統的脅威が依然として存在する一方で、テロリストのような非伝統的脅威が台頭し、多国籍企業や国際組織のような非国家アクターが影響力を増していることを説明した。そして新興国の役割が拡大していることも、21世紀の国際政治の特徴の一つであり、インドネシアは東南アジア最大の新興国として注目されている。Fitriani氏は新興国の定義として、かつては発展途上国であったが、現在強力な国家へと成長している国であると説明した。
次に新興国としてのインドネシアの特徴をFitriani氏は説明した。東南アジアにおけるインドネシアは最も強力なリーダーシップを発揮する「同輩中の筆頭国(First Among Equals)」であり、東南アジアで最大の人口を抱え、民主主義が定着しつつある国家でもある。今後20年間に渡って青年層世代の人口が増加し、経済的に安定した成長が見込まれ、ムスリムの民主主義国家として地域的、国際的な役割が期待される。インドネシアはASEANの5ヶ国の原加盟国の1つであり、ASEANにおいても最大の経済規模を有する国家である。インドネシアはASEANにおける政策決定の中核的な役割を担うリーダーシップがあり、各国の仲介者としての役割も担っている。インドネシアは他のASEAN諸国に対して主に経済の面で政治的主導権を握っている。
Fitriani氏は新興国としてのインドネシアが持つ強みについて次のように説明した。インドネシアはアジア金融危機後の経済的な苦境においても比較的成功を収めており、金融危機後に5%から6%のGDP成長率を維持している。権威主義国家から民主主義国への政治的転換にも成功しており、ASEANにはタイなどの政治的に不安定な国家もあるが、インドネシアは比較的安定した政治が続いている。世界でもっとも多くのムスリム人口を有する民主主義国であり、インドでも5000万人ものムスリムの人口がいるがヒンドゥー教徒が多数を占めるインドではムスリムが少数派であるのに対して、インドネシアではムスリムが圧倒的な多数派である。ただし、インドネシアのムスリムは中東のムスリムとは異なり、仏教やヒンドゥー教など多数の宗教から影響も受けており、民族的、言語的にも非常に多様性に富んだ社会である。このようなインドネシア社会の多様性から、イスラム諸国と西欧諸国との間で仲介者になることが可能である。
次にFitriani氏は新興国としてのインドネシアの課題について説明した。インドネシアは安定した民主主義国である一方で、政治的な腐敗が深刻であり、国内政治は混沌としている。経済的には大量の天然資源があるものの、インフラが脆弱であり経済部門に弱点を抱えている。インフラを整備する為の資本が不足していることに加えて、科学技術やイノベーションに関するノウハウが不足しており、今後経済発展を続ける上で障害になると指摘した。また、インドネシアは植民地から独立した歴史的背景があり、自分たちの手で官僚制を作ってきた経験がない為、政府組織に問題を抱えている。高等教育への進学率に問題があり、大学進学率が低い水準にとどまっている為人的資源にも問題を抱えている。このような国内要因に加えて、近年のグローバル経済の低迷や南シナ海における中国と周辺諸国対立など国際的な経済、安全保障分野の不安材料もあり、新興国としてのインドネシアの課題となっている。その他にも経済格差の拡大、津波などの災害に対する国土建設の遅れ、若いムスリムに広がっている原理主義や、環境破壊といった問題も抱えている。
結論としてFitriani氏は、現在の国際環境がインドネシアを新興国の1つとして発展させる機会を提供しているが、今後インドネシアが独自で国力を強化するには、国内基盤の脆弱さだけでなくグローバル政治経済の構造から生ずる多くの課題と向かわなければならないと述べた。その上で、インドネシア政府は民主主義制度の改善や国際協調路線をとることで、これらの課題を改善するよう努力しなければならないと締めくくった。
本研究会には多数の学部生、大学院生、教員が出席し、Fitriani氏との間で活発な意見交換がなされた。インドネシアはアメリカとの友好関係を従来重要視していたが、インフラ整備の為に資本が必要な経済状況から、中国との関係を今後重視するのではないかという質問に対して、Fitriani氏は中国とは経済的関係以外に習近平国家主席とジョコ・ウィドド大統領との個人的関係が良好なこともあり、インドネシアは今後米中間でバランシング外交を取るのではないかと回答した、また南シナ海の問題については、中国との対話路線は継続する一方で他国の主権侵害に対しては反対するメッセージを出すと説明した。TPPへの加入についての質問に対しては、TPPはインドネシアにとって高度な自由貿易の協定であり産業界からの反発がある為、現時点での参加は難しいものの、将来的には参加を検討するだろうと回答した。
China's G20 Diplomacy
(中国のG20外交)
2016年5月21日 Kirton,Jhon
 今回の研究会ではトロント大学教授のJohn Kirton氏に、中国のG20外交をテーマに講演をして頂いた。G7及びG20研究で著名なKirton氏は、国際社会で存在感を増す中国がどのようにG20のリーダーとして出現したか歴史的背景を踏まえて説明した。Kirton氏はまず、主要先進国サミットとして以前から開催されていたG7だけでなく、中国を含む新興国を加えたG20が必要になった背景について、国際的な相互依存と脆弱性という2つの点が重要であると述べた。過去の数世紀では大国のパワーが支配的でありそれらの国々の間で調整すればよかったが、グローバリゼーションにより多くの国が世界経済に密接に関係するようになり、環境問題やテロリズムのような新たな安全保障問題の出現により国家の脆弱性が高まったことで、多数の国家が参加する会議が必要になったと述べた。その上で、Kirton氏は1999年のアジア金融危機を契機に創設されたG20の歴史を振り返り、中国がG20で如何にして自身の立場を強化してきたかを説明することが今回の発表の趣旨であると説明した。
まず、Kirton氏は、G20が設立された1999年から2016年に至る時期を3つの期間に分け、それぞれの期間ごとの特徴を説明した。第1の期間は1999年から2009年までの危機対応の時代である。この期間の特徴は1999年のアジア金融危機と2008年のリーマンショックという世界的な2つの金融危機をコントロールすることがG20サミットの主要テーマだった。第2期目は2009年から2013年までの危機予防の時代であり、この時期はリーマンショックを抑制した後、ギリシャに代表されるヨーロッパ発の金融危機をどのように防ぐかが中心的テーマとなった。第3の期間は、ヨーロッパの危機を鎮静化した後、金融危機への対応が主眼であった時代から多用な問題を取り扱うグローバルな舵取りの時代へと移行した。伝統的に経済問題が中心だったG20において環境問題や健康問題といったより広範囲なテーマを扱うようになった。
次にKirton氏は、第1の期間である危機対応の時代について次のように説明した。1997年以降のアジア金融危機はタイ、インドネシア、韓国のようなアジア諸国だけでなく、ブラジル、ロシア、アメリカにまで影響が及び世界的な金融危機に発展していた。この危機に対して、IMFやG7は協調して対応することに失敗した為、新たな枠組みとして1999年に創設されたG20ではG8に加えて、19カ国の重要な新興国とEUが新たに参加し、財務大臣と中央銀行総裁が参加する定期的な会議を開催するようになった。G20は1999年以降、毎年会議を開催し、最初のベルリンサミットでは金融安定が主要テーマとなっていたが、911テロ事件を受けて2001年のオタワサミットで安全保障問題が取り扱われるようになったように徐々に経済、金融以外のテーマも取り込まれるようになった。2002年にインドがサミットのホストを務めたのを皮切りにG7以外の国家もサミットを開催するようになり、2005年には中国が河北省・香河サミットで初めてホストを務めた。アメリカのローレンス・サマーズ財務長官と共にG20の創設に協力したポール・マーティンがカナダの首相になると、G20におけるカナダと中国の協力体制が構築された。マーティン首相は中国をG20のリーダーとして扱うよう提案し、アメリカのブッシュ大統領は拒否したものの最終的には日本も承認し、中国がG20のリーダーとして扱われるようになるきっかけとなった。
2008年にリーマンショックが起こると、ブッシュ大統領はG20のホストを務め危機対応に向けてG20の協力体制の構築を目指した。2008年のサミットでは、金融問題に議題が集中し、反保護貿易主義で一致した。続く2009年のロンドンサミットでは、中国が4兆ドルの財政刺激策と1.1兆ドルの財政支援を拠出し、中国中央銀行総裁は2500億ドルの特別引出権(SRD)を提供すると約束した。これにより中国は世界経済の成長を調整する「頼みの綱」となりG20のリーダーとしての地位に大きく前進した。
次にKirton氏は第2の期間である危機予防の時代について説明した。アメリカ発のリーマンショックがコントロールされたことで、G20の次のテーマはギリシャ、アイルランド、イタリアなどのヨーロッパ諸国発の金融危機を予防することに移った。2010年にギリシャ金融危機が発生すると、世界的な金融危機に発展するのを防ぐことが最重要テーマになった。中国はトロントサミットでカナダや他の新興国と協調してヨーロッパとアメリカが導入しようとしていた銀行税を阻止する一方、2011年にギリシャに加えてアイルランドのデフォルトやイタリアの債務危機が起こったことで再び金融危機の懸念が高まった際には、ギリシャ国債の購入やデフォルトを防ぐためにIMFに5000億ドルを拠出し更に存在感を高めることになった。この期間で中国と日本がヨーロッパの金融危機への対応で主要な貢献を果たす一方で、アメリカは何も提供せずリーマンショック後の世界経済のけん引役として中国が登場したことが世界的に注目された。
最後にKirton氏は、2013年以降のグローバルな舵取りの時代について次のように説明した。ヨーロッパの金融危機が鎮静化され金融問題への対応が一段落した代わりに、安全保障や緑の成長戦略といった金融以外のテーマが主要な議題として扱われるようになった。2013年のサンクトペテルブルクサミットでは、シリアの化学兵器使用が問題となり、中国はG20でこの問題を議論することを容認したように、G20は財政、金融問題だけでなく多様なテーマを扱うサミットとして位置づけられるようになった。中国はブリスベンサミットで示された世界経済の成長率を2%上昇させるプランにおいて引き続き世界経済のけん引役として期待される一方、アメリカとエネルギー問題や気候変動問題を協議するようになった他、シリアの難民問題やテロ対策といった安全保障問題にもコミットするようになり経済問題以外でも存在感を高めることに成功した。
結論部分でKirton氏は、G20サミットが成功してきた理由として、金融危機、テロの脅威、気候変動など世界的に脆弱性が高まっている一方で国連のような国際機関の失敗を挙げた。今後のG20の方向性について、イノベーションやサイバーセキュリティが今後主要なテーマとして重要になり、G20で取り扱うテーマは更に多様性を増すだろうと述べた。2016年9月に中国で杭州サミットが開かれるが、景気減速が鮮明になっている為、中国は妥協的姿勢を示す必要があることから、杭州サミットは成功するだろうという見解を示す一方、南シナ海と北朝鮮の二つの中国に関わる安全保障上の問題があり、この2つの問題を中国がどのように扱うかが懸念材料であると述べた。
本研究会では多数の教員や学生が参加し、Kirton氏との間で積極的な質疑応答と意見の交換が行われた。ウクライナ危機の影響でロシアがG8から追放された状況で、安倍首相がプーチン大統領と新たなアプローチで合意しロシアとの関係改善を図っていることが、G7の結束に影響を与えるかという質問に対してKirton氏は、G7の理念である非侵略、非併合という基本的原則にロシアが違反している限り、ロシアとの妥協は歓迎されないだろうと返答した。G20では非常に多様なテーマをあつかっており、政治的問題と環境問題のような非政治的問題を両方扱うには規模が大きすぎるのではないかという質問に対してKirton氏は、例えば核問題のような安全保障を扱う時、国連安保理では核保有国である常任理事国の影響力が圧倒的すぎる一方で、日本、カナダ、ドイツのような非核保有国の立場も重要でありG20では核保有国と非核保有国の両方が含まれる為、政治的問題を扱うのにも適していると回答した。
Citizen and Government Relationships: Citizen’s perceptions of government
(市民と政府の関係:市民による政府認識)
2016年7月11日 Choi Heung Suk
 受入れ研究者が実施した調査研究の成果が紹介され、市民が政府をどのように見ているか、それが何に影響されているのかについての仮説が検証された。市民が政府に期待することの中心は、市民生活に必要な諸公共サービスのよりよい提供であるが、その中でもどのような公共サービスへの関心が高いのか、どのようなことも「よりよいサービス」と受け止めているのか、などが議論された。
受入れ研究者はまた、韓国政府が近年取り組んでいる行政改革についても報告した。ICTの活用により電子政府化を進めることにより、どのような改革が実現しているのか、それに対する市民の受け止め方はどのようであるのか、などについて議論された。
Japan and China
(日本と中国)
2016年10月25日 入江 昭
 中国と日本の関係について、世界史的な視点から整理して下さったもっとも重要な内容をもつ講演であります。
本講演は、200年の世界史的な動きをつながりという表現をもって解説し、日本と世界、中国と日本との交流の内在的な部分を普通化されることにより、グローバル化の現世界とのかかわり方を提示したと言えるものであります。その要点は下記の通りであります。
1.1770年から1970年までの200年間は、国家同士のつながりに個人が巻き込まれた時代であった。その結果、二度の世界大戦が勃発して、人類に多大な被害を蒙ることになったわけであります。こうした悲痛な歴史的反省から、私たちは同じ地球に住む市民(民衆)であるという意識が徐々に定着し共有するようになりました。
2.歴史とは決して国家間の歴史だけではなく、結局、庶民の交流の歴史でもあると考えなければなりません。ここには、世界は人間が作るもの、人間同士はつながっているという思想があります。世界は個々人の集合による家族であります。すなわち、国境を越えた市民による世界の構築を実現しなければなりません。
3.日中関係はこうした世界の中の一部であります。また、日本と中国との関係も、国家関係だけに着目するべきではなく、個人個人の日本人と中国人との関係を大事にすべきであります。
結論として、国家間の交流が冷え切っている今こそ、同じ地球に住む市民同士の交流こそが、日中関係を強固なものにできるのである。

2015年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
Prospect for Sino-Taiwan Relations from the Perspective of Regionalism
(地域主義の視点から中台関係を展望する)
2015年7月10日 鄭子真
 今回の研究会では「地域主義の視点から中台関係を展望する」というタイトルで、台湾の中国文化大学准教授である鄭子真氏に中台関係(中国・台湾では両岸関係と表記される)をテーマに報告して頂いた。
現在の中台関係は2008年に成立した国民党の馬政権の政策により、経済的な結びつきを強化している一方で、中国の影響力拡大に対する懸念が台湾社会に存在し、2014年には学生達が中台間で締結を進めているサービス貿易協定に抗議したひまわり運動が発生するといった課題を抱えている。2016年には台湾総統選挙が行われる予定であり、2014年の地方選挙で敗北した与党国民党から民進党への政権交代の可能性も取り沙汰される状況で、中台関係は国際的に注目されるテーマの一つとなっている。こうした過渡期にある中台関係を地域主義という観点から詳細に説明するのが本報告の内容である。
鄭氏によれば、地域主義とは地理、歴史、文化といった多面的な要素で密接に繋がる一定の地域が政治的、経済的な関係を強化することを志向する立場を意味する。欧州のように同質のアイデンティティを共有する地域は地域主義を発展させやすいが、中台も中華圏というアイデンティティを共有している。冷戦終結後には、国際社会のアクターは主権国家だけでなく、多国籍企業のような多様なアクターが活発的に国境を越えていく状況を前提とした新地域主義が誕生した。新地域主義の下で地域を一つの単位とみなしてFTA(自由貿易協定)の促進や地域的な安全保障体制の構築といった現象が起こり、地域統合の動きが世界的に見られるようになった。
このような新地域主義の観点から、鄭氏は馬政権以降の中台関係を中心にどのような変化が生じたかを整理した。馬政権の対中関係を示す政策として「一中各表」が存在する。「一中各表」とは一つの中国という原則は維持するが、現実には台湾政府と北京政府の二つの政府が同時に存在している為、お互いに主権を有しているという主張である。この主張は1992年に中台が一つの中国という認識を相互に確認した「92コンセンサス」に基づいている。ただし台湾では、国民党が「92コンセンサス」を認めている一方で民進党は認めていない為、政党によって認識が異なっている。馬政権は独立志向が強かった民進党と異なり、この「一中各表」に基づいて台湾の主権自体は今後も維持する一方で、中国との交流や経済関係を深める政策を推進した。
馬政権が中国との関係を強化した代表的な政策として、陸生政策と観光政策がある。陸生政策とは、大陸からの中国人学生の受け入れを大幅に緩和することを意味する。台湾では中国の学位を認めていないが、若者の交流を促進する為に留学生の受け入れ人数を大幅に増加させ、2008年の時点で交換留学生の数が1000人程度だったのが、2013年には2万人を超える規模にまで拡大した。観光政策により観光客の受け入れ人数も大幅に緩和し、大陸から台湾への観光客は2008年から2013年の間で数十倍の規模へと拡大した。また、台湾から中国への旅行も2015年7月より従来のパスポートに代わって使用されてきた通行証を廃止し、身分証明書となるIDカードで往来ができるよう変更される予定である。これに加え、中国福建省の沿岸に位置する平潭島に設置された平潭実験区が現在台湾で注目されているという事例も鄭氏により紹介された。平潭実験区へは台湾からフェリーで日本円にすると約1万円で渡航可能であり、中国人民元と台湾元の両方が使用可能な上、将来的には台湾と平潭実験区の間を海底トンネルで接続する構想も存在し、現在台湾の若者では大きな注目を浴びている区域である。更に中台間の貿易を促進する協定として2010年にECFA(両岸経済協力枠組協定)が締結され、続いてサービス貿易の制限を解除することを目的としたサービス貿易協定が2013年に締結された。こうした中国との経済関係強化により恩恵を受ける一方で、政治的には統一されなくとも、経済的な統合により実質的に中国に吸収されるのではないかという懸念が台湾国内で強まっており、2014年にはサービス貿易協定の承認を巡ってひまわり運動と呼ばれる台湾の学生による立法院占拠にまで発展した。
地域主義という観点から今後の中台関係を展望した場合、一つの中国を意味する「一中フレーム」が今後どのように進展していくかが課題であると鄭氏は見解を示した。一つの可能性として、EUをモデルとした共同体構成や統一中華憲法といった取り組みが考えられ、今後も台湾の主権は維持しつつも地域共同体としての関係発展が選択肢の一つであると鄭氏は意見を提示した。今後の中台間の課題として、経済的には中国の存在感は今後も高まるが、中華民国の定義や軍事安全保障に関する信頼醸成を習近平政権とどのように協議するかが挙げられる。
今回の研究会には、学生・教員を中心に多くの参加者が出席し、報告終了後に活発な意見交換が行われた。報告者に対しては、台湾で近年台頭してきた第三勢力とはどのような存在であるか、香港と中国との関係を表す「一国二制度」と「一中各表」は同じような概念なのか、といった質問が提起された。この質問に対して、鄭氏は第三勢力台頭の例として、台湾市長選で民進党と国民党のいずれに属さない候補者が当選した事例や新民党の大統領候補が出馬することで民進党と票を取り合い、不利な情勢が伝えられていた国民党に有利に働くといった例が存在すると回答した。また、「一中各表」については、香港には主権が存在しないが、台湾は主権を放棄してはいない為、明確に異なると回答した。全体として、報告者を囲むような形で活発かつ和やかな形で討論が行われた。
在朝日本人の研究の現況と課題 2015年7月27日 李圭洙
 在朝日本人は、日韓関係史の接点をなす存在である。在朝日本人の存在形態を究明することで、日本の植民地支配はどのようなメカニズムと相互作用の中で、従来の朝鮮社会を再編させたのかについて、植民地社会の各分野に対する実証的かつ具体的な研究が要求される。そして、これに基づいて、帝国と植民地の社会現状を総合的に分析することにより、新しい歴史像を構築する必要がある。発表論文では、従来の研究の成果を批判的に紹介しながら、接点としての在朝日本人の研究の進展のために、今後想定されるいくつかの課題を提示した。
The United States' Shifting Perspectives toward Japan and China
(日本と中国に対するアメリカの姿勢の変化)
2015年10月19日(水) 趙全勝
 今回の研究会では、アメリカン大学国際関係学部教授である趙全勝氏にアメリカのアジア外交をテーマに報告して頂いた。
趙氏は講演の始めに、2011年にオバマ大統領が「アジア・ピボット戦略(Pivot to Asia)」を打ち出しているように、東アジア政策はアメリカにとって重要課題であり、多様なアクターが存在するアジアの中でも特に日本と中国がキープレイヤーであると語った。今回の講演では1990年代におけるアメリカの東アジア外交政策の転換を事例として、当時の外交政策に影響を及ぼした「トロイカ」を中心にアメリカの「戦略的中核(Strategic Core Force)」を説明すると趙氏は述べた。
趙氏は外交政策を語る上で国際関係だけでなく国内政治にも注目する必要があり、外交政策の決定には、大統領や国務長官のような政治的リーダーに加えて官僚組織、メディア、世論、シンクタンクのような国内アクターが関係していると述べた。アメリカの外交に影響を与えた代表的な知識人としてまず趙氏は、キッシンジャーを例に挙げた。キッシンジャーのような外交専門家と政府の間には、「回転ドア」と呼ばれる強い結びつきがあり、専門家やシンクタンクと政府との間に形成された政策ネットワークが外交政策に影響を及ぼしてきた。アメリカの「戦略的中核(Strategic Core Force)」が成立する条件として、①国際政治や政策に通じた専門家やシンクタンクの存在、②長期的ビジョンと新たな傾向の把握、③優勢な意見にも反対することのできる革新的な思想家の存在、④政策議論を行う環境、⑤政策実行者の存在の5点を挙げた。このようなアメリカの外交政策決定に関わる特徴の具体的事例として、趙氏は次に1990年代の東アジア外交の転換について説明した。
趙氏は1990年代の国際環境を説明する上で、まず当時の日米関係の状況について次の通り述べた。日本人の対米好感度は1990年代に入り大きく低下していたが、その背景には当時深刻化していた日米の貿易摩擦があった。1970年代以降、日本はアメリカに次ぐ世界で2番目の経済大国となり1987年には一人当たりGNPはアメリカを越えるようになった。その上、冷戦の終結によりソ連という共通の脅威が存在しなくなったことで、日米安全保障条約の存在意義が問われるようになった。国際環境の変化に加え沖縄の基地問題により日本政府は世論から圧力を受け、日本国内でも日米関係が問われるようになり、日本政府の中では「普通の国」を目指す議論や、同盟における日本の役割を見直す意見が出てきたが、冷戦後の国際環境の変化により日米関係強化を後押しする潮流も出現するようになった。1994年の朝鮮半島核危機や1995年の台湾ミサイル危機のような東アジアの安全保障環境の悪化を受け、アメリカ国内に以前存在した「日本との来るべき戦争(The Coming War with Japan)」という脅威感は、「中国との来るべき戦争(The Coming War with China)」へすり替わって行った。日本においても対中好感度は1996年を境に低下することになり、日米双方で対中関係について協力する動機が生まれた。
1990年代におけるアメリカの東アジア政策をターニングポイントに導いたのが「トロイカ」であった。「トロイカ」は、「設計者」、「顧問」、「実行者」から構成される。「設計者」に該当するのがジョセフ・ナイである。ソフトパワーの提唱者で知られるナイは、1993年から1994年にかけて国家情報会議議長、1994年から1995年にかけては国防次官補を歴任し、クリントン政権下の外交・安全保障政策に大きな影響を及ぼした。ナイは、1995年2月に国防省の東アジア戦略報告を作成し、東アジアでのアメリカの関与が冷戦後においても持続的に必要であることを報告した。ナイは「設計者」としてアメリカの東アジア政策の形成で重要な役割を果たしたが、東アジアの専門家ではない為彼だけでは不十分であった。
「トロイカ」の内「顧問」に該当するのがエズラ・ボーゲルである。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者で知られているボーゲルは、東アジア国家情報会議の情報官を務めたが、彼は日本だけでなく中国の専門家でもあり、日本と中国に関する政策アドバイザーとして適任であった。「実行者」は「設計者」と「顧問」が作成した政策を実行可能にする為に政府内で調整する役割を担う。東アジア戦略報告の「実行者」に該当する人物がカート・キャンベルで、彼は1994年に国家安全保障会議部長、1995年からは国防副次官補を務めた。
「トロイカ」主導で始まった「ナイ・イニシティアティブ」とも呼ばれる東アジア戦略報告により、1995年から日米同盟の再定義が行われ、1997年には日米協力に関する新ガイドラインとして具体化した。この政策により日米同盟はもはや冷戦の為に存在するのではなく、地域安定の為の再保証の役割を担うことになる。新たな日米関係は、台湾海峡問題、北朝鮮、シーレーン防衛、人道支援など多様な任務に対応するよう規定された。最後に結論として趙氏は、アメリカの「戦略的中核(Strategic Core Force)」を強調し、1990年代の東アジア政策の転換は、アメリカ国内の学問的、政治的な協調関係を背景とした政策ネットワークにより実現されたと述べた。
趙氏の講演後、出席者との間で質疑応答が行われ、講演内容やTPPなど日米関係を中心に活発な議論が交わされた。
出席者からの質問として中国のソフトパワーや最近の安倍政権の安全保障政策に対するアメリカの評価、今回の発表では何故アーミテージについて言及しなかったのか、といった質問が出された。趙氏は中国のソフトパワーに対する質問について、アメリカは中国について経済ではポジティブな印象を持っているが、国内問題特に人権問題についてはネガティブにとらえていると回答。同様に安倍政権についてもアメリカにとってリバランスに貢献する安全保障政策については歓迎している一方、ネガティブな要素として歴史問題があるが、全体としては戦略的観点から安倍政権にはポジティブな印象が優っていると述べた。アーミテージについての質問には、今回の講演では主に民主党政権時の「トロイカ」に焦点を当てており、今回テーマとした時期よりも後だった為含めなかったが、後に「トロイカ」と同様の考えを持ったと回答した。趙氏と出席者の間では、質疑応答と講演に対するコメントにより終了時間に至るまで活発な意見交換が行われた。
以上

2014年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
Party Politics in Taiwan
(台湾の政党政治)
2014年6月26日(木) 楊泰順
 今回の研究会の報告者である楊氏は台湾の中国文化大学政治学部(Chinese Cultural University)の教授として教鞭を振るっている。
楊氏によるこの度の研究会の報告タイトルは"Party Politics in Taiwan"。日本語訳すると「台湾の政党政治」である。内容としては、タイトルの通り、台湾の政党政治について体系的且つ詳細な説明を行うものであった。
昨今の日本の新聞などでも頻繁に伝えられるように、台湾は先鋭な内部対立を抱えている。すなわち経済交流を通じた中国本土と台湾の「統一」を志向する陣営が一方に存在するが、中国本土からの台湾の「独立」を志向する陣営が他方に存在し、両陣営が先鋭な対立を繰り広げているのである。加えて前者の政策的立場は国民党(Kuomintang Party:KMT)に、後者の政策的立場は民進党(Democratic Progressive Party:DPP)にほぼ代弁されているため、両陣営の対立は両政党の党派対立という形もとっている。
楊氏によるこの度の報告は以上のような台湾の内部対立・党派対立の背景を主に時系列的に整理するものであった。第二次世界大戦後の中国本土において、当時の国民党政権は共産党との内戦に敗北し、台湾へと逃れた。この際に台湾へ移った中国本土出身の少数派(外省人)は当初から台湾に居住していた多数派(本省人)に対する強権的な支配を確立していく。1947年に制定された憲法はこうした支配体制の基盤となるものであった。また国民党は中国本土の内戦に敗れたものの、引き続き中国本土と台湾の「統一」を政策目標に掲げた。このような国民党政権は経済成長を重視していたこともあり、共産主義の封じ込めという観点から米国を中心とする西側諸国からの支持を獲得した。しかし冷戦構造の緩和や西側諸国による「人権外交」の訴えなどもあり、国民党政権は開かれた選挙を実施する圧力に晒されるようになる。この結果、国民党政権は一党支配体制を支えた厳戒令を1988年に停止するなどし、国民党は政党間の競合に身を置くこととなる。この過程で国民党に対峙する政党として頭角を現したのが本省人を支持基盤とする民進党であり、同党は中国本土からの「独立」の維持を党是に掲げた。その後、民進党は2000年の総統選挙で勝利し、2008年まで政権を担う。2008年の総統選挙の後は再び国民党が政権を担っているが、両政党の勢力が拮抗し、両政党が先鋭な党派対立を繰り広げている傾向は一貫している。
以上のような時系列的な説明を踏まえた上で楊氏が強調したのは、台湾の党派対立に見られるイデオロギー的側面である。すなわち国民党と民進党は両岸関係(China-Taiwan posision)とそれに関する台湾市民の帰属意識(national identification)をめぐり対立しているということである。このようなイデオロギー対立と比べると、経済的争点などのその他の争点の持つ重要性は低い。イデオロギーに関する対立においては妥協が困難であり、それゆえに両政党間の対立は先鋭で、また穏健な中間層も手薄になりがちである。楊氏の報告は台湾の政党政治におけるこのようなイデオロギー対立の深刻さと同傾向が今後暫く続くであろうことに関して、改めて憂慮を示すものであったと言える。
この度の研究会には本学の学部生・大学院生・教員を中心に多くの参加者が集まった。報告に対する質疑としては、国民党と民進党以外の台湾の政党について問うもの、台湾におけるメディアと選挙の関係について問うもの、本省人と外省人の対立の歴史について問うものなどがあった。全体として和やか且つ活発なやり取りが行われた。
Prospects for Cross Strait Relations and Its Impacts on Domestic Politics
(中台関係の展望と台湾内政への影響)
2014年7月3日(木) 楊泰順
 今回の研究会の報告者である楊氏は台湾の中国文化大学政治学部(Chinese Cultural University)の教授として教鞭を振るっている。
楊氏による今回の研究会の報告タイトルは"Prospects for Cross Strait Relations and Its Impacts on Domestic Politics"。日本語訳すると「中台関係の展望と台湾内政への影響」である。内容としては、タイトルの通り、中国と台湾の関係の展望を踏まえた上で、それが台湾の「内政」に及ぼす影響についても考察を行うものであった。
昨今の日本の新聞などでも頻繁に伝えられるように、台湾は先鋭な内部対立を抱えている。そしてこの内部対立の最大争点は中国本土に対する距離感や台湾の位置付けである。すなわち経済交流を通じた中国本土と台湾の「統一」を志向する陣営が一方に存在するが、中国本土からの台湾の「独立」を志向する陣営が他方に存在し、両陣営が先鋭な対立を繰り広げているのである。前者の政策的立場は国民党(Kuomintang Party:KMT)に、後者の政策的立場は民進党(Democratic Party)にほぼ代弁されているため、両陣営の対立は両政党の党派対立という形もとっている。
今回の研究会の報告者である楊氏は直近の2014年6月26日にも本校にて報告を行い(「台湾の政党政治(Party Politics in Taiwan)」、以上のような台湾の内部対立・党派対立の背景を主に時系列的に整理した。この前回の報告においては、中国共産党との内戦に敗れて中国本土から台湾へと逃れた国民党勢力が少数派(外省人)として当初から台湾に居住していた多数派(内省人)を強権的に支配したこと、強権的支配を支える1947年憲法や厳戒令の下で国民党へと対抗する政党の台頭が阻害されたこと、冷戦構造の緩和や「人権外交」の高まりにより西側諸国の国民党への態度が硬化し、「民主化」の一環として国民党が対抗政党の出現を許さざるをえなくなったこと、そして本省人を支持基盤として台湾の中国本土からの「独立」を唱える民進党が政権を担うまでに台頭したことが時系列的に議論された。総括としては、近年の台湾の内部対立・党派対立が台湾の帰属意識をめぐるイデオロギー対立であるがゆえに、対立が先鋭化する傾向にあることが強調された。
この度の報告は前回の報告を踏まえたもので、同じく台湾の政党政治に関するものであった。ただし報告タイトルが示すように中国本土と台湾の関係に前回以上に着目した点、そして台湾の政党政治に関するより直近の傾向について詳しい説明を試みた点は前回と若干異なる部分であると言える。中台関係と台湾内政との関係という点から楊氏が強調したことのひとつが国民党による1988年の厳戒令停止の持つ意味である。すなわち厳戒令停止は①民主化を通じた対抗政党(民進党)の台頭の道筋をつけるという内政上の意義を持つのと同時に、②中国本土に対して「内戦休止」のメッセージを送るという外交上の意義も持ったということである。実際のところ国民党は一貫して「統一」を志向し続けながらも、「統一」の意味する内実は内戦直後と2014年現在とでは大きく異なる。すなわち「台湾による中国本土の統一」から「経済交流を通じた中国本土と台湾の接近」という変化である。加えてこの度の報告では近年の台湾の政党政治に関する非常に綿密な説明もなされ、国民党と民進党の両党がこれまでに抱えてきた戦略的課題などについても議論が及んだ。楊氏によると1990年代から2000年代前半にかけての国民党の低迷の背景要因は、「統一」の党是に固執するあまり排他的な政党になったことであるという。すなわち国民党は多数派である本省人への働きかけを怠ったというのである。また逆に2008年総統選挙で敗北した後に党勢を回復できずにいる昨今の民進党に関しても、やはり排他的な政党になったことが低迷の背景要因であるという。すなわち「独立」の党是に固執することにより、民進党は中台の交流拡大を望む有権者から好ましくない政党と見なされるようになったのである。報告でも紹介されたように、中台の経済交流が拡大の一途を辿っている傾向は具体的な数字からも確認できる揺るぎない現象である。この点を踏まえると、昨今の民進党が抱える以上のような問題は喫緊に再検討を要するものであると言えるだろう。
この度の研究会には本学の学部生・大学院生・教員を中心に多くの参加者が集まった。報告に関する質疑としては、集団的自衛権の行使容認に関する昨今の日本の動きが台湾にとってどのような意味を持つのかについて問うもの、台湾の学生らによる立法院占拠(2014年3月)が台湾の政党政治に与える影響について問うもの、米国内法としての台湾関係法(Taiwan Relations ACT,1979年4月)に対する台湾側の認識について問うものなどがあった。全体として和やか且つ活発なやり取りが行われた。
亜太区域整合概論
(On the Asia-Pacific Area Integration)
2014年7月30日(水) 廖舜右
 報告ではまず、アジア太平洋地域統合の枠組みとして、5×2の形があることを示した。5とは、AEC(ASEAN経済共同体)、TPP(環太平洋パートナーシップ)、RCEP(地域包括経済連携)、CJK(日中間自由貿易協定)、PA(太平洋同盟)の5つの統合形態であり、2とは区域化と区域主義の2つの統合方式である。区域化は、地理的に隣接する国家間でのボトムアップ型の統合方式であり、区域主義は、国家主導のトップダウン型の統合方式である。この枠組みを用いて、報告者は具体的にどのような動きが生じているか紹介する。
次に、4種の分析角度があることを論じる。上下(統合のエネルギー)、左右(自由化の度合い)、前後(推進速度)、大小(経済規模)である。報告者は特にこのうちの自由化の高・低と区域化・区域主義の2区分に基づく、5つの統合形態がどのように位置付けられるかを論じる。とりわけ規模の大きなTPPとRCEPの両者を様々な角度から比較し、どのような違いがあるかを明らかにすると共に、台湾経済への影響について論じる。
最後に、以上の議論を通じて、報告者は、いかなる発展経路をとることが適切かについて論じる。生産者志向か消費者志向か、あるいは経済成長追求か公平・正義の追求か。いずれにせよ、地域統合に参加するための必要条件は、自由化と同時に補償措置を講じることであると報告者は結論する。
以上の議論を踏まえて、参加者との間で、いかなる発展経路を望ましいと考えるか、その理由は何かなど、活発な質疑応答が行われた。
中国の経済、社会の発展の現状と体制改革面の大作 2015年1月31日(土) 李強
 精神論を打破して、今までの中国経済・社会の欠陥を科学的に把握し、政府・社会(市場)、そして法が民間を巻き込みながら総体としての社会発展を目指す必要性を説く。
しかし、物質・富とのバランスのとれた強い精神体系-信念-が欠けていると指摘し、イデオロギー優先時代を超えた未来像を提起した。
中国2014: 習 近平の改革 2015年1月31日(土) 盧邁
 習近平時代になって指導部は前指導部をひきつぎつつ、2010年からGDP世界2位となったものの、農村-都市間および内陸-沿海部間の経済格差は拡大している。
最終的には21世紀半ばには一人当たりのGDPを先進国並にする目標を掲げるが、農村部の体制改革、土地問題が依然として大きな課題であると指摘した。

2013年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
第二期オバマ政権と日中関係 2013年5月17日(金) 高柏
第一期オバマ政権と比べると、二期のオバマ政権はもっと中国を重視し、中国台頭の阻止を中心として外交を展開しようと表明した。アメリカにとって、アジアは国家安全の面においても経済の面においても、ますます重要な役割を果たし、特に日本との連携はより一層強化しなければならない。よって、これからの日中関係は楽観できないであろう。
学生の一人は「米ソ冷戦の時、アメリカはソ連を封じ込めるため色々手を使って、軍事的な手段まで使った。それと今の米中関係に似ているというのなら、米中は軍事的な衝突があるのでしょうか」と質問し、高柏先生は「ない」とはっきり回答して、色々な方面で原因を解釈して、学生に納得させた。
変化の中の不変:日台関係の変化と安定 2013年6月27日(木) 鄭子真
米中関係が基軸となっているアジア太平洋地域の国際関係の中でサブシステムとなっている日台関係の現状をこの地域の研究者・観察者たちがどのように分析しているかを確認する。この際、予め確認しておくべき点は、①アメリカの東アジア戦略に従属している日本の安全保障政策がある点、②日本が従来堅持してきた「一つの中国」政策が変容してきている点、③1990年代以降――ということは冷戦終結後――両岸関係(=中台関係)が改善してきている点、の3点である。
この3点を踏まえながら、先行研究をレヴューしていく。
1.中国人民大学アメリカ研究センター主任の時殷弘教授は『日中接近興外交革命』(2003年)で、次の5点を提案していた。①日中関係は歴史認識と切り離すこと、②日中間の経済関係を緊密化すること、③「日本は軍国主義を復活している」というような大げさな表現は避けること、④日本がアジア太平洋における活動に参加することを支持すること、⑤日本の安保理入りについて平等にあつかうこと、の5点であった。
2.台湾東北アジア学会副秘書長の李明峻は、『冷戦後的日本対中国政策』(2009年)で、日中関係はまだ模索期にあると断じた。
3.政治大学国家発展研究所の趙建民教授と輔仁大学日本語学科の何思慎教授は、『日本外交中有関中国或美国優先之争論・兼論日・中・台新安全架構』(2004年)でアジアにおける新しい安全保障フレームワークを構築するべきであると主張した。
4.中国評論社評論員の余永勝は『中美「軟衝突」、興中日「硬衝突」』(2010年)で、米中においては権力闘争があるが、日中では領土紛争という次元の違う紛争があり、両道紛争による日中衝突は、米中間の権力闘争より深刻であると結論付けている。
以上のように、色々な見方がある中で、昨年12月に成立した日本の安倍政権は、2013年1月以降、まず東南アジア、ついでロシア、さらには中東・ミャンマーなどを訪問しセキュリティー・ダイヤモンドを構築しているように見える。この日本の外交政策は、以上のような見方を超える、日中関係の緊張をもたらす可能性がある。
U.S. Strategy towards East Asia and Views on Japan
(アメリカの東アジア戦略と日本観)
2013年7月4日(木) 趙全勝
趙教授は、上記テーマの下で、1.アメリカの東アジア戦略、2.日本についてのアメリカの見解、3.アメリカ・メディアの役割、4.アメリカの軍事・安全保障、5.日本の政治状況、6.歴史問題、7.経済問題、の7分野についてかなり広範に一般的な説明を行った。
1.に関しては、①オバマ政権が第1期から採用してきたアジア回帰政策ともいえるリバランシング政策(=ピヴォット政策)、②非核化と6者協議を中心とした北朝鮮政策、③カーター政権で大統領特別補佐官を務めたZ.ブレジンスキーが2009年初め提唱したG2論をめぐる米中関係の展望、という3点について見解を述べた。
①では、オバマ政権は第2期においても東アジア地域に関与し続けることは明らかであり、この地域の日本・韓国という同盟国との関係を強化しつつ、中国に代表されるこの地域の新興国とのパートナーシップも深化させたいと考えていることを強調した。②では、北朝鮮は核保有国として国際的に承認されなければ6者協議に参加しないとの姿勢を崩していないため、米中も日韓も妥協点を見いだせていないと、広く認識されている見解を述べるにとどまった。③では、オバマ政権は、6月の習近平主席との会談に見られるように、中国が平和的に台頭することを期待して中国との安定的・建設的な関係を構築していく意欲を示しつつ、中国の保護主義的政策には反対し、尖閣諸島をめぐる日中紛争の平和的解決を強く求めた、とのこれまた広く認識されている見解に同意していると述べた。
2.に関しては、アメリカの世論調査によると、日本は、カナダ・イギリス・ドイツに次いで好感度は第4位であることを確認した上で、その好感度の理由と、逆に日本に対する不信感の理由を解説した。ワシントン政界の主流的見解では、日本は東アジアの地域的安定には不可欠のパートナーであり、特に米海軍にとって死活的利益の存在する国家である。しかし他方、ジョージタウン大学の韓国系学者ヴィクター・チャが指摘するように、従軍慰安婦問題や歴史認識問題で日本の認識は不十分であり、アメリカは東アジアにおけるこれらの問題に今まで以上に関心を寄せるべきであるとの見解に同調しているようであった。
3.に関しては、まず外交政策や国際関係にメディアが与える影響力について強調した。そして現副総理で財務大臣の麻生太郎が「日本の帝国主義は台湾や朝鮮にとって良い面もあった」というこれらの国民を憤慨させる発言をしたことを、ニューヨーク・タイムズが2006年2月批判したことを取り上げ、アメリカのメディアのスタンスを紹介しつつ、3・11関連の報道では年配のヴォランティアが救援活動・復旧活動に参加していることを同情的に報道した。さらに、日本のアニメや漫画がアメリカのポップ・カルチャーの主流になっており、このことも平均的アメリカ人の日本に対する好感情に貢献していることを指摘した。
4.に関しては、一方で中国の台頭と核武装化する北朝鮮を前に、アメリカは日本における基地と日本の協力を不可欠としているが、冷戦期と同様に日本自体も封じ込める必要を感じている。中国の台頭と核武装化する北朝鮮を意識して米海軍力の60%をアジア・太平洋に振り向けているが、同時に尖閣問題では日中いずれかの立場に立たず、両国による平和的解決を繰り返している。
5.に関しては、安倍首相や、元航空自衛隊幕寮長の田母神俊雄の国家主義的なタカ派的言動に警戒し、日本の修正主義的歴史観に苛立ちを感じて第2次世界大戦と従軍慰安婦問題での謝罪を早期に行うべきであると主張している。しかし他方では、日米安保の運用を容易にするという理由から憲法第9条の改正に賛成するアメリカの政治家も多い。
6.に関しては、従軍慰安婦問題と日本の政治家による靖国神社参拝問題が中心となっている。前者に関しては、2007年に日系下院議員であるマイク・ホンダが日本に謝罪を求める決議案を提出していたが、2013年5月に橋下大阪市長が従軍慰安婦問題を正当化する発言をしたことによって議論を再燃させているが、それはアメリカが主導した第2次世界大戦の正当性に関わる問題であるため、アメリカは神経質にならざるを得ないのである。
7.に関してはTTPを中心に問題点を「解決」するにとどまった。
結論として、A.アメリカは基本的に日本に対しては好意的であり、B.日米同盟に対しては圧倒的に支持する立場であり、C.日米同盟は日本が軍国主義を復活するのを監視する機能も持つが、その可能性は少ないと判断している。このような展望の上に、D.日米中がアメリカのこのような国益に調和するように展開していくことを望みつつ対外政策を展開してきたし、展開していくであろう。
韓国人からみた近代日本文学 2013年12月4日(水) 金正勲
 もともとわたし(金)は夏目漱石の研究者であるが、韓国人の日本文学研究者として、小林多喜二や松田解子の文学を高く評価している。わたしは光州の出身者であり、光州事件を直に経験した立場から、日本のプロレタリア文学の一部に深い共感を覚えることがある。夏目漱石にも帝国主義批判と受け取れることばがあり、共鳴するところである。他方、福沢諭吉には共鳴できないものがある。日本人の最近の政治思想研究では福沢諭吉を高く評価する傾向があることは承知しているが、同感できない。
インドの「ルック・イースト」政策における日本――この政策の長所と短所を分析する―― 2013年12月12日(木) ルパック・ボラ
まず、冷戦終結後、インドは東南アジア諸国との関係を強化するために「ルック・イースト」政策を打ち出した。もともとインドは、これらの諸国・地域と歴史的にも文化的にも宗教的にも密接な関係を持っていたが、1947年に独立してからは次第にこの関係が薄くなり、代わって旧ソ連との関係を強めていった。日本に関しても、最初は経済関係が中心であったが、次第に全面的な戦略的関係に発展してきた。最近では安倍晋三首相がインドとの関係強化に乗り出し、インドでも党派を超えて日本との関係を強化すべきであるとの声が高まっている。12月に天皇・皇后がインドを訪問したことは、日印関係がますます重要になってきていることを印象付けるものであった。
第1に日本は中東から大量の原油を輸入しているため、インドは日本の石油輸入上の安全にとって極めて死活的な位置にある。第2にインドはインド・太平洋において2隻の航空母艦を運航するアメリカに次いで最大の海軍力を保有している。第3に、日印は、アメリカ、オーストラリアと並んで、2004年12月のスマトラ沖地震による大津波被害に対して中心的に救援活動を行った国である。
こうした日印関係に対する心配は、中国の台頭であり、特にインドにとって中国が進めている「真珠の首飾り」と呼ばれる包囲網の形成である。それはパキスタンのグァダール、スリランカのハムバントタ、バングラデシュのチッタゴン、そしてビルマ(ミャンマー)のシトゥウェとキャワクプチュを結ぶラインである。
中国の脅威を考えつつ、日印は経済協力、軍事協力などを通じて関係を強化することができるし、強化していくであろう。
Rise of China: Implication for IR
(中国の台頭:国際関係にとっての意味)
2014年1月16日(木) シン・スワラン
中国問題の専門家は、中国の台頭を「中国の再興」と呼びたがる。19世紀の産業革命を背景にヨーロッパでは世界に植民地を保有する大国が登場するまで、中国は世界のGDPの四分の一を産出する大国であったということを、こうした中国専門家は強調したがる。世界のGDPの四分の一は、中国が再興して台頭のエンジンとして使おうとしている生産性と同じレヴェルである。しかしながら中国台頭の道筋とその意味合いを組み立てることに関してはいくつかの見方がありうるであろう。それ故に中国経済のバブルが弾けるという見方や中国脅威論は、中国台頭、中国の再興あるいは世界各国が協調する世界を造り上げていくような国際政治の発展についての議論と同様に人気のあるものである。
研究者によって、中国の成長の可能性、実際の技術力さらには軍事的・経済的台頭を測るために使う変数は異なっていた。いずれの場合も、中国の台頭が国際関係にとって持っている全体的な意味を強調しているように思えるのは、12億人(実際には13億人:滝田注)という人口規模である。その上、中国は、一党制に基づく国家体制が生産と流通の両方に対して独占的権力を行使しているユニークな政治制度を持つ国家である。同時に、国内における党派対立をめぐる報道が増えてきたし、対外的、とりわけ近隣諸国ばかりか対内的にも顕著になった中国共産党の恐ろしいほどの挑戦的態度についての懸念が高まってきている。こうした事態によって中国は、他のほとんどの国民国家ではめったに見られない弱点と利点を抱えている。

2012年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
イノベーション人材育成の学科的基礎 2012年4月16日(月) 謝 維和
 清華大学文系担当の副学長で、著名な教育学研究者である謝先生を招聘し、日中国交正常化40周年記念セミナーの中で、講演をしていただいた。要点はイノベーション人材育成の学科的基礎であるが、中国の大学、とくに清華大学として長年にわたり努力してきた大学と文化、グローバル戦略などについてであった。セミナーは本学教授も多数参加して行われ、密度の高い学術交流となった。
Transpacific Field of Dreams:
How Baseball Linked the United States and Japan in Peace and War
(University of North Carolina Press,2012)をめぐって
2012年5月12日(土) 清水 さゆり
近年のアメリカにおける歴史研究のトレンドとして、従来型の外交史よりも人種、ジェンダーなどをめぐる社会史が注目されている。中でもスポーツ史は今後の進展が有望視されている分野である。こうしたアメリカにおける学術の動向に並走する形で清水氏の著書『Transpacific Field of Dreams』が刊行された。著書の紹介の中で、野球を通じた文化交流の歴史を、アメリカ国内、日本国内、国際関係としての日米関係の視点を重層的に織り交ぜながら日米関係史の新たな知見が示された。
The U.S. “Pivot” to the Pacific 2012年6月28日(木) Manyin,Mark
アジア太平洋におけるピヴォット(旋回軸)としてのアメリカというテーマで、アメリカオバマ政権のリバランスについて講演していただいた。アメリカがアジア太平洋地域をピヴォットとする理由として、中国の急激な経済成長、中国の軍事増強と周辺海域への積極的な影響力行使、イラクとアフガニスタンからの米軍撤退、アメリカ経済の行き詰まりによる防衛予算の削減などを挙げ、リバランスの諸要素や中国に対する政策姿勢などが紹介された。
①文革期の中国映画
②中日戦争期の蒋宋孔関係
2012年7月20日(金)
2012年7月25日(水)
汪 朝光
①1.文革史と文革歴史研究 2.文革映画史科学 3.文革映画研究(学芸、一般紹介、論文) 4.文革映画の政治性 5.文革映画の誕生 6.映画の市場 について講演していただいた。
②蒋介石日記を使用し、蒋介石と宋子文と孔祥熙の関係を明らかにしながら三人の関係を検証した。新しい資料を用い、従来ほとんど知られていなかった蒋介石とその周辺要人との公私にわたる全体像を講演していただいた。
①U.S. Pivot Towards Asia:Conditions and Implications
②TPP and Asian Reagional Economic Integration
2012年10月4日(木)
2012年10月11日(木)
Martin,Michael
①アジアに対するアメリカのピヴォット政策:その諸条件と意味合いというテーマで、アメリカの政策決定者たちの心理に影響を及ぼしている歴史的背景と内政上の問題、リバランシング政策とその意味合いについて講演していただいた。アメリカにとって今後鍵となる諸問題は軍事安全保障、外交上の役割、地域経済の統合である指摘した。
②TPPとアジア地域の経済統合というテーマで、貿易に関する一定のルール作りの重要性、アジアにおける経済統合の高まり、TPPの台頭について講演していただいた。その上で、アメリカはTPP代替案として、ASEANプラス6にアメリカが加わる、FTAAPの設立、多国間ではなく2カ国間協定を増加させる、NAFTAを拡大したアメリカ大陸中心の経済機構の設立の4つの可能性を指摘した。
①中国文学の人格的精神
②『西遊記』の変遷―宗教的な伝説が世俗化したプロセスとその結果
③西門慶像に対する文化的解読―『水滸伝』から『金瓶梅』への人物像変遷
2013年1月22日(火)
2013年1月25日(金)
2013年1月28日(月)
丁 夏
①中国文化は世界で最も悠久な文化ではないが、その伝承は一番穏やかな文化だと言えよう。その背景には、中国文化が古代から人間そのものを重要視してきたことが挙げられる。例えば、古代ギリシア文化が世界・物質に関する議論が多いこととは対照的に、古代中国文化では人生の価値観・道徳などに関する議論が最も多い。中国文学では最も関心が払われてきたのは、君子を養成し、道徳の向上を図ることである。その関係、中国では「民治」・「民主」より、「民生」の方が断然に重要視される。そういう意味で、百家争鳴時代の百家も本質的にはお互いの違いはそれほど大きくないと言えよう。「不学詩、無以言」というように、君子(あるいは「士」ともいう)になるには文学的な素養が不可欠であり、その文学的素養を以て個人の内面的な感情を表現することによって中国文学の最も重要な部分が成り立つ。その関係で、中国文学には下記の三種類の作品が数多く存在している。まず、君子が功業を立てる志望、および帝王に奉仕する決心を表すもの。次は、才能ある君子が不遇になった心情を記すもの。最後は、君子が山林に退隠した気持ちを描くもの。上記の三つは中国文学の伝統的なメインテーマとも言えよう。
②『西遊記』は歴史上の事実を素材にした小説であり、その背景には中国と海外との宗教文化交流という点が挙げられる。玄奘和尚は629~645年にインドを訪問し、そこの仏教経典を唐に伝え、そのことを『大唐西城記』に記している。その物語は、五代十国時代・南宋時代・元の時代などを経て、明の時代の『西遊記』へと最終的に形を変えてきた。『西遊記』の変遷を分析することを通して、中国の土着文化が如何に外来の宗教文化を変えてきたのかが分かる。豊かな想像力と架空世界に関する描写は『西遊記』に特別な魅力をもたらした。そして、三蔵法師・孫悟空・猪八戒・沙悟浄など作中の人物を通して人間性に対する独特な観察と皮肉は『西遊記』の真髄とも言えよう。
③『金瓶梅』は明の時代における「四大奇書」の一つといわれている。その他の三部はそれぞれ独立した物語を持っているのに対して、『金瓶梅』は『水滸伝』にもとづいて作成されたし、その主人公も悪人ばかりであり、物語も大きな事件・出来事に沿って展開するのではなく、ただ一つの家庭の日常生活を描いている。つまり、『金瓶梅』は世俗小説の日常的な人生と人間性に対するさらに深い探求を始めたのである。小説は西門慶一族の盛衰を描くものである。主人公の西門慶が歩んだ道は「悪知恵を以て発達していく」と総括できる。その発達ぶりを淫欲を求めること、お金をかき集めること、賄賂を以て昇進することという三つの面から描かれている。その記述は互いに交錯しつつ補ってもおり、それで西門慶という無頼漢・成金・官位を金で買った者の様々な側面をこまごまに描き出されたのである。

2011年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
中国における世界史の教育と研究 2011年11月7日(月) 劉 北成
「辛亥革命と現代-辛亥革命百周年記念セミナー」の中で、現代日中関係との関連から見た際、どのように歴史的遺産を継承するかをめぐって、計8名の日中を代表する研究者とともに報告・討論を行った。
New Configuration of Asia-Pacific International Relations 2011年11月25日(金) 趙 全勝
アジア太平洋の国際関係に関する新たな構造というテーマで、アジア太平洋の国際政治をマクロな観点から再検討し、そこに見られる近年の潮流についての考察を講演していただいた。近年の特徴は米国と中国による「二重のリーダーシップ構造」であるという点を主張・強調し、それがこれまでのところはポジティブな方向に働いていること、また日本・韓国・ロシアなどの他の国々にも開放的であること、北朝鮮の核開発にかかる六者会合が制度化される可能性・潜在性を備えていることが指摘された。
近代中国の民族と辺境 2012年2月22日(水) 桑 兵
中国民族の定義を中心に、近代になってから辺境問題との関連で再検討した講演内容であり、これまでの研究者の見方と異なるものばかりでなく、実証的であり、説得力のあるものとして高く評価されるものである。今後桑教授はじめ中山大学と本校研究者との交流に良い機会となり意義のある講演会との評価を得た。
蒋介石日記からみた抗日戦争期の中英と中米関係 2012年3月8日(木) 王 建朗
蒋介石日記は中国史の重要な事件及びこまかい部分を理解するのに意義のある資料である。中米関係については日記を考察すれば、従来よりはるかに複雑であることがわかる。中米双方が互いに懐疑的で批判的であること、そして中米関係をめぐる国際情勢もかなり重要な役割を果たしたこと、さらに動機についても単なる軍事的な面ではなく信用の問題であることを蒋介石は意識していた。中英関係については、抗日戦争後、政治大国を目指す中国国民政府は英国に期待していたが、戦時及び戦後処理問題をめぐって双方に不満があり両国関係はむしろ後退していき、消極的であったため、両国の関係は大きな進展は見なかった。国民政府の戦後の領土構想の変遷については、最新の研究成果を発表した。

2010年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
①The Conscience of Mankind: Human Rights,Ethical Values,and International Politics②Force and Statecraft: Challenges of Armed Forces in the World ①2010年5月27日(木)
②2010年5月28日(金)
Lauren,Paul G.
①「人類の良心:人権・倫理的価値と国際政治」と題して講演していただいた。現在の国際政治において倫理や道徳というものは非常に重要な要素である。しかし現実政治の中でこうした倫理や道徳が実際の政策に反映される可能性は必ずしも高くない。それゆえに国際政治における倫理・道徳の役割について冷笑的に見る向きもある。しかし今回の報告においてローレン教授は「国際政治における倫理・道徳の役割が漸進的にではあるが確実に増している」という点を強調した。奴隷を人間としてではなく所有物と見なす奴隷制度は、英国のクウェーカー教徒らが「奴隷制度反対」の声を上げたことを発端に、廃止される方向へと向かった。同過程における「写真の登場」という技術革新も「人類の良心」を掻き立てるのに貢献した。また1960年代の米国では公民権法と投票権法とが相次いで成立し、黒人に対する各種差別が法律で禁止されることとなった。そして2008年の米国大統領選挙では黒人候補のバラック・オバマが勝利を手にし、米国で黒人大統領の誕生が現実化することとなった。これはローレン教授が学生であった頃には「到底考えられないこと」であったという。また2000年代のハーグ法廷ではミロシェビッチ元大統領に対して犠牲者が「声を上げる」という光景が見られたが、このこと自体も人権の歴史からすると「革命的な発展」であるという。そしてこうした倫理・道徳の役割の上昇の背後には常に「声を上げる市民」の存在があった。以上がローレン教授の報告の骨子であり、ローレン教授は「今後も市民による政治的圧力によって、国際政治における倫理・道徳の役割は漸進的にではあるが確実に増していくであろう」というある種楽観的な展望を提示して、報告を締めくくった。②「軍事力と外交戦略」と題して講演していただいた。今回の報告は軍事力と外交との関係性という非常にスケールの大きなテーマを扱った報告であった。ローレン教授はまず報告の冒頭でポルトガルのリスボンにある『外交』という名の銅像の写真を画像で紹介した。同銅像は外交の性質を非常に端的に象徴したものである。第一に銅像はある「女性」を表したものである。これは外交がいつの時代も機械ではなく人間によって営まれることを示している。またこの女性は深刻な表情をしているが、これは外交の難しさを示している。更に女性は子供をはらんでいるが、これは特定の時代の外交が現世代にとってのみならず次世代にとっても重要であることを示している。そして女性は右手に「哲学」「倫理」などと書かれた数冊の本を、左手に剣を携えている。これは外交には理性・道徳と軍事力とがともに不可欠であることを示している。この銅像が示しているように、古来より軍事力は外交を構成する重要な一要素であり、そして軍事力は本来ある特定の目的のために用いられるものである。しかし時代の変化により軍事力行使がもたらす新たな危険性が危惧されるようになっている。中でも特にローレン教授が危惧しているのが、(軍事力行使により達成を目指す)目的を超える勢いで発展している軍事技術の進歩である。かつての戦闘は人と人との対人戦で、勝者は失命した(ないし負傷した)敗者を目の当たりにすることとなった。こうしたこともあって、かつては破壊行為に制約が課せられていた。ところが軍事技術の進歩により武器は剣から弓矢、弓矢から鉄砲へというように、時代を追う毎に発展していった。これにより現代においては、かなり遠くから隠れた敵を殺傷する、しかも敵方の苦しみを感じることなく用いられる武器が誕生することとなった。そして現在においては時に破壊行為そのものを自己目的とするテロも深刻な問題となっている。そしてこういった現状において破壊行為に制約を課すことができるのは唯一「倫理的制約(ethical limit)」である、というのがローレン教授の強調・提言するところであった。
Diplomacy in the New Millennium 2010年5月12日(木) Sioris,George
 駐日大使でもあったシオレス氏は、専門である外交は言うまでもなく、仏教や神話学にも造形が深く、その豊かな海外経験から外交に必要な教養とは何かを考えさせてくれる人物である。新時代の外交と題して講演をしていただいた。
A New Era of the US-Japan-China Triangle 2010年6月3日(木) 趙 全勝
 「新時代における日米中三角形」と題して講演をしていただいた。タイトルの通り、本報告は日本・米国・中国の三国関係を省察・展望するという、非常にスケールの大きなテーマを扱うものであった。趙教授はまず1990年代が「二カ国の台頭と二カ国の後退(two ups and two downs)」であるとしばしば指摘されたことを紹介した。ここで言う台頭した二カ国は米国と中国を意味し、逆に後退した二カ国は日本とロシアを意味する。ところが趙教授は近年「一カ国の台頭と一カ国の後退(one up and one down)」という表現が時に用いられるようになってきていることも紹介した。ここで言う台頭する一カ国は中国を意味し、逆に後退する一カ国は米国を意味する。 以上の議論を紹介した上で、趙教授は各種統計を綿密に用いて、日米中三国の世界における影響力の大きさや、三国のこれまでの軌跡等について省察し、また考えられる今後の道程を展望した。具体的には日米中三国が世界経済のGDPの約40%を占めること、1980年以降のGDPの推移では中国の急成長が顕著であること、購買力でも中国の急成長が顕著であること、しかし一人当たりGDPになると依然として中国は日米に遠く及ばないこと等が確認された。また軍事支出の部門では、確かに中国の軍事支出の伸びは急激であるが、軍事的に中国が米国に追い付くことはまずないであろうという点も強調された。
①中国における「拡大生産者責任」の実施
②中国「第12期五カ年計画」に直面する三つの大きな問題
③日中の経済関係
①2010年7月7日(水)
②2010年7月12日(日)
③2010年7月13日(火)
王 世文
①2009年、中国で実施された「循環経済促進法」が「拡大生産者責任」の原則を取り入れたが、具体的な規定はまだ明確ではなかった。その後、中国国務院が公布した「廃棄電子電気品の回収・処分の管理条例」のなかで、「拡大生産者責任」という原則が導入された。これに基づいて、「中国廃棄電気品の回収と処理基金」が設立された。この基金は2011年から施行される。 王氏の報告は、近年の環境法の整備に焦点を当てることによって、中国における家電製品のリサイクルという最新の問題を紹介する内容であった。 
②中国の「第12期5カ年計画」の紹介を通じて、中国の経済構造が不均衡になり、地域・階層の格差が拡大したという問題、資源とエネルギーの問題、ゴミ廃棄物や水環境といった環境問題、そして問題解決の方策について取り上げた。
③戦後から今日にいたるまでの日中の経済関係について、紹介いただいた。1980年代以降、中国は10%以上の成長率を達成し、工業化を進めてきた。そして、2010年のGDPは日本を追い抜く勢いをみせている。このような背景について解説していただいた。 
アメリカから見た東アジア国際関係 2010年6月2日(水) 入江 昭
アメリカから見た東アジアの国際関係について講演していただいた。今日、普天間問題に代表されるように、東アジア問題が今まで以上にクローズアップされているが、入江先生はこれらの敏感な問題を取り上げながら、米国と東アジア関係を論じていただいた。
入江先生は、従来からグローバリゼーション論に関心を持っており、特に市民社会同士のつながりを重要視しているが、今回の講演においても、同様の視点を持っており、今後の国際関係には、国連などの国際機関だけではなく、人間同士のつながりが大変重要であることを指摘しておられた。
このような観点から見た場合、普天間問題も、今日言われるほど日米同盟そのものを切り崩すものではないと入江先生は主張しており、むしろ東アジアにおける国際関係は、さらに大きな観点から、大局的な視点から国際交流を進めることの重要性を強調しておられた。その中でも特に、現代の学生が自覚し、国外留学をして知見を高め、勉学に励み、相互理解を深め、国際的な連帯を強めていくことが重要であると結論付けておられた。
①New Turkish Foreign Policy:A Division from West to East?
②Turkey and EU:Whether Turkey should join EU?
③Islam in the World Politics
①2010年7月8日(木)
②2010年7月15日(木)
③2010年7月16日(金)
Erhan,Cagri
①「新トルコ外交:西側志向からの転換か?」と題して、近年のトルコ外交を対象とし、とりわけ近年のトルコ外交に見られる変化について講演していただいた。いわゆる“VISTA(Vietnam,Indonesia,South Africa,Turkey,Argentina)”を構成する一カ国として、専門家の間におけるトルコへの注目は日本でも高まっている。しかしそれでも一般的にトルコは日本にとって「馴染みの深い国家」とはまだ言えない。そこでまずエルハン教授はトルコの地理・人口・歴史といった基礎的な話から報告を始めた。 その後、議論は本題であるトルコ外交に及び、現在のトルコ共和国の建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Ataturk)が掲げた外交原則(①現実主義、②対話重視、③信頼性、④西側諸国との関係重視…)が今日のトルコ外交の基礎にもなっていること、トルコという国家のアイデンティティーの複雑性・多層性(欧州としてのトルコ、イスラーム国家としてのトルコ…)が同国の外交政策にも大きく影響を与えていることなどが論じられた。そして近年のトルコ外交に見られる「変化」として指摘される「新行動主義(new activism)」について議論がなされた。この「新行動主義」のそもそもの契機としてはトルコのEU加盟に対するEU諸国の消極的態度があり、それによるトルコの中央アジア及び中東への傾倒がある。またトルコ国内政治もトルコ外交に大きな影響を及ぼしており、イスラーム色の強い公正発展党(Justice and Development Party:JDP)が台頭したことにより、中東諸国との関係強化が重視されるようになってきている。しかし他方、依然としてトルコは米国にとって中東における「中枢国家(pivotal country)であり、またアタテュルク外交以降の「現実主義」も根付いている。今後のトルコ外交が辿る道程を予測することは難しいが、何れにしてもEU諸国のトルコに対する態度が今後のトルコ外交に大きな影響を与えるだろう。エルハン教授はこの点を特に強調して、今回の報告を締め括った。②「トルコとEU:トルコはEUへと加盟すべきか」と題して、トルコとEUの関係を対象とし、トルコにとってのEU加盟問題の重要性を講演していただいた。トルコのEU加盟問題はトルコ外交における重要案件であるのみならず、トルコ国内を二分する「トルコ国内政治」でもあること、トルコのEU加盟の是非を巡る欧州諸国での議論がトルコ国内政治に与える影響が大きいこと(トルコ国民は欧州諸国の議論に非常に敏感)などが論じられた。またEUの歴史的経緯(欧州石炭鉄鋼共同体に遡る)及びトルコ-EU(或いはその前身)関係史についても論じられた。そしてこういった議論を踏まえた上で、エルハン教授はトルコ加盟に対する欧州諸国の消極的態度や欧州各国における「キリスト教アイデンティティー」の高揚(フランスのサルコジ大統領の発言などに象徴される)がトルコ世論に大きな影響を与え、トルコ世論の間でEU加盟の実現可能性に対する期待の低下が見られていることを強調し、エルハン教授自身も「宗教的・文化的相違性」を主たる要因としてトルコのEU加盟は極めて可能性が低いであろうという見解を示して、報告を締め括った。

2009年度

講演テーマ 講演会開催日 氏名
①中国から見た日本の地方行政:中国への示唆と教訓
②改革開放政策30年と中国社会の変容
③北東アジアと日中関係
①2009年4月7日(火)
②2009年4月16日(木)
③2009年4月17日(金)
金 正一
  1. 日本の地方自治体の行政運営は、その基本的な職能と遂行において色々な特徴があり、中国にとってその運営経験を学ぶべき所が多々ある。報告者は数年前に四国の南国市での調査研究を通して、その行政運営を社会サーヴィス機能、環境保護機能、教育文化機能、経済発展機能、行政監督機能をつぶさに観察し、以下の結論を得た。
  2. 日本の地方自治の基本的特徴
    A.地方自治体においても当然のことながら法治国家として、地方自治法、条例など法規に従った行政運営が行われている。
    B.行政管理者・公務員の業務執行能力が高い。
    C.環境保護への意識が高く、そのための業務を熱心に遂行している。
  3. 日本の地方自治の問題点
    A.行政責任者の高齢化が進んでいる。
    B.行政機構の肥大化が進んでいる。
    C.都市計画・建設機能が弱体化している。
  1. 中国の改革開放政策は、世界の改革の歴史における成功例の一つであろう。
  2. 特に冷戦後、世界は戦争によってではなく改革によって平和を実現しようという趨勢にあり、中国の改革開放政策はその流れに沿ったものである。
  3. 中国の改革開放政策が成功した国内要因としては、第一に文化大革命により中国経済が崩壊したため、経済再建は改革政策によるべきであるという国内合意が形成されたこと、第二に、高度中央集中型の計画経済は活力に欠けるため、市場経済を容認する機運がたかまったこと、第三に改革政策と対外開放政策を組み合わせたこと、が考えられる。
  4. 改革開放政策の成果としては、総合国力が高まりGDPは世界第三位となり、13億人の食料問題を基本的に解決したこと、国際競争力が高まり、輸出入総額は世界第一、外貨準備高は世界第一位となり、国民生活は「小康水準」となった。
  5. しかし課題も多く、貧富の格差拡大、腐敗問題の深刻化、社会倫理の喪失、環境悪化、製品品質の低下、社会治安の悪化、交通・建築工事の質の低下などがあげられる。
  1. 東北アジアにはいまだ冷戦構造の遺構がビルトインされており、この地域の国際協力は進んでいないが、この状態を打破するためには日中の協力が不可欠である。
  2. 東北アジアに経済共同体が出来れば、地域の緊張が低下するばかりか、世界経済の発展に寄与することは明らかである。
  3. 2006年10月安倍総理が訪中し(「破氷の旅」)、2007年に温家宝総理の訪日(「溶氷の旅」)が行われ、緊張関係にあった日中関係は転機を迎え、さらに2007年の福田総理の訪中、2008年の胡錦濤主席の訪日は、日中関係を戦略的互恵関係に引き上げた。
  4. 確かに四川地震での日本の協力や金融協力など明るい面も見られるが、海底油田開発など両国間の緊張を引き起こす問題も数多くあり、結論から言えば「前途は明るく、道は曲折している」
①Mainstream Thinking of Japanese Foreign Policy
②Obama Administration's Asian Policy
③China's Foreign Policy in 21st Century(ミニシンポ 21世紀ユーラシアの地政学)
①2009年5月28日(木)
②2009年6月4日(木)
③2009年6月12日(金)
趙 全勝
中央大学と交流協定のあるアメリカン大学より、アメリカ外交、米中関係、日中関係、日米関係にも詳しい、趙教授を招聘し講演していただいた。学生、大学院生ばかりか、教員の研究活動に大いに刺激を与えてくれた。
日中関係 2009年6月24日(水) 入江 昭
今なぜ東アジア共同体なのか、これが意味するものとはということについて講演を行い、以下のように述べた。まず過去の国際社会には共同体という考えがなく、むしろ世界を分割する流れにあった。そのうえで、現代は軍拡とは違う世界ができつつあり、従ってその中で東アジア共同体を位置づける必要がある。さらに現代のグローバル化の特徴として国家を超えたつながり、すなわちトランスナショナル化がおこっている。 その中では、東アジア共同体が達成されるには、互いの多様性を強調しながら、なんらかの共通性を探ることが必要となってくる。特に東アジアにしかないものを探っていく必要がある。 従って、今度の東アジア共同体と日中米などの国際関係では、国連などの国際機関だけではなく、人間同士のつながりが重要となっていく。このような人脈・人間関係を築くことができれば、21世紀は建設的な方向に行くであろう。 
東アジアの金融協力 2009年6月26日(金) 片田 さおり
東アジア共同体研究の金融協力分野では最も精力的に成果を出している研究者である片田先生を南カリフォルニア大学から招聘し、東アジアの金融協力と題して講演していただいた。なお、第23回中央大学学術シンポジウムに研究協力者として参加していただく予定である。
Vietnam War and the Limits of U.S. Influence in Southeast Asia 2009年7月9日(木) McMahon,Robert
現代アメリカ外交史、とりわけ東アジア政策では指導的立場にある研究者であるMcMahon先生をオハイオ州立大学より招聘し、講演していただいた。第23回中央大学学術シンポジウムに研究協力者として参加していただく予定である。
日本の官民人事交流制度の研究 2010年3月12日(金) 簡 麗美
現在、台湾では政治制度改革の一環として、官民の人事交流を図るべきだと提言されつつも、立法院(国会に相当)で官民の癒着を懸念する意見が強いため、実現にいたっていない。他方、日本ではすでに官民人事交流法が制定され、人事院の監督下で政府と民間企業との人材交流の制度が整えられている。このため、日本の人事交流システムの仕組み、現実の運用や効果、問題点などについて研究し、台湾における人事政策の立案の参考としたいと考え、本テーマの研究に取り組んだ。 1.日本の官民人事交流システムの概要、2.台湾の官民人事交流制度、3.日本の官民人事交流制度に関して発見したこと、4.台湾での人事交流制度策定の意見について講演していただいた。
中国における「民族走廊」と少数民族宗教文化研究 2010年2月25日(木) 王 建新
本講演は、中国の少数民族の宗教文化に関する研究の研究動向について系統立てて紹介するとともに、今後の課題について指摘した。
  1. 中国の民族と宗教文化
    現代中国における民族に対する言説のあり方としては、多元論、融合論、一体論など多様なタイプが存在し、研究者の間でも必ずしも統一的な見解が存在するわけではない。その中で、講演者の専門とする宗教文化という点からいえば、歴史的状況から現状に至るまで、事実として多元的であり、融合現象も一般的に見られる。講演者の立場は、自然な融合ならともかく、強引な一体化は避けるべきというものである。それでは、そもそも中国の少数民族の宗教文化をどのように理解すべきであろうか。
  2. 民族学の関係理論
    中国の民族状況を歴史や地理的視点に基づいて類型化する理論が、大きく見ると三つある。第一は、中原文化、東南文化、少数民族文化という区分を考える「文化板塊」理論であり、第二は、歴史的な物質文化の特徴と分布に沿って、北方・東方・中原・東南・西南・南方という六つの区(空間範囲の静態的概念)と系(時間軸の動態的概念)に分ける「区・系・類型」理論である。そして第三が、著名な民族学者費孝通によって提唱された、中原、北部草原地区、東北山岳森林地区、青蔵高原、雲貴高原、沿海地区という6区と、「蔵彝走廊」、「西北走廊」、「南嶺走廊」という3「走廊」を想定する「民族走廊」理論である。三番目の「民族走廊」理論については、1980年代から一般に受け入れられるようになった。
  3. 「民族走廊」と少数民族宗教文化への理解の枠組み
    「民族走廊」理論における三つの「走廊」は、その宗教文化的な側面に着目するならば、具体的には以下のような枠組みの下に考えることができる。第一の「西北走廊」は、ウイグル、回、カザフ、クルグズなどの民族の居住地域であり、自然崇拝、動植物崇拝、部族神崇拝、シャーマニズムを含みつつ、イスラーム教が中心的な役割を果たす。第二に、「蔵彝走廊」は、チベット、彝、羌等の民族の居住地域であり、山岳崇拝、動植物崇拝などの民間信仰を含みつつ、チベット仏教が中心的な役割を担っている。第三の「南嶺走廊」は、苗、壮、ヤオ、水、?などの民族が居住する地域であり、山や樹木に対する信仰や呪術などを含みつつ、道教が中心的な役割をもつ。
  4. 少数民族宗教文化研究の視座と方法
    上記のような「民族走廊」における宗教文化圏としては、それぞれの「走廊」に対応する形でイスラーム文化圏、チベット文化圏、道教文化圏が想定できるけれども、他方ではマザール(イスラーム聖者廟)信仰圏、オーボー信仰圏、?蔵信仰圏、地仙信仰圏など、民間信仰としての側面から信仰圏も考えることができる。すなわち、宗教文化を見る際にも、多元への動態史観と言うべき視点が不可欠と考える。また、方法論的には、霊信仰、シャーマニズム、自然崇拝、祖先崇拝、呪術などに対する比較文化的なアプローチや、外来宗教と地域信仰との融合パターン、地域の生活実践と宗教文化との関係性、宗教儀礼の過程に見られる宗教の混淆現象、などを検討する民族誌的アプローチが有効であろう。
  5. 現在の調査研究
    そもそも、現代中国の宗教研究においては、仏教、道教、キリスト教、イスラーム教などの宗教が主な対象として考究されてきた。しかし、自然崇拝やシャーマニズムなど民間信仰に当たるもの、およびそれらと仏教、道教、イスラーム教などとの混淆、融合の実際的な局面、これらを包摂する総体的な信仰体系の在り方については、十分な注意がはらわれてきたとは言い難い。本講演者は、とくに民間信仰という側面に注目しつつ、少数民族宗教文化の研究に従事するつもりである。現在は、南方山地民族と道教、西北地域の少数民族とイスラーム信仰に焦点を当て、両者の比較検討も視野に置きつつ、実地調査を展開している。

2008年度

講演テーマ等 講演会開催日 氏名
    車 花子
延辺大学で日本文化論の講師を務める車氏を第3群外国人研究者として受け入れた。9ヶ月の間、図書館や研究所書庫を利用し、本人の研究計画に基づき研究に従事した。
日中歴史問題和解の現状と課題 2008年4月20日(日) 歩 平
中国社会科学院近代史研究所所長で、日中共同歴史研究の中国側座長でもあり、近年もっとも注目されている研究者である。来日を利用して本学において学術講演を行い、日曜日にも関わらず学内外から25名以上の参加者を得て、密度の高い内容であった。
台湾の現状 2008年6月11日(水) 石 之瑜
台湾政治情勢や台中関係に関するもっとも発言の多い、注目されている研究者である。民進党陳水扁政権に代わって国民党馬英九政権成立後の台湾情勢の分析に関する講演をしていただき、学生、大学院学生および研究者との間で今日の台湾の現状及び台湾と日本との学術交流について意見交換を行った。
Cultural Intelligence & Singapore's Creative Economy 2008年6月20日(金) Tan Joo Seng
日本の淡路島ぐらいの国土に470万人以上の人が暮らすシンガポールは優れた人材を輩出し、確保し続けなければ国際社会から取り残されることになる。
シンガポールは国民の高い学力を誇る国であるが、その高いIQだけでは安泰ではなく今求められているのは、まさにCQ/CI(Cultural Intelligence)である。 国際ビジネスはいうまでもなく異文化の交差点でもあるシンガポールのCI度の高さは例外かもしれないが、グローバル化のうねりの中で、今やCIは世界の国々が学ばなければならないテーマになっている。
グローバル市場においては、国際的なチームの結成や合弁事業などがめずらしくないが、それには各自が異文化に速やかに溶け込むことが重要である。この講演ではCIの概念をはじめ、その重要な三つの要素(認識、動機づけ、行動:タン教授はそれぞれをhead,heart,bodyという言葉で表現している)について詳しく説明された。高いCQをもつビジネスパーソンでなければ、異文化の中で何が起きており、その理由を理解し、自信をもってその状況に対処することが出来ないことをシンガポールでの実例をあげて講演していただいた。 
①The U.S.-Japan Alliance in a Changing East Asia and Prospects for Regional Cooperation
②Assessing the Dynamics in the U.S.-Japan Alliance
③Prospects for Asia Policy in a New U.S. Administration
①2008年6月27日(金)
②2008年7月1日(火)
③2008年7月3日(木)
Chanlett-Avery,Emma
①本講義は、東アジアの国際関係が変容するにつれ日米関係が過去50~60年間にどのように展開してきたかを検証するものである。アメリカ、韓国、中国、日本の間の政治関係が東アジアの安全保障関係にどのように影響を与えてきたかも考察する。日本、中国、韓国の間で発生した歴史問題、領土問題そして地政学に関する議論も検討し、これらの論争が日米同盟関係とどのように関連してきたかも検討する。その上で将来の東アジア地域での協力の可能性を展望する。
②ここ数年間、日米同盟は「かつて無いほど良好」とか「戦略的漂流をしている」などと評される。果たしてこの日米同盟関係についての評価は正しいのか、日米同盟関係は2000年以来、変化してきているのかを検討する。基本的にいえば二国間の同盟関係は地政学的条件と戦略的条件が絡み合っているゆえに強固であり、政治的不安定性は両国関係を強化しようとする最も野心的な戦略計画を根底から揺るがしかねないものである。
③現在行われているアメリカ大統領選挙運動では、貿易問題も余りヒートアップしないだろうし、アジア政策も余り大きな位置を占めていない。この点に関して、アジア政策が余り問題にならないのは、新大統領はアジア政策についての公約により就任後制約を受けることが無いことを意味するので、新政権にとってはよいニュースだという政治評論家もいる。外交政策で最も議論されているのはイラク問題で、アジア政策は余り意識されていないのが実情である。一般的にアジア政策は他の外交政策よりも党派性が低く、マケインもオバマも、アジア諸国との同盟関係がこの地域におけるアメリカの国益にとって重要であるという点では一致している。
国民政府と国連の創造 2008年7月25日(金) 金 光耀
太平洋戦争の勃発後、国民政府は国際連合の設立準備活動を積極的に推し進めた。その外交方針の中でも、国民政府は国際連合の機構、運用メカニズム、中国の地位などに関して、多くの方案を提出した。この中で国民政府は中国の大国としての地位を確保し、国際連合設立準備を最大の目標としていた。
中国が国際連合の創建に参加したことは、20世紀中国の対外関係史上、重要な出来事であった。金先生の報告では、国民政府が国際連合の創建に参加する過程において、国際連合の基本的構造と、その中における中国の地位をめぐって、国民政府が展開した政策の討論と決定の過程、および中国が自己の国際連合に対する構想を検討することによって、国民政府の国際連合に対する構想と中国の大国としての地位に対する認識に対して、具体的に論じた。 
近代日本市民社会論の類型 2008年7月25日(金) 張 翔
市民社会とは何か、その理論的検討がなされてから、かなりの時間が過ぎたが、はっきりした結論にはまだ至っていない。
その困難さの根底には、西洋史においても、「市民社会」(civil society)という概念にたいして変化があったことがその理由のひとつとして挙げられる。近代初期まで、「市民社会」という概念は、政治社会とほぼ同じ意味で使われていた。しかし、ヘーゲルはそれを「市民の経済的、私的営み」と定義したが、現在の学術会ではこれを「下から形成された国家(政府)の指導を受けない自主的社会的文化的領域」と定義するに至っている。
困難さの原因としては、第二にこの概念があくまでも西洋産のものであるということがある。従って、この概念が他の非西洋諸国にも適応される普遍的な概念となるのか、この概念は非西洋世界を説明する上で有用であるのかという疑問も存在する。 チャールズ・タイラー(Charles Taylor)は市民社会というものを以下のような三つに分類している。1.最低の条件として、国家権力の支配を受けない自主性をもつ社会団体、2.全ての社会団体が自ら形成し、また互いに調整する社会形態、3.2の補充として、そういう社会が国家の政策に影響を与え、これを決定する場合、の三つである。(Models of Civil Society,Public Culture, 1991.3,鄧正来 J.C.Alexander『国家と市民社会』 中央翻訳出版社,1998年) これらについて紹介した上で、張先生は日本の市民社会について、国家と社会とは必ずしもはっきり区別されていなかったが、社会と政府の関係はかなり意識して、多くの場合、公と私についての議論を中心に展開されてきたと論じた。
Managing International Business Communication Problems in Thailand 2008年10月10日(金) Sriussadaporn,Roong
 タイで起こっているビジネスコミュニケーション問題について講演した。まずタイにおける日本企業の投資状況および雇用について概説し、そのなかで起こるコミュニケーションのシステムについて3つのモデルを挙げて説明した。さらにコミュニケーション上の問題点について、その発生と原因について述べた。後半では、組織における効率的なコミュニケーションについて個々人の果たすべき役割に焦点を当て、"Grobal Personality"の7つの条件を挙げ、心構えを示した。
Migration,Deportation,Collapse of the Soviet Union and Ethnic Identity of Koryo saram in Kazakhstan 2008年10月14日(火) Kim German
 中央アジアの高麗人の歴史、文化の研究の第一人者であるKim氏をカザフ国立大学から招聘し、移民、強制移住、ソ連崩壊とカザフスタン高麗人のエスニック・アイデンティティと題して講演をしていただいた。
Implications of the Result of US Presidential Election 2008年11月13日(木) Klein,Brian
 大統領選挙人の数ではオバマ349人、マケイン163人(11月6日現在、選挙人総数538人)でオバマ圧勝であるが、一般投票数でオバマ53%、マケイン47%と6ポイントの差である(11月6日現在、一般投票人総数1億1870万人)。同時に行われた上下両院選挙(上院100名のうち35名が改選、下院は任期2年の435人全員が小選挙区制で戦う)の結果は、上院選挙では民主党57名、共和党40名(1人はインディペンダント、2名はいまだ決まらず)、下院選挙では民主党255人、共和党174人であった。大統領選挙と連邦議会選挙の結果を総合的にみれば明らかに民主党の圧勝であったと総括できる。
オバマと民主党が直ぐにでも取り組まなければならない国内問題は、第一に国内経済の建て直し、第二に、エネルギー・環境問題、第三に健康・医療問題である。国際問題は、現在進行しているイラクとアフガンでの戦争、気候変動条約への対応、不安定化してきたパキスタン問題、イランと北朝鮮の核開発問題、NATO拡大へのロシアの反発、台頭する中国への対応、最後にアフリカでの紛争・貧困・感染症の問題である。アジア特有の問題としては、日本にかかわる日米安保と北朝鮮による拉致問題、六者会議、中国にかかわる経済・貿易・投資・環境問題があり、アジア全体としてみるとAPEC、ASEAN、東アジア・サミットにおけるアメリカの役割や、自由貿易協定(FTA)を巡る問題がある。
オバマ政権はアジア問題にどのように対応するであろうか。貿易に関しては、労働基準と環境基準を含め、FTA締結要件を強めるであろう。中国に関しては引き続き関与政策を採用するだろうが、貿易とIPRに関しては今までよりも強い態度にでるであろう。人権問題にも今まで以上に軍事的負担を要求するであろう。アジアにおける地域統合に関しては、一般論としていえば支持するであろう。北朝鮮に関しては検証可能な非核化を要求するであろう。 
上海自然科学研究所の設立経緯とその歴史的役割 2009年1月29日(木) 李 嘉冬
上海自然科学研究所の設立経緯とその役割について、研究機関の説明、研究所に関する日中双方の先行研究および歴史評価について述べ、本研究の意義を報告した。また歴史研究者、日中関係史、東アジア研究者と学術交流を行い、大学院生に対して研究方法、資料収集などに関して交流を行った。
①The Obama Administration's Policy Towards East Asia: Implications for U.S.-Japan Alliance Relations
②The Obama Administration's Policy Toward Southeast Asia
①2009年3月24日(火)
②2009年3月26日(木)
Cronin Richard
①オバマ政権の東アジア政策には変化していくことが予想される部分と、前ブッシュ政権の政策を継承する部分の両面があるのではないかと思われる。変化の第一は、ブッシュ政権の外交政策遂行に関する単独行動主義と軍事主義を否定し、経済問題、とりわけ世界金融危機に対処する強い姿勢を打ち出していることである。第二に、気候変動や温暖化への対応を含むより広い外交政策のコンセプトを基に政策を実現しようとしていることである。第三に、国際機関、とりわけ国連を今まで以上に重視しようとしている点である。
継承していくと思われる外交政策は、同盟関係の重視、核拡散への反対姿勢、そしてアメリカのリーダーシップの発揮である。②オバマ政権の東南アジア地域に対するアプローチには次の4つが特徴として挙げられる。第一に、この地域の戦略的重要性をますます認識していること。第二に、中国のこの地域に対する急速な影響力増大についてますます関心を抱かざるを得ないこと。第三に、気候変動、人間の安全保障、民主主義の後退について懸念を抱き、ASEAN諸国との協力関係を強めようとしていること。第四に、この地域に関しては、テロとの戦いよりもイスラム原理主義を社会政治的文脈で理解しようとする姿勢を強めていることである。